雪が降って

「朝、起きたら、一面の雪景色なんだよ」と、そのひとは述べている。
見渡すかぎり、どこまでも真っ白で、見慣れた野原も、道も、家の前の芝生さえ、どこにも見えなくなっている。

そうしているあいだにも雪が降って、少しずつ積もっていって、ぼくはドアを開けて、泣きそうになる。

目を泣きはらして、スコップがどこかにあったはずだと考えて、ガレージを探し、ウオッシュハウスを探して、やっと見つけ出して、もうきっと今日は、なにもできないな。
とにかく、この雪をすべてどけてしまわなければ、と考える。

ぼくにとっては、鬱病は、そういうものなのさ、と言う。

掘ってみるまで、雪が10センチつもっているのか、膝まであるのか、あるいは腰までもあって、踏み出した途端に身動きもできなくなるのか、それすら判らない。

身体中から力が奪われて、もうなにもしたくない、ベッドのなかで、一日中、泣いていたいとおもうが、そういうわけにもいかないでしょう?

仕事にでかけるのは、もう無理だけれども、とにかく、がんばって、起きて、
この雪を全部どけてしまわなければ。

「でも、雪は、そうしているあいだにも、どんどん降ってくるんだよ!」

そのひとは、そう少し力をこめて、テーブルをこぶしでたたきそうにした。
でも、すぐに握りしめたこぶしをひらいて、じっと見つめている。
とても、気持がやさしいひとだからね。
きっと、そうするだろうと、おもっていました。

HURRY UP PLEASE ITS TIME

ノックのおおきな音とともに、 どんな人間でも浮き足だつような声で、現代社会の「時」は、きみを急かす。

時間です。お早くお願いします。

人間の生命は、ちっとも美しくない。
よく言って滑稽、わるく言えば醜悪。
入れ歯の費用を工面したり、老眼鏡を買いそろえたり、体面にしたがって、家を塗り替えたり、クルマが運転できるうちに最後のクルマになるはずのクルマにレンジローバーを奮発したり、そんなつもりはないのに、人間は、そういう老後の準備のために働いて一生を終わる。

「死亡欄にも載らない一生」という表現があるが、つつましく、精一杯生きて、ただ義理だけで集まった職場の仲間が集まる葬儀で、誰でもなかったひとのように葬られて、3カ月もすれば、きみが存在していたことさえ誰もが忘れてしまう。

人間の一生は残酷で、どんなに頑張ってみても無価値で、生きているときこそ、ちやほやされて、尊敬のまなざしでみる若いひとびとが周りにいて、運がよければ、きみの妻も子供も、あたたかい、感謝の気持ちがこもった光をたたえた目で、きみを見ていることがある。

でも、だから、どうだというのか?

きみが小説家であるとする。
賞をとって、他の文学コミュニティの人間に称賛されたり、けなされたり、時には救いがないと嘲笑されて、それでも書き続けていれば、読者が出来て、ここはいい、あなたの物語が好きです、この登場人物の、この言葉に救われました。
きみの目を楽しませて、それを励みにして、また次の物語にとりかかる。
案外とおおきな名前になって、自分でも少し驚いて、そんなに悪い人生ではなかった、と思い始める。

例として小説家を挙げたが、自分の足跡を生乾きのコンクリートの上に残すような職業ならば、何でも同じだろう。

でも、死んでみたまえ、というのはヘンテコな言い方だが、
死んでしまって、出来るなら、3年たって、地上に戻ってみたまえ、
誰もきみのことなんか、おぼえていないから。

いつかオークランド大学の近くのシェルターを通ったら、まるで晒し者のようにして、無料レーションに行列しているホームレスのひとびとが舗道に延々と列をなしていた。
垢だらけの服や、べったりと汚れた金髪よりも、誰の目にも映って、おおきく印象されるのは、あのひとたちの、「自分は誰にも必要とされていないのさ」と訴えかけるような目だった。

