日本とのつきあい

いちばん初めのブログ記事から、10年たつのではないだろうか。
たった6行の記事は、ためつすがめつ、何度も読んで、どこにも不自然な日本語表現がないことを確かめて、あまつさえ、義理叔父と従兄弟にも廻覧して、丸一日かけて書いたものだった。
ガイジンぽい言い回しや間違いがあるほうが「ガイジン」という特殊カテゴリの人類が存在する日本語の世界認識ではうけるのは判っていたが、そういうことは嫌で、特に日本語世界で人気者になろうというつもりで始めたのでもなかったので、当時から見るからに地方語化して、普遍性を失って、相対化された日本語を見る立場にあった者には明らかに瀕死の言語だった日本語を自家薬籠中のものとして、日本人の生活とはいったん切り離したものにしてしまえばいいと目論でいた。
いわば、日本語ではなくて自分語を創造しようといういたずらっ気で、ここまでずるずる続けているのだと思います。

この奇妙な試みには、予期しなかった副作用があって、日本では戦後民主主義の感覚が死んで、もうすぐ民主制が機能をとめるだろうとか、日本人には悪い癖があって、なにもかも知っているつもりで、英語ではcut cornersと言う、一見はむだに見えるのかもしれない手順を省いて、端折って、大事に至る社会のくせがあるので、東海村の臨界事故を見ればいい、そのうちに原発事故が起きるだろうとか、近くは、アベノミクスは傍目には失敗するに決まっている経済政策であると述べて、バルセロナの連合王国人経済学者の論文を紹介したりして、いろいろと議論の材料を提供してきたが、不幸なことに日本には「はてな」という、極めて日本的な、わしの目には悪んだろくでなしの、ごろつきじみた屁理屈おっさんやおばさんの巣窟にすぎないが、日本ではリベラルコミュニティの中心ということになっているらしいものがあって、主にここから、文字通り何百何千というトロルが集団で襲来して、というよりも驚くべき事に、特有な執拗さと薄気味悪さまるだしで、いまだに根気よく中傷しつづけているが、ニセガイジンの合唱という反応で、日本人である自分たちのほうがいかに英語が得意かというほかには反応がなくて、まったく議論にならなかった。

その結果、まさか日本の現在に少しでも影響があったとは自惚れないが、議論もなにもなしに、原発は予想どおりぶっとび(といっても公正を期すためにいうと、わしが爆発するだろうと考えていたのは「もんじゅ」だったが)、トリクルダウンという遙かな昔に実証的に、社会としての痛みとともに否定された考えを日本人の経済音痴につけこんで持ち出して、保守系の経済学者には、「おまえは日本政府にカネをもらったのではないか」とまで言われたクルーグマンの「ノーベル経済学賞受賞」という後光に包まれた「ま、日本は特殊だからもしかしたらうまくいくかもね」のひとことに目がくらんで、ひれ伏して、日本の、なにがあってもやじろべえのように経済と財政の安定を取り戻す抜群の回復力の源泉だった年金と個人預金をあらかた注ぎ込んで日本の経済体力を根底から破壊したアベノミクスを出袋することになっていった。

神のいない経済社会について ゾンビ経済篇
https://gamayauber1001.wordpress.com/2016/01/07/isgoddead/

そーゆーわけで、議論にもなにもならなかったが、こちらからすると、それはいわば日本人側の問題で、わしの知ったこっちゃないというべきか、知っているのに、なにも言わないと寝覚めが悪いだろうと考えて、やれるだけのことはやっていこうと思っただけのことだったので、別になんとも思っていない、ではひどいが、日本語にあまりいれこんだ日などには、なんだか頭が日本人風になって、怒りや失望を感じるが、部屋をでると、憑き物が落ちたように日本語が落ちて、あれ、あの感情はいったいどこから来たのだろう?と訝るていどのもので、ちょうど悪夢から覚めた人のように、こんなことを述べてごめんだけど、「そーか、わしは日本人じゃないんだった。日本人でなくてよかった」と胸をなでおろしたりしていた。

