Monthly Archives: February 2018

ここではない、どこか

夜更け、英語ならスモールアワーズという、2時や3時に目がさめて、世界はもうすぐ終わりになるのではないか、と考えることがある。 きみは笑うだろうし、世界中の人間を考えれば、そんなことを考えたといえば、爆笑する人間のほうがおおいだろう。 それでもぼくは、ときどき、この世界は、いったい、もう寿命にきているのではないかと考えることがある。 英語フォーラムでは、Brexitもトランプ大統領も、要するにロシアの陰謀が成功したのだと述べる意見にあふれている。 そうだといい、とぼくは考える。 もしそれが理由なら、世界は発狂したわけではないのかも知れない。 KGBの、彼ららしい新しい戦略によって、傀儡師として、ビンボな国なりに、カネモチ西欧諸国を踊らせているのかもしれない。 もし、そうなら、どんなにかいいだろう、 と考える自分が、一方には、途方もなく冷めた目で、立っているのだけど。 自分は、生まれて来たこの世界が好きではないのではないか、と長いあいだ疑ってきた。 もっと言えば、人間というものの特性が嫌いなのではないか。 連合王国という国は、子供を児童として保護するよりもずっと前に動物愛護の法律をつくって、いまだに英語世界では笑われているが、でも、もしかするとそれは世界に対する正しい観察に基づく叡知だったのではないか。 人間のほうが犬や猫よりもすぐれているのだ、という人とあうと、なんだか不思議な気がする。 なぜ? とおもう。 自分にとっては猫のほうが人間よりも賢いのは、あたりまえのことに属する認識だからだろうと考える。 人間には、知性と呼びうるものがあるだろうか? 人間は言語を使いはじめたことによって、進化の系統から外れてしまった。 いわば別リーグになったので、象や虎や猫や犬がいる「言葉のない世界」から遠い存在になってしまった。 自然世界とは別立てで、ろくでもない世界をつくってしまったことは、例えば、インターネットに分け入ってみれば明らかで、言葉は本来は、洞窟の壁に、はてもなく、延々と描きつづけた「Disk」や酸化鉄をふきつけて印象した手のひらの形で表現したかったものを、より精細に表現する方法にすぎなかったが、その言語という呪術的なものに、伝達の機能をもたせようとしたことで、無理を極める注文で、あきらかであるとおもう。 人間を30年もやれば、言語にはちゃんとした伝達の機能などないことは、誰でも知っていることだろう。 言語には照応の機能しかない。 お互いがおなじことを認識して知っていれば、お互いの認識を並べてみせることによって、ああ、あなたは、これのことを言っているのか、それは私の悩みでもあります、という具合に得心しているのであって、伝達などではありはしない。 言語に伝達機能があると妄想することで、人間は、どれほど多くのエネルギーを浪費してきたことだろう。 知能の定義が自分が人間であるという自覚をもたない人間によって作られたので、人間を特別にすぐれているように見せるための定義になってしまっていることは疑いえない。 もうこのブログで何度も述べたが、例えばタコは統合失調症になるが、だからといって「タコまでは知能が認められる」と結論することは、人間の一方的なおもいこみのモノサシで知能を定義することであるとおもう。 カヤックで海をわたっていけば、誰にでも簡単にわかることで、カヤックを集団で飛び越えてゆく鰺は、やはり遊んでいるのだとおもう。 鰺に「遊ぶ」知能があるわけはない、というが、理屈と感覚では、どちらも等しく誤りやすい、ということではないのか。 人間は幸福や繁栄には飽きるように出来ている。 なぜだかは、知らない。 幸福にも繁栄にも、なぜか飽きる、という事実が知られているだけです。 キャメロンが、Brexitを国民直接投票にかける、というケーハクによって退陣せざるをえなくなったとき、連合王国は歴史的な繁栄の頂点にあった。 イギリス人は、愚かにも、その繁栄に終止符を打ってしまった。 でもそれは、ほんとうに「愚か」だったのか。 必然なのではないか。 グルーチョ・マルクスが「ぼくは自分が入れるようなクラブのメンバーにはなりたくない」と述べている。 人間の、この「自分が会員になることを拒否するクラブだけに入りたい」心は、人間の不幸を、個人から国家に至るまでのレベルで招来してきた。 人間が常に自分を不幸に陥れようとするメカニズムは、要するに、自分に十分可能なことには価値を認めない、人間の、蛮性によっている。 もう寿命にきている、というよりは、世界は、こんなに簡単に繁栄できる世界など自分は拒絶する、と述べているのでしょう。 成功できるような成功は、成功と認めることは出来ないのだ、と書くと、言葉遊びのようだが、案外、人類がときどきみせる、破壊に向かってひたむきにすすむ素顔は、人間の言語そのものに内在する、垂直な、天空に突き抜けるような価値よりも、常に、自分に可能な成功は否定する性質にあるのかもしれません。 … Continue reading

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見知らぬ文明

