日本語人への手紙

小説が登場すると魔女狩りが消滅する。
あるいは現代社会では、ほぼ完全に消滅した、魔女狩りを支えていた隣人への疑心暗鬼のある種の「空気」がなくなって、石に近所人のおかみさんをくくりつけて、
「浮いてくれば魔女」「沈んでしまえば非魔女」というようなことをやらなくなった。

訪問したことのない他人の生活の様子がわかったからです。
なるほど、他人というのは、こんなふうに暮らしているのか。
こういうところは、自分とおなじではないか。
ああ、こういうときに、こういう人は、こんなことを考えるのだな。

登場以来、人間が数百年にわたって熱狂する「小説」という形式は、もともと仮想的な情報の共有への情熱のせいで売れ続けた。

小説が明瞭に虚構だと納得されるようになったのは、比較的には最近のことです。
エドガー・アラン・ポーのいくつかの小説は、実体験として新聞に書かれたもので、読者はみなノンフィクションとして読んだ。
気球に乗って月へでかけたり、オランウータンが起こした殺人も、現実の出来事の報告として読んだ人が多かったでしょう。

面白いのは、それ以前から現実の報告はなされていても、ひとびとがより強く「現実である」と実感したのは、作り話である小説のほうで、この記事では詳しくは述べないが、やがて小説という虚構は逆に現実を生みだしてゆくようになります。

ここまで書くと、気が付く人が当然いるとおもうが、この小説と現実の関係は、いまの時代(←これを書いているのは21世紀が2割近く進んだところです)のインターネットと現実社会の関係と相似で、情報の共有がおおきく現実社会の様相を変えるネットと現実の関係の雛形は、小説と社会の関係に見ることができそうです。

情報が同時的に共有されることによって、世界はおおきく変化した。
少し、バカバカしい例を持ち出すと、インターネット以前には、ニュージーランド人は2年前のコンピュータを最新型と信じて、しかも他の国民の倍近い価格を支払って購入していた。
ビジネス側の仕掛けは、例えば、ハービーノーマンというシンガポール、オーストラリア、ニュージーランドに支店網を持つ家電&PC店であると、まずHPの最新モデルをシンガポールで売りにだす。
この在庫が、その年に捌けないと、オーストラリアに移動させて一年遅れで新モデルとして売る。
そこでも売れないとニュージーランドに持ってくる。
値段も酷いもので、いつか、クライストチャーチにいたときにPCが壊れて、シンガポールに行くヒマがなかったので、やむをえずにブリスベンのゲートウエイショップに行くことにした。

ごく標準的なスペックのノートブックコンピュータが6000ドル(50万円)で、カリフォルニアのFry’sで同スペックのコンピュータを買う2倍近かったのをおぼえている。

インターネットが生活のなかに入ってきたのは、ニュージーランドでは1997年頃で、まだ、ピイイイーガアアアアーだったが、ナイーブなニュージーランド人たちも、やっこらせどっこいしょな感じで表示されるアメリカのPC店の価格をみて、自分達が長いあいだ騙されていた、というか、ぜんぜん判っていなかったことを悟った。
こういうことは、おもしろいもので、例えばぼくが、「コンピュータ、カリフォルニアに行くと、ずっと安いんだよ。往復の航空機券代をだしてもパロアルトに行って買ったほうが安いよ」と述べても、へええええー、そうなのかああーという反応が返ってくるだけで、実感というイグニションがかからないので、ただ知識として頭にとどまるだけであったのが、自分がネットスケープの画面でデルの価格一覧をみると、俄然、不愉快になって、「二度とニュージーランドのPC店でコンピュータを買うものか」とおもうもののようでした。

このあと、急速に英語世界という巨大コミュニティが出来上がって、ニュージーランドも、そのコミュニティのメンバーになって、情報と知識が共有され、スコットランドの知恵や、イングランドの知恵、アメリカの知恵やカナダの知恵….と、どんどん共有されていって、新しい常識の分厚い層が生まれて、その「常識」の土壌のうえに、男女性差別の解消や、セミコロン、鬱病との戦いや、主にムスリム人が対象の宗教差別との戦い、同性愛への偏見との戦い、さまざまな矛盾が可視化されて、共有され、少なくとも英語世界では、オーストラリア人であってもアメリカ人であっても、アイデンティティは、英語人であることのほうがおおきくなって今に至っている。

