Daily Archives: August 25, 2017

クアラルンプールで

1 英語ニュースがトランプだらけなので、うんざりして、日本語ニュースをぼんやり眺めていたら、スピナーが日本でも流行りだしたという記事があって、人気の理由のひとつは自分でも組み立てられることだ、と述べている。 記者も組み立てに挑戦してみました。 そこで目が止まる。 組み立てに「挑戦」する。 日本語がうまく話して書けるようになって「日本人なみですね。いや、もしかしたら日本人よりもうまいかもしれない」と言われるようになった頃は、でへへへと喜んでいるばかりで、なんとも思っていなかったが、だんだん日本語の深みにはまってくると…あ、いや、理解が深まってくると、この「挑戦」が、読んでいてひっかかるようになってしまっている。 むかし東京の目黒で、コンビニの若いバイトがやめてしまったかなにか、なんらかの事情で、70代くらいのじーちゃんたちが3人で、いかにも覚束ないやりかたで店員をやっているのに出くわしたことがある。 肉まん評論家なので、東京にいるときにはよく肉まんを食べて、維新號や神楽坂五十番が好きだったが、別段コンビニの井村屋でも嫌ではなくて、そのときも肉まんを買おうとしていたのだったとおもいます。 ところが、支払いの列でひとり前の大学生の弁当で、「あたためてください」と言われたので、じーちゃんたちはパニックに陥っていたのだった。 驚くべきことに、このじーちゃんたちは、店の電子レンジの使い方が判らないらしくて、客の大学生が、こーするんです、あーするんです、と説明するのを懸命に聴いて、やっと弁当を暖めることに成功する。 「挑戦」という言葉を観ると、そのときのじーちゃんたちのねじり鉢巻きをしてフンドシを締め直しそうな勢いが思い出される。 この生硬な、日本人が意味不明なchallengeの使い方をする原因にもなっている古色蒼然とした表現が、いまだに多用されることの背景には、日本の文化のどこか奥深いところにある、ものに臨むときの生硬さ、気負いがあるのでしょう。 映画を「鑑賞する」という。テキトー日本語学習者の目からみると、これも「ど、どーしたんだ」と、ちょっと上半身を引く体勢になりそうな言葉で、映画を「鑑賞」という感覚は、日本語が判れば判るようになるほど、違和のある、判らない感覚と感じる。 ご趣味は? AV映画の鑑賞ですけど、というような会話を思い浮かべてしまう。 まあ、ワイルドなご趣味でけっこうですわね。 それで流派は、どちらの? 日本ですか? それともアメリカ? 最近はpornhubのようなお下品なものが出来て、まったく嫌ですねえ。 外国人は、つくづく、陰翳のある、もののあはれがわからない。 「鑑賞」されては、くすぐったい映画はたくさんあるとおもうが、それでも映画は「鑑賞する」ものだと日本語教科書が教えているのは、実際に頻用されるからで、 この表現が陳腐化をまぬがれて生命を保っているのも、やはり、その背景には日本人の気持ちのどこかに映画を観てなにごとかを学ぼうという制服を着て畏まった気持ちがあるからなのに違いない。 別に悪くはないし、第一、たとえヘンテコだと感じても外国語にめくじらを立てるつもりもなくて、そんなヒマがあれば「めくじら」は目のどの部分にあたるのかを辞書で調べたほうが教養の増進に役立つと思われて、目のヘンなところがおったってしまうと剣呑なことになるのではないかと考えたりもして、思考材料としても有益だが、その生硬さが、日本文明のなにかの部分の本質につながっているような気が、いつもしている。 答えはないのか、って? 答えはないんです。 ずっと読んでくれている人はみんな知っているが、このブログは疑問が出てから、波頭のあいだに「?」が沈んで、数ヶ月を経て、海面に浮上して、また潜航して、 あーでもない、こーでもない、何年もたって、やっと暫定的な解答らしきものがあらわれる息の長さで、なにしろ「ビンボ生活サバイバルその1」が出て、おお、常には非ず面白いのでは、とおもって待っていると、その2は四年後だったりする。 名曲「やぎさん郵便」よりも、ひねもすのたりのたりのたりなブログなので、聴けばガチャポンにご託宣がおりるオラクルのようなわけにはいかないのです。 第一、 アポロンの神殿の祭壇の石の体積を2倍にするのは無理だったではないか。 2 Batu Ferringhiという浜辺のリゾート地で、ホテルのてっぺんのテラスから、夕陽を背景にパラグライディングするニカブ姿の女のひとたちを眺めて数日を過ごしていたらスティーブ・バノンがホワイトハウスをおんだされたというニュースが流れてきた。 近来にない良いニュースで、これでやっと人間に、というよりももっと特定して述べると白いひとびとに、自分たちの思想と哲学を再検討して、マニンゲンになる時間の余裕が出来た。 前に書いたがバノンなる人は、報道されているよりも実像はもっと怖い人で、述べ続けてきたことを追ってきたほうからいうと、簡単にいえば思想家です。 ビンボな家で、暴力おやじにぶちのめされながら育ったバノンは、やがて憎悪をエネルギーに変える、というお決まりと言えばお決まりのパターンで自分を鍛えてゆく。憎悪を核エネルギーのごとく反応させると巨大な力がわくが、一方では、憎悪の言葉が自分の脳髄を不可避的に支配することのほうは、この手のひとたちのご多分にもれず気が付かなかったようで、誰がみても、ホワイトハウスのなかに入り込めば実現可能なプランであるところが怖かった。 もう何度も書いたので、ここでは繰り返さないが、ひとことでいえば世界の最終破滅戦争を起こして、その核の巨大な破壊の炎のなかから「覚醒した白人種」が立ち上がって再び世界を支配する、という戸塚ヨッットスクール思想で、なんてふざけてはいけないが、コンジョナシが主な欠点な白人文化に喝をいれちゃろうという怖い思想で、トランプなどはどうでもよいくらい怖いおっちゃんだった。 そのバノンがホワイトハウスを出たので、手に入るいちばん良いシャンパンを持ってきてもらって、モニとふたりでお祝いしました。 まるでヴィイに出てくる地の霊のようになんでもよく見える哲人どんが述べていたように、日本に北朝鮮の核ミサイルが飛んでくる可能性は変わらないが、というよりも、北朝鮮が核のナイフを日本の喉首に突きつけたかっこうなのを是認してアメリカが自分の外交的全面敗北を認めて譲歩するか、金正恩が大好きな日本料理を食べ過ぎて頓死するかしなければ、いまのままいけば外交論理的にのべて遅かれ早かれ飛んでくるに決まっているが、世界規模にならない以上、日本の人にしても逃げるところもあれば、第一、北朝鮮の核は向こう20年がとこはキロトン級なので国土が廃墟になり、汚染されても、ま、福島第一事故みたいなもんだからということにして、なんとか被害をまぬがれた地方に住み続けることも出来るかもしれない。 … Continue reading

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