陽だまりに休む権利

冬の寒い朝に、小さな陽だまりをみつけて、そこで暫くじっとしている権利は誰にでもある。
生まれてから、ここまで、自分では懸命に考えて、努力して、精一杯やってきたのに、やり方が下手で、あるいは時宜をえないで、うまくいかずに、疲労困憊してたどりついた場所で、その場所が成功の高みにある場所でも、低迷の窪でも、人間は疲れてしまうときには、疲れてしまうので、やっとの思いで、ベンチに腰掛けて、ああ、ここは暖かいなあ。
ここに、ずっといられたら、どんなにいいだろう、とおもう。

そのベンチに腰掛けることが、そのひとにとって、恥ずかしい事で、不名誉におもえるときも、文明が存在する社会では、道行く人の誰もが、そっと、見て見ぬふりをして通り過ぎていく。
その人が孤独に苦しんで、疲れて、その陽だまりでやっと息をついていることを看てとるからで、その人に「そこは、あなたがいつまでもいていいところではありませんよ」「いまはいてもいいが、すぐ立ち去らなければだめですよ」と述べるのは、人間がやることではなくて、いわくいいがたい、正しさの化け物と呼べばいいか、そういう気味の悪い生き物だけが口にすることだろう。

日本にいたときに、さまざまなニュースを観ていて、最もがっかりしたのは、生活保護を受けているひとたちに対する、ほとんど社会を挙げての、というと「ぼくもぼくの周りの人も攻撃したりはしなかった!」と述べる、日本特有の厚顔ないいわけをしにくるひとがいそうだが、ことの性質を考えれば、怒りを露わにして、通りに出ていかなければ、明日の生活にも困窮する人がいたのだから、ありとあらゆる機会をつかんで、「生活保護受給を自分のオカネを盗むような嘘をつくな」というべきで、いわなければ、この場合は、あの人間としての恥というものを知らない、心をもたない人間たちとおなじ生き物だと言うしかない、攻撃で、
あれほど、日本社会と無関係な人間が見ていてさえ、自分のことのように恥ずかしい気持になることはなかった。

お温習いをすると、生活保護は、もともと、そこまでの一生の試みに失敗した個人に対する慈悲の気持を社会がもって、つくりだした制度ですらない。
理屈は簡単で、たとえていえば、インフルエンザの予防注射とおなじことです。

医学を学ぶ人は、多分、公衆衛生学で、ごく初歩的な考えかたとして学ぶが、予防注射は、個々の人間を救うために実施するわけではない。
いま、平面に、疎に密に、広がっている点を考えて、この点から点にインフルエンザが感染していくことを考えると、感染しない点を増やしていけば、点から点にインフルエンザが伝播する機会が減って、確率的に、感染は減少していく。
点をどんどん増やせば、インフルエンザ自体が、スペイン風邪のような、えらいことになるまえに、終熄するはずで、予防注射というのは、つまり、もともと社会を防衛するための衛生思想に基づいている。

生活保護もおなじで、まるで流砂に足を踏み入れてしまった人のように、もがいても、もがいても、貧困と過剰労働の負のスパイラルから出られなくなった人に、休息と、いくばくかの金銭を与えて、社会の成員として復帰することによって、社会自体を繁栄させようとする制度として機能する。

生活保護を自分のふところに行政が手を突っ込んでオカネをもっていくように感覚する人が、例外なく愚かな人間なのは、つまり、観点を変えて、ものを見るときの足場を変える能力すらもたないからで、頭が悪いということ自体は悪いことではなくて、特に幸福になるためには必要な能力だが、それを悪用して、いまの瞬間に苦難に陥っている人間に向けるのは、愚かというよりも野蛮で、そもそも文明になどは縁がない人であるというほかはない。

人間は、さまざまな理由で、ごく簡単に苦境に陥る。

いつか、英語の世界ではチョー有名な例として、女優のシャーリーズ・セロンの場合について記事を書いたことがある

https://gamayauber1001.wordpress.com/2015/01/20/survival-kit-e/

エンターテイメントの世界には、実際、自分で「堕ちるところまで堕ちた」と自嘲するひともたくさんいて、表だって語られない、たくさんの、麻薬の売人、売春、
食べるカネに困っての盗みの逸話に満ちているが、人間として堕ちることを拒否して、いっそうの経済上の困難に陥っていった、上のシャーリーズ・セロンや、十代で何年もクルマのなかで寝起きしなければならなかった歌手のJewel、浮浪者用のシェルターで暮らせねばならなかったHelle Berry、過去を悪びれずに話している現在の当人からは想像もつかないような「どん底」を経験している人は、いくらもいる。

