Monthly Archives: July 2018

太陽が昇るとき 3

上手に焼けたパンケーキが皿に山積みになっていて、オーブンでカリカリに焼いたベーコンがその上に載っている。 フライにしたバナナや、ブルーベリーが脇にあって、バターを薄く切って、パンケーキとパンケーキのあいだに、溶けたときの分布を考えて慎重に配置する。 仕上げにはカナダ産のシロップをベーコンやパンケーキの上から、大々的にかけて、舌なめずりをする。 家の料理の人は、慣れたもので、この家の人間はラテを飲んでいたかとおもうと突然アルグレイを飲みたくなったり、わがままなことを言い出すのが判っているので、初めから、コージーをかぶせたでっかいティーポットもテーブルの上に載っている。 このあいだ、きみが、「人間の幸福とはなにか?」と書いて寄越したときに、考えていたのは、要するにそんなことでした。 いまの欧州の混乱が、1914年に文明が消滅したことの直截の結果なのだ、というきみの意見は、おそらく正しい。 百年を経て、そのあいだ、ひらたく述べればジタバタして、結局、どうにもこうにも文明の維持をする見通しが立たなくなったのがいまの世界なのでしょう。 子供が欲しいとおもった瞬間に、思い詰めた顔で、ガメ、オーストラリアとニュージーランドに本拠がつくれないか、と述べたモニは、いつものことで、とても勘がよかったのだとおもう。 文明の相克、ということを考える。 このあいだ、こういうことがあった。 日本語のツイッタで、最近、ようやく東京大学とハーバード大学なら、ハーバードのほうが良いに決まっている、というようなことを言い出した日本の母親たちが、例の、ハーバードのアジア人に不利な点数の傾斜を不公平だ、と述べて怒っているの。 これほど明らかな人種差別をハーバード大学のような一流の大学がやっていいのだろうか。 とうてい、わたしたちには許すことが出来ない。 マサチューセッツのケンブリッジのような町にも、ちゃんと白人至上主義者文化は育っていて、もう何年も前から、fraternitiesやsororitiesの残党のようにして集まった学生たちが、 「われわれが苦労して築き上げた教育システムを盗みに来るアジア人たち」というような意見を述べている。 アジア人は、ネズミのように勉強して、ただガリ勉で、人間的にはまったく何も学ぶことなしに点数を上げにかかっているだけではないか。 あんなものが知性と呼べるのか。 教え込まれた芸を正確に再現できるだけの猿ではないか。 われわれはアジア人の盗癖、虚言癖、要領の良さ、薄っぺらい知性を到底ゆるすことはできない。 ぶきー。 きみとぼくと、あのときボストンにいて、おもしろがって会場にでかけて、ペールエールをなめながら、これは、あれだな、この、ものすごく偏狭でケチくさい文化は、どうしたってアングロサクソン文化で、なるほどここには我々の伝統が純粋に生き残っているわけだな、と大声で笑ったら、なんだかデイビッド・ボウイに似た顔のリーダー格に、すごい顔でにらまれたのだった。 人間は、どうして、こうバカなのか、ときみがため息をついていたのを思い出す。 あれはブッシュが湾岸戦争で勝利宣言をだして、イラクの占領政策は日本方式でいく、あの日本人たちでさえ平和主義になるほどうまくいく政策なのだから、うまくいかないわけがない、と述べたときのことだから、相当むかしのことだね。 ぼくはきみの向かいの席に座っていて、薄いガラス板を二枚貼り合わせて、そのせまい空間で営巣した蟻たちが、自分たちの生活のなにもかもを見せてしまうようにして、華氏100度の夏、どの部屋にも冷房なんかないニューヨークの売春宿で、窓を開けっぱなしにして、営業に勤しんでいる勤勉な売春婦達の絵を描いていた。 あれ、きみは気に入ってくれて、オカネを払ってもいいから是非自分に売ってくれ、実家の礼拝室に飾るからと言っていたけど、家に持ち帰って、絵の中のビルの、というのはつまりbrothelの、建物の屋上に腰掛けて、売春婦たちと客たちを祝福する、キャリコドレスの天使達を描き足して、そのまましまいこんでしまったのだった。 いつかモニが掃除の途中で見つけて、この4階の男と女はクリントンとモニカルウィンスキーに似ている、と述べておもしろがっていた。 そのほかには、この壊れた世界を説明するには、どんな象徴があるだろうか。 きみがよく知っている通り、ぼくの叔母の旦那は日本人で、まったく洋化した人格の部分と、日本人のままの部分の、融合しきれなかったアマルガムのような人だが、一緒に中西部を旅していたら、ある日、 「ガメと一緒にでかけると、怖いからいやだ」と冗談めかして述べたことがあった。 冗談めかしてはいるけれども、眼が案外と真剣だったので、どうかしたの?と聞き直してみたら、 「だって、ガメ、きみは気が付かないのかい? どこの国でも、きみが好んでいくところは、色がついた人はひとりもいなくて、白い人ばっかりじゃないか。 ニュージーランドやイギリスでは、それでも、まだいいけど、テキサスなんかで、きみの趣味を発揮されると、おれは撃ち殺されて死ぬかもしれない」と言う。 なにをおおげさな、と思って笑ってしまったが、その話をあとでモニにしたら、 こともなげに「うん。ガメは土地や店への趣味がレッドネックなところがあるとおもう」と楽しそうに言われたので衝撃をうけてしまった。 そのときは、Criminal Mindsで捜査官たちが使っているのとそっくりのGMのSUVで、ダラスの郊外にある有名なBBQの店に行った。 いつもは、そんなことを考えないんだけど、ドアを開けて、テーブルに案内されて、広い店内を見渡すと、なるほど白い人ばかりで、 かーちゃんシスターとモニとわしと、やっぱり白くて、義理叔父はただひとりのアジア人で、なるほど、今度からは考えたほうがいいのかと、そんなふうにしか考えられなくなっていた。 でも、もっと、ものすごいことが起きたのは、そのあとなんだよ。 … Continue reading

