移動性高気圧3

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この5年間は広い意味での産休とモニさんがニュージーランドの市民権を獲得するための条件づくりとで、地球の表面をふらふら歩いてまわる、それまでの生活とはまったく異なる生活で、ときどきオーストラリアの町やウェリントン、クライストチャーチに出かけたり、強行なスケジュールでヨーロッパへ出かけて、用事が終わると怒濤のようにもどってくるとかで、本来の、どうせロンドンへ行くのに乗り換えるんだから東京に1ヶ月いて遊んでいこう、とか、シンガポールで行き帰り2週間ずつプールサイドで寝てくらそう、というような生活はやめていた。
小さな人々にとっては最も大切なのは家という暖かい絶対的に安定した巣のなかで親とべったりくっついている時間で、その「溺愛の記憶」が、小さな人々の「自己」の核になって、くだらない人間やプレデターがたくさんうろうろしている世界を横断する根源的な力になるのは判り切っているからです。

さすがに後半は飽きてきて、酒ばかり飲んで、オークランドのワインショップの繁栄の基礎をつくってしまったが、そのかわり、以前は習慣にすぎなくなりつつあった世界を一周してもどってくるタイプの旅行を、また楽しみにできるようになった。

何度も何度も同じところに行って、滞在もだんだん延びて、最後には住居を贖って短期間にしろ住んでしまう、というパターンなので、「まったく行ったことがない町」が意外とたくさん存在して、たとえばマレーシア系人たちがこぞって推薦する、名前を忘れてしまった小さな町に行ってみたいと考えるが、ついでに、こちらも行ったことがないペナンやクアラルンプールのような大きな町や、たいへん西洋化された行楽地のランカウイにも寄っていきたい。
あるいはロサンジェルスには仕事の用事で何度も出かけていても、隣のサンディエゴは観たこともない。

計画しているうちにモニとふたりで顔を見合わせて笑ってしまうほど、行きたいところがあちこちにあって、めんどくさがらなければ、今年の後半からは、また、旅から旅で、「移動性高気圧」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/05/24/drivinginitaly/
のモニさんとのバカップルな旅が始まりそうです。

もっとも旅行地図から姿を消してしまった町や国もあって、あれほどおおきな存在だった東京は、やはり怖いのでのんびり1ヶ月滞在する、というようなことは考えられなくなってしまった。
日本では福島事故はもう過去のことになっているようで、ちょうど沖縄戦とアメリカによる1972年までつづいた占領のあとに「沖縄の人の貴い犠牲は忘れません」で、あとは歴史の重い蓋を載せて封印してしまったのと性質は似て、「福島の人に寄り添って」絆を感じるだけでよいことになって、あまつさえ、放射性物質を日本中にばらまいて、みんなで食べればあぶなくない、異様な国になってしまった。
日本の人にとっては「全然、平気」な放射能も、そう言いたい、起きてはいけないことが起きてしまったことに他人にふれられたくはない人間の自然な気持はわからなくはないが、こちらは放射能が怖いので、むかしのように、有楽町のガード下の焼き鳥屋で、きゃっきゃっと機嫌がよい猿のように騒いだり、帝国ホテルの部屋でバスローブを着て、あるいは素裸で、シャンパン付きの朝食を自堕落に食べて、何日もデヘヘヘヘをしているわけにはいかなくなってしまった。

いままで生きてきて、最も残念なことのひとつが福島第一事故で、あれさえなければなあー、とたびたび思う。

東京は、昔から、というのは子供のときに初めて暮らすことになったときから、両親(ふたおや)のような町で、一緒に遊んで、さまざまなことを教わって、なによりも、どんな場合でも溺愛に近い愛情で、風変わりな子供を抱きとめてくれる町だった。
良い記憶しかなくて、毎日が興奮の連続で、楽しくてしかたがなかった。

2011年の3月に、自分の一生の一部として当然存在し続けると信じ込んでいた東京が生活地図から失われて、欧州との往復も、いまはずっと西にずれたドバイ経由ということになっている。

