Monthly Archives: November 2016

明日

ロサンジェルスに行くしたくをしなければならないが、なんとなく面倒くさい。 ずっとブログやツイッタで付き合ってくれたひとびとは知っているが、わしとわし友達が、なあんとなくトランプが勝つだろうと思っていたのは、やはりBrexit投票のせいである。 途中、どの発言だったか忘れたが終盤でいちどだけ、「あっ、これならヒラリー・クリントンが勝てる」とおもう一瞬があったが、JFKの昔から民主党大統領にとっては鬼門のFBI長官のせいで、ほぼ投票の前に惨敗が決まってしまった。 文句おやじのマイケル・ムーアが、主に出身地のフリント(←GMのお膝元の企業城下町)での観察に基づいて「信じたくないだろうがドナルド・トランプが勝つ」と述べていたが、結局は、その通りになってしまった。 http://michaelmoore.com/trumpwillwin/ やはり、このブログ記事にも書いたが、2年前、中西部の町であるラスベガスで、いわゆる「とてもいい人」のタクシーの運転手さんと話した。 ニューヨークにいた人で、手堅かった職も捨てて、中西部のある町に越したが、仕事がみつからなくてラスベガスに出て来た。 ラスベガスの南に新しく出来たショッピングセンターから、ラスベガスの北まで乗る短いあいだに話をしたが、 いつもの軽口で「ニューヨークは楽しい町ではないですか」と述べると、意外や深刻な調子で、「異なる人たち」と一緒に暮らすのに疲れたんです、という多分生まれたのはジョージアどこかだろうと思わせる口調で答えてくれた。 異なる人たちって?と聞き返すと、うーん、you know、と述べて言葉を濁している。 きみも、きみの隣に座っている奥さんも、白人なのだから判るだろう、という口調です。 でも、言葉にして言うのは、嫌なのであるらしい。 わしはモニがちょっとびっくりした顔をするくらいチップを渡してタクシーを降りたが、それはもちろん、その運転手のおっちゃんの意見に賛同したからではなかった。 ヒラリー・クリントンはプア・ホワイトに負けたのだ、と言うが、数字はどうあれ、実感としては、そう思うのは難しい。 このブログに何度も出てくるように、テキサスにはたくさんの友達がいるが、話してみると、トランプに投票した友達が多いようでした。 「めちゃくちゃじゃん」と、言うと、トランプは良い人間ではないし、4年間、アメリカ人は苦労するだろう、という。 じゃあ、なんでトランプなんかに投票したんだい?とひとりを除いては年長者である友達たちに聴くと、「ヒラリー・クリントンのアメリカで暮らしたいとおもうアメリカ人はいない」という。 ウォール街の連中を見ろ。 彼らが例えばCDOを使ってやったことを見ろ。 毎日、夫婦共働きで、精一杯働いて、幸福を夢見て働いたアメリカ人たちに対して、あの銀行の豚共がやったことを、見ろ! という。 汗水たらして働いて、ローンを組んで、必死の思いで暮らしていた人間たちから、あいつらはカネを吸い上げて、その上、そのカネを必ず最後にはすると判っている賭博に投入して、トランプのカードの上にカードを乗せて組み上げたタワーが崩れると、なにくわぬ顔で、税金でベイルアウトして、失敗したのに市場から退場すらしない。 負けたものが破滅するのは資本主義の最低限のルールじゃないのか? 投機的どころではない、ほとんど架空な、無責任な博奕を打って、勝てば自分たちのもの、負ければアメリカ人全部に自分の負けを払わせるのか? それがアメリカか? ガメ、きみは欧州人だから判らないかもしれないが、アメリカは、アメリカという理念で出来ている国なんだよ。 高く掲げられた公正と自由の松明に惹きつけられて世界じゅうからやってきた人間がつくった国なのさ。 それを、あのウォール街の豚どもは、なにもかもぶち壊しにしてしまった。 ガメ、きみのことだから、どうせ、ヒラリー・クリントンが女だから、きみたちは色々な理屈をつけて指がかかった大統領の椅子からヒラリーをひきずり落とそうとしているだけだろう、と皮肉に述べるに違いないが、 断じて違う! おれたちはアメリカを取り戻そうとしているだけなんだ。 公正を期すために述べると、なんだか電話の向こうでちからが入りすぎて、怒鳴りまくるような調子になって「ウォール街が資本主義を殺したのだ」と叫んでいる人は、テキサス大学を出て、たしかウォートンかどこかのビジネススクールに行った人です。 