最近は、日本語で日本のことをなにか書いてみよう、と思っても、なにしろ最後に訪問してからまるまる7年たっているので、断片的な記憶以外は、ほとんど何もおぼえていない。 3年前だったか、2年前か、数日、ストップオーバーで立ち寄ったことはあるが、京都の尾張屋という名前の蕎麦屋さんの蕎麦がおいしかったことと、東京の贔屓だったおでん屋さんがなくなっていてショックをうけたことくらいしかおぼえていない。 両方とも食べ物であるところが情けないが、ほんとなのだから、仕方がない。 やむをえない世の中の趨勢で最近は連合王国人もニュージーランド人とオーストラリア人も、成田を経由せずに、ドバイやドーハを経由してロンドンへ行くことが多くなった。 便数が多くて成田経由より安い上に、機材も、A380やなんかで、成田経由に比べると遥かに楽チンだからで、特にフルフラットベッドの完全導入すら覚束ない成田ロンドン間に比べると、合理的で、空港のラウンジも快適なので、最近は成田経由よりも、シンガポールか、ドバイまたはドーハを経由して欧州へ行く人がぐっと増えたと感じる。 むかしは旅客機の航続距離が短かった頃の名残で、例えば子供のころは、まだ、 ニュージーランドからロンドンへ帰るのに、クライストチャーチ→オークランド→ホノルル→東京→ロンドンという経路が残っていた。 両親にロンドンからシカゴに行く用事があったせいで、ときどきシカゴへお供していたが、オヘア空港はユナイテッドのハブで、マイレッジがどんどんたまって、 しかも当時は例えばビジネスクラスで一度どこかの国へ出かけると、エコノミークラスの同距離が無料になる、という調子で、大盤振る舞いだったので、マイレッジが使いきれないほどたまって、じゃあ、ハワイ経由で東京まではいけばいいね、と家族内の上下議会で衆議一決することが多かった。 どういう理由に拠っていたのか、トランジット扱いになっていなくて、ホノルルでいちどパスポートコントロールを通過することになっていた。 おかげで、ホノルルで数日を過ごすのが習慣になって、兵器について学習するのが好きで、次期首相になるのかどうか、石破(いしば)っていたぼくは、そのたびに戦争博物館、正しくはアメリカ陸軍博物館、に寄っていたものだった。 この戦争博物館とダイアモンドヘッドの裏側にあるレンタルビデオ屋と、生まれて初めて「スパムおむすび」という異様な食べ物を見て戦慄したABCストアが、ホノルルと言われると思い出すみっつの場所で、ほかのことはあんまりおぼえていないのだから、ハワイの人が聞いたら、情けながって、怒るのではないかとおもう。 世界中どこでも40分で行けるようになる、イーロンマスクのスペースXが普及するころには、この、26時間だかをかけて移動していた日々も、笑い話になるのだろうが、慣れてしまえば、あれはあれで楽しいもので、特にフルフラットベッドが普及した21世紀に入ってからは、例えば成田からオークランドに向かうにも、夜の8時に離陸して、機内で夕食を食べて、ワインを飲んで酔っ払ってぐっすり眠ると、朝の10時に着く、という具合で、11時間かかることで返って幸いして、時差が3時間しかないことも手伝って、ロンドンからニューヨークへ行くよりもずっと疲労が小さかったのをおぼえている。 数年、ひとりでロンドンとクライストチャーチを往復していたころには、世界一周チケットで行き来するのに凝って、行きは東京を経由するが、帰りは大陸欧州を経由してニューヨークによって、ロサンジェルスに滞留して、というのをやっていたことがあるが、二十代の体力だからなんでもなくそんなバカなことをやれたので、 例えばパリ→ニューヨークは9時間で、ニューヨーク→ロサンジェルスは5時間半で、食事はいりませんから、と断っても、ついつい映画を一本観てしまったりすると中途半端極まりなくて、結局は酔っ払って不機嫌な、見るからに胡乱な若者として入国管理官の前に立つことになる。 欧州と東アジアに戦乱の雲があらわれて、その上に、海外旅行をする人が毎年毎年空港や宿泊施設のキャパシティを超えて増えて、友達にあっても最近旅行した友達は不愉快な経験をしたひとが多くて、エコノミークラスで旅行するのは論外であると述べている。 モニさんと相談して、旅行を減らして、出来ればメルボルンとオークランドを往復して、あとは週末にウエリントンに出かけたり、クライストチャーチへ飛んで昔からの友達たちと夕食を楽しんだり、なぜか昔からアメリカ人に人気があったタウポに変わって俄然富裕なアメリカ人たちに人気が出たクイーンズタウンに招かれて出かけたりのほかは、あんまり出かけないことにすればどうだろう、ということになっている。 ひとつには、友人たちも、戦争の世紀にそなえて土地鑑をつけるためか、こぞってオーストラリアとニュージーランドに、たびたびやってくるようになったので、向こうへいかなくても、こっちにやってきてくれる用事が増えた、ということもある。 案外と暢気に構えているので拍子抜けする人もいるようだが、例えば投資家などは、決算の結果や、CEOの1年の業績報告、あるいはある月に取引された住宅の数やリースの成約率のようなものには、まるで臆病なウサギのように敏感に反応するが、戦争のようなおおきなイベントは、例えそれが避けられなくなったように見えても、ほとんど反応しない。 なぜかというと、極端な、市場を根底から覆すようなイベントは投資の世界では 「考慮しない」ことになっているからで、素人の人は、決まってそんなバカな、と述べるが、習慣であるだけではなくて、よく考えてみると、市場原理に従うかぎり、ブラックスワンや、それに準じる事態は、おおげさにいえば数学的に述べても、無視したほうが合理的であることが理解できると思います。 