2017年のサバイバルキット_3

モニさんは、「鉢木」という能楽な名前の日本料理屋でフランス人の友達とあうことになっていたので一緒に北鎌倉で降りた。
もう日が傾きかかっていたが、ひさしぶりに鎌倉まで歩いていきたかったし、約束の時間までは、まだだいぶん時間があったからです。

浄智寺の脇から、鎌倉の、特徴がある低い山に登っていける道があって、化粧坂(けわいざか)を通って、源氏山公園に出て、お化けが出るので有名な日野俊基の墓から道を降りて、佐助に出る。
佐助に出れば隧道を通って鎌倉の駅はすぐで、その鎌倉の駅の近くに用事があるのでした。

ハイキングコースの標識があるブッシュに入った瞬間に、ああ、鎌倉はいいなあ、と考えた。
町の空気が、一瞬で田舎の空気に変わって、昔は売春街として賑わったという化粧(けわい)坂をのぼりきったあとは、なんとなく、精霊たちが茂みのあちこちや、枝のうえから見詰めているのを肌で感じます。

昔は、鎌倉にいれば、東京では味わえないこの田舎の空気を吸いに、普通に舗道を歩けばあっというまに着いてしまう道を、例えば港南に行くのにも天園をのぼって、わざわざ岩から岩に飛び移るようなことをしながら、無駄な苦労をして、歩いていったりしたものだった。

鎌倉の自然は、例えば、わしガキの頃のトンブリッジウエルという町の自然に似ている。
野放図な、湖の岸辺に立って見渡すと、どこか知らない惑星に来たのでもあるような、人間を寄せ付けない美しさのニュージーランドの森林とは異なって、人間が何世紀にも渉って手を加えて、慈しんで、いわば人間の吐息がしみ込んだ自然で、天園にしても、源氏山にしても、腰掛けて空を眺めていると、過去の人間たちが、周りにぼおっと現れて、銘々、朝ご飯の仕度をしたり、立ち話に興じたり、夫婦で喧嘩をしたりしはじめそうな気がしてくる。

さっきの化粧坂にしても、13世紀にはすでに50万人を越えていたという鎌倉の稠密な人口のなかで、掘っ立て小屋のような家を林立させて、道を通り抜けるには袖をひく女の人達を避けねばならなくてたいへんだったのだという。

それが、いまは切り通しなどは、ただの自然に帰っている。

あるいは義理叔父とふたりで、横須賀線の終電で帰って来て、酔い覚ましに段葛の道を歩くと、満月の光で、何かがきらきらと光っている。
「細かい石英みたいなものがありますね」と口にすると、義理叔父が笑って、
「ああ、それはね、昔の侍の人骨なんだよ。この辺りは、ほら、この右手が官庁街にあたる武士屋敷が続いていてね、この段葛を挟んで、何度も何度も戦闘があって、葬ってもらえた者は良いが、置き捨てにされた者もいて、そういう死体が朽ち果てて、こんな細かい骨の欠片になってしまったのだよね」と言う。

歴史が何重にも堆積して、地に埋もれて、層をなして、この辺りで家を建てようとすると、ほとんど必ず遺構が出て、開発業者は大損をする、という話をずっと後で知った。

イギリスや日本では、そういうありかたで、自然もまた文明なので、自然にしか過ぎないと軽くみていると、いつのまにか、言語も習俗も染みついた、自国の文明に溺れこんでしまう。

放射能汚染を厭い、破綻寸前の財政に青ざめて、これはやはり外国に逃げなければダメなのではないかと悩んでいるきみの袖をつかんで放さないのは、案外と、この長い文明をもった歴史かも知れなくて、実際、外国に移住してしまえば、自国の呼吸のようなものからは、断ち切られてしまうことになる。

これから先の日本で生きていくには、まるで荒野を歩く人のように生きていかなければならないのは、ほぼ判っている。
自分の感覚と思考だけを頼りに、五官を研ぎ澄まして毎日を暮らせなければ、あっというまに、いま始まったばかりの、狂躁的で浅薄な文明崩壊に巻き込まれてしまうでしょう。

