Monthly Archives: October 2016

シン・ゴジラ

映画「硫黄島からの手紙」はメルボルンで観た。 ちょうど封切りの時期にメルボルンにいたからで、たしかサウスランドのWestfieldのなかのシネマで観たのだったと思う。 いくつかの映画館の集まりでもいちばん小さなシアターが割り当てられていて、 80席くらいの館内に、30人程度の観客で、あとでアカデミー賞を取ったとおりで、試写の段階から評判が高い映画の封切り日なのに、たったこれだけしか観客がいないのか、と驚いた。 映画が始まって、暫くすると、30分も経たないうちに若いカップルが席を立って帰ってしまった。 しばらく時間が経つと、またカップルが席を立っていって、映画はどうみても良い出来なのに、なぜなのか理由が判らなくてこまった。 シン・ゴジラは英語圏のシネマで日本語映画を観る二回目で、初め大々的に打ち上げてロードショーをするという触れ込みだったのが、試写の反応とレビューが予想外に悪かったので公開中止で、観たい人はDVD買ってみてね、ということになって、それが三日間だけ公開に二転して、小さな特別映写場で何日か公開することに三転した。 外国映画、特にアジア系の映画ではよくあることで、「風立ちぬ」は、宣伝は大々的だったのが、「訳のわからない失敗作」というレビューが立て続けに出たあと、 ニュージーランドでは公開中止になって終わった。 オーストラリアでは、やったのかどうか、訊いてみないので知らない。 やむをえないので日本からブルーレイを取り寄せて観たが、とても面白くて、結論は映画批評家たちには1945年に終わった日本との戦争に知識がなくて、零戦といっても名前を聞いたことがあって、ニュージーランド人ならば、ああ、博物館に実機がおいてあったな、と考えるくらいのことで、背景知識がゼロなので、「訳がわからない」というレビューになったのだろうと想像しました。 日本の人がシン・ゴジラを観に行った感想を観ていると、皆が皆「名作だ!」と感動していて、期待ができそうにおもえた。 シネマに着けばやることはいつも同じで、席を指定して、券を買うと、シネマのなかのバーに行ってワインとチーズを注文する。 お腹が空いていればピザを食べたりもするが、たいていは、ワイン、たいていはピノノアールを選んで、バーのカウチにモニとふたりで肩を並べて座って、ワインを飲んでミニ・おデートをする。 だいたいいつも15分プロモーションがあるのは判っているので、15分経ってから館内に入ればよさそうなものだが、案外と新作のトレーラーは観ていて面白いので、モニとわしはたいてい定刻に席につきます。 テーブルがあってウエイトレスが指定した時間に食べ物や飲み物のお代わりを持ってきてくれるプレミアムシートのときもあるが、仰々しいので、ふつうのシートに座ることもある。 シン・ゴジラは、シネマコンプレックスのなかでも、「こんなに小さなシアターもあったのか」と、ぶっくらこくような小さな部屋で、50席程度で、いちばん後ろの席でもスクリーンが近すぎてくたびれる。 半分くらい埋まった席に座っているのは、あきらかなゴジラファンで、日本人らしい人はいなかった。 ひとりだけ欧州系の男の人と一緒に来ているアジア系の女の人がいたが、中国の人であるようでした。 映画は、ゴジラ映画ではなかったのが、最もがっかりした点でした。 ちょうど、1998年版のハリウッドゴジラとおなじで、わしのような筋金入りのゴジラファンがなじんだフランチャイズムービーとしての「ゴジラ」の文脈はいっさい無視されていて、画面にゴジラが出てくるだけのことで、庵野監督という人が日本に向かって言いたいことが詰め込まれた映画に見えました。 早口でまくし立てられる、なんだか高校生がつくった映画みたいな科白まわしは、英語の字幕では大幅に内容が削られていて、日本語が理解できなければ、ふつうに感じられるが、なまじ日本語が判る人にとっては、それだけで興ざめになる体のものだった。 ゴジラファンは、よく「ゴジラに対する敬意を欠いたゴジラ映画」という言葉を使う。 北村龍平のゴジラFINAL WARSがその典型で、ゴジラはいかにも自分が撮りたい映画を撮るためのダシで、撮っている人がゴジラという存在にたいした興味をもっていないのが手に取るようにわかってしまう。 そこまで酷くはないが庵野秀明という人は、自己主張が強い人なのでしょう、ゴジラは別にゴジラと呼ばれなくてもよい、この人が独自に創造した存在で、1954年以来、延々と9割の駄作とひとにぎりの傑作で、ファンを楽しませてきたゴジラは何の関係もないキャラクタにしか見えなかった。 観ていて、かなり初めのうちから感じられたのは、そもそも庵野監督が日本国内だけを対象に映画をつくったらしいことで、日本の人にしか理解できないリアリティの表現や再現、長谷の鎌倉近代美術館の交差点から、斜向かいのいわし割烹店を見上げたアングルの楽しさまで、いかにも日本人限定で、英語人が観る前提に立っていないのがあきらかだった。 それが決定的に表明されるのが三世代目の日系アメリカ人ということになっている石原さとみが登場する場面で、口を開いて英語を発音し始めた途端、場内には(悪意ではない)笑い声が起きていた。 