オーストラリアではシドニーにメルボルンから本拠を移そうとおもったことがあったが、シドニーは南カリフォルニアとおなじ散在型の都市で、アクセスがよいとは言えなくて、いやいやいや、せっかく日本語で知り合ったお友達たちを念頭に書いている日本語ブログなので、正直に書くと、メルボルンの、あの狭っこい「傾いた四角」に、ぎゅっ、と詰まった滅茶苦茶おいしい料理をだす欧州系レストランやバーの魅力を見限ることに失敗して、シドニーは廃案にされて、サウスバンクから北の河岸に、本拠を移すだけのことにしてしまった。 要するにワインを、そこで一杯、あそこで二杯と飲んで、タパスやなんかを食べて、ふらふら歩いて遊びたいだけなんじゃない?と失礼なことを言う友達がいたが、その通りで、東京にいた頃の銀座の代わりで、今日はHardware Lane明日はSpring Streetで、モニさんとふたりで歩いていると、東京やマンハッタンをおもだして、楽しい。 ニュージーランド人は、最近は、寄ると触ると、ほかの世界から離れていたよかった。 信じられるかい? おれたちは、世界でただひとつ安全な国にいるんだぜ、と真顔で述べあっているが、そうは問屋がおろさないというか、問屋はつぶれちゃうのよ、といったほうがいいのか、世界の経済は密接に連関していて、赤道の向こう側で戦乱が起きても、戦争自体はやってこないのは、それはそうだろうけれども、もともと22フィートのヨットで島影のないブルーウォーターのまんなかを航行しているような、文字通り吹けば飛ぶような国力のオーストラリア/ニュージランド・マーケットがただですむわけはなくて、よくて沈没、悪くすれば岩礁にたたきつけられて終わりだろう。 ぼくは、英語社会では生年を聞かれることはあっても会社員でもなければ年齢を聞かれることはないので、ほんとかどうか判らないが、1983年生まれなので、いま数えてみると多分、34歳だが、子供のころに見たビンボ時代のオーストラリアとニュージーランドをよくおぼえている。 子供のときラムチョップがおいしいのに惹かれて連れて行ってもらった、クライストチャーチの、ハイストリートのパブで、ランチを買うオカネもなくて、壁際の席に座った若い失業者たちが、いちように半パイントのビールをじっとみつめて、一時間も二時間も、それこそ身じろぎもしないで下を向いていた姿や、オーストラリアのサーファーズパラダイスで、身なりがいい日本人観光客たちが楽しげに闊歩する大通りから一歩裏にはいった、ステーキパイがおいしいベーカリーがある狭い通りに入ると、何日も洗濯していない汚れたTシャツで、見るからに貧困に喘いでいる若い母親や、希望を持てずに麻薬に手を染めていそうな、おなじく薄汚れたシャツにジーンズの男達が通りのあちこちに屯していたのをおもいだす。 例えばニュージーランドでいえば、この17年間に及ぶ急成長した経済で、新聞で「巨大化した」と表現されるくらい成長したニュージーランド経済だが、日本で言えば三重県とおなじ規模だった経済が静岡県と同規模に昇格したところで、どのくらい小さな経済かというと、むかしでいえば国内最大銀行のBNZは神奈川県の湘南信用金庫よりも規模が小さかった。 いまはどうなったか知らないが、湘南信用金庫が朝日信用金庫になったくらいの程度ではなかろーか。 国際市場の煽りで経済があえなく破綻して、そのうえに、いまでも白い人ばかりが集まるとヒソヒソと話しているように、「中国人が多すぎる」なんて了簡が狭いことを述べているようでは、どっとなだれ込むに決まっている移民の増大に耐えられるわけがない。 実際、肌の色ばかり気になるおっさんおばさんたちの妄想だけではなくて、オーストラリアでもニュージーランドでも、教育、医療をはじめ、インフラストラクチャーは、いまですら、一面では限界に達している。 このあいだ、インターネットで、いつもの仲間内だけの閉鎖的なフォーラムでなくて、あちこちのフォーラムを、渉猟して、眺めて遊んでいたら、「トランプはプーチンがアメリカに送り込んだ刺客なのだ」という意見の人がいて、おもしろかった。 すべては経済が、だいたい韓国と同規模で、どちらかといえば小国に過ぎないロシアが旧ソ連圏回復を目論むための新思想による戦争努力で、アメリカは、その第一ラウンドで負けたところだという。 読んでいるうちに、自分の外交が専門の友達が書いているのでないかという錯覚が起きてきたが、ま、酔っ払って読んでいたので、邪推が起きたのでしょう。 しかし、ある時期から、安定して繁栄していたアメリカとイギリスの世論が不安定になりだしたのは事実で、イギリス人などは、政治が理解できない国から移民を受けいれすぎたから、われわれの自由主義社会が自爆してしまったのだ、と述べる人がおおいが、ほんとうは移民には知的な人間が多いので、土着民の白い人がパブでパイントにパイントを重ねて、フットボールを肴にゲハハハハと下品に笑い転げているあいだに、ネットサーフィンやSNSに浸っていて、リベラルの皮をかぶったロシアのサイバー世論誘導部隊に頭をやられてしまったのかも知れないし、あるいは、もちろん、その両方ともが虚妄で、単に「繁栄に飽きた」結果なのかも知れません。 累卵の危うき、と言う。 いまの世界はそのまま、つみかさねた卵が、なんとかバランスを保っている状態だが、あと、この枠組みで、何年、政府同士、市場参加者同士、これまでの「情報を共有する」という破局の回避方法だけでやっていけるのか、ロシアが、市場の大暴落を避け、核戦争を避けるために20世紀の後半に人類が編み出した「情報の絶え間のない共有」に目をつけて、逆手にとって、新しいサイバー戦略の柱に「共有される情報を支配する」毒を盛って成功を修めた以上、ちょうどいまのアメリカ人に典型的に見られるように、fake … Continue reading

