Brexit

夜の山道に、乳白色の霧がたちこめていて、遠くにぼんやりと明かりが灯っている。ときどき、奇妙に切れ込むように鋭く曲がっている、霧で見通しが悪いカーブにひやひやしながら灯りに近付いてゆくと、レストランの看板が照明に照らされていて、予約もなにもないけれど、おいしそうな佇まいだから、今夜はここで食べて行くかなあ−、と考えている。
山道を来たのに、魚の絵の看板が不安でなくもないが、ドライブウエイの向こうに見えている建物の姿が、いかにもおいしい店であるように見えます。

ローマがあるラチオ州は、ローマからちょっとクルマで北上すると、意外なくらい貧しい州で、イタリアのイメージと異なって、日本でもよくある、日本ならばパチンコ店にあたる、スロットマシンを並べた店の看板が、せっかくの美しい風景を台無しにして、道の両側に並んでいたりする。
わずかに州の規制で、ちょうど道路標識を少し大きくしたような看板の大きさが同じになっていて、それが異なるだけのことで、あとは、軽井沢を東西に通り抜ける国道18号線に似て、ただ醜悪なだけの店舗やホテル、金の買い取りの看板が続いている。

その日本的な光景を抜けて、県境に近い山道に入ると、ところどころレストランがあって、そういう料理店はおいしいものだと決まっていて、例えばラチオでは、値段は忘れてしまったが、まるでカップラーメンのような、プラスチックの容器に入った、fedelini(細いスパゲッティ)が、うわっとびっくりするほどおいしかったりする。

ひさしぶりに、国際面のトップが、あの見るからに卑しい顔つきの、薄気味の悪い手振りの、アメリカの大統領にまで成り上がった老人でなくなって、ほっとしたら、メイ首相がいよいよBrexitを決定する書類にサインをしている写真で、連合王国が、ついに大陸欧州と離婚する手続きに入ったことを告げる記事で、苦笑いさせられてしまった。

連合王国の側でも、大陸欧州側も、ほとんど誰にも望まれないBrexitが、引き返せないところまで来てしまったのは、無論、政治的にはキャメロンの信じがたいほどの愚かさが原因だが、自暴自棄というほかない投票を行(おこな)ったひとりひとりのイギリス人にしてみれば、イギリス人らしく、普段の生活ではおくびにも出さなくても、「もうこれ以上外国人にのさばられて、心地がよく、穏やかだった社会を破壊されるのはまっぴらだ」という、やけのやんぱちな気持ちがあったのだと思われる。

セブンオークスやトンブリッジウエルのような町に限らず、ロンドン自体が、大都市というよりもおおきな田舎町で、生来迂闊なぼくが、財布を忘れて出かけても、たいして困ることのないような町だった。
小さな声で述べると、店主に外国人嫌いの人が多いと感じられるフィッシュ&チップスの店のおばちゃんのような人でも、「移民や難民には親切にしなくては」と自分を励ますように述べていたが、そう言ったあとに、自分で自分に呟くように「あの人たちは、良い人たちが多いのだから。そんなにたくさんで来なければ」と付け加えたりしていた。

そんなにたくさんでなければ、と必ず付け加えていたのを、たいして気にも留めないで来たが、実はそこにおおきな、抜き難い、否定的な気持ちがこめられていたのだ、と気が付いたのは、ずっと後のことです。

連合王国とアメリカ合衆国は、仇敵同士で、お国柄もおおきく異なるが、共通しているのはhonest baseの社会であることで、日本の人がよく口にする「性善説」とは似ているようで異なるが、善意志にもとづいて社会を建設・運営することが前提の社会で、要するに、アジア人やアフリカ人、なかんずく英語人の目には自己主張が強く、攻撃的にみえる中東人たちが増えることによって、といっても現実の中東人は、一向に攻撃性の強いところは見あたらないが、十字軍のむかしから、ほとんど定説のように中東人の攻撃性ということは英語人の頭にこびりついていて、移民の数が増えると自分達の社会が自分達のものでなくなってしまうと怯える人が増えていった。

日本語の丘に立って観ていると、失念しやすいことだが、連合王国ではアングロサクソンは、記憶もあいまいな歴史の昔から、あの天気が悪い島に住み着いているのだという気持ちがあって、オーストラリアやニュージーランドでは、白い人ばかりで酔っ払うと、田舎町のパブでは、politically incorrectな発言の大会が始まって、
普段は親切に応対している中国の人や、日本の人、アラブの人の悪口を述べ始めると、悪酔いした頭の弱いおっちゃんが
「あいつら、みんな自分の国に送り返しちまえ!」と叫んで、
すると、誰かが「そうだそうだ! でも、じゃ、おれたちもイギリスに帰らないと!」と混ぜっ返して、ガハハと下品に笑いこけたりするが、
イギリスがイギリスでなくなってしまえば、もうあのなつかしい故郷はなくて、
どこにも行き場はなくなってしまう。

