2025年の日本をめざして_2

歴史は繰り返す、というが、繰り返さない歴史の典型が戦争で、戦争は、ほとんど一度も過去の形態を繰り返したことがない。

むかしは死刑囚は斧でクビをちょん切られるものと定まっていて、いっぺんでクビが切断できればよいが、なかなか頚部切断の勘所に当たらないので、頭にあたったり肩にあたったりクビのまわりがギタギタになって死そのものよりも斧で痛めつけられる苦しみのほうを虜囚は恐れた。

この非人道的な死刑に野蛮を感じたのがギロチン博士で、はずれなしにスパッとクビが切断できるように工夫したのがギロチンです。

戦争における戦車の発明も同等の発想にたっていて、若いときから戦争好きの右翼おやじだったウインストンチャーチルが戦車を発想したのは膠着を常とした当時の塹壕戦を打撃力のある「フィスト」で打開するという、子供のときから人形を使った戦争ごっこばっかりやっていた戦争オタクのチャーチルらしい考えだったが、これが高級将校たちに広汎に支持されたのは、近代塹壕戦があまりに悲惨で、人間の限界を越えて、発狂する兵士は数知れず、生き残った復員兵も廃人同様が続出したので、なんとか塹壕戦をなくさないと、多少でも文明的な戦争はやれなくなってしまう、という理屈だった。

リデルハートが目を付けたのは、戦車の打撃力のある機動性で、打撃力があって機動力があるのなら、これを集団で使用して、ちょうど艦隊のように運用すればよいのではないかと考えついた。
この冗談じみて単純な考えは、思考の飛躍が苦手なイギリスにおいては採用されなかったが、リデルハートの著作を読んで感銘をうけたドイツ陸軍のハインツ・グデーリアンによって現実化されます。

戦車を集団使用して、とにかく敵の抵抗線の最弱部を突き抜けて反対側に行ってしまう。そこから後方の(軍隊にとっては神経組織にあたる)通信網をずたずたにして、各所に点として孤立した敵を、無防備な想定外の方向から攻撃して破壊する。

元祖のリデルハート、グデーリアン、フランスのドゴールのような戦術オタク以外には思いもよらなかった、あとで「Blitzkrieg」と呼ばれることになる、この戦車の集団使用によって、兵器と兵員の質・量ともに圧倒的にドイツを上廻っていた世界最強の兵力を誇っていたフランスは、あっというまに陥落してしまい、最も重要なことは、それまでは「愚かな左翼」を黙らせるために道化としてエスタブリッシュメントが操っているにすぎなかったアドルフ・ヒットラーが、三段跳びで一挙に神韻を帯びたゆいいつ絶対の独裁者「フューラー」として君臨することになってしまった。
昨日まで支配層にとっては冗談のタネだった菜食主義者で偏執的潔癖さをもった 狂人じみたおっさんが、いきなり絶対支配者になったことが、いままでの世界の歴史で最大の危機であったナチの時代を生みだしたのでした。

今度は、どうやら核ミサイルの応酬という新しい戦争を目撃することになるらしい。

前にも書いたが、子供のころ、原爆を生みだしたオッペンハイマーの有名な「I am become Death」のビデオを観て、「60年代は核の不使用どころか、全面核戦争の危険がある時代だったのだなあ。なんという恐ろしいこっちゃ」と考えたことがあったが、冷戦の終わりとロシアの国家破綻を起点にして、ついに「核使用をためらわない」と公言するトランプの登場に至った現代の世界の根底的な問題は、核という絶対暴力が自分達の文明を根こそぎに破壊するものだという認識を人類全体が再び失ってしまったことです。

キューバ危機の頃、たとえばサルトルたち、当時の哲学者は核の暴力の規模があまりに圧倒的なので人間の言語からは真理性と意味とが失われてしまっていることを認識していた。
暴力と言語に代表される認識と思惟の内面意識とは、相対立するもので、暴力が支配する世界においては言語は意味をもたない叫喚程度の意味しかもちえない。
文学などは圧倒的な暴力の下では芸術として無効なのではないか。

人間はそこに戻ってしまったわけで、北朝鮮の核開発は、実際には、その核という暴力が人間の文明の底で息を吹き返して人間の文明から意味を奪い始めたことの歴史的あらわれにしかすぎません。

