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終戦記念日

終戦記念日は「戦争が終わった日」という意味だろうが、戦争が終わった日ならば1944年7月9日のほうが相応しいはずである。 1945年8月15日は「せめて、あと一勝」と自分を神と崇める国を有利な講和に導こうと頓珍漢な努力を繰り返した昭和天皇が、二発の核爆弾に青ざめて戦争の続行をついに諦めた日であって、その日に起きたドタバタ喜劇じみた、日本らしい大騒ぎについては、二年前に 「日本のいちばん長い日」を観た https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/06/04/815/ という記事で書いた。 軍事にも常識というものが存在して、軍事上の常識に従えば日本軍が「絶対に陥落しない。万が一陥落したら、そのときは戦争の終わりだが、たとえ航空隊の掩護がゼロでもサイパンが落ちることはありえない」と昭和天皇に対しても国民に対しても繰り返し約束して、疑義をはさむ将校がいると、「おまえは素人か。サイパンの要塞構成をみて、少しでも軍事知識があれば、落ちるわけがないのがわからないのか」と怒鳴りつけるのを常としたサイパンが、あっけなく陥落した瞬間、ほんとうは戦争はもう終わっていて、そのあとは、ただ無暗に日本の外では補給線を破壊されて制空権を完全に奪われた兵士がひどい飢えのなかで屠殺され、日本の内では、日本側が焼夷弾と呼んだナパーム弾の渦巻き状の絨毯爆撃と最後にはとどめに二度の核攻撃で国民が意味もなく殺されただけのことで、戦争といえるようなものでは到底なかった。 国民の生命というものが幾許かでも価値をもつ普通の国ならば、とっくの昔に、手を挙げて戦争をやめていなければならなかったのに、この日本という、国という体制のために国民が存在する倒立した全体主義の不思議な価値観に立つ国では、国民が最後のひとりになるまで「憎い米英」と戦うと述べて、夜襲やカミカゼの大規模なテロルを続けたので1年と1ヶ月のあいだ、日本人は、男も女も、若い者も老いた者も、ただ意味もなく殺されつづけることになった。 太平洋最大の決戦だったサイパンの戦いについて、日本側では藤田嗣治を動員して戦意昂揚に使われた「バンザイクリフでの追い詰められた民間人投身の悲劇」以外は不思議なほど語られることがないのは、簡単にいえば、それが純軍事的にはあまりにもみっともない敗北で、生き残り将校の庇い合いによって提督の臆病な逃走を「謎の反転」と言い換え、沖縄人の食糧を奪い、家族ごと皆殺しにしておいて「沖縄県民かく戦えり」と述べて、美談で塗りたくって自分達がやったことを隠蔽する、いつもの巧妙さをもってしても、どうにも言い抜けが出来ないほどの惨めな敗北だったからです。 当時、日本海軍には「彩雲」という素晴らしい出来の高速偵察機が存在したが、ナウル島から飛び立った一機がマジュロ環礁に集結したアメリカ軍を二週間前に発見した。 そのお陰で他の島嶼上陸作戦のように不意をつかれる、ということはありませんでした。 アメリカ軍の動向を逐一把握していた。 日本側はアメリカ軍の予測よりも遙かにおおきい戦力をチャラン・カノア南北の海岸に集中して展開していて、アメリカ軍が、自分達が入念に作り上げた罠である海岸に計算通りやってくると、「もう勝ったも同然」と小躍りした。 最も戦力が集中した正面に敵が「注文通り」やってきたわけで、戦闘ではそんなことは滅多にありえないような理想的な展開でした。 案の定、せまい橋頭堡にひしめきあい、大規模な戦車隊まで潜ませていた日本軍の攻撃にあって重火器も戦車も揚陸する前の状態だったアメリカ軍は一時、大混乱に陥る。 しかし、翌日には壊滅させられる寸前であったはずのアメリカ軍は橋頭堡を拡大し、海岸全体に広がって、ほぼ勝利を手にしてしまう。 余った航空機エンジンを使ってつくったせいで戦車としては致命的なほど背高のっぽで、しかも戦車はディーゼルエンジンでつくるのが文法であるのに爆発しやすいガソリンエンジンで、欧州戦線ではドイツ軍の同級以上の戦車にはまったく歯が立たずtommy cooker とかRonsonと呼ばれるほどひどかったM4シャーマン戦車も、日本軍を相手にすると、無敵で、日本の標準対戦車砲や大日本帝国陸軍が世界最高と誇った97式中戦車では、まったく歯が立たなかった。 練度が低いどころか、戦闘経験がないアメリカ戦車兵は、へまばかりで、射撃が下手で、歴戦の日本戦車兵は、海岸を右往左往して、あるいは故障したように座り込むM4に的確に狙いを定めて猛射するが、あとでアメリカ兵たちの笑い話になるように、砲弾が非力すぎて、かすり傷を装甲に与えることもできなかった。 一方、M4の、ドイツ軍のタイガー重戦車に対しては装甲が薄い後ろからまわりこんで、しかも数メートルという至近距離から射撃して、やっと仕留めるという、「まるで棺桶に乗ってるみたいだ」とアメリカ戦車兵たちを嘆かせるほどだった75mm砲は日本の戦車に対しては有効で、97式中戦車の射程距離外から射撃しても一発で砲塔が吹っ飛び、車体ごと爆発するほどの打撃力をもっていた。 サイパン戦について「戦闘計画で完勝した日本軍は、不思議にも、現実の戦闘であっけなく完敗した」 と述べている英語で書かれた本があったが、そのとおりで、つまり、1944年夏の時点では、兵力をどれほど持っていても、兵器をどれだけ集積して待ち構えて、計画どおりの上陸地点に敵が来ても、まったく勝ち目がないことは日本の陸海の軍人の目には明かになっていた。 