日本語の娯しみ2

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あまり訊かれもしないので、訊かれなければ当たり前だが、答えもしなくて、わしが日本にいたことがあるのを知っている人は、ごく少ない。
まして日本語が理解できることを知っている人は少ないというよりも、驚きであるらしくて、かかりつけの医者である女医さんなどは眼をまるくして日本語と本人のイメージがあわないという。
おおきなお世話だが、ふだん日本語では触れないことにしている、もうひとつ別に準母語と自慢してみたくなくもない言語があって、その言語との印象もあわないのだという。

なんで?
と言われるが、なんでと言われても困るので、理由などはなくて、理由がないので、日本語が理解できるのが露見して、釈明を迫られるたびに、子供のときに住んでいたことがあるから、とか、バスク語よりも難しいから、とか、甚だしきにいたっては世の中にあれほど学んで良いことが何もない言語はないから、とか、その都度、テキトーに答えている。
わしがやることにいちいち理由があると考えるような人に、ちゃんと考えて答えても仕方がない、という気分にもよっている。

言語がある程度できるようになると、母語で見知ったのとは別の人格が生じる。
誰でもすぐに気が付くように大庭亀夫という名前は、オオバカめな夫という意味に加えて、game overを和名化しただけの名前だが、この日本語人には独立した人格があって、「こんな下手な小説もどきのものを書きやがって」とコメントがいくつか来たので、やめてしまったが、自分が好きな日本語の時代である1910年代から1960年代頃の語彙を使ってつくった大庭亀夫という別人格は、英語人である自分とは、だいぶん違うように思われたので、日本語が出来上がり始めた頃、この人に勝手にしゃべらせてみたこともある。

勇者大庭亀夫はかく語りき
https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/03/29/cameo/

日本語が判るようになって、いちばん嫌だったことは、日本の人の心性の卑しさ、他人を攻撃することが大好きで、根も葉もないウソを捏造までして他人を貶めて、勝ち鬨をあげたがるバカみたいな国民性で、たとえばわしブログを読んで来た人や日本語ツイッタに付き合って来た人ならば誰でも知っている、この6年間変名アカウントをつくってまで絶え間なくしつこく誹謗中傷を続ける能川元一という人や、そのお友達の、はてなというチョー日本的な世界に群がる自称リベラルのごろつきおじさんたちがこれにあたる。

良い方は、歴然としていて、ここに名前をぞろぞろと全部挙げるとスピーチが下手なオスカー受賞者の挨拶みたいなことになってしまうので、挙げないが、たくさん日本語の友達が出来て、日本語自体が何ヶ月かでも日本の社会に住むことに興味がなくなってしまったせいで、インターネットでだけ使う風変わりな言語になっている。

正直に気持ちを述べてしまえば、ごく早い段階から日本の社会は、まるごと軍隊のようで、社会としての最低の機能もはたしていないのが見てとれたので、あんまり興味を持っていなかった。
日本の人はよく混同してしまうが、別に社会が好きでなくても、ひとつの言語族を好きになることは、よくあることで、国なんてないほうが誰にとってもずっと幸福なほどひどい社会だったソビエトロシアの時代でも、ロシア語とロシア文化が好きな人は、たくさんいた。

日本語には良いところがたくさんあって、いますぐに世界からなくなっても誰も少しも困らないマイナー言語であるのに、これほど豊穣な文学をもつ言語は他にありはしない。
谷崎潤一郎、北村透谷くらいから始まって、夏目漱石、内田百閒、岡本綺堂、無限に近いほど優れた表現がつまった日本語の本が存在して、日本語は読む本に困るということがない点で奇跡に近い。

もともとは英語で記述されたラフカディオ・ハーンの「怪談」と「奇談」は、極めて高い知性と志操の持ち主であったらしい奥さんのセツさんの日本語を反映して、英語だけの独力では難しい「静かな言語」としての英語を、強い日本語の影響力の下で構築している。

オダキンという「二次元趣味」のせいで、英語国ならとっくの昔に失職していそうな、仲のよい年長の友達に書いた自分の文章があるので、そのまま引用する。

……..