なんだ芸能人ばかりじゃないか、というひとのためにいえば、日本人がめざすべき成功物語の典型のように語られるSteve Jobsにしたところで、Reed Collegeをドロップアウトして新しい生活を始めた当初は、公園をめぐって、ゴミ箱を漁って、コーラのボトルを集めては売って、かろうじて、その日の食事にありついて暮らしていかねばならなかった。
帰る部屋など持たないホームレスだったことは言うまでもありません。

貧困には、ちょっと死に似たところがある。
たいていの人間は、自分には起こりえないか、あるいは、起きたとしても長いプロセスを経て、何年ものあとに起きるものだと妄信している。

死ぬときは癌で死にたい、という人は、医学が発達した現代ではたくさんいるが、彼らに理由を尋ねてみると、癌は急死せずに、余命が12カ月なら12カ月で、猶予が与えられて、いわば、ゆっくりと死んでいけるからで、身辺を整理して、英語ではbucket listと言う、生きているあいだにどうしてもやりたかったことのなかから、やれることをやって、愛するひとびとに別れを告げて、死んでゆけるからで、違ういいかたをすれば、「丘のむこうにある死」を人間にもたらしてくれるのは癌くらいのものだとも言えるという、現実が背景にはある。

アパートの、ヨーロッパ式にいきなり通りに踏み出すように出来ている玄関を出た途端にクルマに跳ねられるひと、いつものようにlaunchに乗って釣りにでて帰らなかった人、工事現場で手際の悪い縛り方をされていた鉄材がクレーンから崩れておちて、下を歩いていて死んだ人、人間はさまざまな理由で、あっけなく、あっというまに死んでしまう。

貧困も、現実を観察すれば、意外なくらいに、たいていの場合唐突に訪れる死とおなじで、似ていて、例えば、オバマケアがまた廃止に向かいそうで、国民保険制度がどうしてもうまくつくれないでいるアメリカならば、重病に陥った瞬間に死よりも先に貧困が待っている。
実際、アメリカ合衆国では、自己破産の原因の一位が医療費であるのは、なんども報道されるので、知っている人も多いとおもいます。

日本は言うまでもない。
女の人にとっては最も離婚がしにくい社会で、世界的に有名で、いわば「離婚の自由」がひどく制限された日本社会でも、それでも人間なので、我慢には限界があって、まるで追いつめられて高い断崖から自分の跳躍を吸収してくれる深度があるかないかも判らない海に飛び込む人のようにして、離婚すると、今度は圧倒的に女の人に不利な職業社会が待っていて、子供がいれば、どうかすると月20万円にもみたない収入で、新生活を始めなければならなくなる。
その結果は、統計が存在する国のなかでは最高の貧困率で、数字を見ていると、いったいこんな収入で、どうやって暮らしていけるというのだろう、と、一応の生活についての知識をふりしぼって考えてみても、まったく見当がつかない。

子供のときから、日本の町のなかでは鎌倉に縁があったので、鎌倉に、60年代に出来た和風洋式建築としか呼びようのない面白い家を買ってもっていたが、あの町の市役所は、生活保護の申請窓口を、故意に掲示板で隠して塞いでいた。
生活に困って市役所を訪れたシングルマザーの女の人は、途方にくれたはずで、なんども、近所の人間が混じっていそうな市民が屯するロビーをうろうろしたあとに、最も人目が立つところにある、件の、案内カウンターで、顔を真っ赤にして、目の前が暗くなるような思いをしながら生活保護の申請にはどこに行けばいいのか、声にだして訊ねなければならなかったはずです。

週末に鎌倉にいくたびに、居酒屋で顔をあわせて、そのうちには仲がよくなった市役所の人がいて、その人の「唐竹を割ったような」人柄のよさと、野蛮で陰湿な残虐さをもった市役所の生活保護受給者への仕打ちと較べて、日欧混血の子供への差別や、貧困、在日コリアンへの差別、どの話題でも、ごく普通の日本の人が、
「え?ガメさん、考えすぎですよおー。わたしのまわりに、そんな人、ひっとりもいませんよ。なあんかインターネットとかで、おかしなことを吹き込まれて日本に偏見があるんじゃないですかあ?」と明るく述べる日本社会のからくりが判るような気がした。