アホな人ではなくて、ロッキードの顧問みたいなことをしていたはずである。 銀髪のアイルランド系4代目の移民で鷹のような目をしている。 たいへんな善人で、わしは、この人が人に知られず、自分がたたきあげからつくった財産の半分以上をアフリカ人の貧しい子供たちが教育を受けられるように寄附をしているのを、まったくの不思議な偶然から知っている。 「アメリカ的価値」に敏感な人で、前にブログに書いた、パブで、わしがウエイターにいつものつもりで何の考えもなしに多めのチップを渡したら、わし手を引いてウエイターのところまでわざわざ歩いていって 「ガメ、この男が、あんなチップに値するほどちゃんと仕事をしていると思うか。 こんなナマケモノの男に、こんなにたくさんチップを渡しては、アメリカ社会にとって迷惑だ。甘やかしてはダメだ」 と言うなり、チップの大半を気の毒なウエイターの手からもぎとって返させたのは、この人です。 … Continue reading

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病としての人種、という思想

夕方、カウチに寝転んでいるうちに、いつのまにか眠ってしまったらしい。 窓をたたく激しい雨の音で目をさますと、時計の針が9時を指している。 映画 5 Flights Upはブルックリンに住む、アフリカンアメリカンの夫とコーカシアンの妻の物語で、ピザを食べながら、自堕落に、モニさんの膝に頭をのせて観ていたのだった。 コーカシアンの夫とアジア系の妻という組み合わせ以外は、まだ少なかった異人種間の結婚が少なかった70年代に、モーガンフリーマンが演じる画家の夫とダイアンキートンが演じている教師の妻は結婚する。 結婚数年で買ったブルックリンの五階にあるアパートにはリフトがなくて、歳をとって体力が落ちる老後を考えてアパートを売ってリフトがあるアパートに移ろうと考える。 物語の筋書きとしては、ただそれだけの映画だが、ドナルドトランプのせいでタイムリーというか、モニさんが見つけてきた映画を、ふたりでいろいろと考えさせられながら最後まで観ることになった。 途中、自分にも共通した英語文化を自嘲したくなる箇所がいくつもある。 妻が母親に、なぜ自分が結婚の相手を見つけたことをもっと喜んでくれないのだ、と怒ると、母親は「喜ぶように努力する」と述べる。 横から姉だか妹だかが「だって社会にはまだまだたくさん偏見が残っているのよ」という。 ニューヨークでも90年代初頭まではアフリカンアメリカンの夫とコーカシアンの妻では、街角でも、やや緊張して立っていたものなあ、70年代では映画のなかでは詳しく述べられなくてもたいへんだったろう、と考える。 考えてから、ああ、世界は、またこの頃の社会に戻ってしまうのかもしれないのだったな、と苦い気持ちで思い出す。 まるで自分が過去に向かって暮らしているような妙な気持ちと言えばいいのか。 ティーパーティ派のミナレットの上の人であるGlenn Beckが、トランプがSteve Bannonを首席補佐官に任命してしまったことは、たいへんなことだ、これではアメリカは巨大KKKになってしまう、とパニック気味に述べている。 CNNを観ていると、さすがのAnderson Cooperも、この新右翼運動の大立て者、THE BLAZEのオーナーである人物が、自分に向かって「あなたがたが私を信用しないのは判っているが、どうか判ってくれ。オルタナ右翼の道を開いた私は、Steve Bannonのような人間に道を開くことになるとは思っていなかった」とまくしたてるのに、呆れて、というよりも軽いショックを受けて、どう問いかけていけばよいか判らない体裁のインタビューだった。 「ドナルドトランプ自体はレイシストじゃないんだが、Steve Bannonを引き入れては話全体が、まったく趣を変えてしまう。これは大変に危険なことだ」と繰り返し言う。 観ていて、当たり前ではないか、おまえはいまさら何を言ってるんだ、と顔を歪めて笑いながら考えたアメリカ人も多かったのに違いないが、アメリカにはたくさんの「アメリカ」があって、言葉にすると冗談じみているが例えば人種差別にも、たくさんの種類の人種差別がある。 