Je tombe amoureux

冬の冷たい雨のなかを歩いている。
ゴドレーヘッドって言うんだよ。
田舎道の脇にモリスを駐めて、ぼくは歩いていったんだ。
髪をびっしょり濡らして目に入ってくる雨が、口実ででもあるように、ぼくは泣きだして、涙がとまらなくて、岬の突端につづく、細い、まがりくねった径が、もう見えなくなっていた。

すれ違った若い女の人が、なにか言いかけてぼくの顔を見たが、おもいとどまったように、やめて、黙って歩み去っていった。
きっと、とても、やさしい人だったのだろう。
あるいは、人間には、若い時には、まわりが素知らぬ顔でほっておくべき愚かさがあるという厳粛な事実を、よく知っていたのかもしれないね。

人間の最も強烈で崇高な感情が性欲に起点をもつのは、なんという皮肉だろう。
ぼくは、あの人のことが頭から消し去れなくなって、とても苦しいおもいをすることになった。

忘れなければならなかった。
だって、なにも出来ないんだよ。
朝から起きると、もうあの人のことを考えている。
ほかのことが、なにも手につかない。
紅茶を淹れるために電源をいれたジャグが沸騰して、もうサーモスタットが利いて切れているのに、そのままにして、キッチンの窓から外を見ている。

町を歩いていて、ほっそりした、背が高い金髪の女の人がとおると、1万キロも離れた町に来ているのだから、そんなはずはないのに、あの人に違いないという気がして、後をつけている。

テラスに腰掛けて、コプト風のドレスを着た天使の絵を描いている。
妹に冷やかされるのが嫌だから、つとめて、異なった顔つきにしようとしているのに、どうしても、あの人の顔になってしまう。

One-night standで、歓楽から歓楽へ、知らない女のひとたちのベッドから知らない女の人のベッドへ渡り歩いていた自分は、なんてバカだったんだろう、とおもう。
神に恕しを乞うて、次の瞬間には、自分のやってことの大時代な滑稽さに、笑いだしてしまう。

ひどい、たちが悪い病気にかかったようなものだった。
カウチに倒れ込んで、頭を抱えて、うなっている。
妹が、やってきて、「おい、アニキ、しっかりしろよ。それとも、わたしがアニキも人間だったことを祝ってあげようか」と言うのは、励ましているつもりなのね。

論文も授業もおっぽりだして、ぼくは空港に向かったんだよ。
ほかに、自分を救う方法がおもいつかなかったからね。
一生を堅実にすごすための手続きは、もうとっくの昔にどうでもよくなっていた。

いつもなら二三日を過ごす乗り継ぎのシンガポールも、ただ空港の椅子に腰掛けてすごして、一睡もしないままクライストチャーチの空港に着いた。
ぼくはいまよりももっと若かったときには、とても感情がおおきくて、巨大な感情に圧倒されると、いつも、このゴッドレーヘッドをめざしたものだった。

なんの変哲もない、岬の突端の丘なんだけれど、クライストチャーチ人は、例えば大事な人を失った悲しみに打ちひしがれると、見渡す限り、どこまでもつづく冷たい海が見えるこの丘に来て、大声で泣くんだよ。
「身も世もない」って言うでしょう?
あれは、いまでは陳腐な表現だけど、きっと、初めは、そのとおり、文字の通りの感情だったに違いない。

人間は、ときに、身体のなかにある宇宙を全部しぼりだしてしまうような声で泣くことがある。

人間の知性などタカが知れている。
人類のご自慢の知性は、多分、せいぜい三十キロ四方の大地と空が生活圏であったころに成立した言語でできていて、そんなに遠くまで行けないんだよ。
人間は遠くへ行くために、あるいは確かな普遍性を獲得するために数式という言語を発明したが、人間の貧弱な知性では、そのくらいが限界だった。

自然言語に至っては嗤うべき機能の貧しさで、相対(あいたい)して、向き合ってしまうと、もう伝達すらできない。
人間は不思議な生き物で、あるいは情けない生き物で、伝達をしたいとおもえば、椅子をならべて、サイドバイサイドに座って、おなじ方角を見つめて、つぶやきあって、お互いの言語の草原にある対照を照応しなければならない。
あなたが述べていることは、わたしの辞書に書き込まれているこれのことだろうか、とたしかめあいながらでなければ、あますところなく伝達することすらできない。

冷たい肌と冷たい肌をあわせて、やがて吐息が荒くなって、肌そのものが灼けつくように熱くなって、熔鉱炉のふたつの金属が熔けあってアマルガムをなす、あの興奮のなかで、すべてのことは、一瞬に伝わってしまう。

