戦う日本人への手紙

自分の心のなかに知的な意味において騒擾をうみだせない人間は進歩しない。
きみがつくりあげた均整のとれた住み心地のよい小さな家は、残念なことに、きみを日々愚かにする。
すべてが、ひとつの運動から派生した極めておおくの法則に従って、というのはつまり、多様な軌跡を描きながら、絶え間なく運動しているという宇宙の姿が明らかになってみると、なぜスタティックであることが背徳であるのか説明がつくようになってしまった。

どういうことですか?

きみが立ち止まっていられるとおもっているのは、ただの思い込みで、事物の静止は幻覚でしかない。
静止しているつもりのきみの心の平静は、実は、すさまじい速度で運動している。
ただし、きみが運動に意志的な変更を加えないかぎり、運動は他律的なものにしかすぎなくて、簡単にいえばきみは「なにかにふりまわされている」状態にある。

前にわが友オダキンに説明するためにもちだした例を再びつかうことにすれば、
ユークリッドは、実際に、彼の幾何学によって世界を語り終えたつもりだった。

ドストエフスキーが「カラマーゾフの兄弟」に託した夢は、

Если Бога нет, всё позволено
(神がいなければ、すべては許される)

だったが、われわれの世界から、主にわれわれが使う言語の構造のせいで、神は結局たちさってはくれなかった。

ユークリッドはまさか自分が語り終えた幾何的な世界が、ただひとつのものではなくて、いくつも、存在しうるものだとは思わなかっただろう。

ところが現実の世界のありようは、古代ギリシャ人の審美的な知性にとっては最もありえなかったはずのもので、互いに相反さえする宇宙が、うじゃうじゃと、と形容したくなるような無秩序なありかたで、混在していることを、きみもぼくも、よく知っている。

Frankly speaking, most of Japanese could not understand what you are saying, because they have not experienced several levels of the life and they would not experience them for the whole life. But, after the total degradation of my life, I struggle to live again and I try to realize the true meaning of the life. Your philosophy, knowledge and experience have helped me a lot, and I would like to discuss or, at least, hear what you are thinking. I am also disgusted with Japanese people since long time but there would be a few people, whom it is worth while for you talking with, I hope….

ときみからの手紙には書いてあります。

能楽についてSNSで、ひとりごとにしか過ぎないようなことを述べていたら、大好きな「井筒」が頭のなかでなりだして、急に2018年における現代日本語になど少しも愛情を感じていないことに気が付いて、狼狽して、日本語でものを考えている時間は、ただの時間の浪費ではないかという、切実な、突き上げるような気持ちが起こってきて、
やはり、もう日本語は止すべきではないかとおもわず書いてしまったら、
いくつかのDMと、たくさんのemailと、すごい数のブログ記事へのコメントが来ました。

Twitterのほうはいつものことで、落ち着いてものを考える習慣がないひとたちが、あからさまであったり、自分では工夫して少しは知的にみえる諧謔にしたつもりのものや、冷笑の仕方にまで頭のわるさがにじみでた、たくさんの中傷がでまわっていたが、こっちは、日本語という目下断末魔の苦しみのなかで、全体が死語の体系になりつつある言語の、ますます症状が悪化している持病みたいなもので、自分にとっては上達したつもりでも外国語であることを悪用して、ろくすぽ読みもしないでブロックしてすませてしまった。

くだらないことを言うと、これが外国語を習得するときにささやかではあっても良いところで、なぜか、「目にとびこんでくる」ということは起こらない。
意志的に読みにいかなければ、意味が頭にはいってこない。
だから途中まで見て、読みたくもない、とおもえば読まないですんでしまいます。

あらためて、日本語でやってきて、ここまで一緒にやってきた仲間は、自分を滅ぼそうとする自分の母語の力と戦って、自分を救い出すために、話しかけつづけてくれていたのだと理解しました。