人種差別みたいに話題として不快なものを、いちいちタイプ別に挙げるようなことは、つまらないのでやらないが、簡単に言えば、無自覚な人種差別主義者であるGlenn Beckは、自覚的で、極めて攻撃的で、英語の正しい意味におけるリンチくらいは何ともおもわない、前回に「ミシシッピ型」と言って述べた最も暴力的な白人至上主義にトランプがたいした考えもなくドアを開けてしまったことに衝撃を受けている。 アメリカの人種差別のおおきな特徴は優生学的で「血」の問題をおおきく焦点に持つことです。 え?だって、欧州のナチもおなじじゃない、と思う人がいるだろうが、それはそうではなくて、ナチの反ユダヤ、アーリア人至上主義自体がアメリカの優性思想を拝借して出来たもので、いわばメイドインUSAなのだという歴史的な背景を持っている。 たとえば1920年代から30年代にかけて、週末の楽しみとして高校生たちは「The Black Stork」 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Black_Stork の上映会に集団で出かける、というようなことがあった。 優生学外科医のHarry J.Haiseldenその人が自分で出演している、このベラボーに人気があった映画は、1917年に作られてから、都市部ではさすがに内容がなまなましすぎると問題になりはじめたので上映が男女別になったり、Are You Fit to Marry? と題名を変えたりしながら、サイレント映画そのものが人気を失う1942年まで、アメリカの田舎では人気を保ち続けた。 … Continue reading

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ドナルド・トランプの世界

ニューヨークに住んでいて、いかにもパチモンなマンハッタンのハイソサイエティと交流がある人ならば、ドナルド・トランプの名前を聞いて思い浮かべる断片がたくさんあるだろう。 もっとも、そういうパーティのなかでもドナルド・トランプが姿をみせるパーティは、なぜか白い人ばかりのパーティで、おおきなコミュニティのパーティ、例えばプラザホテルのロシアンコミュニティのそれですら、記憶をたどっても、ひとりのアフリカンアメリカン、アジア系人の姿も、記憶のベールの向こうにある会場に見つけることはできない。 入り口を入ると、右側に小さな小さな老女たちが立っていて、強制的に握手をすることが求められる。 このひとたちは誰であるかというとロマノフの最後の王女たちということになっていて、なっていて、と言った途端に「そんなことが現実なわけはない!」と怒り出すひとの顔が目に見えるようだが、アメリカの「ハイソサエティ」のリアリティの感覚は、そういうもので、日本で言えば万世一系皇統伝説のようなもので、皆が本当でないと知っているが真実なのではあって、人間の都合は、神様では理解できないほど複雑である、ということなのでもある。 ともあれ、ふたりの上品に見えなくもない王女たちと握手して、ひざまづいて手の甲にキスじゃなくてもいいのか、簡便であるなとおもいながらホールをちょっと進むと、悪趣味がトウモロコシの毛を頭から生やしているような趣のおっちゃんが立っていて、あれ、誰?と聞くと、ああ、あれがドナルド・トランプですよ、ほら、トランプタワーの、破産が趣味の男、とフランス人のおばちゃんが述べて、くっくっと可笑しそうに笑っている。 テーブルにつくと、身なりのいいフランス人のカップルとロシア人のカップルと、若い、聡明な瞳をしたロシア人の若い女の人が同席で、なかなか楽しいテーブルだった。 「あなたはニューヨークに住んでいるの?」と聞くので、いや、ぼくはまだ大学生で、大西洋を越えてやってきたんです。 両親の名代というか、偵察隊というか、と述べると、若いわしよりも遙かに賢そうな女の人は、目を輝かせて、 「わたしと同じだわ!」という。 聞いてみると、毎週木曜日にニューヨークを経ってモスクワに帰って、日曜日の夜に戻ってくるスケジュールが続いているのだという。 十年以上前の話なので、わしがいくらのんびりでも、この人がロシアマフィアボスの娘であることは想像がついて、まあ、ゴッドファーザーみたいだわ、となんとなく浮き浮きしてしまう。 