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確率ブルース

なんだか怠け癖がついてしまって困っている。 生まれてから、このかた、ずっと怠けているわけだから、いいかげん癖になるのは、当たり前だが、料理の人にご飯のしたくを頼むのがめんどくさいところまで来てしまうと、自分でも、いくらなんでも、酷すぎるのではないか、と想わなくもない。 家には何匹か猫がいる。 三匹なら、三匹とはっきり書けよ、と言う人は、曖昧の美を理解していないのだとおもわれる。 チビ猫のときにもらわれてきたのや、客人として逗留している猫など、おおきな声では言わない方がセキュリティ対策としてすぐれているが、家のなかで、庭と、一部屋だけセンサーを切ってある部屋で、日がな、夜がな、ひねもすのたりのたりしているのが、わし家の猫たちの特徴で、そのなかでも黒一点、この猫がわし猫で、子供のときからのしきたりに従って、黒猫です。 ほんとうはQで始まる名前だが、ここではウイリアムと呼ぼう。 ウイリアムは、猫さんなのに飼い主に似て、あんまり四本の脚で立っていたり、 猫座りというべきか、前脚を立てて、すとんと腰を落とした、見るからに安定してカッコイイ座りかたもしないで、たいてい寝転んでいる。 そばを通ると間違えて踏み潰しそうになるが、本人は、より精確には本猫は、まったく気にしていなくて、怖がりもせずに、それどころか、おおー来たあーとばかりにおなかをみせて、purringを始める。 purring、日本語でなんというのか忘れた。 ごろごろ、かな? ぜんぜん関係のないことを書くと、purringがどうやって起きるのか、実は、まだ物理的なメカニズムが判っていない。 声帯が振動するのだ、ということになっていたが、先月、どうやら違うみたい、副声帯とでもいうべきものが備わっていて、それが鳴っているようだ、という論文がニュースになっていた。 猫の鳴き方がわからなくて火星に行けるとおもっているのか! と科学の神様が聞いたら怒るのではないかと思われるが、科学は可愛げがないやつで、神様を否定したがっているくらいなので、神様がいくら地団駄を踏んでも、興味がないことには手をださないのです。 おなかを見せて、なにをしろと述べているのかというと、猫のくせに、いや、くせにではpolitically incorrectなので、猫なのに、のほうが適切だが、足でおなかをさすってくれ、と要求している。 母指で、つんつん、ころころしてやると、きゃあああーと喜んで、4本の脚でつかまろうとする。 噛むふりをする。 見るからに至福の時を味わっていて、単純で、みていると、幸福な人生をすごす秘訣が得心される。 家では、最もえらいのは猫さんたちで、完全な自由を保証されているので、おもいおもいに、タンスからタンスに飛び移ろうとして、こけたり、庭に出て、他家の生姜色の巨大な猫と遭遇して、命からがら駆け戻ったりしている。 次は小さいひとびとで、その次は家を手伝ってくれているひとたちで、その下が、わし、という厳然たる階級社会になっている。 え?モニさんは? というお友達の声が聞こえるが、モニさんは、家全体をhaloで包みこむ女神さまのようなものなので、猫やわしが形成している階級社会を超越しているのです。 当たり前ではないか。 で、怠けていて、ウイリアムと一緒に、ごろごろしていて、猫さんたちが無造作にわし顔を踏んづけて歩いていったりしているカウチで、なにをしているかというと、この頃は本を読んでいることが多いよーだ。 ひとにはツイッタで「賢明なる投資家」を読め、社債の本もええぞ、と述べながら本人は、あんまりオカネが儲かりそうな本を読んでいなくて、Teju Coleや村上春樹を読んでいる。 なんでか日本語能力の維持が脅迫観念になっているので、村上春樹は日本語で読むが、おおきな声では言えないが、めんどくさくなると、まんなかは、英語訳で読んで、ワープして、また日本語で続きを読んだりする。 ひどいが、手抜きは人間の友であるという。 お友達とは、なかよくしなければいけないと孔子さまも教えているでしょう? 閑話休題 インターネット上でニュースを見ていると、ぜんぜんそういうふうには見えなくて、文大統領の捨て身の外交努力で、戦争の危機が一時的にせよ、遠のいているように見えて、日本語では相変わらず白紙みたいに稀薄なニュースしかないが、英語ならネットにも載っていて、自分で探してみるとよくて、シンクタンクや、元政府高官、自由にものが言える立場になった元高級将校、はては現役のハリス太平洋軍司令官まで、「戦争は、ほぼ避けられない」と考えているようで、つまりは、「北朝鮮が核ミサイルによる本土攻撃を材料にアメリカを恫喝することだけは絶対に許さない」のがアメリカ合衆国の国家的な決意であるらしい。 人事を通じて戦争回避派を排除しているように見えます。 読んでいて、どうも、どうあってもトランプたちは北朝鮮と戦争をする気なんだなあ、とおもう。 韓国が反対しても、歯牙にもかけないのではないか。 2014年あたりからスウェーデンは対ロシア戦の準備にかかっている。 なんでまた、と不思議におもって調べてみると、こちらは東アジアよりも更に緊迫していて、スウェーデンの諜報機関の発見に基づいて、ロシアには明瞭な欧州侵略の意図があると判断したもののようでした。 それもプーチンが再選されてから、あまり時間がたたないうちに行動を起こそうとしているのだ、という。 行動を起こす、といっても、いきなり戦端を開く、というわけではありません。 … Continue reading

