マクドナルドとレイ・クロック

Ray Krocというひとには昔から興味がある。
いうまでもなくマクドナルド帝国を一代で作り上げた人だが、52歳になるまで、やることなすことダメで、しかも理由は傍目にはあきらかで、ビジネスアイデアをからきし持てず、取り憑かれたようにたいしたことのないアイデアに夢中になっては、周囲の失笑を買う体の人だった。

伝記映画「The Founder」にも出てくるが、すがりついている信条はただひとつで、「才能と人間の成功は関係がない。persistenceがすべて」という、身も蓋もないことをいえば、1950年代当時の自己啓発セミナーにいけば、どんな講師も述べることを、ただ親鸞が法然の教えをひらすらに信じたように信じていただけで、そういう言い方をすれば、信念の持ちようにいたるまで凡庸な人だった。

自分に才能とセンスがあると思い込んでいる人間は、十中八九失敗する。
簡単なことで、自己に対する批評能力の持ち合わせがある人間が、20歳をこえて「自分には衆にすぐれた才能とセンスがある」とおもいうるなどということはありえないので、つまり鏡に映った自分の顔を評価する能力を欠いているだけのことだからです。

自己に対する批評軸を持てない人間に成功のドアを開けてやるほど世の中は親切にできていない。

 

幸い、わが光輝あるドビンボパートタイムゲージツカ時代や徒弟アカデミア時代に知り合った、やたら鼻っ柱が強かったり、自分が天才であることを理解できない世の中を呪って罵倒していたりした仲間達は、みな大半がゲージツカから芸術家に表記が変更されて、今度は「世の中なんて、あまいもんじゃん」と恐ろしいことを述べているが、もちろん視界の隅には死屍累々、自称天才の生きた屍が山のように積み上がってもいて、その冴えない死体の山は、あんまりたいしたことがない20ワット電球くらいの才能を、世にも稀な太陽の輝きと錯覚した人間によって主に占められている。

一方で自己評価能力を完全に欠いた「自分には天賦の才能がある」と頭から決め込んでいる天才というものも存在しないことはなくて、誰でも知っている例を挙げればモーツアルトやピカソがそうだったが、そういう人間には25歳前にはどんな条件でも頭角を現しているという厳然たる事実があって、そうでない自称天才は、オックスフォードやケンブリッジ、MIT、ハーバードに行けば山のようにいるが、どれも二束三文の秀才で、頑張れば准教授かうまくすれば教授で研究職にはとどまれることがあるが、やっていることの価値からいえば、まとめて薪にしてログバーナーで燃やしてしまったほうが世の中のためであると言えなくもない。

学問以外でも投資のような仕事をしていると、自薦他薦の天才あるいは天才風にもたくさん会うが、話してみるのは面白くても、能力や着想そのものは、「あんた、その程度で突出していると思っていたらあかんがな。どんなに上手な絵でも、残念ながら才能の光がない絵は、他を引き立てる「地」にしかなりまへんで」と述べたくなる人ばかりで、言っても聴きやしないのはわかっているので、せいぜい礼儀正しく「なるほど、わかりました」としか言わないことにしているが、ドアが閉まったあとに、さて、ああいう人は、これからどんな一生を送るようになるだろう、と不吉な予想をめぐらすことはある。

Ray Krocの成功の原因は、初期においては、マクドナルド兄弟と出会って、Ray Kroc自身では決して持ちえなかったレストランのキッチンの合理化、それまでは20分は優にかかっていたハンバーガーを、待ち時間30秒で、より高い品質で提供するというアイデアとスピード調理に特化したカスタムキッチンという、アイデアを実現する方法をもっていて実際に成功した店を運営していた兄弟に出会ったからだった。

ためらうマクドナルド兄弟を、持ち前の熱弁で説きつけて、自分をフランチャイジーにすることを認めさせます。

そうして数十店規模のマクドナルドハンバーガーチェーンを成功させたところで、今度はHarry J. Sonnebornとの邂逅によって、レストラン事業がビジネスモデルであったものを、マクドナルドの名声と人気を使った不動産開発業へとビジネスモデルを変更して、それがマクドナルド帝国の原動力になってゆく。

余計なことを書くと、ビジネスに興味がある人には、ここがちょっと面白いところで、このマクドナルドの不動産開発によって莫大な収益をあげてゆくビジネスモデルを、元のレストランビジネスに戻して日本でマクドナルドを展開したのが藤田田で、実際、ビジネスとして眺めると、扱い商品と名前はおなじでも、アメリカと日本のマクドナルドでは全く異質なビジネスであることは、よく知られているとおもいます。

あくまで、良心的な「おいしいハンバーガーをだす店」にこだわるマクドナルド兄弟を、オカネモウケのための足手まといと感じだしたRay Krocは、ありとあらゆる手で商標権を兄弟からまきあげようとする。

兄弟の兄のほう、Maurice McDonaldが病気で倒れたりしたのをきっかけに、$2.7Mとマクドナルドの売り上げの1.9%をロイヤリティとして払うことを条件にRay Krocは、晴れてマクドナルドの商標を手に入れる。
Krocの自伝や、映画では、描き方を和らげてあるが、現実には相当ずるい手を使って商標を奪取したことは、契約に明記されていないことを口実に1.9%のロイヤリティは、結局、いちども払わないで終わったことを記せば十分でしょう。