それに較べれば、人間の言語の伝達能力は、なんと惨めなくらい低いのだろう。

人間は愚かさのちからがなければ、どうやっても真実にたどりつけない。
人間がすがっていけるものは、自分の跳躍的で不合理な愚かさだけであって、そのほかのものは、通俗な、くだらないガラクタにしかすぎない。
学校なんて、あちこちの時代の、雑多な知性から採集してきた、貝殻でつくったブローチほどの価値もない知識と思考の様式の品評会以上のものではない。

あんなものを知性と呼ばなければならなくなったら、邪宗の神様さえ赤面してしまうだろう。

ゴッドレーヘッドで、やっと少し落ち着いた気持になって、アートセンターに行った。
アートセンターは、むかしのカンタベリーの大学キャンパスで、ライムストーンの建物で、そのなかの、ぼくが好きだったカフェで、両手でパンプキンスープを抱えて、窓にうつる、自分で見てすら笑ってしまうほど若い顔を眺めていた。

目の下に隈をつくって、青ざめた白い頬で、鼻の頭が少し赤くなっていて、これでは「わたしは恋に狂っている男です」という、でっかいサインを掲げて歩いているようなものだよね、と自分でもおもう。

それから五日間、どうやって過ごしたのかおぼえていない。
何を食べたのかもおぼえていない。
もしかしたら、なにも食べなかったのかもしれない。

ぼくはバラバラになって、床に散らばった自分の魂を拾いあつめて、自分が住む大学町へ帰っていった。

打ちのめされた気持で、大雨のなかで、下水口に捨てられた仔犬のような気持で、ぼくは現実へ帰っていった。

こんなことは、きみにもぼくにも、誰にでもある経験で、「女にもてる男になるには」というような考えを、きみやぼくが、頭から軽蔑する、あの苦々しい気持の起源になっている。

「女にもてる」なんて考えは、あるいは考えの角度は、恋をして、自分の人生がなくなりかけた経験をもたない、計算高くて、周到で、鈍感なせいで、生きていくことだけは巧みな人間が考えることではないだろうか?

こんな言い方をすると大笑いをする人間がたくさんいるに決まっているが、きみやぼくにとっては女の人に恋をすることは、いつも、自分の存在を危うくすることだった。

誰かを好きになるたびに、きみやぼくは死んで、運がよければ、生き返った。
でも生き返ったときは、もうまるで別の人間で、二度ともとの自分にはもどれなかった。

自分が、こうやって生きていることが不思議なことがあるんだよ。
どうして、感情の嵐のなかで死なないですんだのだろう。

ぼくは、やがて、あのときに、まるで自分で自分の動脈をかききる人のようにあきらめた人と再会して、結婚するだろう。

いまでも、でも、あのゴドレーヘッドに行った午後のことを話したことはない。
なんだか話してはいけないことで、口にすると、いま現実だとおもっていることが、ガラスが砕け散るように目のまえで砕けて、なくなってしまうような気がするのだとおもいます。

乾杯。
せめても、きみとぼくとの、ささやかでも価値がありそうな、愚かさを慈しんで。

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3 Responses to Je tombe amoureux

  1. DoorsSaidHello says:

    私はあまり恋愛をしない。人に触られるのは好きではない。人に触りたいと思うことも滅多にない。基本的には一人でいたい。あれこれ意見されるのも好きではない。ほうっておいていてもらいたい。親の結婚生活を見ていると、結婚が良いものであるという気もしない。だから私は生涯ひとりで暮らすのだと思っていた。何か番狂わせが起きて誰かを好きになることがあるとしても、そんな僥倖は人生の晩年になるまでは起きないだろう、それまで生きていられるかどうかも分からない、と思っていた。ある人に会うまでは。

    会ってからどうなったのか、はここには書かない。私の一生には一度しか起きなかったことだし、これからももう起きないだろう。言えるのは、その人に会ったときに私はすべてが決定したことを知った、ということだけだ。

    子どもの頃に読んだローレンツという人の本に、ある犬との出会いの実話がある。その犬は多数の人間が暮らす施設の周辺で放し飼いになっており、誰に所属するでもなく誰を愛する訳でもない自由な犬として暮らしていた。だがそこをたまたま訪ねたローレンツを一目見て、その犬は彼を自分の伴侶と決めたのだった。彼が行くところには遍く付いて行き、彼が帰途に就く時には一散に走って追いかけた。犬を飼うつもりのなかったローレンツは出来るだけ無視していたが、犬の心臓が破れてしまうという瀬戸際でついに根負けして、犬を連れ帰ったそうだ。