あるいはテロの標的の確率がおおきいところには、たとえば小さなひとびとを連れていくわけにはいかない。
世界は明らかに混乱期に入りかけていて、アメリカのように豊かな国でさえ、ドナルド・トランプのようなならず者を有力な大統領候補に押し上げてしまうマスレイジが満ちて、そういう社会的な鬱積は、やはり(特に旅行者が好んで訪れるようなおおきな都会では)細部にあらわれて、どう言えばいいか、町全体の空気がいがらっぽくなるものであるように感じられる。

もっとくだらない理由に目を移すと、かつては「隙さえあれば立ち寄って遊ぶ」町だったシンガポールは、統計上のGDP成長率を小さいほうに誤魔化す必要を感じるほど繁栄に繁栄を重ねて、その結果は、なんでもかんでもぶわっか高い町になって、おまけにタクシースタンドは延々長蛇の列で、こっちはUberがあるのでなんとかなるのかも知れないが、繁栄に飽きた人のなかにはぞんざいな態度になる人もあったりで、かつてほどの魅力がない町になってしまった。
ただの大都会、というか、どこに行ってもおなじ、譬えていえばショッピングモールのような都会で、そうであるならば、わざわざあの熱地獄に耐えにでかける意味はない。

マンハッタンも友達が次々に郊外や他の町に引っ越して、むかしよく出かけた町ではバルセロナは変わらないように見えるが、モニとふたりで話しあって、スペインならば今度はマドリッドにしばらくいてプラドに通おうということになっている。

イタリアは、なにしろ大好きな国なので、また出かけるに決まっているが、イタリアという国の重大な欠点は、クルマの運転が荒っぽいことで、多分、イタリア人は何らかの理由によってジキル博士とハイドのような二重人格で、ハンドルの後ろに座ると、歯が尖りだして、眉がゲジゲジになって、ギハハハと哄笑しながら対向車に突進したくなるものであるらしい。
だから今度はローマにずっと滞在して、裏通りに通暁しよう、ということになっている。

モニさんが「オーロラが観たい」と希望するので、ニュージーランドのサウスランドでもオーロラは見えるが、ついでだから冬の北欧へ行けばどうかと考える。
寒いうえにずっと夜なので敬遠する、というが、ベーオウルフを読めばすぐに了解されるとおり、日がな一日つづく深い闇のなかでの生活こそが北欧で、自分でも、どうしても一度経験したい生活なのではある。

オークランドにずっと腰掛けていて、インド人街に詳しくなって、サンドリンガムやフラットブッシュやパパトイトイで、なんだか理不尽なくらいおいしいタンドリ料理に舌鼓を打ったり、といってもほんとうにそんな下品なことをするわけではなくても、表現がおもしろいので舌鼓でいいが、チャイを菓子屋のテラスで堪能したり、あるいはベトナム料理屋で魚の丸揚げに目をまるくして、すげー、うめーを連発したり、夜のエリオットステーブルでチェビシェをつつきながらマルベックを飲む生活も、やってみるとチョー楽しいもので、オークランドという町の最大の取り柄であるハウラキガルフにボートを出して、モニさんがハミングしているのを聞きながら甲板に寝転がって日本語ツイッタにうつつをぬかすダメダメな毎日が好きでたまらない。

でもほんとうは、モニさんもわしも、正体は漂泊者で、漂泊者が深刻に聞こえすぎるならば、ノーマドで、世界を好奇心というラクダに乗って、砂漠を越え、草原を横切って、肩を並べて、どこまでも移動してゆくのが好きなのであるらしい。
ふたりでほっぺたをくっつけあうようにして、コンピュータのスクリーンのなかの地図を観ている。
ヴァージンやアメリカンエアーが来てからエアフェアが下がったね。
さっき電話してみたらマイアミでケーディクローガン見せてもらえるって言ってたぞ、ガメ、と話ながら、心はもう定着の生活からさまよいでて、海を渡って、コルクの森や、赤い岩の砂漠を歩いている。

旅へ

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