歴史は、つねに一見連関のない事柄が互い協力するようにして、世界をひとつの方向にひっぱってゆくが、いま日本がメルストレエムの渦巻きに呑まれていくように、核攻撃に向かって一歩一歩あるくことになった理由の根源は、ブッシュのイラク攻撃にあります。
お坊ちゃん学校に行った人間ならおなじみのある、一種の人間味に似た、かわいげのある表情の悪魔であるブッシュは、父親をオカネの入り口にあたる顧問にして戦争で利益をうける各社につけると、アメリカの脅迫に屈して核開発をあきらめたイラクめざして雪崩をうって地上軍を突進させた。
アメリカの国益に敵対する各国の独裁者の面々は、この「惨劇」をじっと眺めていました。

父親の死後、独裁の地位をついだ金正恩が、この過去の歴史から学んだことは、「自分も核を捨てれば必ずアメリカに殺される」ということだったでしょう。

金正恩は結局、アメリカの脅迫をシカトして、核開発に国力全体を注ぎ込み、ミサイルと弾頭の開発に成功して、現状は、衆目の一致するところ、この外交的賭けに完全に勝利した。

北朝鮮が活路をみいだそうとしているのは、大雑把にいえば中国が歩いて来た道のりであることは言うまでもありません。

核とICBMの開発を強行して、とにかく持ってしまえばアメリカは手出しを出来なくなる。
その段階に至れば手近な韓国と日本への攻撃を材料に恫喝することによって外交的な戦果をあげながら、経済を発展させて、世界経済のなかに自国を組み込み、アメリカが一方的に自国を破壊するという目論見を思いとどまらせることが出来る。

世界中に北朝鮮を近い将来の投資先として考えている投資家は、たくさんいます。
勤勉で従順な国民、ほとんど資本主義を知らないウブな市場…投資家にとっては、「わたしを使って稼いでください」と言わんばかりに目の前に身体を横たえている国を前にして食指を動かさない投資家はいないでしょう。
実際、北朝鮮は、いったん国が安定すれば、ありとあらゆる投資機会にあふれていることで知られている。
しかも指導者は残酷性の強い独裁者とはいえ、経済の発展のためならどんな便宜も供与しようとすることが間違いない、しかも先が長い若い指導者であると来ている。

前回述べた絶体絶命の危機から日本が逃れ出る道もここにあって、現実の問題として、北朝鮮に核開発を黙認して、経済発展を積極的に助けるほかには、北朝鮮とアメリカ、といっても戦争になったときの実態は北朝鮮対日本・韓国の戦争を避ける方法は、多分、ほかには存在しないとおもわれる。

問題は、現実に北朝鮮の暴発防止プログラムに入る場合の北朝鮮のスタンスで、いまの状況であると、北朝鮮にとって深刻な問題がおきれば北朝鮮は日本へ小型核弾頭のミサイル攻撃をおこなって、それにアメリカが反応して自国を攻撃する姿勢をとれば、とっておきの大陸間弾道弾でグアム・ハワイ、ひいてはアメリカ本土を攻撃することをちらつかせて抑止する、というシナリオになっている。

つまりは、頭にくれば右手に握りしめた核ミサイルの剣で、おもいっきりアメリカの盾である日本をひっぱたいて、それでアメリカが激昂するようならアメリカ自体の頭上をめがけて剣をふるうと脅す、ということでしょう。
トランプが日本との軍事同盟に基づく義務を結果としてでも最後まで誠実に履行する確率は、1割、あるかないか。

このブログでは何度も出てくるように、中国の特徴は、ひとくちに「中国」といってもひとつではないことで、やや政治力が衰えてきているとはいってもいまだに独立した勢力である人民解放軍と習近平が率いる政府のふたつの勢力が中央にあって、その中央に面従腹背する存在としての地方がある。
中国という国は水滸伝を読めば得心がいきそうな国民性の反映で、世界のなかでも飛び抜けて統一を保つの難しい国で、顔を近づけて仔細に検討してみると、なんだかもう無茶苦茶といいたくなるような内情で、いまのところ統一が保たれているのは、要するに「儲かっているから」という単純な理由によっている。