奇妙なことに、自分が話した範囲では、このことをはっきり口に出して意見を述べたのはイラン人の友人だけで、
「ガメ、考えてごらんよ。イラン人もアラブ人も、自分達が住んでいるアメリカやイギリスの悪口ばかり言っているが、おれたちイスラム人が幸福なのは、アメリカやイギリスだけだ。
どのイスラム国が住んでいる人間を幸福にしているというんだい?
そんなイスラムの国なんて、この世界にはひとつもないんだぜ?」
と英語人が英語で言ったら、いっぺんに友達がいなくなるようなことを、明瞭に述べる。

なにか、文字通り、口にするのに憚られる現実がそこには隠れていて、その言葉によって検討されない暗闇から飛び出してきた魑魅や魍魎がBrexitの正体なのでしょう。
少なくとも、Brexitのもともとの論点である、金融規則や、社会運営に対するブリュッセルからの細かい規制のうるささが原因ならば、国民投票で離脱が決まるわけはない。

エラスムスが、不味い食事と、ワインすらない文明の欠如を呪詛して、愚痴をこぼしまくりながらイングランドに滞在し続けたのは、因循姑息な国民性であるのに、意外なことに社会としては自由闊達な、手品じみた知恵で運営されていたイングランドの空気のなかでしか、15世紀末から16世紀初頭の欧州人には自由な思考の可能性がなかったからであって、18世紀欧州の「常識」から疎まれたエマヌエル・スウェーデンボルグがたびたびイギリスに滞在したのも、おなじ理由によっている。

イギリスは欧州の端っこの島国であることを利用して、常に欧州全体の未来への窓として機能してきた。
日本語人には「え?イギリスと欧州は別ですよ。ぼくはイギリスに5年いたけど、イギリス人だって自分達を欧州人とは区別していますよ」という人がたくさんいるのは知っているが、現実は連合王国人は、むかしから北欧との行き来が盛んで、北欧州と北海文明を共有していて、特別に欧州人意識が強いスコットランドを別にしても、やはり骨の髄まで欧州人で、口では「イギリス人は大陸欧州人と異なる」と述べる人も、心底では自分が欧州人でしかないことを、言葉の底に堆積した真理を見つめるようにして、よく判っている。

メイ首相の書類へのサインを合図にして、世界中の新聞が「連合王国と欧州の離婚」を書き立てているが、現実は離婚であるよりもシャム双生児の片方が包丁を手にして本来ひとつでしか機能しない身体をふたつに切り裂こうとしているようなもので、ひょっこりひょうたん島という大洋を漂流する島というアイデアがおもしろい人形劇が60年代の日本では人気があったというが、なああーんとなくイメージとして、Brexitを決めてしまえば、連合王国ごと大西洋を西に移動できるような気持ちだった支持人たちも、決まってしまえば、小ブリテンと区別するために大ブリテンというエラソーな名前が付いた島が、実は移動できなくて、あいも変わらず、晴れた日にドーバーの白い岩の崖っぷちに立てば、向こうに欧州大陸が見える近さで自分の住む島が座り込んでいることにボーゼンとしている。

書いていて、悪い癖がでて、だんだんめんどくさくなってきたので、経過を端折って、結論だけ書いてしまうと、Brexitは、要するに自分のアイデンティティを自分で殺してしまった事件で、連合王国は、少なくともひとつの小文明としては、ここからゆっくりと瓦解して、退屈で凡庸な小国へ転落していくだろう。
インデックスをみると、史上に最も愚かな宰相として名を残すことになったキャメロンの時代は、戦前の英帝国時代も含めて連合王国の最盛期で、イングランドがあれほど繁栄したことは、かつてないことだった。
貧富の差の激しさを言い立てる国民性は、不平に酔っ払うのが好きな国民性の盛大な発露だが、実は、貧乏人の生活が最も質の向上が高かったのもキャメロン時代だった。
キャメロンが賢い宰相だったわけではなくて、愚かな男なりに運に恵まれて、ちょうど、荒事師サッチャーから始まった連合王国の再建の収穫期に首相になった、ということなのでしょう。

移民のひとびとのブロークンイングリッシュが、やや流暢になって、お互いに意思が通じ合えるようになった頃に、大陸欧州から自分を切り離して、血まみれになることになったのは、偶然の一致ではないが、いまここで、その機微に触れるわけにはいかない。
だいいち、日本語でそんなことを書いても、読んでなんのことかわかる人がいるはずもなければ、なんらかの意味もあるともおもえない。

いよいよ連合王国はBrexit人が、そう思いたがっていたとおり、非欧州の国となって、これからの連合王国人は、アイデンティティの上で、連合王国人であるか欧州人であるかを決断しなければいけなくなるのが、実際には、個々のイギリス人にふりかかる最もおおきな影響だろう。