もんのすごい日本語訛り英語だったからで、これは庵野監督の「英語人たちよ、いいかね、これは日本人がつくった日本人向けの、日本人以外には判らない映画なのだからね」というメッセージだったのではなかろーか。 いくつかの英語の映画評論家による映画評は、この映画をゴジラをネタにしたジョーク映画だとして扱っていて、日本の人の至極真剣な「名画だ」という受け止め方と平仄があわないので、???と思っていたが、その謎は、石原さとみの登場によって解けてしまった。 わし自身も、あえて石原さとみに配役したことには庵野監督の「日本人以外には判らなくてもいい」という決心があったのだと思っています。 最後まで観ないで、席を立つ人が何人かいて、斜め前のおっちゃんは、途中から鼾をかいて眠って奥さんらしい人にどつかれていた。 退屈な映画が上映されているときの、いつもの光景で、モニとふたりでクスクス笑いながら、おっちゃんの寝顔を観たりして、それでも後半には見所がいくつかあった。 ごくわずかしかないゴジラの破壊シーンの美しさは、シリーズでも一二を争う出来で、特に赤坂見附に立って銀座の服部時計店を薙ぎ倒す前後の破壊のすさまじさと美は、庵野秀明の底の深い才能を感じさせた。 印象に残った、もうひとつのシーンは、無能だと自他共に認めているらしいピンチヒッターの韜晦首相が、ひとしきり報告を聞いて、ことなかれ主義的な指図を出したあとに、ラーメンを見つめて、「あーあ、のびちゃったよ。首相って、たいへんな仕事なんだなあー」と自分自身に対しておとぼけをかませるシーンで、このシーンの可笑しさと文化表現の深さは、英語人観客にも、とても、うけていた。 映画らしいシーンで、とても好感がもてました。 それから、もちろん伊福部昭! 日本語友人達が絶賛する庵野監督の「日本的問題解決能力」描写は小松左京から由来しているもののように見えた。 無能なリーダーを戴く、名前や人物が置き換わっても気が付かないような個性に依存しない日本的組織の効能を小松左京という人は、死ぬまで、とても信頼していた。 実際、いま調べてみると松尾諭という人なのではないかと思うが、政調副会長の口から述べられる政府の思惑やなんかは、小松左京直系の口吻で、少なくとも庵野秀明が信じている「日本の力」が小松左京的なものであることが見てとれる。 … Continue reading

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日本の凋落_1_貧しい繁栄

日本人から見て、20世紀の世界と21世紀の最もおおきな本質的な違いは、21世紀が「日本が要らない世界」になったことではないだろうか。 国際共産主義とドミノ理論にパラノイアを起こしたアメリカ合衆国が戦後、防壁たる日本に過剰投資を行ったことと、その過剰投資を、アメリカの意向どおりにばらまかずに、重点をおく業界に傾斜させたネオ国家社会主義経済政策で、造船、炭鉱、から自動車・VTRへと資本を集中させたMITIの政策があたって、日本は短期間に巨大な経済を築いた。 いまでいえばシンガポールが大国規模で出現したようなもので、日本のような自由主義の看板を掲げた全体主義社会におおきな顔をされては困ると思ったものの、これに衰退されると世界中大混乱に陥るので、オカネの環の一角には加わっておいてもらうが、国際社会には存在していないことにする、という曲芸のようなことをやって自由世界は日本の存在に適応してきた。 その、「どうしようもなく強い日本」がコケ始めたのが1990年代で、それから4分の1世紀のあいだ単調に衰退して、いまでは、まだ中国の3分の1超のGDPはあるものの、ゆっくりとなら経済的に破綻しても、なんとか世界として日本の破綻を消化できるところまで来た。 経済指導者たちからすると、ひと安心、なのであると思います。 日本が衰退しはじめた根本の原因は、繁栄しても少しも個々の人間の生活がよくならなかったからで、異様な物語である「三丁目の夕日」を観て判るのは、日本人がなつかしんでいるのは日々成長するビンボ時代であった50年代から70年代で、そのあとに現実に達成された経済的な繁栄は索漠としたものと感じられている。 80年代後半の日本を眺めると、一般の、たとえば東京に住む日本人にとっては、家と呼ぶのがためらわれるような一戸建ての家を買うのに30年というローンを組まねばならず、家賃は上昇し、労働時間は長くなっていった。 地上げを拒んでいることで噂になっていた近所の長屋には、やくざがクレーン車でつっこんで物理的に破壊したという記事が朝刊に載っている。 大企業に勤めている人間には、マスメディアには載らない情報として、何千億円というオカネが簿外で銀行から暴力団に無担保融資されていることを同僚から耳打ちされる。 それまでは暴力団のほうから人目を避けて首相に会いに行っていたのが、立場が逆転して首相のほうから腰を低くして暴力団の組長のほうに会いに行くようになったと初めに証言された中曽根首相の在職は1982年から1987年です。 この頃から政府の行政指導は滅茶苦茶になっていって、使い途がない通信施設を強制的に公社に納入を迫ったり、当時公務員だったひとびとの話を聞くと、リクルート事件などは小さく見えてしまうような腐敗ぶりで、つまりは、チャンスさえあれば利権を手に入れて札束を自分のポケットにねじこむ人々が雲霞のようにあらわれて、それぞれに表沙汰には出来ない財産を築いていった。 