Monthly Archives: August 2018

団結しろ万国のまよなかの白痴ども きみらのことは誰も詩に書かない なぜかというときみらが詩だからだ 詩なんてものには詩でないことが書いてあるのだ 枕を撒き畳を叩き壁にかぶりついて してやられたと男はわめく きのうより今日は割がよかった せっかく割がよかったと思ったのに あしたになればそうじゃねえんだ いくら勘定しても どこへ逃げ出しても このピンはねには果てがねえんだ 夢には物が詰まっていて入れない 夢の袋なんか屑屋に売って金に換えるぞ きのうへ 今日へ 昼間へ 夜へ 押し出された夢の中味はばらばらに飛びちり とつぜん友達があらわれけだものが搔き消え その夢だらけの朦朧たる世界へ踏みこむんだ ここもあそこもにせもののまぼろしだけで あなたの仕事やたべものにはなんらの意味もないと 自分で自分を殴ってでも納得すること それがピンはねに対抗する唯一の道の始まりだ。 この詩を含む岩田宏の詩集「いやな唄」が出版されたのは1959年だが、 たったいま書かれた詩なのだといわれても疑う人はいないだろう。 日本は不思議な国だ。 20年前に、「これでは決定的にダメだ」と判って、政府の中枢にいる最も頑迷な老人でさえ、「きみ、こんなことでは我が国は滅びてしまうではないか」と述べて、 閣議から、局長会議まで、侃々諤々、審議官たちが額を寄せ合って、侃々諤々、 経団連でも、昨日の水揚げのいとおしい快感を股間に残した老人たちが、侃々諤々、青年商工会議所の面々も、「お持ち帰り」した台湾の女の人の滑らかな肌をおもいだしながら、侃々諤々、ネットでも、大学でも、居酒屋でも、侃々諤々、 20年間も国民をあげて議論に議論を重ねて、あー、せいせいした、くたびれたけど、 これで明日からまた精一杯仕事できます。 どんなに議論を重ねても、重なった議論は、ガラガラと崩れて、結局現実は何も変わらなかった。 ここまでの20年間で社会として発揮された才能が「現実を変えずに議論しつづける能力」なのだから、これから20年間でなにか変わると期待するほうが、どうかしている。 岡目八目、という。 こういうことは、傍からみていたほうがよく判るので、なぜ議論が有効にならないかは、こうすればああすればと言い続けたが、20代の若気の至りで、日本人の 「なにもしないためならなんでもする」、不屈の根性が予想よりもずっと根深いものだとは知らなかった。 そうこうしているうちに手遅れになってしまった。 世界は日本を置き去りにして、どんどん先へ行ってしまった。 この世界には「commitment」という言葉が存在して、自分が他人よりも日本語が出来るはずだと自惚れれば、日本の文明や社会に関わらないわけにはいかなくて、 ぼくは、偉大な文学や視覚芸術を生んだ、日本を信じてきたが、きみが心配して言ってきてくれたように、もうそれも限界に来てしまったのだろう。 岩田宏といえば神保町で、日本にいた頃、きみがあちこち案内してくれたことを、なつかしく思い出します。 「伊峡」や「いもや」、夜が遅くなると、重い本がいっぱいはいった包みを床において、タクシーを拾って家に帰る前に、三幸園だっけ? 交叉点に近い店で餃子とビールで、日本文学の話をしたでしょう? … Continue reading

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希望

吐き気をこらえながら通りを横切るようにして一生を駆け抜ける人がいる。 ほら、いつか川岸のパブで、死んでしまった友達の数を数えていたことがあったでしょう? あの頃、きみとぼくは25歳だったのに、8人もいなくなっていた。 きみとぼくは、他人がうらやむ境涯に生きてきた。 宏壮な家。 母親の代わりに制服を着た運転手が運転するクルマでの通学。 われわれが育った、煤けて、趣味が悪い装飾がいっぱいある都会のまんなかにある公園で、霧がたちこめる朝に肩を並べて乗馬する特権。 でも、そんなことに、たいして意味があったとはおもえない。 きみもぼくも、21世紀のこの世界では、つまりは恐竜で、存在するはずのない生き物で、マジメな顔でタイトルを述べれば聞いた人は吹き出すだろう。 ドレスダウンして出かけた週末、ぼくはクラブの窓際できみがやってくるのを見ていた。 きみときたら通りをわたってくるのに右も左も、まったく見てやしないんだ! まるでクルマに衝突されるのを望んでいる人のように、ドアを開けて入ってくると、椅子に腰掛けて、いきなり「人間にとっての、ゆいいつの福音は、死ぬことだとおもわないか?」ときみが述べた夜をおぼえている。 きみが、あのパキスタン人に人種差別の科で訴えられたとき、ぼくは知っていた。 