    私の生はこの犬と同じだ。この犬はローレンツに惚れたのではない。ただローレンツが自分の人生の同道者であり、他にはいない唯一の相手であることが分かったのだ。ローレンツが振り向いてくれるかどうかは問題ではなかった。ただ犬は、自分がローレンツのものであることを深く知った。犬の後半生はその時決定された。それは犬自身にもローレンツにも計り知れないところで決まっていたのかもしれない。

    ローレンツが犬を受け入れなかったらどうなっていたかって?
    心臓が破れるまで走って絶命したか、辛くも生き残ったならそれまでと同じ誰にも属さない後半生を生きただろう。しかし今度は、愛する者の不在の悲しみを知る生きものとして。ただそれだけのことだ。ただそれだけのことなんだよ。

    私はこの犬なのさ。

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  2. お山のパンや says:

    「今日は何の日だか知ってる?」というボクが聞くと、嫁はんは「ん〰️、29日だから肉の日!みどりの日?昭和の日に代わったんだっけ?」なんて答えて、「あっ忘れてた、結婚記念日」だと苦笑い。
    復帰10年目の沖縄は今みたいに観光観光してなくて、国際通りにもまだ立ちんぼの女の人たちがあちこちにいて、お酒はというと泡盛ではなく洋酒中心に飲んでいた時代。大学の後輩として入学してきた健康そのものといった女の子と出会ったのは、当時の天皇が生まれた日でした。新歓コンパの二次会で初めて少し話し、別に恋愛感情も湧かなかった彼女から暫くして一緒に那覇ハーリーに行こうと誘われ、沖縄の5月の空を彩る花火を見て食事をして、少しお酒を飲んでから、なぜかこの人に会うべきだったのだとでも天の声が聴こえたみたいに、那覇の街から首里にある女子寮まで帰る道すがら、ずっとキスをしていました。それはもちろん若い性欲のなせる技だったのかも知れないけど、もっともっと深いところから湧き起こる感情を抑えきれなかったように感じています。

    あれから今日で36年目。阿蘇近くの裏山から採ってきたこの春最後のタケノコをキムチと、それから肉の日の豚肉で炒めたささやかな手料理でお祝いしました。(あっ、タケノコとキムチは出会いものですよ。ぜひお試しあれ!)

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  3. ギンビス says:

    こんばんは。
    ガメさんのブログが大好きなフォロワーです。
    ガメさんの「日本語をやめる」というツイートを見てこのコメントを書いています。

    私も皆さんと同じように、特にこの日のブログのように、モニさんへの思いや行動を書いている文章が大好きです。今読ませてもらっても、「なんて素敵な夫婦なんだろう、こんな人たちが同じ人間だなんて信じられない!幸せ!」という思いが湧いてきます。ありがとう。

    そして、これから長々と意味不明なことを書いてしまいます。卑怯にも先に謝ります。すみません。

    私は英語も日本語も苦手です。ガメさんの英語の真意がわかりません。ガメさんの環境や人生に裏打ちされた英文の意味は、日本語で丁寧に説明されて、やっと微かに想像できます。しかし、その想像が合っているのか自分で判断できないレベルです。

    それでも、ガメさんが日本語で書く「恋」は、ガメさんの恋です。ガメさんが「性欲」と日本語で書いても、ガメさんの書く性欲はガメさんの性欲なんです。

    一夜のことの性欲であったり、苦しい恋の最中の性欲であっても、ガメさんの性欲はこれなんだと、矛盾していますが言葉にしなくてもわかる気でいるんです。

    私の生活の中で、私が思う、ガメさんの意味するだろう「恋」を見つけることは、古典の中や、ごくごくたまにしかありません。

    ガメさんの意味していない日本の恋は、支配欲や征服欲や興味が強すぎて、ガメさんの恋とは別のものだからです。

    私は恋ってこういうことだと思うとか、私にとって恋はこういうこと、という解釈や前提ではなくて、大げさですが、「恋」の言葉が持つ意味そのものが増えました。

    結局何が言いたいかといえば、日本語が怪しい日本人に、素晴らしい日本語を教えてくれてありがとう、ということです。

    ここで自分の文章を読み返しても、本当に日本語というか文章が構築できず、絶望的な気分になっています。

    最後になりますが、ガメさんへの気が狂っている攻撃に対して、私にはろくな力がなくて、報告したりやめてくださいとコメントして、反撃した気になっていました。
    東日本大震災の時の、ガメさんのツイートにとても助けられたのに、嫌がらせを止める行動が全然足りませんでした。ごめんなさい。

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コメントをここに書いてね書いてね

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