飼い慣らされて忠実な犬然としたマスメディアの蓋で、うまく覆い隠されていた日本国内と異なって、海外からは、かえって、こういう日本の事情はよく見えていたので、例えばオーストラリアのゴールドコーストには日本においておくと持ち主の手首に手錠がかかるか税務署によって莫大な追徴金が掛けられる運命のオカネが大量に流入して、日本の後ろ暗いオカネがどんどんリゾートマンションを一棟買いしていったことが、いまだに話のタネになっている。 オーストラリアの隣の小国ニュージーランドでも、いまだによく話題になって、当時は租税条約が結ばれていなかった日本から、明らかに賄賂や脱税と判る巨額の資金が流入しつづけていた。 クライストチャーチにはフェンダルトンという高級住宅地があるが、当時の日本人の豪邸を買い漁るーーいまの日本で流行している言い方をまねればーー「爆買い」ぶりは、ただでもひがみやすい地元人の神経をさかなでして、特に日本人が集中して住んでいたエーボンヘッドを、おとなたちがジャポンヘッドというカタカナでは伝わりにくい憎悪と軽蔑がこもった言葉で呼んでいたのを、いまだにおぼえている。 通常は日本に住んでいる買い主が、息子や娘を留学させて、好奇心に駆られたひとびとが「おとうさんやおかあさんは、どんな職業の人なの?」と聞いてみると「公務員」と答えられたりして、フェンダルトン人は日本では公務員は医師を遙かに上廻る高給なのだと長い間誤解していたという笑い話まである。 そうやって、全体主義的な傾斜投資によって生まれた巨大な冨は、本来は賃金の上昇という形で分配されなければならなかったが、日本の経営者は、会社の社員のモラルや忠誠心の問題と上手にすりかえていって、文化の強制力で労働賃金を安く抑えることに成功してゆく。 当時の雑誌や新聞を読むと面白いのは、そのやりかたの「絶妙」と呼びたくなる巧妙さで、たとえば、その頃はいまと異なって圧倒的な人気があったらしい野球に絡めて、優勝チーム監督の選手管理の巧さを、なぜかビジネス誌が取り上げている。 広岡達郎というような名前があがって、個性的な田淵のような選手はダメだ、江夏は個人主義的にふるまいすぎた阪神ではダメな投手だったが、西武に入って全体に貢献するということを理解してから本物の野球選手になった、と言わせたりして、社会全体が全体主義を維持するためのメタファーのなかに、どっぷり漬け込まれてゆく。 あるいは渡辺美智雄の、伝え聞いたアフリカンアメリカンを激怒させた 「日本人は破産というと夜逃げとか一家心中とか、重大と考えるがクレジットカードが盛んなむこうの連中は黒人だとかいっぱいいて、『うちはもう破産だ。明日から何も払わなくていい』それだけなんだ。ケロケロケロ、アッケラカーのカーだよ」 発言が典型だが、人種的優越意識をからめて、日本の全体主義的な社会維持こそが正しいのだ、と強調することをおこたらなかった。 日本指導層の冨を賃金労働者にまわさず、その結果、労働コストを低く抑えて、しかも会社への帰属心をテコに労働時間を際限なく延長させていって、競争力を増大させるという方針は巧くいった。 なにしろ「自分の個人としての人生はなくてもいい」と決心しているかのように、長大な時間を労働して有給休暇すら取らない、祖国愛に燃えた忠実な兵士のような労働力を大量にもっていたので、日本経済は恐れるものをなにももたなかった。 フランス首相のÉdith Cressonなどは、労働者も自分の幸福を夢見る一個の人間であるという当然の認識をもたない日本社会にいらだって 「日本人は兎小屋のようなアパートに住み、2時間もかけて通勤し高い物価に耐える蟻のような生活をしている」「日本人はfourmis jaunesだ」 と公式の場(!)で散々発言して、日本語マスメディアで伝え聞いた日本人たちが憤激して東京のフランス大使館に押し寄せたりしたが、フランス人らしく口汚く罵る性癖のあるÉdith Cressonが目立っただけのことで、アメリカ人も、イギリス人も、オーストラリア人も、ニュージーランド人も、口にしないだけで、内心では日本人支配層の不公正さを呪い、日本人企業戦士たちのナイーブな愚かさを呪詛していたのは想像しなくてもすぐに判る。 目先数年、という範囲では小気味良いほど巧くいくが、数十年というスパンで見直して考えてみると本質的なダメージを社会に与える方策をおもいつくことに長けているのは、もしかすると日本文明の本質なのかもしれない。 一見、うまくいった支配層の方針は、個々の国民が子供をつくりたがらなくなる、という予想外の結果を社会にもたらした。 税金の徴収についても国民をうまく騙して、日本に住む外国人たちが「ステルス税」と呼んで笑っていた、税金と名前のつかない税金たち、年金の積立金、高速料金、…しかも、手をかけてわざわざ複雑な体系にして、目を凝らすと、税理士を雇う支配層ならば、たくさんの租税回避の抜け穴のある膨大な金額の(広義の)税金を納めて、可処分所得が途方もなく小さい上に、GDPの成長にまったく見合わない低賃金で、生活の質そのものは中進国のレベルにピンで貼り付けられていた賃金労働者たちは、子供をつくることを拒否しはじめただけでなく、やる気そのものを失っていった。 