きみがきみの母語である日本語をほうりだして英語で話しかけてくれたのを感謝します。

同時に、英語で説明された瞬間に、やっと、オダキンも哲人どんも、ふざけた「かるみ」のある言葉よりも、遙かに真剣に話をしに来ていたのだと発見しました。

いまごろ、「発見」するのはマヌケだが。

他人の必死懸命な気持ちに鈍感だった理由は見当がつく。

ぼくは地獄を通行した経験がない。
いつかよっぽど性格がわるい日本人がぼくについて「妄想狂」だと述べていて辟易したが、ぼくからすればGame Over(当然、大庭亀夫は、これを逆さまに読んだものですよね)というふざけた匿名で出発したのも、いまだに自分が誰であるかを明かさないのも、ひとつには、自分が生まれて育った環境がふつうなら(笑ってはいけません)誇大妄想狂が口にしそうな環境であったからで、実家はロンドンの中心地にある家は、寝室の数が10+で、まあ現実の範囲内でも、郊外の家は日本の人の「家」の概念にはないおおきさのもので、
そういう恐竜的な家系にありがちな財政的な問題もない両親の息子として生まれて、文字通り溺愛されて育って、ひとよりも何年も早く大学教育を終えて、そうなればどんな人でも、(多分)それを最も心配するはずの「自分は特別だ。おまえらゴミだ」意識もなく拍子抜けするくらい温和な十代の若い衆に育ってきました。
英語の世界では、ぼくは他人のすさまじい嫉妬に取り囲まれて生きてきたので、おなじことを趣味のひとつにしかすぎない日本語世界でまで繰り返したくはなかった。

自分の心のなかに知的な意味において騒擾をうみだせない人間は進歩しない。

ぼくが繰り返していることは、要するに、そういうことで、誰の魂にもあるはずの破壊衝動を呼び起こして、ときどきに、すべてを破壊することを願っている。
ぼくは、そのためのたくさんの道具をもっている。
数学、富、人並み外れて、おおきくて、物理的破壊力のある肉体、
…ここまで話してくれば、研究者のなかでも図抜けて知力にすぐれたきみのことなので気が付いてしまったでしょうけど、日本語も、当初は、その道具のひとつにしかすぎなかった。

見地、という。
観点でもいい。
日本語は考えればすぐ判ることで、
普遍語としてはただひとつの

Если Бога нет, всё позволено

を体現した言語です。

初めは子供のときに基礎が頭に埋め込まれたはずの日本語をうまく「道具」として使って、「神がいない世界」=「すべてが許される世界」が可視である思惟の足場をつくろうと考えた。

そう。
そのとおり。
誤算は、言語は習熟すると「道具」ではありえなくて、悍馬といえばいいのか、意思のない工具であるどころか、力一杯手綱をひきしめても、自分を思いもしなかった、意想外の、とんでもないところに連れていってしまう、巨大な生命力をもった一個の生き物であることを忘れていた。

ぼくの思考は、日本語という病んだ言語の瘴気にひたって、衰弱していったのだとおもう。
日本語という言語に復讐された、というややどぎつい表現でもいいかも知れません。

ただ、日常生活にはまったく日本語が介在しないのは、よかった。
きみにもおぼえがあるとおもいますが、英語やフランス語で話しかけられるたびに、夢からさめた人のように、正気に、あるいは別の種類の狂気にもどってくるのですよね。
ぼくの日常の生活は日本語という夢魔が届かないところにある。

日本語という一個の普遍語の自分の精神に対してもちうる力を過小評価すると破滅的なことになると判ったので、これからは、油断して、映画を観ながら、気楽に日本語twitterのタイムラインに出入りするというようなことはやめるつもり。

そんなことをやっていると、きっと、また日本語の神様に復讐されてしまうでしょう。

言語を道具として使えると考えた浅薄さに加えて、もうひとつの誤算は、きみや哲人どんやオダキンたち日本人の予想を遙かに越えた真剣な人生への態度でした。

哲人どんは、そのくらいは言ってもいいのだとおもうが、旧帝大のどれかの哲学教授を職業とする人で、わざとものすごく曖昧な言い方をすると戦争という異常な状況においての全体と個の関係について優れた考察を残している人です。
アカウント名に竹林の8番目の賢人という軽い名前を使っているので、サロン的な知的な遊びを求めてタイムラインに加わっているのだと思い込んでいたら、とんでもない間違いで、このひとは遙かに真摯深刻な人で、日本人には善意がないのではないかとツイートで述べると、自分の大学の留学生に対して具体的な善意志に基づく行動を起こしてしまうような人で、行動すれば人は必ず傷だらけになるもので、そんなことは百も承知で、言葉と行動をつなげようとするのでぶっくらこいてしまった。

