サバイバル講座2

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ふもとまで、足下に見渡す限りタシックが広がっていたのでヴィクトリアパークだったのではないだろうか。
冬で、12歳だったぼくは、遠くに暗い灰色に鈍く光っている海を見ながら、
ぼくはひとりで歩いていかなくてはいけないのだ、と頭がおかしくなってしまったひとのように思い詰めていた。
いつでも暖かい家庭と、振り返っていま考えると現実であるにしてはラッキーすぎるような代々積み重なったおおきな冨と、だいなかよしの動物たちに囲まれて、そんなことを考えるのは風変わりで愚かな子供だった証拠だが、その頃は、もしかすると「幸福」というイメージがまだ好きになれなかったのかもしれません。

子供の頃、スコット探検隊やシャックルトンの南極での冒険の物語を大好きだったぼくは、「厳しさ」や、取り分け極北という言葉があらわしているような魂の酷寒のなかに自分をおくことに、子供らしい気持ちで憧れをもっていたのでもあるのでしょう。

きみがワーキングホリデービザを頼りにしてクライストチャーチの空港に友達と3人で降り立ったとすると、きみはもう半分ゲームに負けている。
語学校で気の合う日本人仲間達と毎週のランチを韓国レストランで楽しみだしたとすれば、今回の自分を救う試みは8割方ダメだったということだとおもいます。

ガメは、へんなことを言うなあ、と思うかも知れないが、特に留学や移住に限ったことではなくて、気持ちの上で、ひとりでいない人間は、安全から遠く離れたところに立っている。

日本語世界では特に、例えば大きな地震があって、ひとびとが避難するときに、たくさんの人がめざす人の流れに身を任せて、逃げていく人もいるかもしれないけど、それはとても危険なことで、せめて、周りの人間に「なぜこの人達はこの方向に向かっているのか」を聞かなければいけない。

少なくとも、自分の頭のなかで懸命に考えて、津波ならば少しでも高いところを目指して必死に走り、空襲ならば地下の深い所にあるチューブ構造の地下鉄をめざして逃げるというふうに、自分の理性が単独で納得できるところに逃げるのでなければ安全とは到底いえないとおもう。
人間の一生のサバイバルも、とても似ている。

人間はひとりでいて自分の頭で考えるのでなければ安全ではない。
他人の判断に従うのは楽ちんだけど、それはとても自分の一生にとっては危険なことだ、というのは、あんまり観察にすぐれていなくても、親のいうことをたいした考えもなしに聞いてしまって、医師になって、大学教師になって、50歳に近付いたインチキな自分を発見して茫然としている人の数の多さを考えてみれば、すぐに判る。

医師なり公務員なりの「安定した職業」につくよりも、自分の内側に住んでいる、例のきみの最大の親友である自分自身の、よくは聴き取れない声に耳をすまして、自分自身という最大の友達が喜んでくれそうな方角に歩いて行くのが最も「安全」なのは、図書館に足を向けて自伝というような本を開いてみれば、そこここに記されている。

なんども挙げた例をここでもあげれば、コリンウイルソンという作家が作家になったのは、それが「自分にとっては最も確実に生き延びる道だったからに過ぎない」と、この人は折りに触れて述べている。

前にコリンウイルソンについて書いたときに、好奇心を起こして日本語ウィキペディアを読んだら、「経済的事情から16歳でやむなく学校を去り」と書いてあって、びっくりしてしまったが、この「アウトサイダー」と「殺人百科」の著者が、自分にとっては学校は危険な場所で、なるべく早く、皿洗いでもなんでもしながら著作家になるのでなければ、社会という石臼に挽き殺されてしまうだろうと考えたのは11歳のときで、例えば同じウィキペディアでも英語のほうには

By the age of 14 he had compiled a multi-volume work of essays covering many aspects of science entitled A Manual of General Science.

と書かれている。

人間にとっては、自分でない自分の方角へ歩き出してしまうのが最も危険なことで、たいていの場合、小さいときから、折りにふれて「自分は医者になりたかったがダメだった」と残念そうにつぶやく父親や、この子が大学の先生になったら、どんなに素晴らしいでしょう、と夫に言って楽しげにしている母親こそが、きみ自身の最大の敵であるという事態は、おもいのほか、ありふれた事態で、一生で初めて出会う自分の一生を根底から台無しにする罠は、意識的無意識的に両親が仕掛けたものであることは、どうだろう、ほんとうは圧倒的に多数なのではないだろうか。

自分が何になりたいかを考えるのは、普通の人間には、まず無理で、自分の心のなかにある磁針が自分のやりたいことのほうを向くように自分の心を開いてリラックスした状態にして、少しでも夢中になれることのほうに自分の足を向けていくのがよさそうです。