さらにおおきな問題は、やはり企業にとって労働コストを低く抑えるために、社会全体として無賃金残業を際限なく増やしていったが、それを支えるためには専業主婦の奴隷に似た、というよりも愛情という糖衣を省いてしまえば奴隷そのものの家庭内での献身に全面的に依存して、男の配偶者が家事を何もしない文化を社会を挙げて育てていたので、女の日本人たちが社会そのものに対して不信を起こすという異様な事態にまで発展していった。 ニュージーランドは、ながいあいだビンボな国で、自他ともに認める「世界いちビンボな英語国」で、そのことに倒錯した誇りをもってさえいた。 どのくらいビンボだったかというと、オタゴあたりに行くと、特に貧困家庭出身ではないのに、「子供のときは家にオカネがなかったので、段ボールで靴をつくって学校へ通っていた」と屈託なく笑う70代の人がいくらでもいる。 ちょっとビンボなほうになると、英語では食事をteaとも呼ぶことを前にも書いたおぼえがあるが、文字通りで、一杯の紅茶とビスケットだけの食事も普通だった。 ところが、21世紀になる頃から風向きが変わって、社会にオカネが流入してくる。 繁栄に向かう社会の一例としてあげようとしているわけだが、そうすると、どんなことが起きるかというと、「目に見えて社会がどんどんよくなる」のが普通の国で起こることで、ニュージーランドも例外でなくて、図書館の本棚には目立って新しい本が増え、1日$1で借りられるDVDには最新作が並ぶようになり、コンサートホールが建設されると、欧州やアメリカ、インド、オーストラリアからモダンダンスカンパニーやオペラ、シェークスピアのカンパニーが呼ばれて、町が綺麗になりはじめ、通りを歩くひとびとの身なりがあっというまに良くなっていく。 食材に広がりが出来て、外食する食べ物すらどんどんおいしくなってゆく。 特にニュージーランドに限らず、本来は、賃金の上昇を柱に、税率がさがり、個々人の生活が豊かなものになってゆくはずで、日本の衰退の最大の原因は、それがなぜか起こらずに、「社会は繁栄しているのに個々の人間の生活は良くなるどころか相対的に貧しい労働時間の長い生活になっていった」ことにあるように見えます。 … Continue reading

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日本語の愉しみ

5年間の「小さい人々休暇」が終わって、来月が終わる頃になると、足下にいつも猫と小さいひとびとがじゃれていた生活が終わりになる。 新しいデザインの生活のための準備もだいたい終わって、もうすぐやってくる34歳の誕生日には、ぼくはオレンジカウンティにいるだろう。 引っ越すわけではなくて、買い物に行くだけだけどね。 大統領選挙の結果が直後なので、そのときにアナハイムのオフィスを拡張するかどうかも決まっているはずです。 オークランドベースからシドニー/オークランドベースに移行するための準備は終わって、たくさんのひとにはあったが、まだシドニーの人々がどんなふうな考えをもっているのかの感覚はちゃんと理解できていない。 同じ英語人だと云っても、アメリカ人、連合王国人、ニュージーランド人、オーストラリア人とおおきく気風が異なっていて、ふだんの生活ならともかく、仕事でのことになると注意深くならないわけにはいかない。 英語世界では経済小国であるカナダ、オーストラリア、ニュージーランドは、経済大国のアメリカや連合王国のドナルドトランプやBrexitに象徴される高い理念の放棄という歴史的な社会の転換によって、おおきなプラスのインパクトを受けることになったが、首の赤い英語人の気持もよく判っていて、三国とも、唇を閉じたままで、ゆっくりと、そっと、移民の門を狭めている。 90年代の反アジア人運動の嵐の経験から、賢くなって、ポイント制度を導入して制度にフレキシビリティをもたせておいたことが思わぬ所で役に立ち始めた。 連合王国の政府役人や法廷弁護士(←チョー仲が良い友達)たちとスカイプで話していると、いろいろな人の消息が聞こえて、ええええー、あの人がそんなこと言うのか、で、永住ビザの強制返上まで考えていて、母国のアホっぷりに感心する。 アメリカ合衆国のほうは、深層はよく判らないが、テキサス人やジョージア人と話していると、疑えば「また、白い世界にもどりつつあって嬉しい」というトーンで、Mad MenやDownton Abbeyが流行る、最近の英語世界の「白化」の底深さを窺わせる。 むかしのように公然たる差別は、割にあわないのでやらないが、「ガメ、白いおれたちだけでやろうぜ」が、ますます露骨になってきているように感じるのは、先入観のせいだろうか。 正直に言うと、このブログを始めたときには、いま考えるとお笑い草で、ナイーブさを笑われてしまうが、日本の人がアジアの一中心として役割を果たすのではないかと期待していた。 紫式部、源俊頼、芭蕉、谷崎潤一郎や小津安二郎を通して、日本語文明への深い敬意を持っていたので、高度な文明を生む言語を話す民族には高い魂が宿っているだろうと期待したからでした。 