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流れおちる光

Lewis Passから折れて、森のなかに入って、河原を掘ると、やがて温泉がわきでてくる。 馬をやすませて、素っ裸になって、ビールを片手にあつーいお湯に身体を埋めて、 ひゅああああーと、おやじみたいな長い吐息をもらして、冬の夜空をみあげると、月のない夜空を、まっぷたつに切り裂いて、天の川が煙るように横切っている。 満天の空には、そのひとつひとつが恒星系で、ひとつひとつが銀河の、無数の星が、まるで宇宙から地上に落ちてくる光の瀑布のように輝いている。 子供のときは、かーちゃんやとーちゃんに連れられて、出かける、トランピングの途中で、テントを張って、このニュージーランドの夜空をみて、泣きたいような気持になったものだった。 誰にも説明できないが、人間は宇宙がまっすぐに自分の存在を包み込むような自然の圧倒的な美しさを目撃すると泣きたくなるもののよーでした。 ヨットで、360度の、どこを見回しても、もう陸地が見えなくなって、見渡す限り水平線で、真っ暗な海にひとりぼっちで、ただ空の星だけが輝いている漆黒の夜も、やっぱり人間を泣かせる。 その不思議な感情の衝動を、いまでも、説明することは出来ないのだけど。 ひどい言い方をすると、人間の文明なんて、瘡蓋のようなものなんだよ。 空を摩すマンハッタンの高層ビルも、まるで掠奪したエジプトやインドの石の堆積のようなロンドンの街も、人間がつくったものは、卑小で、どこかしら、根源的な価値に欠けたところがある。 実家にもどって、Seven Dialsに新しくできたチーズ屋に行ったら、上等なチェダーがあって、試食したらすっかり気に入ったので、買って帰る。 St James’sの高級ワイン屋が、つぶれて、年代もののワインの投げ売りを始めて、家宰さんと一緒に出かけて、お下品な買い占めをする。 建物だけではなくて、人間の行動も、貨幣経済に基づいてしまえば、やはり瘡蓋みたいなものになっているのだとしか、いいようがない。 舞台の上に立って、スポットライトがあたっているClownが、突然、道化るのをやめて、こぶしを振り上げて、なにごとかを訴えている。 ところが、小さな劇場であるのに、彼がどれほど声を張り上げても、観客席には、なにも聞こえない。 涙ぐんで、彼の一生を賭けて、声を涸らして叫んでいるのに、なにも聞こえてはこない。 それは、なぜか? ある人は、天幕がそもそも幻影だったのだという。 ほかのある人は道化師が、ほんとうは存在しなかったのだというだろう。 気が利いた人があれば、ああ、それは、神が介在しないので、いわば大気が存在していなくて、だから声が伝播できなかったのですね、と述べて、自分の仮説にすっかり満足して、微笑をひとつ残して、立ち去るだろう。 でも、それは、ほんとうではない。 そんなことが、ほんとうではありえない。 ほんとうであっては、人間は生きていけるものではない。 十九歳の夏だったか。 ぼくはマンハッタンのHoustonの通りを歩いていた。 知ってるかい? あれは、ヒューストンでなくてハウストンて読むんだよ。 なんだか、いつかも書いたことがあるような気がする。 ニューヨークに20年住んでいるという人が、書いた日本語の記事に「ヒューストン」と書いてあったので、20年住んでいることのほうは嘘のわけはなくて、そのひとのマンハッタンでの20年の寂寥をおもって、印象に残ってしまったからだとおもう。 夏で、「飲み放題」のサングリアを飲んで、すっかり酔っ払ってしまったような、あれはなにしろアルコール分が少ない酒なので、飲むそばからさめてしまっているような、ヘンな気持になっていたら、UKでは有名な大スターの人がテーブルの向こうに座って、「ガメ!ガメではないか。どうして、ここにいるの?」 という。 いや、ぼくはここにいるはずはないんですけど。 シカゴにいて、シアーズタワーを見上げていて、あんまりビルに近いところに立ってみあげたものだから、後ろに倒れそうになって、おまけに気分が悪くなってしまったんです。 ロンドンもニューヨークも、ぼくには好きになれないな。 だいいち、あなたがたは、なんだって、あんなに(と述べて、もちろん通りを指さして)広い通りを渡るのに、信号を待って、愛している人と目と目で見交わして、手もつないで通りを渡るのに、向こう側に着く前に、恋人も、自分も、固くつなぎあった手さえ、消えてしまわないと思えるのだろう? バカげているとおもいませんか? 自分が存在している時間の流れというものが流体の、連続体であるという考えには、ぼくはまったく同意できません。 … Continue reading