知っていただけでなくて、どうして、この鬘をかぶったマヌケたちは、それが人種差別ではなくて、この地球上のありとあらゆる人間に対する嫌悪なのだと判らないのだろうと訝った。 知性とは常に軽薄なものだ。 ひとつの罠を避けて、より巧みな罠にはまってしまうような性質のものだ。 すべての論理は本質的には詭弁にしかすぎない。 数学が論理を嫌悪する理由は、そこにある。三段論法にしがみついて、ラテン語へ翻訳される過程で生じた誤訳だらけの磔の神のうらみがましい視線の下で、この世界を説明しようとして浪費された知性の総量は神様の予測を遙かに越えていたのではないか。 トラキア生まれの不運なほど直感に恵まれなかった哲学者が「天体とは夜空にあいた穴なのだ」とおおまじめに述べていたとき、われわれの知性はどこにあったのか? どこにいたのか。 いったい、なにをしていたのか。 ぼくは今日の午後、革を張った緑色の寝椅子に横になって、愛人の子を身ごもった幸福を記念するために、愛人のおだやかな微笑みをおもいながら、ダイアモンドの指輪を、そっと薬指にはめる美しい人が出てくる、例の物語を読んでいた。 不能の夫は、懐妊を告げられて顔色を青くして荷物をまとめて自分の愛人のもとに向かって出てゆくが、その物語はケルト人たちの物語であるのに、なんと北海の、あの物語に似ていることだろう。 生活の細部について、まったく言及されない、あの粗筋だけのような物語は、たくさんの読者を期待していない。 18世紀のものでよいから、色つけがしっかりした、マイセンのフィギュアリンに囲まれて暮らしている人間以外には読むことが出来ない不思議な物語で、もちろん、いまの世界では許されないことに、過程もなしに、たった一秒の半分のglanceで恋におちる男と女を描いている。 生活をしらない人間には恋などできないのだ、ありあまる時間のなかで暮らしている人間以外には恋などは存在しないのだと訴えている。 ああいうのを「反社会的な小説」というのではないかしら? だって、ほんとうは、この世界には恋に堕ちる人間などいはしないのに、 あの物語のなかでは美しい女と男が恋に堕ちるんだぜ? ほんとうは、この世界には善をもっている人間などいはしないのに、あの恋におちた男と女は善なる意思のなかで死んでいくんだぜ? しかも、最も反社会的なことには、あの物語のなかでは、人間は人間同士で、言語を使って意思を通じている。 そんなことは、ありえないのに。 そうして、きみとぼくは、多分、この世界で最後の、生まれついて反社会的な人間なのだと思います。   驚くべし、善意も恋も、特権によって生まれてくるのさ。   いったい、通りをわたるときに、自分が通りの途中でかき消えてしまう存在でないと確信できない人間が反社会でないなんてことがありうるだろうか。 ぼくは椅子に腰掛けて、じっと自分のむきだしの足をみつめている。 見つめていると、自分の足が爪先から、少しずつ、消えていかないのが、不思議で仕方がない。 こんなに遠くにあるのに、これがぼくの足だなんてことがありうるのだろうか? … Continue reading

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メディア幼年期の終わりに

  すべてはブログに帰る。 ヒントをくれたのは、またしてもjosicoはんで、どんどん参加者の程度が悪くなって、いまや「はてな」コミュニティなみの程度の悪さになったツイッタでの応酬をみていて、 と述べているので、わし「似た育ち同士英語人友」がそうしているように、外に向かっては閉じたフォーラムをつくると言っているのかとおもったら、そうではなくて、自分のブログをつくって、中学生のように交換日記をしようというのだった。 わしはネット悪意人がよく使う「厨二病」諸事が大好きなので、それはいいね、よい考え!と思います。 自分のブログをつくっておいて、コメント欄をつかって、よもやま話をすればいい。 ワードプレスにはプラグインでフォーラムをつくる機能もあるので、ブログといっても、かつてのブログではなくて、自称もCMS(コンテンツマネジメントシステム)なんちゃっていて、やる気を起こせば、SQLとつなげたりして、なんでんかんでん出来るようになっている。 普段SNSを使っていたりしているときは、どうしているかというと、デスクの前に座っているときは、目の前に27インチのiMacがあって、右側に40インチのデルモニターがある部分が不動の体制で、残りは、そのときどきで、モニターアームに30インチがふたつついたのが壁から出っ張っているとか、趣味だあー趣味だあーと言いながら、とっくの昔に日本語でいえば億の単位になってしまっている株式の売買の、クライマックスであると、ピコピコ動き回っている画面を見ながら、 なんでだー、そこでなんでさがるんだー、とぶつぶつ言いながら、売り買いをしたりしていることもある。 