もう6年前になるが、だから日本のひとびとに話しかけてみようと思ったが、ブログへのゴボウがなんちゃらといかいうコメントを没にして、おっさんのプライドを傷つけたのがきっかけで、この、自分で「はてなのオピニオンリーダーだ」と称して自己紹介してやってきたおっさんが、仲間と徒党を組んで、様々な手を使って「ニセガイジン」の大合唱を起こしたところで、 日本人に、深刻な話題については、いくら話しかけてもムダだと判って、アジア人の話し相手はインドの人と中国の人になった。 この二国の人たちは、普通に話が出来るので、チョー安心しました。 その話し合いのなかから、いまでは色々な現実世界への働きかけが生まれて、仮想から出たマコトというか、オモロイことがたくさん始まっている。 小さい人たちとべったり一緒にいるための「世界でいちばん長い育児休暇」が、もうすぐ終わるので、自分でも参加しようと思っている活動がたくさんあります。 相変わらず日本語は大好きなので、足にまとわりついて、膝にあがって、肩に昇って、最後には頭のてっぺんまで這い上がって父親山の登頂をきわめようとする小さい人びとに、足場がくずれて、おもいっきり背中をどつかれたりしながら、josicoはん( @josico)のような古くからの友達や、哲人どん @chikurin_8th、たち、新しく出来た友達とツイッタで遊んで、日本語自体はやっていてよかったと思っている。 社会のほうは、多分、あれだけ意地が悪いだけの、頭がからっぽで、自分の狭い視界に映るだけの「世間」の意見が空虚な伽藍に反響しているだけの国になってしまっては、向こう一世代くらいは、どうにも恢復のしようはないとおもうが、それはそれで、仕方がないことなのではないかと考えています。 もしかすると日本語にとっては由々しき事態なのかも知れないが、そこまでは付き合うわけにはいかない。 最近は、日本語でぼくの英語を貶して「おれの英語のほうが遙かにうまい」と述べるのはなんらかの理由で都合が悪いと考えるようになったのかニセガイジン合唱団は、全員が一生懸命に削除しているとかで なかったことにしたいらしいが、この自称「はてなリベラル」のおっさんたちの大群は 「原発が爆発するかもよ」 答:「ニセガイジン」 「社会が右傾化するとおもうぞ」 答:「ニセガイジンw」 「アベノミクスなんて、失敗することが初めから判っているではないか。 国富が外国資本に吸い取られて枯渇するだけとおもう」答:「ニセガイジンwww」 で、 日本語世界では議論など成り立つ余地もなかったが、自分では、日本語との関わりから生まれた、自分の良心が納得するだけの責任ははたしたつもりで、議論に応じてもらえなかったのは、こちらの都合ではないわけで、なされるべき有効な議論は全くなされないで罵りと中傷を浴びただけだったが、自分にできそうなことは、やれるだけはやったので、あんまり気にしていない。 この、おさぼりな6年間にはいろいろなことがあって、いちばん衝撃的なことは連合王国の下院に立候補するはずだった友達が病死したことだった。 この若い政治的天才が連合王国から永遠に失われてしまったことは、事情が判らない人には、おおげさに聞こえるかもしれないが、連合王国にとっての大きな損失で、Brexitというオオマヌケな、国のアイデンティティを根幹から破壊したばかりか、死にかけていた中東人アフリカ人アジア人への差別を、残らず甦らせてしまった事件が起きたイギリス社会に、あいつが生きていればなあ、とおもう。 労働党のようなところでは発言権を持つのに年季がいるが、保守政治の世界では、地位はともかく、発言権をもつには、意外と若くて構わないからです。 良い方のことも、もちろんたくさんあって、まず何よりも世界は15年前に較べれば、びっくりするほど良い場所になった。 前にも書いたことがあるが、サンフランシスコのような、大都市で開明的であることになっている町でも、ぼくが子供の頃、1991年というような頃はまだ、夕暮れ、マーケットストリートに佇んでいるやさしい顔をした白人の女の人と知的な風貌のアフリカ系の男のカップルが、しかし、周りの人間と比較してはっきりと緊張した風情で立っていたのを記憶している。 知的に早熟な子供だったのはたしかだったが、それにしても、その緊張が鮮烈なイメージを作っていて、いまでも人種差別のことを考えると、その、ふたりが肩を寄せ合って社会の冷酷な気候に耐えているとでもいうような姿に頭がもどってゆく。 言うまでもなく、異人種間の結婚には、かつては、おおきな偏見が絡みついていて、夫が白い人で、妻が有色の人である場合には、おもいきり下品な言葉でごめんなさいだが、場末の夜更けのパブで言うところの「やられるほうがアジア人なら許せる」で、女が有色ならよいが、男が有色人で白い妻を持つなんてとんでもない、と問わず語らず、おとなたちが感じているのは、別に言葉で聴かなくても判っていた。 人種差別は、性差別とも密接につながっていて、本質的に同じものであることは、 … Continue reading

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二重国籍と日本の未来