誰にも必要とされない人間の、どこで果てるともしれない長い行列。

でも、あれは、単なる人間の人生の具象化、視覚化にしかすぎないのではないか。
取り替え可能の部品じみている、きみの一生に、誰が興味をもつというのか。

鬱病は、もしかしたら、人間に残った、ゆいいつのこの世界への、正常な反応なのではないか。

言い方を変えれば、きみやぼくに、ほんとうに生きていく価値などあるのか。
そもそも、やってみる価値があるのか。

健康な人間が、おなじく健康な人間にとってさえ、ただの鈍感な愚か者に見えるのは、それが人間の実相だからなのではないか。

うつ病を雪原に例えたその人は、運良く生還して、
「あの雪は、とても静かにふりつもった雪は、美しくて、ただただ見ているぼくを死にたいような気持にさせて、現実にしか見えなかったが、ほんとうは、うつ病がなおってみると、美しさも、恐ろしさも幻影にしかすぎなかったんだよね」と述べていたが、恐ろしい疑問がひとつあって、はてしなく続く雪原こそが現実の世界の姿で、ときに花がさきみだれ、樹木が育ち、昆虫や動物たちが闊歩する世界のほうが、人間の、この世界を価値あるみなそうとする強い気持ちによる幻想なのではないか。

うつ病の人間が苦しみのなかで見ている世界こそが、世界の正しい姿なのではないだろうか?

HURRY UP PLEASE ITS TIME

という言葉を詩人が選んだのは、実は、それが売春宿の主人が客をせかす、決まり文句だったからでした。
この世界の卑小さと滑稽さ、死に向かってせかされてゆく人間たちの姿を、これほどうまく象徴した言語の使い方はない。

われわれは急かされて、十分な時間もないままに押し出され、まるでドアを出ながらシャツをズボンにたくしこんで、ジッパーをしめる男の品のなさで、誰も訪れることもない石板の下に急ぐ。

こんなはずではなかった、と考える。

人間の人生はいったい、なんのためにあるのか?
これは、なにか。
話が違うではないか。

Goodnight Bill. Goodnight Lou. Goodnight May. Goodnight.
Ta ta. Goodnight. Goodnight.

でも、ひとつだけ、聞きたいことがある。
いったい、神は、悪意以外もっていないのか?
善意の、どんな小さなかけらでもいいから、見せてくれないのは、なぜか。

そう考えながら例外なく不本意な死を死んでいく健康な人間よりも、あんがい、うつ病の人のほうが、世界を正しく見ているのかもしれません。

一面の雪景色に、ただ見とれて、そのまま、まどろんで、安らかに息をひきとるように。
風に溺れるひとのように。
苦しみのおわりに。

静かに。

(英詩は、すべて、T. S. EliotのThe Waste Landからの引用です)

About gamayauber1001

ver.6 https://leftlane.xyz もあるよ
This entry was posted in Uncategorized. Bookmark the permalink.

2 Responses to 雪が降って

  1. キラキラ大島 says:

    最初に公開された時にコメント書こうと思って。でも考えてるうちに消えてたので、ああ、書くべきではなかったのかなと思い、数日。だから書こうとしてた内容をあらかた忘れてしまったし意欲も失われたので、要点だけ。

    鬱の人に元気を出そうよ、生きてるだけで素晴らしいんだよと説得することの難しさは、新興宗教に帰依した人にそれ辞めろと言うことと似ていると思う。帰依してない側から見ればおかしな宗教だが、帰依した側から見れば、帰依してない人たちがとんでもない救われない人々なのであって、だから折伏とかなんとかいう理屈で逆にこちらを勧誘してくる。帰依する思い込みが強ければ強いほど勧誘も強引で。だってそりゃそうでしょう。死にたいと口にする鬱の友人に死ぬのやめろと言う自分の熱意と基本の構図は同じなのだから。

    加筆修正が施されたということなので、もしかするとこのコメント適切ではないものかもしれませんがご容赦の程を。だって、きちんと読んでコメントの整合性や適切性を考慮してから書こうとしたらまた記事自体が消えてしまっているのではないかという不安が拭いきれないものですから……。

    Like

  2. takao says:

    ああすごい夕日。こういうのを凄まじいっていうのかな。

    Like

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out /  Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out /  Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out /  Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out /  Change )

Connecting to %s