笑う兵隊

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スティーブン・スピルバーグやトム・ハンクスたちが制作した太平洋戦争を舞台にしたセミ・ドキュメンタリ「The Pacific」を観ていると、終盤の沖縄戦で「オキナワ人」と沖縄県人を呼んで、日本人と区別して考えていたのがわかる。
他の本や記録も同様で、沖縄人と日本人をふたつの別別の民族だとして扱っている。

兵士達はブリィーフィングや情報将校が作製した資料によって両者を区別して考えるにいたったのかといえば、そうではなくて、洞窟からアメリカ軍側に走って逃げようとする沖縄人を後ろから機関銃で射殺し、あるいは胴体に爆薬を巻き付けさせて、避難民の群れに混ぜ、沖縄人たちもろともに米兵を爆殺する、あるいは夜闇に乗じて沖縄人の家庭を襲って、妻や娘を強姦し、食糧を強奪して一家皆殺しにして去る、日本軍の明らかに沖縄人に対する、外国人、しかも敵性の外国人としての扱いを観て、自然と「沖縄人と日本人は別」と印象したもののようです。

日本語の記録だけを読むと、まるで沖縄人と日本人が共に圧倒的な軍事力のアメリカ軍と非望の英雄的な戦いを戦ったように書いてあるが、英語側の記録には、沖縄に上陸した途端、老婆に抱きつかれて「助けてください。日本軍が、食糧をすべて持っていってしまった」と慟哭して訴えられる様子や、両親と兄を日本軍に殺されて泣き叫ぶ女の子の姿が頻繁に記されている。

どんなやりかたで日本軍兵士が沖縄人を殺戮したかについては、死体の山の下に隠れて奇蹟的に生き延びた沖縄人の子供たちが戦後何十年も経ってからアメリカのテレビ局のインタビューに応えて残した証言がいくつもある。

殆どの場合、夜に山の洞窟を出て集落へ跫音を忍ばせて降り、分隊規模で数家族を急襲して、まず成人した男を殺す。
食糧を庭にあらいざらい持ってこさせて、掠奪が完了すると、妻や娘を強姦する。
最後は庭に整列させて手榴弾で殺戮する。
息の根が残っている者がいると、銃で射殺してまで念入りに殺してから立ち去ったのは、中国大陸での日本兵とやり口がおなじで、つまりは、どこかに訴えでられて証言されると面倒なことになるからです。

海軍陸戦隊指揮官だった大田実の
「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
という、たしか海軍次官への電報は
有名だが、帝国陸海軍は、いざ民間人が相手のこととなると軍紀が弛緩して上官に従わない兵士が多いのが特徴的な軍隊だったので、もしかすると本人は配下の兵が何をやっていたのか知らなかったのかも知れないが、いい気なもので、やってることは桁外れに非人間的な行為であるのに、いつのまにか悲壮な美談にすり替えられて、いま日本語ウィキペディアを見たら「十分な訓練もうけていない軍隊が、装備も標準以下でありながら、いつかはきっと勝つという信念に燃え、地下の陣地に兵力以上の機関銃をかかえ、しかも米軍に最大の損害をあたえるためには喜んで死に就くという、日本兵の物語であった」
という戦後のベストセラー戦記作家吉田俊雄の文章からの引用があるが、なにしろ、若い特攻隊員の純心に感動して特攻機に同乗して死んだ慰安婦や、「国のために喜んで死んだ」沖縄県民の話が大好きな日本人趣味そのままで、なんだか読んでいてげんなりしてしまう。

ふつうのアメリカ人から観ると、太平洋戦争はどのように見えているか?ということを示そうとおもって、
「ふたつの太平洋戦争」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/06/05/pacificwar/
という記事を書いたら、案の定「筆者は、カミカゼのせいで原爆を落とすことになったのだと主張しているが」とあちこちで書かれて「やっぱり」と笑ってしまったが、
口角泡を飛ばして自分の主張を述べ立てるのに忙しくて、そもそも他人の話を聴く習慣がないのか、わざと曲解してみせているのか判らないが、落ち着いて読めば「筆者の主張」などは最後の
「もういちど、なぜ、あの太平洋戦争がふたつの異なった戦争として歴史に存在するのか、考えてみることにも、少しは意味があるのではないかと思います」

