Monthly Archives: January 2018

My Blue heaven

数の感覚がある人ならば、伝えられる数字を聞いて、一般に言われているのとは異なって日本の労働人口ひとりあたりの生産性は意外と高いことに気が付くはずです。 日本の労働人口は、多分、6000万人を少し越えるくらいだと思うが、それでいて、ひとりあたりGDPが22位〜25位をうろうろしているということは、非労働人口の多さをおもえば、ひとりあたりGDPがちょうどおなじくらいのニュージーランドのような国に較べて、かなり労働者の「生産性」が高いことは、今度は、特に数字に明るくなくても、直観的にわかりそうな気がする。 それに加えて、日本の文化や社会に興味がある人ならば、苛烈、と表現したいほどの男女差別のせいで、女に生まれると、さまざまな形で、人間としての能力を十全に発揮するのは無理だ、というか、もともと人間としての能力のうち、社会性がある能力は男に較べて劣っているのだ、と徹底的に刷り込まれるので、6000万人の労働人口のうち、2000万人程度は、ほとんど産業社会から見ると予備戦力で補助的な労働しか期待されていないので、残り4000万人の個々の労働者の生産性は、思いのほか高いのが数字を眺めているだけで判ります。 ここで「生産性」というと聞こえがいいが、日本にいるときに現実に見聞した観察の結果を述べると、その正体は途方もない長時間労働で、朝起きてから寝るまで、家にいるときも職場にいるときも、仕事仕事仕事の毎日で、生活が仕事一色で、 個人の生活は抛擲して、兵士のように労働に邁進する、人間性を代価に給料をもらっているようなひとびとで日本の経済は成り立っているのだと考えられる。 21世紀も2割近く22世紀に近付いて、勤勉が国是のようなドイツ人ですら午後3時や4時という時間に帰宅する世界で、日本では午後8時9時になっても職場に灯りが灯り、長時間労働の疲労を癒やすために、オアシスにたどりつく砂漠の民のようにして居酒屋で終電までを過ごしたりする。 この頽廃は、百年一日、なんの工夫もないマネジメントと、そのマネジメントに口を出すことを許さない、ゆるぎない天然全体主義の国風から来ているが、個々人を十分やすませることによって労働の生産性を高めていこうとする西洋諸国と、真っ向から反する行き方で、個人は押し潰されて、社会全体から個人主義がしめだされて、個人主義の喪失が社会全体に蔓延する苛立ちとなって、善意までもが社会のマネジメント側に消費されてしまう、という未曾有の事態に日本は立ち至っている。 解決策は判っている。 国策で吊り上げた日経平均が3万になろうが4万になろうが経済の背骨がしゃんと伸びる可能性はゼロで、まず労働人口が2割程度増えて7000万人を越えなければ、日本の経済は立ち直れない。 日本の政府は、戦前の経済小国時代を崇拝する退嬰的な発想の政府らしく、産めよ殖やせよ、で、そのうち役人が若い妻がいる新婚家庭を訪問して、国民の義務として、夜伽の相手をさせそうな勢いだが、よく考えてみると、それではもう間に合わなくなっているはずで、衆目の一致するところ2025年を目安に、遅かれ早かれやってくる財政破滅に間に合わない。 今年になって、どんなのんびりな人の目にも明らかなほど、税の取り立ては、酷吏という言葉そのまま、苛斂誅求を究め始めて、おめこぼしはしない、の税徴収の隙間埋めから、自民党にとっては禁忌だった富裕層への重課税案まで、目白押しで、財務省の危機意識が見てとれるが、なにしろ信用を失っているので、国民のほうは「なあに、あれも、誇張された危機で、ほんとは財政危機なんてありゃしないのさ」と述べる人までいる始末で、傍目には断末魔の様相で、もうあまり時間が残っていない。 養うほうと養われるほうの数字のバランスからいえば、実効性のある対策はふたつで、移民の大量受け入れか、年長世代の集団自殺か、どっちかしかないように見えます。 働かざる者食うべからず、と言うではないか、退職して仕事をしない年長者は絶食して、すべからく即身仏になってもらえばよい、というわけにはいかないので、 つまりは移民の大量受け入れしか解決はないわけだが、火急の要に見合うだけの移民数でも、どう考えても一千万人は必要で、移民の受け入れを奴隷の輸入とあんまり区別できないでいる日本社会の現状で、日本の伝統社会の完全放棄を意味するに違いない移民の大量受け入れがやれるかとなると、やれるかどうか。 