Daily Archives: August 8, 2016

日が暮れて

オークランドのいまの家を買うとき、裏庭の一角にバナナの木が何本か植わっていた。 カベンディッシュバナナで、見ると、ちゃんと実がたわわについている。 熱川のバナナワニ園みたいとおもって、おもわずワニを探してあたりをみまわしたが、ワニはいなくて、木の根元に、ワニをミニチュアにしたようなヤモリが一匹いるだけです。 ニュージーランドの北島は奇妙な極相を示す森林が多いので有名で、亜熱帯の樹木と亜寒帯の樹木が、ひとつの森で冠林をなして、クライマックスを形成している。 ブラジルからもアメリカからも、日本からも、したがって、毎年研究者がやってきて、「なんじゃこりゃ」とつぶやきながら写真を撮りノートを取っている。 バナナの木などは、オークランドの変態気候からすると、お茶の子さいさいで、だから、バナナ特有のしどけないというか、はっきり言ってしまえば、チョーだらしがない感じの成木が、どう表現すればいいか、まとまりのない、ばらけて散らかった感じで、だらっと立っている。 バナナの木は見た目が嫌いなので契約のセトルメントがすんだ途端に伐採してしまったが、土が案外によくて、いまでもいろいろな果物やハーブを植えて遊ぶ。 バジル、コリアンダー、イタリアパセリ、ローズマリー、トマト、なす、各種レタス、レモン、ライム…面白がってたくさん植えすぎて植物園みたいになってしまっているが、ピザをつくって、庭のテーブルで食べているときなどは便利で、もう少しバジルが欲しい、と思えば立っていてバジルの葉を摘んでくればよい。 カクテルのミントも、メキシコビールのコロナに押し込むライムでさえ、おなじ手ですみます。 広尾山のアパートでは、むろん、プランターでハーブを育てることしか出来なかったし、軽井沢というところも、何を育てるのも手がかかるところで、しかも庭は蔓植物やコケが一面に覆っている美しい庭で、掘り返すわけにもいかないので、町営の、月貸の菜園を観に行ったが、そこで観た光景は恐ろしいもので、多分もとはプロのお百姓さんだったひとびとが、丹精をこめて、というよりは全力をふりしぼって、隣地の菜園と競い合って、世にも美々しい菜園が並んでいて、こんなところで野菜をつくったら、それだけで一生が終わってしまうと感じられたので、友人の親切な申し出を辞退して、日本では、野菜や果物、ハーブを育てる楽しみは断念していた。 Twitterで スペインの人と話していたら「経済はぜんぜんダメだけど、子供育て安いし食料自給できるから」、そのうちなんとかなるさ、と述べていた🙂それでいいのかも https://t.co/2tWVXrIuWE — James F. (@gamayauber01) August 7, 2016 と書いてから、思い立って、いま、webサイトをあれこれ見てみると、あの人が述べたことは、そのままほんとうというわけではなくて、自給率は80%とかなんとかだったが、スペイン人であれば誰もが持っている安心の源は「スペインは食糧を輸入する必要はないのだから、いざとなれば、それで食べればいいのさ」で、この安心立命の感覚には、スペインを旅行すれば直ぐに納得できる背景があって、あの国は17州のどこに行っても町と町のあいだには「なににも使っていない土地」が広大に広がっている。 フランスのように空き地さえあれば何かに使いたい国民性とは異なって、スペイン人はなにしろスペイン人なので、荒れ地でも岩地でもない土地が、なぜか何にも利用されずに延々と地平まで続いている。 潜在的食糧自給率、というのはヘンだが、実感として「ここにオリブを植えれば食えるよね」と思うのは、人間の自然の感情であると言わねばならない。 調べてみて、そーか、スペイン人はナマケモノというのではなくて、人間がもっと本質的な部分で、余裕をもってのんびりだが、あののんびりの理由はこれか、と思ったりする。 翻ってニュージーランドを考えると、自給率は、めんどくさいから調べるのは嫌だが、たしか500%だかなんだかで、しかもスペインよりももっと農耕可能地は余っているが、食べ物だらけで、最近はバブルで、スーツを着て稼ぐ方が忙しくて、まるで先進国のような顔をして暮らしているが、もともとは、わし母校の研究者が、ニュートンゆかりだからね、と凡庸な冗談を述べながら、二万キロを南下して、りんご園で、りんごを拾うバイトを兼ねて、母国の神の悪意を感じる冬を避けて、夏の、パラダイスをそのまま地上に移転させたようなカンタベリーで研究にやってきていたりしていた。 