物理的距離をインターネットが埋めて、どういうことになっているかというと、いまの世界では、公平に見て、英語圏諸国とインド、シンガポール、ドイツ、オランダ、北欧諸国がひとつの巨大な「常識」を形成しつつあって、その価値観と真っ向から対立する形で中国語圏がある。
その周辺にフランス、ロシア、アジア諸国、この文章は日本語で書いているので、切り放してかけば日本、という国が存在している。

インドはもともと英語国とは言えないが、どんどん英語化して、かつての上流家庭に限らず、中流家庭に至るまで、家庭内の会話ですら英語で行われる例が増えて、逆に、インド人の「間違った英語」が英語全体に影響を与えるほど、おおきな影響力を持つようになって、これはこれで、別稿をたてたい、おもしろい勢力をなしている。
よく引き合いにだすpreponeくらいから始まって、インド英語は、例えばイギリス人の英語のなかにも入ってきている。

英語の標準化も顕著で、たとえばニュージーランドの歌手Lordeとカナダの詩人の対談を見ていると、若いふたりとも盛んに「tortally」を連発しているが、もともとのイギリス人の耳には、これはアメリカ英語で、ところが、いつか奇特にも日本に日本語を勉強しに来ている若いケンブリッジ卒の女の人が友人らしい人にツイートしているのを見ていたら、やはり「tortally」で、なんとなく、微笑ましい感じがした。

思考が平準化されるのは、もちろん良いことではない。
オーストラリアやニュージーランドには「Westfield」という巨大ショッピングモール運営会社があって、最近は、マンハッタンにモールを出したり、ロンドンでは、やや高級風な変わり種ショッピングセンターを出したりしている。
こういう大資本には、怪物的な、世界を退屈な場所に変えるパワーがあって、ほら、日本でもイオンがあって、ワタミがあって、という風景があるでしょう?
あれとおなじことで、英語圏の国に行くと、どこにでもThe Body ShopがあってNikeがあるというバカバカしいことになっている。

それと似ていて、アメリカ人の思考があり、イギリス人の思考があったものが、急速に「英語人の思考」に統一されつつある。

一方では、日本社会は、一種の狂気におちいりつつある。
テレビもなく、ラジオもなく、インターネットもない部屋に365日暮らす人を想像してみれば、最も近いが、奇妙なことを信じはじめて、どこにもまったく存在しない世界を現実の世界として妄想しはじめている。

その世界では、アジアのなかではただ一国、日本が舞台のうえでスポットライトを浴びていて、世界じゅうが一挙手一投足に注目して、拍手喝采し、あるいはブーイングを浴びせている。

https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/12/18/mirrorx2/

東京の書店の店先に「世界が憧れる日本」というような本が平積みされているのを見ると傷ましいが、信じがたいことに、それがフォトショップされた画像でもなんでもなくて、現実の光景なんです。

世界に参加できなくなった日本には、なぜそうなったかについて、たくさんの理由がある。
桁ちがいに増えた情報量をこなせなくなった翻訳文化、英語世界と、どんどんどんどん常識が異なってきてしまったことによる、いわば「常識の陳腐化」とでもいうべき現象、そこに「見たくない現実は見ない」日本文明の伝統的な欠陥が加わって、いまの生態隔離に似た日本社会をつくっている。

でもね。
世界の側から勝手なことを述べると、日本のように「英語圏の常識から遠くはずれた国」がないと、いずれ世界自身がたいへん困ることになる。
ちょっと考えてみればわかる。
ビートルートが挟まったハンバーガー(←ニュージーランドの伝統的なハンバーガーです)が食べたいのに、マクドナルドとバーガーキングしかない町では、たいへん困ってしまう。

日本の役割は、英語圏が主導する世界に、異なる思考の角度や、観点、まるで懸け離れた美意識を提供することであるとおもう。
しかし、それが、いまのように素っ頓狂な絵空事では困るので、例えば、フランス語圏くらいの英語圏との交渉、考え方のバランスが持てるといいのではないかとおもいます。

まるで座敷牢のなかで、髪の毛をかきむしって、ぶつぶつ言っているような、いまの日本社会をみると、傷ましい、という言葉のほかに声がでない。

ここに来て、一緒に世界を訪問して、一緒に世界のことを考えませんか?
日本は明らかに他言語人の助けを必要としているが、少しタイムスパンを広げると、世界のほうもまた、日本語人の助けを必要としているのだとおもっています。