次いで早急にすすめなければならないのは、女の人びとの同権化と社会的な洗脳から女の人たちの思考を解放を解放する努力だが、これは社会の側にほんとうにやる気があれば、すぐにでもやれて、即効的な生産性への効果がある。 例えば役員や管理職の半数は女性でなければならない、というような男の側から「逆差別だ」と激しい反発が起きるくらいの法制をつくることが出来れば、多分、数年で社会の生産性は劇的に上昇するのではないか。 運悪く、いまの日本の政権は、国民の評判は上々で、なんどスキャンダルを起こしても、よほど品性や功利主義のありかたの点で日本の国民性にぴったりあった政府で、支持はゆるぎなくて、傍目には余計なことしかやらない内政も外交も、やはり支持されているので、多分、根本的な策を打ち出せないまま、2025年には労働人口がさらに1割減少して、静かに破局を迎えることになりそうです。 どうにもならないなら、ほっとけばいいじゃないか、というのは、尤もな意見だが、一応、遠くから見ていると、「いまからでも、こうあることが出来た日本」を書き留めておくのも、まるきり意味がないことではないだろう、と考えます。 まさに労働人口に該当する個々の、特に男の労働者にとっては、日本の不振は腑に落ちないことで、外国で就労した日本人たちに「おまえの働き方が悪いんじゃ、ボケ」と言われるたびに、憤慨して、しかし聞いてみると、向こうさんは労働時間も自分達より遙かに短く、自分が常々悩まされているバカなミーティングも最小で、仕事の邪魔をするために、でかい机の前でふんぞり返っている本来ならば神社に祀ったほうが相応しいような古色蒼然とした管理職からも自由で、言い返すこともできず、しまいには「出羽守」だのなんだのと、みっともないくやしまぎれの罵詈雑言を弱々しくつぶやくだけという状況に至るのはなぜかというと、彼が感じているように、彼自身から見れば、自分は子供のときから「こうするのがよい市民なのだ」と教わったとおりに生きてきて、精一杯がんばって、なんだかぼんやりして、大脳全体が毛布にくるまっているような、実は、その状態はすでに精神的疲労から病に陥っているのだけれども、気づきもせず、いいとしこいてアニメやアイドルに救いをみいだして、言われたとおり、がんばりにがんばって、挙げ句のはてには、「おまえの労働の仕方は後進的で、なっちょらん」と言われて、目もあてられないありさまだが、その原因は実は、最も根本的には労働人口が減って非労働人口が増えている、という誰でも知っている現実が、ほとんどすべてなのだ、と実感したら、どうおもうか、 知っていることと、自分とその現実がどうつながっているかを理解することは、昔から言うように、まったく別のことで、気の毒ともいえれば、バカなことだともいえて、あちこちにいろいろな、さして重要でもない社会の低生産性の原因を見いだす努力をするくらいなら、もうすでに判っている、不振のおおかたをなす原因、人口減少への対処、性差別の撤廃、…に集中すればよいのに、と思うが、問題に正対するのは、なかなか難しいようで、どうも日本は産業経済的には、しばらくあかんかなあーと、ときどき、投資家頭になって考えているところです。

Posted in Uncategorized | 2 Comments

integrity

もしかしたら話してはいけないことで、この記事がブログに出たら、ひゃああー削除してください、ということになって、この冒頭の一文はなくなるのかもしれないが、lada @spicelada さんはCCさん@_cc_bangkok の奥さんで、大変聡明なひとです。 CCさんの証言によれば、酔っ払いでもあって、 こういうことを書くと、またはてなから大軍があらわれて、7年間くらいは散々囃し立てられるに決まっているが、女のひとで盛大に酔っ払うひとは、善人であるに決まっていると旧約聖書に書いてある。 旧約聖書のどこに書いてあるか、何ページの何行目か言ってみろって? 知らねーよ、そんなこと。 自分で探せよ、ばかばかしい。 ともかく、ことの発端はlada さんの発言だった。 ある勘違いおじさんについて、lada さんが、知恵をつくしての他人への攻撃にあけくれる彼のような人間が大手をふって歩けるのは、 「でもいいこともしてるじゃん」「いっぱいRTされてるじゃん」という思考で判断している人がいるからで、彼に善意があるかどうか見ていない人が多いからだ。 と述べている。 言われたわしのほうが、ほんとだよねー、でも、それはあまり英語では見かけないことで、日本語では性犯罪者が右翼系の出版社から出版した本が反体制の本として持て囃されていて、一応、「そんな人が書いたものを」と言う人も現れて、ところが、ずっとおおきな声で、「でも、いいことを書いていて、仕事は人間性とは別のところで認められるべきですよね?」