文明崩壊の大渦巻きに呑まれないで暮らそうとおもえば、大渦巻きのなかで自分の一生をコントロールできなければ自分を見失うことになるのは当たり前で、そのためには、なにかひとつ自分が拠ってたつ思考のよすががなければならないのは、ほぼ自明だと思います。

観念は役に立たない、ということを憶えておくと、良いのではないか。
読書家が殆どの場合、自分はなんでも知っていると思い込んでいるだけの愚か者なのは、たいていこれが理由で、観念には、観念と自分を結びつけるだけの切実さが欠けているということが判っていない。

では何が現実へのアンカーとして働いて、自分をつなぎ止めてくれるかというと、多くは生活のディテールで、それも些細な、二階堂の見栄えはパッとしない鮨屋が出前で運んでくる絶品の細巻きや、神田のまつやの、ご飯が江戸風にちょっと固いが、それさえ大目にみれば十分おいしい天丼や、あるいは神田食堂で、日式タリというか、トレイに並べた卵焼きや鮭や、明太子にひじきで、奮発して冷や奴までつけて、いそいそと席について、むふふ、と頬を緩めながら、箸を割ってとりかかる定食の、食べ物の楽しみでもいい、あるいはキッチン南海で色の黒いカレーを食べて、ついでにスヰート餃子で味噌汁と餃子を食べて、おもむろに東京堂書店の棚のあいだを徘徊する習慣でもいい、要するに自分に滋養を与える毎日の生活で、それが壊されない限り、社会は見限って、もうそんなもんは知らんわ、という態度で暮らせれば正常でいられて、此処も彼処も、どっちでも質の高さは同じであると述べるに足るだけの文明の実質を、まだまだ日本語世界は持っている。

ここまで書くと気が付く人もいるはずだが、例えばおなじ読書にしても、翻訳された本というものは、たいていの場合、害しか与えない。基盤になっている現実がないまま日本語に置き換えられた思想や感情は、空疎なエキゾチシズムに過ぎなくて、例えば日本語を十分に理解しているという前提でエラソーを述べれば、英語の「春の雪」は、正真正銘の駄作で、日本語の詩と俗の危うい境界を揺れながら辿るような、三島由紀夫の特長がなにも出ていない。
同じように、日本語でフォークナーを読んだところで、トランプを大統領にした、アメリカの血と肉が、感じられるわけはない。

そのくらいなら、いっそ居直って、日本語で思考された日本語の本しか読まないことにして、空間的に読書対象を広げるかわりに、どんどん時間を遡行して、イーブリン・ウォーの有名な逸話ではないが、「随分、古い日本語ですねえ」と言われて相好を崩すくらいになったほうが良いような気がする。

実際、耳袋などは誰が読んでも面白いし、今昔物語は日本語の弛緩ぶりがいまひとつでダメだが、同じ題材でも、例えば源俊頼の手にかかると、紫式部の弟の臨終の物語のような、素晴らしい一場の情景に居合わせることが出来ます。

藤沢老人の冒険
https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/04/30/dildo/

なんだか話が復古主義者のようになってしまった。

いろいろ言っているが、自分のほうが、異文化が大好きで、世界の表面をウロウロと歩いて、こっちの町に6ヶ月、あっちの町に3ヶ月と住んで、挙げ句のはては、やっぱり英語社会がいちばんいいのい、と呟いてモニに笑われたりしている、自分の姿が脳裏にうつって、やはり人によっては、どんなに住んでいる社会がボロボロになっても、生まれついた社会がいいのだろうか、という迷いが出ているだけなのかも知れません。

最後の冬、モニとふたりで低い空をみあげて、この国をこれほど好きだったのはなぜだろう、と考えたのをおぼえている。
他人に聞かれれば文学と答えることになるが、実はそれは理由の一部でしかないことは、自分ではよく知っている。

