サバイバル講座3

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夏の、突然涼しくなった夕暮れ、有栖川公園を、ひとりの若者が歩いてた。
肩幅が狭くて、なんだか真横からみたら見えなくなってしまいそうなくらい、薄い、頼りない胸板で、少し躓くような、よく見ると自分の自意識に躓いてしまっている、とでもいうような、ぎくしゃくした、不思議な歩き方で、図書館をでて、暗い色の緑のなかを、地下鉄の駅のほうに歩いてゆく。

思い返すたびに、あれはきみだったんじゃないかと思うんだよ。

年齢を数えてみれば、あの青年は21、2歳の年格好で、いまきみはたしか21歳で、公園に立って、きみの姿を眺めていたのは10年も前なのだから、どんな酔っ払いが数えても勘定があわないが、人間の出会いは常に不思議なものだから、時の神様が、いたずら心を起こして、ほんのちょっと時間の表面に皺をつくって、10年前のぼくに、現在のきみを見せてくれたのかもしれない。

若い人間にとっては世界は巨大な壁に似ている。
しかも思いがけないときにあらわれる不可視の壁で、水木しげるが「ぬりかべ」という愉快な妖怪について書いていたが、道を歩いていると、どおおーんと突然あらわれて、回り込んで、避けていこうとしても、どこまでもどこまでも
続いている。

ぬりかべは、むかしは実際に存在していたらしくて、ぼくの日本語の先生である義理叔父の祖母にあたる人は、敗戦後、鹿児島と熊本の県境の山を、夜更け、買い出しの帰りに、その頃は日本中の買い出し道に現れたという若い女を強姦する目的の男たちへの対策として、わざと長い髪を濡らし、おばけのような姿で、歩いていたら、突然目の前にかすかに続いていた道がなくなって、どんっと壁にぶつかった。

疎開していた先の親戚の言葉を思い出して「ぬりかべさん、ぬりかべさん、どうか通してください。わたしは、このたべものを朝までに歩いて家に持って帰られなければならないのです」と一心にお願いしたら、かべがすっとなくなって、ああよかった、と思った耳に、「今日から悪い男たちのことは心配しなくてもよい」と幽かな声が聞こえたそうでした。

人間の世の中のほうの「ぬりかべ」は、そんなにやさしい気持ちを持っていなくて、ただ壁で、世界中の若い人間は、蹴っても、頭をぶつけても、肩から体当たりをしてみても、
びくともしない壁に阻まれて途方にくれる。

見たこともない、巨大な、絶対的な拒絶で、問いかけても、考えても、拒絶の理由さえ教えてくれない壁は、しかし、ほんとうは誰でも経験するものなのだということが、この記事を書いた理由なのね。

誰でも、と書いたけれども、100人の人間がいて、100人が、という意味ではなくて、真剣に、例の自分というパートナー、最良の友達を幸福にしようと考えて生きてきた人だけが「誰でも」に含まれる。

ほら、いまはどうしているか判らないが、マサキという風変わりな大学生がいたでしょう?

空をみあげる若い人への手紙
https://gamayauber1001.wordpress.com/2015/07/15/letter5/

ときどき、びっくりするようなケーハクなことをいうが、一方では、年長のぼくが聴いていて、そうか世の中にはそんな気持ちが存在しうるのかと考えるような情緒に立った言葉を述べて、そのまま小さな沈黙を抱えて渓谷にわけいってしまう。

あれはきっと、ついさっきも

「町田で日雇いバイトの登録を済ませ、受験期によく食べていたまずいラーメンを食べ、帰って地元のコンビニに寄ったら、泣き叫んでいる中年女性が万引き常習犯のかどでつまみ出されていた」

と述べた、泣き叫んでいる万引き常習犯の中年女性を、路傍の、石になったように見ているきみとおなじことで、神様がつくった沈黙の影がさして、その影の下で、言葉が凍り付いた一瞬を経験したいのだと思います。

拒絶をおそれてはいけない、という単純なことを書こうとおもったのに、なんだか妙な寄り道になってしまった。

あるいは、もう少し親切ごかして言葉を注ぎ足した言い方をすれば、
正しい道を歩いていれば壁に必ず手痛くぶつかるのだから、ああ、あれかと思って立ち止まれ、ということを言おうと思っていた。

