ひと跳び毎に、ひと足毎に

自分のスペイン語を読む速度の遅さと語彙の小ささを呪いながらカタロニア独立のニュースを読んでいた。
バルセロナで撮られた、人で埋めつくされた街路の写真は、よく見ると、なつかしい場所がおおくて、ああ、この広場に面したアメリカ人ばかりのイタリア料理屋で巨大な量のイタリア料理のフルコースを食べて、フルコースを平らげた客に店がご褒美としてふるまってくれる1本まるごとのレモンチェロを、ひとりですっかり飲んでしまって、モニに呆れられながら、浮かれて、カンツオーネを歌ったら、受けて、拍手喝采で、アンコールの連続で、酔っ払ってしまっているひとの挨拶でいつまでも手をふっていたことがあった、とおもいだしていたりした。

ワインの樽がテーブルの代わりになっているバールで、パタタスブラバスを肴に朝に出る虹のように美しい色のカバのサングリアを飲んで、「革命広場」という、カタロニアの歴史をおもえば胸がしめつけられるような名前の広場で、小さな箱の上に立ってラ・マルセイエーズを歌うフランス人の浮浪者のおっちゃんを見ていた早朝のことをまだはっきりとおぼえている。

「革命広場」の朝の歌
https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/06/14/la-marseillaise/

自由を求めててんでに立ち上がって、訓練もなく弾薬も十分にもたなかった烏合の衆のバスク人とカタロニア人の人民戦線は、それでもよく戦って、ナチ空軍のコンドル部隊やファシストたちの高度に訓練された軍隊に押しまくられながら、いくつもの英雄的な戦闘を戦って、世界中を感嘆させ、ヘミングウェイや、その頃は、ひとりの世界に絶対的に不服な若いジャーナリストに過ぎなかったジョージ・オーウェルたちに義勇軍として銃を持たせたりもするが、6月にはビルバオが、8月にはサンタンデールが、10月にはヒホンが陥落して、マドリード、カスティーリャ=ラ・マンチャで南北に分断されたカタルーニャは孤立して、翌年の7月、十万人を動員して、若い女の兵士たちが英雄的な突撃を繰り返して死んでいったエブロの戦いで敗退すると、あとは、ただ独裁者のフランコのナチドイツの支援を受けた30万人の大軍勢のなぶり殺しにあうだけの戦いになっていった。

12月、フランコの軍がカタルーニャになだれ込んで、バルセロナが陥落したのは厳しい冬が訪れた1月だった。
お決まりの逮捕と連行が続いて、バルセロナ人の家庭の食卓という食卓から父親や息子、姉や妹たちまでが姿を消し始めたとき、皆殺しの運命を悟った50万人のバルセロナ人たちは、ジローナ、フィデウと道を徒歩で辿って、フランス領へ逃れます。

フランス人たちは口をぬぐって歴史の本から事実を拭い去ってしまったが、フランスの「自由の同志」たちは、冬のピレネー山脈を越えて必死のおもいでのがれてきたカタルーニャの50万人の同胞を強制収容所にぶちこんでしまう。
十分な食料も水も与えられなかった。
イギリスもフランスも「政治上の判断」からフランコたちを承認していたからです。

あんまり、ここで、そのあと何が起きたか書きたくもないが、大半のカタロニア人は、飢えと寒さのなかで収容所の塀の内側で死ぬ。

ひと跳び毎に、ひと足毎に
旅人よ 道はない
道は 歩いてのみ作られる
後を振り返ると
二度と踏むことのない 足跡が見える
旅人よ 道はない
道は 歩いてのみ作られる

という有名な詩句を残した
詩人のアントニオ・マチャドも、このときに収容所のなかで世界に見放された孤独と飢えと望郷の念に苦しみながら死んだひとりでした。

カタロニア人たちは、およそ自由を求める人間として考え得るかぎりの辛酸をなめた。
彼らを最も苦しめたのはフランコとナチの軍隊よりも、個々の自由主義に拠った人々と共産主義者と無政府主義者のあいだで繰り返された絶え間のない主導権争いと裏切りあいでした。
自分達が信仰するカトリック教会も、すでにフランコの弾圧の手先になっていて、神父に自分が銃をとってフランコの兵を殺したことを告白でもした日には、その日の夜にはフランコ軍の兵士に連行されて処刑されなければならなかった。
カトリック教会は、コミュニティに深く信頼されて人々の生活の奥深くまで関わっていることを利して、カタロニア人弾圧の最も効率がよい機械に姿を変えていた。
宗教人の卑劣をあますところなくみせつけた。

共産主義原理そのものが政治性の権化であることから必然として導かれる全体主義を体質とする共産党と、ひとつの思想であるというよりは反マルクス主義の反体制の思想傾向を持つさまざまな集団の総称であるアナキズムのあいだに挟まれて、いいように利用されたのは個々の人間の自由への意志と善意への信奉だけを共通項として世界から集まっていた自由主義者たちだった。