という圧倒的な声にかき消されたりしていた。 見ていて、ほええええー、と思ったが、なにしろ、この頃は、相変わらず日本語世界で起きることには興味津々でも、「それは、ヘンなんじゃない?」という気持のほうは、どっかに行ってしまっているので、日本語社会では、そんなものか、で終わりになっていた。 ふと、integrityという言葉を思い出しました。 ネブラスカに、好々爺然とした、有名なじーちゃんが住んでいる。 おもしろい人で、空港に着くと、オンボロのフォードで迎えに来たりするので有名だった。 この人の名前がアメリカの国内外で噂になりだしたのは、だいたい40年くらい前で。 ネブラスカあたりで、40年も前であると、クルマがおんぼろなのは普通のことで、いわば普通のクルマで、普通の格好をした中年のおっちゃんが、なぜ話題になったかというと、1973年、ワシントンポストを買収して、アメリカ社交界のチョー有名人、社主のKatharine Grahamの親友になって、一躍知られるようになった、この風采のあがらないおっちゃんが、やたらと投資が上手な億万長者だったからです。 この人は、すさまじい読書家で、美しい、ユーモラスな文体で書かれたたくさんの書簡や報告書があるが、当然、有名になった言葉もたくさんある人だが、そのなかでも飛びきり有名な言葉に、 We look for three things when we hire people. We look for intelligence, we look for initiative or … Continue reading

Posted in Uncategorized | 18 Comments

Night Market

マーケットというものが、もともと好きなのだとおもう。 どんな町にいても、「マーケット」という文字を見ると、ふらふらふらと、そっちに足が向いてしまう。 狭い道を抜けて、あるいは大学の構内を横切って、歩いて行くと、ひとのざわめきが聞こえてきて、視界がひらけると、まるで絵本を開けたら、そこに美しい草原の絵が広がっていたとでもいうような、走ってとびこんでいきたくなる、人波と屋台が会場を覆いつくしている。 その国によって特徴があるのは、もちろんで、風変わりで最も楽しかったのは、イタリアの田舎町で遭遇した自転車市で、古いビアンキや、自転車のパーツやフレームがずらりと並んで、飽きることがなかった。 日本やイギリスなら、身体が引き締まったサイクリストたちが、筋肉質の足を誇示するように剥き出しで集まっていそうだが、あにはからんや、予見に反して、どてっと太ってお腹が出たおじさんたちが、三々五々、あちこちに集まって自転車談義に花を咲かせているのがおかしくもあった。 イタリアぽい、と考えた。 イタリアの人が聞いたら、怒るだろうが。 オークランドにも、もちろんマーケットはあります。 いま見ると、70にちょっと欠けるくらいの数のマーケットがあるよーだ。 家の近くでは、パーネルといって、パーな人が眠っているような名前だが、ほんとうは高級住宅地である町に隣接した、目抜き通りのはしっこのところで毎週土曜日と日曜日に開かれるFrench Marketがある。 http://www.lacigale.co.nz/french-market/ クレープの屋台が出ていたりして、小さいひとびとのお気に入りだが、価格が高いものが中心で、オカネを使うのが嫌いなわしは、「高い。なんじゃ、これわ。ぼっているのではないか」とブツブツ言ってモニに笑われる。 欧州料理に欠かせないハーブがひととおり揃っているのが取り柄で、庭のバジルをとりつくしてしまったのに、スーパーマーケットでも、収穫が少ない年で、軒並み売り切れている、というようなときに便利なのは、しぶしぶ認めなくもない。 オークランドから南東に、クルマを40分くらい走らせると、小さな村、Clevedonがある。ここには毎週日曜日に近在の農場が集まって開いているマーケットがあって、むかしドイツ人の一家が玄妙な味わいの手作りソーセージ用カレーソースを売っていた頃は、や、やばいカレーソースが切れそうだ、とつぶやいて、禁断症状で手が震えだしたりしないうちに、というので大急ぎで駆け付けたりしていたものだった。 なんだか、ものすごくおいしい搾りたてのオリーブオイルを出している屋台もあって、シーズンになると、そろそろ出るかなあーと呟いて、買いにでかける。 