川へ飛び込む

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新竹へは一度行ったことがある。
子供のときのことで、ぼんやりとしか憶えていないけどね。
両親と、コンピュータ会社の役員をしているドイツ人のおっちゃんと一緒にデスクトップPCのケースを作っている会社を訪問していったのだと思う。
「台湾のシリコンバレーなのです」と誰かが述べたのをおぼえている。
案内してくれた台湾の人の運転が荒っぽくて、怖い思いをした。
もう、そのくらいしか憶えていない。

同じ年だと思うけど、薄暗い、台北の小路に、ほんとうはそんなに暗かったはずはないが、記憶のなかでは暗い店が並んでいて、ちょうど鳥のための止まり木のような形をした台の上に鎖につながれたオランウータンが、どの店にもいるんだよ。
そうして蛇を地面に叩きつけて殺している人たち。
何層にもこびりついた蛇の血で赤いアスファルト。
ずっと後で、なにかの本で、あれは店の繁栄を願って台湾のひとびとが飼うオランウータンなのだ、と書いてあったが、そのときは、ただただ怖くて、オランウータンたちが気の毒で、いっぺんに台湾が嫌いになってしまった。

あとになって何回か台北へでかけたときに、茶店でお茶を御馳走になったり、さまざまなお茶の違いについて説明をうけて、台湾を見直したというか、台北人の典雅に触れて、なるほどこの人達の文明度は高いのだと実感した。
ブラシ、書道の筆の店でもおなじで、奈良の人は「中国の筆は作りが粗くてダメなのだ」と述べていたが、そんな違いは判らないから、端的にいって、ぼくの毛筆の知識は、2時間くらいも説明してくれた、そのときの、英語に堪能な女の店員に教わったことがすべてです。

きみが新竹の研究所へ出張しているのをツイッタで見て、あの台湾の暗い町を思い出してしまった。
招待されて出かけた住宅地への途中の町並も、台湾名物なのだという「エビ釣り」に連れていってもらった町も、記憶のなかでは途方もなく暗くて、日本の町も冷たい白い光のなかで暗くて寒々としているが、それよりもさらに暗くて、台湾というと、その「暗い町並」を思い出す。

ladaさん(@spicelada)とccさん(@_cc_bangkok)という夫婦がいて、この人達のツイートは面白い。
初めて見かけたときは、たしかマラッカに住んでいて、そこからランカウイやペナンと移り住んでいた。
しばらくベトナムにも住んでいたりして、見ていると、サイト制作の仕事をしながら、アジアの国のあちこちに会社をつくって、旅行の趣味と仕事を兼ねているものであるらしい。
食べ物の写真がいっぱい載っていて、それがどれもおいしそうで、連続したツイートを眺めていると、いつもマレーシア料理屋にでかけたくなってしまう。

昨日はマレーシア料理のディムサム(点心)という不思議な昼食を夫婦で載せていて、夫婦で載せているのだから、なんとなくお互いに素知らぬふりをしているので遠慮していたが、もう夫婦であることをばらしてしまってもいいのだろうと考えて書いているのだけど、中国料理のディムサムとはまるで食べ物が違っていて、写真を眺めているだけで飽きなかった。

ディムサムの体裁をとっているのだからマレーシア料理ではなくてニョニャだと思うが、それにしてもおいしそうで、第一、オークランドでは見たことがない料理で、たくさんマレーシア料理屋やニョニャのレストランがあると言っても、やっぱりマレーシアに出かけてみないと判らないのだな、と考えた。
他の片言(へんげん)にも面白い所があって、「中国の点心とは異なってチリソースで食べるのだ」と書いていたが、オークランドではどこの中国料理屋も点心はチリオイルと醤油がふたつに仕切られた小皿に入ったものが基本で、残りは店員にお願いして、チリソース、黒酢、紅酢、ウスターソース、タイ風の甘味があるチリソースのなかから自分の好みのものを持ってきてもらう。