以外はなにもなくて、ただ、種を明かせば、数冊の歴史の本といくつかの著名なドキュメンタリーにネット上でのアメリカ人との議論を土台に、今日、アメリカ人が持っている「太平洋戦争」のイメージに最も近いものの姿を書いてみようとおもってだけのことだった。

日本の「愛国者」が信じたくない事実を書いたときの反応の定番というか、
「他の国だってやってることじゃないか」「日本人は白人の人種差別に対してアジアを開放するために戦っただけだ」ほか6つくらいある常套の詭弁を別にして、
日本語で書かれた太平洋戦争についての記事は日本が加害者であったことをうやむやにして、なあああーんなく被害者のような表情をつくって、必死に抵抗したが勇戦むなしく負けてしまいました、というような話が多くて呆れてしまう。

強姦しようと思ったら相手に股間を蹴られて気絶した犯人が女に襲われた、おれのほうこそ被害者だとマジメな顔をして述べているようなもので、橋下徹や石原慎太郎の広報活動が功を奏して、この「日本話法」はいまでは英語世界にも知れ渡るようになってきている。

戦争は、その当事国の文明の形を尖鋭な形で教えてくれる。
「零戦をあまりに愛しているので、零戦が好きだという人間が全部嫌いなのだ」と述べた宮崎駿は日本の文明のたおやかさへの愛情と、その裏側にある好戦性に代表される日本文明の攻撃性への嫌悪を述べている。

兵器の形ひとつとっても海軍でいえば金剛の改装に典型的に観られるような「一艦完結主義」、あるいは重巡洋艦に特徴的なすさまじいトップヘビーの重武装、運用費や維持費のことは忘れていました、と言わんばかりの、ただパナマ運河を念頭においた机上の観念を鉄で具現化してしまったというほかない、動かすだけで国家財政が傾いてしまいそうな大和と武蔵の建造。
もっと細かいほうに目を移せば1000馬力級の延長上で改造を重ねて2000馬力級エンジンをつくろうとして失敗するところや、そんな兵器をつくったら兵士が弾薬を浪費するという理由で突撃銃の採用を見送ったり、いまの日本社会の種々の問題と同じ影の形を持った日本の病根が判りやすい形をなして顕れている。

アメリカを長い不景気から救いだした真珠湾攻撃に始まった対日戦争は、アメリカ人にとって未だに語り継がれる「The Good War」で、その後のベトナム戦争や湾岸戦争で良心が割れて砕けそうになるたびに、自分たちの歴史にも完全に邪悪な相手を打ち倒すために戦った歴史があるのだ、という戦争を正当化するときの良心の源泉になっている。
一方では、降伏を肯んじない狂気の軍隊を相手にして、女であるとみれば強姦して、中国人、韓国人、オランダ人、あるいは赤十字の看護婦として各所にいたオーストラリア人イギリス人やアメリカ人まで見境無しに集団強姦を繰り返して、そのうえ、捕虜に対して残虐な虐待を繰り返した日本兵への記憶は、戦争の色彩を、欧州戦線とは異なる薄汚いものに変えて、太平洋戦争を題材にとるのは長い間、商業上のタブーで、「思い出したくない戦争」として人々の歴史的な記憶の底で澱んでいる。
「太平洋戦争ものはヒットしない」が英語世界の娯楽産業では常識なのは、そういう事情によっています。

日本の人には安倍政権をみつめる英語人の気持が判りにくいのは、考えてみると、まるで正反対と言ってもいいような第二次世界大戦観を日本語を「絆」にして日本語人が共有しているからで、おなじ戦争だと言っても、観ているものが異なれば、異なる戦争を観ていることにしかならない。

日本にとっては不幸なことに、アメリカが冷戦に気を取られているあいだに、日本では少年雑誌、青年雑誌、単行本、映画をほとんど総動員して、「歴史の常識」を構築してしまったが、その直截の結果が安倍政権の再選とアメリカ政府を失望させて、その結果太平洋戦略を「ヒラリー・クリントンの奇妙な提案」のほうへ加速的にシフトさせた靖国参拝で、眺めているほうは、虚構化された歴史認識が具体的にはどんなふうにひとつの社会の身体に毒としてまわって、どんなふうに殺していくのか、目の当たりにして息をのむことになった。

ときどき、日本語は、こわい言葉だな、と考えることがあります。
日本語を共有しながら人間性を保つことは可能なのだろうか?