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世界を救いにきたマヌケ

ゲートを出ると、近所のおっちゃんが通りかかるところだった。 近所のおっちゃん、ではあるけれども、オーストラリアやニュージーランドでは、わりかし有名なバンカーです。 ビール友達だけどね。 パブで、立ち飲みのテーブルをはさんで、日本の新橋サラリーマンというか、政治や経済の話をする。 今日は、休みなんだよ、わたしは、と述べてから、ちょうどいいや、いつもヒマな青年よ、一緒にオイスターバーに行かないかね、という。 「あそこは不味いっちゅう評判ではないですか」と述べると、 「そう、それでクビがまわらなくなって、もうすぐ潰れるらしい。 そうすると牡蠣が食べられなくなるから、いまのうちに食べておこうとおもって、散歩のついでに牡蠣とビールの天ぷら、間違えた、ビールと牡蠣の天ぷらを食べに行こうというアイデアなんだけどね」 と妙な理屈を述べて勧誘されたので、一緒にバーへ行くことになった。 17番地のひとたち、といまでも語り草になっているそうでした。 おっちゃんが住んでいる通りには、大邸宅と言うべき家が並んでいるが、そのうちのひとつの持ち主が、夫が入院したら、24歳年下の愛人が出来て、アメリカにしばらく住むことになって、家が空くことになってしまった。 貸しに出したが、なにしろ、家賃が高いので借り手がつかない。 管理会社が「グループオブピープル」に貸せば良いのではないかと提案したときに、もう少しちゃんと考えるべきだったとおもうが、おばちゃんは、なにしろ、若い恋人と一刻も早く新生活を始めたかったのでしょう、たいして考えもしないで、アドバイスの通りにすればよいと思ったようでした。 記録のために実名を記しておくと、このチョーとんでもない提案をした会社はCrockersという、ニュージーランド最大、ということになっている貸家管理会社です。 手をあげて入ってきたのは、契約書上は5人だが、実際には26人という人数の若い人達だった。 プールもあれば、テニスコートもある家なので、パーティをして遊びほうけるにはもってこいだと考えたのでしょう。 そのあとに起きたことは語り草で、毎週末どころではなくて毎晩、パーティパーティパーティ!で、パーティの騒音には寛容なニュージーランド人にとってさえ忍耐の限度を超える大騒音の毎日になっていった。 「P」、という。 Methamphetamineのことで、日本語でいえば「シャブ」だろうか。 どうやら「Pパーティ」を毎晩開いていたようで、近所の人の話では、どうやら、そもそも借主の胴元が、表向きはクルマの会社の役員だが、裏では麻薬販売の幹部だったのではないかという。 「いやあ、あのときは参った」と銀行家おじちゃんが、ブラフ・オイスターを食べながら飲む白ワインでだいぶん酔っ払って述べている。 近所で寄るとさわると、いったい、どういう考えで大騒ぎをするのだとか、今日は珍しく静かだったのは、さすがに近所の手前反省したんだな、とか、推測して話すのだが、ことごとく外れで、いったいなにを考えているのか、ちっとも判らなかった。 次になにが起きるか、弁護士のPや、医師のC、議員のK、みんなで推測してもあたったことがない。 ニュージーランド人のコミュニティは、滑稽なくらい、「事を荒立てない」ことを好むが、さすがにこれではどうにもならないということになって、近所会議を召集して、ああでもない、こうでもない、あんた、新聞になんか書いてもらってしまったら自分の家を売りたい人の価格に影響してしまう。 そのうちに、若い建築家のRが立ち上がって、ようがす、わたしが友達の事務弁護士に法的なレターを書かせます、ということになって、結局、この提案は良いアイデアで、家の借主になんらかの疚しいことがあったのでしょう、レターが届くと、すぐに引っ越していってしまった。 「トランプのことを考えると、おれは、いつもあの17番地のひとびとのことを思い出すんだがね」と、よっぽど気に入ったのか二皿目のブラフオイスターの天ぷらを頬張りながら銀行家が述べている。 結局、バカの考えることは、いくら知恵をしぼって推測しても判らないのではないか。 「世界を救いに来たマヌケ」という大論文をフォーラムに寄稿した。 うまくアメリカ大統領になりおおせたドナルド・トランプについての記事です。 誰がいくら知恵をしぼっても、この、ジャクソン以来と言っていいほど知力が際立って低い大統領の行動が予測できないのは、多分、なんだか冗談みたいでも、トランプ自身が「なにも考えていない」からでしょう。 話を聞いていても、どうやらトランプという人は5分以上のブリーフィングは頭が受け付けないらしい。 マジメな顔をして「おまえたちのデータより、おれの勘のほうが信頼できる」と述べるのだそうでした。 やっていることは滅茶苦茶と言うしかなくて、前に、アメリカ人の友達が、「トランプは結局再選されて8年やるだろう」と述べてから、ちょっと沈黙したあとに 「8年後も、この世界があればね」と付け加えたのをおぼえている。 ところが。 ところーが。 信頼しているチャイナウォッチャーによれば、平静を装っている表面とは異なって、中国は、いったんは買収に成功したはずの、買収に成功したと思われたトランプが、突然貿易戦争を挑んできたことに狼狽している。 抜群の眼力をもったチャイナウォッチャーである彼女の意見では、「このまま貿易戦争が勃発して続けば中国経済は崩壊する」という。 オーストラリアとニュージーランドでは、Clive HamiltonのSilent … Continue reading

