メルボルン

メルボルンは南半球では、もしかしたらゆいいつの、ふらふら歩いていて楽しい町です。
ニューヨーク、東京、バルセロナ、メルボルン、歩いて移動する人間向きに出来ている町は、どことなく「居心地の良さ」の種類が共通している。

オーストラリア人には、多分、偏見なのだろうが、がさつで考えが浅いところがあって、いまもむかしもあんまり好きになれないが、資源と運に恵まれた国で、むかしから豊かな国だった。
そこにもってきて、例えば過去20年間のGDPの伸びをみると65%という恐ろしいような成長で冨を貯えて、ますます豊かになって、知っている人も多いと思うが、この20年間の長期経済成長は世界1位です。
余計なことをいうと、先進国中ただ一国、この20年間に二桁のマイナス成長を記録した日本と、わしガキの頃から、南北のふたつの国の盛衰を較べて見てきたことになる。
20年前は、いまだにオーストラリア人おっちゃんおばちゃんたちが根にもっているように、まだ日本人がたくさんいて、ずいぶんオーストラリア人を見下したようなことを言っていたが、あんまり愉快なことではないので、どんなことを言っていたのかは省略する。
おなじ20年間に、書いていてもなんだかちょっとびっくりだが、世界第2位の成長を達成したニュージーランドとともに、この20年間で日本とちょうど立場が逆になったことをしるせばよいだけに思います。

気に入った町には家を一軒は必ず買う、子供じみた癖があるわしは、当然、子供のときから馴染みがあるメルボルンにもToorakというところに自分のための家を一軒買ってもっている。
かーちゃんととーちゃんが持っている家の、ごく近くです。
ヤラ川の南で、むかしは日本人のオカネモチがたくさんいたところだが、最近は日本人の姿をあまり見かけなくなった。
CBDの最もおおきい駅であるフリンダースから小田急線そっくりの雰囲気の電車に乗って四つめの駅なので昔は下北沢と読んでふざけたりしていた。

Toorakがバブルライフスタイルの中心のようになって嫌いなムードになってきたので、この家はひとに貸すことにしたままいまに至っているが、入ってくる家賃をいまひさしぶりに見てみると、
すんごい金額で、もらうほうながら、こんなに家賃が高くてはやっていかれないのではないだろうか、と考える。
まさかいくらとは書かないが、一週間で10万円を遙かに越える金額です。

このToorakがあるサウスバンクとヤラ川の反対のノースバンクとで地域文化がかなりはっきり変わってきているが、近年は、どーだろーか、ノースバンクのほうが多分オフィス街があるせいで、地に足がついていて、文房具店ひとつとっても、ずっと店員が落ち着いている気がする。
小さな小さな伊東屋のような店で、当の、銀座の伊東屋の話をすると、案の定店員のほうでも数回でかけていて、あんな地上の楽園のような店はない、と、ふたりのいいとしこいた男で、うっとりと中空に視線を漂わせて話し込むことになる。
メルボルンやシドニーのようなオーストラリアの都会のひとつの特徴は、日本の黄金時代を知っているおっちゃんやおばちゃんが数多く住んでいることでもある。

伊東屋と書いて気が付いたが、メルボルンはどことなく東京に似た所がある町でもあります。
町全体が、ほのかにタタミゼしているというか、英語風ならばタタミナイズされているというか、店の品物の配置や、佇まいに、ときどき、びっくりするように東京風なセンスが感じられて、アジア的な町ということなら、シドニーのほうが全体にアジア的だが、日本の人にとってはメルボルンのほうが落ち着ける町であるような気がする。

「クビを傾げている長方形」のようなCBDを最近無料になったトラムで、まず北にのぼって、精確に言えば北北西にのぼって、Spring Stくらいを振り出しに、まずプロセコを一杯飲んで、モニさんとデレデレして、へらへらした顔になったら冬の冷たい空気を頬に感じながら、ゆるい下り坂を下りて、Little BourkeやLittle Collimsをぶらぶら歩く。
むかしからメルボルンには酔っ払いに来ているようなものなので、馴染みというか、勝手しったる店が数多(あまた)あって、午餐前からシャンパンを1本開けた朦朧とした頭でも、油断して閉まったままのガラスドアを堂々と粉々に割って入店するようなヘマはやらなくてすむ。

