ラットレースから抜け出す

株式というのは投資のなかでも、あんまり興味がない分野で、ただ世の中や特定の企業に対して関心の糸をつなげる目的だけのために続けていると言ってよい。
小さな規模で、あんまり小さすぎると、そもそも株を持っていることを忘れてしまうので、どのくらいの規模かというと、いま自分のポートフォリオを広げてみて、
例を挙げると、最近2ヶ月で60%くらい株価が上昇したテスラでいうと、上昇分で名前のよい通りの家が一軒買える、という程度です。
赤いのもちゃんとあって、fitbitとtwitterはそれぞれ買ったときの株価から67%と14%さがっていて、こっちは蒐集箱と称する観察用の株なので、いよいよたいした金額ではないが、前者は酔っ払って企業業績もなにも調べないで買ったら、「役員がデタラメ」という最悪のパターンで、なにしろ株価急降下ちゅうの最中に役員が自分の持ち株を売りに出してしまうくらいひどいので、モニさんのブラのストラップに留まっている赤くて小さな、テントウムシのようなfitbitを酔っ払って眺めて、うふふ、かわゆいなどと考えて、ベッドのなかでラップトップを広げて何の理由もなく株を買ったりすると、天罰覿面、こうなる。

twitterという会社は、設立当初からまったく収益モデルがつくれない会社だった。
そういう点からは株式を買うのは愚の骨頂で、案の定、ちょっと市場が不安感を持つと、すごい勢いでぐんぐん下がる。
目下はポートフォリオに並ぶなかでもツイッタ株価は真っ赤で、相変わらず無策を絵に描いたようなボードだが、こっちは多分グーグルかどこか、この手の事業に関心があって過去に失敗した会社が買うだろうと考えて、お気楽にほったらかしになっている。

持っている株式の中心はケチャップやスーパーマーケット、老人ホームのデベロッパー、養殖業、電力、空港…というような地味な企業が多くて、自分で建てた理屈と自分でつくったソフトウエアが示すガイドラインに従って、買ってゆく。
売る方は、めんどくさいというか、まだどういう状況で売るのがよいのか学習していないというかなので、買った株はいつまでもそのままで、銀行や保険の「危ない商売」の株式は業種のやくざっぷりを反映して上下が激しいので、あんまり上がると売り払ってしまうとか、通貨変動上の理由から売るとか、どっちにしろ、調整的に売るだけで、いちど買った株式は、ずっと持っているほうです。

性格を反映して株式投資においても、ちょーのんびりなので、秒単位のオンライントレーディングのメリットというものがよく理解できない。
ああいうものは忙しすぎて、あんまり夢中になると生活自体の時間を大幅にとられて、なんだかワンマンバンドの株屋になってしまいそうなので、普段は銀行が開設しているのんびりトレーディングにインターネットで注文を出したり、はなはだしきは電話を取り上げて、これとこれを買ってけろ、といったい何時代から来た注文なのかと相手が訝しがりそうな注文の仕方をする。
UK友には数学上の知識を駆使して自動売買をして大金を稼いだりしている人もいるが、それはそれで、そこまでやる気がなくて、株式に較べれば遙かにもうからない不動産投資のほうが本業で、やっぱりこの建物は面白いなあ、とか、そういう職業上の楽しみもあって、アメリカや日本の市場は知らないが、かつての連合王国系の国ならば、いまではもうさすがに鑑もあって、テキトーに暮らしている。
これはこれで、仕事をする楽しみもちゃんとあって、離婚して、落魄したおばちゃんが面接で断られて、しょんぼり帰るのを目にして、あれはなんでダメなことになったの?と聞いてみると、いくら管理要員でも落魄の様子がひどすぎるというので、ちょっと再面接があるからというデタラメな理由を拵えて、何食わぬ顔で面接担当のような顔をして会って、話してみると、案外と面白い人なので、雇ってみると、この人はたいへん有能で、ところが面白いのは、自分に合った仕事につくと人間はみるみる変わるもので、すっかりワーキングウーマンふうに颯爽として、ときどき一ヶ月くらいの休暇をとってバカンスに出かけたりしている。
どうも二度目に面接したのがぼくであることのほうは、多分、身なりが異なっているからでしょう、判っていないようで、自分が勤めている会社の持ち主くらい判別つかなきゃダメじゃん、とおもうが、なにしろ怪しまれて自分の会社のビルに入れなかったこともあるくらいなので、馴れていて、まあ、そんなものだろうと考える。

仕事というものには、そこここに人間の姿が見え隠れしていて、面白いが、株式には大脳のなかのスクリーンに映るさまざまな数字やニュースから、会社の姿を割り出していかなければいけないことが多いので、ちょっと放っておくと、すぐに興味がなくなって何か月もほったらかしにすることになります。

