Monthly Archives: April 2018

Je tombe amoureux

冬の冷たい雨のなかを歩いている。 ゴドレーヘッドって言うんだよ。 田舎道の脇にモリスを駐めて、ぼくは歩いていったんだ。 髪をびっしょり濡らして目に入ってくる雨が、口実ででもあるように、ぼくは泣きだして、涙がとまらなくて、岬の突端につづく、細い、まがりくねった径が、もう見えなくなっていた。 すれ違った若い女の人が、なにか言いかけてぼくの顔を見たが、おもいとどまったように、やめて、黙って歩み去っていった。 きっと、とても、やさしい人だったのだろう。 あるいは、人間には、若い時には、まわりが素知らぬ顔でほっておくべき愚かさがあるという厳粛な事実を、よく知っていたのかもしれないね。 人間の最も強烈で崇高な感情が性欲に起点をもつのは、なんという皮肉だろう。 ぼくは、あの人のことが頭から消し去れなくなって、とても苦しいおもいをすることになった。 忘れなければならなかった。 だって、なにも出来ないんだよ。 朝から起きると、もうあの人のことを考えている。 ほかのことが、なにも手につかない。 紅茶を淹れるために電源をいれたジャグが沸騰して、もうサーモスタットが利いて切れているのに、そのままにして、キッチンの窓から外を見ている。 町を歩いていて、ほっそりした、背が高い金髪の女の人がとおると、1万キロも離れた町に来ているのだから、そんなはずはないのに、あの人に違いないという気がして、後をつけている。 テラスに腰掛けて、コプト風のドレスを着た天使の絵を描いている。 妹に冷やかされるのが嫌だから、つとめて、異なった顔つきにしようとしているのに、どうしても、あの人の顔になってしまう。 One-night standで、歓楽から歓楽へ、知らない女のひとたちのベッドから知らない女の人のベッドへ渡り歩いていた自分は、なんてバカだったんだろう、とおもう。 神に恕しを乞うて、次の瞬間には、自分のやってことの大時代な滑稽さに、笑いだしてしまう。 ひどい、たちが悪い病気にかかったようなものだった。 カウチに倒れ込んで、頭を抱えて、うなっている。 妹が、やってきて、「おい、アニキ、しっかりしろよ。それとも、わたしがアニキも人間だったことを祝ってあげようか」と言うのは、励ましているつもりなのね。 論文も授業もおっぽりだして、ぼくは空港に向かったんだよ。 ほかに、自分を救う方法がおもいつかなかったからね。 一生を堅実にすごすための手続きは、もうとっくの昔にどうでもよくなっていた。 いつもなら二三日を過ごす乗り継ぎのシンガポールも、ただ空港の椅子に腰掛けてすごして、一睡もしないままクライストチャーチの空港に着いた。 ぼくはいまよりももっと若かったときには、とても感情がおおきくて、巨大な感情に圧倒されると、いつも、このゴッドレーヘッドをめざしたものだった。 なんの変哲もない、岬の突端の丘なんだけれど、クライストチャーチ人は、例えば大事な人を失った悲しみに打ちひしがれると、見渡す限り、どこまでもつづく冷たい海が見えるこの丘に来て、大声で泣くんだよ。 「身も世もない」って言うでしょう? あれは、いまでは陳腐な表現だけど、きっと、初めは、そのとおり、文字の通りの感情だったに違いない。 人間は、ときに、身体のなかにある宇宙を全部しぼりだしてしまうような声で泣くことがある。 人間の知性などタカが知れている。 人類のご自慢の知性は、多分、せいぜい三十キロ四方の大地と空が生活圏であったころに成立した言語でできていて、そんなに遠くまで行けないんだよ。 人間は遠くへ行くために、あるいは確かな普遍性を獲得するために数式という言語を発明したが、人間の貧弱な知性では、そのくらいが限界だった。 自然言語に至っては嗤うべき機能の貧しさで、相対(あいたい)して、向き合ってしまうと、もう伝達すらできない。 人間は不思議な生き物で、あるいは情けない生き物で、伝達をしたいとおもえば、椅子をならべて、サイドバイサイドに座って、おなじ方角を見つめて、つぶやきあって、お互いの言語の草原にある対照を照応しなければならない。 あなたが述べていることは、わたしの辞書に書き込まれているこれのことだろうか、とたしかめあいながらでなければ、あますところなく伝達することすらできない。 冷たい肌と冷たい肌をあわせて、やがて吐息が荒くなって、肌そのものが灼けつくように熱くなって、熔鉱炉のふたつの金属が熔けあってアマルガムをなす、あの興奮のなかで、すべてのことは、一瞬に伝わってしまう。 それに較べれば、人間の言語の伝達能力は、なんと惨めなくらい低いのだろう。 … Continue reading