生活保護の受給者は「弱い者」なのではない、社会制度や、運や、病気や障害によって、いまたまたま負けが込んで、というと言い方として下品だが、ほかに表現がおもいつかないので、知らぬ顔でつかうと、負けが込んで、ここでどうしてもひと息つかなければならなくなったひとたちの「陽だまり」で、そんなものひとつ用意できなかったり、吝嗇と残忍な本性を発揮して、意地悪い言葉を投げつけるようなものを「社会」とは到底呼べないだろうとおもう。
そういう人間は「社会はなんのためにあるのか?」という最も根本的な問いをわすれている。

社会は、もちろん、個々の個人のためにある。

陽だまりには、また、生活保護ではなくて、魂を保護するためのものもある。
性的被害のトラウマや、ディプレッションとの戦いで、旗色が悪くて、負けかけている人がいる。

なにもする気が起きない、どこへも出かけたくない、という若い人と話してみると、本人が気が付いていないだけで、鬱病であることが、びっくりするほど多いのは、別に、よく話題になるポーランドや韓国や日本に限らず、世界中の国に蔓延する病で、ひとびとは必死に戦っていて、ニュージーランドならば、パブやレストランで給仕してくれるウエイトレスの女の人の手首の内側に小さいセミコロンの刺青が見えることも、珍しくない。

https://gamayauber1001.wordpress.com/2015/07/23/project-semicolon/

「それは大変だね。でも、若いんだから、もっとがんばらないと」というような、おっそろしいことを言わないですむために、鬱病についてのひととおりの知識を身に付けておくことは、いまの世界では、もちろん、愚にもつかないテーブルマナーなどよりは、遙かに大事な身に付けるべき常識になっている。

ぼくのところにも、よくツイッタのタイムラインやなんかで話題になる「はてなから来ました」の、やたらと他人をくさして攻撃するのが大好きなおっちゃんたちが来るが、あそこまで病的な人びとは別にしても、日本語社会は、もともと攻撃性が強い社会で、しかも、攻撃している本人は、見ていると、自分が他人にとってannoyanceになっているということすら自覚していなくて、いわば会話の習慣のようにして、たとえば「子供はつくらないの?」という。

「早く結婚しなくて、だいじょぶなの?」と、おでん屋のカウンターで中年のやたらと身なりに気を使った上司らしい男の人が若い女の人に述べていたりするのを聴かされると、まるで無関係な外国人にすぎないこちらが、「おまえこそ、頭、だいじょうぶか?」と聞いてみたくなる。
日本の人には、言われて不愉快なおもいをする当人以外は実感がまるでないらしいが、なんだか社会ごと失礼であるような、奇妙な社会で、なにしろ文化の比較が趣味のようになっていて、しかも最近は病膏肓に入っているのではないかと自分でも疑いだしている人間としては、こんな社会、ほかにあったかなあー、と、マイクロネシアの島社会のあれこれを思い浮かべてみたりするが、いわば、通りで知り合いに出会うと、おもいきり相手の頬をひっぱたくのが挨拶の習慣になっているようなもので、見ていて、茫然とする。

日本は訪問するには最高に楽しい国だが、住むのは、やっぱりちょっと無理だよね、と納得する契機に、よく、なっていた。

冬の寒さがゆるんで、あたたかくなってくると、社会全体が陽だまりのようになってゆく。
自分の一生のなかでは、立ち直りかけてはいたが、まだまだやることなすことヘマばかりだった、90年代のニュージーランドがそうだった。

小さなことです。
本屋のドアを開けて入ろうとする。
向こうから、女の人がやってくる。
横にどいて、ドアを開けて待っていると、女の人が、世にも陽気な声で、
「まあ、なんて素敵な紳士なんでしょう!」と明るい笑顔で、述べてゆく。
紳士だと呼ばれた10歳の子供(←わしのことね)のほうは、なんだかおとなになったような気がして、すっかり浮き浮きしてしまう。

あるいは、世紀の変わり目に近い頃になっても、横断歩道で、えんじ色の制服の小学生たちのグループのためにクルマを止めると、もちろん止まるのはクルマのほうが、あたりまえのことであるのに、みなが手をおおきくふりながら「ありがとう!」と口々に叫びながら渡ってゆく。

