若い友達への手紙4

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金曜日なので田舎へ遊びに行こう、と誘うと、
ガメのくるまは床の穴から道路が見えていて怖いから嫌だ、とわがままなことを言う。
いや、あのクルマはギアチェンジシフトのスティックがすっぽ抜ける癖がついて危なくなったので、新しいクルマに変えたから大丈夫、と言いかけて、今度のクルマは助手席側のドアが取れてなくなっていて、色違いではあるが新品同様のドアが手に入るのは来週で、いまはまだ「透明ドア」のままなことを思い出して、口をつぐみます。

ぼくは20歳だった。
ダッシュボードがあるだけ美品であるとおもうが、その女の人はオカネモチの娘なので、中古車のsubtleな美が理解できるともおもえない。

親にねだれば、いくらでもオカネを振り込んでくれて、明日からでもひとりで高級アパートに住めるのでは、ビンボもいんちきであると言わねばならないが、たとえば上に書いた元わしガールフレンドは黒の、ちょーカッコイイ、ベントレーのヴィンテージスポーツカーに乗っていたが、日本円で計算しなおせば一億円を軽く超えるああいうクルマに乗って、いいとしこいてもいないのに、夜毎、赤いカーペットとシャンデリアのある高い天井の下を歩いて過ごすような生活は正しくないように感じられていた。

「正しくない」はヘンだし、言葉としてカッコワルイが、その頃の自分の感情を表現するのには、いちばんしっくりくるような気がする。

ロンドンにいればイーストエンドの、隣のテーブルで中東人たちがファラージュやトランプが聞きつけたら大喜びしそうな談合にふけっているレバニーズカフェで、ファラフェルを食べていたり、マンハッタンならば、いまはもう閉まってしまった、ビレッジの英語なんか金輪際通じないラティノ人たちの定食屋に入り浸っていたりした。
きみは「定食屋に『入り浸る』って表現としておかしくない?」というかもしれないが、あの店にはバー、日本語でいうカウンターがあって、そこで赤豆がいいか黒豆がいいか悩んでいると、隣に腰掛けたおばちゃんが、「あんた絶対赤豆よ。黒豆なんて、ろくな人間の食べ物じゃないわよ」と話しかけてきて、それを聞きつけたおっちゃんが「なんちゅうことを言うんだ、ばーさん。ここの黒豆スープは世界一だぞ。」と述べにきて、「ばーさんて、なによ、この洟垂れ小僧」と言い返して、言葉だけ聞いているとすごいが、みなニコニコしていて、カウンターの向こうでは店主のおっちゃんがニヤニヤしながら見ている。
客は昼ご飯に来ているというのは口実で、話しかけやすそうな人間を見つけては、ダベって、午後のひとときを過ごしにくる。

ドレスダウン、という。
スピードダウンとは異なって、ちゃんとした、というか、ちゃんとした、は変か、普通に使う英語です。

冬空の下でも、Tシャツにジーンズで、お尻のポケットにはぐっちゃぐちゃなベーオウルフのペーパーバック版が突っ込まれていて、スケボーを抱えて雑踏のなかを歩いていた、20歳で、途方もなくバカタレな自分のことを思い出す。
なつかしい、という見苦しい要素が混入してきたのは、それだけ歳をとってきた、ということでしょう。

冬の低い空が好きで、鈍色の空の下で、通りを歩きながら、金融バブルでにぎわう街の、角角におかれた不幸の暗示であるかのような、ホームレスの人々や、よく見ると何日も着古した服の、顔まで少しよごれたティーンエイジャーの女の子たちをスポットして、「あそこに社会の実相へのドアが開いている」と若い人間らしい考えをもったりしていた。

その頃はまだ、日本語が子供のとき日本にいた頃の言語能力の続きみたいで、ちゃんと判っていなかったから、岩田宏の「神田神保町」を読んでも、意味が判るだけで、岩田宏というひとの、出口という出口を自分の日本的心性に満ちたすぐれた知性で塗り固めてしまったような、やりきれない閉塞と哀しみを理解してはいなかった。