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ベルジアンバーのテラスで

少し目を遠く離してみれば、人間社会の営みなどは、砂漠の表面に出来た風紋のようなもので、ほんの100年も経てば、いま目の前にいて、リーシュを外したラブラドールを追いかけて、笑声をあげながら波打ち際を駈けているカップルや、砂浜に隣接した、イギリス式に芝生が広がって、噴水がある公園でラグビーボルを投げ合って遊んでいる父子も、アイスクリームスタンドに行列している家族連れたちも、 みなかき消すようにいなくなってしまう。 いわば肉体を持った幻で、この地上に生まれついて、愉快なときをすごし、あるいは苦しんで、平均なら80年弱なのだろうか、一生という名前がついている意識の流れを過ごして、土に帰ってゆく。 国内線で、ラガーディア空港に向かうと、マンハッタンの直上の、随分低いところを通って着陸する。 クライスラービルやエンパイアステートビル、カウンシルのビルや、斜めにはしるブロードウェイが見えるので面白いが、ビルを一棟買う、というような話がでると、いつも、その光景をおもいだす。 あんなに低い高度を飛んで、目を凝らして、見えるか見えないかのようなビルを買うために、人はたいへんな集中力をつかい、時間を使って、ときには自殺を図ったりするひともある。 その人の一生での、伸るか反るか、おおきな山場が、ほんの数百メートルの上空からみれば、取るにも足りない、群小高層ビルのひとつにしかすぎない。 あるいはヘリコプターで自分の家がある地区の上空を通る。 ニュージーランドのなかでは敷地も建物自体もおおきめな家が集まっている住宅地のなかでも、他の家よりも少しくおおきな家なので、空から見ても、ああ、あれだな、という程度には判る。 でも、通りを歩いているときには、偉そうな門構えであるのに、空からみると、なんだかマヌケな感じがするくらい「たくさんある家のひとつ」で、 眺めていて、おかしみがこみあげてくる。 人間の営みなど、群衆であってさえ幻で、まして、ひとりひとりの生活などは、よく言って些細なもので、冷静に客観的な表現を採用すれば無にどこまでも等しい。 人間がいかに個として、小さな、取るに足りない存在であるかが実感されない人間の意見は、聞いていて、ひどくつまらない。 現実には未来の時間が、目をこらしても、姿どころか痕跡を見つけるのも難しいほど些細な存在であるのに、本人のあたまのなかでは特撮画面のゴジラなみで、サーチライトもあたっていて、のしのしと歩いているように考えているのが手に取るように判って、興醒めだからでしょう。 現実には人間などは言語がとどく範囲の時間と空間を背景にすれば最小粒子に近い存在で、その小さな粒子が、どれほど数学という言語や自然言語によって、広大な宇宙を認識しても、やはり人間の卑小な存在のありかたには変わりはなくて、たいして生命の意義が変化するわけではない。 個人が宇宙を正しく認識していても、まったく何の関心も知識もなく、お犬さんとあまり変わらない世界への理解でも、どっちでも、人間としての価値が変わるほどではなくて、どっちでもいいという程度でしかないことに、人間の真実も悲惨もあるのだと信じられている。 金正恩と文在寅が必死に考え続けていたのは、ただただ「どうすれば生き残れるか」ということだったように見えます。 核を手放せば、あるいは手放さないでいてさえ、アメリカに攻撃されて、国ごと滅ぼされる瀬戸際の状況にあった北朝鮮と、なんとしても国土を焦土にする戦争が再び起きることを避けたい韓国の大統領とが、まるで以心伝心のひとびとのように、と言っても多分、現実には、お互いの諜報機関の情報収集の結果、ああ、相手にもそういう気持があるのかと悟って、ただひとつの生き延びる道として、空前絶後の決断に至った結果が板門店での歴史的な一歩だったのでしょう。 英語圏では取り分け、指摘されているように、具体的な提案や材料はなにもなくて、よく見ると事態はなにも変わっていないが、ひとつだけ明瞭に変わったことがあって、 朝鮮半島の状況を朝鮮民族が自分たちのイニシャティブで決められるようになったという、歴史上初めての、びっくりするような状況を生みだすことに成功した。 金正恩が習近平に会ったのは、半島のことは朝鮮民族で解決したい、というもともとの悲願への第一ステップであったでしょう、トランプという、黄色い民族がひとつくらい地球から消滅しても、帳尻さえあえばなんともおもわないケーハクな狂王がアメリカの大統領になって、金正恩も文在寅も焦慮切迫していた。 大口をたたくだけで、具体的な行動となると、臆病な中小企業の社長じみて、国家という大きな組織をまとめて準備に動かすだけの能力ももたず、目先の利益以外の国益に対する理解力もない人間が世界一の強大な軍隊をもって、半島を戦場化しようとしているという未曾有の事態に遭って、朝鮮民族が勇気をふるって述べた解答が、不可能を可能であると言い切るという前代未聞の外交だった。 