そのころは、なんども書いていて、ニュージーランドに気の毒だが、ものすごく貧乏な国で、まるで国がまるごと失業しているようなていたらくで、PhDを持っていてリンゴ拾いのアルバイトをしたり、大繁栄をしている日本に行ってなんとか稼ごうと考えて、時給350円のアイスクリーム工場で働いたりする女の学生がたくさんいたりして、遊びにきたアメリカ人の友達たちが、失礼にも、あまりの惨状に大笑いするくらい貧しい国だった。

ニュージーランドは、むかしから貧乏とは縁がある国で、なにしろスタートレックテレビシリーズには世界から遙かに離れて罪人を島流しにして隔離する世界連邦の国まるごとの刑務所として登場するくらいで、他の文明世界から遠く離れているのが禍して、若い人間のキャリア上の希望は、なんとか渡航費をやりくりして、稼いで、オーストラリアか他の英語国に行ってカネを稼げるようになることしかなかった。

いっぽうの連合王国の人間として、ニュージーランド人をうけいれる側からみると、ニュージーランドのイメージは、失礼なので、まさか口にだして言ったことはないが、ウエイター/ウエイトレスで、20000キロ離れたところから見ていても、ニュージーランドという国が、食うや食わずのドビンボ国なのは、よく判った。

ところが、この貧乏な国は、一方では、世界のなかで、そこにだけ、ただ一箇所太陽の光が射しているような陽だまりだったのですよ。
みんなが貧乏で、助けあって、食べ物が買えない人には、必ず誰かが食べ物をもってきて、一緒に食べていたし、少しでもオカネがあるような様子をみせるのは、考えてみれば良いことか悪いことかわからないが、最も恥ずべきことだと考えられていて、あの貧しさのなかで、やってきはじめたアジア系の移民が収入を偽って生活保護を不正に受給しているというニュースに怒ったりしながら、それでも生活保護を正当に受給する人間を蔑ろに見るようなメンタリティは想像の外だった。

ニュージーランドは連合王国の労働者階級が文明的な生活をすることを夢見て、遙々危険な航海をしてやってきて作った国で、「これは自分たちがつくった社会なのだ」という強い誇りがあったからだと思います。
いまは失敗している仲間も、たまたまうまくいっている仲間も、みな同じ仲間ではないか、という強い意識は、失敗した者をみくだすような態度を軽蔑させる。
連合王国には、うようよいる、強者の驕りをみせて振る舞う人間にうんざりしてやってきたのに、自分達の国でまで、そんなものを観たいとおもわない。

かつては訪問する外国人たちに「まるで天性の人民戦線主義者のようだ」と言わせた日本は、繁栄と、強者と弱者を生みだす社会に変容することによって、どうなったか。

いまの日本社会をつくったひとたちは、なんだか、みなが天を向いて掌をさしだしているというか、オカネもなにも、自分が言われたように暮らしていることの代償として、空から降ってくるのだと信じているような所があって、案外と、自分は社会の外側にいて、自分と社会とは交渉的な関わりしかないのだと考えているように見えることがある。
そのなかで高いところからオカネを撒く人の気持ちを最も汲んで、「模範的な支配のされかた」を演じてみせたものが社会の強者として振る舞うという不思議な習慣をもっている。

「え?暮らせない?あなた、社会に言われたように暮らさなかったんじゃないの?」と役所の福祉課の窓口で言われそうな、怖いところがある。

いつのまにか陽だまりを失って、凍えるひとびとを、突き刺すような視線でにらみつけるようなところがある。

その睨みつける視線が、いったい、どこから来たのか、なにに由来するのか、これから、考えてみようとしているところです。

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ver.6 https://leftlane.xyz もあるよ
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6 Responses to 陽だまりに休む権利

  1. キラキラ大島 says:

    小学4年生のとき、僕の居場所は校庭の隅にある鉄製の藤棚の、四隅の柱を登ったところだった。柱といっても梯子のようになっていて、10歳の子供にも容易に登ることができた。高さ2.5mほどのその場所に登って、昼休みの間ずっと、校庭で遊んでるクラスメイトたちの姿を眺めていた。

