2017年のサバイバルキット_1

あちこちでテロの爆弾事件が起きて、ショッピングセンターで逃げ惑うひとびとに向かって半自動小銃を撃ちまくる白い男がいて、ほんとはやはり隣国は核ミサイルを撃ちこもうとしているのではないかと、不安な眼差しで空を見上げている人がいる。

ウサマ・ビン・ラディンはアメリカ人と一緒に肩を並べてアフガニスタンで戦う戦士だったが、いざ苦しかった聖戦が終わって、故郷のサウディアラビアに帰ってみると、イスラム人の口からは「傍若無人」としか呼びえない米兵たちの振る舞いに次第に怒りを募らせていった。
ニカブの女たちを指さして手真似で嘲笑して野卑な言葉をなげかけるGIや、イスラムの神にかけらも敬意をみせない米兵達に苛立ったからです。

ある日、ウサマ・ビン・ラディンが通りに立っていると、目の前でアメリカ軍の女兵士が着替えはじめた。
木陰に立って、さっさとTシャツを脱いでブラひとつの姿になって、着替えている。
ビン・ラディンがアメリカを滅ぼすべきだと心に決めたのは、このときだといいます。
なんでも検証好きの日本の人のためにいうと、わしはこんな経緯は勉強したことはなくて、子供のとき、朝のテレビで観たことを受け売りに述べているだけなので、信用できないが、少なくとも英語人に流布された物語では、そういうことになっている。

カネモチのドラ息子の特徴は、突拍子もないことを頭のなかだけでこね回して作り上げて、その計画を現実に実行した場合の現実の地獄絵に対しては一片の想像力ももたないことだが、ウサマ・ビン・ラディンも、その通りの人で、霧がたちこめた朝、ニューアークに着陸しようとしてエンパイアステートビルに激突して危うくビルを崩壊させかけた有名な事故が頭のどこかに残っていたのでしょう、旅客機をハイジャックして、世界貿易センターに突っ込ませると、思いがけない爆発を得て、ふたつのビルは完全に崩壊してしまった。

ベルギー人友は、9月11日は良く晴れたので、テラスで洗濯を、と考えて、テーブルにワインとグラスを並べて、あの生活を楽しむのが得意な人のいつものことで、手作りのサンドイッチも並べて、爽快な午後を楽しもうとしていたところに、視界の横の低空を、旅客機が横切っていった。
飛行機がつっこむと炎を黒煙があがって、これは大変なことになったと思ってテレビをつけたら、二機目が突っ込んでいった。

自分で気が付かないうちに、みるみる涙が両目にあふれてきて、何が起きたのが判らないが、何が起こったにせよ、この数年続いた平穏な幸福は終わったのだと悟ったといいます。

もっと大袈裟にいうと、アメリカの幸福は終わったと感じていた。

実際、この記事を書いている2017年までの時点では、アメリカは、この事件のショックから立ち直ることはなかった。
ちょうど日本の歴史でいえば福島第一発電所の事故のようなインパクトで、アメリカ人たちは怒り、悲しみ、なにごとかと戦おうといきりたったが、自分の「敵」が正当な戦場に軍隊として姿をあらわすことはなかった。
行き場のない怒りは、ニューヨーカーを駆りたてて、イスラム人が経営するお土産家電店につかつかと入っていって大声で中東人を罵倒したり、イスラム人を町でみかけると、すれちがいざまに「自分の国に帰れ」と言わせたりした。

欧州人は、むかしから、テロというようなものにはなれている。
そのころはまだフランスに向かう新規開業のユーロスターがウォータールーステーションから出ていたので1994年のことではないかとおもうが、親の目を逃れてこっそり買ったマクドナルドハンバーガーの空き袋を捨てようと考えたら、ゴミ箱というゴミ箱が封印されていて、閉口したことをおぼえている。
当時はIRAの爆弾事件が続いていたころで、内緒だがアイルランド人贔屓だったぼくは、複雑な気持ちになっていた。

憂鬱な気持ちのままユーロスターに乗って、出された折角の鱈にも食欲がわかなくて、様子を見に来たウエイターが、ひどく落胆した顔になって「お気に召しませんでしたか」と述べたことまで鮮明におぼえているが、そうやって「なれる」ことは本当にはなくても、生活の一部にはなっていたわけです。