背景に、それぞれ中国とアメリカが半島をじっと睨んでいて、力の均衡のなかで同じ民族の、分断された国家が戦争の間際に追いつめられて打つ手としては、どんなに具体的な現実政策を伴った未来への展望に乏しくても、やはり最良の手で、民族自決という、まるまる100年前に流行した言葉を思い出す体の出来事だった。 実際、北朝鮮の意図を疑わしいと考えているひとも含めて、称賛をもって南北の会談を眺め、感動したと述べている。 これほどの、勇気がある人間の行動を観て、なお屁理屈をこねて、「こんなもの」とくさすのは、よほどひねこびた人間であっても、やはり無理なもののようでした。 余計なことをいうと、この朝鮮半島の変化は、外交上は、イランとの合意を破棄するとトランプが述べだしたことが契機で、極東と中東の、アメリカが力のバランスを自分の有利に保つための梃子に選んだふたつの地域のうち、おもえばバカバカしいが、予選決勝のようにして、中東へ外交の力点をおきやすい状況ができあがっていた。 もちろん、背景にはトランプの東アジアへの根底的な無関心があるわけで、この1980年代の世界がいまの世界であると考える癖が抜けない老人にとっては、東アジアとは、中国と日本というふたつのアメリカの国富を盗む術に長けた国がある地域にしかすぎない。 簡単にいえば、北朝鮮がアメリカにとっての脅威として話題にならなくなってくれれば、それで良いので、結果としては東アジアの安全保障は、放り出してしまったも同然で、多分、DCでは、「軍が関心をもって処理すべきこと」のレベルまで落ちてしまっている。 こういう状況になって、日本が最も心配すべきことは、ロシアで、あんまり日本では注目されないが、頼まれもせず、ロシアのお家芸の恫喝もされないうちから、現金と北方領土の利権を差し出してしまうという、途方もない外交上の失敗をしてしまったことで、日本は、おおきな安全保障上の脅威を北方にもつことになってしまった。 日本は、ほぼ外交上は、孤立しつつあるが、見ていると自ら望んだ立場で、これはこれで、なんだか秘策みたいなものを民族として持っているのでしょう。 例のヒラリー・クリントンの奇妙な提案で、日本の利権を排除して、トヨタ本社に直行して首都には挨拶にすら立ち寄らなかったラッドの初訪日や安倍政権の潜水艦売り込みの失敗に象徴的に見られるように、日本に対する外交上の対等性を獲得した南太平洋諸国が、もっか関心をもっているのは、コロンボの港湾権の獲得や、スプラトリー諸島での海上要塞の建設、フィジーやバヌアツを国ごと買収してしまったような経済支配で、よく考えてみると、大日本帝国が軍事力でやりたかったことを、オカネのちからで、さっさと現実にしてしまったような、中国の太平洋戦略で、多分、結果はろくなことはなくて、オーストラリアやニュージーランドでは、さして人種差別主義者とは目されていないひとびとまで、白い人の世界でしか聞こえない声で、「どうやってアジア人を追いだしてしまうか」と述べだしている。 追いだしたいのは山々だが、いきなり追い出すとビンボになって困るので、なるべくオカネは取って、影響力はもたせない、虫のいい算段をしているところです。 国内でも、オーストラリアでの中国の影響力の浸透について、「不可視の侵略」だったかなんだかの題名の本を書いたオーストラリア人の研究者がいて、案外なくらい売れて、どういう理由があるのか知らないが、日本の人まで「オーストラリアやニュージーランドは中国の支配下に入るのではないか」と心配してくれているが、 白い人の、いざというときに見せる理不尽きわまる凶暴性を知らないからで、 もうこれ以上はうんざりだとおもえば、「アジア人は全員でていけ。カネはおいていけよ」になるに決まっていて、しかも、そういう経済の法則もなにも無視したデタラメな事態になりかねないのを中国の人の側もよく知っているので、心配は、もっかは囲碁的な心配に集中している。 そして、個人として最も関心がある欧州は…と書いていくと、一生懸命、政治情勢を考えているヘンな人みたいだが、実際には、ぼんやりと頭のなかで、ショーバイの投資の背景をなす政治の最もおおきな絵柄の部分として考えているだけのことで、ベルギーの、11%というとんでもないアルコール度のビールを飲みながら、海辺の、夏の名残を楽しむ人びとを眺めながら、あー、めんどくさいとタメイキをついて、点検しているだけです。 プーチンが「安倍の野郎、おれにくれるといった3000億円を、まだ払ってきやがらない。なに考えてんだ、ふざけやがって」と怒ったという、ただもらいのおっちゃんにあるまじき態度で、なにがなし滑稽な感じがするニュースと、前代未聞、ハインツのケチャップのアメリカ国内での売り上げが4%下がったというニュースが、そういう観点からは等価で、家の手伝いをしてくれる人たちに頼まれたキャットフードを忘れずに買って帰らなければ、ということよりは、プライオリティがだいぶん低いものおもいであるというに過ぎません。 いまは春休みで、子供が町の通りや砂浜を走りまわっている。 自分にもおぼえがある表情で、少し緊張して、ぎこちない、高校生のカップルが、あっちにもこっちにも歩いている。 おもいつめたように、手をつなぐ十代の子供たちをみていると、先に生まれた人間として、自然に、心のなかで励ましている。 … Continue reading