Clevedonは一年を通して収穫する牡蠣の養殖で有名な村なので、帰りには当然牡蠣を買って帰ります。 週末の朝は野菜や果物、ポリネシア系の店はタロ芋やココナツ、アジア系のものならば豆腐やバオを売っているマーケットのどれかに行く。 なんだか微妙に背が高くて縮尺がやや誤っているおおきさで、でへでへした顔で、チキンサテの串をくわえて、口の端やほっぺにピーナッツソースをくっつけたまま歩いている若い男がいたら、多分わしで、よくみると背中には、十全外人と漢字が書いてあったり、真っ赤なゴジラが火を吹いている絵がついていたりしているのではなかろーか。 オークランドには、もうひとつ、毎週、平日もほとんど毎日どこかで開かれているナイトマーケットがある。 http://aucklandnightmarkets.co.nz 野菜や果物のストールが中心の朝市と異なって、こちらは食べ物の屋台がずらりと並んで、ペナンやなんかに馴染みがある人は、あれもシンガポールのようにホーカーズというのかどうか、あの屋台が集まって、チョーおいしい食べ物が、うっそおおおーんな低価格で並んでいる、ハンサムでケチな人(例:大庭亀夫)なら心が躍る常設食べ物大会の雰囲気が、そのままニュージーランドに越してきているのだと思えばいいかも知れません。 アジア系も欧州系もポリネシア系も、おおきな夜市ならば、よりどりみどりで、マレーシアのサテ屋さんの隣では、韓国系のおばちゃんたちがプルコギを並べて売っている。 うー。おいしそー。 涎をたらしそうな顔をして見つめて立っていると、胡乱な男が、涎をたらしながら、店の前に立っていると売り上げが落ちると心配するのでしょう、「ちょっと食べてみる?」と差し出されて、辛い鶏の焼き肉を食べてみると、ちくそー泣きたい、とおもうくらいおいしい。 15個で5ドル(400円)の焼き餃子や、焼売、焼きソーセージ、と食べていると、あっというまに時間が経って、最後のチーズケーキを平らげてタメイキを付く頃には、7時過ぎにやってきたのに、あっというまに9時くらいになっている。 ポリネシア系の子供が裸足で走っていって、そのあとから、見るからにビンボなおとうさんとおかあさんが、なんだかヒソヒソ話しながらついてゆく。 そのうちに、おとうさんが、財布をとりだして、名残惜しそうに5ドル札を子供たちに渡している。 オークランドは、どんなに政府が頑張って隠そうとしても隠しきれないほどインフレーションがひどくなってきているので、統計の数字など誰も信じていないほど、生活は苦しくなるいっぽうで、night marketのような場所があることで、やっと家族団欒の外出で息をつけるおもいの人は、たくさんいそうな気がする。 駐車場には、ニュージーランド名物の一枚だけ車体とドアの色が違うカローラや、気息奄々とした音を響かせながら、駐車場に滑り込んでくる、屋根やボンネットの塗装が南半球の強烈な紫外線で剥げたサニーが並んでいる。 そういうものを眺めていると、オカネって、個人の生活にとって、なんなのだろう? 幸福と持っているオカネの量は、グラフにすると、どんな相関関係があるのだろう? と、バカなことを考える。 ロンドンでもニューヨークでも、あれは多分、日本の蕎麦屋さんやなんかの影響で、コミューナルテーブルがすっかり定着したが、オークランドのビンボ夜市でも、ほんとはただのテーブルなんだけど、あんまり人が多いので、どのテーブルもコミューナルテーブル化していて、隣のフィジーから来たインド人のおばちゃんに、山芋の料理の仕方を教わったり、サモア人のおっちゃんに歌を訊いたら、突然、おおきな美声を張り上げて、8小節も歌ってくれたりする。 ナイトマーケットは、人間が人間らしく活き活きしていて、ケチわしとしては重要なことに、5ドルが15ドルに使えて、大好きであると行くたびにいつも思う。 ガメは、屋台の食べ物を食べてるときには、すごく幸福そうだなあー、とモニが感嘆するように述べている。 もう一緒に暮らすようになってから長いので、そのあとの「子供みたい」という科白を、言わずにのみ込んでいるのが手に取るように判ります。 家では、ひとりでアイスクリームをぐわしぐわし貪り食っていて、ふと顔をあげると、モニさんと、小さなひとびとと、猫さんたちが横一列に並んで、立って、猫さんたちは前足を立てた例の猫いばりの座り方で座って、じっと、わしを見つめていたりする。 父親の威厳ということを考えて、内心、周章狼狽する。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | 2 Comments

