Monthly Archives: September 2018

太平洋戦争へのノート 3 零戦

宮崎駿の「風立ちぬ」は、なんとも不思議な映画だった。 全篇が零戦という、戦闘機であるのに日本的なやさしみに満ちた技術へのオマージュで出来ていて、そこに零戦設計技師堀越二郎の、ヒロイン里見菜穂子への恋心が、とってつけたように描かれている。 結果は、どんな映画になったかというと、ジブリファンが多いアメリカでも、あるいは、なにしろ「風立ちぬ」は堀辰雄がポール・ヴァレリーの詩句 Le vent se lève, il faut tenter de vivre にインスパイアされて書かれた小説であることが事前に伝えられていたので、アメリカよりも一層期待がおおきかったフランスでも、 「な、なんだ、これは?」と戸惑い失望した映画評が多かったようでした。 やはりジブリファンが多いニュージーランドでは、公開さえ沙汰止みになって、されなかった。 当たり前といえば当たり前で、零戦という戦闘機への愛情がなければ、全体が実は零戦に代表される日本的技術文化に捧げられた物語なので、チンプンでカンプンで、訳がわからん、と映画館の椅子のうえで暴れたくなるのも無理はない。 最近は、多分、日本の戦後の歴史では初めて、「零戦は、ぜんぜんダメな飛行機だった」と述べるのが流行りで、このあいだ「ゼロ戦」で検索してtwitterを読んでいたら「空飛ぶ戸板と呼ぶべき駄作戦闘機」と書いている兵器オタクの人がいて、面白いので吹き出してしまったが、日本の人の面白いところは、こういう軍事技術に類することでも「立場主義」で、見ていると、国際派志向、リベラル志向で、女の人が多くあつまる「おいらフェミニスト」みたいな人は決まって「零戦は、たいしたことない」 「零戦が名機だという外国人に会ったことがない」と述べている。 インターネット・エラは便利で、ほんとうに外国人で零戦を評価するひとがゼロなのかどうかは、そりゃ、日本語で検索してはダメだけれども、英語で検索すれば英語人の評価、フランス語で検索すればフランス人の評価が、専門家のものだけでなくて、市井の人が考えた評価も、公開フォーラムの形で、あるいはQ&Aの形で、いくらでも出てきます。 いまちょっとやってみると、例えば、太平洋戦線の戦闘機を比較した、こういうのがある。 https://ww2aircraft.net/forum/threads/best-pacific-fighter.444/ これは図を初めに掲げてあって、英語がぜんぜん判らなくても一目瞭然なので選んだが、ほかのフォーラムやサイトをみればわかる、零戦への一般の「外国人」の評価としても厳しいほうです。 最も評価が高いのがF4Uコルセアで、次がF6Fヘルキャット、次にP38ライトニングが来て、その次が零戦で11.2%の人が零戦を太平洋におけるベスト・ファイタープレーンに選んでいる。 え? コルセアがヘルキャットより上なの? という人がたくさんいるとおもうが、実は英語世界で一般的評価では、F4UコルセアのほうがF6Fより遙かに良い戦闘機だったことになっていて、日本と正反対の評価です。 なぜ評価がアベコベになってしまったているかというと、多分、最前線ラバウルにいた日本の戦闘機乗りたち、なかでも著書が英語世界でベストセラーになった坂井三郎がコルセアよりもF6Fのほうが怖かった、と述べているからで、あとは、なぜか戦後、大量に発刊された戦記にもF4UコルセアとP38ライトニングを「零戦の好敵手」と呼んで、F6Fは「零戦キラー」と書いてあるからでしょう。 現実とは異なる「F6Fは捕獲零戦の研究によって設計された」という説まで巷間に流布されている。 現実は戦績を観ても、アメリカ側のパイロットの回顧談を見ても、コルセアのほうが遙かに評価が高い戦闘機で、F6Fなどは問題にならない信頼を寄せている。 ただなかにはF6Fのほうがいい飛行機だった、と述べているアメリカ側パイロットも、たしかにいるにはいて、これは自分が飛行機の免許をもっていればわかりやすいというか、グラマンという会社はエンジンが止まると「石のように落ちる」といって毛嫌いする人はいるものの、練習機もずっと作っていて、会社の伝統として、ものすごく飛ばしやすい飛行機をつくる。 「飛ばしやすい」というのは、離陸や着陸時に失速しにくい、脚が丈夫で多少乱暴な着陸をしても折れない、操縦席からの見晴らしがよい、というような、そういうことです。 F4UもF6Fも本義は空母を発って空母に帰還する「艦載機」なので、特にF6Fの、こういう素直さはありがたかったらしくて、新米パイロットにとっては命懸けのF4Uの離着艦がF6Fではリラックスしておこなえて、そのせいで好感を持った操縦士はたくさんいたようではある。 心配したり卑下したりしなくても、では、ヘンな言い方になるかもしれないが、軍事史専門家でも、兵器オタクフォーラムでも、あるいは航空技術オタクでも、またあるいはふつーの人でも。どこの国の人間にあげさせても、太平洋に限らず、第二次世界大戦中のすぐれた戦闘機のベスト10を挙げさせると、零戦は必ず10機のなかに含まれている。 最も誰もが納得しやすいベスト10を挙げると 1_Focke-Wulf Fw-190 2_P-51 Mustang 3_Spitfire 3_Bf … Continue reading