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明け方、ばらばらに分解された言葉で

夜が明ける前の、まだ皆が眠っている時間に起きて、裸足でホールウェイをずんずん歩いていって、キッチンでハムサンドイッチをつくって食べている。 牛乳をラテのカップに半分いれてマイクロウェーブで1分。 エスプレッソマシンをオンにして、ぎゅわあああと珈琲豆を挽いて、ラテをつくる。 マルチグレインのパンしか食べない人ばかりの、家の中では、他の誰も食べない、白いサンドイッチパンの耳を落として、いかにも人工的な味がするサンドイッチスプレッドかアリオリソース、クリームチーズ、フレンチマスタードとイングリッシュマスタード、champagne hamと重ねていって、皿に載せて、うやうやしく自分の部屋まで持っていく。 ひとがまだ寝静まっているときに、そうやって、なにをやっているのかというと、なまけものなので、ただ静かな時間にひたっている。 いや、ラッキーで、普段の時間でも静かなのだけどね。 クルマで都心から10分もかからなくて、まして、5分くらいのところには、パーネルとニューマーケットというふたつの繁華街があるわりには、静かな家で、 Tuiという、日本ならば軽井沢の秋の虫そっくりの声で啼く鳥が、ときどき、なわばりを伝えるために啼く。 あとはコオロギ。 夏には日本のヒグラシの半分くらいの音量で鳴くセミ。 プレデターの猫たちが徘徊するので、気を付けてなかなか家の軒に来なくなってしまったが、ひとなつこくて、外のテラスで絵を描いていたりすると、ぶどう棚の、すぐそばの、肩から30センチもないところで、スケッチブックを見つめてクビを傾げているファンテイルや、 おなじみで、「まいどー」と言いたげなツグミやブラックバード、プロよりすごい動物写真家で天文研究者のtataryという人が日本からニュージーランドにやってきて、でっかいので、ぶっくらこいていたが、なんだか縮尺をまちがえておおきくなってしまったようなニュージーランドの土鳩、大好きなpohutukawaの一本を狙って、巣を作ろうと試みては、戦闘機のようなTuiにはばまれるオウムたちの家族。 「あのねえ、ぼくは忙しいんだから、かまわないでよ。向こうへ行ってよ」と言わんばかりに、荒い息づかいで、むやみに一所懸命なヘッジホッグ、 夜になると屋根の上におりてきて、「ドンッ、ドンッ、ドンッ」と、誰がどう聞いたって人間が歩いているとしかおもわれない、でっかい跫音を響かせて、コンクリートタイルの屋根の上を歩きまわるポサム。 洗濯物干し場の、ひときわ高いポールのてっぺんにとまって、あたりを睥睨するキングフィッシャー。 おおげさにいえば、自然のまんなかにあるような家で、鳥の啼き声になれてしまえば、昼間でも静かで、庭師のひとや、家の建物のメンテナンス、例えばペインターの人や、ドレイネッジの人が来て、テラスに腰掛けて、モニやぼくと一緒に午餐を楽しみながら、こんなところに、こんなに静かな場所があるなんて信じられない、とびっくりしている。 でも明け方は、もっと静かになって、自分の肉体の内部の音だそうだが、マンガの背景に書き込まれるような「しぃーん」という音がする。 むかしなら数学をやっているところだが、数学知識とスキルを応用することはあっても、いいとしこいて、その程度の数学を静かな夜明け前にあわててやってみる必要はなくて、出勤などというものにも縁がない生活なので、自分の部屋の机の前にこしかけて、ぼんやりしている。 そういうとき、「価値があるものって、なんだろう? チョー短い人間の一生の時間は、どんなふうに使うときに有為な意義が生まれるのだろう」と考える。 言語のなかで、最も普遍性が高く、最も本質的に世界を説明する力をもっていて、誰にとっても母語なみに習得する機会が開かれている言語が数学であることを否定する人はいないだろう。 伝達という自然言語が苦手とする機能も、数学には十分に備わっている。 いっぽうでは言語としての最高の皮肉で、数学のこうした言語としての完全性は、人間性を排除することで出来上がっている。 数学で喜劇は表現できても、悲劇は表現できないことは、象徴的であるとおもう。 楽譜に音譜を書き込んでいくモーツアルトの手や、壁いっぱいのカンバスに絵の具を塗り込んでいくピカソの手は、魔術的な手で、猥褻で品位のかけらもない下卑た冗談を友達に向かって連発しながら、あのレクイエムを書いたモーツアルトや、人間性をもつことになど、露ほどの関心も示さなかったピカソが天上の神が直截つくってみせたような美を人間の生活にもたらしたのは、芸術にかぎらず、科学においても、あるいは経済活動のようなものにおいてさえ、真に創造的なものが、なにによって生みだされるかを暗示している。 最も人間的な活動である知的な創造は、最も非人間的な、人間性とはまったく懸け離れた「魔術的なちから」によって行われる。 この人間にとって危険な事実を否定しようと試みた人間は、歴史上、おおぜい存在するが、どの試みもみな失敗に終わってしまった。 30歳をすぎて、政府や政治に憤慨する人間は、たいてい、十代の終わりに通りに出て石を投げなかった人間とおなじ人である。 考えて見れば理由は簡単で、三十歳をすぎても、一本調子に政治家を批判できる人間は、たいていの人間が経験する、自分を取り囲む社会への焼けつくような怒りを感じないですむほど鈍感な人間なのだから、口吻ほど怒りを感じているわけではなくて、ひどい言い方をすれば、ただのヒマツブシに近い気持で政治的な言辞を述べているだけであるとおもう。 本人は、どんなに真剣に公憤を感じている場合でも、客観的には単なる憂さ晴らしで、ひまつぶしに過ぎない、ということは、うんざりするほどよく観る光景で、その類の人間は見分ける方法さえ確立されていて、怒りかたや糾弾の口調が、どんな場合でも同じなので、汚い例ですまんすまんとおもうが、毎日トイレに行くのと同じ衝動で、ドアの向こうから聞こえてくるembarrassingな音と彼らの発言はとてもよく似ている。 ツイッタを眺めていたら、あるひとが 「なんだかもう、綺麗なものしか見たくない心境….」と述べている。 結局は、そうなるのだろうか。 自分では、例えば、ただ自分の、ねっとりとした性的な欲望をコントロールできなくて、涎がたれている唇で、相手の耳朶をなめつけるような、薄気味のわるい言葉を投げて、財務官僚のトップという社会的な地位をあきらめざるをえなくなった、という最近の日本社会を賑わわせた事件を見ていても、あの社会ならば、権力をもっていると意識している人間がいたるところで繰り広げている光景だろうくらいはおもうが、「汚い」と感じるには精神的な距離が遠すぎるが、それでも、美術史家であるそのひとが、うんざりする気持はわかって、自分にひきなおしても、考えて見れば、綺麗なものしかみないで過ごせるのに、わざわざ醜悪なものに腹をたてるほど眼を近づけてみる意味はないよね、と納得する。 もっと平たくいえば、特に日本語で考えているときの自分は、いったい何をやっているだろうと考えて、可笑しくなる。 もとをたどると、日本語がうまくなったので得意になって、日本人のように考えてみたくなっただけのことで、それが案外おもしろかったので、なんどもやって遊んでみただけのことなのに、やっているうちに病膏肓で、半分日本人のような気持になってしまっていたりして、いま考えると、滑稽なことだとおもう。   別種のセミ同士は、お互いの鳴き声が聞こえないというが、言語もそれに似て、例えば日本語と英語では、音の出方も、声質も、もしかしたら周波数のようなものすら異なるのは、両方の言語になじんだ人なら、誰でも知っている。 日本語と同じ喉の部分をつかって、浅い声で英語を話されても、なれないうちは相手が英語で話していることに気が付かないほど、聴き取るのが難しい。 … Continue reading