オカネ嫌いのための投資入門

本を読まない人は投資家は無理である、という話をしようとおもっていたのだった。 いまなかだいすけは、投資家というものは複数のモニターに囲まれて刻々と変わる市場の価格に目を光らせながら、あちこちに指示を出して暮らしているものだとおもっていた、と述べるので、か、かわいい、とおもわずにこにこしてしまったが、 一日に何度も株を売買して、あるいは通貨を売買して、理の当然に、だんだん資金を減らして、やがてはクビをくくるしかなくなりそうな、デイトレーダーのイメージで投資というものを考えていたわけで、だいすけさん、いままで「投資」をしてみようとおもわなくて良かったね、と、こっそりつぶやいてみたりしていた。 投資家といっても、いろいろなのは、ビジネスマンというだけでは、「ビジネスをしている人」という意味しかなくて、蕎麦屋さんもいれば戦闘機をつくって売り込みにかかる人もいて、多岐にわたるように、おなじことで、投資をする人、というだけのことで、それだけでは何をしているかさっぱりわからない。 ぼくは不動産の投資家で、居住用と商業と、両方にまたがっている。 おもいつきのせいで入ってきた、あんまり少なくない収入で、11軒の家を買ったのが初めで、この初めの住居用の不動産は、現金で買い取ったが、素人の哀しさ、当時はリターン、つまり家賃収入が10%をやや越える程度で、しめしめ、これでPCゲームをやって暮らせるじゃん、と思ったが、修繕費、レイツ、いろいろ支払いがかさむのが不動産投資の嫌なところで、現実の実入りはずっと少なくて、不動産からの利益を拡大するために、不動産収入だけで12軒目を買おうと考えたら、借金しなくてはならなくなってしまうではないか、と腹をたてていたりした。 …普通の人は、安全な借金なのだから、ふつうに銀行から借りるんだけどね。 自分に課したルールとして、借金はしないことにしていたのです。 不動産投資で無借金なんて、ははは、あんた、そんな無茶な、という人が「プロ」のなかには必ずいるに違いないが、オカネのことを考えるのは嫌なので、お話しをシンプルにするために、借金はしない、いちど買った不動産は売らない、というふたつのルールを自分に課していた。 そこからが投資への道で、道というとおおげさだが、通常の不動産や不動産開発に頼っていると、むははは、もうこれ以上はオカネは要らんわい、になる頃にはひひじじいになっているに決まっているので、自分だけの風変わりなポートフォリオ、というか、ポートフォリオの組み合わせをつくっていくことになってゆく。 評価に数学の知識を動員したところがミソで、うまくいったが、それはここで書いても、よいことはひとつもないので、書いてもしかたがない。 誰かが自分は若くて一文無しだが、どうすればよいだろうか、とツイッタで話しかけていて、無論、子供電話相談室(←いまでも、あるのだろうか? いちども聴いたことがないが、なだいなだの本を読んでいたら、たいそう面白そうな番組で、いちど聴いてみたいとおもっている)ではあるまいし、答えなくてもいいわけだが、「自分が一文無しの若者だったら」という仮定で、どうやったら労働で人生をすり減らさずに食べていけるだろうか、という命題が名大で、東京なら明大なのだろうが、おもしろくて、日本語で書きながら考えれば楽しめるのではなかろうか、と考えた。 とーこーろーがー。 過去に金銭について述べたものを遡って眺めてみると、いやったらしい、涎が口の端から垂れていそうなおじさんみたいなのが、いっぱいたかって、愚劣を究めた「おまえは間違っている」「そんなことは誰でも知っている」から始まるアホなコメントがゴミ箱にてんこもりになっていて、そーか、オカネの記事はストレスのもとになるのだったな、と思い出しました。 株式投資というものは、デイトレーディングのようなやくざな考えは捨てて、ふつうの方法で臨めば、企業をつぶさに見ていくことによって、世界の仕組みがだんだん分明になってくる、という重大な利点がある。 経済を通した「世の中の仕組み」のようなものが見えてくるし、あるいは経営者の考えが、例えば年度ごとの報告書を読むことによって、判って、なるほどこういう考えかたがあるのだな、おおー、こういう立派な考えから利益が生まれることがあるのだ、と、人間についてすら学習する材料にあふれている。 数的な指標にしても、PE(←日本では確かPER)を初めとして、その指標が結局は何を示しているかを、全体から見返るようにして見る方法が身についてくると、投資インデクスの教科書の上滑りでない、指標の評価の仕方がわかって、おもしろいことがたくさんあります。 