福島事故は過去のものになって、あれほど精確に事態を把握して気を付けていたはずのオダキンたちも、鮨や刺身を楽しむようになって、福島産の食べ物も、わざわざ「食べて応援」しなくても、流通して、普段に食卓に供されるようになっている。
それはそうだろう、とこっちも思うので、日本人の忘れっぽさということではなくて、そのくらい鈍感にならないと原子炉のメルトダウンが起きて、そのままほっぽらかしな、とんでもない島で、毎日の生活なんて出来はしない。

もっとも、ここから見ていると、現在進行ちゅうの出来事で最も日本にとって厄災であるのは、健康だけでなく、文化への悪影響の点でも、というのは日本語から真実性を奪いつづけて存在自体が文化の絶え間ない破壊力として働いている点でフクシマ事故だが、「これで日本も大丈夫!次の選挙で自民が大勝して、アベノミクスで大復興」と世の中を挙げて騒いでいたただなかで、ニセガイジンと冷笑されながら、ひとりでぶつくさこいていたアベノミクスも、あたりまえだが、実体産業の育成ゼロという、日本社会の口ばっかりで地味で実質的な努力はなにもしたがらない、ナマケモノ体質をそのまま反映した、ぶざまな性格で、いままで積み上げた社会の留保金を使いはたして、結果としてかつては無敵無病息災の優良児ぶりを誇った日本の財政は絶体絶命の窮地に陥ることになった。

見ていると、日銀総裁や首相は、そろそろ退くときがきたのを敏感に察して、
「自分は正しかった」ということにしたいのでしょう、台湾沖航空戦を思い出せばよいが、なけなしの有り金を株式市場に注ぎ込んで、株価を維持して、「勝った勝った、また勝った。勝たんでもええのに、また勝った。バブル景気以上の未曾有の大繁栄!」と述べて、英語世界からは「とうとう頭がおかしくなったのではないか」と訝られている。

これもしつこくしつこく零細ブログ(←このブログのことね)が述べてきた、平和憲法を捨てると現実の外交世界において日本は戦争に巻き込まれることになる、というほうも、書いている本人が、「もうさっそく戦争に巻き込まれちゃうのかあー。はやいね」と呆れるほど効果覿面、早速にアメリカにどんと背中を押されて、飛んでくる核ミサイルを受けて立つ「アメリカの盾」の役を買ってでることになった。

憲法第九条の終わりに
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/04/14/wherepeaceends/

原発がぶっとぶのも、民主制を失うのも、財政的に破滅の淵に立つのも、経済が瀕死の床に伏すのも、あるいは、いつ核ミサイルが飛んでくるかもしれない戦域下の国になりはてるのも、
だからゆーたやん、とも言えるが、そういうことは言っても仕方がないことであって、どちらかといえば、どれもこれも当時からわかりきったことであったのに、なぜ現実に破滅するまで突き進みたがるのか、そっちのほうの理由を切に知りたいと考える。

この零細ブログがいまでも、細々と、というよりももう少し実情に即していうと、へろへろへろと続いているのは、josicoはん (@josico)という名前の、といって、当然本名を知っているが、日本語みたいに、アホな勘違いおっさんが言語の地平の見渡すかぎり控えている言語世界で、うっかりjosicoはんの現実をばらしてしまうと、ミツワに群がるように日本の人がたくさん住んでいるオレンジカウンティに住んでいるので、危ないので言わないけれども、ゲームデザイナーの友達が書いた一通の手紙が原因で、ここまで何百とあらわれた、主にはてなから襲来するアホおやじたちにげんなりしても、日本語と日本の人への信頼が保たれているのは、最近は日本人はもう廃業したと称しているが、わしジーンズを半分に切ってもまだ長すぎる足の短さからしても日本人たるを免れない義理叔父と、従兄弟と、josicoはんの存在によっている。