儲からなくなれば、どうなるかというと、それぞれが自分の相対的な面子の上昇と利益の増大に向かって、他勢力はおかまいなしにふるまいだすわけで、日本にとって切実な問題でいうと、人民解放軍の悲願である「対日戦勝利」に向かって挑発を繰り返しだすのは、まず間違いないところだとおもいます。

そうやって考えると、トランプ大統領や安倍首相がいま向かいだした政策は、バカまるだしなことをやっていて、つまりは習近平を困らせて人民解放軍を助けようとしているようにしか見えないことになる。

習近平からみると、「なんで安倍やトランプは、そんなに戦争がやりたいんだ!」と叫びだしたくなるような事態でしょう。
人民解放軍と、それと結びついた政敵が勢いづくことは習近平が最も恐れる事態だからです。

どの戦争の前にも判で捺したようにシアワセな論者がいて「経済的にみあわない戦争などおきるわけがない」という。
近くも、1938年のイギリス人は、おおまぬけもいいところで、同じ理屈に立って「ついに世界に恒久平和が訪れた」と、いまふりかえってみると、愚かとしかいいようがない平和達成感に酔ったりしていた。
チェンバレンの政治ロジックを嘲笑うかのようにドイツがポーランドに侵攻するのは翌年の1939年のことです。

「利にあわない戦争は起こらない」理論がいかに間違っているかは経済の理屈と国権の理屈は異なるのだということに気が付くだけでも十分でもあるけれども、もうひとつ、いまの日本が直面している世界に添わせて述べると、前回述べたように「軍人は戦争を避けようとする」が、いっぽうで軍人は必要だとみなせば戦争をためらわない存在であることも付け加えておいたほうがいいかもしれません。
トランプ一家と取り巻きがあまりにひどいので日本ではマティスやケリーに期待するという、おっそろしい理屈をなす人がいるけれども、軍人は軍人なので、軍人に政治を期待して破滅的な結果にならないことは珍しい。
「良識のある軍人」ほど破滅を招きやすい恐ろしい存在はないのは、たまたま在任中には決定的な破綻が露見しなかったアイゼンハワー大統領が在任中に行っていた倫理のかけらもない、無惨なほど人間の低いところを見つめた打算だけで出来た行動を見れば十分であるような気がする。
それを冷徹な現実主義と呼ぶ人は、ついに政治にも倫理にもまったく鈍感で縁がないひとです。

軍人が戦争を避けようとする傾向があるのは戦争が現実になにをもたらすかを普通人よりも想像力をもって考えられるからだが、一方で軍人は、その悲惨をもたらす戦争行為をためらわらないように徹底的に自己を教育した存在でもある。

簡単にいえば戦争行為に関して限定してのべれば、軍人は通常の社会の基準からいえば異常者なので、また通常社会の物差しで定義する異常者でなければ戦争を職業とすることはできはしない。

いまのアメリカのホワイトハウスは、どこからどうみても実質は軍人内閣で、戦争に向かう確率は通常の国よりも遙かに高い。
ところが、その遙かに高い確率で起きそうな戦争の、ちょうど戦域に位置することがいまの日本の地政学的な不幸で、あらためて地図を観るといいが、日本は、いま戦争にむかって焦点をつくりつつある、北朝鮮、中国、ロシアのすべてに隣り合っている。
しかも軍事テクノロジーの進歩と核兵器以外有効兵器をもたないビンボ国北朝鮮の存在によって、戦場は東に拡大して、海を隔てた日本こそのが戦場になる形勢です。

アメリカが、外交的敗北を認めて北朝鮮に対して大幅に譲歩して経済を助けることになれば何とかなる可能性もであるが、失敗すれば、今度は中国がアメリカと可視的に対立しだすことは、ほぼ明らかでしょう。
そうなった場合、チョシンの地獄が、数十倍数百倍の規模になって、日本の国土で展開されることになる可能性まである。

仮に北朝鮮の金正恩政権が瓦解した場合でも、アメリカ勢力圏と国境を直截接するわけにはいかない中国は、逆に韓国を支配下におくという離れ業をみせるかも知れません。

日本の安全保障にとって深い関係があるイランについても書いておこうとおもったが、昨日おそくまで遊んでいたので眠くなってしまった。

戦争の危機の話は、もうこのくらいにして、次からは経済の話にしたいとおもっています。

では

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ver.6 https://leftlane.xyz もあるよ
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