シェイクスピア

“From this day to the ending of the world,
But we in it shall be remembered-
We few, we happy few, we band of brothers;
For he to-day that sheds his blood with me
Shall be my brother; be he ne’er so vile,
This day shall gentle his condition;
And gentlemen in England now-a-bed
Shall think themselves accurs’d they were not here,
And hold their manhoods cheap whiles any speaks
That fought with us upon Saint Crispin’s day.”

シェイクスピアを観に行く楽しみは、日本で言えば、伝えられる江戸時代の歌舞伎を観に行く楽しみに似ている。
オセロのような悲劇でも、では荘重に悲壮に物語が進行していくのかというと、そんなことはなくて、途中で観客を笑わせるちょっとしたアドリブや仕草の演出が入って、観客のほうも笑ったり、しんみりしたりしながら、一夜の非日常を体験する。

喜劇はシェイクスピアの真骨頂で、観客も役者のうちで、舞台と客席とのあいだで掛け合いをしながら進んでゆく。

大好きなTwelfth Night, or What you willやMuch Ado About Nothingなどは、子供のときから、あの浮き浮きした、劇場全体の空気が軽くなるような雰囲気が好きで、ロンドンで、シドニーで、ニューヨークで、なんど観にでかけたことだろう。

おとなになってからは、バーで買ったワインを片手に、チーズボードのチーズやサラミやハムと突つきながら、3時間の、あっというまのひとときを過ごして、今日の俳優は上手だった、
おまけに歌のうまさときたら!
とコーフンしながら、ホロ酔いで、口まねをしてヘンリー5世の戦いの前の長い独白をふざけて述べると、いつもはお下品な、タクシーの運転手も唱和して、遺産が豊富な言語の世界にうまれるということは、なんという幸福なことだろうと考える。

もっか英語人たちを暴騰する土地価格や上昇する生活費で悩ませているバブル経済にもよいところはあって、みるみるうちに道路がよくなって、病院や学校が目に見えて改善されて、住宅街は毎年変化がそれとわかるほど綺麗になってゆく。
税金を払っているほうも、例えばオークランドなら市役所側が、レイツと呼ぶ、日本で言えば固定資産税について3.5%案、2.5%案、2%案と呈示して、
2%なら現状維持が精一杯で、2.5%あれば以前からの$15Mの留保金とあわせて、懸案の解決をすることは出来る。
3.5%ならばサイクリンロードや遊歩道、スポーツフィールド、さまざまな、言わば「贅沢」が出来ると提案するのに対して、あーでもないこーでもない、いまは社会ごと儲かっているのだから2%ということはないが、3.5%だとレイツが年に3万ドルを超えることになってたまらないので、2.5%ならどうですか?
と返答したりしている。

そうやって、皆で税金の使い途をわいわい考えながら、一方で、Pop-up Globe Theater

http://www.popupglobe.co.nz

のようなものが出来てくるところも英語社会で、日本でいえば、70年代?の黒テント、赤テントだろうか、ただし演し物はロンドンに倣って、すべてシェイクスピアで、去年オークランドのまんなかにロンドンのグローブシアターの1分の1縮尺の劇場をぶち建てて興行をしてみたら、主宰者側がぶっくらこくような数の観客が集まって、味をしめて、今年からは定例にするつもりになっているもののよーでした。

今年からはリミュエラの家から近いEllislie のレースコースに建物をつくるようになったので、ぼくはゼルダをやるのに忙しくて行かないが、家のひとたちは7時頃になると、そそくさとクルマに乗って出かけてゆく。
クルマだと5分か、そんなものなので、むかしの江戸や東京の人たちが毎日通っていたと本には書いてある銭湯にでかける気楽さで、なんだか毎日通っているよーでした。

「今年の建物は出来が悪くて通路がボヨボヨしてる」
「そりゃ、あんたが太ったのさ」
と相変わらずのアホな冗談を述べあいながら、それでも、ずいぶん楽しい時間を過ごしているようで、ガメも行こう、だってシェイクスピア大好きでしょう?と誘ってくれるので、初日には顔をだしたが、千秋楽にもちょっと出かけようかなあ−、その頃はメルボルンからもう戻っているかしら、と考えたりしている。

秋は楽しくて、行く先々でワインを飲み過ぎる危険に満ちてはいても、毎日遊びに行くのに忙しい季節で、やっと猛暑の夏が終わりそうなシドニーやメルボルンもあわせて、あれもこれも行きたくて、こんなに苦労するのなら式神を使う方法を習った講座とは別に、分身の術の講座もとっておけばよかった、と後悔する。

閑話休題

Henry Vは、分類すれば「史劇」で、日本ならば司馬遼太郎の「坂の上の雲」かなんか、そんなところなのかもしれないが、十分に通俗的でありながら、長セリフを聴いているとやっぱり感動して涙ぐんでしまうという点で、シェイクスピアの力量が実感される戯曲です。

最近、ビッグデータの研究者たちが「他の演し物はともかくHenry VIだけは語彙や表現方法の解析からシェークスピアの作品でないことを証明した」と発表して、ずいぶん話題になったヘンリー6世3部作に描かれたイングランド王のとーちゃんの物語で、かーちゃんのキャサリン・オブ・ヴァロワとヘンリー5世の都会の上流社会人然とした洗練された若い女の人と、立ち上がると血煙の匂いがしそうな、イングランドという田舎国出身の闘争に明け暮れる荒っぽい青年とのなれそめが描かれている。
シェークスピアは恋の楽しさや儚さを描くことに天才的な表現力があった作家だが、遺憾なく才能が発揮されて、武骨な若者と、我が儘だが典雅なフランス王女の、ふたりのやりとりに大笑いしながら、観る人はみな、人間に生まれたことの楽しさ、いちどしかない人生の尊さを考えて、明日からもっと意識をはっきりもって生きなければ、と決心する。

