英語を学んで世界へ出て行こうとしている友達に

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ある日、ぼくは劇場の椅子に腰掛けて、シェークスピアのコメディを観ていた。
観ていた、といっても、その日の出し物を観るのは、もうその月だけで3回目で、セリフも、工夫された演出も、暗誦(そら)で言えるようになっていて、ステージのうえに釘付けになっているべき眼は、テーブルに運ばれてきたワインとオードブルの盛り合わせと、それがシェークスピアコメディのいちばんの楽しみの、観客と俳優たちの掛け合いのほうにばかり気をとられていたのだけど。

観客席を眺めていると、シェークスピアが初演された16世紀の終わりから、タイムトラベルでやってきたような髭とヘアスタイルのおっちゃんや、でっぷり太って、なんだか不思議の国のアリスの女王のようなおばちゃん、そうかとおもうと、盛装して、三階席で身を乗り出している、びっくりするように美しい、身なりの良い若い女の人、平場の立ち見席で楽しそうに笑い転げている3人の、大学生だろうか、ジーンズ姿の若い女たち… 社会のさまざまな階層の人が、さまざまな装いで観劇していて、シェークスピアの時代から一向に変わらないこの雰囲気が、つまり劇場まるごとがシェークスピアの世界なのだと判ります。

シェークスピア劇には、子供の時からのたくさんの思い出があって、俳優に抱きかかえられてステージに立たされて、突然劇中人物として扱われてしまったり、長じては、ワイングラスの手をすべらせて、ちょうど出番だった俳優さんの頭からワインをぶっかけてしまったこともあった。
機嫌のよい日で、われながら冴えた相の手をいれて、大声で叫んで、それが劇場中にあまりに受けてしまったので、俳優たちに、「これ、そこの若者、われわれから劇を盗んではダメではないか」と本人たちも大笑いしながら言われたりした。

気がおけない、という言葉があるが、シェークスピアのコメディの最もよい点は、観客と舞台とが一心同体になって、機知のあるやりとりをしながら物語が進んでいくところで、ニューヨークで観たときには、舞台と客席が分離していて、ただの「歴史的見世物」じみて、観客席と舞台がグルなのはイギリスだけのことかと思っていたら、ニュージーランドでも、ロンドンと変わらない雰囲気で、なるほど、われわれが共有している文化の何事かが、この雰囲気をつくるんだなあ、と考えたりする。

言葉の話をしようと思っていたんだよ。
そんな言い方はひどい、ときみは言うだろうけど、英語人たちに較べて、日本語の人は、あんまり言葉のやりとりを楽しんでいないんじゃないか、と考えることが、日本にいるときにはよくあった。

もちろん、例えば、いまはなくなった銀座のビル地下の「山形屋」のような居酒屋で、畳の席に座って、どういうことなのか、安居酒屋であるのに他の居酒屋に較べて人品が圧倒的に良い人が多い、八百万の神様たちがこっそり地下に集まって宴会をしているような、隣客のひとびとと、訊かれて、イギリスの話や、わたしは庄内の出身なんですけどね、と述べる女の人が方言を実演してくれたりして、あの和気藹々の雰囲気を、もちろんぼくも知っている。
そういうときの日本の人たちは、ごく自然に親切で、朗らかで、楽しい人達だが、それが、おなじ郷土料理でも、でっかい茶碗蒸しが楽しみでよく出かけた長崎料理の「吉宗」では、もう、しゃっちょこばった、見慣れた日本人スタイルになっている。

そういう場所も、どこも隣のテーブルが、ぎょっとするくらいに近いのに、まるで不可視な衝立や架空な距離があるようにして、みな隣は眼中にないように振る舞っている。

その違いはどこからくるのだろう?