日本語こそが「天然全体主義」と呼んできたものの正体なのではないか。
日本人の全体主義性と攻撃性は言語そのものに内在しているのではないだろうか。

そう考えて、慌てて、ツイッタのタイムラインに行けばあえるはずの、日本語友達たちの、やさしい、あるいは愉快な笑いに満ちた日本語を聞きにいくことがあるのです。

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8 Responses to 笑う兵隊

  1. ちぇごさんぐん says:

    日本語について、勉強し直してみます。

  2. 太郎 says:

    整理して書いてくれたので勉強になります。が、事実自体は驚きではない(どの程度の規模で行われたかは知りたい気がするが、調べる時間が無い:別に調べてくれという意味ではありません。)連合軍がオリンピック作戦を実施すれば、南九州でも同様の事を行ったのでは。そして、それは山本七平が証言するフィリピンの捕虜収容所で暴力以外の秩序を知らなかった日本の捕虜達、賠償金欲しさに荒れ狂った日比谷焼き討ち事件の群衆、関東大震災の自警団といった、バートランド・ラッセルが嫌悪した大衆社会成立後の日本人の大衆の姿と平仄が合う。近年の報道で見られるblack 企業など見ても、そういうところは変わっていないのではないかしらんと思ったりする。(ただ、全体的に昔の方が酷かった。)

    ただ、こういう話が日本語世界で皆無かいうと、そういう訳でも無くて、左翼の人は一杯書いてるし(もっともあまり読みたい気がしないが)、他にも例えば上記の山本七平とか、秦郁彦とかあり、最近では埼玉大学の一ノ瀬俊也という人が新書や文庫など書いていて、日本兵が如何にして「卑怯」になったかとか、日本軍が実際のところ殆どアメリカ軍などに歯が立たなかった事などを解説しています。捕虜虐待の話などは、防衛研究所で論文が出ていて、研究者のサイトなどもあります。問題は、そういうことが何故一般の理解として広まらないかで、個人的には、教育制度に由来する精神力の弱さ(=Jamesさんの言う天然全体主義も関係あるのかな?)が関係あるかと疑っていますが、いろんな御意見を伺いたいところです。

    ところで、天然全体主義とは、集団主義 (collectivism)とどう違うのですか?

  3. DoorsSaidHello says:

    >日本語を共有しながら人間性を保つことは可能なのだろうか?

    この問いを私は繰り返し自分に問うている。
    私はまだ人間だろうか?
    「日本語で読み書きする私」はまだ人間であるのだろうか?

    私は子どものころ、日本の小説が読めなかった。
    『新青年』は、乱歩以外の作品は何がどうなってそういう結末になるのか理解できない。
    どろどろした嫉妬、怨嗟、憎悪、暴力、支配。

    登場人物が誰もが誰かを支配したがるが、肝心の「事態のコントロール」はしようとしない。
    その場しのぎの言動で成り行き任せに事態が転がり、みんな破綻していく。
    破綻していく者を誰も助けようとはせずにただ見ている。無情で無感動で無慈悲。
    読むと人間でいるのがいやになってしまうので、翻訳小説ばかり読んで大人になった。

    同じ理由で戦争が嫌いである。
    戦場でも街中でも同じように剥き出しの感情と暴力。
    日本軍が何をしたのかは、親族の誰彼の重い沈黙にこそ、その答えがあると思った。
    だから若い時、戦争の記録を探してたくさん読んだ。
    吐き気がするような非人間性を知った。
    日本の学校で起こる暴力は、かつて軍隊を動かした暴力の写しである。

    そして最初の問いに戻る。
    日本の中で日本語を使って読み書き考える私は、まだ人間であるのだろうか?
    まだ人間なのだとしたら、それはいつまで保てるのだろうか?
    いつか私が「笑う」日が来ないと、誰が私に言えようか?