やはり旧帝大の教員として、おなじ大学の教員を「あんたが放射能は安全だと言い切るのはおかしいのではないか」と言葉にして述べる、考えてみれば文字通り「職を賭して」義を立ててしまうオダキンは、言うに及ばず。

先進国のなかでの、民族としての日本人の特徴は、すくなくとも本来は「内省的な傾向が強い」ことだとおもっています。
表現の数が極端に少なくて、表現しうる世界の事象や感情がベラボーに少ない日本語という言語を使っている民族であることを考えると、これはいっそ不思議なくらいな事実で、多分、言葉がいいあらわせない悲嘆に感情や思考が沈んでいく、畳が沈む、能楽のあの沈黙は、そこから来ているのだと思いますが、とても特殊な、といしか言い様がない。

「神がいなければ、すべては許される」

神がいない日本語世界に戻るかどうかは、もうちょっと考えないと判らない。

いま考えているのは、人間の思惟全体からいえば、(不謹慎だが)思考のひとかたまりをテレビ番組に例えるとすれば30秒のテレビコマーシャルにしかすぎないようなtwitterは、メモ書きがわりにして、英語にして、このブログはもともと日本語ドリルなのだから日本語はこちらで書いて、なんだか申し訳なくて、例外はあっても、英語母語人に絡んで「おまえの英語よりおれの英語のほうがうまい」と述べて日本語がわかる英語人たちの失笑を買っていたひとたち(例:@buveryとかいう英語自慢の日本人)の英語も含めて日本の人の英語は一般にヘンテコ(ごみん)なので、英語ではなくて日本語で話しかけてもらうことにして、返事は英語でカンベンしてもらうというのではどうか。

自分勝手な理屈をのべると、日本語は、人間が手持ちの言語のなかではただひとつの「神(あるいは絶対)を内蔵しない普遍語」なので、神を持たなかった世界の思惟を教えてくれて、そう簡単に弊履のように捨て去るわけにはいかないでしょう。

でも言語というものは上達してしまえば、そういうもので、ついつい日本人と一緒に日本社会や日本の政治まで一緒に考え、憤ってしまったりしていたが、こっちはもう手遅れでもあり、くだらない人間が蝟集する話題でもありで、もういっさいやめることになると思います。

心のこもった手紙を送ってくれてありがとう。

いつか、きっと会えるとおもっています。

でわ

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13 Responses to 戦う日本人への手紙

  1. Hisako Suzuki says:

    がめさんが日本語世界から出てもう戻って来られないかもしれないと思った時 ただただ悲しくて
    ツイッターの言葉と言葉の間をウロウロと上の空でがめさんの言葉をだれか拾ってツイッターに
    のせてくれてないだろうかと捜し求めておりました。がめさんの美しい日本語に比して、コメントに書き込もうとする自分の言葉の拙さを思うといつも怖気づいてしまって 何も書き込めないで
    そっと心の中だけでがめさん ありがとう、私達の思いに言葉を与えてくれてと思うばかりでした。 私の後ろには同じような思いでがめさんに感謝の気持ちを伝えられないでいるがめさんのフォロワーが数限りなく列をなしていいると思います。

    がめさんの文章を読んでいると愛されている幸せをいつも感じる事が出来ました。
    がめさんがまごころをふれさせてくれたから。
    がめさん ありがとうございます 

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    • tanu says:

      “integrity”と云う言葉に相当する言葉が、日本語には無い。
      それを知った時の血の気を失うような感覚を思い出します。
      今の日本を考えると、幕末の天保期前後にも似た様相を呈していました。
      古い日本の庶民にはお馴染みの悪役・水野忠邦と鳥居耀蔵が登場します。
      オーム真理教の人たちの大量処刑は、鳥居耀蔵と云う東京都知事と裁判官を
      兼ねた官僚が行った「蛮社の獄」と言われるものに似ています。
      また、カジノは日本の博打です。
      火山の爆発。大震災、洪水などの天災によって大飢饉に見舞われ、
      貧富の差によって生み出され頃に、博打を生業(なりわい)とする集団が
      固定化して(でも、江戸時代は博打はご法度・違法だった筈)
      日本は、それを合法化して”上前を撥ねる” 法律を通そうとしています。