ひとりで空港に立って、ほとんど言葉も判らないまま空港から町へ向かうシャトルを探して歩くきみは、なんだか泣きそうな顔をしている。
義理叔父は、80年代の初め頃には、安売りの「訪問チケット」には、よくそういうことがあった、いいかげんなチケット屋にだまされて買わされたシアトルでの入国審査と乗り換えの時間が15分しかないチケットで乗り換え便が出てしまって、見かねた見ず知らずの香港人がデスクを叩いて交渉して手に入れてくれた代替便のシアトルからデンバー、デンバーからシカゴ、シカゴからニューヨークと飛行機を乗り継いでニューヨークに着いてみたら、夜中の1時になっていた。
しかももともとはラガーディアにつくはずが、ニューアークに着いて、ニューアーク・リバティはニューヨーク州ですらないニュージャージー州の空港なので、途方にくれて、現金もないのに、とにかくそれしか方法がなかったのでタクシー乗り場にオカネも持たずに並んでいたら、自分が立っている、すぐそばの駐車場で、銃声がして、翌朝わかったことは、ひとりの女の人が撃たれて死んだ現場に立っていた。

おれは呪われているんじゃないかとおもったよ、というので笑ってしまった。
やっぱり西洋とは相性が悪いんじゃないかと考えた。

面白かったことがひとつあってね、パンパンパーン、と拳銃の音がしたら、立っているのは俺だけで、周りのアメリカ人たちは見事に地面に伏していて、半分くらいのひとは教本どおり銃声に足を向けて自分の身体を倒している。
おれ、多分、この国で生きていくのは無理だな、としみじみ考えた。

やけくそで、一文なしのままスラムの一角にあるSさんのアパートがあるビルに夜更けに着いたら
全然安全じゃない通りにSさんが立っていて、渋谷のハチ公の前で待ちあわせていた気楽なひとのように、やあ、と言って手を挙げるの、おれはもう涙がでて、その場で泣き崩れそうだったよ。

そういうのって、赤ゲットっていうんじゃないの?
うるさい。ガメ、それに、それ死語だぞ。
と話しながら考えていたのは、なるほど日本語人が英語世界へ初めてやってきて、新しい生活を始めるというのは冒険なんだな、という発見でした。

そんなの当たり前じゃない、という人がいそうだが、そうでもなくて、
いま考えてみると、なにくわぬ顔をして両親が計画的教育をしていただけだが、
あっというまに着いてしまうパリやミラノ、親の夏の家があるコモ湖やジュネーブはもちろん、お伴をしなさいと命ぜられては、その頃はもちろんヒルトングループの手におちて、どうにもならないほど落ちぶれてしまう前の、かーちゃんのマンハッタン短期滞在の定宿だったウォルドフアストリアの、いつもおなじタワーのスイートで、しかも子供の頃のぼくから見ると、アメリカ人の、なんだかヘンテコリンな発音だったが、英語は一応英語で、なんでコットンバッドが「Qチップ」なんだ?と無限に疑問が生じる会話だったが、それでも自分が見知った英語人とはまるで種類が違う英語人たちが右往左往していて、むかしは肩章のある白い制服だったいかにもブルックリン子のボーイさんたちと、話して、笑い転げたりしていた。

実感として、どこかへ、えいやっと跳ぶわけではなくて、生活範囲がおおきくなるにつれてじわじわと広がってゆく感じで、特に英語を話す町でなくても、その感じのおおもとは変わらなくて、まるで空飛ぶ咸臨丸でアメリカを訪問したような義理叔父の感想とは、まるで異なる。

きみが友達とつれだって他の国を訪問してみようとおもうのは判らなくはないけど、グループで、と決めた瞬間、きみのせっかくの旅の決心は、もうそこで半分死んでしまっている。

留学や旅行を例にとって話したけれども、もちろん国内で一生を送るのでもおなじことで、自分が他人とグループをなしているときには、耳をそばだてて自分自身の心に聞いてみると、たいてい警鐘を鳴らしている。
ひとりでいなくていいの?
ひとりで世界と向き合うのでなければ、世界の一部ごとちぎれて、世界のまあるいシャボン玉のなかで、お友達が吐く楽ちんな意見の息を一緒になって呼吸しているだけじゃない、と足を踏みならすようにして、きみに伝えようとしている。それに、