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夜について

モニが眠ってしまったあと、グラシアの、オンボロアパートの広いテラスに出て、遠くに見えるサグラダファミリアを、ぼんやり眺めていた夜のことを思い出していた。 まだ教会は出来上がっていなくて、工期の終わりで、4本の背の高いクレーンが伽藍を取り巻いていた頃のことです。 ふと、「いまが自分の一生の最もよいときなのではないか」という考えが浮かんで、そうか、一生って、もしかしたら、そんなものなのだな、と妙に納得したのをおぼえている。 あのあと、小さいひとびとが生まれて、仕事は奇妙なほどうまくいきはじめて、多分、ふり返れば、英語圏の、例えばオーストラリアならば今年で26年目になるバブル市場に支えられて、パイプラインとうまく平仄があってしまったサーファーのようなものだった、ということになるのだとおもうが、円に換算すれば、初めは数億円という金額を余剰として残すのがやっとだった自分の、いかにもアマチュアじみた経済が、おおきくなって、今度は税金を向こうのルールにしたがって、あちこちの国で、ちゃんと払えているか、仕事に協力してくれているひとたちに十分な支払いができているか、国際会計に滅法強い、BK https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/12/02/bk/ の助けがなければ到底のりきれないようなことになっていった。 余計なことをいうと、税金を考えなければならなくなったと述べると、なにかずるいことをしているのかとおもう人もいるようだが、そうではなくて、税金は、どんなにきちんと払おうとおもっても、解釈の問題に落ち着いて、支払うほうと受け取るほうと、双方が納得するガイドラインで会計処理をしても、なお、解釈によって5年というような期間を遡って税金を、追徴とともに払わなければならないことがありうる。 それではゲームではないか、という人がいたが、そのとおりで、 ここでも、そのゲームを、悪意とともに、というのはつまりループホールを探すようにしてプレイするか、良い人間であろうとしてプレイするかの違いがある。 友達でひとり脱税で捕まったように報道された人がいたが、表の顔は慈善家で、裏では脱税をしていたように報じられた、そのひとは、傷ましいくらい善良な人で、真実は彼の美しい奥さんに理屈にあわない恋心をいだいた歳入局の役人が、指揮して、彼を陥れようとしただけのことだった。 生活は一本調子で上り詰めていくが、感情は別で、そんなことを、木に触らずに述べると神様に怒られてしまうが、なにもかもがうまくいっていても、「そんなものか」という気持がおおきくなって、自分の心と感情の全体を覆ってしまう。 こういうときには恋をすればいちばん良いという人がいるが、最も肝腎なモニが悲しい思いをするに決まっているので、選択肢になるわけもない。 日本語のブログでも、ときどき勘違いをしている人がいて、「あなたは親の財産で食えているからいいでしょうけど」と言ってくる人がいるが、それは読み間違っているので、初めの数億円の塊も、自分のアイデアでつくった。 その経緯はマーク・トゥウエインの小説に出てきそうな成り行きで、ここで書いてみるほどバカなことはないが、もともとは、「おまえはオカネのことはバカなのだから」という憐憫で、不思議な理由で政府が払ってくれるオカネに加えて、というよりもその数層倍を、家族のトラストから年金として支払ってくれるという親族の申し出を断って、若いときには、ラスベガスに数ヶ月滞在して賭博によって食べていこうとして、赤い砂漠の岩の上で死にかけたり、妹からオカネを借りて、投機によって盤若の冨を築こうとして、失敗して、やけになってメキシコにくだって、 なにしろオカネの算段というものが頭から欠けた若者で、一文無しになって、メキシコのような国の人は陽気で親切でも、ビンボな人間には「黙って死ね」というところがあるので、妹が兄の消息がないのに気が付いて、飼い猫がいなくなった飼い主のようなものだというか、方々に手をつくして、国道で暑熱のなかで倒れていたりして、クラゲの干物のようになって暮らしている兄を発見して、母国に連れて帰ったりしていた。 