ドナルド・トランプの世界

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ニューヨークに住んでいて、いかにもパチモンなマンハッタンのハイソサイエティと交流がある人ならば、ドナルド・トランプの名前を聞いて思い浮かべる断片がたくさんあるだろう。
もっとも、そういうパーティのなかでもドナルド・トランプが姿をみせるパーティは、なぜか白い人ばかりのパーティで、おおきなコミュニティのパーティ、例えばプラザホテルのロシアンコミュニティのそれですら、記憶をたどっても、ひとりのアフリカンアメリカン、アジア系人の姿も、記憶のベールの向こうにある会場に見つけることはできない。

入り口を入ると、右側に小さな小さな老女たちが立っていて、強制的に握手をすることが求められる。
このひとたちは誰であるかというとロマノフの最後の王女たちということになっていて、なっていて、と言った途端に「そんなことが現実なわけはない!」と怒り出すひとの顔が目に見えるようだが、アメリカの「ハイソサエティ」のリアリティの感覚は、そういうもので、日本で言えば万世一系皇統伝説のようなもので、皆が本当でないと知っているが真実なのではあって、人間の都合は、神様では理解できないほど複雑である、ということなのでもある。

ともあれ、ふたりの上品に見えなくもない王女たちと握手して、ひざまづいて手の甲にキスじゃなくてもいいのか、簡便であるなとおもいながらホールをちょっと進むと、悪趣味がトウモロコシの毛を頭から生やしているような趣のおっちゃんが立っていて、あれ、誰?と聞くと、ああ、あれがドナルド・トランプですよ、ほら、トランプタワーの、破産が趣味の男、とフランス人のおばちゃんが述べて、くっくっと可笑しそうに笑っている。

テーブルにつくと、身なりのいいフランス人のカップルとロシア人のカップルと、若い、聡明な瞳をしたロシア人の若い女の人が同席で、なかなか楽しいテーブルだった。
「あなたはニューヨークに住んでいるの?」と聞くので、いや、ぼくはまだ大学生で、大西洋を越えてやってきたんです。
両親の名代というか、偵察隊というか、と述べると、若いわしよりも遙かに賢そうな女の人は、目を輝かせて、
「わたしと同じだわ!」という。
聞いてみると、毎週木曜日にニューヨークを経ってモスクワに帰って、日曜日の夜に戻ってくるスケジュールが続いているのだという。
十年以上前の話なので、わしがいくらのんびりでも、この人がロシアマフィアボスの娘であることは想像がついて、まあ、ゴッドファーザーみたいだわ、となんとなく浮き浮きしてしまう。
一瞬、どうしてマフィアボスの娘というのは美しい人が多いのだろう、と考える。

ダンスフロアに誘うと、思いの外、緊張していて、「わたし、あんまりダンスパーティに誘ってもらえないのと」と寂しそうに述べていた。
あまつさえ、ぶっくらこいたことには、心がこもった調子で「ほんとうに、ありがとう」と言う。
ダンスに手をとって誘って、相手の女の人に「お礼」を述べられたのは、前世のハプスブルク朝のワルツ夜会が最後ではなかろーか。

こちらも、たいそう美しい人である50代くらいの女の人は、やはり話が面白い愉快な人で、旅行の話をしていたら、わたしは若いときにはベトナムにいたことがあるの、という。
それは良いが、中東にいたことがあって、アフガニスタンにいたこともあるので、だんだん聞いていて、いつもの悪い癖が出て、ふざけて、「まるでKGBのスパイみたいですね」と茶化すと、
隣に座っていたロシア版杉良太郎みたいなおっちゃんが「ああ、この人はKGBの幹部だったんですよ」というので、椅子からずるこけそうになってしまった。

それがいまはしがない国連職員なのだから、嫌になる、と呟いているおばちゃんに聞いてみると、ソ連崩壊のあと、アメリカにやってきたそうで、モスクワ大学を首席で卒業したというので、あんまりオベンキョーの話はしないほうが身のためである、とふだんはのんびりの頭で素早く計算したりしていた。

演壇にはいつのまにか、ドナルド・トランプが立っていて、大統領みたいというか、ハリウッドの大根役者が演じそうなチャラい大統領みたいなことを述べている。
あとで、おやじパリス・ヒルトンと命名することにしたが、パリス・ヒルトンとそっくりな性格で、自分のことしか興味がなくて、
パリス・ヒルトンが、あるときストレッチリムジンを降りて、途端に
「あら、あたしの3万ドルの指輪が、いま側溝に落ちてしまった!!」と叫んで、大騒ぎになって、みなで慰めて、たいへんなパーティの始まりになってしまったのは有名だが、そのときの指輪が実は40ドルのものだったことが使用人の証言でばれて、トランプという人も似たようなことをする人だった。
注目を集めるためなら、なんでもする種族は、おなじ種類のパーティに集まってくるが、このふたりが姿をあらわすパーティは重なりはしないが、おなじ匂いがある。

多文化社会の興味から言えば、トランプという人をひと言でいえば
「黒人テナントを拒否してthe Justice Departmentから訴追された不動産会社の持ち主」で、実際、この人の人種観は奇妙なくらい北欧系ロシア人たちに似ていて、自明であると言いたげな白人優越主義で、アジア系人やアフリカ系人は、差別しているというよりも人間として眼中になくて、まったく興味をもっていない。
ジョージ・W・ブッシュの母親であるバーバラ・ブッシュに代表される南部エスタブリッシュメントとも、異なって、decencyになどはかけらも興味をもっておらず、まっしろな花嫁をもらって、幸福に新婚時代を過ごして、ある日、子供が出来てみたら、アフリカ系人の特徴をもっていたということを最大の悪夢と考えるような人たちで、日本語人が、日本語の世界とは感性的に最も遠い、彼らがどういう世界に住んでいるかを理解するためには、ウイリアム・フォークナーの物語群、取り分け「アブサロム、アブサロム!」を読むのがいちばん良いような気がする。