きみは檻のなかで、苦しんでいるのだけど、その檻の鍵は、実はあいている。
そこから出て、ここに、みなが立っているところにくればいいのに。

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ver.6 https://leftlane.xyz もあるよ
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3 Responses to 日本語人への手紙

  1. MB Da Kidd says:

    檻から出たいけど、ちゃんと準備をしてから出ないと、外では生きていけない、というのが日本人思考なんでしょう。自分もこれに関してだけは日本人思考どっぷりで、そこから自由じゃないのが悔しいわけですが。

    だけど、その思考を超えていかないと、不自由を強制している面倒臭い人たちから逃れるすべはないんでしょうけど。

    不自由を強制している人たちが”失われた20年”をつくったんですが、平成も終わるし、そろそろこの人たちの呪縛から日本を解き放たなきゃいけない。
    Internet+PCは最初、そのための道具として使われてたんですけど、最近は、その人たちの自己満足のための道具に成り下がってしまいました。2004年ぐらいからですね。
    その人たちが自分たちの非を指摘され、事実を告げられると、逆切れして、ガメさんのように、本当のことを言っちゃう人たちを攻撃する。ニセ外人うんちゃらかんちゃらの件は、彼らがバカすぎて苦笑するしかなかったですが、自分たちが”ニセ(本来の自分はそうではないという妄想)”の生活を送っているから、そういう発想になったのかもしれませんけどね。現実を受け止められないという甘えなんでしょう。

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  2. きゅーた says:

    ガメさん。馴れ馴れしくお名前を呼びかけてしまうことをおゆるしください。
    去年はじめてガメさんのブログに出会ってから、私の人生の大転換がはじまりました。
    ほんとはいままで何度も、そうしようとかんがえて、でもそうできなくて、
    実は、右足を前に出して、そのつぎに左足を出すだけだったんですけど。

    ガメさん、檻の鍵は、ほんとにあいていました。
    もうすぐ、子どもたちと、猫といっしょに、外の世界に出ていきます。
    残していく家族の応援を背に。

    インドの大好きな絵本、それにまつわる展示で出会った言葉で、
    あなたが女神さまをみているとき女神さまもまたあなたをみている
    というのがあるんですが
    私は心のなかでこの言葉をよく反芻します。

    ガメさんのくれたたくさんの優しい言葉も、心のなかに持ちながら。

    優しい言葉をかけてくれて、助けてくれて、ほんとうにありがとう、ガメさん。
    またご報告しても、よいでしょうか?

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  3. kaz184 says:

    おお, やっぱり日本語はガメ節だな. こういう静かな感動は貴重に感じる.

    最近, 怒りを憎悪に変えずにフレッシュなまま持ち続ける言語について考えてたけど, やっぱり日本語人的には難しいのかなと思った. fairとかjusticeは日本語人と英語人では違うものを見てるという感覚が強くなった. 怒りの感情に文章で論理構造を付与して一気に闇を光で照らし上げるという英語人的感覚はたしかに, 日本語人には馴染みがないなーと思う.

    それよりは, そう, 20~30年後に, およ?こんな考え方もありまっせ, って言ってこっそり世界を助けるって方が日本語って感じがするよ. 今は言語能力の正確さより, 広さが足りなくって困ってるって感じなのかな. 論理を分解して再構築できるとか, そういうことだけじゃないみたい.

    例え個人の感情・意思を起点にしていても, 俯瞰と主観とを自由に行き来できる言語構造を使って, 個人の感情・意思を社会の正義に少しずつ洗浄していく過程は, 演繹的・論理的には見えても議論の終点を決めてある酔歩と同じで, 途轍もない徒労感がある.

    それならば, もっと一貫した美意識のようなものを言語に錨のように配置しておいて, そこからずれる毎に違和感を感じる言語のほうがうまくゆくんではないだろうか. 要は, その理屈は美しくない, と言って手っ取り早くかつ一貫性を保って詭弁を棄却できるなら, もっと日本語が楽しくなるんじゃないか.

    どうすっぺな. もう少し他の言語圏に潜ってみようと思ったよ. またね.

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