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日本の記憶1

鐙摺(あぶずり)の山が見えて、その向こうには真っ白な入道雲が、起ち上がっている。 冷たい海に囲まれたふたつの国で育ったぼくは、日本の雄大な夏の雲が大好きだった。 ずっと後になって、西脇順三郎の詩に 積雲の悲しみ という言葉が出てきて、その表現をずっとおぼえていた。 ぼくの日本語のなかには西脇順三郎の表現がたくさんつまっているが、ぶらぶら歩きのはての 三軒茶屋でつかれはて 蕎麦に生姜汁をぶっかけてくった だったか、西脇順三郎特有の滑稽で美しい詠嘆のあいまに洩れる言葉や、 戦争中に、都会を避けるようにして鎌倉の大町に住んでいた頃につくったのでしょう、 学問もやれず、絵も描けず というような嘆きの言葉に、戦前から途切れることなく続く、日本語人の、細々とした、ためいきそのもののような知性の輝きをみていた。 あの詩に出てくるトンネルは、釈迦堂のトンネルで、なんども通ったことがある。 幽霊がでるので有名なところで、夜は通ってはいけないことになっていたが、どういうわけか日本の幽霊を怖いと感じたことがなかったぼくは、子供のときも、おとなになって日本を再訪してからも、あんまり気に留めることもなく大町と浄明寺をつなぐ近道として使っていた。 どんなことを憶えているかというと、例えば葉山の狭い表通りに、風に懸垂するように揺れていた「氷」のサインをおぼえている。 長者ヶ崎の小さな砂浜で、若い女の人と一緒に、肩肘をついて寝転んでいた、やくざの背中一面の、華やかな色合いの刺青をおぼえている。 記憶のなかでは、葉山はいつも夏で、江ノ島は冬で、鎌倉に義理叔父の実家はあったので、一年中、何回も出かけたはずだが、場所によって季節が固定している。 子供のときは、葉山が好きで、ずっと早くになくなってしまったが、銀座スエヒロのしゃぶしゃぶ・すき焼き食べ放題のレストランがあって、おなじチェーンの店が江ノ島にもあったが、なぜか葉山の店のほうが好きで、せがんで、そちらにばかり連れて行ってもらった。 子供のときの日本の記憶を話すと、モニはいつも決まって、 「ガメは、ほんとに食べ物のことしかおぼえてないんだな」と述べて、なんだか屈託なく、とても嬉しそうに笑う。 いや三浦のスイカ売りもおぼえているよ、といいかけて、いや、そうかスイカも食べ物だったな、と気が付いて、自分でもふきだしてしまう。 東京よりも、鎌倉と葉山のほうが好きで、理由は簡単で、いまの人に話しても信じてもらえそうにないが、20年以上前のそのころは、まだ、こちらからみると、外国人は「ガイジン」で、相手が子供でもかまえて応対されることのほうが多かった。 館林という町で、プールに行ったら、高校生くらいの男の人がふたり走ってきて、すれちがいざまにお尻をつかんでいったのは、論外で、極端な例だったが、向かい合っていると、かまえているのがわかって、つかれて、しばらくすると、悲しい気持ちになったりしていた。 これも日本の人は信じてくれないそうだが、むかし、かーちゃんシスターが東京でいちばん困ったのは、ガイジンとみるとタクシーが止まってくれないことで、義理叔父と仲良しになってからは、一計を案じて、まず義理叔父が立って、タクシーを停めて、例の自動ドアがあくと、物陰からかーちゃんシスターが走り込んで、無理矢理乗ってしまっていたそうでした。 ぼくにも、嫌でない、おもしろい経験があって、奈良の町で、いまはもうないかもしれないタウンシップの定食屋さんで、義理叔父とカウンターに腰掛けて、前から食べたかったオムライスを注文したら、店のおばあちゃんが、お盆にいれてもってきてくれたのだけど、そのトレイを持つ両手が震えて、スプーンと金属の皿が、カタカタと鳴っていたのを、昨日のようにおぼえている。 鎌倉は、多分、その頃はまだ田舎と表現してよい町であったのに、子供の心にも、外国人と日本人をまったく区別しない町で、あとで判明した理由は、もともとイギリス人やドイツ人、フランス人が、多く住んでいて、慣れていたもののようでした。 とても居心地がよかった。 ぼくの頭のなかでは、家のことはなんでも家の手伝いをしてくれている人たちがやってくれて、友達は、きっと、この続きもののなかで述べる「歌子」のほかは、みんな外国人ばかりだった東京は、なんだか欧州のでっぱりのようなコミュニティで、鎌倉と葉山こそが日本だった。 ぼくの「日本人」のイメージは、だから、鎌倉人たちで、やさしくて、親切で、落ち着いていて、おしつけもしなければ、冷淡でもなくて、それでいて、明日から連合王国に帰るのだと判ると、「また必ずあおうね」と、眼をみつめて言える人達だった。 老齢の人が多かったので、もう多くの人が亡くなっているが、一方で、その頃の同年代の友達も何人かいて、いまは、あたりまえだがおとなで、なんでか鎌倉に住んでいるままの人は少ないが、いまでもemailのやりとりがあります。 梶原から北鎌倉に抜ける道の途中に、小さな小さな水田があったり、鎌倉山の、左に行けば林間病院?があった道を右にまがって、、満月の夜更けには、小さな小さな、でも燦然と輝いている富士山が見えて、うっとり見とれてしまったり、 その先の富士見坂をいくと、突然、目の前に午後の陽光を乱反射して、チョコレートの銀紙をいっぱいしわしわにして敷きつめたような海が七里ヶ浜の向こうに広がっていて、後年おとなになってから、再訪して、ははは、これって、坂をのぼりつめたところで、目の前に、わあああーと海が広がって、 箱根路を わが越えくれば 伊豆の海や 沖の小島に 波のよる見ゆ で、実朝みたいでチョーかっこいいのでわ、とふざけて考えたりした。 その同じ路を、いまは、9歳のぼくが歩いていて、この日本という不思議なアジアの国を、好きになりそうだ、とわくわくしながら、歩いている。 そのことを、ときどき、このブログに続き物として書いていこうと考えました。 鐙摺の山の向こうの入道雲は、頭が気圧の低い大気につかえて、横に広がりだしている。 「金床雲、というんだよ。その雲がみえたら、おおいそぎで砂浜めざして泳いでもどらないとダメだよ」という義理叔父の言葉をおもいだして、陸めざして全速力で水泳する。 暖かい、のびやかな水で、身体の両脇を滑らかに流れていく。 砂浜にあがると、日本人の、40歳くらいの男のひとが、見事な英語で、 … Continue reading