josicoはんは初めて会ったときは、日本の某大手ゲーム会社に勤めていて、英語ゲームを通じて知り合ったが、ある日突然、もう日本にいるのは嫌だからバルセロナに行ってタコ焼き屋を始めるのだと言い出した。
2008年くらいのことだったと思います。
結局、タコ焼き屋は、先にグラシア地区の、わしアパートの近くで先に始めてしまった日本の人達がいて、行ってみると、アルゼンチン人のにーちゃんが、あいよっと、見事な手際でタコ焼きを焼き上げていて、ニューヨークのイーストビレッジの「福ちゃん」だったか、ラティノにーちゃんの見事な手際と甲乙つけがたくて、これは競争が厳しいのでやめたほうがよいと判断されて、わしの相も変わらずちょーテキトーな思いつきの提案にしたがってjosicoはんはブライトンの英語学校に通って、一時は仕事がみつからなくて、ビルのお掃除おばさんならなんとかの事態に立ち至ったが、神様は勇者を好む、急転直下で、マネージャーの態度に腹を立てて目の前で椅子を蹴っ飛ばして抗議するという自分の職業ごと蹴っ飛ばすようなjosicoはんらしい向こう活きを示す事件があったりしたあと、いまはアマゾンでゲームデザイナーをやっていて、このあいだは、やったー、グリーンカードもらったぜー、これで故郷の大阪にビザの心配をせずにタコ焼きを食べに行ける、と喜んでいた。

josicoはんは、友達なので、わしとまるで考えが異なる人で、政治上の考えも異なるし、第一、フットボールみたいな、いいとしこいたおとなが半ズボンでボールを追っかけ回すお下品なスポーツの熱狂的なファンで、最も肝腎なPCゲームの趣味さえ異なるが、友達というものは、そーゆーものです。

あれから、イタリアで20何年か主婦を続けているすべりひゆ@portulaca01は、相変わらず、よく訪問販売に来ていて仲がよかった「イタリアでは暮らしにくいのでドイツに行く」と述べて、それまでの厚誼を謝して去ったアフリカ人のにーちゃんは今頃どうしているだろーかと案じたり、息子が大学に入るかどうかハラハラしたりしながら暮らしていて、ずいぶん前から、すっかりイタリア主婦で暮らしているし、いつか「ブログで読んでおもしろそうだったから行ってきた」と、あっさり述べて、全然あっさり言って着けるようなところにない、スペイン・ガリシアのド辺境にある洞窟に出かけていって、洞窟の真上にある山のてっぺんでクロマニヨン人たちの生活について物思いにふけったりしていたチドリ@charadriinaeは、

Cueva de El Castillo
https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/07/21/cueva-de-el-castillo/

また欧州のどこかの、ついに白状しなかった潜伏先からフランスにもどって、紹介すると自動的に本名がばれてしまうので初めにだした本(フランス語で書かれている)を紹介するのは控えるが、次に出版する子供向けの本を書いているのだろう。

10年たてば、個人の生活はおおきく変わる。
いや、そのひと自身がおおきく変わってしまう。
自分自身を考えても、子育てに専念した期間の最近数年間も含めて、英語人としての実生活は、おおきく変わってしまった。
ときどき、日本語で書いているうちに、なんだか日本語の大地の上で一人歩きしはじめてしまった感がなくもない日本語人格であるガメ・オベールが日本語を書いているのを見ると、「おぬし、若いのお」と思うが、 仕方がないというか、わし日本語は生活において使われることがない特殊日本語なので、その日本語のなかで人格を獲得しているガメ・オベールが、わし自身なのは間違いなくても、なあああんとなく、考えにおいて甘ったれていて、ちゃんと年齢を重ねていかないのも、あたりまえといえばあたりまえなのかもしれません。