夜明けとともに起きて、机に向かって、昼間はりんごを拾って、夜は同じ大学の研究者同士でフォークとナイフを両手にもって、農園のおかみさんや厨房人がつくってくれたステーキとマッシュドポテトと温野菜の皿をつついて、隣のヴィンヤードのおごりのワインをたらふく飲みながら議論をする。 そういう生活をしていてマヌケな連合王国の大学人にも判ってくるのは、オカネがいらない生活の素晴らしさで、その頃の南島経済などは牛の挽肉は2キロ5ドル(300円)で、リンゴは、どうしても払いたければ木箱が10ドル550円で、木箱でいるほどジャムをつくったりするのでなければ、つまりはタダでもらえた。 つくってみた人は知っているとおもうが、そうして、ジャガイモなどはワインで酔っ払ったついでに、芽がでて古くなったやつをガレージの裏のそこここに埋めておけば、これでもかこれでもかというくらい勝手に増えるので、ニュージーランドはもともとはつくづくオカネがいらない国で、わしがニュージーランドに土地鑑があってよかったと思うのは、「なにをやっても全然ダメなら、ぬわあにニュージーランドへ行って、リンゴを拾って、ジャガイモをぶちまいて暮らせばいいのよ」で、自分の一生において、なにごとかを企んで、ものの見事に失敗するという起こりがちなことへの恐怖心がまったくなかった。 実家はオールドマネーというのは強いもので、両親に話を聴いても頭に入らないくらい豊かな様子だったが、子供の頃からロビンフッドだのホーンブロワーだのを読んでいて、裏切って実家のオカネで一生を送るわけにはいかないので、問題にならなくて、したがって「借金をしない」ということをゆいいつの経済方針として、 ダメならダメで、友達の農場でファームハンド、つまりは作男をするからいいや、と決めてあった。 南島の農場には、作男専用の住居があって、案外3寝室の立派な建物です。 両親が持っている「牧場の家」は英語でいうホビーファーム、「ライフスタイル」と呼ぶ牧場風の家(1〜5エーカー)と「リアルファーム」(200エーカー〜)のあいだに位置する農場で、子供のときから、ここで馬に乗ったり、牛さんとにらめっこしたり、四輪バギーで横転(←クビの骨を折るのでチョーあぶない)したりしていた。 そこで、農場の面倒をみてくれているJさんから、牛の乳のしぼりかた、羊の毛のかりかた、じゃがいもやリークの栽培、トラクターの運転、屠殺小屋に追い込んで殺す鹿の撃ち殺し方まで、さまざまなことを教わって、未来の作男生活に備えた。 社会の繁栄をGDPや、個人の収入で計るのに現代の人間はなれているが、 では経済がぜんぜんダメということになっていて、実際にも数字をみると、いかにもダメダメなスペインやイタリアを旅行すると、ひょっとして個々の人間にとっての「繁栄」の指標がアメリカやイギリスのような国とスペインやイタリアでは、ぜんぜん違うだけなんじゃない?と思う事がよくある。 コモ湖のLennoからTremezzoへ。郷土料理定食屋をめざして丘の上の道をぶらぶらと歩いていくと、やがて眼下に住宅地が広がり始めて、どの家も道からよく見渡せるが、イタリアの家はたとえば、芝の広がりを愛するイギリスの家と根本から庭というものの思想が異なっていて、あまり小さくもない庭全体が菜園になっている。 定番のトマトはもちろん、カボチャ、なす、さまざまなものが畝をつくっていて、あるいは棚からぶらさがっていて、このあたりのカフェにはいると、ピザなどは卵は鶏舎から、バジルやオレガノは庭から摘んで、足りないものは近所の人が箱にいれて朝もってくる。 大陸欧州では、消費税が高いこともあって、表面から見えるよりも物々交換経済が盛んだが、それも、もともと食べ物を自前ですます下地があるからであるように思えます。 欧州人の思想には、おいしい食べ物があって、そのうえで、これはこれでまたいつか別の記事にしようと思っているが子供の養育を第一子においては親と社会が半々に労力とコストを分け合って、助けあって、第三子ともなれば、社会のほうで手を挙げて、ああ、もうあとはわたしが面倒みますから、というふうになっていれば、自分が住む社会は、それで十分で、それ以上の役割は期待していません、という気持が濃厚に存在する。 夕飯の仕度にスーパーマーケットに出かけるのは、いまでは世界じゅうで見られる夕暮れ時の風俗だが、前史を別にして、Michael … Continue reading

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