ひとりでないと仲間がつくれないでしょう?
友達でいえば、友達は、まったく異なる独立した魂の持ち主が出会って、岩田宏が美しい詩のなかで述べているように、きみと会うのは初めてだけど、きみと会えなかったらいったいどうしようかと そればかり考えていたよ、とお互いを抱きしめたくなるほど、急速な化学反応のように、この人は、どっかへ行っちゃっていたわたしなんだ、と感じるから友達なので、友達というものはもちろん友達を作りたいとおもって積極的に作ったりできるものであるわけがない。

まして「大好きな人」は、会ったその日から、ふたりで同時に発狂してしまった人のようになって、明日は試験だというのに夜の6時から朝の4時まで、4時やまもとになって声が枯れるほど夢中になって話しあって、世界など眼中になくなって、
あんないけないことや、こんなひとに言えないことまで許しあって、気が付くと、離ればなれに暮らすなんて考えられなくなっている。

でも一緒に発狂して空が二倍の大きさになって、世界が突然素晴らしい色彩に輝き始めるのは、きみと「大好きな人」が、まるで異なる人間同士だからで、ひとりとひとりで完結している人間同士でなければ、融合は起きるはずがない。

なんだか今日は教会の十字架の前で、よだれかけみたいな白い服を着て、神様が書き損なって失敗した黒表紙の脚本を手に持ったおっちゃんのスタンダップコメディみたいになってしまったけど、
この世界を生き延びたければ、きみはどうしてもひとりでいなくてはならないんだとおもう。

仲間なんていらないでしょう?
友達は、例えば大学の食堂で、昼食を食べているんだか言葉の剣を抜いて決闘しているんだかわかんないような毎日を送っていたぼくですら、友達なんかいらん、とおもっていても、ひとりまたひとりと増えて、いつのまにか、久しぶりに顔をあわせると、相手の、なつかしくて涙をじっとこらえる顔をおもしろがるほど、向こうもきっとおなじことを観察してアホみてえと思っているだろうけど、離れがたくなって、もうこいつの考えることなんて、どうせこいつの考えることなんだから、正しくたって正しくなくたって、どうでもいいや、いまのアンポンタンのままでいいから、ずっと長く生きてくれ、と思うようになる。

繰り返していうと、友達はきみがきみで居続けた結果として「出来てしまう」もので、お友達になりたい、というのはだから論理にも情緒にも反していて、ほんとうの言明ではありえない。

サバイバル講座、を書き出した後悔は、ぼくは、あんまりこういうことを話すのが得意じゃないんだよ。
なんだか話しているうちに、すっかり飽きてしまった。
だから約束はできないけど、もし書く気が残っていれば、今度は学問や職業の選択のやりかたについて話しに戻ってきます。
ツイッタやなんかで付き合いがある人は知っているわけだけど、ぼくは具体的な話以外には、たいした価値を認めない。
誰かが言っていることは上の空でしか聞いていなくて、やっていることしか見ていない。

「このひとは人間は問題だが良いことは言っている」というようなことを述べているひとを見かけると、述べている本人が言葉が人格と切り離せるものだと妄想しているのがわかって、それは取りも直さず本人が人間というよりは人間のパチモンみたいなヘンな生き物なのを告白していて、興ざめというか、バカバカしくて何事かを述べる気が削がれてしまう。

自分に課した育児期間が終わったいまは、何をするにも時間が惜しくて仕方がない。
他人に「こうするのがいいんちゃう?」と述べる時間はムダな時間のなかでも気が遠くなるようなムダで、向いてもいないし、多分、おなじ話題に戻ってくることはないだろうけど、万が一もどってきて書こうと思うようなことは、過去の記事に繰り返し書いてあります。
いま思い出すだけでも、政治的な人間になるな、徒党を組むな、防御的な姿勢をとるな、YESかNOか迷ったらNOと言え、邪な人間に憎まれない人間は要するに本人が邪悪なのさ… と、まあ、チョーうるさいことで、親切な人間の傍迷惑さというものを思い起こさせる。

到着した空港で、呆気にとられた顔の友達たちを尻目に、「じゃあ、ぼくはここからひとりでホストの家に向かうから、日本に帰る前の週くらいになったら、また会おうね」と述べて、すたすたと歩きさってゆくきみは、まるでぼくの若い妹か弟のようです。

がんばらなくていいから、自分自身を欺かないで、なんとか自分自身に親切にして生きていこうと固く決心したきみが、パブで働いて、ある日ふと店のなかを見渡してみると、椅子席はガラ空きに空いているのに、立ちテーブルを選んで、奇妙に背が高い、にやけた顔のにーちゃんが半パイントのラガーを持って立っていて、その傍には、なんだか現実でないような、目が覚めるように美しい女の人が微笑んでいる。
きみは、きっとにやけたにーちゃんの背中の赤いゴジラを見て、クスクス笑いだすに違いない。