あるいは、シドニーの街で、モニさんに「まあ、なんて素敵なドレスでしょう?
どこで買ったの?」と話しかけてくる見知らぬ人がいる。
あるいは交差点で眼があって、にっこり笑って、「今日は、いい天気だな、兄弟」と話しかけてくる若い男がいる。
みなが言葉を使おうと手ぐすねひいている感じの社会が英語社会で、ずいぶん違うなあーと思わないわけにはいかない。

どうせ日本は特殊ですから、とむくれるきみの顔が見えるような気がするが、そうじゃないんだよ。

バルセロナの目抜き通り、日本でいえば銀座の晴海通りになるだろうか、パッサージュ・ド・グラシアで、チョーかっこいいドレスのアフリカ系の若い女の人がいて、イギリス人の観光客然としたおばちゃんが、
「あなたの、その素晴らしいドレス、どこで買ったの?」と聞いている。

ところが、訊かれた女の人はそっぽを向くようにして歩いていってしまう。
イギリス人のおばちゃんは、聞こえなかったと思ったよりは、無視されるという(英語世界なら)普通では考えられない反応にあって、気が動転したのでしょう、追いすがるようにして、もういちど同じ質問を繰り返したら、今度は立ち止まって睨み付けられていた。

しかも悪いことに、その次の瞬間、そのアフリカ系人の友人であるらしい地元のカタルーニャ人の若い女の人と偶然出会って、いかにも愛情にあふれたハグを交わしている。

タパスバーの外に出したテーブルで眺めていたぼくは、ここに働いている心理的メカニズムは日本人とおなじものであるよーだ、と独りごちている。

実際、バルセロナ人のひととひととの距離の取り方は、とてもとても日本人と似ていて、英語人には理解して納得するのが難しくても、日本の人には何の苦労もなく理解できそうなタイプのものです。

それが社会の、どんな機微によるのか、ぼくには判らないけど。

英語という言語は、ドイツ語やフランス語との関連などよりも、なによりも北海文明の言語で、英語人の強烈な仲間意識は、ヴァイキングに典型的な北海人の同族意識に根を持っている。
英語では見知らぬ人間同士のあいだでスモールトークが他の言語よりも頻々と起こるのは、多分、そういう歴史的な社会の性格があるからで、人種差別的な考えの持ち主のおっちゃんが、特定の、言語的にウマがあう中国系人と親友同士であったりするのは、英語に限ったことではないといっても、やはり英語世界に多い事例であるような気がします。

緊密な結び付きを持つ集団は、当然、他に対して閉鎖的な集団でもあって、Brexitやトランプで明らかになった白い人々の相変わらずの閉鎖性は、要するに言語の性格から来ているんじゃないの?と思うことがよくある。

このブログ記事に何度も出てくるように、いまの世界語としての英語は「外国語としての英語」で、体系や機能はおなじでも、北米語であったりUK語であったりするわけではないのは、英語人自身がいちばんよく知っている。

日本人も含めて、英語を身に付けていく人達がいちばん最後にぶつかる壁は、「外国語としての英語」と「母語英語」のあいだに立ちはだかる超えがたい壁で、この「壁」の嫌らしさは、たとえアクセントがまったくおなじでも、同族の両親ゆずりの英語でなければすぐにばれて、拒絶の反応が待っている。
いっぽうではニュージーランド人と連合王国人なのに、お互いのアクセントをいとおしくおもって同族としてふるまっている。
どんなに美しい英語でも、このレベルでは頑として認めなくて、英語人は陰口が大好きだが、「あいつの英語はいったいどこの英語なんだ。正体不明で気味が悪い」というような、いかにもな嫌らしい言葉を、例えばイングランドで生まれ育って、アメリカに長く暮らした人に向かって述べることは、とてもよくある。

現代の「定義がてんでんばらばら」と言いたくなる人種差別は、連合王国ならばトランプの奥さんのような東欧人も差別の対象で、オーストラリアやニュージーランドならばアフリカンアメリカンはダイジョブだがアジア人とミドルイースタンは差別される。アメリカに至っては「白ければなんでもOK」の杜撰さで、じゃあ、浅黒い肌のイタリア人はなんでいいの?とからかいたくなるが、人種という現代科学がすでに遺伝要素として否定しさった概念を無理矢理信じようというのだから、結論が白痴じみているのは当たり前でも、なんだか出鱈目なのは、やはり言語がおおきく絡んでいるからだと思います。