こうやって書いてみると異常なことで、30代前半である自分の世代の人間にとっては、例えばUK人であるならば、テロは日常に組み込まれたリスクで、突拍子もないことに、チェンマイでガイドの、待っているときにはいつでも日本の漫画を鞄から取りだして読んでいたガイドの若い男の人に「タイ人はどうやってデング熱を防ぐのか?」と聞いたら、「それは生きるのに必要なリスクですから」と答えられて、ややたじろいだが、そのときに、自分の頭が理解するために努力したのでしょう、脳裏を掠めたのはロンドンのテロのことだった。

英語ではconsequencesという。
自分が何事かをおこなって、その結果の必然として一連の反応が自分に跳ね返ってくることで、日本語だと応報だろうか。
なんだか、ちょっと違うような気がするので英語のままconsequencesというが、21世紀も、17年も経ったいまの世界は、過去の出来事のconsequencesのなかで生きているので、子供のとき、ロンドンのあちこちで爆弾が爆発したのは、クソッタレのクロムウエルがアイルランド人から徹底的に収奪して、ついにはレンガを食べなければならないほどの困窮にアイルランド人たちを追い込んだ歴史の結果であるし、911は、アメリカ人の伝統的な他文明への鈍感さの結果であるに過ぎないとも言える。

日本の都市が北朝鮮の核で焼かれるセットコースに入ったまま、刻一刻と核という広島・長崎以来の文字通りの地獄の業火に向かって進んでいるのは、実に、戦前の日本という歪んだ文明が北朝鮮に残してきた政治・社会的なDNAが、朝鮮人が儒教のときもみせた情緒的な徹底性によって尖鋭化した反応を生みだした結果で、日本はまさに自分が生みだした子供によって、焼き殺されようとしている母親に似ている。

どうすればいいか。
ひとつだけ、日本の人がいちばん考えるのが苦手な社会がおこなってきたことのconsequencesのなかに立たされた個人にとって、サバイバルとして行いうることは、「自分の社会についていかない」という方法以外にはありえない。

1923年の関東大震災のときに人の群れの判断に頼って被服廠跡に向かった人は他の38000人のひとびとと共に炎に焼かれて命をなくすことになった。
例えば日本人ならば、それが思い出すべき教訓で、世界がturmoilのなかにあるときに生きてゆく秘訣は、秘訣はヘンだが、要諦は、他人についていかずに自分の頭で考えて、懸命に計算して、そういう言い方が判りやすければ打算して、でもよい。
いまの時点で、自分はあそこにいなければならない、という地点めざして歩いていくことです。

日本語ネットで出会った、ユニーク(←英語の意味)な知性のタメジロウは誤解している。
若い人に海外への移住をすすめることが多いのは、平均的な日本人の条件ならば海外に出た方が個人として「生き延びられる確率が高い」と思われるからで、いつかこっそり述べたように、自分が日本人ならば、案外、海外移住などは環境が変わりすぎて賭博なので、日本のどこか、ラーメンがおいしいところかどこかを選んで、ひねくれた顔のまま、ヘムッと口を結んで住み着くのではなかろーか。
その場合はぼくは、地元のコミュニティに対しては一顧だにしないだろう。
朝のパンを買いに行ったパン屋の若い女の子に、自分のアカデミックな背景を洩らしたりして、卑怯に及んで、自分の生活を守る障壁をつくるくらいはやりかねない。

日本の諸自治体は面白くて、「海岸性から遠ければ遠いほど平穏である」という特徴を有する。
例えば軽井沢の近くには佐久平という町があったが、この佐久という町は、日本でいちばん日照が多いのと災害が一度もないのとで有名で、地震もなければ、台風すらきたことがない。
なんだか日本の町ではないようなところで、そういう軽口を利いてはいけないが、天日干しの米作と、かつては突出してすぐれていた臨床医療のレベルのほかは、なにもない地域に北朝鮮のミサイルが降ってくるのは、想像のゲームとしても難しい。

日本を、さまざまな理由で出られない人も、まだ諦めることはない。日本に住んで日本人をやめて暮らすことが出来るのは、日本社会で「ガイジン」であった、ぼくはよく知っている。

ガイジンになっちゃえばいいんですよ。
村八分というが、村五分くらいで暮らすのは、現代の日本では十分に可能であるとおもわれる。

日本の、社会としての荊の道は、まだ続くとおもっている。
日本の社会の常で、日本の国としての立場が悪くなればなるほど、社会にも悪意が充満して、魂が呼吸することが難しくなってゆく。
でも、日本に居残ったまま生きていく方法は、あきらめなければ、まだまだあると思います。