蓮舫議員に続いて小野田紀美議員が「二重国籍じゃないか!」で話題になっている。 もっとも日本のニュースは、最近は、インターネットで、しかも、ちらっと観るくらいしか観なくなってしまったので、ほんとうは話題になっていないのかも知れないが、ニュースサイトとツイッタで話題になっているのを目撃した。 日本にいたとき、両親のどちらかが日本人の友達たちがよく話題にしていたのを思い出して、このブログでも日本の単国籍主義は何年も前から書いている。 日本の社会という観点に立つと最大の問題は例えば日本語と英語を母語にしている、日本にとっては最も必要とされている人間が22歳になると日本国籍を捨てなければならなくなることで、日本語ツイッタを眺めていると、「言わなければバレないからいいのでは」という在外日本人がたくさんいて、その、不正でも見咎められなければ良いじゃんがいかにも日本人らしくて笑ってしまったが、日本に生まれて二重国籍になった若い人は、遙かにマジメで、というのはつまり西洋的な考えかたで、ダメなものはダメと考えて、父親の国籍を採るか母親の国籍を採るかで懸命に考えて、ぼくのまわりの例では全員が日本国籍を捨てることになった。 観ていて、なにも社会の立場に立って考える事はないが、日本社会の立場に立てば、なんというもったいないことをするのだろう、と思う。 個人の視点からは、日本国籍はあってもなくても同じか、いまの戦争好きな社会の形勢を考えれば返って日本国籍をrenounceしたほうが良いくらいだと思われるが、日本にとっては致命的といいたいくらいの損失であるとおもう。 言うと失礼だから言わないできたが、日本の人の英語能力は飛び抜けて低い。 例えば配偶者が英語人で、20年以上アメリカで暮らしているというような人でも、話してみると、単語を拾ってつなぎ合わせているだけで、意味と感情の背骨が通った文章として話したり聞いたりしているわけではない。 「意味が判っている」だけであるらしい。 内輪では「日本人は、他人の話を聞かない」とよく言うが、あれは英語人が信じているように傲慢と自我肥大で他人の話に耳を傾けないのではなくて、言語的に話がちゃんと頭に入っていっていないのではないかと、最近はおもっている。 まして、日本の学校でいくら英語教育が改革されて「国民の英語力の平均が12ポイント向上しました」ということになっても、個々の日本人はそれでハッピーだが、日本社会にとっては「平均より上の英語力」などは何の役にも立たない。 日本社会の国際社会での孤立ぶりは年々ひどくなっているが、それも英語のエキスパートが育たないからで、外交官ですら「なんじゃ、こりゃ」な英語で、しかも、その英語スキルの乏しさを隠すためだと推測するが、態度が傲岸で、観ていて、こちらがそわそわした気持になる人が多い。 日本の社会に最も必要な存在のひとつが、この母語並に英語が出来る人で、通常の言語世界には、少数の言語的天才と国際結婚の両親から生まれた二重母語人と子供のときに他国で育って両親から日本語を受け継いだ日系イギリス人というような組み合わせが、他言語へのインターフェースとして存在するが、日本社会は、この部分が完全に欠落している。 二重国籍を許可しないことは、他所の国の人間から観れば、バカバカしいだけのことで、やっぱり日本はヘンな国だね、という冗談のタネにしかならないが、当の日本の立場に立つと、ぞっとするような損失であるとおもう。 小野田紀美議員のケースは、記事をためつすがめつ読んでみると、現実にはアメリカ政府の側からしか問題が感じられなくて、アメリカ合衆国にはアメリカの国籍を持っている人間に対しては世界のどこに住んでいても課税する権利を留保するという、世界に稀な、ほとんどデッタラメな法律があって、小野田紀美議員は議員である以上収入があるはずで、その収入にみあった所得税を払ってきたのだろうか、という問題があるが、それをわざわざ日本の側で暴いてみせるところが日本という国のナイーブさでなくもない。 アメリカ側から見れば、一国の立法者が堂々とアメリカの法律を踏み倒して税金の支払いを無視していることは、たいへんな問題であるはずで、このひとは自民党の議員なので、見て見ぬふりをしてすませてしまうだろうが、本来ならば見せしめに追徴金も含めて課税したいところだろう。 蓮舫議員に続いて、小野田議員、どこからどう観ても日系アメリカ人にしかすぎないアメリカのノーベル賞受賞者を日本人の受賞だと言い張るいかにも日本らしい騒ぎを通じて、しかし、二重国籍が話題になることはよいことであると思う。 いままで、たとえばAFWJというような組織は、署名を集めて、何度も陳情を繰り返してきたが、そのたびににべもない返事で、社会の側も冷淡だった。 日本の社会特有の、おかしいことでも自分の利害に直截関係しないかぎり「おかしいのではないか」と抗議の声をあげない通癖のあらわれで、日本の社会について知識があれば特に驚くほどのことではないが、現実には日本社会の孤立化という形で、外国人の両親たちの涙に冷淡で来たことが個々の日本人の利益を失わせる結果にもなっている。 いつか、「鏡よ、鏡」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/12/18/mirrorx2/ というブログ記事を書いたときに挙げた日本のベストセラーの題名を肴に、連合王国から遙々訪ねてきた友達と冗談をのべあって大笑いしたことがあったが、日本は、自惚れ鏡に見入ることによって、現実の国際社会からは退場してしまっている。 