おもしろいことは、さまざまな会社で、いくらでも起きていて、ひとつくらいは例を挙げると、先週だったか、オーストラリアのDomino’sの社長が、「よい報告がある」と述べて、ついに長年、株式保有者の皆さんと話しあってきた従業員の賃上げが出来ることになりました、と書いている。 あの人は、この数年、自社の従業員の賃金を上げることを大反対の株主たちと粘り強く交渉していて、ついに賃金の大幅アップと、もうひとつにはパートタイマーが十分に労働時間をとれて、自社の仕事だけで生活できるようにするシステムの提案を通してしまった。 この人と、まわりの役員たちは、たいへん面白い人達で、ロボットカーにピザを配達させるために役所と交渉したり、もっかはドローンによるピザの配達の認可を取り付けるべく奮闘している。 GPSによって、いま自分が注文しているピザが、どこを移動中か、常に顧客に見えるようにしたのも、この会社がいちばん早かった。 どんな人だろうとおもって調べてみると、本人がDomino’sのパートタイマーの出身で、宅配ピザの現場を熟知していて、しかも、最もよいのはintegrityと英語で呼ぶ資質にすぐれている。 この会社についても、おもしろい人だなあ、とおもったので、株式の価格が、業績が不振だったり、アナリストが「これではダメだ」と結論をだして価格がガクンとさがったりするたびに、こそこそ買い集めて、それでもほんの少ししかないが、自分で見てこのくらいのコストならいいのではないか、とおもう価格になるたびに買い足している。 おなじ長期にわたって付き合おうと考えた銘柄でも、テスラのように、ファンが多い会社は、ちょっと、これは儲かりすぎだんび、と考えて売って、イーロン・マスクは失敗も多い人なので、失敗して、どかんと下がると、また買って、というように値動きが荒ければ売り買いしながら伴走することもあるが、ふつうは、本業の不動産とおなじで、いちど買ったら、そのままほっぽらかしで、ときどき見て、おおおー下がってる、おおおおー上がってる、でアホそのまんまで、それでも一年になんだかんだで、初めの年の25%が最低で、世の中の金余りもあって、そのあとは、あんまり数字を書いても仕方がないから書かないが、リーマンでチョーたくさんの銘柄が、ゴミ箱に捨てられたような価格になった頃に始めた「趣味の株投資」開始以来、世の中の大半の株投資家とおなじに右肩上がりで、この9年ほどを過ごしてきている。 そーゆー程度の株式投資の知識、というか株式と付き合いながら考えたことを書こうとおもったが、不愉快な人間が集まってくるだけなのを思い出したので、うっかり約束した約束の履行は、この程度にします。 ひとつだけ、どうしても述べておかねばならないのは、投資で生活を楽にしたければ、オカネの仕組みについて、たくさん読書しなければ、どうにもならないことで、日本語世界では、よく自分の知性に特殊な自負を持っている人は、「そんな退屈なことが出来るか」と言うが、そういう人も含めて、落ち着いて、百冊をくだるはずはない、投資を理解するために必須の本を読むのが億劫な人は、投資がいつのまにか投機になって、自分で稼いだオカネが誰かの懐に移動してしまうのは判り切ったことなので、すっぱり観念して、労働と、その労働に見合うと社会が判断した対価である給料とで、残りの人生を生きていくしかない。 それは、それで、楽しい人生でありうるのは、当たり前で、オー・ヘンリーでもなんでもよい、今度は文学の世界の本を読めば、わりと簡単にコツがつかめそうです。 どんな世界にも「まあ、いろいろ考える前に、この本を読めば」という本が存在するが、投資の世界では、それが The Intelligent Investor という、Benjamin Grahamが1949年に書いた、チョーチョーチョー有名な本で、内容は古色蒼然としているが、これはアマチュアもプロも、法律のループホールを見つけて稼ぐタイプの人や、もっと簡単に最近ならCDO (Collateralized Debt Obligation)のような、ちょっとでも数学知識がある人間なら、誰でも詐欺にしかすぎないと判る「理論」をでっちあげて、白昼正々堂々とウォール街を動かして大規模な詐欺を起こす/片棒を担ぐタイプの人間でなければ、あるいは、そういう犯罪的な「投資家」であっても、どんな人でも読んだことがある本で、 ええええー、投資の本なんて、読んだことないし、なに読めばいいか判らないよ、という人は、なにも考えずに、この本を買ってきて読むのがよいと思われる。 