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政治的でない政治の話について

日本の政治の本質は鎌倉幕府の問注所なのだろう。 近代以降にあっても、日本には少なくとも西欧的な意味合いの「政治」は現れない。 どちらかといえば政治への禁忌が存在するだけで、考えてみると、このことは、日本という国/社会の一大特徴をなしているのかもしれません。 例外は、例えば最近でいえば田中角栄だが、この人の「列島改造論」は、途方もないくらい中国的な考えで、本人は今太閤と呼ばれていたようだが、どちらかといえば、十全ガイジン、いや、間違えた、十全老人乾隆帝に似て、自然、公共事業に使われるオカネの流れも、田中角栄自身が、あたかも黄金がわきでる温泉であるかのような図式にならざるをえなかった。 道路をつくり橋をかけるのに、欧州では、絶対君主といえども商人から借金をしなければならなかったが、乾隆帝は中国全体を個人として所有していたので、別に借金をする必要がなかったのは、言うまでもありません。 政治の側から「じゃ、ひとつ、山を削って、愚公山を移す、山からでた土で海を埋め立てて、国土を広くしようじゃないか。ガハハハ」の角栄風例外はあるが、普段は、なにが政治かというと、民意上達、行政の末端や、利権の末端から、「ここの河川をふさいでダムにしちまいたいんですけど」、あるいは、「この川に立派なお国自慢にできるような橋をかけたい村民の希望がありまして」で、「カネくれ。カネ、カネ、カネよこせ」の手がどっと差し出されて、どの掌に税金からつかみどりした数十億円単位の「おひねり」を乗せてやるかが行政であるよりは「政治」の仕事になる。 そういう意味では、もともと日本などは、憲法が必要のない国で、なにしろ政治のダイナミズムが存在しないので、それを絶対的に規矩する文字などは、考えて観れば判るが、為政者がシカトすると決めてしまえば、ただの死語の列です。 え? 軍隊が持てない? そりゃ困るよ、アメリカ軍は要請者のなかで最大手で、こっちにはどうにもならないんだから、ちゃんと裁定だしてよ? 憲法九条? なんて書いてあるの? バカだな、おまえ。 そしたら「軍隊」ちゅう呼び名やめて保安隊とか自衛軍、軍は字面がまずいか、じゃ。自衛隊ぐらいのことにしとけよ、キャリアで課長補佐にまでなったのに、やっぱり若い奴はマヌケだな、気が利かないと、あとで上にいったときにたいへんだぞ、きみ。 外国人は巨大な軍隊を「自衛隊」と呼び変えて、「うちとこは平和主義やさかい、軍隊みたいなぶっそうなものは、ありしまへんのや」とすましている日本人たちを見て、あんたの国の軍隊は援助交際みたいなものなのか、おい、と考えるが、 次の瞬間、 ええ、あれ、ほんとは、軍隊なんですよね、 と笑いながら明るく述べる日本のひとびとを見て、ボーゼンとする、というか、 取り付く島のなさを感じる。 これも法の規矩に挑戦して、現実を変えていこうとする政治という力が日本には存在しないからで、その証拠に、といって、変な証拠だが、中曽根康弘以来、拍車がかかって馬力がついた、「日本は戦争をしません、なんて屁理屈をこねるのはやめよう。憲法の条文ごと変えちまおう」という運動は、憲法改正を党是とした自民党に、かつてないほどの支持が集まっているいまに至っても、まだ変更されていない。 よく見ると、これも、話として判りにくそうで、ごみんだけど、政治が政所であるよりは問注所のスタイルで連綿と続いているからで、観衆としての国民は、御成敗式目が変更されると、御恩と奉公の大枠までなくなってしまいそうで、守旧的な国民でなくても不安なのだとおもわれる。 なぜ不安かというと、改正条文そのものよりも、改正しようとする「政治的な勢力」の恣意を見て取っているからだろう。 そして、恣意が御成敗式目をさえ書き換えてしまえば、政治が存在しない以上、あとは一気呵成、恣意がみずからの意志で突っ走って、またぞろ国土が廃墟になる未来が訪れることを直観しているからに違いない。 わしなどは、せっかく70年余もうまく機能していた、憲法の条文をわざわざ身動きできない戦争へひた走る国家へのレールになるように書き換えるくらいだったら、御成敗式目は、「十七条憲法」x3=五十一条の体裁なので、いまの103条から一条減らして、「十七条憲法」X6=102条に変えるほうが、祖宗の英霊の満足がえられて、国家安泰につながって弥栄めでたし、とおもうが、 というのは、もちろん冗談です。 いまの日本国憲法を、102条でやれたのに、103条にしてしまったひとたちは、数字に弱かったのではないかとは思うが。 ところで、なんで、こんな「日本の政治って、問注所政治なんじゃないの?」