      ヒトラーではない、日本の政治も含めた社会の中に埋め込まれているのです。
      そして、同じ頃に、日本人庶民の体制に順応すると云う性質が固定して
      しまったのです。

      ひとこと、お礼を申し上げたかっただけなのに、脱線して、言い訳めいたことを
      書いてしまいました。外の世界を知らないので、現在をこの流れの中で見てい
      ます。
      幽玄の世界とは究極の反対側の世界に堕ちて行く日本ですが、もがきながらも
      ここから抜け出す為に動いている方がたくさんいますす。
      ブログは、続けて下さるのですね。
      有難うございます。

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  2. あなたの日本語に出会えたことを感謝しています

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  3. poti says:

    政治に関しては、本当にかかわらない方がいいと思います。
    くだらないという以上に、日本人のダメな所を象徴した有様が今の政治なので。
    ドブ浚い以下の有様であって、まともにするのや向き合うのは日本人自身の仕事なのです。

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  4. せいでんき says:

    いつかガメさんがツイートした「芸術は人間の暴力性を解体する」という言葉を最近反芻している。
    オウムの建物があまりにも殺風景だったこと、教義がサブカルチャー的なものだったこと。
    サリンを巻いたそのオウムに死刑で報復を果たした「国民」。

    わたしたち大多数の日本人は奴隷どころか健康管理されたブロイラー人間で、生活からは芸術が失われている。
    貧弱な語彙でもブロイラーとして生きてるだけだから不自由さを感じない。
    自分の感情を観察することもできず、ブロイラー人間としての耐久度を人間的強さだと勘違いしていて、負の感情は攻撃性と殺意の燃料に変えてしまう。

    こういうわたしたちの暗い地獄の生活の中で、ガメさんが古典や仏教や漢字の世界から掘り起こした言葉を日本人にわかるように、伝える意志を持ってブログに綴ってくれて、こんな日本語があったのかと目を開かれる。
    このブログがたくさんの人の恵沢になっている。
    わたし自身の生活の中では、誰も死なせないための運動に微力ながらコミットしていこうとか、そういう具体的な目標ができたりしました。
    だから、本当に、ありがとう。

    なんかいつもずれてるコメントでごめんなさい。

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  5. likaon says:

    私は今、子どもに二ホン語を教えています。
    嘘と欲の狂気に侵された世界に嫌気が差し、何もかもが嫌になって、もう日本にいても壊されていくだけだと飛び出してきたものの、いずれ日本に帰ることになるかもしれないということで教えてきました。どうしたら子供が、この今の日本語に染まらず生きていける人になるのか日々悩みます。ガメさんの日本語で苦しむ姿は、どうしても、子供の未来の姿と重なります。子供がガメさんの文章を読めるようになった時に、こんな人がこんなことを書いていたこと見つけたら、きっと暗闇を灯す光を見つけて、生きる希望になると思います。
    そして、そこから先、日本語はこのような子供たちが自分で作っていくのかもしれませんね。
    ガメさんが日本語から離れる前に、以前ガメさんがおっしゃっていた、ひらがなだけで書く文章を読んでみたかったです。

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  6. キラキラ大島 says:

    バスの中で鉛筆を片手に本を覗き込んでる人を見て、ああ、そんな無駄なことはやめればいいのに、と思います。その人が取り組んでいるのは数独というゲームで、一種のクロスワードパズルと言えばそんな雑な説明の仕方あるかと怒られそうだけど、多分多くの人がそのゲームのことは知っているのだし、知らない人もググりさえしないのであれば然程興味もないのだろうし、ゲームのことを言葉で説明するほど大変な想いをする必要はないでしょう。

    数独をしてる人にやめればいいと思うのは、数独そのものをやめろというのではなく、本を買ってそこに鉛筆で書き込んでやることをやめろという意味です。数独はスマホのアプリにたくさんあるし、無料アプリでも無限に問題を出してくれる。本を買うのはバカらしいしもったいない。鉛筆で書き込むというのも前時代的な感じだし、スマホのアプリでやればいいのに。