ヘンリー・サトペンにとっては近親相姦よりも、遠い祖先に一滴でもアフリカ系人の血が混ざっていることのほうが遙かに罪深いことであって、サトペン家の最期の生き残りは重度知的障害者の「黒人の血で濁った」ジムだけになる宿命にある。

トランプがバラク・オバマの出生証明がニセモノであると決めつけたことは、だから、発想そのものが自分達を「正統なアメリカ人」と考える支持者たちの好尚に訴えていた。

気休めにもならないというか、ドナルド・トランプが選挙戦術として、数々の呆気にとられるような、他人種への侮辱的な発言を繰り返したのだと主張する人々がたくさん現れているが、本人と話したことがあったり、日頃の言動を知っている人にとっては、一連の発言こそがトランプの本質で、ミシシッピあたりの田舎に行けば、たっぷり堪能できる、その背景になっている白人至上主義文化を日本語で日本にいて理解したければ、繰り返すと、ひと夏フォークナーを読み耽るのがよいと思われる。

共和党では、すでに内部対立が深刻になりはじめて、もとから顕在化している伝統的な共和党勢力と新興のティーパーティ由来の共和党勢力との対立に加えて、ティーパーティ派内部での対立が外部に漏れ聞こえてくるようになってきた。
面白いのは、マイク・ペンスが、大統領になる野望を持ち始めたらしいことで、
ニューヨークのロシア・フランス系コミュニティと極めて近いドナルド・トランプと異なって、ペンスは有名なロシア人嫌いで、トランプとは、そういうことを軸に感情的対立が始まっているようでもある。

マケインとペンスも意外や情緒的に比較的に近くて、トランプは取りあえずは共和党保守派の顔色をうかがって温和しくせざるをえないだろうが、なにしろ飽きっぽい人で、大統領の椅子を獲るまでは夢中になって暮らせても、いざ椅子に座ってしまうと、めんどくさくなるのではなかろーか。

なににしろ、アフリカ系中東系、アジア系で言えば、なぜかそれほど嫌でないらしいインド系をやや別にすれば、中国系韓国系日系のアメリカ人にとっては、地獄の門が開いたに等しくて、ツイッタやなんかで何度か述べた、フレンズあたりから始まって、Pan Amが企画され、Mad Menがバカ受けして、Downton Abbeyまでがアメリカで人気出るに及んで、世の中の「空気の変化」を察知した英国俳優組合やアメリカのアフリカ系俳優たち、プロデューサーたちまでが「ドラマ・映画のホワイト化」に対して強い警告を述べたのが、ついにフォークナー的なアメリカ社会の呪いを呼びさましてしまった。

4年間は最低でも続くことが保証された悪夢が、まだ正式には始まってもいないことを考えると、なんだか気が遠くなるような気がしてきます。

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One Response to ドナルド・トランプの世界

  1. snowpomander says:

    確かにトランプ氏は政に興味も矜持も有りそうに無い。そう、それに大統領の職に飽きるだろうは予想に難くない。ディープ・サウスだけではない、KKKにしろ、ふつーの市民にでも「奇妙な果実」を好む人々がしっかり北米大陸に繁殖している。ネイティブから強奪や詐欺まがいの買い取りをした土地にヨーロッパから怒濤のごとく移住して来た末裔が何を宣うやら。ご先祖の一旗揚げよう移民を棚上げにした白い御自分様達の慢心があからさまになった。多様性の恩恵も人種のパッチワークとともに綻びつつある。これは歴史に特筆すべき大統領選だろう。

    家族経営のように一家眷族でU.S.A.をおもちゃにする金満家、それは笑えるがかなりの悲報である。

    この混乱を助長した原因は他にもありそうだ。しっかり市場で儲けている人々がいるからだ。だが彼らはやがてこのトウモロコシ頭を取引から抹殺し、温和な人々が毒の小麦を大地から引き抜くときが来るだろうと思う。それを私はかなり想定して日本から心待ちに見ている。

    日本のことは想定無き適当さの現実なのでトランプと花札は比べられない。

    映画界のキャスティングが白い、それについて私は一言ある。”Downton Abbey”に関しては人間ドラマの筋書きとは別に英国の封建農園主や領主貴族達の世界がヨーロッパの戦争と大戦を経て近代社会の経済体系に変容を強いられた時代背景が有る。アイルランド人とイングランド人の軋轢もある。ロシアの亡命貴族もいる。ジャズ楽団にアフリカンアメリカンが登場する。どんなシーンでも不用意に人種偏見や差別を意識したキャスティングはしていない。英国はアフリカ大陸から攫って来た人々を新大陸に奴隷として売ったが、自国内には表立って奴隷の活用部分(失礼お許し下されませ)をみせなかった。
    アップステアの人はそれらしく、ダウンステアの人もそれらしく、館の主達にも使用人達の中にも差別や帰属意識の嫌がらせが有る。それ事実を歪めない映画だから私は物語を楽しむと同時に米国のルーツの旧世界を知ることができる。

    どんな色の奇妙な果実がぶら下がることもなくなる世界を見たい。私は切に願っている。

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