一瞬、どうしてマフィアボスの娘というのは美しい人が多いのだろう、と考える。 ダンスフロアに誘うと、思いの外、緊張していて、「わたし、あんまりダンスパーティに誘ってもらえないのと」と寂しそうに述べていた。 あまつさえ、ぶっくらこいたことには、心がこもった調子で「ほんとうに、ありがとう」と言う。 ダンスに手をとって誘って、相手の女の人に「お礼」を述べられたのは、前世のハプスブルク朝のワルツ夜会が最後ではなかろーか。 こちらも、たいそう美しい人である50代くらいの女の人は、やはり話が面白い愉快な人で、旅行の話をしていたら、わたしは若いときにはベトナムにいたことがあるの、という。 それは良いが、中東にいたことがあって、アフガニスタンにいたこともあるので、だんだん聞いていて、いつもの悪い癖が出て、ふざけて、「まるでKGBのスパイみたいですね」と茶化すと、 隣に座っていたロシア版杉良太郎みたいなおっちゃんが「ああ、この人はKGBの幹部だったんですよ」というので、椅子からずるこけそうになってしまった。 それがいまはしがない国連職員なのだから、嫌になる、と呟いているおばちゃんに聞いてみると、ソ連崩壊のあと、アメリカにやってきたそうで、モスクワ大学を首席で卒業したというので、あんまりオベンキョーの話はしないほうが身のためである、とふだんはのんびりの頭で素早く計算したりしていた。 演壇にはいつのまにか、ドナルド・トランプが立っていて、大統領みたいというか、ハリウッドの大根役者が演じそうなチャラい大統領みたいなことを述べている。 あとで、おやじパリス・ヒルトンと命名することにしたが、パリス・ヒルトンとそっくりな性格で、自分のことしか興味がなくて、 パリス・ヒルトンが、あるときストレッチリムジンを降りて、途端に 「あら、あたしの3万ドルの指輪が、いま側溝に落ちてしまった!!」と叫んで、大騒ぎになって、みなで慰めて、たいへんなパーティの始まりになってしまったのは有名だが、そのときの指輪が実は40ドルのものだったことが使用人の証言でばれて、トランプという人も似たようなことをする人だった。 注目を集めるためなら、なんでもする種族は、おなじ種類のパーティに集まってくるが、このふたりが姿をあらわすパーティは重なりはしないが、おなじ匂いがある。 多文化社会の興味から言えば、トランプという人をひと言でいえば 「黒人テナントを拒否してthe Justice Departmentから訴追された不動産会社の持ち主」で、実際、この人の人種観は奇妙なくらい北欧系ロシア人たちに似ていて、自明であると言いたげな白人優越主義で、アジア系人やアフリカ系人は、差別しているというよりも人間として眼中になくて、まったく興味をもっていない。 ジョージ・W・ブッシュの母親であるバーバラ・ブッシュに代表される南部エスタブリッシュメントとも、異なって、decencyになどはかけらも興味をもっておらず、まっしろな花嫁をもらって、幸福に新婚時代を過ごして、ある日、子供が出来てみたら、アフリカ系人の特徴をもっていたということを最大の悪夢と考えるような人たちで、日本語人が、日本語の世界とは感性的に最も遠い、彼らがどういう世界に住んでいるかを理解するためには、ウイリアム・フォークナーの物語群、取り分け「アブサロム、アブサロム!」を読むのがいちばん良いような気がする。 ヘンリー・サトペンにとっては近親相姦よりも、遠い祖先に一滴でもアフリカ系人の血が混ざっていることのほうが遙かに罪深いことであって、サトペン家の最期の生き残りは重度知的障害者の「黒人の血で濁った」ジムだけになる宿命にある。 トランプがバラク・オバマの出生証明がニセモノであると決めつけたことは、だから、発想そのものが自分達を「正統なアメリカ人」と考える支持者たちの好尚に訴えていた。 気休めにもならないというか、ドナルド・トランプが選挙戦術として、数々の呆気にとられるような、他人種への侮辱的な発言を繰り返したのだと主張する人々がたくさん現れているが、本人と話したことがあったり、日頃の言動を知っている人にとっては、一連の発言こそがトランプの本質で、ミシシッピあたりの田舎に行けば、たっぷり堪能できる、その背景になっている白人至上主義文化を日本語で日本にいて理解したければ、繰り返すと、ひと夏フォークナーを読み耽るのがよいと思われる。 