ぼく自身は、是非もない、その決断をくださなければならないときに遭遇したら、躊躇せずに欧州人であるほうを選ぶだろう。
小さい人々がおとなになって、老人になる頃にはもう、なんだか冗談じみているが、大陸欧州による連合王国の併合という図式で、また連合王国は欧州の一部になってゆくだろうが、Brexitが進行してしまえば、自分が生きているあいだに、それが起きる気遣いはない。

手続きの国として政治的健全を自動的に回復する制度と、まだまだ個々のアメリカ人が強い自由社会保持への意志を持つアメリカの事情を考えると、バノンがトランプの右手をむんずとつかまえて、とらえて、核戦争のボタンを押しさえしなければ、Brexitはトランプ政権の誕生などよりも遙かにおおきな歴史上の事件で、連合王国の自殺は、人間が永遠に記憶する愚行として記憶されていくに違いない。

どんなに繁栄を積み重ねても、居心地のよかった社会をふいにするには、それが人間が陥りやすいいちばんの弱点である他者への嫌悪と悪意を煽ればよいだけであることを連合王国人は身をもって証明して、
アホらしいといえなくもないが、この先20年というような単位で考えると、どうやら「アホらしい」ではすまない結果が待っているようです。

ラチオの山間に、忽然と存在するレストランは、ドアを開けて入ってみると、びっくりするような広さの、「絢爛」と表現したくなるようなインテリアの店で、パスタをちょっと食べて、というつもりを変更して、フルコースとワインの食事をとってみると、夢のようなおいしさで、ローマ人の文明の底知れなさを感じるほどのものだった。
すっかり満足して、少し離れたところに駐めたクルマまで歩いて、振り返ると蜃気楼のように消えていそうな気がして、 振り返ると、でもそこにはまだレストランが、贅沢をつくした内装を隠して、素知らぬ顔で立っていて、狐狸のいたずらでないことを主張している。

イタリアは、こわい、と意味のない言葉をつぶやきながら、欧州に生まれた幸せを思って、また霧で閉ざされた、ガードレールもない山道を、断崖から落っこちそうになりながら県境を越えたのは、Brexitの3年前にしか過ぎなかったのだけど。

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2 Responses to Brexit

  1. babyfairy says:

    確かにブリュッセルは小煩いし、大量の移民は「怖い」かもしれないけれど、まさか英国の人がこの選択をするとは思っていなかった。まさに「人間が陥りやすいいちばんの弱点である他者への嫌悪と悪意を煽ればよいだけである」は、社会を衰退させるためのゴールデンルールゴールデンルール😱

    Brexitで一番影響を受ける外国、私の住むアイルランドは20世紀に独立したとは言え、例えば、欧州内を飛行機で旅行すると、帰りの飛行機の搭乗口はシェンゲン協定外の英国とアイルランド行きは一緒の、パスポートコントロールを経た先にあるし、アイルランドの人がAmazonで買い物する時は大抵、英国Amazonサイトでするという風に、色々な面で英国と共有するものが多いから、今も未だアイルランド政府も国民も、呆然としている感じがします。

    本当にこれからどうなるのだろう…🤔

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  2. 太郎 says:

    マクロで見れば、フランシス・フクヤマを始めいろんな人が書いているから今更の話ですが、ポーランドの人だけで80万人を超える欧州域内移民(殆どは建設労働者など)を受け入れている連合王国の現状は一つの社会の統合能力を凌駕した状況と見ることが出来、Brexitはその反応と見ることが出来ます。中東人など二次的な問題で(東アジア人、中東人を防ぐためにBrexitというのは本来的に意味をなさない。日本の人など、元々対象にもならない外人、というか、そろそろ中国は知っていても日本という国の名前を知らない人が出てきている。)、本来差別の対象は、実際に見聞したところでもメディアで見ても中東欧人で、彼らの苦境の深刻さは、彼らはwhiteとして扱われその苦境に対して目を向けられることが少なく、このブログでも殆ど語られないことでも伺える気がします。(中東欧人に関してはNYのoligarchみたいな金持ち社会の話が多く、それは、例えばアラブの王族金持ち社会を語ることで中東を語るに等しい感があります。ごめん。) 加えて言えば、普通の人の生活感の問題があり、そもそもイングランドで普通に暮らしている人たち、特にいわゆる労働者階級の生活をつぶさに見れば、大陸欧州と密接に結びついた生活をしている人は少ないように思われます。これは、例えばベルギーなどの人たちと比べると明らかな違いで、その普通の人々の生活や実感を無視したまま実態のない ー 欧州を股にかけて暮らしてきた実態と実感を持つのは上流人だけのように思われる ー 「欧州人」というmantraを唱え研究室の中の統計数字など振りかざすことで物事が通ると思っていたエリートが結果として現実に直面したということのように思われます。
    しかし、フランスはどうなるのでしょうね。

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