  4. 柚実 says:

    小学3年から6年まで同じ担任の先生で、今思えば彼女は共産系だったのですが、太平洋戦争について小学生には早いのではないかと思われる事実も含めて戦争時の写真を見せながら様々な立場から教えてくれました。それから、原発の怖さも。
    時は流れ、福島の原発の爆発が起こり、私は彼女のことを思い出しました。自分が何もしないで年を重ね、原発が50基近くも日本にあることに愕然としました。私は親族を頼り、幼い我が子を連れて私は沖縄へ移住しました。

    私達の世代(1970年代産まれ)は、太平洋戦争で日本軍がしたこと、特に沖縄戦においての卑劣な行為は既知のように思います。逆に、悪いのは軍部のみ、というような状態で、民衆の罪については丸投げし、思考停止してしまっているような気もします。

    沖縄にいると、「日本」の言うことは信じられないという空気を強く感じます。学校でも、東京や横浜より、きちんと戦争のことを教えてくれているように思うし、政府側から叩かれている新聞や書籍などにもガメさんが今回のブログで書いてあるようなことを読者に伝えようとしていると思います。
    そんな沖縄でも、次の選挙は現政府側が勝つかもしれないと思われる場面に数多く出会います。

    あまりにも根が深く、あまりにも無知で、想像力に欠けている。

    言語として、楽な方、考えなくても良い方へと逃げたくなる何かがあるのか、考えています。

  5. やまだ says:

    こんにちは。初めてコメントします。(が、このブログにはいつも励まされ癒されています。)

    私の生まれ育った土地は、兵隊が馬に乗っていた頃から続く自衛隊の駐屯地に近いこともあるためか、歴史というと「日本側」からの目線での教育をされてきました。
    それでも自分がこの記事に対する反発心を抱かないのは何故かを考えたとき、731部隊のことを話す母を思い出します。母が話した内容ではなく、話をする母の声です。
    私の母は戦争を経験したわけではありませんが、幼い頃に性被害にあい、被害を訴えたせいで村八分にされたことがあるそうです。日本軍が占領した土地で女性にしたこと、慰安婦の人たちにしたことが実体験と重なり、とても恐ろしかったのだと思います。731部隊の話をする母の声はいつも怯えているようで、当時の私はどう感想を言えばいいのか困りました。
    この記事を読む前、「うりずんの雨」という沖縄のドキュメンタリーを見ました。アメリカ人が撮った映画です。見たとき、なぜ日本人がこの映画を撮れなかったのかと怒り、失望しましたが、今回も日本人ではないガメオベールさんが記事を書いているということは、やはり日本とそうでないところでは認識の違いがあるのでしょう。
    日本で歴史を学ぼうとするときこそ、ガメオベールさんがしばしば言う「聞き取りにくい声」を拾う力が必要になる、そうでないと日本から見た戦争も日本以外から見た戦争も何となく非現実的で、ドキュメンタリーに出ていた女性が東京にやってきて言った「沖縄に来て座り込みなんかしないで、本土は本土の問題をやってください」という言葉にもただ突き放されたような、感傷的な気持ちになってしまう。
    日本語のこととなると何が危ないのかさっぱりわからず、歴史に触れるのも何となく怖い、戦争のことも現実化できない私ができることはそういうところからかな、と考えます。

    初めてなのに長くなってしまいました。また色んな記事を書いてくれるのを楽しみにしています。

  6. akano says:

    あとでじっくり読みたいので、どうか消さないで下さいね。

  7. paaco says:

    最近、本当に日本語が聞こえない場所行きたいと思ってしかたなかった理由がわかるような気がしました。母国語から逃れたいなんておかしいかな?言語そのものに、内因しているのなら、影のように一生ついてまわるのかな。

  8. hidekano says:

    ありがとう。こういう指摘を─
    ❝日本語を共有しながら人間性を保つことは可能なのだろうか?
    日本語こそが「天然全体主義」と呼んできたものの正体なのではないか。
    日本人の全体主義性と攻撃性は言語そのものに内在しているのではないだろうか。❞
    ─日本語でやつてもらえて、その事が少しの希望を与えてくれています。

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