    では数独をアプリでやればいいのかというとそれもどうかという感じで。やればやるほど時間の無駄だなと思わずにいられなくなる。特に深夜に目が覚めてスマホを手にして、Twitterを眺めるか数独アプリをやるかとだいたいコースは決まっていて、1時間もすればあああという心持ちになり、こんなことなら寝てれば良かったと後悔することになる。Twitterはコミュニケーションのひとつだからと自分を誤魔化すこともてきるけど、数独なんて本当に暇つぶしでしかなくて。だから本に鉛筆でやるのと、アプリでやるのと、どちらが良いのかといえばどちらもやめてしまうのが正解なのではといつも思います。思うくせにアプリ削除などしたことがないのですけど。

    京都は今の時期コンコンチキチンのお囃子が響いて、要するに祇園祭です。昨日は前祭の山鉾巡行が行われました。しかしながらこの時期の京都はとにかく暑い。前日まで連日の38度超えで、本当に生命の危機です。だからおとなしく室内にいればいいのに、山鉾巡行を観に行ってしまう。京都に観光でやってきて、祇園祭の山鉾巡行を観るチャンスは生涯に1度というのなら、暑さにも耐えて頑張ればいいけれど、住むようになって毎年のように観ていれば、山鉾巡行なんて毎年同じで、なぜ観にいくのか自分でもよくわからない。どんなにスターウォーズが好きでも、毎回行くのは新作が公開されるからであって、EP4が毎年7月に映画館で上映されたとしても行かないのであって、じゃあなぜ毎年山鉾巡行を観にいくのか、しかもこんなに暑いのに、アホなんじゃないのかオレはと、戻ったオフィスで後悔したところで後の祭り。悩めば体力が瞬時に回復する訳もなく。それに、暑さで回転を失った脳で理由をいくら考えてみたところで、まともな答えなど期待できるはずもなく(当然ろくな仕事もできませんでした)。

    後悔はするものの、祇園祭を見物してるときは楽しいわけで、山鉾が近づいて来たときに前の人がカメラを持った手を高々と上げる時にはコンニャロメと思うし、そこのiPadふざけるなとも思いますが、あああれは生涯で只一度の山鉾巡行体験の人なのだと自分に言い聞かせ、乱暴を働くことを自制したりしています。

    世の中には無駄なことは多いし、無駄なことをやったときはたいてい後悔するのですけど、まあ数独も祇園祭見物もやめませんなきっと。もちろんやめてしまうという選択もあるわけで、選択する人もいるわけで、それはそれで尊重されるべきだと思います。というか、尊重もなにも、決めるのは自分以外にありえないわけですけど。

    そういえば何度も話題にしている命を断った友人は、人生に絶望したのはそのとおりなのでしょうけど、それは人生そのものの苦しさに絶望したのであって、人生とはなんと無駄なことよなあというその無駄性に絶望したのではないでしょう。すべてのものは無駄なのであって、無駄だからやめるというのなら、じゃあどこかに無駄じゃないものなどあるのかという問題に取り組まなくてはいけなくなるし、そんな最初から答えがないことが判っている問題に取り組むことほど無駄なことはないので、無駄でもやり続けることが良いのではと思います。

    もちろん、そのこと自体が苦しくてしようがないようなことはすぐさまやめるべきですけど。苦しいことにこだわってかかずりあっていては、楽しい無駄なことをする時間が失われてしまいますもの。

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  7. hiroshi says:

    日本語を使うということは、日本語という体系で世界を分けて(自分の頭の中にある日本語の体系に合致するものを選んで参照できるかたちで取り込み)、自分の頭の中に並べ替えていくということだ。一つの言葉(の体系)しか持っていないと、実は世の中は多様に分けられるのだということを忘れてしまう。それが一番の問題なのだけれどね。

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  8. mayuuuuuuun says:

    It was shame of myself that I could’t do anything to my friend Game even tho he is in like hell surrounded “diable of Japanese”.

    You saved my life actually. I will never forget that you told me “just come and talk here. nobody bullies on you at the TL. It was totally keep Mayu(my name:P) going living. Felt like you and your friends leave me safe on twitter. And I realized this feeling seemed like people supposed to feel in society. I did’t feel any anxiety and tweet.