ハシゴをかけてみたり、東へずっと歩いて壁を端から回り込もうとしてみたり、おおそうか、こういうものは人間性の低さを掘り下げて、トンネルを下に掘って通過すればいいのだなと考えて、懸命に下品になってみたりしても、壁は上下左右、どこまでも続いていて、どうすることも出来ない。

議論する、という方法はあるよね。
友達に恵まれていれば、あるいは、そういう場所を常に与えられていれば、議論を積み重ねていくことによって、自分でも予期しなかった高みに言葉がつれていってくれて、その高みからは、壁が足下に見えて愕然とする、という幸福な体験を持つ人もいる。

でも残念ながら、そんな止揚の言葉を持っているのは、例えば大陸欧州の、週末にはパブすら開いていない大学町で、他にすることがないので、欧州や中東や東欧から集まってきた学生達が議論ばかりを娯楽にしているような土壌でなければ無理で、日本語のような狭く同質な世界では望めない。

100人の人間がいても、ひとつの頑なに等質な孤独が100個、判で捺したように整列してしまうだけで、孤独が百倍になるだけで終わってしまうだろう。

日本語で私小説が発達した、おおもとのおおきな理由は、そういうことで、作家は自分の足下に井戸を掘ってみるしかなかった。
ただもう闇雲に掘り下げて行って、運良く水が湧いてくると、さまざまな所から拾い集めてきた石を組んで、井戸をつくって、満月の夜になると、そっと身を乗り出して、自分の姿を映してみる。

そうして、そこに映った、まだ真実は子供にしか見えない自分の姿に失望したり、悪魔を見て戦いたりして、顔をあげてみると、壁は正当にも消滅している。

そこで、やっと壁は、世界への誤解という、自分自身の姿にしか過ぎなかったのだと思いあたることになる。

ぼくのきみへの自分の一生の説明には虚偽が存在して、「おもいもかけず発明というヘンなもので初めのおおきなオカネの塊を手にした」と述べているが、ほんとうは少し異なっていて、他人が聞いたら大笑いするだろうが、それがいちばん第二段階の投資を始めるためのスタートアップのオカネをつくるには簡単だろうと考えて、意図して、計画した。
そんなバカな計画を持つ人は、自分で考えてもぼく自身以外には存在しなさそうな気がするが、例の「他人にとっては確実なことが自分にとっても確実とは限らない。他人にとってはロトのいちばん当選じみたアホい夢にしかすぎないことが自分にとっては最も堅実な道でないとはいえない」という思い込みにしたがって、発明の努力をして、当時は大学総長だった大叔父の助力で、その考えを大金に変えることができた。

つまり、ぼく自身は世界の約束を頭からシカトすることによって自分の一生をスタートさせたのでした。

余計なことを書くと、この奇妙な自分の将来への提案を考えたきっかけは、ポール・ヴァレリーの有名な逸話で、あの偉大な評論家/詩人は、「姪にポニーを買い与えるために」、ひと夏苛酷に働いてオカネを稼いだと自分で述べている。
この、「ひと夏苛酷に働く」という科白にすっかり参って、ぼくも同じ事を、マネしてやってみたのね。

ひと夏、苛酷に働いて、ぼくは、(下品なので金額は言わないが)普通の人間が輪廻転生を繰り返してやっと稼ぐ、七生涯賃金よりも、さらに一桁異なる金額を、気が付くと手にしていた。

前にも述べたように、こういうことを自分で言ってしまう人間も変わっているが、実家はそもそも富裕な家なので、両親にゴロニャンをすれば、昔からおぼえもめでたいので、同じ金額など、あっさり恩賜になったに決まっているが、親のカネをもらうと人生全体が腐敗するというあんまり論理的とはいえない信仰を持っていたぼくは、そんなのは嫌だった。

でも「労働」なんかするのは、もっといやだった。
時間のムダとしか思えなかった。
従兄弟はガメの自分の一生に対する思想に脆弱点があるとすれば、そこだろう、とニヤニヤするが、脆弱でもなんでも嫌なものは嫌で、嫌なことは些細なことでも頭から受け付けない性格なので、工夫として、投資くらいしか考えられる道はなかったのだと思います。