ビデオ会議は専用の部屋があって、これは同業者はスタンダードだと思うが、というか、同業でなくても、近所のグーグルに勤めているおばちゃん1号や、マイクロソフトで仕事をしているおばちゃん2号もおなじで、新しいシステムに変わると、うれしそーに自慢しにあらわれて、見に来いというので行くと、チョーかっこよくて、「ガメも、仕事なんだからマジメに投資しないとダメだぞ」という。 わしは、ビデオ会議、嫌いなんだけどね。 第一、 あれは、暑い日などは、男も女もマジメなスーツで机の上のPCを見ながら、深刻なたたみかけるような調子で話しているが、 「うふふ。でも、きっと机の下の見えないところは、ニッカーズやアンダーパンツだけで、もしかしたらフリチンだったりして、扇風機があたっているのでは。 『ちょっと立ってみて』とかゆっちゃおうかしら」などと余計なことを考えるので、気が散って、商売上の決断に失敗する可能性がなきにしもあらず。 自分の用事などはスカイプですんでしまうので、なんだったら電話でもいいぞ、とおもうが、最近の人は、投資家やビジネスマンが颯爽と活躍するテレビドラマの観すぎで、それはなんとなく釈然としないものであるらしい。 twitterは、そういう、スカイプやスプレッドシートや、データベースや、算数の計算に使っているソフトやなんかの、いろんなソフトの画面が散らかっているデスクトップの端っこに、ブラウザで、notificationsやlist、homeと、いくつか画面が開いていて、タイムラインが、ぞぞぞっと動いて、応えたければ応えるし、応えたくなければ応えない。 ついでにいうと、iPhoneは英語以外は、欧州語も日本語もいっさい禁止にしてあるので、英語しか呼びにきません。 ほんど全部テキストメッセージで、 「会議、また忘れてるじゃん」とか 「今度、診察日をさぼったら、ぶっとい注射を予約しておくぞ。GPより」 とか、緑色のメッセージが乱れとんでいて、あの合間合間に、ラウンジかスタジオか、夏ならば庭のガゼボかにいるモニさんから、 「ガメ、大好き♥」 「xxx ○○○」 メッセージが入っていて、知らない人のために親切心を起動すると、 xxxはキスキスキス、○○○はハグハグハグ、という意味です。 ときどき、「ガメは一日中ツイッタをにらみつけているのではないか」、と思っている人がいるが、別にそれでもいいのではないかとおもうが、現実とは異なっていて、 ほかのことをやりながらツイッタをやっているから、起きているあいだは、クルマを運転したり食事をしているのでなければ、のべつまくなし五月雨式にツイートがでてゆく。 そこのきみ、 「あっ!だからツイートが、あんなにいいかげんなのか!!」 と膝を打って納得しないように。 twitterは外国語の習得に向いているとおもう。 140文字時代は英語母語人にとっても、やや苦しい文字制限だったが、ちょうど日本語二バイトの140文字と同じくらいで、現在の280文字は、英語の練習にはぴったりではないだろうか。 これも日本語と同じで、長い文章のほうが平明な英語が楽に書けるが、逆に、英語らしい表現や、汎用性は狭いがその箇所に適切な単語が思い浮かんだりして、かえって楽しいかもしれない。 欠点は、なにしろツイッタなどは年々年々参加者の質が低下していることで、言語によらず、ふつうの人間がふつうに暮らしていれば絶対にお目にかからずにすむ、 部屋にひきこもって世間への憎悪に包まれて悶悶としている人や、ろくすぽものを考える習慣をもっていないのに、どこかで聞きかじった「自分の意見」を、連想ゲームなみの反射で並べてぶつけたい人がSNSの世界には充満していて、 日常生活では経験しない愚かな人間の相手をさせられる「ムダ」に遭遇する。 このあいだなどは、最近はよくあることだが、日本で食いつめて祖国に帰る可能性がなくなったイギリス人にまで絡まれて、UK人はむかしから悪意ばかりのバカが多いが、到頭、ここまで堕ちたかと、なんというか、やるせない気持にさせられてしまった。 わし友の晩秋が … Continue reading

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新しい友達に 1 一色登希彦