    I basically don’t tell my thoughts in English even tho this sets me free. Because not really have confidence to make it well. Was trying to make this clear and I may find out that seem to keep away through like difficult experience. “Don’t Want to Make Mistake” get me struggle how I have to protect myself STILL. This is soaked in my soul deeply. I have already known that need to dump lately ugly Japanese language away.

    Feeling so good when I read your timeline and your blogs in Japanese. Such a beautiful words, your mind and sounds. But time to think well by myself and discuss with my friends.

    夜どうしても眠れなくて、プリウスが静かに停まる音がしたので居間におりました。
    夜勤を終えた父が、凍らせたジョッキにビールを注いでゆっくりと飲みこんでいました。
    朝まで話して換気扇の下で一緒に一服。20数年一緒に生きて、はじめての対話。

    私は鬱になって、今は両親のいる家に戻っています。
    動かなくて、価値がなくて、涙が出て、居なくなりたくて。
    キャプテンモルガンに頼んで死のうとしたこともありました。

    私は気づいてしまったのです。ガメさんの言葉で埋め尽くされた私の”観念”を。
    出来上がった言葉にわかったふりをすることは簡単で、
    気持ちよくて、緑の実を吸って気持ちよくなってるみたいで。

    眠い目をこすりゆらゆらと朝の光を浴びる。
    好きな歌をききながら、生きるって悪くないよねと思っている。
    細胞の間にいるセロトニンの量なんてたまには忘れてみたりする。

    お守りのように持ってる沢山の本、鳴らない携帯電話。
    少しずつ鎧を外して、外に出る準備をしなきゃいけません。
    何をするか、善いことをしよう。

    名一杯背伸びしたコメントやリプライを微笑みながら読んでいくれている、
    がめさんのことを考えています。

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  9. 坂元智彦 says:

    あなたの日本語は美しい。
    それが、僕の救いであったことは間違いありません。

    僕からは、以上です。

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  10. eimi says:

    英語を教えてくれているUK人が、ヨークシャーで一人暮らしだった母が逝ってしまった報を受けて、「mumxxx」と書いた手紙を括りつけた花束を、彼のお気に入りの場所の清流から流しているのを見た日に、このブログも見ました。
    ガメさんの住んだ(私が想像できる範囲での)お屋敷とか、行った事もないヨークシャーの空とか、東京の常軌を逸した暑さとか、はては自分のホームタウンのずっとそこにいる人にはわからない停滞感とか、いろいろなものがごちゃ混ぜになってしまい、泣きたくなってしまった。
    今度彼に会ったら英語で何て言おう、と思う時言葉は、目の前の相手にはやっぱり道具にしか過ぎないと思ったりもして、そんなレベルだから道具使いの達人の憂鬱は教えてもらって初めてわかる体たらくなのです。
    ただ間違いなくガメさんの紡ぐこのブログのような日本語は唯一無二のものであること、そう感じている人は私を含めとても多いはずです。そして何かしらの気付きや癒しをもらったに違いありません。どうもありがとう。

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  11. 一色登希彦 @ishikitokihiko says:

    何回も何回も何回も何回も何回も何回も読み返して、何かをここに書こうとしては上手くいかなくて、時間が経ってしまいました。

    自分のことを、少し、書いておこうと思います。
    僕は、3.11が起きて、原発事故が起きたことで、東京に住み続けることと、そして仕事として漫画を描き続けることが難しくなって、東京を離れました。
    (漫画を描くことが難しくなったのは、描いていた漫画が、現実の出来事に追い越されてしまったからです)
    その頃のTwitterは、今よりは少しだけ、素性を明かしている人も多くて、そして内心で考えていることや、起きているはずの現実を、丁寧に言葉にしようとしていた、と思います。
    Twitterが無ければ、原発の爆発からの、何が事実で、何がごまかされようとしているのか、の判断がもっと難しかっただろうと思います。
    でも同時に、3.11が、Twitterの様子(というか日本の空気)が変わってしまう、大きなポイントだったと思う。
    特に、東京に住んでいた人々は、3月12日以降、進行する出来事を、息を止めるようにして静かに見守りながら、「自分以外の人は、この事態をどう考えているんだろう、皆はどうするんだろう?」と、目を凝らして周囲を注意深く見回していました。そういう空気がTwitterを覆っていた。あの感じは忘れられない。