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James James

1 なんだか歯が痛いような気がするので、机に向かって、ひさしぶりに数学の問題を考えていたら、ちいさなちいさな妖精がおりてきて、コンピューターの、モニタの上辺に腰掛けて、肘をついて、こちらをみている。 なにかに似ていると考えたら、むかしコナン・ドイルが見事にだまされた、妖精写真の、ほんとうは紙で出来た背丈が3インチほどの妖精に似ている。 おおきな蝶のような羽根と、少し生意気な表情の、整った顔。 「あなた、人間の世界なんかで、なにをしているの?」 と可笑しそうな顔で聴いている。 聴いてきたわよ。 もう500年も、人間の世界で遊んでいるそうじゃないの。 仕事はしなくていいのか。 いったいなにを考えて時間つぶしみたいなことばかりしているのか。 第一、 よく飽きないわね。 どうも質問の内容を聞いていると、母親の差し金なのではないか。 いちいち答えるのが業腹なので、無視したまま、数学の図を眺めていたら、 ふっと風に揺れる花びらのように笑って、羽ばたいて宙に浮くと、モニタ画面のなかに、入って消えてしまった。 2 むかし、酒を飲まない夫が人がわりがしたように鯨飲したできごとを書いたことがある。 長いが、引用する 「ひとが変わってしまったのだ、という。 ある朝、目をさましてみると、夫が顔を覗き込んでいて、 おい、「P」へ行こう、と話しかけている。 P、というのは24時間開いているウクライナ料理を出すカフェで、夫婦の、週末の午後の散歩の途中で寄ってみることがある。 朝食をカフェで、ということですか?と聞いてみると、 そうではない。 おれは酒が飲みたいのだ。 それも強い酒がいい。 ヴォッカが飲みたい。 慌てて起き上がって仕度をしながら、だって、あなたお酒は飲まれないじゃないですか、と言ってみても、返事もせずに、無言で急かすように玄関の脇に立っている。 いざ外に出ると、そういうことは、ついぞ無かったひとなのに、大変な早足で歩いていく。 ついていくのにたいへんで、ときどき駆け足にならないと、ついていくことができなかった。 日本料理屋が並ぶ通りを抜けて、ウクライナ・カフェに着く頃には息が切れて、眩暈がするようだった。 テーブルにつくとペリメニを頼むところまでは同じだが、ほんとうにヴォッカを頼んでいる。 顔見知りのウエイトレスが怪訝な顔をするのも構わず、ヴォッカを頼んで、 持ってこさせると、一気に飲んで、お代わりを頼む。 もう一杯、もうひとつ、どうも頼むのが面倒だな、ダブルというのも出来ますか? あんまり、たくさん頼むので、しまいにはウエイトレスが笑いだして、ボトルをここに置いておくから、気がすむまで飲んで、支払いは自分で決めてください、と言い出した。 結婚してから、いままで、十二年のあいだに一度もお酒を飲む夫の姿を見たことがないので、呆気にとられてしまう。 結局、ヴォッカを1本まるまる飲んで、そのまま、すっくと立ち上がると、カフェの表に出したテーブルのすぐそばにあるベンチに寝転がって、鼾をかいて寝てしまった。 それから、どうなったの?と聞くと、 1時間くらい寝ていたかと思ったら、なんでもない顔でもどってきて、 … Continue reading