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聴き取りにくい声 1

いままでの自分の一生で、最もよかったことは、もちろん、モニさんと出会ったことだった。 もしモニさんと会わなければ、ぼくは一生というものが、どういうものであるべきか、考える事さえなくて、ふらふらと町を歩いて、土曜日の朝には知らない女の人のベッドで眼をさましていただろう。 人間には、生きるに値する生があるのだと考えるようになったのは、まったくモニさんのおかげで、そう考えてみると、現実にそうであるよりもなにであるよりも、そう考える姿勢でのぞむ一生のほうが、遙かに快適で、意味が感じられて、満足がおおきいのがわかった。 まるで、かすれがちな鉛筆のスケッチが、色彩のついたペイントに変わるくらい、モニさんと会う前と会ったあとでは、自分の一生がまったく異なってみえたのは、不思議なほどだった。 だから、質と次元が異なるので、「二番目によかったこと」というようなものはないが、数学を勉強したことは、「頭をちゃんと動かす言語」を手にいれた点ではよかったとおもう。 あんまり詳しく書くわけにはいかないけど、ぼくの学歴は変則で、他のひとよりもずっと早く大学までを通過している。 こっちのほうは、どうだろう、いま考えて見ると、まわりに較べて自分が子供すぎて、といっても体格はおなじくらいで、あまつさえ、もしゃもしゃ髭を生やしていたので、少なくともパッと見た目は判らなかったかもしれないが、学校という制度への異和感は、周囲とのちぐはぐな感覚からできたのかもしれなくて、あんまりよくなかったのかもしれない。 あれは多分、女の人に生まれたほうが、男たちの女の人一般に対する、「保護」というような勘違いが功を奏して、まったくのミスマッチがマッチする結果になって、人よりもはやく大学を卒業することに、それほど奇異な感覚をもたなくてもいいのかもしれない。 迷路のパズルは出口から入り口をめざしたほうが簡単なのは知っているでしょう? あれは論理よりも心理的なものではないかとおもうが、オカネを稼ぐのもおなじで、一生の終わりにおける富貴と安定をめざすよりも、出だしで、どおおおんと稼いでしまったほうがいい。 最近は、実際、高校生くらいで一生を楽に暮らせてしまう金額を稼いでしまう、例えばプログラミングが好きな人がたくさんいるので、案外、このブログを10年後くらいに読む人は、「なんで、こんな誰でも考えることを、わざわざ文章にして書いているのだろう?」と訝るかもしれないが、ぼくが大学で一生をすごす考えに見切りをつけて、自分では「冒険」と呼んでいた生活に乗り出したころには、そういう考えをする人間は皆無で、ひどい人になると、「きみは、いざダメでも家が富裕だから、いいよな」と言ったりするつもりで、家のオカネに手を付けるという、それだけは、一生のおおきな心の傷になるので、避けようとかたく心に決めていたぼくは、えらく腐ったものだった。 でも初めにオカネを稼いでしまったのは、やっぱりよいことだった。 それは、これから世の中にでてゆくきみには、役に立つ知識なのではないかとおもっています。 このあいだは、他人の目のなかで生きるな、他人の期待のなかで生きるほど悲惨をまねく生き方はない、と言ったのだけれど、自分で自分に期待しすぎるということもやはりないとはいえない。 自分には他人にないなにかがあるはずだ、と信じて、実際、それはきっとあるんだけど、たいてい、自分があると感じる方向とは見当違いのところに存在することにも、人間の不幸は起因しうる。 聴き取りにくい声を聴くのは、このブログのメインテーマのひとつだが、自分の内なる声にもおなじことがいえて、例えば、ギターの弦を弾いて、「あれ、いまの音、楽器がたてた音とはべつに、心のなかでした音はなんだろう?」とおもう。 数学ができて、物理が得意で、ところが、ほんとうは音楽のほうに天才が存在してギタリストになった人がいる。 あるいは、アメリカンフットボールのプロとして、つまりNFLで、オフェンシブラインの要に立って、巌のようであった人が、実は、数学者としてのほうが遙かに才能があった、ということがある。 少し話が変わるが、男として育ってきたけれど、内心の声は、どう聴いても女の人の声で、おもいきって女として暮らし始めたら、堰を切ったように幸運と幸福が押し寄せてきた人がいる。 ときどき、野球がない国に生まれたら、ベーブ・ルースはどんな一生を送っただろう、というような話で、パブの立ちテーブルを囲んで笑い声が響くことがある。 だが、科学がない世界に生まれて、科学そのものばかりか、科学に必要な道具まで生み出してしまった人もいる。 このアイザック・ニュートンという人の際立った特徴は、ほかの天才がなべて持っている「幼少時の天才ぶりを示す逸話」が皆無であることで、どんなに調べてみても、精巧な風車小屋をつくった、という記録しか残っていない。 それが突然、という印象で万有引力と二項定理を発見したのが1665年、バローが「あれ?この若者はもしかしたら、大変な才能をもっているのではないか」と疑問におもいだしてから、たった2年後のことで、人間の才能というものは、あぶりだしのための化学薬品がなければ不可視なのだ、ということが、これほど判りやすい人はいない。 しかも、この人は自分がいったん達成してしまったことに対しては、徹底的に無関心で、有名なプリンキピアは、ハーレーが彗星の運動の法則性について、はるばるオックスフォードからケンブリッジまでやってきて、ニュートンを訪問しなければ、世の中には出ないはずの本だったのは、いまでは、よく知られたことだと思います。 このアイザック・ニュートンと、つかみあいの喧嘩じみた、大喧嘩を「誰が初めに解析学を創始したか」について延々と繰り広げたライプニッツも、実は、同類といえば同類の人間で、この人は、ちゃっかり、「世の中の人に判りやすい受け狙いの哲学」と「どうせ誰にも理解できはしないが、自分では確信している、ほんものの哲学」にわけて、後者は公表にいっさい興味をもたず、前者でらくちんなオカネ稼ぎをして暮らしていた。 一方で、精魂こめて書いたはずのジョン・ロックに読ませるためのめっちゃでっかい論文は、ロックが死んでしまうと、公刊もせず、誰にもみせずに、ほうっぽらかしてしまうという体たらくだった。 この仲が悪かったふたりから、真への衝動はなにか、人間を突き動かすものはなにか、ということを読み取るのは、そんなに難しいことではないような気がする。 きみは、違う答えを期待していて、え?とおもうかもしれないが、人間を深いところで突き動かして、真に偉大な知的活動に導くのは、魔術的な衝動ではないかとぼくはおもっています。 かーちゃんの知恵で、家事を面倒みてくれるひとたちとともに農場にほっぽらかしでいさせてもらえる時間をすごしたぼくは、退屈が極まって、膨大な余剰時間のなかにおかれると、人間は、不思議な情熱を感じるようになることを学んだ。 自分で考えて、いちばん可笑しかったのは、頭では、そんなことはありえないと熟知しているのに、ロトの番号を予知する方法があるのではないかと考えた期間があったことで、いま考えても信じられないというか、普通の精神状態ではなくて、ばかばかしくて情けないが、ところが、このときに、まったく同じ魔術的な時間と精神状態のなかから、あとでインベストメントでおおきな利益をもたらすことになる、非公開なのでまさか言わないが、方法をみいだすことになった。 魔法の薬を調合したり、錬金術師の精神状態とおなじであるはずで、考えて見ると、アイザック・ニュートンが最後に没頭した研究も土から黄金を生みだす錬金術だった。 賭けてもよいが、アイザック・ニュートンは、魔術的状態に陥らない、平板な理性とともにある状態では、錬金術など、可能であるわけがない、と考えていたはずです。 土くれから黄金ができるわけがないのは知っていたが、土から黄金をうみだす方法がみいだせるのではないかと魔術的な確信をもっていた。 いつか、きみに「科学の両親の片方が魔術であると知らないのは、日本の科学思想の不幸な点であるとおもう」と述べたでしょう? したり顔で「あのくらいの放射能が安全であることは科学の鏡に照らして常識に類する」と述べたがるようなタイプの教室科学者には、理解のよすがもあるわけはないが、科学はもともと暴走どころか、魔術の後身とみなすことができて、例えば数学者には、いまでも魔術的な感興で、少し身体が浮いている人がたくさんいます。 身体は男だが実は自分が女であったり、論理の向こう側から、いままでに既知の論理ではありえない論理が呼びかけてくる声が聞こえたりすることには、共通の聴覚が必要で、この聴覚は、平々凡々たる人間が、幸福な一生を送るためにも、まったく違わず、寸分おなじ能力として必要なのだとおもう。 この記事を読んでもわかりにくければ、また、もどってくるよ。 タイマーが鳴って、 さっきから煮込んでいた酒の肴のアイアリッシュシチューが出来たようだから、残りは、また。

