デーセテーシタレトルオメン

若かった義理叔父とかーちゃんシスターが、紆余曲折の、さんざんすったもんだ、曲がりくねった迷路のような道を歩いて、ついにエッチをするのだと一大決心をして、ふたりで半分ずつだしあって、いまはもうなくなった赤坂プリンスホテルの部屋について、窓の外をみると、素晴らしい東京の夜景がひろがっていて、義理叔父は、

Situated on a hill, this room commands a fine view!

と述べた。
次の瞬間おきたことは、義理叔父にとっては一生わすれられないことで、普段は、荒っぽいようなふりをして、とても礼儀正しいかーちゃんシスターは、大笑いして、息をするのも苦しそうなほど笑い転げた。

「なんで、そんなこと言ったの?」と、わし。
「ギャグですか?」と従兄弟、すなわち義理叔父の息子。

憮然とした顔で、切り出した義理叔父によると、義理叔父の時代には、駿台予備校という主に受験に失敗した高校生の敗者復活戦を支援することを目的とした学校があって、その学校の出版部が「基本英文700選」という丸暗記用のフレーズブックをだしていた。

その257番に、

Situated on a hill, his house commands a fine view.

という例文があって、バカバカしいことに、この700の古代英語文を律儀に全部おぼえていた義理叔父は、「英借文」をして、his houseのところだけをthis roomに替えて、ロマンチックな夜を盛り上げようとしてカッコヨク述べたつもりだったのでした。

次の朝、かーちゃんシスターは、いまではもう滅多に見なくなった人間の背丈ほどもあるバックパックを背負って、成田空港へのシャトルバスに乗り込んでいく。
まだこの時点では、義理叔父は、かーちゃんシスターが実は、イギリスでも有名な上流家庭に生まれて育った人で、家系には綺羅星のように高名な軍人や学者や文人が並んでいることを知らないし、かーちゃんシスターが、このヘンテコリンな日本人をどれほど愛していて、当時のひとが聞いたらびっくりしてしまうような決意を心のうちに秘めてヒースローへ飛ぶ飛行機に乗り込んで行ったことも知りません。

いつかオーストラリアのアデレードに住む帽子デザイナーのミナが、ずいぶん気に入ってくれた小泉八雲と奥さんのセツさんの話を書いたことがある。
長いけど、引用する。

『きみは、いま松江にいるそうで、正直に「うらやましいなあ」と思う。
ぼくは京都の日本海側から松江あたりまでの日本海側にあこがれがあって、柳田国男が生まれた町や、志賀直哉の短編で描かれた町、浜坂という小さな美しい浜辺のある村や、そういう場所をうろうろしてみたことがある。
松江にも行きたかったが、そのときは神戸でひとと待ち合わせをしていたので行けなかった。

ラフカディオ・ハーンという、変わり者で片眼、小男のギリシャ系イギリス人は、たいそうラッキーな奴で、その人生の後半に小泉セツという素晴らしい女びととめぐりあう。
小泉セツが英語をおぼえようとして使った手書きの英単語帳がいまでも残っているが、「アエアンナタハングレ」(I am not hungry)というような言葉を見ると、そのまま、画像を見つめて、その場を動きたくなくなるような気持ちになってしまう。
英語を話さない小泉セツと自分で発明したような風変わりな日本語しか話さなかったラフカディオ・ハーンは、しかし、「ヘルンさん言葉」とふたりで呼んで笑ったという、ふたりのあいだだけの日本語で会話を重ねながら、幸福な結婚生活を送る。

「破られた約束」のようなラフカディオ・ハーンの傑作は、今昔物語や雨月物語からの再話ではなくて、どれも小泉セツが「ヘルンさん語」でラフカディオ・ハーンに語ってきかせた松江の物語だった。
西洋人がいまでも持っている「美しい、神秘の日本」というイメージはハーンがこしらえたもので、そのもとは松江の風景のなかで生きて死んだひとびとの物語だった。

ある日、「自分にもっと学があれば、あなたの書き物の助けになったのに」とセツが述べると、ハーンはセツの手をとって自分の著作が並ぶ本棚の前に行き、
「だれのおかげで生まれましたの本ですか?」と「ヘルンさん語」で語りかけた。
一緒についてきたふたりの息子一雄に向かって、「この本、皆あなたの良きママさんのおかげで生まれましたの本です。なんぼう良きママさん。世界でいちばん良きママさんです」と言った。