と述べるヘンテコなブログ記事を書こうと思い立ったかというと、愛国思想というか、愛国主義思想といいなおしたほうがいいか、およそ時代遅れで陳腐な右翼思想によって、ひさしぶりに「政治によって国を動かす」試みの時期に入った日本が、その上滑りで唐突な「政治」によって、財政は瀕死、経済は旧態依然で賃金の徹底的な抑制によってかろうじて競争力を保つありさま、しかもそれに対する経済政策は、それこそ「政治的」な市場への国富の大量投下、他のアドレナリン作動薬には目もくれず、カンフル剤を打ち続けて、それのみで経済を浮揚させようとする現代経済の地平に立っている人間からすると荒唐無稽な路線をひた走る日本にも、ようやく自分達が落ちていく奈落がみえはじめた様子であるからにほかならない。 この辺で、いままでやってきたことのうちの「政治」を包括的根底的に論じて、みなで、なんでこうなったか考えてみたくなった、ということです。 多分、まだツイッタに頼ることになるのだろーか。 裸にしてしまえば勢力や権力にしか愛着をもたず、その当然の帰結として、言うこともいちいち立場主義で、思考力などというものはいらず、いかに(彼らにも、そういうものがあるとして)自分を謀るかの能力だけが問われる政治的な人間には、政治ということが考えられないのは、論理的な帰結でしかない。 さいわい、きみやぼくは、政治的人間ではないので、ツイッタのタイムラインに戻ったら、少しづつ、日本社会においては政治とはなにか、あるいは政治はどこに行ってしまったのか、それとも初めから存在しないのか、話す事はたくさんありそうな気がする。 その話の肴の第一弾として、書いてみました。 経済同様、政治もまた、正面から向き合わねば、どんどん、後ろから羽交い締めにするようにして、きみの生活を不自由にする。 政治的人間などは、人間みたいなそうでないような存在で、論外だし、あまりに反知性的で薄気味が悪いだけだが、政治的であることをさけて政治について議論することには、おおきな意味があるとおもっています。

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キッチン

夜中に、おなかがすいてサンドイッチをつくりに台所へ行ってみると、見知らぬ宇宙人が座っていて、表の嵐でぐっしょり濡れた靴下を椅子の背で乾かしているところだった、という出だしの子供向けSFが好きだったことがある。 この作家が好きな理由のひとつだが、夜中の台所には、たしかにそういうところがあって、自分だけの秘密な記憶を形成しやすいのだとおもわれる。 ぼくが生まれた家には、普段の台所とは別に、家族の朝ご飯だけの台所があって、トースターやオブンや、例の電気で湧くジャグや、朝ご飯に必要なものがひととおり揃っていて、壁際には緑色の小さなテーブルがあった。 朝ご飯はなぜかここで食べることになっていて、さもなければ、もっと儀式ばった、といいたくなる、大仰なテーブルに、給仕する人がいる午餐にも使うテーブルがある部屋で食べることになるが、こっちは、お客さんが泊まっているときに使うだけで、問わず語らず、簡単な朝食を家族の誰もが好んでいたので、卵が2個とベーコンとソーセージと焼トマトが載った皿を手前に抱え込んで、まだ世間では紅茶が主流だったときでも父親の好みでコーヒーが並んだ食卓で、わいわしがやがや話ながら朝のひとときを過ごすの毎朝のことだった。 その朝の、ざっかけないほうの台所で、眠れない夜に起きてきて、牛乳をのみながら本を読んだり、ノートブックを広げて絵を描いたりするのが、子供のときの習慣で、そんなことは、もちろんいけないことになっていたが、母親も知っていたのに違いないが、見て見ぬふりで、いちども怒られたことはなかった。 長じると、牛乳は紅茶になって、やがてエールになって、大学の頃には寮から実家にもどった夜更けのウイスキーに変わっていった。 深夜の台所は、ものを考えるには、よほど向いたところがある。 ねずみが躓いても聞こえそうなほど静かな夜更けに、昼間はうまく考えられなかったことを考える。 あの威張りくさっている新しい先生は、なんだって、あんなにバカなのだろう? とか、中国系の留学生たちは、どうしてあんなになにをやっても賢いんだ? あるいは、あーあ、あんな女の人、あわなければよかったなあー。 会ってしまったものだから、世界がパッと明るくなるような笑顔や、まるで音楽のように心地よい声や、美しいアクセントが、頭のなかで映写されて、ほかのことを考える邪魔をして、集中力を削ぐこと著しい。 待てよ、待てよ。 ひょっとして、おれは恋に落ちたのではないか。 起きてから寝るまで、ほとんど、あの人のことを考えているものな。 だが、そんなバカな! 16歳で恋に落ちてしまっては、恋である以上、通常の生活を送るような凡俗な営みが許されるわけはなくて、一心不乱に恋情を燃やさなければならなくて、…そうすると、おれの人生は破滅に向かっていることになるではないか! 定義、というものがあるからな。 自分の一生が台無しにならないような感情は、恋とは言わないだろう。 恋であるならば、自分もまた人間らしい人間ならば、着実な生きる努力などは捨ててかからなければ! うむう、こうしてはいられない、と考えて、朝食用の小さな緑色のテーブルに向かって、一所懸命にラブレターを書いたりしていた。 