アイコンは、かなり早くから気が付いていました。 三等身の男の人が、なんだかあられもない、お尻をもちあげた、切ないかっこうで俯せに、頬を床につけて眠っている絵柄で、よく見ると、白いほうにはA面と書いてあって、黒いほうにはB面と書いてあって、ふたつのアカウントがある。 何をしている人なのか、どんな人なのかも、少しも判らないので、フォローしたり、話しかけたりするのはずっと遠慮していたが、あなたのほうは、頓着せずに、こちらが、フォロワーが3万だとか4万だとか、日本の良民に人気がある「インフルエンサー」の皆さんのアカウントの鈍感と失礼と倫理感の欠落やなんかにむかっぱらを立てて、ぶわっかたれめが、自分のケツの穴に顔つっこんで窒息して死にやがれ、というようなことを述べて、大顰蹙を買って、当然の帰結として、フォロワー数が500とか1000とかいう単位でゾロッと減っているときでも、 やっぱりA面もB面も、なにごともないように淡々とフォローしていて、 ただ黙ってフォローしているだけでも、ここまで来ると変人なのではなかろーか、と考えて、くすくす笑ったりしていたのをおぼえている。 一色登希彦 @ishikitokihiko という名前の人がマンガ家なのだとわかっても、マンガに疎くて、「パタリロ」や「プレイボール」、「すすめ!パイレーツ」くらいしか読んだことがない人間としては、「マンガ家」という言葉が「マンガを描く人」という意味しかもっていない。 あなたが屋台の品だなかだったんだか、なんだったかの画像を載せていたのをきっかけに話しかけることになって、マンガを描くことに精魂つかいはたした人が描いたマンガを読まないのはトンチキというもので、読んでみたら、その「日本沈没」というマンガは、描いた人の体内から彷徨いでた魔神(デーモン)が作者の腕を、ワシとつかんで描いたていのもので、小松左京の、どこかにバブル時代の日本の甘さがある原作とは、まったく異なっていて、まるで記憶のなかの未来を思い出しながら描いている人のように、福島第一事故の不正直な処理を起点にして、どんどん、文字通り精神的文明的に沈没していった日本の姿を記録しているのを見ていって、ぶっくらこいてしまった。 吉本隆明はいかにも、晩年、中島みゆきを「日本語最高の詩人」として絶賛するに至る、愛すべき感情過多情緒過多の抒情詩人だった人だったらしく、 「もっと深く絶望せよ」というようなことを、よく口にして、たしか大江健三郎には「もっと深く絶望しなければダメだ」と公開書簡にして書いていたとおもいます。 いまよりは、数段劣っていた日本語読解力の頃に、読んで、もっと深く絶望せよ、とは、さて、どういう意味だろうと、よく考えたが、深い井戸におりて、絶望の底をもっと掘り進めば、やがてそこに自分の姿を映す水が湧いて、自分の必死の形相の後景には太陽の光が燦然と輝き渡る青空が映っているはずで、その輝かしい円形にめざめよ、という意味であることを悟ったのは、ずっと後のことでした。 ここでは、その「日本沈没」の話をしない。 一色登希彦の、そこまでの一生の全エネルギーが、そっくり移転したような「日本沈没」という空前の思考を刺激する構造やアイデアに満ち満ちたマンガを読んで、マンガにすっかり興味がわいて、マンガが分野として苦手な日本の古書店の手下(てか)に号令して、マンガを集めさせているさいちゅうで、 このあとに、嫌がっても、同族として、やっぱり登場してもらうしかなさそうな南Q太さんのマンガとともに、無謀にも愚かにも、愚神のそそのかしに乗ってマンガについてブログ記事とは少し異なる英語のスタイルの評論を書こうとおもっているからで、こっちは「げ。ガメがやる気をだすこともあるのか。そんなもん本にするに決まっているではないか」というギョーカイの友達もいて、少なくとも英語ならば本にしてツイッタという、場末のやくざなダンスクラブみたいな場所で知り合った何人かの友達たちに贈呈できるからです。 この「日本沈没」という名前で、一色さんは、損をしてしまったに違いなくて、ださくても「新・日本沈没」(は、いくらなんでも、ひどいか)でもなんでも小松左京の原作とは異なる思想に基づいた、たとえばおなじ事象を再現した実験から異なる理論を導き出してみました、とでも言うような、あるいは、マクベスの物語としてのデザインのなかで「蜘蛛の巣城」という、いまだにこれを越えるものがない、最高のシェイクスピア映画をつくってみせた黒澤明に似て、パラレルワールドをつくってみせて、二重に暗示された世界を呈示してみせた自分の努力を、「日本沈没」という題名によって不可視にしてしまったが、それは、ちょっと一色登希彦という人と、ちょっとでも言葉を交わしてみればわかる、一色登希彦という人の本質的な奥ゆかしさで、なんだか、見ているだけで、涙ぐんでしまうような、羨ましい気がする。 では、まるで作者が全身全霊を注ぎ込んでしまったような作品の話をしないで、なんの話を、ここではしようとしているかというと、人間を創造に駆りたてる魔神的な力(デモニッシュな力)の話をしている。 数学にしろ、絵画にしろ、マンガにしろ、作曲にしろ、演奏にしろ、創造の世界を駆け抜ける人の原動力を「自己顕示欲」なのだと述べる人がいるが、それは「ゲスの勘ぐり」というべきで、自己顕示欲自体は本当は悪い欲望でなくても、そういうことを言いたがる涎が端についていそうなしまりのない口元の人の唇からもれてでる場合には、やはり下衆の勘ぐりとしか言いようがない。 