ぼくの場合は、世界と折り合いをつける初めは、そんなふうだった。

テキトー変心を常とするぼくは、またまた変心して、サバイバル講座をつづけるべ、と気が変わったのだけれど、その準備に、まず自分がどんなふうに、このクソ世の中、いや、失礼、ちょっと言葉が悪すぎるのでオホホ語を選ぶと、人間として個人として生きていくのが難しい世の中を生き延びていくのに、聞かせられているほうは退屈でも、まず初めに、自分がどんなふうに世界と折り合いをつけてきたかを述べて、その手始めに、物理的基礎をなす収入は、もともとはどこから来たかを説明しようと考えた。

きみは「これじゃ、あんまり参考にならないんじゃない?」というに決まっていて、ま、そーなのだけれど、想像力を働かせてくれれば判るが、なにしろぼくは自分の一生以外は知らないんだよ。
だから、参考になってもならなくても、ほかには説明のしようがない。

サバイバル講座であるのに、こんなことを述べているのは、どうやら、ひとりの若い人間が人間として生きていくには自分の人間性を保持しながら収入を確保していくことが存外大切なことだ、と考えるようになったからであるみたい。
自分では、あんまりこの部分で困難に直面しなかったので、ちゃんと考えてみたことがなかった。

オカネの面で世界と折り合いをつけるためには、自分に対して、よく質問を繰り返して、何によって収入を得るのならば幸福が阻害されないのか聞いてみなければ、いかにも、千差万別、人によって異なるので一般化できない。
自分のまわり、年長者や、自分より若い人や、同じくらいの人を見渡すと、研究をしていたのにハリウッド映画のスターになってしまった人や、アカデミアと折り合いをつけて、週10時間(x3)と引き換えに、オカネについて考えることをやめる環境を整えた人、富裕な女の人と結婚して哲学と歴史に明け暮れることになった人、…様々で、この部分だけは、やはり本人が「何を最も楽と感じるか」に依るようです。

世界はだんだん壊れてきて、いままでの文法では未来を見ることは出来なくなってきた。
全体の側にしか視点がもてない人は、次つぎに全体に飲み尽くされて、個々の視点で世界を認識する人間だけが生き残っていくのは、いまはもうほぼ自明で、もともと全体の視点なんてくそくらえ(←言葉わるい)なぼくですら、難儀な時代になったなあーと思っています。

でもね、こーゆーことはあるの。
ぼくはボートやヨットに隙さえあれば乗るが、おおきな船で面白いのは接岸くらいで、冗談みたいに高い波を乗り越えたり、逆に、凪いだ海でイルカたちと遊んだりするには、小さい船のほうが楽しいんだよ。

次第に荒野に似てくる世界では、民族が集住する城塞よりも、天測を重ねながら砂漠を移動する、ノーマッドのほうが「安全」な世界を生きているのだと思います。

次はコミュニケーションを目的として発達しながら、逆に、個と個のコミュニケーションを阻害する壁としての機能を持つに至って、次第に孤独な思考の乗り物に変わっていった、言語について、きみと話をしたいと思っています。

でわ

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2 Responses to サバイバル講座3

  1. mikan says:

     はじめまして。ガメさんのブログを見つけてから、楽しく、時にうへぇとなりながら、読ませてもらっています。
    ときどき難しい単語が出てくるので、こんな言葉あったのかーと辞書を引いています。
    根がナマケモノなので、いつまで続くやら。
    モニさんとのお話が一番すきです。

     だいぶ前に、知り合いに引っ張られてしぶしぶ国会前へ行きました。緊張するとすぐ内臓に来るので、怖くて声は上げられませんでした…。けれど、トイレ休憩に行ったときに、電動車いすで来てる人や小さな人がいて、安心しました。そして、来ていた警察官(かな?)は皆若かったです。
    昔から、たまに戦争経験者本人の話を聞く会や映画にふらっといくときがあって、話しをしているとその人がみるみるうちに記憶の中へ帰っていくところを何度も目にしました。PTSDなんて難しい名前が付いているのを知って、後でショックを受けたり…。
     アジアの人達の声は、どうして心に届かないのでしょう。違いを強調せねばと思うくらいそっくりなのだから、聞けると思うんです。本当に分からない? 嘘でしょう、そんなの。自分をだましているだけに見えます。
     人を人扱いしなくなるところから、英雄も鬼子も生まれると思うんですけど、違うのでしょうか。
     「True Colour」(好きな文の一つです)のように、何万年前には戻れないでしょうけど、炉辺に座って、ご飯を食べてお腹いっぱいになったあと、怖かった話を聞きあって、怖かったね、うん、をお互いにできるよう、成長してもいいのでないでしょうか。そういうのは弱くなった、と言うのでしょうか。優しくなるんじゃないのかな…。十分、厳しいと思う…。

