友達がいる夜

だだっ広い部屋に何千というフライパンが並んでいて、それぞれ二十個くらいの餃子が載っている。
中国の人であるらしい係のひとが、つきっきりで説明してくれていて、
「これらのフライパンは日本製で、日本人の悪意が超伝導で伝わることによって加熱されています」と言う。

加熱されるフライパンには順番があって、見ていて法則性が把握できないが、しばらくすると、一箇所に悪意が集まるらしくて、そこだけ集中的に加熱されはじめる。

煙があがっている。
傍らの中国の人が「あっ、あそこで目玉焼きが出来ましたね。
ガメさん、われわれの技術は、どうですか?
もう欧米に負けていないとはおもいませんか?」

目玉焼きが焼けましたって、あんた、あれは餃子ではないか、とやや憤然とした気持になったところで、目が覚めた。

ベッドサイドテーブルのiPhoneを手にとってみると、午前1時半で、ヘンテコな時間に目が覚めてしまっている。
目玉焼きが餃子である悪意の超伝導から現実にかえってみると、友達夫婦が来ていて、客用の寝室のひとつで泊まっていて、そういえば、早寝早起きの習慣の友達夫婦は午後10時には、もう眠くなったといいだして、それまでカネモチたちはいったいどういう理由で餃子なんて、あんなヘンテコな食べ物を好むのだという堂々たる論陣を張っていたのが、さっさと寝室に入って眠ってしまった。

それで、モニとぼくもつられて眠ってしまったのだった。

カネモチたちは、を連発して、おれはカネモチと秀才は嫌いなのだと威張っているが、このひとは現金だけで100億円だかなんだかが余って銀行に眠っていて、
頭がわるいくせに勉強したがる秀才くらい手に負えないものはない、ああいう人間たちは大学に入れないようにすべきなのではないか、と、大庭亀夫のようなことを述べるが、少なくともイギリスでは超一流ということになっている大学を卒業している。

おれは頭を使う職業は嫌いなんだ、と述べて、同級生たちをぶっくらこかせたことには、鉱山で働いたりしていたが、どこでどうオカネを工面したのか400ヘクタールの農場を買って、最近まで農業をやっていた。
その頃は、顔をあわせると、英語国の土地の値段をつり上げているのは、どこのバカだ、と怒ってばかりいたが、当人は「農業はもう飽きた」といって、農場を売り飛ばしてみたら、おおきな町に近いところにある農場だったので、折りからの不動産バブルで、なんだか口にするのも憚られるほどの大金が転がり込んできて、しばらく奥さんとふたりでウィスコンシンのマディソンだかどこだかに住んでいた。

なんでウィスコンシンなの?
と聞くと、ハンバーガーがうまいんだよ、という返事でした。

朝の9時半という、とんでもない早い時間にあらわれて、酒を飲むのはやめたんだと述べて、炭酸水を次から次に飲みながら、夜の10時まで、ノンストップで話をして、ほとんど森羅万象について述べて、楽しかったが、英語人にはあきあきしてきているようで、どうも英語で話す国の国民は、どいつもこいつもくだらない、と三度ほども繰り返していた。

どこの国のひとならいいの?と聞くと、なに言ってんだ、ガメ、おれは英語しか話さないから、他の国のことなんて知るもんか、と言う。

それから、やや居住まいを正す感じになって、
ところで、ガメ、ニュージーランド人は、なんだってこんなポリネシアの、そのまた向こうにある国で、英語を話してるんだ?
と質問する。
もとはイギリスから来たって、せっかく新天地に来たんだから、当時だと、エスペラント語かな、アボリジニ語でもマオリ語でもいいから、英語みたいなバカまるだしの不動産屋みたいな言語でなくて、もうちょっと気が利いた言語をつかわなかったのはなぜだ?

めんどくさかったんじゃない?
というと、
「態度がわるいやつらだな」と、また怒っている。

友達夫婦が寝静まって、自分は悪意超伝導で目がさめてしまったので、こうして日本語を書いている。

眠っている、きみの夢に向かって、話しかけている。

きみやぼくは、いったいなんだろうか?と考えている。

恐竜みたいなものか?
もし恐竜ならば、化石になって、冷たい海の底で、静かに眠っているべきなのではないか。

いつかきみは、自分は世界を愛しているが、その事実をどんなふうに表現すればいいのか判らないのだ、と述べていた。
人間は表現者と受け取り手の両方が観念の高みにのぼらなけば、なにごとか伝達することはできないが、自分には、どの観念の塔にのぼればもっとも自分に適合しているかがわからないまま、到頭30歳になってしまった。

「ガメのように、人生からなにかを受け取ることを望まないという態度はどうしても理解できない。
きみは頭がいかれているとおもう。

きみは自分の中心的な知的活動を世間に向かって発表したことはないでしょう?
そうして、きみは、わざと、世界とオカネだけで関わろうとしている。
そこまでは判る。

でも、なぜ、きみはその一方で、世界を故意に誤解して、しかもその上に、周到に準備して、世界の側からもきみを誤解させようとするのか?

きみは、なんだかモニさんとふたりの、孤島の城塞のような場所にいて、欧州に近寄ろうともしない。

狷介で、複雑で、誰が足を踏み入れても、二度と出られない迷宮のような自己をつくるのに、どんな意味があるのか」

恐竜みたいなものだろうか。
同国人でも、もう、きみやぼくを理解できる人間は、そんなにたくさんはいないだろう。
よくて、せいぜい昔は愛でる人がいた骨董品、悪ければ、ただの古びた、すりきれた家具。

きみやぼくは、もののけで、中空に腰掛けて、頬杖をついて、ぼんやりと世界を眺めている。
自分が知っていた世界は、とうの昔になくなって、見知らぬ世界が目の前に広がっている。

丁寧で、やさしい心遣いに満ちた言葉で話す、きみの世界の住人は、まだ、例えばロンドンの、そこここに点在するが、それも日の名残のようなもので、いまは、身も蓋もない、「英語カルチャー」が、通り一遍のチェーン店がならぶモールかなにかのように、退屈で凡庸な顔を並べている。

ホームシックの感情に負けて、遙かに遠い故郷に帰ってみたら、故郷はすでになくなっていた人のように、なんだか茫然として、新しくて、活気がある、多様性にみちた、かつては故郷であった町を眺めている。

ぼくは多分、人間の世界が好きだったことは、いちどもないんだよ。
考えてみると、ほかに、友達をつくった理由なんてないものね。

ほら、いつか日本語の詩を引用したでしょう?

おれたちは 初対面だが
もし会えなかったら、どうしようかと
そればかり考えていたよ

会いたかった友達に会って、初めて、われわれはこの世界が荒野にすぎなかったことを理解する。

地平線まで歩いていけるか、歩いていけば、地平線はただもっと遠くに移動してしまうのか、そんなことは判らないけど、
収穫が終わって、荒れ果てた世界を、どこまでも遠くまで歩いていくしかない。

自分の家が見える、あの丘にたどりつくまで

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1 Response to 友達がいる夜

  1. koshiro eguchi says:

    読んでいて涙が出ました。私たちが帰りたい場所を失ってしまうのは、私たちが大人になるからなのでしょうか。それとも、世界はそのように決まっているのでしょうか。「ただいま」を言いたい、「おかえり」を聞きたい。のどの渇きに耐えながら、自分で作るしかないのだけれど、なぜかうまく作れないのです。

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