そうではない。 この世界には、たくさんの、「絵を描けなければ家に放火するしかなかった人間」や、「演奏しなければ、誰かを拳銃で撃ち殺していたに決まっている人間」がいて、それはなぜそうなるかといえば、普通の大半の人間は、つつがない人間のリズムで暮らしているのに、この種族だけは神様の突拍子もないリズムで生きているだけで、視覚芸術でもいい、文学でもいい、数学でも音楽でもいいから、とにかく、ちゃんと神様と糸電話で直通ホットラインのリズムが伝わってこないと生きていかれない。 いけない告白をすると、一色さんのことを考えると、いつも、 いま向いのアパートから女の子が “お月様”とさけんでいます」 そうぜんとした秋 おれはおまえから 臨月のような平叙文をもらう だが おれはあまりに豊かな歌を聴きながら わいせつな少年のように 不安な義眼をはめて おまえのいない裏街を通りぬけてくる という岡田隆彦の詩の一節をおもいだす。 普段の一見、表面は平静な生活そのものが「臨月のような平叙文」でしかない、 日本語人を発見して、ほんとうはよく考えてみれば当たり前なのだけれども、 こんなに離れて、遠い国にも、仲間がいるのかと息を呑むような気持になります。 表現は一色さんを焼き尽くしてしまうけれども、同族が、灰になって、ためいきをついている一色さんのまわりに集まって祈祷すると、あな不思議、灰であったはずの一色登希彦は、ふくよかな、あのアイコンのような肉体を取り戻して、豊穣な絵と言葉を紡ぎはじめる。 正体を明かさないまま、こんなことを述べるのは狡いが、わしにはわしの言葉で、ちゃんと、それがあらかじめ判っています。 ドマジメ人間だった滝沢馬琴の「里見八犬伝」には、実は、最も現実から離れたところで、最も普遍的なリアリティがあるのですよね。 こんなところで、言ってしまっていいのかどうか判らないが、一色さんは、わしが例によって例のごとく、 「このクソ日本人が、てめえのペニスを噛み切って死にやがれ。誰が、こんなクソ言語にもどってきてやるものか」と述べていたら、ダイレクトメールで、 「日本語やめちゃうの?友達になれると思っていたのに残念だ」と述べに来てくれたのでした。 この世界のあらゆる事情をもう知っているのに、そういうことをわざわざ無防備に述べに来る人は、もうそのときから、わし親友と決まっているのです。 … Continue reading

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タウポ

タウポにときどき出かける。 オークランドから南に300キロくらいくだったところだが、と書こうとおもって、いまたしかめてみたら、275.4キロだそうだが、まあ、クルマでのんびり行って4時間くらいのところです。 儀式のようなものであって、まずワイカトに入る前にマクドナルドに立ち寄る。 モニさんは何によらず夫をあまやかすのが趣味のような人で、そのうち、猫をじゃらす糸の先に子ネズミのおもちゃがついた棒をもって、 「ほらー、ガメー、きゃっ、きゃっ」と遊んでもらえそうな気がするが、それはともかく、食べ物の安全だけは厳しい人で、助手席で、あ、マクドだー、おなかすいたなー、食べたいなー、と述べても、知らん顔で通り過ぎてしまう。 にべもない。 ワイカトのこのマクドナルドだけが例外で、いかにもちょうどいいところにある上に、日本でいえばサービスエリアで、駐車場が広いので、らくちんだからでしょう。 そこからハミルトンを通って、ケンブリッジを抜けて、タウポへ向かう。 ハミルトンの手前までが高速で、そのあと、ハンフリーからはオープンロードだが、最近は新しいオープンロードが整備されて、制限速度が100km/hから110km/hに上がった。 そのまま、ずんずん南へくだっていくと、タウポに着きます。 タウポには、家族用の露天風呂がある。 鉄の引き具で、ぐがっと栓を開けると、日本式に述べれば天然掛け流しの鉱泉がドバッと出てくる。 日本にいたときも、なにしろモニさんが大層温泉好きなので、行きたかったが、わしがむかしから、あの有名な秋の風物「チンポコ潜水艦」をして背泳ぎをするのが好きだった箱根も、湯河原も、男女に分かれていて、モニとふたりでお盆を浮かべて熱燗というわけにはいかなかったので、どうしても温泉に行きたくなれば福井まで出かけていた。 そこには家族用の温泉風呂があって、ときどき出かけてはキャッキャッと喜んでいたが、なにしろ遠いので、難儀でした。 タウポは、男女が一緒に入るのは西洋温泉なのであたりまえだが、そのうえに、塀や植え込みで周囲の視線から遮蔽されているので、裸で、うふふふが出来る。 