自分のブログ記事を引用するのも変な人だが、めんどうなので(ごみん)
自分で書いた記事の引用を引用する横着をすると、

****************

「神保町の 交差点の北五百メートル
五十二段の階段を
二十五才の失業者が
思い出の重みにひかれて
ゆるゆる降りて行く
風はタバコの火の粉をとばし
いちどきにオーバーの襟を焼く
風や恋の思い出に目がくらみ
手をひろげて失業者はつぶやく
ここ 九段まで見えるこの石段で
魔法を待ちわび 魔法はこわれた
あのひとはこなごなにころげおち
街いっぱいに散らばったかけらを調べに
おれは降りて行く」

という出だしで「神田神保町」は始まるが、自分で記録したとおり、そのとおりの姿勢で
岩田宏は
「街いっぱいに散らばったかけらを調べに」
出ていった。
60年代の政治の季節のなかに。
巨大な鉄鋼の歯車に挟まれるようにして、たくさんの若い女や男が血を流している街のなかに。

「とんびも知らない雲だらけの空から
ボーナスみたいにすくない陽の光が
ぼろぼろこぼれてふりかかる」

「神保町の
交差点のたそがれに
頸までおぼれて
二十五才の若い失業者の
目がおもむろに見えなくなる
やさしい人はおしなべてうつむき
信じる人は魔法使いのさびしい目つき」

「おれはこの街をこわしたいと思い
こわれたのはあのひとの心だった
あのひとのからだを抱きしめて
この街を抱きしめたつもりだった」

さっき、この詩を思い出していたのは、チョー散文的な理由で、日本の人のひとりひとりの実質的な収入が1960年代に戻ってしまったようだ、と日銀の統計ページを見ていて、思ったからなんだよ。

国はまだ先進国なのかもしれないが、日本人に生まれたきみのふところは、どう考えて、どんな角度からみても、ビンボ国の若者の財布の薄さになってしまった。

この頃は、英語世界にも、先行世代が築いた富をただただ取り崩して借金を積み上げてゆくだけの、いまの日本の信じがたいほどのダメっぷりは、年長世代の、主に男達の「考え方」に起因していて、労働の実質よりも労働時間の長さを尊び、現実を直視せず、他人の言うことに耳を傾けるどころか、ちょっとでも自分達の社会を変える善意志を持たないなまけぶりがバレそうな方向の言葉を耳にすると狂人の集団のように群がって中傷誹謗を繰り返して相手が沈没するまで攻撃する、というような内情がばれて、さっきも日本の男達の時代遅れなダメッぷりについて書いた英語新聞記事を紹介したツイートをした人がいて、読んで見て、まあ、繰り返しというか、日本の当の男達だけが呪文ような決まり文句を唱えて認めないだけで、誇張でなくて世界中の人が繰り返し述べていることがまた書かれているだけだったが、読んでるほうは、もう飽きたというか、いくら言ってもムダでっせ、な気持ちしか起こらなくなっている。
なにしろ日本語世界では、トロルでしかないおっさんたちがマジョリティで、たいていは外国で生活しているらしい、まともなことを述べる人々は絶対少数派なのは、どんな人が見ても明らかです。

では日本に残る選択肢はないかというかというと、選択肢としてはバカまるだしで救いがないほど愚かだが、このあいだもきみに述べたように、仮に自分が日本に生まれた日本人だとして、想像力を逞しくしてみると、どうも日本にいることを選ぶような気がする。

数寄屋橋公園ですら、茂みにシンチレーターをかざすと、ぎょっとするような数値だという。
軽井沢は、どうやら東と南の、いつもの霧の進入路とおなじ経路で放射能雲が進入したとかで、ぼくがよく散歩した森がある追分などは、ホットスポットと呼んでいいくらいであるらしい。
「それなのに、近所のフランス料理屋はきのこ祭りといって、地元のきのこをふんだんに使った料理を出してるんだよ」と軽井沢の友達から憂鬱げなeメールが届いたのは、去年の9月だったろうか。

自分の現実世界での履歴から考えて、日本のサラリーマンとーちゃんの家に生まれて、郊外のベッドタウンで育っていれば、多分、案外、社会のその他おおぜいの兵隊生活に放り込まれたら死んでしまうと考えて、あるいは話が通じる友達と会えることを期待して、一生懸命勉強して、トーダイなり、試験が難しい大学に入っているのではなかろうか。