きみは、いま松江にいるそうで、正直に「うらやましいなあ」と思う。
ぼくは京都の日本海側から松江あたりまでの日本海側にあこがれがあって、柳田国男が生まれた町や、志賀直哉の短編で描かれた町、浜坂という小さな美しい浜辺のある村や、そういう場所をうろうろしてみたことがある。
松江にも行きたかったが、そのときは神戸でひとと待ち合わせをしていたので行けなかった。

ラフカディオ・ハーンという、変わり者で片眼、小男のギリシャ系イギリス人は、たいそうラッキーな奴で、その人生の後半に小泉セツという素晴らしい女びととめぐりあう。
小泉セツが英語をおぼえようとして使った手書きの英単語帳がいまでも残っているが、「アエアンナタハングレ」(I am not hungry)というような言葉を見ると、そのまま、その場を動きたくなくなるような気持ちになってしまう。
英語を話さない小泉セツと自分で発明したような風変わりな日本語しか話さなかったラフカディオ・ハーンは、しかし、「ヘルンさん言葉」とふたりで呼んで笑ったという、ふたりのあいだだけの日本語で会話を重ねながら、幸福な結婚生活を送る。

「破られた約束」のようなラフカディオ・ハーンの傑作は、今昔物語や雨月物語からの再話ではなくて、どれも小泉セツが「ヘルンさん語」でラフカディオ・ハーンに語ってきかせた松江の物語だった。
西洋人がいまでも持っている「美しい、神秘の日本」というイメージはハーンがこしらえたもので、そのもとは松江の風景のなかで生きて死んだひとびとの物語だった。

ある日、「自分にもっと学があれば、あなたの書き物の助けになったのに」とセツが述べると、ハーンはセツの手をとって自分の著作が並ぶ本棚の前に行き、
「だれのおかげで生まれましたの本ですか?」と「ヘルンさん語」で語りかけた。
一緒についてきたふたりの息子一雄に向かって、「この本、皆あなたの良きママさんのおかげで生まれましたの本です。なんぼう良きママさん。世界でいちばん良きママさんです」と言った。

ハーンが好きなものは、「西、夕焼、夏、海、遊泳、芭蕉、杉、淋しい墓地、虫、怪談、浦島、蓬莱」であったという。

「(明治)三十七年九月十九日の午後三時頃」、セツに「あなたお悪いのですか」と尋ねられたハーンは「私、新しい病気を得ました」と答える。
「新しい病、どんなですか」
「心の病です」
心の病、とは心臓病という意味です。

死の数日前、ハーンはセツに
「昨夜大層珍しい夢を見ました」
「大層遠い、遠い旅をしました。今ここにこうして煙草をふかしています。旅をしたのが本当ですか、夢の世の中」
「西洋でもない、日本でもない、珍しい所でした」という。

ハーンはそうして、五十四歳で死んでしまうが、きっと死の時にも松江の美しい風景を思い浮かべていたに違いない。

ぼくは松江の小さな家で、セツと肩を並べて、セツが「ヘルンさん語」で語りかける「破られた約束」の物語を、「ママさんの話は、とてもこわい」と述べながら、悪い視力のせいで丈の高い机に顔をくっつけるようにして原稿を書いていったハーンを思い浮かべる。
セツとハーンのまわりを出雲に集まった帰り途の八百万の神さまたちがぐるりと囲んで、小さな外国人と、ぴんと背筋をのばして座る武家の娘が、ふたりで紡ぎ出してゆく美しい物語を、人間には聞こえない声で称賛の嘆息をもらしながら、どきどきしながら聞き入っていただろう。

松江。
うらやましいなあ。
放射脳のぼくは、もう行けなくなっちゃったよ。
あれよりうまそうな出雲蕎麦の写真を送りつけた場合は、夜中の寝床で我が式神の祟りをうけるものと知るべし。

では、また

…..

松江という町は、いちど行ってみたかったのに、行かないで終わってしまった日本の町のひとつで、東京に偏った日本滞在のせいで行かなかった、内田百閒の生まれ故郷の岡山や、四国まるごととあわせて、2005年から2010年の5年間に11回も日本に出かけて、長いときは1年の半分以上も滞在したのに、出かけなくて、とても残念な気がする。
自分にはどうやら、バルセロナ、東京、ニューヨーク、シンガポールと、同じところに何回も出かけて、数ヶ月滞在するというような癖があって、それと引き換えに、いかないで終わらせてしまった町も多くて、韓国のソウルなどは、あとで、うへえ、と考えた代表ではないだろうか。