わしには自分についての悪口を探してきて眺めて楽しむという悪趣味があるが、日本語でも実行していて、いつか「こいつはオカネモチのふりをしているが投資家の日常というものがまるで判っていない。投資家というものは、眠るヒマもないほどの忙しさで、自分の人生をすべて事業活動に傾けつくしているものだ」という解説をなしている人がいて、大笑いしてしまったが、なるほど世の中の人のイメージというのはそういうものなのだな、と思って、ミーティングに珍しくえっこらせと出ると、「え?これが…?」で、なんだか呆気にとられたような顔が並ぶことの理由がしみじみと理解される。

ひーばーちゃんは、長い一生の終わりには、少しだがボケて、チビわしによく「ガメや、労働をする人間になってはいけませんよ。一生懸命に働くのは、頭が悪い人間だけが懲罰として働くのですからね。仕事をするなどは無能の証明です」と恐ろしいテツガクを述べて幼児教育を実践していたが、曾孫は見事にナマケモノに成長すると、これはやはり幼児教育の成果だろうか、と考えてみたりする。

投資家は鉄道模型やプラレールを組む子供に似ている。
アイデアを持って、だんだん現実の形にしたくてたまらなくなって、さんざん工夫を凝らして敷設して、いざスイッチをいれると、ちゃんと電気が流通して、列車が動き出し、遮断機が下りて、ジオラマがいっせいに活気を帯びる。

いまのアメリカ大統領トランプという人は、これも不動産成金だった父親からすると、頭も品行も悪い、ダメな息子でしかなかった。
期待もされていなくて、オカネを融通してもらえないドラ息子トランプが考えたのは、自分の不品行な頭のなかから出た名案で、グランドセントラルターミナルの近くに売りに出たボロビルを二束三文で買って、普通ならビルの修復から始めるところが、このひとらしく、外壁を金ピカで覆うことに有り金を使った。

このダメ息子が狙ったマーケットはグランドセントラルターミナルで乗降して通勤するマンハッタンのマネージャーと若い秘書で、仕事を終えて、家路に着く前にイッパツやって帰る不倫カップルや、昼休みにイッパツやらないと頭がすっきりしない役員おっさんたちが、常に適切な場所に困っている事情に、このドラ息子は通暁していた。

この中身のない金ピカ商売は大当たりで、要するにファッショナブルなラブホテルが当たったということだが、これで父親に認められた二代目成金不動産屋は潤沢になった資金を手に、ほぼ同様なお下品マーケティングで、どんどん蓄財していきます。
この人は、このアイデアひとつと脱税と借金を踏み倒すのが上手なのとで父親を上廻るオオガネモチになっていった。

下品な例に及んでしまったが、ことほどさように、投資はアイデアで、こういう回路は出来ないものだろうか、と考えて、ペンをとって紙に描いて、数日間、ときどき取りだして眺めて、件の、頭のなかで考えた事を現実に変えたくてウズウズする感覚が起きてくると、ガバッと起き上がって、あちこちに電話をかけ始める。
道路もない場所の油田であったり、よく見ると、これほど世界に普及している製品なのに不思議な事に不可欠な部品がチョー安い価格で、たいした金額でないのに独占できたり、街角の交差点に立って、ふと前を見ると、見上げるようなビルの幻が立っていて、そういえば、どうしてここにあって当然な○○な種類の商業ビルがないのだろう、と考えて調べ始めたり、細かいほうでいえばマリーナや駐車場も、あるはずのものがないということは、特に人口が増えて成長している国ではいくらでもある。
そうして、それは金鉱がそこに露出しているのと同じことなのでもあります。

わし実家はいわゆるオールドマネーの家で、ひらたくいえば大家さんなので、結局家業に近いものを選んで、なあんとなく親の世話になるのは嫌なので、自力でやってみました、というだけのことなのかも知れません。

これから世の中へ出かけていく若い友人たちのために述べると、「オカネを稼ぐ」ということは人間の行うことのなかでは最も易しいことに分類されて、まったく苦労なく達成できることなので、なるべく早く一生暮らせるくらいのオカネをつくってしまってから一生をスタートするのがよいと思う。

えー、まあーたそんなこと言っちゃって、みんなオカネつくるのに苦労しているんだよおー、と呆れるきみの顔が見えそうだが、そこにはカラクリが存在して、英語ではラットレースと言ってみたりする、現在の世界のデザインに秘密がある。