ハーンが好きなものは、「西、夕焼、夏、海、遊泳、芭蕉、杉、淋しい墓地、虫、怪談、浦島、蓬莱」であったという。

「(明治)三十七年九月十九日の午後三時頃」、セツに「あなたお悪いのですか」と尋ねられたハーンは「私、新しい病気を得ました」と答える。
「新しい病、どんなですか」
「心の病です」
心の病、とは心臓病という意味です。

死の数日前、ハーンはセツに
「昨夜大層珍しい夢を見ました」
「大層遠い、遠い旅をしました。今ここにこうして煙草をふかしています。旅をしたのが本当ですか、夢の世の中」
「西洋でもない、日本でもない、珍しい所でした」という。

ハーンはそうして、五十四歳で死んでしまうが、きっと死の時にも松江の美しい風景を思い浮かべていたに違いない。

ぼくは松江の小さな家で、セツと肩を並べて、セツが「ヘルンさん語」で語りかける「破られた約束」の物語を、「ママさんの話は、とてもこわい」と述べながら、悪い視力のせいで丈の高い机に顔をくっつけるようにして原稿を書いていったハーンを思い浮かべる。
セツとハーンのまわりを出雲に集まった帰り途の八百万の神さまたちがぐるりと囲んで、小さな外国人と、ぴんと背筋をのばして座る武家の娘が、ふたりで紡ぎ出してゆく美しい物語を、人間には聞こえない声で称賛の嘆息をもらしながら、どきどきしながら聞き入っていただろう。』

断片的に残っているセツさんの発言を拾っていくと、アイルランド人であるハーンは気が付かなかったようだが、セツさんは、自分がどれほど幸福な結婚をしたか、知っていたような気配がある。
セツさんという、このすぐれた知性を持った、士族の娘は、求められるままに極端に目が悪い小男のアイルランド人に松江の、まるで土地に根付いた樹木でできた森林であるかのような数々の物語を話してきかせたが、ハーンという夫が、
「手をとって自分の著作が並ぶ本棚の前に行き、
「だれのおかげで生まれましたの本ですか?」と「ヘルンさん語」で語りかけた。
一緒についてきたふたりの息子一雄に向かって、「この本、皆あなたの良きママさんのおかげで生まれましたの本です。なんぼう良きママさん。世界でいちばん良きママさんです」と述べられる男であることを目を瞠るような気持で、幸福のなかで、眺めていたもののようです』

例えばカリフォルニアに行けばたくさんいる、
母語が異なっていて、お互いにほとんど意思の疎通ができないカップルが昔は嫌だった。

意思の疎通も覚束ないのに結婚して、一緒に住んでいるのが不潔な感じがして、嫌悪感を隠すのに苦労した。

その考えが変わったのは、ラフカディオ・ハーンと、取り分けセツさんのおかげであるとおもう。

松江の小泉八雲記念館には、セツさんがつくったノートが残っている。

カタカナで、

シレーペー と書いて、ひらがなで「ねむたい」と書いてある。
sleepyのことで、耳に聞こえたとおりの発音で、セツが一生懸命書き綴った単語帳は、ぼくに、自分の理解がいかにケーハクだったか教えてくれるのに十分だった。

いまならば言語に熟達するのは、相互理解の半分でしかないと、簡単にわかっている。
わかっている、というよりも「あたりまえではないか」と思う。

逆にある種の「英語が達者な」外国人、例えば日本人への自分の違和感が、うまく説明できるようになった。
きびしい言い方をすると、ある種類の英語が上手な日本人は、英語人を演じているだけで、ひとの英語を聞いているにも、自分がどこかで出会ってカッコイイとおもった英語人であり、話す話し方も内容ですら、その「憧れの英語人」のコピーにしかすぎない。

セツさんは違った。

セツさんは英語人になりたかったわけではなくて、ただ夫のハーンが言うことを理解したかった。
理解して、できれば、自分の意思も伝えて、自分がどれほどハーンを愛しているか、伝えたかっただけに見えます。