日本語を通してみえる世界は、日本自体がもう遠い記憶のなかにしかないせいで、なつかしくて、ぼんやりしていて、時間のなかに滲(にじ)んでいる。

人形町の路地で低い空を見上げていた日本にいた最後の冬

Hurdy Gurdy Man
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/20/hurdy-gurdy-man/

や、夜更けの森をモニとふたりでよく散歩した軽井沢の夏

山の暮らし
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/07/25/karuizawa/

思い出すよすがとして、写真を撮って、日本語でブログを書いておいて、よかったとおもう。

甲羅を経て30代も半ばになれば、世の中を渉るすべにも熟達して、例えば人間の好悪を判断するくらいのことでも、顔をみれば、どの程度の倫理感を持っている人間であるかくらいは判るようになってしまう。
若いときのように、周囲の状況が目に入らずに闇雲にパワーを発揮するということはなくなってしまうので、ほんとうはバカヂカラのタヂカラオになれば、サッカーで0-6で負けているときでも、無茶苦茶のバーサークで、7-6で勝ってしまうようなこともあるのかもしれないが、そんなことはなくなって、0-3くらいになれば、今回は、もう、ちょっとあかん、と無意識に頭が「手抜き命令」を発して、グラウンドを駆け抜ける速度も、0.3km/hくらいは遅くなるのではあるまいか。

一面、おとなになるということは自分が住む社会において「壁」をなすということでもあって、この頃は若い人と話すことが多いが、若いひとびとは会う度に工夫して、苦心惨憺して、わしという壁に体当たりしてくるもののよーです。
ふっふっふ、ワカモノよ、その程度の理屈で壁がへこむと考えるなんて、あまい。
金沢の落雁より甘いやつめ、と考えるが、テニスのラケットを手に、家のレンガの壁にボールをぶつけて遊んでいた頃は、まさか壁というものが自分にぶつかってくるものを跳ね返して楽しんでいるものだとは知らなかった。

おとなになるということには、自分よりも若い、まったく異なる考えの人間が増えてくるという、年々増大する楽しみを持つことでもある。
なにもアドバイスを求めて言ってこなければ 眺めて、うふふふ、そーゆーやりかたじゃダメなんじゃない?と考えて、黙ってみているが、話して理解できる能力がありそうな若い衆に聞かれれば、「そんなんじゃ無理よ」と応えることもある。
狡かったり、ナマイキだったり、自分をおおきく見せようとしたり、若い人はみなそれぞれ魅力があって、唇をかみしめて悄気ていると、まさかほんとうにやりはしないが、肩をだいて、元気だしなよ、と言いたくなるときもあります。

人間であることは、なんという良いことだろうとおもうが、その思いを重層的にしているのは日本語やほかの外国語で、うまくいえないが、ひとつの言語でしか考えない場合には見えないものがいつも見えているような気がする。
その「可視化された本来不可視のもの」には理屈だけではなくて、情緒が含まれ、感情が含まれ、世界をおおう色彩のようなものまでが含まれる。

日本語の森にはいっていくと、いつのまにか、頭から爪先までが日本語になって、鏡さえみなければ自分が日本人になるときがある。
そういうとき、時間の向こう、遙かな過去の遠くから、ゆっくりとした声で、ぎょっとするほど美しい声が聞こえてくることがあります。

あれが自分がめざしてきた日本語なのだな、と直感する。
その声がする場所にたどりつくまで。

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One Response to 日本とのつきあい

  1. さる says:

    >日本語の森にはいっていくと、いつのまにか、頭から爪先までが日本語になって、
    >...
    >ゆっくりとした声で、ぎょっとするほど美しい声が聞こえてくることがあります。
    >あれが自分がめざしてきた日本語なのだな、と直感する。
    >その声がする場所にたどりつくまで。

    美しい文章、静かで端正で想像力を呼びさます魅力ある日本語だと思う。

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