あるいはバルセロナ、もう少し厳密に言えば今はバルセロナに編入されているグラシアの町に初めて買ったアパートで、なんだか無暗矢鱈と広いテラスがあって、向こうにサグラダファミリアが見えている、年柄年中一台しかないエレベータが止まって、水が止まって、電気が止まる、 気難しいアパートで、ちょうど反対側には台所があって、こちらはコートヤードに面した小さなベランダがあって、疲れて眠っているモニさんの傍らから、そっと起き出して、電気もつけないまま、手探りで台所に行って、冷蔵庫からヴィッチイカタランを取りだして飲んでいた。 その頃、ぼくは、英語世界に愛想がつきていて、やまだしで薄っぺらな人間があふれたロンドンは、もううんざりで、アセニアムの地下でのパーティで脳外科医と盛大に酔っ払った夜を最後に、もう帰ってきてやるものか、とおもっていた。 子供のときに、少しだけおぼえた日本語を手がかりに、日本の谷崎や三島をどんどん読んで、「ここではないどこか」に行こうと考えたが、日本人もおなじ穴の狢で、どうかすると、これならまだしもイギリス人のほうがマシなのではないかとおもうことすらあって、関心が、恋人であるモニさんだけに集中していっていたころだった。 炭酸水のヴィッチイカタランの瓶が空になると、今度は木箱から取り出したワインを開けて、台所の椅子に腰掛けて、あるいはシンクの前のカウンタに凭れて立って、案外と暗い眼下のバルセロナの町並を見ていた。 唐突に、昼間、もしそんな疑問が頭に浮かんだら、自分ながら苦笑いしてしまうような、結論のない、堂々巡りへのドアしかない疑問、 「人間の一生って、なんだろう」 「人間には、どんな特別な価値があるかみっつあげてみたまえ」 「ところで、自分にはいったい何が向いているのだろう? それに、自分に向いているもので、うまくいけば、満足できる一生になるの?」 考えるだけ、無意味で、時間のムダにしかならないことを、執拗に考える。 夜更けの台所にいる時間は、つまりは夢のなかの時間と似ていて、ふだんの理性が制御している起承転結とは異なる構造になっているようにみえる。 玄関をはいったら、突然寝室の家、とでもいうような、突拍子もない文法の思考で、あっちへいってみたり、こっちへいってみたり、とつおいつ、いきつもどりつ、あるときは跳躍して、しかも向こう岸がなくて、そのまま漆黒の闇のなかにおちてゆく思考…. 自分で自分に話しかける、という作業を、生まれてからずっと、夜更けの台所でおこなってきて、いわば深夜の台所は、自分と膝を寄せて話し込む、作業スタジオのようなものなのかも知れません。 たいていワインを飲みながら、そうやって自分自身と話し込んで、おなかがすくと、スパゲティをゆでて、塩を鍋のなかのお湯がぶっくらこくくらい投入して、油断せずにアルデンテで茹でて、缶のトマトと、ニンニクを炒めたオリーブ油をかけて食べる。 スパゲティは不思議な食べもので、レシピが単純なほどおいしい。 ペペロンチーノが最もおいしいが、チョーおいしいペペロンチーノをつくるには気合いが必要なので、夜更けに酔っ払った素人料理ではペペロンチーノの神様が顔をしかめるような出来になってしまう。 だから缶のトマトと、にんにくオリーブオイル。 この夢のなかに似た時間から、ぼくがほんとうに出られたことがあったのかどうか、これからまたブログを再開して、少しづつ書いて、英語とは眼差しも、立つ場所も、見る角度も異なる日本語の力を借りて、たしかめていこうとしているのだと思います。

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餃子II

なんだか、この頃、料理ばかりしているような気がする。 家で料理を担当している人が、「ガメは料理が上手だから、わたしは商売あがったりだわね」と言うが、もちろん冗談で、コンサルタントというか、先生で、いろいろなことを教えてくれる。 モニもわしも大好物の、地中海料理が得意な人なので、来てもらったが、オーストラリアやニュージーランドの風物が珍しいらしくて、「すごい田舎だな」と言いながら、人間がのんびりしているところや、肌触りが荒々しくて、まだ明るい内から通りで喧嘩していたりするのを眺めて、にやにやして、「もうひとつの別の世界」を楽しんでいるようです。 春節が近付いて、といって、これを書いている時点ではもう数日前だが、中国社会のお正月なので、中国系人の人口が多いメルボルンやオークランドは盛り上がっていて、自然、いろいろな知識が増える。 そのひとつが餃子で、つい最近まで知らなかったが、中国の人にとっては、もともとは大晦日に、家族団欒で、みなでひとつのテーブルを囲んで、過ぎ去った1年間の話をしながら、がやがやとつくって、新年ともなれば、大量につくった餃子を食べまくるものであるらしい。 あちこちを移動しながら住むのをやめて、人並みに、1年のうち三ヶ月くらいしか旅行しなくなったのは、たしか2010年くらいのことだが、オークランドにいて、5年目くらいになって目が慣れてくると、いろいろな人の姿が、たしかに目の前に見ているはずなのに観念にやや具体的な翳がついたくらいであったものが、色彩を帯び、いきいきと呼吸しだして、生の人間として見えてくる。 モニとふたりで、でかけるところ、でかけるところ、白い人ばかりなので、前にオークランドは意外なくらい中国の人が少ない、と述べて、大笑いされたことがあったが、目がなじむと、2割だったかなんだったか、留学生やワークビザの人やなんかをいれると、3割を超えるのかもしれない中国系の人たちの姿が見えてきます。 