残っているのは企業だけで、よく観ると、日本から企業を差し引くと何も残らない。 トヨタのやりかたは感心しないが、会社としては国際水準の強さで、目を凝らして見ると、ハイブリッドという過渡的な技術に力を割きすぎて、やや小手先の技術の洗練に注力しすぎるのが不満だが、タカタエアバッグへの対応をみても、ケイレツ主義の不健全な経営に反して見事なくらいの健全さも残している。 自動車会社という業界は、どこの国でも汚いことばかりの感心できない業界なので、比較のうえでは、十分、日本が潰れてもやっていけそうに見える。 ニュージーランドやオーストラリアでいえば、日本のビール会社がオーストラリアやニュージーランドのビール会社の系列化を進めていて、そのせいでスーパーマーケットの棚に、日本にいたときに好きだったヱビスビールやサッポロが並ぶようになって、しめしめと思っている。 経営がぐらぐらしていたビンヤードは中国の会社がほぼ買い占めて、ビールは日本で、他人のカネで飲むワインやビールほどおいしいものはない。 むかしの日本企業は、本社からやってきた駐在社員が威張っていて、閉じた日本社会を形成して、マンハッタン、ミッドタウンの日本風に「うまみ」がある麻婆豆腐のレストランに行くと、駐在妻集団とおぼしき人々がたくさんいて、ボス妻らしい人が笑うと、一瞬、一秒の半分くらい「これは冷笑か単純な笑いか」と顔色をうかがう「間(ま)」があって、それからいっせいに取り巻き妻たちが笑い出すという光景が毎日のように繰り広げられていて、たいして食べたくもない麻婆豆腐を、その光景が見たさに何度か通ったことがあった。 いまは、伝え聞くところでは、かなり現地主義になって、トヨタのAurionはオーストラリアトヨタのデザインで生産もオーストラリアから始まった。 あるいはコンピュータ店でクルマの話をしていたら、タイ系のニュージーランド人の店員が「Camryって、あるでしょう?あれは、ぼくの父親の命名で、My carのアナグラムなんです」と言うので、みなで、おおおおー、と盛り上がったことがある。 だが日本の社会のなかに日本語を伝って入っていくと、びっくりするような閉鎖性で、まるで鎧戸を閉じきったイタリアの田舎の農家のなかのように、薄暗いのを通り越して、真っ暗です。 風通しが悪い、空気が淀んだ部屋には、暗がりのなかでひょろひょろと丈だけが伸びたモヤシのような屁理屈が立ち並んでいて、およそ現実に対して実効性のない議論が声高に語られている。 憲法なんて、あったってインチキなんだから無視すればいいじゃん、と首相が述べれば、放射能は安全だ、危険かもしれないなんていうやつは素人だと傲岸に述べている「玄人」の学者がいて、専門をみると、ぜんぜん放射線まわりとはおかど違いの領域の研究者であったりする。 自分がいかに英語が達者であるか日本語で誇り続けるマンガ的なひとびともたくさんいて、ああいうことは、たいしたことでなくて本人のバカッぷりを余す所なく見せ付けているだけだとも言えるが、いまの日本社会の閉鎖性、その閉鎖された社会で起きていることのくだらなさを象徴しているようで、観ているほうが恥ずかしいような気持になってくる。 そうこうしているうちに、日本で起きていることがだんだん他国にも知れ渡って、こういう「他国で起きていること」が世界の人間の常識に組み込まれていくのには、だいたい20年くらいかかるというが、それよりも少し早く伝播して、観ているとここ2,3年で急速に日本社会が平和主義から好戦的な伝統に帰ったこと、ハイテク社会が終わりを告げて完全にITから取り残されたこと、豊かだった社会が貧困の奈落に堕ちていきつつあること、国全体がまるごと人種差別的な国と化して韓国人と中国人が特に標的とされていること、が「常識」として共有されだしている。 特にアジアの若い人のなかには、日本全体を憎悪と軽蔑の気持で観るひとが増えてきているように感じられる。 こういう言わば文化のインフラとでも呼びたくなるようなことは、ゆっくりだが確実に一国の足下を掘り崩して、それが表面化する頃になると、その国にとって取り返しがつかないダメージになることには、たいした想像力はいらない。 戦前の日本が良い例で、日露戦争後、おかしなことをやり続けて、30年代になると日本語人が述べることを信用する人間は世界に誰もいなかった。 そのころも、いまとおなじで、第一、外交官が英語もフランス語もろくに話せないので、日米交渉にあたった人のメモワールやインタビューには「日本人の英語の不快さ」について触れたものが多くあって、アメリカ上流階級のアクセントで話した蒋介石夫人の宋美齢の、アメリカ人をほとんどうっとりさせた日本弾劾の演説の見事さと並べてみると、なんだか戦争を始める前に日本の破滅が予定されていた事情が納得される。 … Continue reading

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未来鮨