ゴジラTシャツって、聞いたときのイメージとはちがって、なんだか、炎を吐いてすごんでいるわりに可愛いゴジラだったんだな。
どんな人だろうと、ときどき考えた、あの人は、やっぱりヘンな人だったんだ、と納得する。

ほら、会えたでしょう?
きみの友達に。

ぼくだって、ずっと待っていたんだよ。

でわ

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ver.6 https://leftlane.xyz もあるよ
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8 Responses to サバイバル講座2

  1. キラキラ大島 says:

     昨年の秋に32年間仲良くしていた友人が亡くなって。心の病を患った彼は僕以外の他の友人たちとの連絡を一切絶ち、家族と僕とだけずっとやり取りを続け、気がついたら9ヶ月の間にメッセンジャーで3400回ものやり取りをしてて。その他に電話やメールやなんやかや。その9ヶ月はそれ以前の31年間の交流よりも濃い時間で、だから何も起こらなかった場合に今後30年くらい仲良くしていた分くらいの密な友情がそこにはあったのかなあとか、ちょっと思います。

     でも、「正しくたって正しくなくたって、どうでもいいや、いまのアンポンタンのままでいいから、ずっと長く生きてくれ、と思うようになる。」というのは本当のことで、どんなに問題を抱えていようが、死んじゃあオシマイだよと。見送った側はそう思うのですが、自ら往っちゃった側にはそうする理由もきっとあったのでしょう。アンポンタンはそういうところの判断が良くない。どうでもいいけど、アンポンタンのところだけは出来ることなら治せていればよかったのになとか、自分勝手に思います。

     そいつが昔LAで仕事をしてて、雇ったデザイナーがどいつもこいつも口ばっかで使えなくて、困ったそいつは突然国際電話をかけてきて、「急な仕事があるから、明日LAに来てくれないか」と無茶を言ってきたことがあります。しょうがないから行きましたよ。航空券を買ってLAXに到着して電話すると「悪いけどレンタカー借りてウィルシャーのオフィスに自力で来てね」と言われ、心底呆れました。Googleマップも無い時代に。行きましたけどね。そしてそいつ、外出しててオフィスにいなかったんですけどね。

     アンポンタンは死んでも治らないでしょうから、来世でもきっとアンポンタンなそいつと出会えるのではないかと、怖れながら楽しみにしているところです。だってそんな友人は他にいませんでしたから。

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  2. うさぎ男 says:

    「人間にとっては、自分でない自分の方角へ歩き出してしまうのが最も危険なことで」
    僕は偶然ココロを病んでしまったことで⬆の鉄則を守れてちょっぴりアウトサイドなところを歩んで”自己””自分”を守りきれている者です。(イマノトコロハ)
    最近は癖のためか”正しさ””安寧””功利”といった誘惑に駆られて皆々の向かう方へとせっかくレールから弾きだされたのに歩みかけていたんですがやっぱり行くトコは貫いていたほうがいいのだろうかか(←このとおりすぐべき思考にながされしまう)日本というような難敵をそばにした場合でも、、、
    「このひとは人間は問題だが良いことは言っている」というようなことを述べているひとを見かけると、述べている本人が言葉が人格と切り離せるものだと妄想しているのがわかって、それは取りも直さず本人が人間というよりは人間のパチモンみたいなヘンな生き物なのを告白していて、
    ⬆こういう慧眼には毎度ドキッとさせられたり
    「仲間なんていらないでしょう」「友達なんかいらん、とおもっていても、ひとりまたひとりと増えて」や「繰り返していうと、友達はきみがきみで居続けた結果として「出来てしまう」もので」
    ⬆のような文にはこんな世界と和解できたことからくるような深い世界への信頼を感じました
    最後あたりの
    「ほら、会えたでしょう?きみの友達に。」
    とかについては自分が該当するかは知らんけどとにかくこのガメさんのぬくもりにあふれたfrendshipに隣会えただけでもさっきのくだらないの惑いを超越してこの自分の人生はこれで割と十分ラッキーといえるはずと思う、それだけ

    よくわからない構成になったけど以上が感想です Thank you so much so far

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  3. さく says:

    はじめてコメントします。
    ガメさんのブログを、「日本人は、シミの無いものが好きなのだ」という記事をきっかけにして興味を持ち、時々、読んでいました。
    毎回、たしかに。と思うことが、たくさんたくさん書かれていて、「私が、つらいつらいと思ってたことって、違う場所に行けば、また変わることなのかも」と思いました。
    私は、全体主義が嫌いで、性差別にキーッとなりがちで、「日本語で話してはいけない話題って、いっぱいあるなあ。というより、大事なことこそ話してはいけない空気感がある。」ということを思い、留学することにしました。(行く大学も、決まりました。)