    「皆はどうするんだろう?」というのは、
    「東京にこのまま住んでいて、大丈夫なのだろうか?」という意味のことです。

    僕は3月中に東京を仮に離れたのだけど、その時には、とても「東京を一時的に離れました」とは言えない雰囲気にあふれていました。
    持ち家を売却することに決めて、東京を離れることをTwitterやブログなどで表明したのは6月だったのだけど、その時も、ちょっとしたざわめきが生じた。
    東京を離れることをためらう、あるいは迷ったまま動かないでいた人々から受けた視線は様々で、「賛成します」という少しの人と、「うらやましい、自分は動けないのだけど」という少しの人と、「あいつもアタマがおかしくなったか」「お前だけ逃げるのか」という多くの人でした。

    僕は、東京を離れたあとも、自分の言葉で、この日本に起きていることと、それをどう自分のこととして考える必要があるか、ということを考えていたし述べていたつもりだけど、そのフォーカスがどんどん空振りしたり、悪意や陰口で返される度合いが強くなってきて、いわば「失語」の状態に向かっていったのだと思います。

    ガメさんの発する言葉に出会ったのは、いつだったのか、たぶん、3.11のあとの、そういう頃、信頼できる何人かの人が、ガメさんを発見してくれたはず。
    「なんか怖いアイコンの人がいる。ものすごくマトモで鋭いことを書きつづっている」

    でも様子を見ていると、何だかものすごく多くの人から叩かれていることもあるし、「ニセ外人」と呼ばれているらしい。
    そうか外人さんかこの人!と思うと、その言葉の力や鋭さの全てに納得が行ったのだけど、ガメさんのことを「ニセ外人(つまり正体は日本人、てこと?)」という人々は、どう考えるとそういう発想になるのだろうと、それがまた不思議でした。
    僕は、ガメさんが本当にニセ外人、つまり本当は日本人で、これらの言葉を発しているのだったら、どれだけ希望が持てることだろうと思ったのだけど。

    もうこんなに長くなっちゃった。
    冗長なのが、僕の文章の治らない欠点です。

    他の、数えるくらい(一人か二人)の人とともに、ガメさんの発する日本語は(というかガメさんが日本語を使って立っている場所?かなあ)、失語に近い状態の僕の、イカリというか灯台というか星明かりというか、頼りにしていました。

    僕はどうやら、言語を習得する才能が決定的に欠落しているようで、これでも、どうにか英語くらいは身に付けたいと思ってそれなりに時間を注いだのに、結局、観光旅行に行くにはちょっと役立つかも知れない・・・くらいのカタコトしか、身につかなかった。
    生理学的に耳が悪い(脳の解析力に欠陥がある)のではないかと自分では結論して自虐してます。
    なぜ英語くらいはと思ったかと言えば、まだ青年と言っていい年齢の頃に、何も話せないままなのにヨーロッパに出かけた時に、何も話せないのに「なんて自由なんだ!」と感じ、日本に帰国した時に「何だこの国は?」と感じてしまったからです。
    ガメさんの言う、「日本人」「日本語」の括りからは、僕も少し、ガメさんの側に、はみ出してしまっているのだと思う。
    それは、僕の出自に関係があると自分では考えるのだけど、それはまた別の機会に。

    なので、僕は本当は、3.11の時に東京を離れる際に、本当ならば、日本を離れることを考えたかった。ただ、自分の身を守り、生活を続ける言語力が身についていなかっったので、それを諦めたのでした。
    2〜3ヶ月の滞在・観光なら、楽しいに決まっている。でも生活をするのは全く別の問題で、日本の中で田舎に移住しただけで、現実に様々なコミュニケーションの問題が生じるのだから、言語力がないまま、海外での生活は難しい・・・と考えるしかなかったのです。
    描いていた漫画も、「日本語」がまとわりついていなければ機能しづらい作風だったし。

    ガメさんが日本語でコミットしてくれたことは、たぶん、比率としては多くない、でも、多くの、僕とはまた違うけれど、僕のような人々(日本語からはみ出してしまっていた日本語の人)に、ただならぬ力やインスピレーションを与えてくれた。
    感謝しています。
    ありがとう。