AucklandとOaklandの発音はどう違うのか、と聞かれて、困ったことがある。 Oaklandをニュージーランド人が発音したのがAucklandの音だと述べたら、困惑したような、納得しがたいような、曖昧な顔をしていた。 と、ここまで書いただけで、鬼の首を取ったように、というのは表現で、実際は鬼の首をとったらどんな様子になるのか知らないが、ともあれ、大得意で、 ええええー、やっぱりニセガイジン!いま英和辞典をひいたけど、発音記号からもう異なるではないか、そんなことも知らないのに英語人であるわけないじゃん!! と、いいとしこいて欣喜雀躍する、いつものおっさんたちの顔が思い浮かぶようだが、同じ音をニュージーランド人が発音しているのとアメリカ人が発音しているのを、聴き取って発音記号にすると、ああなる、というだけで、その証拠に、 去年はOaklandに行くつもりでAucklandに来てしまったんだけど、どうしましょう、と出頭したアメリカ人の青年が存在した。 (あれは、いったいどうやってセキュリティやパスポートコントロールやゲートの改札を通り抜けることになったのだろう?) もっと判りやすい例で述べると、Melbourneはメルボルン人と他の英語人では発音が異なって、カタカナで書くとメルボンに近い地元発音に較べて、最も遠い所にある発音であるアメリカ人は、メルボーンと書いてみたくなるような発音で、よく笑い話になる。 もっとも、そういうことで他所様の人間を笑うのは悪趣味なので、マンハッタンの Houston Streetは、ハウストンでヒューストンではないが、「ヒューストン通りには、どう行けばいいですか?」と聞かれて、ラガーディア空港への道を教えるような意地悪なことをしてはいけない、と釈尊は教えている。 閑話休題。 Oaklandが舞台のEast Side Sushi http://www.imdb.com/title/tt2340650/ という二年前に公開された映画を観ていたら、あまりに良い映画なので感動してしまった。 モニとふたりで感動して、感動のドライブがかかった加速的なちからで、立て続けに二回目を観るくらい面白かった。 メキシコ系アメリカ人の若い女の人が、寿司シェフになろうと思い立って、寿司屋という男世界の壁、ガイジンお断りの職業的なゼノフォビアの壁にぶつかりながら、なんとかしてカウンターに立つスシ・シェフの立場に立ちたいと願う。 映画の結末を言うと怒る人がいるので言わないが、アメリカ社会を縁の下で支えているのに存在しないことになっているラティノの社会的地位や、父親と娘がそれぞれダブルジョブで朝4時前から夜遅くまで、フルーツスタンドやスポーツジムの清掃、衣料品店の店員、手洗い洗車、とくたくたになるまで働いても、やっと食べられるかどうかの、文字通りのhand to mouthの生活が語られてゆく。 無名の女優、Diana Elizabeth Torresが演じる、7歳くらいの娘をもつ20代前半のシングルマザー、フアナ(Juana)が、仕事の帰りに通りかかったスシバーのウインドウから、覗き見て、カリフォルニアロール、レーダーロール、色彩豊かな寿司に「ここではないどこか」の世界を見るシーンは、美しくて、映画のなかの寿司の描写では、最も美しいものではないだろうか。 求人の張り紙をみて、店内に入ってゆくと、そこにはユタカ・タケウチが演じる花板のアキが立っていて、 寿司屋の例の挨拶、「へい、らっしゃい!」と述べる。 このアキとフアナの交感の素晴らしさは、世界では悪評が定着した若い日本の男の人の美質と、風変わりだが真情にあふれた日本人の真心をうまく表現している。 これ以上物語の内容を暴露してしまうわけにはいかないだろうが、 この映画の寿司職人アキは、ここ数年の映画で描かれた日本人像のなかでは、現実感もあって、最も素晴らしい日本人像であると思われる。 少なくとも、英語人にとって、「ああ、日本人て、こんなふうに素晴らしいのだな」と理解しやすい人物像になっている。 しかもユタカ・タケウチは好演で、ぎこちないような日本人の誠実さを、うまく体現している。 ついでに、もうひとつ余計なことを述べると途中で日系のマネージャーが「vinegared rice」と述べたのを英語が母語である主人公が「very good rice」と受け取ってしまって、周りの英語が母語の日系や中国系人たちが大笑いして、結果として主人公がマネージャーに恥をかかせてしまうところが出てくるが、「何をはっきり言わないと伝わらないか」という日本の人が失念しやすい英語習得上の問題がよく出ていて、細部ながら、面白いと感じた。 ちょうど、East Side Sushiのことをツイッタに書いて、「みんな観るべ」と述べていたら、タイミングがいいというか悪いというか、大阪のある鮨店で韓国人や中国人、外国人と見るとワサビをてんこ盛りにしたりして嫌がらせをするという鮨屋が、バズって、おおきく話題になっていた。 東京にいるあいだ、決まった鮨屋にしか行かなかったのは、ひとつには鮨屋の「ガイジン嫌い大将」にまつわるホラーストーリーが外国人のあいだでは、もっともらしく、たくさん語られていたからで、銀座の一流鮨店のようなところは、経験上、鮨好きオカネモチ外国人の客としての質の高さが知れ渡っているので、もう偏見はなかったが、新潟や富山のようなところでは、外国人と見ると意地悪をする鮨屋の話をよく聞いたものだった。 … Continue reading

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