やがて、どこへも行けはしないカタロニア人たちを置いて、ジョージ・オーウェルやアーネスト・ヘミングウェイたちは、失望のなかで、それぞれの国に帰ってゆく。

普段はバルセロナの町の北側の、グラシアばかりが好きで、こもりきりで、ディアグノルの名前の通り斜めに走る道からバルセロナ側にほとんど出かけなかったわしは、それでもときどきオリンピック地区の新しいレストランに行く気を起こして、パッサージュ・ド・グラシアの観光客だらけの幅の広い道をおりて、ランブラを歩いて、海辺へ出かけることがあった。
オーストラリア人のルークがツイッタで、「おお、そこはアイダとよくデートしたバーの近所である」と述べていたが、ランブラから道を折れて、裏道へ入っていったすぐに、わしが好きだったカフェがあって、そのカフェは「ジョージ・オーウェル」という名前の広場に面している。

いよいよ頭がどうかしている、というか、今週は、その広場のことをおもいだすたびに、急に嗚咽がこみあげてくるような気持ちになって、壁をなぐりつけて、声にだして世界を呪いたい気持になることがある。

いまの世界では自由主義は地球上の至るところで敗退していて、アメリカでも欧州でも、有色人種への憎悪のセンチメントに思考そのものが呑み込まれようとしている。
アジアでは中国は毛沢東の昔からもともと西洋式の自由主義どころか民主制度すら軽蔑していて、そんなものはカネモチの家の高い窓にかかるレースのカーテンのようなものだと鼻でわらっている。
西洋文明を相対化しうる現代の世界ではゆいいつの文明世界で、西洋の価値の否定はお手の物なのでもあります。

自由主義は、世界じゅうで敗退しつづけている。

ロンドンの自分のことをとてもよく知っている友達に「なんでニュージーランドなんだ?」と訝しがられて、冗談で「これは、ぼくの長征なのさ」と答えたことがあったが、ロンドンに本社を残したまま、40人を越えない欧州人たちと一緒にオークランドにやってきて定着を始めたときには、あながち冗談でもない気持ちになっていた。

いまはバルセロナを引き払ってやってきたロシア人とウクライナ人が主になって足がかりをつくっているシドニーとメルボルンも含めて、柄にもなく、これからは自分達の自由を守るために戦わなければならないときが来そうだとおもっています。

残念なことに、一緒に肩をならべて戦いたかった日本のお友達たちとは、以前に説明した理由で、そのときはきっと敵同士として再会することになるのかもしれないけれど、それはそれで仕方がない。

盾をならべて、垂直に空を指した槍をにぎりしめる。
ヒロイズムは常に滑稽だが、人間は脆弱な生き物なので、折りにふれて、英雄的な感情に頼らざるをえないこともあることを判ってもらわねば困る。
盾を地面に打ち付けて鳴らす、わしらの猛り立った心をきみは許してくれなくては困ります。

ファランクスは出来たが、通常のファランクスとは異なって、一歩ずつ踏み出していくわけにはいかない。
高い崖にはさまれた狭い道に重列をなして、デクノボーのように立って、敵の戦鼓が聞こえ始めたら、膝を緩めて、ほんの少し低く構えて、左がわの友達を自分の盾で庇う。
まさか自分たちの自由を求める心の代償が死でありうる時代がまたやってくるとは思わなかった。

Burning burning burning burning
O Lord Thou pluckiest me out
O Lord Thou pluckiest

burning

でも、そこには、神様なんていやしない。

あとには混沌。
そして、沈黙

自由を求める人間の声が死に絶えるまで

   

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1 Response to ひと跳び毎に、ひと足毎に

  1. >自由主義は、世界じゅうで敗退しつづけている。

     敗退しつづける自由主義を、僕は知らないと思い、この一文に考え込みます。自分にとっての自由主義は、私的所有権を確立することによって資本主義が成立するための道を切り拓き、ソ連崩壊の後も、ふたたび残忍な素顔をむきだした資本主義の下僕として勝ち残り、その果実である「失業する自由・飢える自由」の恐怖は、21世紀になっても個々人の目の前の現実として、実を結び続けています。

     「自由を求める心」を意識できるのは、自分のあるがままの在り方が他人によって制約され、束縛を受けるときでしょう。それは例えば、自分が他人の道具として扱われるときであり、その前提条件として、他者を目的達成の手段としてみる人間が存在し、あるいは人間集団を操作対象としてみる人間が存在します。

     「私たちが目指した我が国の教育の目標は、90%の国民が物言わぬ羊となることである。それが治安の観点からは安定性に優れ、経済の観点からは最も効率の良い社会を作ることに繋がる。見たまえ、私たちの壮大な社会実験は見事に成功を収めた。」-これは、GHQと共に戦後日本の教育制度を構築した旧帝国大学名誉教授の言葉だそうです。(引用元:東北大学全教育広報 『曙光』No.41)
    >http://www2.he.tohoku.ac.jp/center/syokou/pdf/syoko41.pdf
     「壮大な社会実験」の操作対象であった僕は、「自由を求める心」がめばえる前に、「物言わぬ羊」になった実験用動物のようです。

     仏教では、束縛からの解放を”解脱”といいます。英訳の”Salvation”から和訳すると”救済”ですが、他者に救助・救出されるイメージではなく、内面化された抑圧に翻弄される自分に気づくことで、自分自身を開放するイメージがあります。
     「宗教人の卑劣」は洋の東西を問いませんが、仏教は「自灯明」(他者に頼らず、自己を拠りどころとせよ)といい、聖書は「まづ己(おの)が目より梁木(うつばり)をとり除け」と説きます。

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