おおげさにいうと、自分の日本語の芯が、もともとは、英語の姿を借りて、松江からやってきたのを知っているからで、神様がいなくて、複雑な内容を表現できる言語ならばたいていは持っている絶対性を欠いていて、その代わりに、山川草木、1本の木や、はては竈にいたるまで精霊が宿っていることを認めて、宇宙への畏怖のなかで呼吸してきた言語の故郷が、自分にとっては松江で、行かないで終わってしまったのは、返す返すも残念な気がする。

多分、生活との接点をまったく持っていない言語であるせいで、日本語は自分にとっては、英語とは異なる情緒と感情とに入浴して変わった体験をするような、VR的な経験の時間をもたらす言語になっている。
日本語のスイッチがうまく入って、日本語というヘッドセットのなかに仮想的な現実世界が広がりはじめると、しめたもので、一度しかない一生を二度生きているような、不思議な時間にひたりはじめる。

日本語の世界には、自他の境界が明瞭でなくて、ぼんやりして、物事の基準すらゆらめいていて、意識が明瞭であるのに容易に混濁するような、不思議な特性がある。
ぼく、おれ、わし、私、余、と一人称がたくさん存在して、それによって文章で言いあらわしうる事柄の範囲と視点が限定されるという言語としては決定的に重大な特質も、そこから来ている。
言語であるのに現実だけをありのままに述べる、ということが出来なくて、社会のなかでの、その現実や、その現実に対する自分の感情的な反応が自動的に入り込んでしまう。

現代日本語の語彙の寿命の短さを手がかりに考えてみればすぐに判る理由で、20世紀までの静的な世界の処理には向いているところがあっても、現代の動的な世界にはまったく適応できない言語で、日本の社会の現在のスランプも多くはそこから来ているが、いわば趣味で身につける人間にとっては、言語全体が動的な時代に適応できなくなった死語の体系であることが返って魅力になっている。

日本語を身につけて、日本語で考えることが出来ることによって、ブログやSNSを道具につかって、タイムマシンみたいというか、どこでもドアなんじゃない?と述べるべきか、現実ではない世界に数時間という長さに至るまで、しかも、なじみはあるが自分とは異なる人格として滞在できるわけで、日本語は役にたたない、
と職業や金銭得失の面から述べたが、そういう人間の一生のアホな面をのぞけば、
西洋語の体系とはまったく異なる日本語くらい自分の一生を助けているものはないと感じる。

四時ゼロゼロ分きっかり。4秒前、3秒前、
ち、ち、ぶ、と開く秩父宮ラグビー場の門
というような、英語では表現できるわけがない日本語が点滅する日本頭に灯をともして、回文やダジャレで遊んで、日本語に分け入ると、あっというまに淫して、何時間も過ごしてしまう。

日本語は、なんだか魔法のようで、召喚された魔神のような生き物を、見上げるような気持ちになることがあるのです。

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4 Responses to 日本語の娯しみ2

  1. DoorsSaidHello says:

    私にとって「日本語」とは書き言葉としてのそれであって話し言葉ではない。

    私は小さい頃あまり話さない子どもだったのだが早くから字が読めた。3歳まで住んでいた長屋の二階の窓から夕暮れの空を見ながら「ブレーメンの音楽隊」の絵本を読んでいたのを覚えているから、少なくとも三歳では読書は私の重要な趣味だった。同じ家の一階でTVニュースのテロップに使われたカタカナの「ヲ」という字を「あれは何だ、始めて見る字だ」と思ったのを鮮烈に覚えているので、読めたのはひらがなとカタカナだけだったのが分かる。隣にはやさしい幼馴染みが住んでいて、年上のその子は習ったばかりのひらがなを学校ごっこで私に教えてくれて、簡単な手紙をおりがみに書いてやり取りして遊んだ。

    だから私の日本語はどこまでも書き言葉で、書き言葉というのは降る雪がしんしんと積もってくようなもので、誰のためでもなく何を伝えるのでもなく、ただそこにあるのだ。思索そのものだ。思索というのは過去に対する感想のようなもので、生きてきた時間に対して漏れる溜め息のようだ。密やかに音もなく漏れて消えていくものの集積。