ガメは相変わらずヘンなことを言うね、と思うかも知れないが、数学と物理が得意で、英語が苦手な、国語は縦に書いてあるから嫌いじゃ、と述べるストロングスタイルの受験生になっていたかもしれない。
義理叔父や例のトーダイおじさんたちから、東京大学の入試は真冬のクソ寒い日に会場からおんだされて、二時間くらいも寒空の下で難民みたいに、凍えながら午後の試験の開始を待つんだよと聞いて、大笑いしてしまったことがあったが、ぼくは自分の性格のゲーマー部分を発揮して、要領もよく、暖かいカフェで昼ご飯を食べて、「午後もがんばるどおおおー」とノーテンキなことを述べるいやな受験生だっただろう。

修士までやって、就職して、やってられんと考えて、会社をやめて、テキトーに役所かなんかでバイトをしているのではなかろーか。
ときどきアパッチサーバーをつくって、余剰の収入を得たりしながら、めざせ年収400万円で、高田馬場の、小さなアパートで、明日はどの定食屋に行くべきか研究していそうな気がする。

それからぼくは旅にでる。
留学や移住じゃないんだよ。
高田馬場の見るからにインチキな航空券屋のカウンタで買った、一枚の、スターアライアンスの世界一周チケットを握りしめて、ふところの500ドルと、からきしダメな英語と、銀行口座の、外国にでかけてしまえば引き出せるかどうか覚束ない30万円だけを頼みに、とりあえず、なんだか正体が判らなくて怪しげな、背がめだって高くて綺麗な奥さんがいるらしいヘンテコな外国人の書いたブログ(しかも日本語)を信じてしまったことを半ば後悔しながら、ボーイング777のいちばん後のトイレの臭いが漂うエコノミークラスで、「どうしていいか判らなければ、とにかくスマイルじゃ。スマイルしまくっておればどうにかなる」という、あのガメ・オベールとかいう、ゲームオーバーな、ふざけた名前のブログ人の言うことを思い出して、ぎくしゃくした不自然な微笑いをうかべながら、コーヒーを頼むのに慌てて「アイムブラック!」と叫んで周囲の爆笑を買っているかもしれない。

先進国は大都市にかぎって、日本料理屋や日本食材店でバイトをして、ベトナムやマレーシアやタイの田舎を巡って、アフリカの町や、南米の湖を見て歩くだろう。

そうしているうちに、ビンボは若いときにはたいへんではなくて、歳をとってしまったときの生活の展望が持てないからたいへんなだけだという単純な現実に気が付くのに違いない。

天然全体主義を制度的な全体主義に変えようとして必死な安倍政権や、国を覆う勢いの放射性物資ですら、自分にとってはたいした問題ではなくて、自分を幸福にすることだけが自分の焦眉の問題なのだと、世界を見て歩いたあとに実感しない人間はいないだろう。

旅は人間に「明日」を与える。

The Motorcycle Diaries

http://www.imdb.com/title/tt0318462/

を見ると、若いゲバラが、南米を初めて理解してゆく様子がよく判るが、日本語という架空な現実と書き割りに囲まれた社会で育ったきみが、だんだん自分が「外国」や「世界」という名前で呼んでいたものこそが「現実」だったのだと、特に理屈立てて言われなくても判ってくるに違いない。

ガメ、それで、世界を1年かけて一周して、帰ってからどうすればいいって言うんだい?
ときみは聞くかもしれないが、
なにもしなくていいんだよ。
また同じバイトで、その日暮らしで、ホームレスになって、乞食になったって、別にいいじゃない。

ぼくは、ぼく自身が考えたこともなかっただけでなくて、友達も、妹も、両親ですらぶっくらこいてしまったことには、意外にも結婚して、あまつさえ冨まで形成したうえに小さなひとびとが走りまわるようになって、美しい人と幸福な家庭をつくって、なんだか冗談みたいというか、これがほんまにおいらの暮らしかという生活をしているが、本来は、ポケットにしわくちゃの20ドル札を一枚だけ突っ込んで、ヒースが広がる丘の上に腰掛けて、古本屋で買った、もう誰も振り返りもしなくなった作家の本を読んでいるはずだった。

日本でも、先週サイトで見たチョーおいしそうなトンコツラーメン目指して時給1200円で労働したり、正面から話してみたが止めさせてくれそうもないので、ぶっちして、来週は四国のお遍路道を歩いてまわってみようと画策したり、
生産性が低いどころか、ゼロの一生を歩いているだろう。

日本の社会となるべく関わりあいをもたずに、ひとりで、見届けたいものを見届けて、聴き取りにくい声に耳を傾けて採集して、なにも言わずに、なにも書き残さずに、野良猫がふっといなくなって死んでしまうように死ぬだろう。