物質面にしぼっても、人間の一生の楽しみはドビンボから始めて、いろいろやってみて、地面にたたきつけられる大失敗をしたりしながら、なんとか立ち上がりなおして、へろへろと、知恵をしぼって、だんだんに冨をつみあげてゆく、その過程が最も楽しいので、友達には結婚のお祝いに邸宅と呼んだ方がよい家を買ってもらって、スターターとして数億円の現金も親から譲られる人がおおいが、しかしそれでは、最も肝腎なところがスキップされてしまって、人生の楽しみの肝腎かなめが台無しになってしまう。 わかっている。 何度も言うように、地獄を通行したことはない。 神様がつれてきたようなモニ https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/01/10/san-francisco/ と結婚したが、モニとヴィレッジのオンボロアパートで暮らし始めたといっても、それはモニがパークアベニューの、玄関を入ると自然と目が天井に向かうような、高い吹き抜けになっている、NYC人の標準に照らしても、気が遠くなるほど壮麗なアパートに帰らなくなったというだけのことで、なにしろモニが好きになったヘンテコな男(←わしのことね)が、「定食屋の食べ物がいちばんおいしい」という考えに取り憑かれてしまっているので、このブログには何度も出てくるLa Taza de Oroを始め、ニューヨークでも、パリでも、東京でも、路地の、うらぶれた料理屋に連れていかれるという新鮮な体験を繰り返すことになったが、モニも、稀代のバカ男を捨ててしまえば、いつでも富貴に支えられた生活に戻ることができた。 それでも、擬似的であっても、ビンボから始めて、日本という異国に移りまでして、モニにとっても自分にとっても、初めての、お手伝いさんがひとりしかいない生活をしたりして、自分達の手で、ままごとのように、生活をつくってきたという実感がある。 オークランドでも、パーネルに買っていた家では手狭になるのがわかっていたので、自分たちで、モニは、運転はわたしがしたいと述べて、二万キロ(!)も走り回って、いまの家を探して、手数料泥棒のような不動産屋の話を我慢して聴いて、自分たちの手で選んだ事務弁護士をたてて、新婚生活の家を買って、いまのところまでやってきた。 こんなことをいうと、腹を抱えて笑う人がいっぱいいそうだが、モニとわしは、ただ他のことを考えずに夫婦で愛しあっていたいというだけで、それ以外のことは考えなくて済む生活をめざして、つくってきた。 モニと、よく話すが、しかしそれがすべて達成されてしまうと、スリルと言えばいいのか、毎日の生活の空気に、切実さがなくなってしまう。 幸福な人間は、つねに不幸である、というが、それは本当で、人間は幸福には倦むように出来ている。 モニとふたりで慈善事業を興したり、もうオカネはこれ以上あっても仕方がないのだけど、世界を認識する方法のひとつとして株の売買を初めて、毎日午後になると「学習会」と称して、キッチンのテーブルに資料を広げて、いくつかの企業の業績やCEOの言動を調べたり、家の三相電源に、でっかいキルンをつないで、ふたりで、きゃあきゃあ言いながらキリンや馬の陶器や磁器をつくってみたり、 ひとりずつの時間をつくって、モニは絵を描いて、わしは外国語の読書や書き物や数学に没頭したり、そんなことばかりしているのは、もう登り詰める山がないことをお互いによく知っているからかもしれないと考えて、寂しくなることがあります。 モニに会えてよかった、と考える第一の理由は、モニが自分の生活の実質で、自分の生活のうち、ここだけは常に輝いているからで、モニ自身と、ひきあわせてくれた神様に感謝しないわけにはいかない。 ただ浜辺に遊びに行くだけのことでも、モニは小さな人々とわしに向かって、形のいい唇に、ひとさし指を立てて、「シィィィー」という。 小さい人達と訝しがってみていると、 「ほら、聴こえるでしょう?」 と言う。 ハウラキガルフは、潜ってみると、帆立貝がカーペットを敷いたように群棲しているが、その貝殻が壊れて、小さな破片になって、波打ち際に寄せて、不思議な楽器になって、旋律を奏でている。 耳を澄ますと、ほんとうに、音楽で、それも絶対に音楽の神様が自分で作曲したとしかおもわれない美しいチューンです。 その話をしたら、ニュージーランド人の友達は「いったい、どっちがキィウィなんだ?」と大笑いしていたが、その通りで、半分はまだ気分がUK人でやさぐれている自称キィウィの夫より、ついこのあいだニュージーランドのパスポートを手にしたばかり https://gamayauber1001.wordpress.com/2016/05/18/2passports/Continue reading