見えてくると、いろいろびっくりすることがあって、きっとこのブログにおいおい書いていくとおもうが、例えば、中国の人が、いかに麺と餃子が好きかを知るにいたって、ぶっくらこいたまま、目をまるくしている。 ニュージーランドには、ひとりで昔の秋葉原電気街をやっているようなPB Techという(多分)香港資本のチェーン店があるが、ここの店員と話しているときに、ふと思いついて「オークランドで、おいしい中華料理店って、どこだろう?」と訊いたら、誇張ではなくて、たいへんな騒ぎになってしまったことがあった。 店員さんが自分が薦められると信じる店を5つくらい書き出してくれたのは、マンハッタンの韓国系人にKタウンの韓国料理店を訊いたときや、オレンジカウンティでメキシコ系人にメキシコ料理店を訊ねたときとおなじだが、そこからが中国の人の本領で、やおら、近くにいた別の店員に呼びかけて、「なあ、おまえ、このリスト、どうおもう」(←中国語なので想像です)と訊ねると、訊ねられたほうは、おもいのほか、というよりも想像を越えた真剣さでリストをみつめて、あの店が入ってない、この店よりもこっちのほうがおいしいと言いながら書き込んでいる。 そうしているうちに店員さんたちが集まってきて、土曜日のかき入れ時の客そっちのけで、わいわい言い出して、げらげら笑ったり、怒ったりしながらリストを編纂している。 その熱中ぶりは、圧倒的で、なるほど、わしがときどきおおはずれの店に、ふらふらと迷い込んで、まっずうううー、をしたりしているのは、コンジョが足らんのだな、と納得させられます。 中国系人には、おいしいものを食べるための集中力と度胸とエネルギーがある。 折角、書いてくれたのだから、とおもって、PB Tech中華料理臨時研究会の編纂になるリストを片手に、一軒づつ訪ねてみると、期待にたがわず、無茶苦茶おいしい小籠包や水餃、担々麺に牛南面が待っていて、ぶっくらこいてしまった。 中国は広大な国土に地方地方でまったく異なる、すんごいdiversityの料理が広がっているので、そのあちこちからやってきた料理自慢の中国系人たちが、お国自慢のレシピで腕をふるって、例えば日本でおなじみの長細い焼き餃子もあれば、その同じ形で、ややおおぶりで、日本でいえば、日本で初めての餃子屋(神保町にもおなじ能書きのスヰートポーズなる店があったはずだが)という「天龍」くらいのおおきさの餃子に、小籠包に似たスープがたっぷり含まれていて、食べると滅茶苦茶うまみがあるスープがピュッと飛び出して口蓋を火傷するに至る、上海焼き餃子がある。 まるいのもあれば、水餃子も蒸し餃子も揚げ餃子もあって、四川料理屋に行けば薄皮でぱりぱりの羽根餃子があり、餃子専門店に行けば、厚皮でもちもちのストロングスタイルの餃子がありで、あるいは、西安料理やウイグル料理屋チェーンの店に行くと、羊肉や鶏肉の餃子のバラエティが並んでいる。 麺に至っては餃子どころではなくて、例の、挽肉をカリカリに炒めたのが載った四川担々麺や怪味麺、胡麻ソースにあえただけの、なんとも言えず上品でおいしい味の台湾の名前を忘れた冷そば、田舎から出てきた老夫婦が始めてみた家庭料理店のおもむきなのに、妙な具合にロゴやなんかが強調されているので調べてみたら、ぬわんと、中国国内だけで6万店を越える世界最大のレストランチェーンの支店だったSha Xian Snack https://www.zomato.com/auckland/sha-xian-snack-mount-eden だったりした。 バオが売り物の店もあれば、ロブスターが売り物の店もあって、こちらは「中国はすごいな」という凡庸な、自分でも呆れてしまう退屈な驚きの言葉をもらすだけで、なすすべなくボーゼンとしてしまう。 メルボルンやシドニーのほうが、たくさんあるんじゃないの? と訝る人の顔が見えるようだが、大都会であるメルボルンやシドニーと較べて、コンパクトな都会であるオークランドは、15分もクルマを運転すれば、どこにでも行けてしまうので、アクセスが楽ちんで、早い話が東京や大阪と京都の違いを思い浮かべれば判るが、生活圏にあるものはアクセスが悪ければ存在しないのとほぼ同じで、実感として、オークランドのほうに多文化性の軍配があがる。 ツイッタ友の中国系アメリカ人、トニーどん(@TonyChin)のツイッタを読んでもサンフランシスコのような土地柄の町には及びもつかないが、オークランドでも十分、マルチカルチュラルな食生活は送れるもののようです。 ツイッタでさんざん自慢しておいて、ここにも貼るのか、とお友達たちに言われそうだが、わしは人並みに餃子が手作りできるようになったのが大層自慢なので、ここにも貼っておく。 餃子は、どうやら「幸福」と分かちがたくイメージが結びついた食べ物のようで、判ってみると、餃子をつくるたびに、なんだかニコニコしてしまう。 いつか餃子を家族でつくっているところに突然日本兵が乱入してくるシーンがある物語を読んだことがあったが、あれも、読んだときには気が付かなかった意味があったのだなあ、とおもう。 中国の人が、例外なく、あれほど食べ物に夢中になって、みなが一家言をもっているのは、あのいつまでも疲弊しない文明をもつひとびとにとっては、食べ物が幸福と分かち難く結びついているからなのかも知れません。

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