いまの世界は、(なんとなく、くだらない感じがする言葉だが)先進国では、と限定したほうがいいかもしれないが、大学を出た若いカップルがホームローンを組んで、あるいは家賃を払って、クルマを一台は持って、子供をひとりかふたりつくって育てながら共働きでやっと食べられるようにデザインされている。
社会自身にとって最も都合がいいデザインだからで、個々の人間の希望によってそうなっているわけではないのね。
それが標準デザインで、例えば日本で「クルマを持っている人間に対する敵意」が突然新しい流行のように湧き起こったのは、日本の自動車会社にはおおきな打撃だったが、標準デザインのうち「ホームローン」や「クルマ」「子育て」の部分に手が届かなくなった若い人口が増えて、そのことの、いわば「社会的な悔しさ」が敵意になって吹きだしてきたように見えました。
いわば社会の身勝手さに対する個人の側からの怒りの表明だった。

先に借金をさせて、それを返済させるのに見合う賃金を与えて、猛烈に働くエネルギーを吸い上げて社会を成長させるというのが基本デザインで、日本でいうと、やや変形で、日本では長らく金融機能が停止といいたいほど旧弊に留まっているので、借金すら出来なくて、ただ家賃を払い、食べるだけで暮らさなければいけない若い人が増えているが、どちらにしろ、そのサイクルにはまってしまうと、下手をすると一生抜け出せなくなってしまう。

では、どうすればいいか?

まず自分が社会によってデザインされたラットレースのなかで、ぐるぐる経済的な周回を強制されている存在だということがはっきりと判らなければいけない。
その周回レースから抜け出すには、他のネズミよりも速く走ることだと社会の側は述べるが、それは明瞭に嘘で、速く走ってトップにでても、やがて息が切れて他のもっと若いネズミに追いつかれて追い抜かれるだけです。
むかしの日本の大企業の会社員で財をなす方法で最も多かったのはインサイダー取引で、1970年代までは、例えば総合商社の人間が自分の職業を通じて得た知識を使って株取引で稼ぐのは当然の副収入だと考えられていた。
あるいは家電大手に勤めている人が長期大型発注先に決まった企業の株をあらかじめ買っておくというようなことは普通のことだったようで、そういうことはごく普通な立場の人にも及んで、東京で会った、ホテルのウエイター時代に仲良くなった大手家電会社の役員から、こっそりインサイダー情報を教えてもらって、そのオカネで自分の家とレストランを買う資金が出来てしまったと愉快げに教えてくれたレストラン経営者のことをいまでもよく思い出す。

昔の日本では、役得で、不正によってラットレースから出ることが普通で、同じ給料なら大企業でないと「給料の意味が違う」と昔の本のそこここに出てくるのは実はそういう意味だとトーダイおじさんたちが教えてくれるまでは気が付かなかった。

いまは大企業でも給料の額面通りの金額だけが収入なので、大企業の人気がなくなって終身雇用が加速的に廃れているのは、そういう事情もありそうです。

幸いなことに、アイデアが現実のオカネになりやすい時代で、英語世界では、「こういうのは、どうかな?」と考えて、ツールが闇雲に発達して簡単になったアプリケーション作成のプログラム言語で、昼休みにつくってみたら、それが3億円に化けてしまった、という子供はゴロゴロいる。
過去の日本でも孫正義という人は「自動翻訳機のアイデアをシャープの村上という課長さんに1億円で買ってもらったのが、あのひとの事業家としての人生のスタートだったんだよ」と教えてくれた人がいたが、ラットレース場から場外の、時間の流れ方がまったく異なる広い世界に抜け出すのは、どんな場合でも他人と異なる「アイデア」の力である場合が多いようです。

わし財布には「tile」という、なくした場合、GPSとブルートゥースで追跡できる小さくて平たいトレーサーが入っているが、これもたしかアイデアをKickstarterで公開してオカネを集めたのだった。

2005年頃までは、「tile」のような製品アイデアや事業アイデアには、その事業によってどうやってオカネを稼ぐかというビジネスモデルが必要だったが、いまは例えばIT事業でいえば、殆どビジネスモデルを持てなかったskypeがebayの買収によって、ふたりのエストニア人の若者に26億ドルをもたらしたくらいを皮切りに、アイデアに対して企業が直接巨額の支払いをするようになった。
個人から見ると、ラットレースから救済されるチャンスが飛躍的に増えたことになります。

わしの23歳友達は高校在学中に日本円で1億円ちょっとを手にして、大学の2年生になる頃には8億円くらいを持っていた。
この人はそれでどうしたかというと、それまでは法学だけだった専攻に美術を加えて、まるで儲かるわけのない未来像を描いて悦にいっている。
いちど、ガメ、最も安全な投資って、どのくらいのことを考えれば良いの?
とはるばるやってきて訊きに来たので、どんなコンサーバティブな投資でも4%を切ることはまずないし、不動産投資で住居用ならば10%を目安にして、空室が出たり維持費や管理会社に払う金額や会計コストをひいて6%くらいの純収入を考えるといいよ、と述べたら、顔を輝かせて、「ああ!ぼくは、それだけ収入があれば十分だ!」とダンスのステップを踏むようにして帰っていった。
多分、何の収入にもならない美術史の研究で世界を旅行しながら、幸福な一生をすごすのではないだろうか。