さよならも言わずに

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About gamayauber1001

ver.6 https://leftlane.xyz もあるよ
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10 Responses to 若い友達への手紙4

  1. konnen5 says:

    先日、家の雨水槽の底に沈殿している汚泥をすくい上げて放射能をはかってみましたが、約1μSv/hありました。汚泥から5cm離して、HORIBA PA-1000で測った値です。空気中は0.04μSv/hです。横浜で5年経ってもこの値です。

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  2. かの says:

    その日暮らしでただ毎日自分を幸福にして生きていけば、そして一人ぼっちでしんでしまえばいいだけなのに、どうしてそれがこんなにも難しいことのような気がするのだろうと思いました。ガメさんの文章はずっと好きですが、それは見たことのない景色を見せてくれたから、そして今までに読んだこともないような日本語だったからでした。この記事は私が時折見る夢というか、幻のようなものによく似ていて驚きました。

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  3. kom says:

    ガメさんの日本語で書かれると、日本の町の片隅で野良猫みたいに生きることすら美しい夢のように感じますね。
    私も独りの時は、こんな感じで暮らしてたな。女が趣味だけを友に独りで生きることを親が親不孝だと言うから、親を不幸な気持ちにさせないために、今は仮の暮らし中。
    私の周りの保守的で世間体ばかり気にする人達に縛られずに生き方を考えられるように、高校生の息子にいつもガメさんのブログを読ませています。これも薦めよう。

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  4. おびこ says:

    ガメさん初めまして。少し前にTwitterでガメさんを知り、今は少しずつガメさんのブログを読み進めさせてもらっています。
    小さな頃からこの世界は生きにくいなぁ、と違和感を感じていた諸々の事が、実は世界基準からすれば非常識なレベルの日本独自のモノだったり、ということに気づかせてもらえて、いかに私たちは日本語世界という狭い枠に捉えられ、洗脳されていたかを知ることができました。
    次は行動の番ですね…私も護るべき小さな人達がいるので、まずは放射性物質から逃げるべく横浜から九州まで来ましたが、思い切って海外に出るべきでしたね。
    この先の未来を自力で切り拓けるよう、うちの小さな人達にもガメさんの言葉を伝えて行きたいと思います。
    いつも貴重な、そして素敵な文章をありがとうございます。

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  5. vida768 says:

    友人の夫となった人が、そんな車に乗ってましたね。状況は違えどばかい季節は訪れる。
    寒いのは好きじゃないから、暖かな喫茶店でも探して、読みかけの本と戯れながら午後の試験を待った
    私も居た。
    よく生き延びて来られたね、は呆れた友人たちの言葉で、何だか褒められているようにしか聞こえない。
    とても大切なことを語ってくれる人々は、何だか恥ずかしがり屋なので、懸命に問いかけないと、
    応えられないんだと思っている。
    出会ってしまえば、そうなるだけ。
    (出会わなければ?探す、だけでしょう)

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  6. MiyoTaikyoku says:

    もう57歳だし、この国ではほとんどの人が癌か痴呆かうつ病にされ、
    寝たきりオムツで施設に入れられて、自然死から遠くかけ離れた最後を
    迎える事も知ってますけど。
    それでも
    「The Motorcycle Diaries」を観ました。わはは。。
    お教えくださりありがとうございましたっ!いい夜です。

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  7. norisuke says:

    こんにちはー

    やはり人は生まれや育ちからどうしても逃れられないものだなーとがめさん日記を見ていつも思うわたしです。呪いとも祝福とも色々言い方はあるけれども。
    でもそれはとても大変なことをふくめて素晴らしいこと。いやー今日もお元気にお過ごしください。

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  8. BNKK says:

    こんにちわ、ひょんな事からおよそ10年ぶりにガメブログを読み出したらハマってしまって過去記事を最初から読んでいます。
    いま2009年。

    なにが面白いのかって、きみが「こち亀」の中川や麗子のリアル版に思えてくるところ。

    頭脳明晰で高学歴。家柄も良く、背が高くてハンサム。体力は人並み以上で若いのに超金持ち。奥様はあり得ないほどに美人。子供の時から異性にモテまくり、かと思えばPCなどの工学的知識もガチのオタク顔負け。友人は豊富で皆が各界のエリート。これだけ挙げても言い尽くせていない気がする。