たしか日本語訳も出ているのではないか。 前に書いたように投資と投機を隔てるのは、投資と呼びうるものは元金がなくなる可能性がない方法で、しかし、例えば偶然、あるいは世評につられて買った銘柄が、たまたま数倍になることはあっても、それは、表面はおなじに見えても投機がたまたまうまくいったにすぎない。 投機、というのは、つまりは博奕で、ぼくなら、そんなつまらならないことをするくらいなら、まっすぐラスベガスのシーザーズパレスに行って、いちばん奥の部屋のテーブルで、数晩ブラックジャックの興奮に耽溺するだろうと思われる。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | 1 Comment

2018年へのメモ

1 課税攻勢元年 金融機関ハ本令施行ノ際現二存スル預金其ノ他金融業務上トノ債務ニシテ命令ヲ以テ定ムルモノ (以下封鎖預金等卜稱ス)ニ付テハ第三条第二項ノ規定二依ルノ外其ノ支拂ヲ爲スコトヲ得ズ という第一条から始まる「金融緊急措置令」が発せられたのは1946年2月17日のことでした。 日本政府は、このとき「戦争が起こした社会の疲弊によるハイパーインフレ解消のために新円に切り替えるため」と説明して国民は納得したが、おもしろいのは、現実には預金封鎖を必要とするほどのハイパーインフレは、当時の日本のどこにも存在しなかったことで、ほとぼりが冷めた2015年には、NHKの特集番組のなかで、証言が公開されて 福田赳夫が「通貨の封鎖は、大臣のお考えではインフレーションが急激に進みつつあるということで、ずっと早くから考えていられたのでございますか?」と問うのに、預金封鎖当時の担当大臣澁澤敬三が 「いや、そうではない。財産税の必要からきたんだ。まったく財産税を課税する必要からだった 」と、あっけないくらいに、ものすごいことを正直に述べている。 もちろん、資産そのものに課税するのは世界中見渡しても前代未聞(*)で、課税というよりは国家の徴税権を利用した国家権力の恥も外聞も無いなりふり構わぬ国民からの富の強奪でした。 この預金封鎖は、このあと2年間続いて、世帯主で月300円、世帯構成員が1人100円に引き出しが制限される。 いまの日本円におおざっぱに換算すると、月に引き出せるお金が世帯主が10万円ちょっと、家族ひとりあたりが35000円から36000円か、そんなものではないでしょうか。 日本の国債は国内の国民から借りているから財政破綻は起こりえない、とチョーしあわせな意見を述べる人がいるが、それは取りも直さず、政府が破綻するよりも先に個人の生活が破綻することを意味していて、ダメ押しの事実を述べれば、政府が財政的に破綻してしまえば国民の政府に対する請求権は消滅するが、おもしろいことに、というか、あんまりおもしろくないのかもしれないが、財政が破綻しても、国家が存在するかぎり徴税権は消滅することなく存在して、1946年の例で判るとおり、生活は生存に必要な最低生活しかできない預金引き出しの制限をかけても、収入に対しては増税して強制的に課税を増やして財政の再建に注ぎ込むことは出来る。 もうひとつ、この預金封鎖の頭がよかったところはインフレ対策に見せかけながら「資産そのものに重課税する」という荒技、というより反則技を使ったところで、知っているかぎりにおいては、堂々とこのタイプの資産課税をおこなった近代国家は、戦後日本だけであるとおもいます。 そんなひどい、とおもうかも知れないが、当時の日本人は、いまの23〜4万円にあたる「月500円生活」に比較的満足で、家計簿が大流行し、節約の知恵がもてはやされて、案外、ビンボを楽しんでいたもののよーでもある。 悲惨を極めたのは、戦前には厳然と存在した日本の「上流階級」で、現金資産はそのまま政府に没収されてしまったのも、おなじで、この預金封鎖令とGHQによる農地解放で、階級ごと、あっけなくふっとんでしまって、跡形もなくなってしまう。 日本の大衆社会の淵源がこれで、「カネモチは自業自得」で終わりにできるお国柄で、ほぼ不問に付されてしまった。 もう何年も前からブログに書いているとおり、日本の財政は危機を通り越して、ナイアガラの滝の瀑布の突端で、爪先だって踏ん張っている状態なので、どんなにもっても2020年まで、日本社会らしく、あーでもないこーでもない、ありとあらゆる、さーきーのーばーしーの秘術をつくして、がんばりまくっても2025年までには100%オダブツの見通しなので、株価をあげればなんとかなるさのアベノミクスに、株がさがれば公金をつぎこんで株価をあげて、なけなしの国民が貯め込んだお金を外国人投資家に貢ぐ結果になった事にもあえて目をつぶって、つぎこんですっからかんの国の財布は、経済がなんだろうが政府の手にしっかりと握っている徴税権で奪った金で膨らませる以外に方法は残っていません。 