    日本語は、記録のためでもなく伝達のためでもない言葉として発達した。日記や手紙や和歌や俳句だ。日本の手紙は「わたしの現状」をしたためるものであって、人を操るためのものではない。ひそやかに「私はここにいます。あなたは?」と問う山奥のこだまに似ているように思う。手紙はあなたとわたしの間にだけあるもので、ひそやかな溜め息をときどき交わすためにある。遠くにかすかに見える姿に手を振るような。

    私の書き言葉は歌をうたっているんだよ。私の意識の少し下にある何かが低い声でゆっくりした律動でうたう、私にしか聞こえないうた。それは時に高まって私を圧倒するんだ。だから私はうたわねばならない、ピアノを弾くみたいに指がキーボードを叩くんだ、これは私の音楽なんだ。

    私はきみの書く日本語が好きだ。それは日本語だからではなくて、きみ自身だから。
    ハーンとセツに静かに降り積もるまぼろしの雪によせて。

  2. Bravo! to both of you, DoorsSaidHello and Gameover. と、なぜか英語で書きたくなった。

  3. snowpomander says:

    表意文字と表音文字、目から得るものと耳から得るもの。日本の言葉は見て解る絵やシンボルのような表意文字と仮名でかける音の表音と二系統が混在したなかから文の意味を読む知る、これは文字を知り始める子供に取っては難事業だった記憶が私にはある。幼少の頃に私が「アルファベットの数は少ないから英語はいいね」と親に言うと彼らから妙に不可解な笑みを含んだ無言が返された一瞬があった。書くときは平仮名、カタカナと漢字を操り文章にする。思いを話するときは音だけで意味が取れるようにする。脳内には単語ではなく事象が渦巻いていてそれを単語やら送り仮名やらでまとめて発信できるように設える。

    思いには主語がある。それが言語化の最中に主語を省く設定のプロセスを経るとどうなるか。「こうなのよ」だけが表立って行く。それが日本語の「己」抜き社会に現われている。

    “I love you.”、”Je t’aime.”のように相互の事象が展開する言語と日本語の静物画のような言語の違いは大きいと私は感ずる。それは「静止画像」と「動画」ほどの違いを生み出している。「ちなみに”still life picture” を訳した「静物画」はあるけれどそれに対する「動物画」は無いのだから当然かもしれない。絵画と彫刻に例えれば、これは二次元的に視線と思考を這わせる言葉世界と三次元の透視画像を俯瞰出来る思考の言葉世界との違いとも言いたい。

    言語別の人格についてこんな経験があります。重症の鬱で通院してた日本語人が英語なら鬱にならないのよと言っていました。私が出逢ったそうのような人たちは思春期くらいまで英語圏で育っています。本来の自己表現に自我抜き強制すると抑圧と同じ働きをするとその時に気がつきました。

    ふう、嘆息。こんな風に最小頻度で「私」と書き、あるいは「私」と書かずに「私」を潜める文章を意識的に書くと私にはかなりどっこいしょの作業になる。「私」抜き日本語で思考出来る英語人の逆を試みて、事程左様にガメ氏の日本語の楽しみの練達の程の超度が窺えるまする。

    私が再確認したこと、海外移住は脳内言語移住からしませう。

  4. 拝み釦 says:

    オトシブミ、マイマイカブリ、ナナフシ、ケシキスイ、カゲロウ、シデムシ、カメノテ、キタマクラ、カツオノエボシ、カジキ、リュウグウノツカイ、ヒバカリ、ムササビ…。
    生物のネーミングについては、悪くないですね。

    輝安鉱、灰鉄柘榴石、天河石、車骨鉱…無生物は、どうでしょうね。なかなか好ましいです。
    inca roseが菱マンガン鉱、autuniteが燐灰ウラン石になってしまうのは、イマイチかも知れません。
    obsidianが黒曜石なのは、五分五分でしょうか。

    狂骨、鎌鼬、髪切、七人ミサキ、目目連、毛羽毛現、鵺…架空の物の怪たちの名前、良いですね。

    名付けに力が宿っていたのは、良かったところ。命を与える力がありました。
    何でもカタカナで記述するようになったのは、ダメですね。言葉が体を成していません。
    サスティナビリティ、インフォームド・コンセント、マンスプレイニング、ホモソーシャル…このような言葉、全てカタカナで記述される限り内実を持たない余所の、借り物の概念として受容されているに過ぎないのでしょう。
    文字通りの「インスタレーション」。様々な概念に追いつけなくなっているのですね。

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