三島事件へのメモ

四谷駅から、麹町とは堤を挟んで反対側の、外堀通りの坂をおりてゆくと、靖国通りと合流するところで、市ヶ谷総監本部がちょうど左側に見える。
東京の電車に乗るのは、地下鉄にしろ、JRにしろ、人間がぎっしりで全然無理だったので、東京にいたときは、タクシーか歩きか自転車だったが、飯田橋に出るこの方角に行くときは、快適なのでよく自転車で出かけた。

ちらっと左側を振り返るたびに、あれが三島由紀夫が割腹自殺したビルだよね、と飽きもせずに、性懲りもなく考えて、いったいどういう事件だったのだろう、と1970年に起きた、その風変わりな事件のことを反芻したものだった。

三島由紀夫という人は、デビューが早かったせいもあって、戦後文学であるよりも戦前の文学者群に連なっている。
谷崎潤一郎の世代の絢爛たる日本文学の空気を、戦争をはさんで、戦後にまで持ち越した人です。

「三島由紀夫の詩的な文体」と書いた人が以前に存在して、首を捻って、それはいくらなんでも逆だろう、と思ったりした。

島崎藤村は、詩人から小説家に変身するにあたって、詩的言語では散文がつくれない、あるいは散文の美が形成されないことを発見して、「千曲川のスケッチ」という、日本の近代文学のなかで五指にはいる素晴らしい文章を残している。
若い頃にはすぐれた詩人だった藤村が、やはり詩人で、親友だった北村透谷とおなじ運命をたどらないですんだのは、藤村が散文と詩の言語を峻別したからであるのは、あんまり文学の素養などなくても、両方を較べて読めば、かなり簡単明瞭に判ります。

三島由紀夫はそこから、さらに一歩散文側にすすんで、詩的でない表現であるどころか、中期以降は、すでに現実の日本語社会では死語になっていた表現を、螺鈿細工のように鏤めることによって、世にも美しい文章を残した。

その選択が意識的なものであったことは、川端康成たちの証言を読まなくても、ごくごく初期の幻想小説である「煙草」のようなものを読めば、これも簡単に納得できます。

三島は戦後文学の、どの系譜にも属さないことによって、孤独な地位を保っていた。
思想的には、流行らないどころか、とうの昔に奇矯とみなされていた天皇国家主義者だったが、ダヌンツィオ的な美学上の政治嗜好であったことは、楯の会の制服のデザインひとつみても判る。

案の定、正統右翼の日本人達も、扱いに困って、イロモノ扱いで、まあ、作家先生のやることだから、わたしらのような根っからの右翼には判りません、というような発言が多く残っている。

案外と、当時でも三島由紀夫の「政治的主張」なるものは、彼の文学の一部だとみなされていたようでした。

初めて読んだ三島由紀夫の小説は、英語版の「春の雪」で、ものすごく退屈な小説で、いったいなぜこんなものが英語でも日本語でももてはやされたのだろう、とひどく訝しんだのをおぼえている。

そのあと、というよりも、そのずっとあとで、「近代文学同人」のような戦後文学を、日本語の勉強のために欠伸を噛み殺しながら読み進めていて、吉行淳之介の、真に底意地の悪い「スーパースター」という、バーでみかけた三島由紀夫を、孔子を嘲笑う長沮・傑溺よりもさらに質が悪い皮肉な目で描写した短編小説を読んで、ふと興味が蘇って全集を買い込んで片端から読み始めて、だんだんに惹かれていって、ひと夏が終わる頃には、偉大な小説家と認識するようになっていた。

三島由紀夫の小説は、挿話がたくさん詰め込まれている。
一場の情景が完結的に描かれて、焚き火の前で着衣を脱ぎすてる海女や、炎上する金閣とともに、読者の心に長く残る印象を刻印する。

なかには、文学史に残る、という大時代な言い方をしたくなる、唸るような挿話があって、取り分け、極めて薄汚れた事件を描いて、汚濁した穢れの美を描く後期の三島の常套手段は、その、作家の人間性への絶望の深さに由来する巧みな希望のない暗黒の美で、虜にされるのに十分だった。

公刊時、ほとんどまったく、と言ってよいほど評価されなかったらしい四部作に観察者の知性そのものとして現れる本多繁邦は、清顕の転生を見届けることを役割とする弁護士として、戦争を生き延びるが、社会的信用の絶頂で、公園で覗きをはたらいているところを、「覗き仲間」の裏切りによって警察に逮捕される。

自他共に「選ばれた者」として振る舞う透が、単なる相対的に他にすぐれているだけのニセモノに過ぎないと判ることよりも、読んでいて、三島由紀夫という人の世界への絶望の深さが実感されるのは、こちらのほうで、世界というものの底意地の悪さ、邪さ、冷然と人間の美性を葬ってみせる三島由紀夫の才能の冴えは、言葉は適当でないが、読んでいてうっとりさせられる。

あるいは、こちらは有名なシーンだが、勲が夢見たテロリストとしての昇る太陽の輝きのなかでの死は、現実世界では、目的もはたせないまま、惨めに追いつめられたドブネズミの死でしかなくて、死の瞬間に「赫奕と昇る太陽」は、自刃の刃をつきたてた瞬間に瞼の裏に見える幻でしかない。

一貫しているのは、ストイックに空をのぼりつめて、羽根の蠟を太陽の熱に熔かされて地面にたたきつけられて死にゆくヒーローたちの唯美的な精神の緊張は、彼らの内心にだけ存在する美で、周囲の人間の目には、ちょうど神風連の、電線の下を通るときには、不浄をさけて、扇を頭のうえにかざして、明治の時代の文明開化人たちの失笑と冷笑をかった神風連に似て、軽侮の対象の、滑稽な狂気にしかすぎないことでした。