さらにさらに。 タウポの湖畔をちょうど5000歩あるいていくと、タップのギネスをいれるのが滅法巧いバーテンダーのおっちゃんがいるパブがあって、ギネスは嫌いなモニさん用にベルギーのビールもあるので、温泉で火照ると、冬ならば冷たい風をついて、ほっぺを赤くしながら歩いていきます。 顔なじみのおっちゃんに「やあ」と述べて、黙っていれば、ちゃんとギネスとベルジアンビールが出てくる。 ベラボーにおいしいリブアイステーキを食べて、3パイントも飲む頃になると、すっかりいい気分になるので、えいこらせと腰をあげて、また5000歩、もと来た道を戻ると、あたりまえで、戻らなかったら困るが、ちゃんと部屋にもどって、また温泉につかれます。 タウポはアメリカ人が多い町だが、休日は、もともとテイクアウェイで過ごすニュージーランド人とは異なって、レストランで団欒をすごす人が多いので、料理屋もちゃんとしている。 テーブルが準備されるのを待つあいだ、あちこちから聞こえてくるRの音がおおきいアメリカ訛りの英語を聞いていると、ああ、タウポだなーとおもう。 なんとなく、幸せになる。 最近、悪い癖がでて、またぞろ新しいボートが欲しくなった。 言うと、モニさんに呆れられそうな気がするので、何隻目かは、ここにも書かないが、先手を打っていいわけをすると、カタマラン(双胴船)は食わず嫌いだったのが、カタログを見ると、どうにも広くて居心地が良さそうです。 何のことはない普通のラウンジが、そっくりそのまま船の上に乗っていて、キッチンも広々している。 本来はカタマランといえど、そこまで広々しているはずはないのだけれど、ボートスタジオに工夫があって、どうやら、もともとはレース用のヨットだった船体をディスプレースメントに改造したらしい。 ディスプレースメントというのは、簡単にいえば、おっそおおーいけれども、乗り心地がいい、一週間くらい船上で過ごしてもへっちゃらなボートのことをいう。 ふにゃあ、これはいいなあ、とおもって、ゴロゴロしながらカタログを見ている。 このレース用のカタマランをディスプレースメントに改造する、というのは、ボートに乗るのが好きな人なら直観的にわかる「グッドアイデア」で、カタマランの欠点は高速時にピッチングが起きることだが、ディスプレースメントは、なにしろ、ゆっくりしか走らないのでピッチングの心配はない。 問題は、ある。 長さの45フィートは良いとして、幅の15フィートは、広すぎて、バース(停泊桟橋)が甚だしく限られてしまう。 ディスプレースメントはオーストラリアの海には向いていないので論外だとして、ハウラキガルフがあるオークランドには、東から、パインハーバー、ハーフムーンベイ、OBC、オラケイマリーナ、ウエストヘーブン、ヴァイアダクト、ホブソンウエスト、ベイズウォーターとマリーナがある。 ブルーウォーターを越えてやってくる外国籍ヨットと観光ヨット用のやや特殊なヴァイアダクトを別にすると、7つマリーナがあることになるが、このうち最も大きくて有名なウエストヘーブンは月極になってリースは出来なくなった。 残り6つのうち、サイモンという事業家がもっているパインハーバー、ハーフムーンベイ、ホブソンウエスト、ベイズウォーターは、なにしろ長いことボートやヨットに乗っていればわかるが、とにかく評判が悪い人で、このあいだはバースの持ち主たちにひとり新規工事分費用をひとり頭20万ドルを負担させようとして、とうとう、みっともないことにバース所有者の組合ができて、訴訟の準備に入ったりしていた。 家から最も近いのはOBCとオラケイだが、オラケイは、夕方になると中国から来た観光客が無断で観光地として立ち寄って、最近は日本の観光客などよりずっとマナーがいい中国観光客といっても、田舎からの人達なのでしょう、トイレは汚すは、どうかすると勝手にヨットに入りこむはで、それまでは考えられなかった施錠をするボートも増えた。 OBCが、家からも近いし、クラブも上品でいいが、いかんせん、橋をくぐってハウラキガルフに出なければならないので、曳汐でも、おおきな船は難しい。 そうすると、オークランド湾の北にあるノースランドのマリーナということも考えなくてはならないが、今度は、そうすると家からクルマで、たださえ渋滞が多い橋をこえて、どうかすると二時間はかかりそうです。 つまり、そういうことを考えて、タウポのホテルで、うだうだしている。 タウポはスーパー火山で、巨大な湖と見えているものは、実は火口です。 初めの頃はぜんぜん判っていなかったが、オークランドからこの辺りは火山の密集地で、うかつにも、Mt … Continue reading

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夏、日本

