Daily Archives: July 25, 2018

流れおちる光

Lewis Passから折れて、森のなかに入って、河原を掘ると、やがて温泉がわきでてくる。 馬をやすませて、素っ裸になって、ビールを片手にあつーいお湯に身体を埋めて、 ひゅああああーと、おやじみたいな長い吐息をもらして、冬の夜空をみあげると、月のない夜空を、まっぷたつに切り裂いて、天の川が煙るように横切っている。 満天の空には、そのひとつひとつが恒星系で、ひとつひとつが銀河の、無数の星が、まるで宇宙から地上に落ちてくる光の瀑布のように輝いている。 子供のときは、かーちゃんやとーちゃんに連れられて、出かける、トランピングの途中で、テントを張って、このニュージーランドの夜空をみて、泣きたいような気持になったものだった。 誰にも説明できないが、人間は宇宙がまっすぐに自分の存在を包み込むような自然の圧倒的な美しさを目撃すると泣きたくなるもののよーでした。 ヨットで、360度の、どこを見回しても、もう陸地が見えなくなって、見渡す限り水平線で、真っ暗な海にひとりぼっちで、ただ空の星だけが輝いている漆黒の夜も、やっぱり人間を泣かせる。 その不思議な感情の衝動を、いまでも、説明することは出来ないのだけど。 ひどい言い方をすると、人間の文明なんて、瘡蓋のようなものなんだよ。 空を摩すマンハッタンの高層ビルも、まるで掠奪したエジプトやインドの石の堆積のようなロンドンの街も、人間がつくったものは、卑小で、どこかしら、根源的な価値に欠けたところがある。 実家にもどって、Seven Dialsに新しくできたチーズ屋に行ったら、上等なチェダーがあって、試食したらすっかり気に入ったので、買って帰る。 St James’sの高級ワイン屋が、つぶれて、年代もののワインの投げ売りを始めて、家宰さんと一緒に出かけて、お下品な買い占めをする。 建物だけではなくて、人間の行動も、貨幣経済に基づいてしまえば、やはり瘡蓋みたいなものになっているのだとしか、いいようがない。 舞台の上に立って、スポットライトがあたっているClownが、突然、道化るのをやめて、こぶしを振り上げて、なにごとかを訴えている。 ところが、小さな劇場であるのに、彼がどれほど声を張り上げても、観客席には、なにも聞こえない。 涙ぐんで、彼の一生を賭けて、声を涸らして叫んでいるのに、なにも聞こえてはこない。 それは、なぜか? ある人は、天幕がそもそも幻影だったのだという。 ほかのある人は道化師が、ほんとうは存在しなかったのだというだろう。 気が利いた人があれば、ああ、それは、神が介在しないので、いわば大気が存在していなくて、だから声が伝播できなかったのですね、と述べて、自分の仮説にすっかり満足して、微笑をひとつ残して、立ち去るだろう。 でも、それは、ほんとうではない。 そんなことが、ほんとうではありえない。 ほんとうであっては、人間は生きていけるものではない。 十九歳の夏だったか。 ぼくはマンハッタンのHoustonの通りを歩いていた。 知ってるかい? あれは、ヒューストンでなくてハウストンて読むんだよ。 なんだか、いつかも書いたことがあるような気がする。 ニューヨークに20年住んでいるという人が、書いた日本語の記事に「ヒューストン」と書いてあったので、20年住んでいることのほうは嘘のわけはなくて、そのひとのマンハッタンでの20年の寂寥をおもって、印象に残ってしまったからだとおもう。 夏で、「飲み放題」のサングリアを飲んで、すっかり酔っ払ってしまったような、あれはなにしろアルコール分が少ない酒なので、飲むそばからさめてしまっているような、ヘンな気持になっていたら、UKでは有名な大スターの人がテーブルの向こうに座って、「ガメ!ガメではないか。どうして、ここにいるの?」 という。 いや、ぼくはここにいるはずはないんですけど。 シカゴにいて、シアーズタワーを見上げていて、あんまりビルに近いところに立ってみあげたものだから、後ろに倒れそうになって、おまけに気分が悪くなってしまったんです。 ロンドンもニューヨークも、ぼくには好きになれないな。 だいいち、あなたがたは、なんだって、あんなに(と述べて、もちろん通りを指さして)広い通りを渡るのに、信号を待って、愛している人と目と目で見交わして、手もつないで通りを渡るのに、向こう側に着く前に、恋人も、自分も、固くつなぎあった手さえ、消えてしまわないと思えるのだろう? バカげているとおもいませんか? 自分が存在している時間の流れというものが流体の、連続体であるという考えには、ぼくはまったく同意できません。 … Continue reading

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