手違いのなかで最もおおきかったのは、総監部のバルコニーに立って演説をする前の自衛隊員たちを集めよと述べた要求書に「各部隊別に整列して静聴すること」という当然の一項を加えることを忘れていたことでしょう。

バルコニーのうえから、神風連風の拘りによって拡声器の使用を拒んだ三島由紀夫は、懸命に演説を試みるが、報道新聞社のヘリコプターと、あるいは三島由紀夫の滑稽な大時代に笑い転げ、あるいは戦後民主主義の世の中に自衛隊によるクーデターという素っ頓狂なアイデアで憲法改正への実力行使を訴える、「なんにも判っていないお坊ちゃん小説家」への「引っ込め」「バカ」「キチガイ」の悪罵で、演説がなにを述べているのかも聞こえず、二時間の予定をたった10分に縮めて、総監室に引っ込まざるをえなくなります。

ふりかえってみると、三島由紀夫は、あの滑稽な死を初めから判っていて、計画して演出したのだとしかおもわれない。
小説家のすぐれた美意識は、世人の冷笑と嘲笑、ひそひそと交わされる「バカなのではないか」「やっぱり小説家の政治意識なんて、あんなものさ」という声を、決行前から聴いていたのだとしか考えられません。

胸を張り、通らない声をはりあげ、あまりの滑稽さに若い資材部隊の隊員たちの笑いものになった、左翼知識人たちに、おもいきり罵らせて溜飲をさげさせた、荒唐無稽な、それでいて現実をありのままに見る目を持つ人間がみれば、そこに投げ出された現実は、まるで、浅薄なものをすべて浮き彫りにさせてやまないような、床いっぱいに広がった大量の血液の海であり、ごろりと転がったふたつの生首と、血の臭いとともに部屋の空気のなかに漂う、極限の苦痛であるという、印象がちぐはぐな事件でした。

戦後の歴史を、手負いの獣の足跡を追うように、事件まで追いかけてきた外国人にとっては、三島が文字通り生命を賭けて嫌悪したものは、アメリカの過剰投資によってもたらされた、おもいもかけぬ繁栄が生んだ、日本の社会の弛緩した精神であり、全体主義社会にとっては殆どそれだけが人間が人間たる拠り所になるはずのストイックな精神の欠如であったことは、ほぼ自明なことでした。

言い換えれば、個が全体と対峙して拮抗することによって生まれる、個々の生の欲求の緊張で成り立っている自由社会の、意匠だけをまねて、国家社会経済主義がうまく過剰投資のツボにはまることによって生じた空前の経済に驕って、最低限の真摯すら失った異様な社会への三島由紀夫という人の絶望の表現だった。

救いがあるとすれば、「そんなことを言うなんて、おまえも反動で、ほんものの自由主義者ではないのだろう」と罵られながら、案外とたくさんの文学者が、三島由紀夫の反逆劇の本質を見抜いていたことで、曖昧な低い声であっても、明瞭に、「狂っているのは三島ではなくて世の中である」と述べている。

ドナルド・キーンは事件が三島文学の論理的に必然の帰結であると遠慮がちに書いているし、いつものレトリックの竹細工のなかから小林秀雄は、事件に心を動かされた自分の魂の反応を訝っている。

面白いのは森鴎外の娘で、「話の特集コミュニティ」とでもいうべき雑誌のまわりをめぐって付き合いがあった森茉莉で
「滑稽な日本人の状態を、悲憤する人間と、そんな状態を、鈍い神経で受けとめ、長閑な笑いを浮べている人間と、どっちが狂気か?」

と述べて、このあと80年代90年代を経て、いまに至る、日本特有の薄笑いに満ちた狂気をはやくも明快に予言している。

三島由紀夫は思想などというものはどうでもよかったので、過去の遠くの押し入れから、手頃なものを引っ張り出してきて使っただけだったが、言語に手をひかれて自分でも思考をこえた見知らぬ場所に連れて行かれた鋭敏な言語感覚のほうは、このあとの日本の、あまりたいした理由のない傲りと自惚れで自画自賛を繰り返す、社会としてまるごと鈍感で弛緩した未来を、すでに知っていたようにみえます。

三島を狂人扱いして、文学者としては成功したのに思想家・政治家としては評価されなかった異常者の社会的栄達を願った劣等感の裏返し、という事件への評価が定着していって、自衛隊の最高責任監督者防衛庁長官であった中曽根康弘は制服組責任者の益田総監に「自分には将来がある。退職金を二段階引き上げてやるから、おまえが責任をとれ」と述べて「詰め腹」を切らせ、おどろいたことに自分はいっさい責任をとらなかった。

生き残った3人の学生は、まるで日本社会の側からの事件の批評の要約のような罪名で起訴されます。

嘱託殺人、傷害、監禁致傷、暴力行為、職務強要。

ベストセラー作家が引き起こした一幕の茶番として戦後史に記憶された事件を調べてみると、意外なくらいたくさんの「戦後」に関わる現実の様相が眼前にあらわれて、歴史の書き換えは現実の歪曲によるよりも事実の観念化によって引き起こされることのほうが多いのだという、単純な教訓を思い出させられる。

未亡人が公表に激怒したという作家の生首の写真を眺めながら、日本の「戦後」は、いま考えられているものとはまるで違う手触りのものなのではないかと考えると、なんだか、どこまでもぼんやりした気持ちになってしまうようでした。

Advertisements

About gamayauber1001

ver.6 https://leftlane.xyz もあるよ
This entry was posted in Uncategorized. Bookmark the permalink.

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s