「氷」の赤い文字の旗が風に揺れていて、空には、低い、けれども海に迫った急峻な山を前景に、濃い青色の空と真っ白で垂直な、巨大な積乱雲が立っている。 きみがいる日本が夏のさなかであることを考えていたら、ふと、子供のとき、あれほど大好きだった葉山のことをおもいだしました。 長者ヶ崎の、砂浜はびっしりと人で埋まっているのに沖合には誰もいない海や、森戸や一色の、少しいけば岩礁がある、楽しい海のことを思い出していた。 暑いのは苦手なのに、日本での楽しかった記憶を思い出すと、子供の頃のものはたいてい夏で、おとなになってから再訪した日本のほうは、冬の記憶ばかりなのを、不思議な気持で考える。 子供のころは、暑さに強かったのだろうか? 日本の夏には、思い出がたくさんある。 妹やぼくにとっては食べるものではなくて料理の素材なので、その上にいろいろなものをかけて食べるかき氷が珍しくて仕方がなかった。 もちろん、西洋でも食べる人がいるのは知っていたが、日本の「かき氷屋さん」は、あたりまえだが、独特で、なんだか質素なテーブルと椅子でかき氷を食べているひとちが、全員、ほんとうは人間ではなくて精霊であるような気がしたものでした。 きみは、日本のあの途方もなく暑い夏が、常に「死」の連想と結びついているのに気が付きましたか? 西方浄土、という。 死んで、立山に集まって、恐山に向かって、そこから西方に去っていった死せる人間の魂たちが、お盆になると、逆の道のりをたどって帰ってくる。 また、そんなバカなことを言って喜んでいる、と笑うきみの顔が見えそうだけど、あれには案外なおもしろいところがあってね。 日本語で書かれた本には怪談が無数にあるのだけれど、そのなかで実話と銘打っているもののなかには、ちょうどアイルランドの悪霊のように決まった空中の通り道をとおって、彼岸と此岸を往還する魂の往還路を遮ってアパートを建ててしまって、部屋のなかを通り抜ける亡霊に悩まされる住人の話がよく出てくるが、場所がわかるものに見当をつけて、日本地図の上に記しをつけていくと、案外立山と恐山を結ぶ線の上に点在していたりするのです。 やってみればいいよ。 やってみろ、と言われても、おれが日本語が判らないのを見越していっているんだろう、と言われそうだけど。 世界の奇習のひとつに数えられそうな、日本の、「夏に怪談をして涼む」習慣は、もちろん、お盆のせいだろうけど、例の精霊流しもあって、奇妙な現実感にあふれている。 そして、死の季節が死を呼び込むように、広島と長崎の原爆をもちだすまでもなく、日本の人にとっては、歴史的にも、輝かしい太陽が高天に燦然とのぼる夏は、同時に、ぞっとするような死の季節でもある。 里帰りをした夏、橋をわたって、夜更けに、祖母におぶさって散歩に出たひとの話を聞いたことがある。 そんな夜更けに祖母が幼かった自分をつれだすわけはないので、つれだした祖母がほんとうに祖母だったかどうかも、よくわからないと、その人は述べていた。 橋をわたるときに、川下に赤い光が灯っていることに気が付いたので、 「ばあちゃん、あれはなに?」と訊いたら「電話局の電信塔の灯りだよ」という。 ところが、川上にもおなじ赤い光があるので、「じゃあ、あれも電話局なの?」と訊くと、今度はなにもこたえてくれなかった。 気が付くと、寝床にいて、朝で、みんなにその話をすると、「夢をみたんだろう」と笑われた。 釈然としない気持で朝ご飯を食べて、部屋にもどろうとしたら、廊下ですれちがった祖母が、「他人に言うなと、あれほど言ったのに、おまえはほんとにダメな子供だな」と押し殺した声で述べたそうです。 あるいは子供のときに、むかしの日本式に一本櫓で漕ぐ舟をもっている人がいて、乗せてやるから遊びに来いと言われて葉山に遊びに行った人がいて、夜中にトイレに起きて、用を足していると自分の背よりも高い窓から、年寄りの女の人と孫であるらしいふたりの会話が聞こえてきて、どうやら夕食の仕度をしているらしくて、 ずいぶん遅い夕飯だなあと訝しくおもった。 次の日、その別荘の主人である例の和船の持ち主のおじさんに、隣の家は随分遅くまで起きている、と言ってみたら、 「なに言ってるの。この家は崖に立っているの、きみも知っているでしょう?」 と言われて、トイレで聞いた声は空中から聞こえたものであることに気が付いて、ぞっとしたという。 日本の夏には、そういう話があふれていて、ただ生命の繁栄と輝き渡る森や草原の美しさが氾濫する、きみやぼくが生まれた国とは異なるらしい。 精霊に満ちた日本という日本のイメージは、ラフカディオ・ハーンが奥さんのセツさんと合作した、まぼろしのような日本で、ほんとうには存在していなくて、 夜中に追分の森を歩いていて、きみとぼくが感じた精霊たちの存在は、迷信というよりも、もしかしたら、いっそ偏見なのかも知れません。 