  2. 齢18の時に熊本から東京に出てきた。
    思ってもみなかった、自分の学力に見合わない良い大学に
    「カッテグチ入学」をして、その後、調子に乗って留年なんていう
    「ヘマ」をこいて、僕は人生で始めて大きな失敗というのを体験した。

    高校では素行の良い真面目な人間として生きていたので、留年なんてして
    周りからは驚かれたりもしたけれども、その時の自分にはもう失敗なんて
    どうでも良かった。ただ生きている事が辛かった。周りの人間は全て敵に見えたし
    どうしても世界は自分を受け入れてくれるなんて思えなかった。

    問題はさ。その時の自分の感情に蓋をして、また同じ道を歩き始めたことだった。
    「人当たりの良い」ということにされている自分は、今日もヘラヘラ笑いながら
    生きていて、明日もまた新宿にアルバイトをしに向かうに違いない。
    「責任を持って取り組めよ」「何でこんなこともできないんだ」という大人が
    自分の周りには大勢いて、そのことが辛いと他の大人に相談すると、
    「みんな同じだよ。それでも懸命に生きてるんだ」と言う。

    みんな同じように悩みながら生きているというのなら、あなた方は僕がこれから経験するだろう数十年をどうやって生きてきたのか。この地獄としか言い表せない、ガメさんの言葉を借りるなら「壁」に毎日ブチ当たって、あまつさえ自己啓発書に傾倒しそうな勢いの自分がどうやってこの世を生き延びられるというのか。どうにか教えてほしかった。だから、ガメさんありがとう。今回も僕はあなたの言葉に救われそうです。

    死にそうになりながら生きていても良いこともあって、ガメさんのTLを通じて数人の友達を持つことが出来た。

    無栖川とは国会前のデモで会った。頑固で強情なやつで、数度仲が良くなかった時期もあったけど、今でも深い信頼を持っている友人です。2人で会うと、たいていは延々と新しいジョークのアイデアをお互いに披露しあいながら東京の街を散歩して遊んでいます。世間をじっと見つめる静かな怒りを持っている人であって、きっとこの人にしか見えない風景がこの東京にはいくつもあるのだろうと思います。

    マサキとは無栖川を通して知り合った。この人はたいそうな理屈屋で、いつも頭の中で理屈同士がこんがらがって、矛盾を起こして混乱している人です。まるで日頃の自分を見ているようで、とてもおかしな気分になる。でも、とても愛情の深い人で、一緒にいて嫌な気分になった事が一度も無い、自分にとっては珍しいタイプの人です。

    きっと2人も僕のことを同じように「頑固」だの「小心者で根性の無いやつだ」などと言うだろうけど、似た者同士で仲良くなってしまったのだから、どうにも仕方がないだろう。

    本当は今日の午前中にまた辛いことがあって、塞ぎ込んでいたんだ。「一人前になるまでは絶対に開かない」と意味の分からない宣言をして、アカウントを消そうとしていたTwitterをまた開いてしまって、この「サバイバル講座3」が更新されていてので泣きながら読みいった。

    僕はこれからどうなるだろう。「お金持ちへの切符」を掴みかけてはいるけれども、この切符が僕を連れていく場所はどうにも幸せにはなれない場所な気がするんだ。それでも、明日もまた怖い上司に会いに行くのだろうけれど。

    もしかしたら、僕は近いうちに全てを裏切ってみんなの期待と反対方向に歩いていくかもしれない。一度はなってみたかった不良になってみるのも良いかもしれない。そうでないと、僕は死にながら生きることになりそうな気がする。核の熱で焼かれるよりも、自分の一生をそうやって生きる方が辛いと思うしね。

    ガメさん、いつもありがとう。本当にありがとう。今日もどうにか生きて行ける気がする。

コメントをここに書いてね書いてね

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