    とある理由で囃し立てられるようになり、それはクラス中に広がり、彼らと一緒に遊ぶことはしばらくの間できなくなっていた。それが、当時の僕のひだまりだったのでしょうか。今なら安全上の理由とかなんとかで、登るの禁止になって、登ることで避難しようとする子供は引き摺り下ろされ、逃げ場を失ってしまったのかもしれません。

    Liked by 1 person

  2. >貧困には、ちょっと死に似たところがある。
    社会から外れることが死に似ているか、死と同等に扱われるなぁと思いました。
    また、病気や障害を持ったり不登校、いじめや性暴力の被害者になることも同様におもいます。

    twitterでは文字数が足りないのでコメントとして書きたいと思います。
    この間の生活保護や障害を持つことのツイートをRTしてくれたこと、そうして日本人なら無かったことにしてしまうようなことを手に取りやすい文章にしてくれたことに、少し泣きました。

    自分は生活保護は受けていないのですが、障害年金を受けて生き延びています。
    月65000弱の年金だけでは暮らせないのですが、親の援助と今は失業保険で、同じく働きすぎて障害を持ってしまった妻となんとかやりくりしています。

    この社会の人々の多くは、正しいことを言うと方々から批難されたり脅されたり馬鹿にされたりするので、波風立たないように見て見ぬふりをすることが一番だと怯えながら暮らしているようにも見えます。何かを言うと次は自分が犠牲になるのではないか、と。

    この社会の人々は子供時代から、みんなと違うといじめられたり排除されたりするという事を、学校やご近所という社会で先生や大人達から学びます。みんな同じ日本人であるから、違う人は間違っているのでいじめたり排除されるのは当たり前だと。被害を受けた側の多くは泣き寝入りするか、助けを求めても相手にされず絶望し、不登校になったり転校したり、ひどい場合は子供ながらに自死を選びます。自分もいじめられていたので、よく今まで生き延びたものだと今では感慨に耽けるようになっています。

    ガメさんは既に多くのことを知っているので今更なことかもしれませんね。
    日本の社会の人々の冷淡さについてはよく話されているので。

    いじめで病気になり、障害者となり、もう自分はこの社会の仕組みからは、いない存在になったのだと惨めなゴミクズのように感じ、はやくこの世から居なくなりたいと思っていました。今苦しんでいる同じような人達も、苦しみを抱えながら表現というものをしている友人も、弱い存在となった人々は、葛藤し続けていると思います。

    ここからは自分の経験を話したいとおもいます。

    自分は運の良いことに、病気になった今の妻と知りあい、病院のデイケアや作業療法、障害年金といったものがあることを知り、それから自分の人生が変わりました。作業療法で知り合った友達に障害当事者の自助サークルを紹介され、そこで活動している時に、退院促進ピアサポーターという仕事にありつき、また別の福祉の仕事も紹介され、散々心配をかけた母親もようやく安心したのでした。病院に10年もかかっているのに福祉の情報を知らずにいるというのは珍しい事ではありませんが、大きな問題だと思います。

    そういった中で、福祉について学び、仕事の中では精神病院に30年~50年入院させられている人々が居ること、退院できるほど回復しているのに、社会や家族の受け皿がない為に本人の意思では退院できない人達がいることを知りました。そして、そういった長期入院患者さん達を退院できるように助ける仕事をしていました。

    ですが、皆が皆退院できるようにはならず、やはり何十年もその人が居ない事で成り立った家族が受け入れを拒否するなどで、どうにもできず諦めるしかない事例もありました。サポートの途中で亡くなる人も何人かいましたが、病院側はなぜ亡くなったのか教えてくれない、そんなことも経験しました。

    退院したあとの住居は大概が障害者向けのグループホームなのですが、別の地域では障害者のグループホーム建設に住民が反対するということもよくある事のようでした。また、長期入院患者さんを退院に導くピアサポーターというのは、精神障害者の仕事なのですが、その仕事に対する給料には地域ごとに差がありました。現場までの交通費が支給されない、現場までの移動時間は何時間でも仕事と見なされず、返って赤字になるという知り合いもいました。障害者であるピアサポーターへ給料がいるかどうか、ボランティアとして無給でよいのではないか、という話もあったようです。