でも、ぼくの頭のなかでは日本は、そういう国で、その不可視の美が、いまでもしつこく日本語をやっている理由である気がする。 ほら、六本木の、いまはred areaという名前になっているらしい、ガス・パニックがある路地があるでしょう? あの裏は六本木墓地で、Tがロシア人の女の人を「ひっかけて」、あんなに家が多いところでエッチしてたりしていたけど、フリョウガイジンたちがいなくなると、墓地は墓地にもどって、静まり返って、そこだけが日本に還ってゆく。 日本の墓地は少しもこわくなくて、ぼくは大好きで、夜中に鎌倉の妙法寺の丘を墓石をぬってのぼっていって、腰掛けてスキットルからウイスキーを飲んで、ぼんやりと考え事をするのが好きだった。 こわくないといっても、墓地は墓地なので、よくなぜ日本には死が充満しているのか考えた。 ときどき日本人は文明を死者の視点から観ているのではないかとおもうことがあります。 よりよく死ぬ、ということではない。 … Continue reading

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ガメ式英語習得術

「血が滲(にじ)むような努力をしないと言語は習得できない」という人がいる。 そういう人の書いたものにはたいてい、「一日1時間の学習なんか、なんの役にも立たない」というようなことがどこかに書いてある。 どういう学習方法をとると、「血が滲む」のだろうか、と静かに考えてみる。 ほら、「叩頭礼」ってあるでしょう? そうそう。 清の十全老人乾隆帝が玉座に座っていて、階(きざはし)の向こうの庭に、拝復して、漆行してにじりよって、まず額をそこで打ち付けて恭順の意思をあらわす。 清だと三跪九叩頭の礼、というのね。 どうしても知っていることを言わずにおれない衒学が好きな人が安心するために言えば、明朝までは五拝三叩頭であって、清になると三跪九叩頭に変わります。 英語の本は、たいていマヌケにも「地面に額をこすりつけて」と書いてあるが、マカートニー伯爵やアマースト伯爵が拒絶したのは、そんな甘い話ちゃいますのや。 石に、バンバン頭をぶつける。 おもいきりドタマをぶつけて、額から血が出れば上品で、額から血も出ないような柔(やわ)な礼をする人間は野蛮人とみなされる。 そうすると日本人で外国語を習得する人は、多分、学習机に黒曜石の板をおいて、知らない単語や表現がでるたびにバンバン頭をぶつけているのではないだろーか。 それなら努力すると血が滲むものね。 なんという痛そうな学習方法だろう。 「あなたの英語学習方法は、ぜんぜんダメです!」 と怖いことを述べている人がいる。 たいてい女性差別にうんざりこいたとか、研究がしたいのに、一日の半分エクセルとにらめっこさせられますのや、とか、日本のなかでは自分がやりたいことをやるのに学歴が足りなかったとか、さまざまな理由で日本からとんずらこいてサンフランシスコだのニューヨークだのに住んでいる人であることが多いよーだ。 日本で学んだ英語なんて、まったくダメです! ほおほお。 なるほど。 と思って読んでいると、実はわたしはアメリカ在住の通訳・翻訳家だが、わたしが経営している会社では日本人のために英語教室を開いています。 英語がダメなあなたでも歓迎ですよ、と書いてあって、読んでいるほうは、あのですね、そーゆーツイッタアカウントには【PR】って、ちゃんとつけといてくれないとフェアじゃないんじゃないの? と考える。 英語がわかんないと困る世界になっているのに、英語がさっぱり判らないという厳然たる事実があるので、あっちで騙され、こっちで冷笑され、ひょろひょろと頼った先では「血が滲んどらあーん!」と怒鳴られる。 さて、ここで問題です。 血が滲む努力をする数学者はいるだろうか? 案外、いたりして、と考える。 数学者には冷房を嫌う人もいますからね。 夏などは、窓から蚊がぶううう〜んと入ってきて、大胆不敵にもデコに止まって血を吸っているのにむかっ腹を立ててピシャッと手のひらで叩きつぶす。 あんまりおもいっきり叩きすぎて、眩暈がするので、鏡をみると、デコに血が滲んでいる。 それはともかく。 朝おきるなり、まっすぐノートに向かって、はっと気が付いてみると、もう夜になっている。 次の朝、眼をさますと、まっすぐノートに向かっていって、ぐあああああ、やっぱダメだ、とがっかりしていると、もう夜になっている。 また次の朝も、まっすぐ歩けなくて、へろへろと蛇行しながら、ノートに向かって、夢のなかでダイジョブだったはずのアイデアがダメで、ペンをとめて、 けけけけけ、と叫ぶなり、 All work and no play … Continue reading

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