よく観察してみると、メラニアよりもイヴァンカのほうが風当たりが弱いのは、英語のアクセントと関連していると思えなくもない。

ぼくは、人種差別はやっぱりなくなるだろうと思っている。
いま世界を覆い尽くす勢いに見える人種差別の潮流は、あとで振り返ってみると、世界の哲学的な進歩についていけなくなった人間たちの最後の抵抗ということになるのではないかしら。

日本人のきみが、ようやっと勇気をだして日本の外へ出て行こうとしているときに、ファラージュやトランプのような愚か者が喝采を博して、ぼくのところにまで
「おまえは日本を出たほうがいいと言ったが、人種差別の世界になったじゃないか、ざまーみろ」という、なんというか、大幅にピンボケで、アンポンタンとしか呼びようがない人たちが来たが、現状は、「人種差別の考えにとらわれたひとたちが口にだしてもいい時代になったと考えて、いままで言わなかったことを言葉にして異人種にぶつけはじめた」ところで、ぼくがきみなら、バカな人間と口を利く手間が省けて返って好都合だとおもうだろう。

ぼくが子供の頃は、シェークスピア劇は、観客席をみると悲劇にだけアジアの人の姿があって、喜劇は全部白い人だったんだよ。
それがいつのまにか、中国系人のにーちゃんが立ち見席で、ステージに肘をついて、俳優に踏まれそうになったりしている。
その後ろで、やっぱり中国系の若いカップルがステージにむかって笑い転げている。
貴賓客用のボックスで、インドの裕福そうなカップルが満足げにステージを見下ろしている。

ごく正統的なシェークスピアのコメディの大団円で、みなが16世紀メッシーナの衣裳を着たまま、ポリネシアのダンスを踊り狂ったり、パーティの夜会のシーンでボリウッドダンスをみなで熱狂的に踊って劇場が盛り上がったりするのも、ふつうのことになってきた。

日本語ツイッタで、両親とも日本人なのに、真っ白な時代のスコットランドを懐かしんで、いまの多文化社会のスコットランドを疎む人に会ったことがあったが、ぼくはチョー飽きっぽい性格なので、白人ばっかりの英語社会は、もういいや、と思っている。
つまんないよ。

あの頃は、いま考えるとお笑いで、おいしいカレーを食べに島の西の端っこになるペンザンスまで行ったことまであった。
それ以上おいしいカレーを食べたければ、シンガポールに行くくらいしか手がなかった。
おとなたちはアジア人やジャマイカ系人の悪口ばかり言っていて、ネガティブ人間の共同体のような、世にもアホい姿をさらしていた。

ぼくは英語社会がそこにもどってゆくとは、まったく思っていない。
人間は、結局は、楽しいことが好きだからね。

きみらしく、慎重に、ビザが出るまでニュージーランドに来ることを黙っていたんだね。
日本ではトーダイだが、ニュージーランド人も流石にいまはトーダイの名前くらいは知っていても、知識のなかで判っているていどで、この国に来てしまえば、きみもただの、これから空中ブランコから空中ブランコへ跳び移って、虚空の闇のなかへ、自分の筋力と反射神経だけを頼りに跳躍していこうとしているひとりの青年にしかすぎない。

でも特権のない若い時代を経験するのは、とてもとてもいいことだと、擬似的なものにしかすぎなかったけど、誰もぼくの背景をしらない皿洗い場で、皿をジャグリングして遊んでいてシェフに怒鳴られていたりしたぼくは、よく知っているつもりです。

きみのは、どんな冒険になるだろう?
楽しみにしています。

でわ

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5 Responses to 英語を学んで世界へ出て行こうとしている友達に

  1. 不破大輔 says:

    札幌と横浜(と言うと横浜の人があそこはハマじゃないと言って怒る)で育った僕は初めて大阪に行った時はびっくりで演奏を生業にしていなかったらツンとしてしまっただろうけど、ノリと云う関係のサーフィンの様なものが習いだったのでニコッとするところから始めてみると中々のスウィング感は人と居るという事が音楽なんだなと解らせてくれたのでした。
    いつも素晴らしい言葉をありがとう。

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  2. ここにコメント書くのはずいぶん久しぶりな気がする。言葉が劇場の中で醸成されるというの、面白い。社会の中で掛け合いに用いられるのが、いややめとこw
    英語が自分の周囲でも、英米から端を発した言語から、その他大勢の世界中の人達に用いられる言語になってるというのを、自分の日常でも体験する機会が少なからず発生してて、これから英語を学ぼうとしてる人達に、英米のニュースなんかは一番丁寧にゆっくり話してくれるから入り口としては良いけれど、その後は出来るだけ生(なま)の人達の話す言葉に接する機会増やすべきっての言いたくてここに書いたの。それだけ、もう日本語で言うと、関東弁と関西弁以上に違う。慣れてないと何言ってるか半分以上、下手したらほとんど意味が取れないくらいに違う。でも、それが世界を覆ってる世界中の人達に使われ共用され始めてる英語。
    アメリカに留学してた自分からすると、かつては日本人の英語は聞き取りにくい方だったけど、インド含むアジアの人々の英語に比べれば全然聞き取れる。たぶんそれは癖を分かってるから。フィリピンでも中国でもインドでもその他の国の人でも同じような部分はあると思う。でももう自分達はその違いに慣れるしか無いの。
    白い人達の国に行って、白い人達のアクセントにだけ慣れてしまうのも一つの手かも知れないけど、あにはからんや、彼ら彼女らは似て非なる言葉を聞き取りやり取りする努力をもう何十年以上前から続けてきてるから、当人達よりずっと理解できてるみたいなのね。
    これから英語を習得しようとしてる人達。言葉は使う人達と切り離して考えるべきじゃないことを、努々(ゆめゆめ)忘れないでね!いじょ!

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  3. oniku says:

    いつもガメさんのブログに親しみを感じるのは、言語の向こう側に手を伸ばそうとする、そんな感覚が共有できるからかな、と、今日のブログを読んで思ったよ。

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  4. K says:

    今日、世界へ出て行こうとしている友達を、森の中にある空港で見送ってきました。

    その人は、10年前、世界へ出てゆくため、一人で、大きなスーツケースを転がして、この空港へ降りてきたのでした。友達にとって、日本はもう一つの世界でした。

    その人は、私の人生を大きく変えて。また一人で。今度は、日本語の世界から英語の世界へ出てゆくために。大きく手を振って、ゲートの向こうへ歩いてゆきました。

    飛行機は、九十九里浜に張られた弦を引き絞るように進み、今は太平洋の上にいるはずです。

    ただ、それだけのことなのですけれども。

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  5. けい says:

    電車の中で、外国の人とよく出会います。
    今日は、中国人の男の子2人がわぁわぁ、がちゃがちゃのおもちゃをぶつけあいながら遊んでました。そのうちに1人の子が何かを落としました。
    没有、没有(無い、無い)と言っていて、私も何か落ちてるものはないかキョロキョロ探しました。
    私は彼らに何を探しているのか中国語で話しかけようとしたけどどうしても出来なかった。メモ帳に文章を書いたけど、それを見せるのもどうしても出来なかった。心臓がドキドキして。
    せめて、もうちょっと静かにね、とボディランゲージをとることだって出来たろうに。
    一生懸命、路線図を確認している人にも、你找哪里?と聞きたかったけど出来なかった。外国で聞いてくれる人間が居るなら、きっと心強いだろうに。
    同じ日本人でも勇気を出さないと聞けない。外国人なら尚更。
    そういうことを思い出しました。長いですね。

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