死者の吐息_1

全体に灰色で、ところどころおもいだしたように色がついている遠い記憶のなかで、ぼくは神保町の交差点に立っている。
日本には何度も行ったので、滑稽なことに、目を凝らしてみても、自分が子供なのか十代の終わりなのか、はっきりしない。
子供だとすれば、そんなところにひとりで立っているのだから、なにかの用事で、坂の上のヒルトップホテルという小さなホテルに母親と一緒に立ち寄ったのかもしれない。

義理叔父が気に入っていて、叔母が忙しくて日本にひとりでいるときには、ときどき館内案内に出ていない六階にただひとつある、まるで隠し部屋のような、モーツアルトの自筆楽譜や、高価なオーディオセットに囲まれた部屋に一週間も二週間も泊まっていることがあったから、面会に、ときどき母親と一緒にでかけた。

おとなの話などは退屈なので、母親と義理叔父が60年代風の制服を着たウエイトレスが給仕する一階のコーヒーショップで話をしているあいだ、坂をおりて、漱石が卒業したのだという碑がある小学校の脇をとおって、小川町へ出た。

その頃はまだ日本語の本を手にとってみても読めるわけではなかったので、多分、一誠堂や北沢書店に足を伸ばすか、近所のアメリカ人が経営する浮世絵のギャラリーでコーヒーをおごってもらったりしていたのではないだろうか。

日本は、とても不思議な国だとおもう。
例えば数寄屋橋の交差点を二階から眺めていると、ふと、この国はほんとうは現実に存在しているわけではなくて、ただ心象としてだけ存在しているだけで、読みかけの本に目を戻して、また窓から外をみると、そこには「日本」として見覚えていた町とは、まるで異なる町並と、姿も表情も異なる人びとが歩いていそうな気がすることがあった。

道を渡っていても、通りの向こう側にいかにも所在なげに立っているひとびとは、みなこっちを見ていて、じっと見つめていて、それなのに、信号が変わって通りの半ばまで渡ると、ひとびともビルもなにもかもがかき消えて、自分自身は突然明け方のベッドで目を覚ましていそうな気がする。

なにもかもが、どことなく現実感を欠いていて、表情が乏しく感じられたり、風景でさえ、どこか微妙に細部を欠いているような気がしてたまらなくなる。

子供のときには、よく、日本という国はほんとうは心のなかにだけ存在する幻影で、「こうでありえたかもしれない人間の社会」を過去からやってきたひとびとか、そうでなければ次元が異なる宇宙からやってきたひとびとが演じてみせている一種の仮想的な劇場なのではないかという空想を楽しんでいた。

その奇妙な思考の習慣がどこからやってくるかは判っていて、アボリジニ人を追い立てて、砂漠に「放って」、狩猟の対象にしたり初期コロニアルオーストラリア人や「神の名において」アラブ人の嬰児を虐殺して剣先に刺して並べたりしていた十字軍の物語を、忍び込んだ父親の書庫で読みすぎて、子供なりに、すっかり西洋文明に嫌気がさしていたぼくは、この世界のどこかに「この文明ではない他の文明」が存在することを切望していた。

ジョン王の国を夢想するのはさすがに無理でも、どこかに人類が見落としている文明があって、人間の欠陥だらけの世界にも意外なヒントが眠っているのではないか。

一見、西洋のモノマネで出来ていて、そつなくマネしてはいるが、ただ西洋文明の同工異曲にすぎないように見える日本の文明は、おおきな候補のひとつで、実は意匠として西洋を採用しているだけで、薄皮をペリペリと剥がすように、やはりどことなくインチキくさい西洋を剥がしてみると、その下からはまったく西洋文明の想像がおよばない、見たこともない文明が息づいているようにみえることがあった。

例えば、能楽というものがある。
歌舞伎は欠伸の連続で母親のお伴をさせられるたびに閉口したが、能楽は、あっというまに時間が過ぎ去るほど好きだった。
物語の内容は拍子抜けするほど通俗であるのに、足運びひとつとっても強く非現実的に演出されていて、全体を包む緊張は、到底この世のものではない。

いつか書いたように、日本に来たばかりの頃に、時差ボケで眠れないまま両親と夜更けの奈良公園に出かけて、暗闇でふとみあげてぶっくらこいてしまった金剛力士像がある。

先生について教わった日本刀、取り分け古刀の圧倒的な美があって、いまでは世界に有名な兜と鎧の造形がある。

ところどころ見え隠れする「見知らぬ日本」は、まるで生き物のように強い生命力で感じられて、それがどうしても過去のものに見えないことで、惹きつけられたのでした。

日本の人は視覚芸術にすぐれている。
いま、この瞬間にも草間彌生は造形しつづけているが、芸術の活動も、あんなふうになると巫女としてミューズの降臨を助けているのと変わらない。
詩人の言語能力が詩人の手をむんずととらえて彼/彼女の理性が思いも寄らなかった表現の高みに詩を運び去ってしまうように、日本の視覚芸術家の目は、画家の手におもわぬ形を描かせてしまうように見えることがある。

あるいは変わった例をあげると、日本の映画や物語は、たいてい過剰な感情や情緒が盛り込まれていて、そこから腐ってゆくが、かろうじて踏み止まっている例を考えると、映画「鉄道員」は、物語の真の哀切さが亡霊の心にあるものであることによって陳腐な人情物語であることから救っている。
意外に思う人が多いと想像するが、あの「鉄道員(ぽっぽや)」という映画は、英語人やフランス語人に熱狂的なファンを持っているが、熱狂の焦点が日本の人とまったく異なるところに特徴がある映画でもある。

そういう事情は能楽や小泉八雲の物語を眺めて行くと、さらに明瞭になって、実は西洋並みの物語と比較して死と生の価値が入れ替わっているところに日本の文明の特徴はある。

生は仮の姿であるよりも、むしろ無価値なものであって、日本文明が価値を見いだすのは、そのささやかな生の世界を囲繞している圧倒的に巨大な死の世界のほうなのであるように見えます。

古代マヤ人の文明にも蹴球が存在して、社会のなかでスポーツであるよりは遙かに高い桁違いの価値をもっていた。
当然、その勝者は社会の最大の称賛を一身に集める存在だったが、その栄誉の授与の表現は勝者の首をはねることでした。
死によって、彼の栄光は完成した。

今日は、もうこれくらいにするが、例えば西洋文明の尺度では単なる集団サディズムにすぎない武士道が社会のなかで美学として、あるいは極端な場合には倫理規範として機能するためには、では社会の現実はどんなふうでなければならないかを考えることは、いまの日本の殆ど生活のすべての局面に及ぶ価値の倒錯をよく説明する。

この次は、実は日本の文明においては死は生の一様態で、生は死になりきれなかった人間の存在の在り方であって、そのことがどんなふうに生の文明である西洋文明の受容を誤解の連続に終わらせて、いま向かっている破滅へ日本を運ぼうとしているかを考えたいと思っています。

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ver.6 https://leftlane.xyz もあるよ
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One Response to 死者の吐息_1

  1. Manu says:

    いつも読ませてもらってます。
    日本人として、ハッとすることもありますし、
    そうかな、と疑問に思うこともあります。
    どちらにせよ、すごく興味深いです。
    気が向いたら続きも書いてください。

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