人間の一生は、本来、明るくて楽しいもので、 死んでしまうのがもったいないと感じるような体のものなので、きみが、それを斜に構えた態度や、初めからゲームを放棄するかっこづけ、どこかしらに悪意が籠もっている感じのする哲学で、台無しにしないように願っています。

では

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7 Responses to ラットレースから抜け出す

  1. heladodefresa says:

    今年の3月に書かれた「ありふれた光景」から読み始めました。
    まだこのブログに出逢ったばかりで、過去の記事を読めていません。
    やっと自分にとって重要なものに辿り着いたと感じました。
    どうか、しばらくこのアカウントを閉じないでいただけないでしょうか。
    もし閉じるのであれば、電子書籍化したり、会員だけ読めるサイトにするなど、存続の道もご検討ください。
    よろしくお願い致します。

    追伸
    今暮らしている場所を去り、別の場所で暮らす準備中なのですが、それを決意できたのはガメさんの言葉を運良く受け取れたからです。
    Twitterでご教示くださること、本当に感謝しています。
    日本語で書き残してくださったこと、ありがとうございます。

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  2. ちょこケーキ says:

    いつもブログ読んでいます。初めてコメントします。ガメさんのブログを読むといつも心が前向きになります。日本で暮らしていると、時々忙殺されて心ががらんどうになったような気がしたり、足元からズズッと奈落に吸い込まれるような不安感があります。でもガメさんの言葉は勇気をくれます。ありがとうございます。

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  3. vida768 says:

    インサイダー取引のとこ効きました。私が気付いたのは遺産整理の段階だったので鈍いこと限りなし。
    給料分は働くさを通せたようなので、取り込まれてしまった人々に「一言」言う位では何の助けにもならないんですが。頭から突っ込んでゆく若人たちを遠くから見守れて(おこがましい)いるので、日々は幸福かも。

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  4. Louis.I says:

    現在新卒で入る会社を選ぶために(正しく言えば選ばれているかもしれない、今のところ選ばれていませんが)就職活動をしている大学4年生です。まだ21歳の私には既に、人生を共にし誰よりも幸せにさせると決意した妻がおります。ラットレースの先に私達が求めるものは、やはりないなと再度認識させられました。ありがとうございます。もう既に何社も落ち続けて、何もかも投げ出したくなってしまいましたが、もう少し頑張ろうと思います。就職活動を失敗してもきっとまだ「アイデア」を絞り出す若さとやる気があります。そして何よりも責任があります。がめさん、本当にありがとうございます。

    Liked by 2 people

  5. Nameless Useless Human says:

    Dear Sir Game Over,

    First, I really appreciate that you writing excellent text always in this blog.

    I’m a stupid guy, this mean just an office worker in “Rat Race”.
    I cannot imagine your great life and world, because I don’t have any idea, any money, any knowledge.
    I won’t be able to touch your wisdom never ever, because I’m really slow learner, my lifetime is too short and time is too fast to learn.
    However, you can imagine easily how I’m silly, perhaps.
    I’m very sad this fact, gap, differential in world.
    Probably, we live in different world.

    Sometimes, I try to imagine, what a wonderful if I can live which you said.
    However, in fact, I have to crawl the ground like a mad centipede in a mud of empties.

    I’m looking for how to live in this crazy world by my blind brain and bored bodies.
    If you feel like it, I would appreciate it if you write about “How stupid humans should live in this crazy world?”.
    I believe you know that.

    I apologize I wrote this words with unskilled English, and thank you for bear with me.

    Sincerely,
    NUH

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  6. 亀青年 says:

    生まれてきてから育んだ自尊心、優れている優っている、精神的に追い詰められれば追い詰められるほど、それを頼りに逆境を乗り切れるかそうでないか、試される瞬間が人には早かれ遅かれあるのではないかと思う。

    地べたを這いつくばるようにして生きる自分、後ろ指を指される生き様、投げやりになってもおかしくはない境遇、自分の美意識と反する現状

    それでも、、、、愚かさ故か、はたまた脳の「特徴」のためか、未だに上手くいくことへの想像が
    止まらない。

    生き延びたい、ラットレースに強制参加させられた身に固定観念、先入観を疑う中途半端な遺伝子

    それでも最後に笑うのは、、、、、、、、、、、

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  7. kaz184 says:

    一番最後の友人の話, 本当に久々に, 憧れのような感情を味わいました.
    元気が出てきたよ. Thx.

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