共和党では、すでに内部対立が深刻になりはじめて、もとから顕在化している伝統的な共和党勢力と新興のティーパーティ由来の共和党勢力との対立に加えて、ティーパーティ派内部での対立が外部に漏れ聞こえてくるようになってきた。 面白いのは、マイク・ペンスが、大統領になる野望を持ち始めたらしいことで、 ニューヨークのロシア・フランス系コミュニティと極めて近いドナルド・トランプと異なって、ペンスは有名なロシア人嫌いで、トランプとは、そういうことを軸に感情的対立が始まっているようでもある。 マケインとペンスも意外や情緒的に比較的に近くて、トランプは取りあえずは共和党保守派の顔色をうかがって温和しくせざるをえないだろうが、なにしろ飽きっぽい人で、大統領の椅子を獲るまでは夢中になって暮らせても、いざ椅子に座ってしまうと、めんどくさくなるのではなかろーか。 なににしろ、アフリカ系中東系、アジア系で言えば、なぜかそれほど嫌でないらしいインド系をやや別にすれば、中国系韓国系日系のアメリカ人にとっては、地獄の門が開いたに等しくて、ツイッタやなんかで何度か述べた、フレンズあたりから始まって、Pan Amが企画され、Mad Menがバカ受けして、Downton Abbeyまでがアメリカで人気出るに及んで、世の中の「空気の変化」を察知した英国俳優組合やアメリカのアフリカ系俳優たち、プロデューサーたちまでが「ドラマ・映画のホワイト化」に対して強い警告を述べたのが、ついにフォークナー的なアメリカ社会の呪いを呼びさましてしまった。 … Continue reading

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日本語の娯しみ2

あまり訊かれもしないので、訊かれなければ当たり前だが、答えもしなくて、わしが日本にいたことがあるのを知っている人は、ごく少ない。 まして日本語が理解できることを知っている人は少ないというよりも、驚きであるらしくて、かかりつけの医者である女医さんなどは眼をまるくして日本語と本人のイメージがあわないという。 おおきなお世話だが、ふだん日本語では触れないことにしている、もうひとつ別に準母語と自慢してみたくなくもない言語があって、その言語との印象もあわないのだという。 なんで? と言われるが、なんでと言われても困るので、理由などはなくて、理由がないので、日本語が理解できるのが露見して、釈明を迫られるたびに、子供のときに住んでいたことがあるから、とか、バスク語よりも難しいから、とか、甚だしきにいたっては世の中にあれほど学んで良いことが何もない言語はないから、とか、その都度、テキトーに答えている。 わしがやることにいちいち理由があると考えるような人に、ちゃんと考えて答えても仕方がない、という気分にもよっている。 言語がある程度できるようになると、母語で見知ったのとは別の人格が生じる。 誰でもすぐに気が付くように大庭亀夫という名前は、オオバカめな夫という意味に加えて、game overを和名化しただけの名前だが、この日本語人には独立した人格があって、「こんな下手な小説もどきのものを書きやがって」とコメントがいくつか来たので、やめてしまったが、自分が好きな日本語の時代である1910年代から1960年代頃の語彙を使ってつくった大庭亀夫という別人格は、英語人である自分とは、だいぶん違うように思われたので、日本語が出来上がり始めた頃、この人に勝手にしゃべらせてみたこともある。 勇者大庭亀夫はかく語りき https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/03/29/cameo/ 日本語が判るようになって、いちばん嫌だったことは、日本の人の心性の卑しさ、他人を攻撃することが大好きで、根も葉もないウソを捏造までして他人を貶めて、勝ち鬨をあげたがるバカみたいな国民性で、たとえばわしブログを読んで来た人や日本語ツイッタに付き合って来た人ならば誰でも知っている、この6年間変名アカウントをつくってまで絶え間なくしつこく誹謗中傷を続ける能川元一という人や、そのお友達の、はてなというチョー日本的な世界に群がる自称リベラルのごろつきおじさんたちがこれにあたる。 