黙っていたけど癌で、やっと治ったんだよと言うので、会いに行ったら、見送りに駅まで行くよ、と述べて、断っているのについてきて、突然、おれも途中まで一緒に乗るよ、と言い出して、たったひと駅のために新橋までのグリーン券を買って、誰もいない終電のホームに降りて、観ると、病み上がりで、60歳をすぎたじーちゃんなのに、まるで健康な子供でもあるかのように電車が動き出したのにあわせて、走りながら手をふっていたKさんや、
ただの定食屋の持ち主と客にしか過ぎないのに、日本にやってきたので何年かぶりに訪ねていったら、カウンターの客が呆気にとられて、大笑いするなかを、キッチンから跳ね板をあげて飛び出してきて、 わしの胴体に細い両腕をまわして、「ガメちゃん、会いたかった! 元気だった? おばちゃん、あんたに会いたかったのよ。どうして手紙もくれないの? ダメじゃないの」と涙を流してまで大袈裟に再会の喜びを表してびっくりさせたおばちゃんや、感情過多と笑わば笑えで、泣いたり怒ったりばかりしている人達が、何世紀にもわたってつくってきた日本語の世界は、正面から見詰めれば、豊穣で、馥郁として、この世界に類稀なほど美しい言葉で、いくら考えても、これだけの美しい言語をもった文明が、そう簡単に、卑しさと放射能にまみれて滅んでよいわけはない。

どこに遊びに行くかモニとふたりで話していて、「日本は?」というので、もう絶対いかない、怖いもん、と答えたらモニが、なんだか謎めいた、可笑しくてたまらないとでもいうような顔をして笑っていた。

そう。
自分でも知っているのさ。

わしはまた、いつか、あの20世紀から一向に出てこない、国ごと座敷牢に入ってしまったような国を訪問するだろう。
どんどん進歩してゆく、この世界で、ひとつだけ、まるで生きることに興味をなくして立ち尽くしているかのように、立ち止まってしまった国。
自分の、すぐ後に窓があるのに、鏡を見つめて、自分の顔の向こうの景色を観ようとばかり努力している国。

日本という不思議な国を。
わしの奇妙なパラダイスを。

いつか、きっと。

(いまは、まだ怖くてダメだけど)

Advertisements

About gamayauber1001

ver.6 https://leftlane.xyz もあるよ
This entry was posted in Uncategorized. Bookmark the permalink.

One Response to 2017年のサバイバルキット_3

  1.  「これだけの美しい言語をもった文明が、そう簡単に、卑しさと放射能にまみれて滅んでよいわけはない。」という思いにうたれ、あらためて、この列島に花を咲かせた文化・文明の豊かさを思い起こします。しかし、多くの果実を結んできた、この古木の根はすでに枯死しているのでしょう。

     古代イスラエルの王国が滅んだとき、涙の預言者エレミヤに託された神の言葉は厳しいものでした。「わたしは自分で建てたものをこわし、自分で植えたものを抜いている――それは、この全地である。あなたは自分のために大いなる事を求めるのか、これを求めてはならない。」(エレミヤ書第45章)
     王国は滅び去って、生涯をかけた努力は挫折し、一切を失ったとき、そこに虚無感ではなく、神の存在を見いだす精神があることを『旧約聖書』は証しています。

     これと対照的に、平氏政権の滅亡を描く『平家物語』では、神に選ばれた器のような人物は登場しません。それゆえにこそ、人間の営みがうみだす繁栄は、盤石にみえても、永遠のものではないという真理そのものが露わになって、諸行無常の響きを奏でます。

     滅びの時にも神を見いだすといい、あるいは諸行無常の響きを聴くといってみても、実際の自分は、この文明の一隅をかすめただけで消えていくばかりの命です。一日で燃え尽きるカゲロウの命も、自分の命も、永遠の前には選ぶところはありません。
     法華経の行者でもあった宮沢賢治は『春と修羅』序文をこう書きだしました。「わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)風景やみんなといつしよにせはしくせはしく明滅しながらいかにもたしかにともりつづける因果交流電燈のひとつの青い照明です(ひかりはたもち その電燈は失はれ)」

    Like

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s