    この退院促進の現場、精神科病棟で見てきたことは、もうひとつの地獄として、生涯忘れることは無いと思います。

    同時に仕事の関係で知り合った友人達には生活保護を受給している人は多く、世間で言われるようになった、不正受給者という悪者をやっつけたいというような人々の欲望とは違い、少ない保護費でなんとかやりくりしながら、嫌がらせを受けないように隠れるように生き延びているのが実態であると、お伝えしたいと思った次第です。

    子供の頃から大人になってまで、いじめ、不登校、貧困、差別、ハラスメント、奴隷のような職場環境、美しい国とはどこにあるのか、地獄ばかりを見ているのは何故なのか、考え続けています。

    ガメさん、暖かい文章をありがとう。
    ガメさんとご家族、ご友人の幸せを祈ります。

    Liked by 3 people

    • 日本に住んでいて我慢がならなかったのは、日本では障害年金や生活保護を「社会からダメな人間への施し」だと考えている人がたくさんいたことでした。
      そして、その社会からの施しは自分の税金なのだというのね。

      言葉を失うような野蛮というか、それなら、あなたたちの社会はなんにためにあるのか、そもそも、あなたのような人間にとっては同じ日本の社会に住む人達はなんなのか。
      同胞、という言葉を知っていますか?
      と問いたかった。

      日本語で率直に綴られた文章を読んでいると、いつのまにか、歯をくいしばって、あるいは唇をかみしめていることが多い。

      そこで述べられていることは、理解を絶した手を差し伸べることへの拒絶であり、そのかわりに石をもって相手を打つ人間が日本語世界にはたくさんいるという俄には信じられない現実だからです。

      「同時に仕事の関係で知り合った友人達には生活保護を受給している人は多く、世間で言われるようになった、不正受給者という悪者をやっつけたいというような人々の欲望とは違い、少ない保護費でなんとかやりくりしながら、嫌がらせを受けないように隠れるように生き延びているのが実態であると、お伝えしたいと思った次第です」

      というような文章をみると、なんども読んで、だんだん涙で文字がにじんでくるのを止められなくなってしまう。

      誰が読んだって、そうですよ。

      生活保護を受けなければ暮らせなくなった人間と、生活保護を受ける必要がない人間の違いなど、たかだか運の違いにしかすぎないのは、生活保護はおれの税金から出ているのだと鼻息も荒くいばってみせるくだらない人間たちの数百倍の税金を払って暮らしているぼくと、その人間とのあいだにある差異が、やはり運の些細な違いに起因しているのとおなじことだとおもう。

      性差別や、さまざまな問題を抱えながらイスラム教が、この世界で伸び続けているのは、彼らの宗教では、人間の成功と不成功は、ただ単に運によっているという認識があたりまえなだけでなくて、だから成功した人間は、不運な人間に金銭を与えるのがあたりまえで、それをしない人間は、人間の成功を自分の能力に帰している傲慢さにおいて恥ずべきだと社会がまるごと信じているからでもあるのですよね。

      ぼくとモニが大好きなムスリム系インド料理店には、入り口にでっかく「オカネがない人は、申し出てくれれば無料です」という看板が掲げられている。

      彼らは「文明」ということを信じている。
      英語人は、テイクアウェイの入り口に入るときに、看板を見て、自分達の仲間意識が言葉だけで終わりがちな自分たちの社会を思い出して、ちょっと恥ずかしい気持で入る。

      素晴らしい、というような言葉では、到底いいつくせないコメントをありがとう。
      この
      石炭さんのコメントが、コメントへの返信を再開するおおきな理由になったことを申し添えておきます。

      ほんとうに、ありがとう。

      Liked by 4 people

      • 夏風邪の治りかけの夜に、コメントの返信が届いていました。

        「素晴らしい、というような言葉では、到底いいつくせないコメントをありがとう。
        この
        石炭さんのコメントが、コメントへの返信を再開するおおきな理由になったことを申し添えておきます。

        ほんとうに、ありがとう。」

        この言葉で何度も、今もまた何度目かの涙が出できています。

        なんと言うのでしょうか、文明というものが信じられる世界では、人々は自由に堂々と生きることが当たり前なのだろうなと考えています。運の悪い人々を懲らしめたり嘲笑ったりしない、そんな世界を。

        この社会の底とも言えるような、障害や貧困の社会の中でも自分たちはまだ運が良い方だと似たような友達と話したりするのですが、この底辺からもちょっと浮き上がっているような所在の無さは、例えるのが難しい感覚です。この辺は障害者同士の社会でも差別があるという話になってしまうのでまた別の機会がいいのかもしれません。