シェークスピアの歴史上の最大の功績は17世紀のイギリス人たちに人生の楽しさ美しさ、かけがえのない尊さを教えたことで、多分、このいまだに正体がよく判らない、生前から俳優として成功して富裕だった演劇人がいなければ、もともと全体主義的な英雄主義に酔いやすい体質のイギリス人が、いまのような個人主義をもつことはなかっただろう。
シェークスピアの言葉の浮遊力は、たいへんなもので、浮き立った、あでやかで、音楽的な、繊細な感情に満ちた華やかな表現は、いままでに生きて死んだ自分たちの祖先が、言葉のひとつひとつにこめた、自分たちの生活を愛おしむ気持ち、死んでゆく自分が、子供たちや孫達に「おまえたちも、しっかり人生を楽しむのだぞ」と告げているような、豊かな時間の記憶を、余すところなく、俳優たちの声帯に力を借りて、客席の観衆たちに注ぎ込む。

3時間の劇場での時間が、観衆の言葉を目に見えてゆたかにするありさまは、非現実的なほどで、日本でも、やはり舞台と客席のあいだに掛け合いが存在したという歌舞伎というものはこういうものだったのではないかなあーと、よく考えた。
かーちゃんのお伴で二三回銀座の歌舞伎座にでかけたことがあるだけだが、英語ヘッドフォンを付けていたからだけではなくて、いまでは掛け合いも存在しないようで、正直に述べて、なかなか日本の人は信じてくれないが、子供のときから熱狂的に好きだった能楽と較べて退屈で、江戸時代も皆が観客席で舞台のうえの歌舞伎を「鑑賞」してしまうような演劇であったとは、歌舞伎にいれこみすぎて身上つぶした逸話の数の多さを考えても、ちょっと考えられない。

もともと、観客が権力者ひとりであることすら多かったという、客席との交流を拒絶する芸術である能楽が、いまも強烈な幽玄の美を保っているのに較べて、歌舞伎の凋落あるいは変化は、さびしいことであるような気がしなくもない。

映画のつまらなさは、観客と演じる側をスクリーンが遮断しているからで、
いつだったかロンドンで、あきらかにシェークスピアをよく知っている人であるのに、劇を観ているうちにオセローを陥れたイアーゴーに対する嫌悪が抑えられなくなって、イアーゴーが捕らえられて引き回されるシーンで、「いけえー、吊せえ!ぶち殺せ!!」と客席から絶叫して、静まり返るべき緊張のシーンであるのに劇場じゅうを大爆笑に包ませることになってしまったおばちゃんがいたが、舞台は、そういうことを含めて、人間性というものに、常に肉薄する。

人間が人間を演じて、その言葉と演技に客席から声援を送りながら手に汗をにぎり、あるいは大笑いしながら涙をぬぐっているほうも、どんどん人間に返ってゆくシェークスピア演劇の舞台は、英語という言語が衰弱するたびに、エネルギーを補給し、英語人たちに、自分達がどこから来て、どんな人間だったかを思い出させてくれる。

ひとりの天才が、一個の民族全体になしえたことを考えると、なんだか途方もない気持ちになります。

Advertisements
This entry was posted in Uncategorized. Bookmark the permalink.

One Response to シェイクスピア

  1. 歌舞伎は、明治時代に行われた歌舞伎高尚化運動によって「芸術鑑賞するもの」に成り下がってしまってつまらなくなりました。
    それでも、明治頃まではまだそんなこともなくて、幕末から明治時代に活躍した歌舞伎俳優・五代目尾上菊五郎のことを書いた本を読むと、彼は舞台上から新聞記者の一団が来ているのを見て入れ事(アドリブ)を入れて観客を笑わせたり、逆に入れ事がしつこすぎて観客をうんざりさせたりといったエピソードが書かれていますし、際物過ぎて二度と上演されないような演目を数知れず作って上演しています(彼はUK人に扮したことすらあります)。
    五代目の子孫である十八代目中村勘三郎は、江戸時代の芝居小屋のような雰囲気で歌舞伎をお客さんに楽しんでもらいたくて、巨大なテント小屋方式の「平成中村座」を立ち上げてNYで歌舞伎公演を打ちましたが、その彼も最近、五十代の若さで亡くなりました。歌舞伎の凋落は明らかです。
    ガメさんの今回のブログ記事を読み、滅んでいくしかない日本語世界の住人の目からすれば、シェイクスピアのような巨大な遺産を持っている英語世界が本当にうらやましく映りました。
    だけど実は、日本語世界もそのお相伴にあずかったこともあって、蜷川幸雄が演出した歌舞伎版「十二夜」は、映像でしか見たことはないけれども、蜷川のような才能ある演出家の手によって、なかなか素敵な作品に仕上がっていました。
    江戸時代の劇作家・四世鶴屋南北は、シェイクスピアの作品を読んだことがあるのではないか、という説もあります。
    そんな細くはあるけれども、確実にあった英語世界と日本語世界の交流にも思いを馳せてみました。
    ガメさんのブログは、どんなことを素材にしていても、とても示唆に富んでいます。いつもありがとう。

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s