    そんな風に非の打ち所がないカンペキ人間なのに、他人の痛みがしっかりと解る。遠くで起きた理不尽な仕打ちに涙し、静寂な森の美しさにも涙する。

    ぼくがなぜこの「若い友達への手紙4」にコメントを残そうとしているかというと、やっぱり、自分が「若い友達」のひとりに、グーゼンにも当てはまると思うからです。たしかに該当する。30を過ぎて既婚者だけどこれはぼくのことでもあるんだ。

    自分は客観的にみて、ありとあらゆる点であなたより劣っています。べつに卑屈になっているわけじゃあなくて、上にあげたような所謂スペックにおいて優っているなと思う点が一つもない。(強いて云えば「原始仏教」に出会えていることくらいかな。だって、してないでしょ?ヴィパッサナー)

    そんなわけでブログを読んでいて時折、トランプへ票を入れたアメリカ人のような気持ちが全くよぎらないと云えばウソになる。
    何というか、エスタブリッシュがおれたち雑草を見下している、みたいな。0.1%以下のエリート日本人としか付き合いがない、そのくらいの浅さで十把一絡げに僕らのことを語らないで欲しい、といった感情。その日暮らしを肯定するなら一度骨身まで経験してから勧めて欲しい、といった感覚。

    でもね、この記事を読んでいると解るんだよね。きみとは生まれ育ちや環境が大きく異なっていようが、大切にしている思想信条の根っこが似ているのかなあって。だから多くの読者の胸を打つのだなって。

    だってさ、いまぼくはバンコクにいる。おそらく生涯で最も長くなるであろう旅をしている、妻とともに。

    中国のとてつもないトイレに辟易したり、チベットで鳥葬を見たり、ベトナムのビアホイでヘベレケになったり、ラオスでのんびーり大麻を吸ったり。からきしダメな英語で、ちょっと離れたところから日本を眺めている。

    時給1200円でバイトしたこともモチのロンだし、なにしろ20代の時分に野宿しながら40と数日かけてお遍路も歩いたよ。(歩き遍路の半分くらいは外国人だった)

    まさしく生産性ゼロの人生。でも主観的には得るものはたくさんあったんだ。

    読んでくれてありがとう。愛をこめて。

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  9. sueede says:

    海外によく一人旅していた頃を思い出しました。その時に初めて日本の窮屈さを認識。今よりも相当自由で比較的豊かな時代でしたが。

    財産も何もなくて仕方なく「頑張って」「周囲の期待に応え」日本社会に合わせているうちに年を取り、制約が増え、自分を押し殺して生きる屍になってしまったけれど、ガメさんにはたくさんの勇気をもらいました。

    理不尽にわずかながら声をあげられたのもガメさんのブログやツイッターに力をもらったから。実生活で一生縁のない白人アッパークラスの方にこうしてコメントしているのは、不思議ですね。僥倖としか言いようがありません。2年くらい前でしたか、面白いタイトルのブログがあるとしか思っていなかったのを考えると、まだガメさんのブログを読めるのが奇跡なくらい、社会は大きく変化しました。単に気づくのが遅すぎただけですが、少なくとも自分の周囲はもっと危機感なし。

    地獄の業火で焼き尽くされるのも、「(英語人と)敵として出会う」のも不可避なら、日本を出られない「小さな人たち」や「若い友達」が苦しむのを一日でも遅らせられれば、というのが今や、せめてもの願いです。

    ツイッターが非公開になってしまったので、こちらにお礼を書いておきます。

    ガメさんとご家族にたくさんの感謝と幸運を。

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  10. ccryo says:

    多様で多層で面白くてときどきかなしいこの世の現実を
    たくさんたくさん集めては、日本語で編んでくれたこと、
    嬉しくて書き込みます。ありがとう。

    高田馬場のくだりは、馬場で学生生活を送ってた私自身と重なるようで照れくさい気がした。
    当時はバイトばかりで、無為に遊んでただけで、今となっては「学歴」以外何ーんも役に立ってない気がする。
    けど、講義で「メディアを疑え」って読売新聞出身の先生が言ってたのは役に立ってるのかもな。

    そんな私はバンコクを経て、インドで野良猫みたいにひっそり暮らしてます。
    野良猫に生活の展望は持てないので…しばし飼い猫にならないとなーとか思っています。

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