    ガメさんの文章を読んでいると、世界にはたくさんの場所があるんだから、好きなところに行こう、居よう。と、すんなりと思えるようになって、
    それは、私がずっと生まれて育った、日本で生きてきた中では、とても持ってはいけないように思っていた考えだったので、
    ガメさんの文章を読む機会に遭えて、そう思えるようになって、とってもとっても、よかった。と、思いました。
    ありがとうございました。

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  4. roki says:

    40歳を過ぎて、ガメさんがいうような一人になってあちこちに流れました。若くなかったせいだと思うけど、とても親しい友達はできなかった。付き合える年代のその外国に住む人達はきっちり自分の場所をもっていて、根無し草の私とは知り合い程度にしか付き合えなかった。もっと若くて毎晩エッチしても疲れないくらいだったら、とてもとても好きな人もできたかもしれなかったけど。
    新しい場所についたら、まずは30分はどこか静かに座っていられるところにいて、周りを見て、何がどうなってるのか分かったら動き出します。そうすると、言葉が分からなくても、人のすることなんてだいたい同じなので、美味しそうな物があるところや、悪そうな人がいるところが分かります。それは日本にいても同じで、ちょっと危ない裏通りや行ってはいけない場所や信じてはいけない人、においで分かるようになりました。
    その漂流の途中で、一人で旅している女性と何度か会いました。お互いに明日をも知れぬ、けどきっと大丈夫よあなたは(私は)、だってここでこうして生きているからね、と皆同じように自分自身と生きることを信じていた。それまで日本では、私は変わり者で一人きりで他の人とはなじめなかったのですが、世界にはこんなに私と同じ人がいるんだと分かって、安心しました。
    その直ぐ後で、病気を得てからは、保護してくれる場所からあまり離れられなくなりました。残念だよ、私がいる場所はここではないと分かっているのに。
    一人でというか、拾った猫と一緒に流れていた数年、私にとってはそれが本当の世界でした。まだ日本が戦争しない国でいてくれて、そのおかげで私個人の安全も守られていた頃のことです。
    私、ガメさんよりずっと年取っていてちょっと残念に思います。

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  5. suzukieiji says:

    自分が何になりたいかを考えるのは、普通の人間には、まず無理で、自分の心のなかにある磁針が自分のやりたいことのほうを向くように自分の心を開いてリラックスした状態にして、少しでも夢中になれることのほうに自分の足を向けていくのがよさそうです。

    ここ、うまい文章だな
    むかしおれが鈴木大拙を好きだと言ったらガメは「アレはダメだ」と言っていたのだが、
    君は君自身の文章で大拙と完璧なくらい同じことを言っている

    禅とはなんすかね?
    と問われて大拙さんが言ったことに
    「禅とは、人間性の根元にある創造性に徹して動作すること」
    だそうだ
    とくに「動作すること」という瞬発の応酬に感覚が こひーれんと してしまう
    ことが禅で
    禅がアートで、芸術が禅である所以なのだけど

    最後の一手で大拙の様な日本語の使い手はまだいない

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  6. vida768 says:

    流れに乗って生きてゆくと場合によっては死ぬこともあるので、自分の目でよく見るように。と、親に教わってしまった気もする。
    関東大震災と東京大空襲のサバイバー家系だからかとも思っている。
    一人である時間がないと生きるのは難しい。

    目が覚めるように美しい女の人の科白が「~だぜ」なので、ちょっと困っている。

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  7. Cosmos_a says:

    ありがとう、ガメさん。お初にお目にかかります。
    友人、というには憚られるけれど、あなたの陽だまりのような知性に触れて心のコートを脱ぎ、人前で流せない温かい涙を何度も流しました。

    何て懐かしい日本語だろう。
    日本語で話が通じなくなってから、片思いながら、友人と寛いだ会話をしている気持ちで読んでいます。

    ちょっとキンチョーしています。

    駄文失礼をば。

    御身大切になさってくださいませ。

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  8. hiro says:

    自分が今ある自分に慣れたのは、やはり日本を発ってからずっと日本にどんな形にしても関わることを拒否したからだと思う。Dick Moveも多数あり(日本人にたまたま遭遇した時、日本語話せないふり、日本人に会って興奮してる日本マニアに対し「ふーん」と興味なさげに流したり)。

    その間僕は、どこにも属さない、「人」だった。
    あの経験なしに、自分と世界との関係を見つめ感動や悲しみに涙することができただろうか。

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