義理叔父は感傷的、情緒的なところが少ない珍しい日本人だが、2011年のJFKで、成田行きの飛行機の搭乗を待っていたら、白い家族の子が義理叔父に向かって、まるで神様から直接教わったような鮮やかな発音の日本語で、
「がんばれ、ニッポン!」と叫んで、どうにも、カッコワルイことに涙が流れて止まらなかったと述べていた。

がんばれ日本人。
がんばれ、ニッポン

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ver.6 https://leftlane.xyz もあるよ
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3 Responses to 2017年のサバイバルキット_1

  1. 自分の頭で懸命に計算して、生き残るために最善を尽くして、さて生き延びたとして、待っているのが「他人についていった結果生き残ったマジョリティ」から復讐されるだけの後半生、だとしたら、どうしてそこまでガマンして生き延びなくてはならないのか、リスクとリターンを考慮するとマイナスでしかないのではないか、と、「一般的な日本人から外れた日本人」ほど考えてしまうというところが日本という国の救われがたいところであります。ガイジンになろうとするにはガイジン的な理性的な判断力が邪魔をするのであります。

    おれはおれなんだからかまわないではないか、と思うのはいいのですが、「マジョリティはそうは思わない」のであります。「おれはおれ」だとしても、それだけでは「マジョリティの暴力」から逃れることはできません。それに耐えられるのは、よほど精神的にタフな人間だけでしょう。

    「それを考えたら死んだほうが……」などと毎日ぐじぐじ考え続けるのが日本に住む醍醐味といえます。そういう国なのです。とほほ。

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  2. 佐臼 says:

    ガメさん、こんにちは。コソボのバスターミナルから書いております。
    ここに書かせていただくのは、おそらく二度目になるかと思いますが、何しろ随分前のことなので、改めてお便りを書かせてください。

    ガメさんの文章に出会ったのは高校生の頃でした。当時、あまのじゃくな私は、和訳ではありますが近代ヨーロッパの文学を読み漁っており、ネットの他の場所では見られないガメさんの日本語の、その美しさに魅了されました。それから、幾度もこちらを訪れました。今年で齢22、日本のいわゆる就活生になり、思い立ったように再訪しましたが、こうしてブログを残し、日本語を続けてくださっていることに、深く感謝いたします。
    私事にはなりますが、本年、対外的な役所に登第できず、就活をしても内定を頂けず、私は、世間で望まれているレールの上から外れてしまいました。疲れてしまい、ヨーロッパをバックパックひとつで彷徨っていますが、コソボを例にとっても、人々のゆったりとした大らかさ、からっとした若さが、良いなぁと思います。旅人という立場だから、のんびり構えられるだけかもしれませんが、日本にいる時に比べて、随分とものを考える余裕ができました。だから、自分のこの先について、じっくり考えてみようと思います。もちろん、本国の情勢が絶えず頭の片隅にあり気がかりではありますが。

    ガメさんがおっしゃるように、日本には、斜陽の翳りが刻一刻と近づいているように思います(今現在進行中の、戦禍の危機を除いてもです)。しかし、染みの広がりに気づいているのは、いったいどれだけの人がいるでしょう? ネットでも現実でも悪意がはびこる中 (私より若い、ちいさいこどもたちと接するアルバイトをしていますが)、その私はどのようにして真実を子どもたちに伝えていけば良いのでしょうか。

    ガメさん、日本を、日本の文化を愛してくださってありがとうございます。私は、デジタルネイティブですが、ネットの海においてこのブログの他に、こんなにも心揺さぶられる文章を知りません。願わくは、この珠玉の言の葉たちが、この先もずっとここに残っていますように。
    ですから、どうか書いてくださいね。
    私も、ガメさんのブログを愛する人たちも、切望していると思います。

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  3. いずれ去ってゆく方なのだと覚悟しています。こんなに優れた洞察力、知性を見送る日
    を考えたくありません。奥さん以外の日本人に絶望してきましたが、ガメさんに出会えたことが今の僕を支えています。日本人に生まれたことを残念に思う日々ですが、最後の白い人の子どもの言葉に年甲斐もなく涙ぐみました。ありがとうございます。

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