だから、多分、増税につぐ増税で、それも日本の政府のいつものやり口を考えれば ステルス税を増やし、おおめにみていた交際費をしめあげ、あそこにもここにも課税して、どんどん増税して、ひょっとしたら呼吸するのにも課税を始めるかもしれません。 はい、息を吸ってえー、吐いてえー、ちゃりーん、一回5銭なので、本日は22000回で、1100円の課税になりますー、まいどー、なのではなかろうか、 というのは冗談だが。 経済に較べると、財政は普通の国民には不可視で、いまの安倍政権に至っては、もともとオカネに弱い人なので、首相そのひとが財政と経済の区別がついていないのではないかしら、という発言もよくあるが、破綻するまでは実感できないものの筆頭で、非難できるものでもないが、危ないものは危ないので、財政の専門家たる財務省の役人たちは、いくらなんでも、もう危ないとわかっているので、どんどん増税するのは判っている。 2018年から始めないと間に合うわけがないので、今年が増税元年になることと、もうひとつは、1946年もそうしたように、人民戦線主義的というか、「カネモチは悪だ。なんか悪いことをやってるから儲かったんだ」が浸透している国民性を考えると、そろそろ富裕層の狙い撃ちが始まるのではないかとおもっています。 日本は富裕層も、案外のんきで、「安倍ちゃんは、勝ち組の味方だから、でへへへ」で、安心しているのかも知れないが、日本政府は牙をむきだすと、実績から言っても富裕層に容赦する、ということはありえない。 むしろ逆で、大多数の国民は富裕層が破滅しても「いい気味だ」くらいにしかおもわない国民性を熟知していて、初めの大攻勢は富裕層に向かって行われそうな気がします。 日本に住所がある人は根こそぎだとおもうんだけど     2 習近平の黄金夢   アメリカの大統領がトランプになったときには、まだ半信半疑だったのが、重い腰をあげて、本人に会ってみて、現実離れした幸運が実際に身の上に起こったのだと理解したとき、習近平はコーフンで眠れなかったに違いない。 とんでもないマヌケがアメリカの大統領になるという見果てぬ夢を、いったい何人の中国共産党指導者は視てきたことだろう! 中国の外交には癖があって、相手がちょっと油断すると、そそそくさくさくさと、躙(にじ)り寄るように地歩を獲得する。 むかし中国とソ連が国境問題で緊張していたとき、夜中にソ連兵がコーヒーを飲みながら国境線を望見していると、先週はたしかに黒松の向こうにあった鉄条網が、木のこっち側にある。 あれ?と思って双眼鏡をかまえなおして目をこらすと、なんと、夜闇にまぎれて、匍匐した数百人の中国兵が、そっと鉄条網の杭を抜いて、数メートルずつソ連領内へ動かしている。 いや、そんな70年代の古い例をもちださなくても、短気な日本の人ならば尖閣の、寄せては返す、中国流の領土拡張戦術に、やりきれないおもいをかみしめて、うっかり石原慎太郎の尖閣棚上げを台無しにする、辛抱のない暴挙に喝采して、あまつさえ、いったい何をどう考えたら日本側の主張の正統性を根本から破壊する、野田佳彦の尖閣国有宣言に頷いてしまった人もいそうな気がします。 「アメリカ・ファースト」と述べることは、そのままアメリカがグローバル・リーダーとしての地位を放棄したことを意味している。 アメリカが世界の王で、他の国は王からの権力の簒奪を狙うにしろ、王を支持するにしろ、王が揺るがしようもなく座している王座をめぐって外交を展開する、という従来の枠組みを、なぜかアメリカのほうからおりて、これからは強い者勝ちの乱戦でいこうぜ、といいだしたわけで、そのアメリカの愚行によって起きるのは、アメリカの拡大していた力の縮退です。 アメリカは、トランプがツイートするたびに縮んでいる。 欧州はすでに愛想をつかして、NATOそのものの枠組みを見直し始めている。台湾は見るからに悲壮な決意を固め、イランはペルシャに立ち返って、サウジアラビアの擡頭をおさえて中東世界の王たろうとほとんど無意識のように蠢動しはじめている。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | Leave a comment