ときどき、ほんとうは前後不覚になっていても、ニソッと笑うと目のヘロさでばれてしまうが、見た目がまったく素面であるのと、モニさんというアルコールが入ってないときでも、ふたりでいるときには自動的にわし理性の役割を代行ではたしてくれる聡明な妻が傍らにいて奇妙なふるまいに及ぶとお尻をつねったりしてくれるので、規制が利いて、なんだかやや過剰にニコヤカなだけで、よく見るとニコヤカすぎてやっぱりヘンだが、ちょっと見にはただの機嫌がいい大男にしか見えません。

メルボルンはもともと戦後に、なにしろ金輪際食べられなかった鶏卵がアメリカ軍の放出で食べられるようになった喜びのあまり「スパゲティカルボナーラ」を発明してしまうほどのビンボで、本国では食える見込みがなかったイタリアから集団で大量の移民がやってきて住み着いた町で、そのくらいを皮切りに、欧州人のおおきなコミュニティが次々と出来て成り立っている町です。
あんまりよく事情を知らない人でも割と簡単に判るというか、例えばメルボルンという町では、バルサミコビネガーやオリーブオイルの大半が、ひどい場合はカノーラと混ぜてあったりするニセモノで、デパ地下のようなところでも、堂々とニセモノだけが並んでいる。
欧州デリでもおなじで、なぜそうなるかというと、オリーブオイルやバルサミコの輸入事業を地元に根をおろしたマフィアが牛耳っているからでしょう。
イタリア人が浸透して定着している町の常で、ちゃんとマフィアのファミリーが存在する。
マフィアの家業のひとつはオリーブオイルとバルサミコで、
そういうところは、やや、ニューヨークと似ていなくもない。

マフィアがいる町の通例で、観光客や暢気なオーストラリア人からは酷い味の料理を出してぼりまくるが、おいしい店もあって、Hardware Laneのような観光客でごったがえすレストラン街でも、む、むにゃあああ、とおもうくらい美味しい料理を出すイタリア料理店が存在する。

こーゆー感じ。

もっともモニさんとわしは、食べ物は、もっぱらフランス料理で、たまには実名で書くと、Bistro Vueなどはご贔屓の店と言うも可なり。
ツイッタでお友達を羨ましがらせて悶絶させるために載せたのは、ここの料理だった。

このタタールステーキも

そうして、ウッシッシ、天国のチョコスフレも

名物の行列がなければ、通りかかって、The Hardware Societeのようなフランス朝食を出す店で、むやみにちっこい椅子に腰掛けて、やはり小さくて低いテーブルにマウンテンゴリラのようにおおいかぶさって、ウッホウッホウホッホ、と舌鼓を打ちながら幸福になることもある。

(もっとも。このポークベリーとコロッケは、家の料理の人やモニさんが作るもののほうがおいしかったんだけど)

アンチョビやコロッケの南欧料理がおいしいのもメルボルンという町のいいところで、小皿の料理を頼んで、あっちでプロセコ、こっちでカバ、数ブロック先でシャンパンと、バークロールをして、二万歩も歩くと、今日はなんという健康的な一日だったろうと感動する。

表面には、というか、当の中国の人達にはまったく不可視だが、反アジア人感情は、残念ながら圧力釜のなかのようで、多文化主義の建前が抑えつけてはいるが、
メルボルンの友達と会うと、東アジア人、特に中国系人に対する反感はたいへんなもので、これがあのオーストラリアでいちばんマルチカルチュラルであると謳われたメルボルンかあ、とがっかりすることが多くなった。
むかしから、わしが出かける先は、なぜか白い人ばかりで、シンガポールにいてさえブルースコンサートで、「シンガポールて、こんなにたくさん白い人がいたのね」と思うくらい欧州系人で充満していて、メルボルンでも、オペラ調に翻訳した「マイフェアレディ」や、なんだかテレビの刑事ドラマじみたて格調もなにもありゃしない、ひどく出来が悪い「マクベス」や、行くところ行くところ白い顔ばかりが並んでいて、アジア人のひと、ほとんどいないじゃん、どこへ行っちゃったんだろうね、とモニと話していたりしていたが、Bourke Streetに行ってみろというので、日本なら新宿か、店が並ぶBourke Streetに出かけてみたら、なるほどアジアの人がどっちゃりいて、ああ、なるほど、これのことを指してアジア人の洪水とかゆうてはんねんな、と納得したりした。