戦後、日本の帝国軍人たちが自分達の官僚主義と怯懦を隠すために繰り返した「敵の物資に負けたのだ」は言い訳にすぎず、そもそも開戦当初は、どの戦線でも連合軍よりも装備がよかった日本軍は、潜水艦という兵器を使いなれず、脆弱な兵器である潜水艦を、艦隊相手に使うという気が遠くなるような初歩的なミスを犯して、自分が艦隊決戦前段に潜水艦を使おうと考えるくらい潜水兵器に理解がないので、当然、潜水艦に対しては最大の防御である駆逐艦を日露戦争時なみの艦隊決戦前段においての大型魚雷艇代わりに使うという作戦計画を立てるほどの頭の悪さで、本来シープドッグのように群れの周りを周回しているべき駆逐艦群の護衛のない丸裸の補給艦隊が、日本の潜水艦より遙かに性能的には劣るが常識的正統的な潜水艦使用法に従って運用されるアメリカ側の潜水艦に、手もなく沈められ続けた結果、装備どころか食糧もとどけられなくなって、兵士はアメリカ軍よりも飢えと闘わなければならなかった。 日本の委任統治領で、当時の日本人にとっては「日本領の島」であったサイパン島には、当然のことながら、日本人たちの町があって、学校があり、日本語で生活していた。戦争が不利になってくると数多い日本のひとたちが逃げていったが、まだたいしたことはないだろう、とタカをくくってサイパンに残っていた日本人が アメリカ軍の上陸当時で、まだ2万人程度住んでいた。 「永久要塞サイパン」の日本軍がたった三日間で壊滅したあと、日本政府の洗脳政策によって日本軍が負ければ死ぬものだと教わって信じ込んでいた日本の民間人は、1万人弱が、ほぼ全員自殺あるいは自殺的行動によって死ぬ。 あとでは極く一般的になる民間人が数人で、最も安価な兵器であるために民間人に自殺を強要するための兵器として日本軍が重宝して配布した手榴弾を囲んで自殺する日本人の姿が、初めに見られるようになったのもサイパン戦でした。 日本では、なにしろ「それでもよく戦った」ばかりで、ちゃんと書いてくれないので、なんだかいらいらして、つい長々と陸の戦いを書いてしまったが、海と空の戦場はもっとひどくて、アウトレンジ戦法と名前をつけた、いかにも日本の役人らしい、現実認識の欠片も存在しない「敵が届かない遠距離から一方的に敵をたたく」という、ひとりよがりな、バカみたいな戦闘計画を立てて、挙げ句の果てには、経験もない遠距離を侵攻させられた若いパイロットたちは、敵に遭遇してもぶざまに逃げ回るだけで、やはり新兵ばかりで戦闘技量もない若いアメリカパイロットたちからさえ、Great Marianas Tukey Shootと呼ばれるほど酷かった。 ところで、いま書いていて気が付いたのはマリアナ沖海戦についての日本語記事に「作戦構想はすぐれていたがパイロットの技量が未熟なせいで現実の戦闘では大敗した」というとんでもない記事がたくさんあることで、これではいくらなんでも、日本の若いパイロットたちが気の毒です。 坂井三郎やアドルフ・ガーランドのように第二次世界大戦以前からキャリアを積んで、大戦に入ると、長い戦歴で身についた技量を活かして大空を自在に飛び回った例外的な操縦士を除いて、空の戦闘に参加するのは、大半が「真っ直ぐ飛ぶのがやっと」のnovice pilotたちで、空の戦闘の作戦を立てるときには「大半のパイロットは未熟なのだ」ということが前提になっている。 自分で飛行機を飛ばして見れば判るが航法士が同乗しない一人乗りの飛行機では、地上のランドマークや地形を手がかりにして飛ぶ地紋航法ですら300キロというような長距離を飛ぶのは大変なことで、ましてただ茫洋と広がる海上を飛ぶときには、坂井三郎のようなベテランの飛行機に必死についていくか、はぐれてしまえば、空にあがれば必ず低下して、一桁の掛け算もおぼつかなくなる低下した脳の機能をふりしぼって、風の偏流を計算し、速度と時間を計算して、自分がどこにいるか把握しなければならない。 空戦ともなれば、初めの一退避で、いったい自分がどんな姿勢で、どこを飛んでいるかが判らないのが普通のことで、裏返しになっても気付かず、水平線をはさんで、どちらが海でどちらが空なのかも判らない状態になる。 だから新米パイロットを自分の判断で飛ばなくてすむように、防戦でなく攻撃に終始できるように、あるいは長距離を侵攻させないように作戦を組み立てるのが空軍作戦将校の腕というもので、そういう基本的な約束事をことごとく無視した机上の遊びにしかならないような作戦をつくっておいて、未熟なパイロットの腕のせいにするなどはバカげているとしか言いようがない。 現に遙々やってきた日本軍機を迎え撃って日本機を追いかけ回して一方的に撃墜する「七面鳥撃ち」を楽しんだアメリカ側パイロットたちも、日本側とたいして変わりがない新米パイロットたちだったのは、そんなに注意していなくても、気が付くことだとおもわれる。 日本側の戦史を読むと、言い訳につぐ言い訳で、戦争を生き残った将校達の自己弁護ばかりで気分が悪くなる。 有名な故事を例にあげればアメリカでは、多少でも太平洋戦争に興味があれば、子供でもテレビのドキュメンタリやなんかを通じて知っている「臆病提督栗田の遁走」という怯懦に駆られた軍人の、びっくりするような戦場放棄事件が、日本側の記録では、「戦後も黙して語らなかった寡黙で沈毅な提督」の … Continue reading

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