人間の言語は、自分が生活する空間にある事物を認識するためにはよく出来ているが、お互い同士の意思を通じあうには、まったく向いていない。
ある人に向かって発した言葉が、ダイレクトに受け止められて、理解される、ということは、観察していればわかるが、起きていない。

なにかを言われると、自分の頭のなかのセツノートのようなフレーズブックを参照して、「ああ、これだ。この人が言っているのはこういうことだ」と同じ意味のことを発見して、聴き取っているだけです。

人間がお互いに深く理解しあえるのは、多分、何年もおなじベッドで眠り、お互いを受け入れあって、他人であるパートナーを理解するという大事業に乗り出すことを固く決意した女や男だけであるとおもう。

言語というオンボロな道具を使って、なんとか判りあおうとする。
いま「道具」と書いたが、前々からなんども述べているように、言語は道具化すれば死んでしまうことになっていて、ところが伝達に用いる言語は、紛うかたなく「道具」で、自分の意識の構築という人間が人間である所以であるものをつくるときに言語が果たす役割とは根底から違ってしまっていて、多分、それが人間は言語による伝達が苦手な理由なのかもしれません。

上の引用で、現実にセツさんが述べたのは「自分がせめて女学校をでていれば、あなたの助けになったのに」ということだった。
ハーンはもともと上流社会の蛮性を知っているひとだったので、なんとも思っていないどころか、くだらない付き合いがなくなっていいと思っていたようだが、セツさんのほうは、有色人と結婚したハーンを敬遠して、日本の外国人上流社会がRSVPと記された招待状をハーンには寄越さなかったことを、自分のせいと気に病んでいたようでした。

いつも自分のせいでハーンが辛い思いをしているのではないかというのがセツさんの気持で、セツさんの書いたものには、端々に、ハーンは自分と結婚したことによって、普通の人生が送れなかったのではないかという気持が滲んでいる。

「わたしにもう少し学があれば」と述べたセツさんにハーンが述べた言葉は、「ヘルンさん語」のカタカナになって残っています。

ユオ、アーラ、デー、セテーシタ、レトル、オメン、エン、デー、ホーラ、ワラーダ。

普通の英語に書き写せば、
You are the sweetest little woman in the whole world.
なんだけど、

ユオ、アーラ、デー、セテーシタ、レトル、オメン、エン、デー、ホーラ、ワラーダ。

なんという美しい英語だろう。

About gamayauber1001

ver.6 https://leftlane.xyz もあるよ
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5 Responses to デーセテーシタレトルオメン

  1. hidegoda says:

    小泉八雲の話は前にも読んだけど、これはとても、なんというか、響く。
    いつもありがとうだけど、今日はとてもありがとう。
    帰らなくては。

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  2. kayochi@air.linkclub.or.jp says:

    私はいま酔っぱらっているので、どこまで自分の考えていることを表現できるかわからないのですが、同じ言語を母語としていてさえ、相互理解にはほど遠い現実に日々がっかりしながら生きているもので、このうつくしいことばには胸を打たれました。
    私は、まだ少女であった頃に、言葉に絶望したけれど、それでもなお言葉によって何かを伝えようと決心したことがあり、その自分の蟷螂の斧のような小さな思いに、セツさんのカタカナは報いてくれるような気がします。
    ありがとう。

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  3. wildsum says:

    いい話です。ありがとうございました。「ユオ、アーラ、デー、セテーシタ、レトル、オメン、エン、デー、ホーラ、ワラーダ。」は日本語を教えている私にとって心に残ることばです。

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  4. akko says:

    心震えるお話。有難うございました。いつも読ませていただいています。人が出会うことも共に過ごすことも、そこでつむぎ出される言葉も奇跡の連続。理解しようして、あるいは伝えようとして夢中で向き合うことが日々どれだけできているか、考えさせられました。

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  5. takejiro says:

    これを読んだ後で「思い出の記」を読みました。
    節子の言外に秘めたハーンへの思いが手に取るように分かって少し泣いてしまいました。
    いつも素敵な文章を書いてくださってありがとうございます。
    僕が正気を保っていられるのは、もしかしたらあなたの文章のおかげかもしれません。

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