        日の目を見ることの無いような底辺の社会でも色々な人達が生きていて、そんな中に友達が出来て、せっかく病人になったのだからとのんびりと話し合いながら生きていくのも悪くは無いなと思いつつ生き延びています。けれどそれはひとつふたつ大きなものを諦めていくことでもあるのですが。

        ただ、こういったガメさんのような違う世界の人々とやり取りも出来るのだと思うと、また別のものを手に入れられそうだなと楽しみにしている自分も存在するのを確認することが出来ることが面白く思えます。

        ブログのコメントやなにかでなにがどうなって行くのか、自分も遊びに参加しながら楽しみにしています。

        それでは、返信ありがとうございました。
        もう少し泣いてから、笑って朝を始めようと思います。

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  3. 小学生の頃給食費を手渡しで渡す習慣がありましたが免除されている生徒もおりました。
    先生方が教室の中で分かりやすく、誰々さんは給食費は支払わなくて大丈夫だからね。と声にだすものだから、子供心に何故だろう?と思っておりました。

    やがて時を経て、彼らは生活保護を受けていたんだと理解しました。今にして思うと、あれって生徒に対しての公開処刑的なふるまいだよな、、、と思う次第です。

    最近というか過去もそうですが、日本人は「臭いもにはふたをする」考えが跋扈していると感じます。以前Twitterで少し書いたことがありますが、父親の亡くなった姉は全盲でした。心根が優しく私が一番頭が上がらず、かつ、大好きな叔母でした。

    当時の日本(もしくはその地域かもしれません)は全盲の人が家にいると恥ずかしい先に考えが出て、自宅から出さなかったようです。
    どーやって勉強したのだろうか?文字はどうして覚えたんだろうか?と子供心に叔母に聞いたことがありました。今にして思えば点字を学び覚えていったんだろうと理解できるのですが、、、。

    叔母からもらう毎年の手書きの年賀状は少ない言葉ながら、いろいろと心に残ってます。
    もちろん叔母も生きていくためにはお金がないとだめでしょうから、生活保護や障害者年金などを
    受給していたんだと思いますが詳細は不明でした。

    私は父親が脳梗塞を患い30歳早々に介護を経験しました。当時入院していた病院へ日々通っていく中で、同じ病気を患っている患者の方が多数いて、リハビリに励んていたのですが、父同様彼らもいつかは退院しなくてはならないのですが、退院後の生活保証等は存在せず、病院に相談すれども
    無しのつぶてで途方に暮れていた方々を何人も目にしました。

    話が脱線してしまいましたが、うちの奥さんが日本にきて10年経ちますが、いまだに日本は変わらないし今後も変わらないと申しております。会社に行けば「日本語話せますか?」「日本語読めますか?」「中国人ですか?(妻は台湾人)」「英語できるんですか?」など、さも日常の風景のごとく話してくるようです。そんなこと聞いて、この国は大丈夫なんかい、、、と思うことしばしば。

    NZの小学校で着ていた制服を別の方が利用できるよう回収し、セカンドユーズとして販売?していたり、社会弱者をなんとか支えていく姿勢が日常の風景のように備わっている仕組みは
    いいなあと感じてます。もちろん、まだまだチャレンジするところはあるんでしょうが。(仕事とか不動産の問題とか)

    なんだかコメントですとTwitterという限られた文字制限がないので、とりとめのない言葉をたくさん書いてしまいました。失礼しました。普段会話できないことが多いので、ここだと何故か安心できる気がします。

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    • 李ヨシュマド says:

      山岸道夫という社会学者も言っていましたが、
      日本人は、「社会的な不確実が存在しない状態を、相互監視で作って安心しているだけ」であり、心の底から、他人を「信頼」していない訳ですから、弱っている人間は、社会的な不確実さを持ち込む迷惑な存在なのてしょうな、日本社会では

      エーリッヒ・フロムは、
      「孤独から逃れるために、群衆は自我を捨てる」という言葉を残し、
      それは、多くの日本人のことも表しているようにも思いますが、

      そもそも、相手の内面を知ることもできずに、
      そんな相手を信頼することもできずに、
      ただただ相互監視で心の核ミサイルを突きつけて、不確実さを取り除いているだけの社会の人々は、結局孤独なままだなと、私は思いますわ

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