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花のなまえ

子供の頃、いちばん好きだった遊びはユークリッド幾何学だった。 五つの公理があって、そこから導かれる数々の定理を証明して、世界を少しずつ語りつくしていく、あの快感は、いま考えても、ほかにはあまり比類がない快楽だったとおもう。 もちろん、学校では、そんなものはまったくやっていなくて、ただ自分で見つけてきて、世の中に用事がなくなって使われなくなった言葉を死語というが、いわば死学で、子供の頭で考えても、まったくの時間のむだだったが、どうやら、むかしから、無駄なことにしか惹かれない性格で、自分の将来の生活に役立ちそうなことには、なんの興味ももたなかった。 父親の家系も、母親の家系も、一生職業についたことがない人間が、ごろごろいるダメな家に生まれたので、そういうこともよかったのかもしれない。 先祖には、まだ馬車が走っている時代に、イタリア出身の娼婦の女の人に、すっかり魂を奪われて、出奔して、イタリアに帰ってしまった、そのひとを追って、ローマに住み着いてしまった人もいたりして、それがまた、尊敬のまなざしとともに語られる家の雰囲気だったので、別にダメでよくて、気楽なもので、学校は行きたくないときは行かなかったし、朝から晩まで数学ばかりやっていても、嫌な顔をされたことはなくて、ありがたいというか、張り合いがないというか、一生なんて、なんだかテキトーでいいのだ、ということは、多分、だから、自分の考えであるよりも、家の思想であるのかもしれません。 家の敷地を流れていた小川を跳ぶことから始まって、運動も好きで、長じては、クリケットや乗馬のような、めくるめく気分の高揚があるスポーツだけでなくて、ただバカみたいに走ったり、泳いで湾口を横切るというようなことにも、興奮があることを学んでいった。 運動をする人はみな知っているが、えっこらせ、うんとこしょ、と声が出ているような動きが、運動を重ねるにつれて身体が軽くなって、軽々と、重力をシカトして身体を動かすことが出来るようになる。 いちばんの違いは、リズムをつけて、タッタッタ、ターンとこなすような、例えば跳躍なら跳躍が、リズムもなにもなくて、無造作に、いきなり本題の身体運動に入れるようになることで、身構えずに、まるで月の地面に立っている人のように、バク宙をできるようになるところまでくると、人間の知性などは、身体の運動能力の付録であるようにおもえてくる。 人間の最も惨めな生き方は、他人の目のなかで生きることだろう。 他人の目のなか、とは、言い換えれば、他人の価値観に応えるための一生ということで、有名な大学に入れば、ほめてもらえるし、ある場合には、ただ職業を述べただけで、賛嘆してもらえることすらある。 「他人」のなかで、最も恐ろしいのは親で、巧妙な親になると、例えば医師に息子を仕立てたいと考えていても、直截はいわず、「ぼく、立派な医者になって病気の人を救いたい」と述べた途端に眼を輝かせたりして、親と子のあいだで通じるサインで、巧みに息子を誘導して医師に仕立て上げてしまったりする。 有名な大学をでて、医師になって、あるいは医学研究者になって、まわりの人間に敬意をもたれて、行くさきざきで「すごいですね」と言われて、自分の人生をすってしまう人間などは、それこそ何十万人もいる。 難しいことではなくて、医業に「むいていない」人間で、自分の知っている人間を考えても、容赦のないことをいえば、他人の発想を援用した、ゴミのような論文を書いて、大学の準教授にまで、うまくなりおおせて、なにしろ英語人という生き物は口さがないので、陰では、ただのバカなのではないか、あれは医学の研究をしたかったのではなくて、医学者になりたかったのだろう、とまで言われながら、自分の専門とはまったく関係がなさそうな人間に出会うと、まるでまともな研究者であるかのようにふるまって、鬱憤を晴らす人間もいる。 これ以上ないほど惨めな一生だが、医学を物理学、あるいは数学に置き換えてさえ、この手の人間は無数に存在する。 みながみな、他人の視線のなかで生きたがために、自分の人生を無駄に費消してしまったひとびとなのだとおもう。 人間にとっては、自分がなにをやりたいかを発見するのは、たいへんな難事業だが、考えて見ると、なにごとか、自分の価値を発現する職業をみいだして、そこで、余人にはなしえないなにごとかを達成しようとすること自体が、いわば、自分の一生を危うくする発想で、別になにもしなくて、なにごともなしえないで終わっても、それのどこが悪いのか、ということを、両親から教わった。 せっかく健康な肉体をもって生まれてきたのだから、自分が生きていることを満喫して、また彼岸に帰ればよいではないか。 と、いまは思っている。 人間は魂として存在する期間が長いというが、仮に魂という存在の様式があるとして、魂にとってはローストラムを食べる味覚の喜びがなく、愛しい人の肌に触れる触覚の愉楽がなく、自分の身体が地面を蹴って、宙で反転する、筋肉の躍動の快楽を味わう能力もない。 肉体は現世の快楽の受容器で、せっかく肉体をもってうまれたのに、たとえば本ばかり読んで、魂でもやれることばかりやって、老いてしまうのでは、人間のやりがいがないというか、不燃の一生であるとおもう。 男と女の違いは、女に生まれつくと、男に生まれた場合と異なって、肉体を意識させられる機会が多いことであるのは、ほとんど考える必要もない。 まず、調子が悪い日が、男に較べると圧倒的に多い。 気分がすぐれない、身体が重い、自分で理解できないほど奇妙な判断を繰り返す、PMSだけではなくて、ホメオスタシスという、恒常性のバランスそのものが、ぐらぐらするので、今日は魂どころではないな、これは、と考える日が多い。 男のほうは、もともと肉体の構成が単純で、あんまり肉体を意識しなくてもいいように出来ているというか、もっと簡単にいえば、粗製で、最低限の要素で成り立って、テキトーなので、自分に肉体があることを忘れやすい。 女のひとびとのほうが、人間の一生の意味を深いところで捉えて、「生」ということについて、深く深く考える傾向がある所以であると思います。 人間の社会性は、実際には、動物として生き延びるための本能にしかすぎない。 動物としての自分と距離をおいて一生をすごそうとおもえば、社会性などは邪魔なだけで、垂直に、深い井戸を覗き込むようにして言語をつかったほうが、人間として価値がある一生をすごしやすいのは、言うまでもない。 人間は、個人として一個の完結した宇宙で、その宇宙に法則が生まれて、光が生じはじめることが、人間にとっての成熟であるに違いない。 数万光年を生きて、意識をもたない宇宙に較べて、人間という宇宙は80年という寿命しか持っていない。 どんなに名を残そう、この世界に新しいものをつけくわえようと頑張ってみても、一個の完結した宇宙である以上、それは意識の意匠にしかすぎなくて、現実は、肉体と中枢神経が感受した「快」の積み重ねができて、死とともに雨散霧消するのでしかない。 人間の言語が神を前提とし、善を願い、永遠という野原に自分を置いてみたがるのは、いずれも人間の意識が、自分が死ねば、この宇宙は無に帰するのだという寂寥に耐えられないからであるに過ぎない。 無惨、ということがあてはまりそうなほど人間という小宇宙は儚い存在だが、せめても自分の意識が存在しているあいだ、この世界を楽しんで、手に手をとって、お互いの儚さを大事にして、悪意や憎悪から自分を引き離して、たださえ短い小宇宙の寿命を無駄に費消することを避けて暮らすのがよいようにおもわれる。 ほら、日本の詩人も言っているでしょう? ミルクを飲むように 花の名前をおぼえるように それが、どれほど大事なことかわかったときに、人間の一生は、やっと、始まるのだとおもいます。