納得しはしたが、だからなんやねん、というのがわしの感想ではあって、オーストラリアもニュージーランドも、より一層アジア系移民を減らすために新しい移民政策をまたぞろ作成しているが、地図を広げて見たらんかい、というか、
自分の国の地理的位置をまったく失念しているらしいところは、やる気になれば泳いで渡れる狭い海峡を隔てたEUからの離脱を決めて、「きみたちは、ひょっこりひょうたん島という日本の話を知っておるかね。島ごと大西洋を西に移動できるとでも思っているの?」と大庭亀夫先生に皮肉を言われた連合王国人と瓜二つなのだと言われている。

地図みてみいよ。
きみらが「ほんとうのオーストラリア人」とか「ほんとうのニュージーランド人」と、たいして考えもせずに述べて、ここはわしらの国だと息巻いているが、その故郷なる土地は地球の反対側にあって、地図を見ればオーストラリアもニュージーランドも、アジアの国だとしか言いようがない。
だいいち話してみればすぐに判るが、アジア移民も三代目、早ければ二代目でも、すでに英語人で、オーストラリア人で、単に皮膚の色と体格体型が異なるだけで、欧州系人となにも変わらない。

オペラやシェークスピアにうつつを抜かして、酔っ払って、小皿叩いて、ちゃんちきアリアを歌ったりする(←判らない人は三波春夫を学習するよーに)のは楽しいが、それが「ほんとうのメルボルン文化」であるわけではない。
イタリア文化やフランス文化、イギリス文化や、レバノン文化が流れ込んで、ぐるぐるとCBDで渦をなして、酔っ払いでろくでなしの欧州系人や、朝少しだけ早起きして他人より稼ぐ中国人や、鼻っ柱がやたら強くて意地でも自分の間違いを認めない中東人や、いろいろな人が、いろいろなものを持ち込んで新しい文化を産みだしかけている。

メルボルンは、ロンドン、トロント、ニューヨーク、ロサンジェルス、…世界にいくつか存在する多文化センターのひとつで、どの都市もそれぞれ異なるありかたで、まったく文化が異なる者同士のあいだに起きる相互作用が、どうすればポジティブにクリエイティブに働いて、どうすればお互いの嫌悪や否定につながらないように出来るか試行錯誤している。

いま世界の自由社会は敗退に敗退を重ねていて、地図を見ても、個人主義や自由主義が生き延びているのは、ごく僅かな地域でしかない。

わし友は、「なんだか古代ギリシャにもどったみたいだ」と皮肉を述べていたが、そのとおりで、息も絶え絶えというか、後退戦の繰り返しで、わし友でも中国の若い優秀なひとびとは、「民主主義などは、結局、人口が少なかったかつての欧州で生まれた幻影にしかすぎないのではないか?
西洋的な価値に、未来において人類を生き延びさせる現実性はあるのか?」と議論をふきかけてくる。

メルボルンのHardware LaneのCampari Houseの屋上には青空の下でワインが飲めるバーがあるが、そこでテーブルを囲んで、巨大な人口を抱えた地球のうえで民主主義が現実に有効であるかどうか、たたみかけるような議論を挑む、でも真剣このうえない若い中国人たちのことを思い出す。

ガメ、きみは間違っている。
これからの世界では自由主義はただの贅沢にしかすぎない。
誰かが死ななければならない世界で、死ぬのは中国人であってはならないんだ。
人間の平等というが、どちらかが死ななければならないのなら、それは他民族でなければならない。
そのためには、中国に自由主義が蔓延るなんて、とんでもないことなんだよ。
西洋人にとっては都合がいいだろうけどね。

そーゆーものなのかも知れないが、いまは興味がない。
まあ、ワインでも飲みなよ。
マオタイもいいが、オーストラリアのシラズはうまいのね。
こういうことはさ、きみみたいにただでさえスピードのある知性を全開にして考えちゃダメなんだよ、きっと。

ゆっくり、思案する。
Little Bourkeでハシゴして、酔っ払って、中国もイギリスもアメリカも、なあーんにも区別がつかなくなったら、ふたりでラリーしているんだかラリッているんだかの言葉の往復運動のなかから、意外な名案が顕れないとも限らない。

なんとかなるさ。
ミサイルが飛び交いだす前に。
根拠なんて、なんにもないんだけどね

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ver.6 https://leftlane.xyz もあるよ
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