良い方は、歴然としていて、ここに名前をぞろぞろと全部挙げるとスピーチが下手なオスカー受賞者の挨拶みたいなことになってしまうので、挙げないが、たくさん日本語の友達が出来て、日本語自体が何ヶ月かでも日本の社会に住むことに興味がなくなってしまったせいで、インターネットでだけ使う風変わりな言語になっている。 正直に気持ちを述べてしまえば、ごく早い段階から日本の社会は、まるごと軍隊のようで、社会としての最低の機能もはたしていないのが見てとれたので、あんまり興味を持っていなかった。 日本の人はよく混同してしまうが、別に社会が好きでなくても、ひとつの言語族を好きになることは、よくあることで、国なんてないほうが誰にとってもずっと幸福なほどひどい社会だったソビエトロシアの時代でも、ロシア語とロシア文化が好きな人は、たくさんいた。 日本語には良いところがたくさんあって、いますぐに世界からなくなっても誰も少しも困らないマイナー言語であるのに、これほど豊穣な文学をもつ言語は他にありはしない。 谷崎潤一郎、北村透谷くらいから始まって、夏目漱石、内田百閒、岡本綺堂、無限に近いほど優れた表現がつまった日本語の本が存在して、日本語は読む本に困るということがない点で奇跡に近い。 もともとは英語で記述されたラフカディオ・ハーンの「怪談」と「奇談」は、極めて高い知性と志操の持ち主であったらしい奥さんのセツさんの日本語を反映して、英語だけの独力では難しい「静かな言語」としての英語を、強い日本語の影響力の下で構築している。 オダキンという「二次元趣味」のせいで、英語国ならとっくの昔に失職していそうな、仲のよい年長の友達に書いた自分の文章があるので、そのまま引用する。 …….. きみは、いま松江にいるそうで、正直に「うらやましいなあ」と思う。 ぼくは京都の日本海側から松江あたりまでの日本海側にあこがれがあって、柳田国男が生まれた町や、志賀直哉の短編で描かれた町、浜坂という小さな美しい浜辺のある村や、そういう場所をうろうろしてみたことがある。 松江にも行きたかったが、そのときは神戸でひとと待ち合わせをしていたので行けなかった。 ラフカディオ・ハーンという、変わり者で片眼、小男のギリシャ系イギリス人は、たいそうラッキーな奴で、その人生の後半に小泉セツという素晴らしい女びととめぐりあう。 小泉セツが英語をおぼえようとして使った手書きの英単語帳がいまでも残っているが、「アエアンナタハングレ」(I am not hungry)というような言葉を見ると、そのまま、その場を動きたくなくなるような気持ちになってしまう。 英語を話さない小泉セツと自分で発明したような風変わりな日本語しか話さなかったラフカディオ・ハーンは、しかし、「ヘルンさん言葉」とふたりで呼んで笑ったという、ふたりのあいだだけの日本語で会話を重ねながら、幸福な結婚生活を送る。 「破られた約束」のようなラフカディオ・ハーンの傑作は、今昔物語や雨月物語からの再話ではなくて、どれも小泉セツが「ヘルンさん語」でラフカディオ・ハーンに語ってきかせた松江の物語だった。 西洋人がいまでも持っている「美しい、神秘の日本」というイメージはハーンがこしらえたもので、そのもとは松江の風景のなかで生きて死んだひとびとの物語だった。 ある日、「自分にもっと学があれば、あなたの書き物の助けになったのに」とセツが述べると、ハーンはセツの手をとって自分の著作が並ぶ本棚の前に行き、 「だれのおかげで生まれましたの本ですか?」と「ヘルンさん語」で語りかけた。 一緒についてきたふたりの息子一雄に向かって、「この本、皆あなたの良きママさんのおかげで生まれましたの本です。なんぼう良きママさん。世界でいちばん良きママさんです」と言った。 ハーンが好きなものは、「西、夕焼、夏、海、遊泳、芭蕉、杉、淋しい墓地、虫、怪談、浦島、蓬莱」であったという。 「(明治)三十七年九月十九日の午後三時頃」、セツに「あなたお悪いのですか」と尋ねられたハーンは「私、新しい病気を得ました」と答える。 「新しい病、どんなですか」 「心の病です」 心の病、とは心臓病という意味です。 死の数日前、ハーンはセツに … Continue reading

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