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真善美依存症

三十年以上も生きていると、こっちのほうに行くと危ない、というのがだんだん判るようになってくる。 Raspberry piは小さな小さなコンピュータで、目の前にあるModel B 3+でいえばおおきさは、8.56cmx5.65cmx1.7cm、CPUは1.4GHzのquad-coreのARM Cortex-A53と、ちっこくても、堂々たるコンピュータです。 USB(2.0)のポートが4つに、Ehernet、ビデオ出力はHDMIが付いている。 値段はたしか、近所のコンピュータ屋で、$50、つまり4000円くらいだったとおもう。 Noobsをいれて起動すると、いきなりパチモンofficeのセットや、pythonシェル+エディタや、要するにコンピュータで使いそうなものは、なんでんかんでん入っていて、遊べてしまう。 Windowsは、誰がなんだと言っても、顔がいやだが、noobsは、顔がもう相性の良さが感じられて、ドロップメニューがだらんと垂れ下がって、エディタやなんかが並んでいると、ブヒブヒ言って喜びそうになってしまう。 危ない、とおもう。 研究者は研究の道具としてPythonを使う。 若者は、というのは例えば高校生は、将来、自分の知的活動を支えるスキルのひとつとしてPythonを勉強する。 それは、わかる。 だが、30歳をすぎたおとなが、いいとしこいて、Pythonでプログラムを書くのがやみつきになるとは、どういうことか。 というよりも、むかし病みつきに病んで、これではならじとやっとリハビリに成功して、エディタが開いていない状態のモニタが並んでいるデスクに平静な気持ちで座っていられるようになったのに、またいつのまにか無限ループに入ってしまったプログラムを、ワイングラスを片手に、ボーゼンと眺めている。 その上に、ですね。 Raspberry piにあってはbreadboardという恐ろしいものと相性がいいのですよ。 Breadboard、知りませんか?   Breadboard Starter Kit for Arduino, includes components   こういう抵抗器やなんかと一緒のキットで、このまんなかで威張っていて、穴がぶつぶついっぱいあいているボードがbreadboard。 ハンダづけなしで、パーツを挿していって、おお、LEDが点滅している、パチパチパチ、とか言っているうちに、病膏肓に陥って、破滅するやつ。 プログラムで電子回路を動かす白痴的な喜びは、やってみた人でないと理解できない。 いまこうやって書いている日本語学習の趣味などは、かわいいもので、破滅につながるわけはない。 ブログ記事は、さすがに、片手間とはいかなくて、一時間か長ければ二時間、みっちりとモニタに向かわねばならないが、言語スキル維持にはtwitterという便利なものがあって、こっちはデスクの右の横っちょにあるモニタを、ちらちら眺めて、テキトーに受け答えしていれば、すんでしまう。 Pythonをちょっと書いて、ま、間違えた、をして集中力が切れると、twitterをちら見して、あっ、もじんどんがコーヒー飲んでるわ。浅煎りのコーヒーってうまいのかな、手元で絵を描いて、あ、また間違えたになって、twitterを瞥見して、josicoはん通勤先が変わったやん、給料もあがったんだびな、おごってもらいに行かねば、やりかけていた数学のグラフをびいいいーと描いて、あ、また間違えた間違えた、tweetの日本語も間違いだらけやん、をしたりしているうちに、陽は傾いて、飽きればモニさんがご本を読んでいるカウチに行って、ごろにゃんをする。 自分にとっては、しかし、一部プログラミング言語や、一部数学分野は、そういう安穏な生活を乱す凶悪なもので、なんだかヘンテコリンなことをおもいついて、夢中になりだすと、眼が血走って、失敗しておもわず裸足なのにデスクの足を蹴って、「い、いでえ」と痛いおもいをして世界を呪ったりすることになる。 敬して遠ざけるにしくはなし。 でも、ああいうものっちゅうのは、理性がコントロールできないくらい面白いんだすな。 あのめくるめく興奮と陶酔から、あんまり長いあいだ離れていると、つらい。 自分が、なにをやって、どんなふうに生きていくかは、考えるのが辛気くさいが、クルマのWOF、日本でいえば車検とおなじで、ときどきマジメにやっておかないと事故になる。 … Continue reading

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