「中国の点心とは異なってチリソースで」ということは、中国の町では点心をチリソースで食べないのか、と思って、読んだ後、暫く煩悶してしまった。
「孤独のグルメ」という日本のテレビドラマを観ていたら、白胡椒と米酢で餃子を食べていて、そんなことが出来るのか、と実験してみたら、白胡椒はあんまりおいしくなかったが黒胡椒と米酢は意外なくらいおいしくて、びっくりしたが、では点心は、そもそも何が本来のソースなのか、それとも本来のソースなどはなくて、中国の人らしく、個人に依っててんでんバラバラなのか、しばらくインターネットで調べてみたが、結局は要領を得ないで終わってしまった。

きみの新竹でのお昼ご飯は、大皿に点心が盛られてでてきたところで写真を撮って
「うまそう」と書いていたが、見た目がもうおいしそうでなくて、これは期待できないよね、と思ってタイムラインを眺めていたら、案の定、「それほど、おいしくなかった」と食後の感想が書いてあったので、きみらしいと思って笑ってしまった。
新しく遭遇したものを先ず信頼して、ポジティブにとらえて、そのあとの反応が率直で飾らないのは、自分では知らないかもしれないが、きみの特徴です。
受験秀才の頭の悪さとはかけ離れた知性が感じられて、なんだかいつも暖かい気持になる。

いまは秋で、雨ばかり降っている。
雨ばかり降っている、というと一日中、降り込んで暗い午後を想像するが、オークランドの天気は変わりやすい点でブリテン島と良い勝負で、秋などは、どんなに雨が降っても一度は太陽が顔をだすヘンテコな天気で、馴れない人は発狂しそうになるという。

ぼくは相変わらずで、怠けてばかりいて、月曜日に実行するはずだった用事が火曜日になり水曜日になり、今度はパーティだのなんだので、ミュージカルのEvitaが来るので観に行かねばならないとか、シドニーのモダンダンスのカンパニーがアオテアセンターで興行をぶつのでガメとわたしの切符を買ったとモニが述べたり、
あれやこれやと遊んでいるうちに、次の月曜日になったりしていて、われながら生産性がない。

きみも、もううんざりして、「お手上げ」な気持になっているらしく見えるが、岡目八目、ありゃ、そんなことやったらエライことになってしまうではないか、とハラハラしながら眺めていた日本社会は、すっかりとんでもないことになっていて、もう、一世代というような時間では回復できないところまで一見平穏な表面の皮膚だけを残して、内部の腐敗は、手の施しようがないところまで、すすんでしまったように見えます。
ここまで病状が進行してしまえば、議論というようなことはする気になれないので、ときどき若い友達や女のひとびとに向かって、可逆的にものごとをすすめられる地点をいま過ぎた、とか、なにしろきみの国の政府は、他国の首脳に向かって、彼らの耳には聴いた途端にオオウソであると判ることが自明な事柄を、報道されたニュースを通じてしか事態が判らない自国の国民を欺く目的だけで堂々と発言してみせるというくらい不誠実な政府なので、念のためにいうと、あれはもちろんウソで、英語の記事はこんなふうになっている、ということはあっても、それを起点に議論するということは、やってももうムダなのでやりたくない。

日本は、骨の髄までしみ込んだ、ほぼ情緒と一体化してしまっている天然全体主義が祟って、リベラルからライトウインガーまで、目的語をいれかえれば両者の主張や修辞がそっくりそのまま同じになってしまうくらい、ひどい状態になってしまっているように見えます。
全体のほうからではなく、個人の内部から事象を観ることが出来るのは、世代的に言えば20代の人々まで遡らねばならないので、そこまで社会が保つかどうか。
あるいは、社会のなかで力を与えられていない彼らが、あと20年、歴史の地中深く根を生やしたような、文明全体で人間を作り変えてしまう日本固有の全体主義文化によって潰されないですむものかどうか。
日本の歴史上、初めて現れた若い自由人たちが、全体主義の此岸から暗い、流れの速い川に飛び込んで、自由社会の彼岸に無事泳ぎ着けるかどうか。

無理かもな、と考えることがあるけど、きみが「ゆとり教育と言って、きみたちをバカにするおとなたちは、日本で初めてまともな教育制度を受けたきみたちに嫉妬しているだけだから気にするな」と述べていたりするのを観ると、おとなたちのなかには、まともにものを考えられる人間がいて、それを率直に表明するだけの勇気があることが判って、自由な彼岸から差し出された知性の手が、案外、マサキ(@6yue_e)や無栖川(@nashisugawa)たち、いま20代前半の世代の溺れかけた手をがっちりつかまえて、自由社会へ引きあげる日が来るのかも知れない、とも思う。

