ブルースを聴いてみるかい?_2

シャンソンは、いいなあ、とおもう。
chansonって、ただ、歌っていう意味じゃないの?
と述べる人がいるに違いなくて、そうなんだけど、フランス人がただシャンソンと述べるときに脳裏に浮かんでいるのはchanson françaiseであって、歌だけど歌じゃないんだよ。

ああ、ややこしい。

翻訳語は常に言語を複雑にする。

音楽からみると、もともとチューンに言葉をのっけるなんてのは邪道もいいところで、それは音楽を詩に跪かせることで、そんなもの音楽と呼んではいけないんじゃないの?という人は、もちろん、いまでも、たくさんいる。

芸術の型としても「歌詞がある音楽」は、詩として定義したほうが、すんなりあっさり決まって、つまりは自由律になってからは、例えばディラン・トマスやT.S.エリオットのような天才しかつかみきれなかった、
言葉に内在する音と意味が、音と意味同士が、かちっと組み合わされることから来る「定型」が、まるで、ずっと昔からそこにあったとでもいうように、突然、読む人間の目の前に可視化されて、それ以外には言い現しかたが存在しない、ゆいいつの言い方として納得される。

エリオットやDトマスの詩が、相当に記憶力が悪い高校生の頭にも、すんなり刻印されて簡単に諳誦されるのは、そのためで、ほかに最適解がない音韻と意味の組み合わせがないのだから、ほかにおぼえようもない。

例えば、

Let us go then, you and I,
When the evening is spread out against the sky
Like a patient etherized upon a table;
Let us go, through certain half-deserted streets,
The muttering retreats
Of restless nights in one-night cheap hotels
And sawdust restaurants with oyster-shells:
Streets that follow like a tedious argument
Of insidious intent
To lead you to an overwhelming question …
Oh, do not ask, “What is it?”
Let us go and make our visit.

で始まって、

Till human voices wake us, and we drown.

で終わる、あのチョー有名なThe Love Song of J.Alfred Prufrockをおぼえてこいと言われて、ゲゲゲ、とおもっても、やってみると意外と簡単なので、
詩に、ひいては母語である英語自体になじんでゆく高校生たちは、びっくりするような数で存在する。

多分、ウディ・ガスリーくらいが、初めに、定型をつかみきれていない言葉の組み合わせであっても、適切な旋律をつければ言語がもつ神秘的な「不可視の定型」をつかみだしてこられると気が付いたので、それをはっきり意識化して、方法として音楽に持ち込んだのはディラン・トマスに憧れるあまり、このウエールズの詩人のファーストネームを借りてセカンドネームとしたボブ・ディランだったとおもいます。

I can still hear the sounds of those Methodist bells,
I’d taken the cure and had just gotten through,
Stayin’ up for days in the Chelsea Hotel,
Writin’ “Sad-Eyed Lady of the Lowlands” for you.

油断していて、突然、この古い曲が流れてきて、頭を後ろからフライパンて、ばあああーんと殴られたような気持になったことがあった。
涙がでて、困った。

ここで、Sad-Eyed Lady of the Lowlandsは、ボブ・ディラン自身の曲で、

With your mercury mouth in the missionary times,
And your eyes like smoke and your prayers like rhymes,
And your silver cross, and your voice like chimes,
Oh, do they think could bury you?
With your pockets well protected at last,
And your streetcar visions which you place on the grass,
And your flesh like silk, and your face like glass,
Who could they get to carry you?
Sad-eyed lady of the lowlands,
Where the sad-eyed prophet says that no man comes,
My warehouse eyes, my Arabian drums,
Should I put them by your gate,
Or, sad-eyed lady, should I wait?

というチョー有名な詩ではじまる曲です。

自分の、その頃の生活が宿り木のように絡みついているので、理由は、あんまりここに書きたくないが、ともかく「歌詞付きの音楽も悪くない」と考えた初めだった。

オペラは、その前から好きだったが、オペラは歌詞の内容をみればわかるが、また違うもので、人間の声帯という楽器をフルに使うには、意味のある言葉がなければ、都合がわるいという、身も蓋もない理由のほうが強くある。

そうして、言葉がついてくる音楽は、なんだか不純で通俗なものなのだという頑迷さに所以した偏見がなくなってしまうと、この世界は豊穣で、馥郁たるもので、

例えば、フランス語なんて興味ないや、という人は飛ばしてしまって一向に構わないが、

Le noir c’est mieux choisi
Je vais t’en faire voir
De toutes les couleurs
Le blanc, le vert, le noir
Le noir surtout mon cœur

Le noir surtout mon cœur
Je n’aime pas le gris
Tant pis si tu as peur
Le noir c’est mieux choisi

Le noir c’est mieux choisi
Connais tu la chanson
Maman quels sont ces cris
Rien que la procession

Rien que la procession
Mais Jean Renaud est mort
Passons, passons, passons
Allons dîner dehors

Allons dîner dehors
Dis moi combien tu m’aimes
Quand tu le dis encore
Je ne suis plus la même

Je ne suis plus la même
Tu vois je meurs déjà
Et toi tu meurs de même
Chaque fois que ton coeur bat

Chaque tois que ton coeur bat
Tu meurs et tu m’oublies
Chaque fois que mon coeur bat
Je meurs et je t’oublie

Je meurs et je t’oublie
Renaud, Renaud mon roi
Par goût du compromis
Je me souviens de toi

Je me souviens de toi
Mais je porte du noir
Le deuil d’un autre toi
C’est mieux choisi le noir…

ぞっとするくらい美しい歌だった。
モニさんと会うまでは、フランス語をこんなに美しく発音できる人を知らなかったのでもあります。

あるいは詩と呼ぶには単純すぎるブルースの歌詞は、ブルースギターの音と嫋嫋たる、といいたくなるチューンには、とても合っている。

The sky is crying,
Can you see the tears roll down the street.

考えて見ると不器用でひとりの人間に十分に自分の恋の気持を伝えることさえできない男の心情なんてヘンなものを、過不足なく表現できるのは、ブルースギターが「哭いている」歌によるほかはない。

そんなことを、ぐるぐる考えながら、言葉付き音楽本舗のフランス語人たちのシャンソンに戻ると、それは「フランスの文明」がどんなものであるか表現するための形式、確固とした思想の表現であって、思想とはスタイルであるという定義にもあっている。

いまはもう瀕死の欧州の文明を、なんとか救う手立てはないのか、と鵜の目鷹の目で、ネットを渉猟し、本を読み漁る人間たちにとって、案外、身近に転がっている救済は「歌」かも知れないと思ってみることがある。

「胸に矢が刺さってしまったのだ」と述べて、ドアを開けて部屋に入ってくる子供がいる。

助けてくれないの?

助けるわけには、いかないのさ。
だって、ぼくはきみが悪魔だと知っているのだから。

きみもぼくも、もうこの世界は終わりだと知っている。
いつ?って、きみが気が付いていないだけで、もう終末は来てしまっているのさ。

踊れ、踊れ、歌にあわせて。
パッサージュ・ド・グラシアのまんなかで踊る、フランコの軍隊に殺されたカタルーニャ人たちの亡霊のように。
出来れば歌詞がある歌だといいね。

世界は意味性を失って、ただ咆哮して、叫喚している。

踊れ、踊れ、歌にあわせて。

なぜ、この歌詞には、意味が生まれないのか?
バンドはどこにいってしまったのか。

なぜ、ここには沈黙だけがあるのか。
ぼくは、いったい、なぜここに立っているのだろう。

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