アメリカのプラグマディズムには、現実に適用されるときに現れる面白い側面があって、例えば、どこの師団でも編入を拒否したアフリカンアメリカンの兵士たちを、将軍たちのなかで積極的に受けいれたのは北欧神話を信仰し、軍隊のなかでは人種差別主義者の権化のように思われていたGeorge Pattonで、びっくりしているアイゼンハワーに述べた「ドイツ野郎を皆殺しにするのに役にたつなら、白くても黒くても、おれは気にしない」という科白は有名になった。

当時、就業機会に恵まれなかったユダヤ人やアフリカンアメリカンや女の起業家たちを、Ray Krocは、フランチャイジーとして、どんどん受けいれていきます。

経営技術的には、徹底的な手続き主義で、しかも現場にそれを細部に至るまで実行させることに固執した。
一例を挙げると、マクドナルド帝国が完成したあとでさえ、自分の執務室から通りを横切ったところにある一支店に出かけては、フレンチフライを揚げる時間が10秒長い、ゴミ箱の周りが定時に掃除されていなかったとマニュアルのうち遵守されていない点をあげて糾弾したという話で、有名な「どのハンバーガーにもピクルスは二枚」のようなことから始まって、どんな細かいことでも、どのレストランでも同じにすることがRay Krocの「マクドナルド主義」の秘密だった。

人間的には、客観的に述べて、どこからどこまでもbastard(クソ野郎)だったRay Krocは、日本語なら「糟糠の妻」という、自分という成功とツキから見放された、糖尿病患者の、周囲からは成功の夢ばかり見ているマヌケとみなされていた男を支え続けて来た苦労時代の妻エセルに隠れて、自分を信頼したフランチャイジーのRawland Smithの美しい妻Joanと12年のダブル不倫を続けて、苦労を共にした妻を捨てて、相手の夫から掠奪する形で結婚する。

このJoan Krocは、ビジネスマンとしてだけでない名声と栄誉を手にいれたかったRay Krocにいまでもたくさんの子供を癌やほかの不治の病から救いつづけている、ピエロがトレードマークのRonald McDonald Houseを含む慈善事業を通じて、Ray Krocが望んだ栄誉を与えることに成功します。

52歳の負け犬然とした中年男が、自宅を妻に内緒で担保にいれて始めたマクドナルドハンバーガーは、「マクドナルドを、どの町にもある教会とおなじ存在にするのさ」というKrocの大言壮語そのままに、あっというまにコースト・トゥ・コーストどころか、世界帝国に成長して、1984年にKrocが現役のまま心臓病で死んだときには、8300店を数えるようになっていた。

以前、

シャーリーズ・セロンの場合/ 生活講座 番外編
https://gamayauber1001.wordpress.com/2015/01/20/survival-kit-e/

を書いたときに、レイ・クロックの例を挙げたら、「そんなビジネス上の成功などは成功のうちにもサバイバルのうちにも入らない」と言いに来た人が何人かいた。
まるで子供のようだ、と、日本の人らしい自分の人生に対する無責任ぶりに、へえ、と考えたが、それは、厳しいことを言えば人間の世界というものに対する洞察力を欠いた、「なにもしない人の意見」だと言わないわけにはいかないよーです。

「人間はとにかく食わなければいけないのだ」というような退屈なことを述べているのではなくて、人間の一生の面白さは、自分がどんな才能の持ち主であるのか、まずたいていは知らないまま暮らしていくほかないことで、自分にとって興奮を呼び起こされて、夢中になることは、それが音楽であるのか、絵画であるのか、数学なのか、ビジネスなのか、そういうカテゴリだけではなくて、自分がどのようなタイプの考えを気に入っているのかさえ、自分ではよく判っていないことに起因している。

文無しで、凡庸で、道徳心に欠けた病気持ちの中年男だったRay Krocは、一方では、自分では考えもつかなかった他人のビジネスプランで、斬新なものに出会うと、損得を忘れて夢中になって話し込む人でもあった。
その「熱」が、誰にとっても「うさんくさいセールスマン」にしか過ぎなかったRay Krocに、たくさんの人が付き順った理由でした。

Ray Krocの一生は、「人間は、どういう条件が与えられると成功するのか」ということについて、ビジネスに限らず、膨大なヒントを提供している。
しかも、どこにでもあるマクドナルドのゴールデンアーチを見かけたり、モニの目を盗んでこっそりビッグマックを食べたりするたびに、Ray Krocの摩訶不思議な一生をお温習いできるので、それだけでも、わしは感謝している。

兄弟の若いほう、もともとのマクドナルドのアイデアの発案者である「ディック」マクドナルドに、「なぜ、きみは、そんなにマクドナルドの名前にこだわるんだい? 初めて会ったとき、ただでスピーディキッチンを全部見せてあげたんだから、ぼくらには黙って違う名前でやればよかったじゃないか」と聴かれたRay Krocの答えは、「McDonaldは、ハンバーガー屋の名前として最高だからさ。
なんとかバーガーやバーガーうんちゃらじゃ、ぼくなら食べに行く気はしないね」と事も無げに応えたという。

Krocはビジネスマンとしての自分の天才がどこにあるのか、成功したあとでさえ自分でも全く知らなかったわけで、ほんとうに人の才能というものは、誰にもどうにも全く判らないものだ、と、その逸話を思い出すたびに考えます。

だから素晴らしいのだけど。

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ver.6 https://leftlane.xyz もあるよ
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