目下の展望では、アジアで初めて自由人の大群が集って真の自由社会を生み出すのは圧力鍋みたいなゴチゴチの全体主義で生まれついて自由人の国民を圧している中国だが、日本も案外とそれに続いて自由人の国になる日がくるのではないだろうか。

その日を楽しみにしている。
そして、そのときは必ずきみに会いに行くよ。

では

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2 Responses to 川へ飛び込む

  1. dohinjutu says:

    日本の事を面白がってくれてそれだけで「もういいや」という気持ちになり、でも、ほったらかしにもできないしで悩ましゅうございます。。とにもかくにもありがとうっ!

  2.  亀殿、こんにちは。
     少し亀殿とお友達にお話したいことがあり、この場をお借りいたします。
     私は今年度より、ひょんなことから中国帰国者(中国残留孤児・残留婦人)の方々の支援事業をお手伝いすることとなりました。日本政府による帰国支援事業は1981年より始まりましたが最近では帰国者1世の方々の高齢化が進み、この方たちは壮年期を過ぎてから帰国されたために今でも日本語が不自由な方や中国語普通話の会話が困難な方がたくさんいらっしゃいます。高齢になると病院通いが必然となりますが日本語に自信がないため病院に行こうとせず病気を悪化させてしまう方も多い現状です。
     帰国事業が始まったころはまだ日本も余裕がありましたが最近では予算も削減され支援規模も縮小されてしまい、2世・3世の方々は中国に戻られてしまう方もいらっしゃいます。私のまずすべきことはお話を聞いて信頼関係を築くことですが、なにせ私の中国語が未熟な上に日本語・中国語・筆談を交えてのお話となり、また中には中国にいらしたときに就学させてもらえなかったために筆談もむずかしい方がいらっしゃいます。日本に帰国されて何十年もたつのに今までどうやって生活されてきたのか、またこの状態で長年放置されてきた状況に驚くとともに帰国以前も以後もいばらの道のりであった彼・彼女たちの人生にことばもありません。
     「聞き取りにくい声」と亀殿はよくおっしゃいましたね。このまま誰も彼・彼女たちの声を聞かなければ、それこそまた’ひとつの歴史がなかったことにされてしまうのではないかと強い危惧を感じております。彼・彼女たちの帰国までの長い道のりは聴き取りを日本語に翻訳したものが支援センターのホームページにも掲載されておりますし、山崎豊子さんのベストセラー「大地の子」のドラマ化などで日本でもご存じの方は多くいらっしゃると思いますが、今現在の彼・彼女たちの日本もしくは日本人に対する本音はいかがなものでしょう?自分たちの本来いたはずの場所へなんとしても帰りたい一心で’帰国し日本の土を踏んだ彼・彼女たちにどれだけの方が関心を持たれたでしょうか?中国帰国者の問題も数多くの日本による戦争の傷跡のひとつであり、目をそらしてはならない自分自身のぱっくりと口を開けた傷口だと考えます。私ひとりの力は微々たるものですが、この先日本の「留守を預かる者」のひとりとして継続して歴史と向き合っていきたいと存じます。

     なんでここで言うの?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私が人生の舵を大きくきることができたのも亀殿とそのお友達の皆様のおかげだからです。また、日本語で自分の意見を安心して述べることができる場所がこの翼の庇護のもとにしかないという現状がございます。

     先日「止揚」という日本では死語になりつつあることばを亀殿のtwitterで拝見して雷に打たれたような衝撃をうけました。多くの人が自分の信じたいことだけを声高に叫び、異なる意見には相手が黙るまで怒鳴り倒すのがこの国の主流となりました。このまま黙って朽ちるわけにはいかないという崖っぷちの後退戦を、若い人たちを広い世界へ旅立たせる「しんがり」として過ごす人生も悪くないなと思う今日この頃です。

     長い日本語を読むのはお疲れになるでしょう。乱文失礼いたしました。亀殿とご家族、そしてお友達の皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。ごきげんよう。

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