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戦う日本人への手紙

自分の心のなかに知的な意味において騒擾をうみだせない人間は進歩しない。 きみがつくりあげた均整のとれた住み心地のよい小さな家は、残念なことに、きみを日々愚かにする。 すべてが、ひとつの運動から派生した極めておおくの法則に従って、というのはつまり、多様な軌跡を描きながら、絶え間なく運動しているという宇宙の姿が明らかになってみると、なぜスタティックであることが背徳であるのか説明がつくようになってしまった。 どういうことですか? きみが立ち止まっていられるとおもっているのは、ただの思い込みで、事物の静止は幻覚でしかない。 静止しているつもりのきみの心の平静は、実は、すさまじい速度で運動している。 ただし、きみが運動に意志的な変更を加えないかぎり、運動は他律的なものにしかすぎなくて、簡単にいえばきみは「なにかにふりまわされている」状態にある。 前にわが友オダキンに説明するためにもちだした例を再びつかうことにすれば、 ユークリッドは、実際に、彼の幾何学によって世界を語り終えたつもりだった。 ドストエフスキーが「カラマーゾフの兄弟」に託した夢は、 Если Бога нет, всё позволено (神がいなければ、すべては許される) だったが、われわれの世界から、主にわれわれが使う言語の構造のせいで、神は結局たちさってはくれなかった。 ユークリッドはまさか自分が語り終えた幾何的な世界が、ただひとつのものではなくて、いくつも、存在しうるものだとは思わなかっただろう。 ところが現実の世界のありようは、古代ギリシャ人の審美的な知性にとっては最もありえなかったはずのもので、互いに相反さえする宇宙が、うじゃうじゃと、と形容したくなるような無秩序なありかたで、混在していることを、きみもぼくも、よく知っている。 Frankly speaking, most of Japanese could not understand what you are saying, because they have not experienced several levels of the … Continue reading

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