    ガメさんが気付いてくれたように、そうした人々は、かなり切実で、それぞれに戦っている人が多いです。

    「日本語Twitterやめた」のは、読んだ時に悲しくてうろたえましたが、ガメさんの書くようなコミットの仕方にシフトしてくれるのは、現時点ではベターなことのように思えます。

    友達になり損ねたかなあ?・・・なんて思わずに、僕は、僕も、ガメさんの友達である、と宣言すれば良いだけのことだった。

    いつかどこかで会いましょう。

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  12. kaz184 says:

    言葉って種みたいなもんよね.

    昔から人の喋り方を真似て遊ぶということをやってたんだけど, 例えば声調とか語彙, 言葉の間断の位置などを真似て, 次にどういう質問に対してどのように回答するだろうか, などと進めてた.

    ほんで, そういう遊びをしていると, いつのまにか自分の中にその人がいて, 事ある毎に話しかけてきて, それは他人の言葉であるのが即座にわかって, しかも違った視点から面白いことを言ったもんで, 習慣化した.

    しかもそれは音声にとどまらずに, というか文章を音に出せば音声になるわけだが, 文章に対しても同様のことができるというのを知った.

    よーするに, ガメ・オベールの日本語は一般日本語とは異なるので, ガメ語と略してしまうと, ガメ語をモノマネして就寝前にガメ語を模倣してみると色々に面白いことがわかって, もっとも顕著なのが, 日本語は能天気な言語である方が楽しいらしいということで, 具体的には, せかせかしない日本語というのはこーゆーものか, と.

    道端で種を拾って, しめしめと自分の庭に持ち帰って育ててみると, 花と思いきや大樹であったといった風情であって, なるほどこれなら鳥や蝉の集会所になるのは自然の成り行きであろーな, と.

    前々から薄々気づいていたんだけど, 言葉を投げるのは種を撒くのも同然で, 要は人に投げた種が発芽して, 10年か20年か, 時を隔てて同じ種を投げつけられるということがけっこー起きている. そんでそれが毒の種であるときにがなりたて, 更にそれが自分の撒いた種と知れると口を閉ざす.

    最近日本でドイツの哲学者の番組があって, 話題に上がってたからみたんだけど, 人間の尊厳とは「神聖不可侵の皇帝」のようなものであると述べていて, 人間の尊厳をペタペタコネコネしてなんとか自分を見つけようという日本語とは違っているなーなど思い, 彼らはおそらく, 言語が循環するという点において全く生態系と等しくて, 従って軽率に行使した力が循環を何度も巡って自分たちの制御を離れているということを知っているんだな, と思ったよ. だから環境問題にも興味を持つのだろうね.

    そーすっと, 今の日本語って, 使用者の制御を逸脱してしまっていて, 超自然的な感じで, 正にPlagueのように見える. より深刻なのは, 言語が我々の思考を形成しているという事実で, 思考自体が暴走を始めるのは時間の問題なんだなあ.

    そういうときは蝉の脱皮ではないけど, 一歩下がって自分の抜け殻を見てみるとよく見えて, とにかく自分の庭だけでも制御を取り戻せるんだけど, これが高じると殆ど言葉が通じなくなってしまうから, 発芽しないように気をつけながら, それでも毒の種を集め続ける必要はあるのかもなあ. そうじゃないと, 環境学者みたいに慎重に検証もできないだろうから.

    言葉が状況から経験によって定まるという大原則を忘れると, 言葉によって状況を動かせるという副作用のみを認識して, さらに状況を作る必要性を忘れさせて, 自分たちを標本にした図鑑を作るような言葉に溢れる結果を生じさせた. 前述の哲学者が危惧する日本の「非人間化」の状況は, この標本として人間を対象にしているために起きていて, 「非人間化」が表層に過ぎず, より根源的には言葉・言語に対する致命的な不理解に端を発する惨状ということか.

    現在の日本的価値観というもののどの部分に協力してはいけないか, それがわかるだけでもいくらか気楽に生きられそうだ. 戦うにしても, 楽して勝ちたいね. 私は徹底した怠け者でいたいから.

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