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びっしょり濡れた言語を乾かす

静かになってゆく。 ぼんやりと明るみが残っている言葉の地平線の向こうから、叫び声や、きれぎれの呼び合う声が聞こえている。 下腹が膨らんで蓬髪の抜け落ちた餓鬼たちの咆哮が木霊している。 なんの話をしているのかって? もちろん、日本語の話をしているのさ。 日本語くらいおもしろい言語はない。 ほら、英語はいきなり主語を立ててしまうでしょう? そうすると、謎がつくれない。 霧の夜に、川堤の下にいて、歩いてくる人の、遠くから近付いてくる人達の会話を聴いてでもいるように、だんだん何を話いるのか聞こえてきて、ああ、この人は、そういうことを話していたのか!とおもう興奮がない。 英語、 不動産契約書には向いているけどね。 宣戦布告にも向いているだろう。 多分、離婚届を書くのにも最適なのではないか。 自分の母語だからかもしれないが、英語がおもしろいとおもったことはいちどもないな。 ….いや、まったくないとは言えない。 シェークスピアの(英語でいう意味の)witで初めて英語という言語に深い魅力があるのがわかった。 T.S. Eliotの楽曲的に編成された、音楽のような英語で、なるほど英語もチューンに気を付ければ美しい言葉たりうるのだと理解した。 ディラン・トマスの急降下する鷹のようなスピードのある英語で、英語を使っても情熱さえ表現できるのだと知った。 でも日本語って、全然、違うんだよ。 なんといえばいいか、言語じゃないみたいに、押し絵か、入り組んだ線描か、さもなければ、幾重にもつづおれた、曲がりくねった山道のように自分を表現できる。 逡巡して、ああでもないこうでもない、悩んで迷ったとおりに、そのままを言語化しうる。 曲がりくねって、まるで生物の脊椎の曲線や、言葉の力によって撓んだ竹ひごのように、やさしい、やわらかい論理や感情を、あますところなく記録して文にできる。 言葉のイメージを重ねやすい言葉でもある。 ほら、「臨月のようなお月様」と書いた詩人がいるでしょう? おなじ詩人は、くんずほぐれつ、「魂をいれたりだしたりして」、恋人と純愛にふける毎日のことを書いている。 漢字を通して、日本語と中国語の音韻の違いを踏まえていれば、古代中国のイメージに手をとどかせることも出来る。 炎帝あゆみやまず 海神へめぐりやまず と書いた詩人は、戦後日本で、革命を信じて火炎瓶を投げる地下活動の日々のなかで、何度も親友や恋人に裏切られ、仲間に警察に売られ、組織にしめだされて知らない顔をされるなかで、過去へ過去へ、日本語を伝って信じられないほど遠くまで歩いていって、 炎帝あゆみやまず 海神へめぐりやまず 日本語の根源にまでたどりついた。 絶望がこの詩人を快活にして、やがて、彼を途方もなくやさしくしていった。 知っているかい? 人間は動物が死ぬように生の感情のなかで死ねない。 人間は言葉のなかで死ぬ。 言葉はシンボルだが、シンボルが表徴する感情が燦めくクリスタルのような語彙のなかで死ぬ。 日本人は日本語のなかで死ぬだろう。 英語人は英語のなかで死ぬ。 … Continue reading

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マンガ家の友達への手紙

ひとりの人間が生きていくということが、どれほど大変なことかは、女の人のほうがよく知っている。 多分、女のひとのほうが、医師なら医師という職業から、職業も社会的な位置も、観念さえもはぎとられて、なんのラベルもない、裸の「自分という個人」に押し戻される機会が多いからで、出産を経験する人は、なおさら、そういう言い方をすれば「ナマ」な自分に引き戻されるのではないかと思います。 どこまでも迂闊なぼくは、あなたがエッセイ集をだしているのを知りませんでした。 手に取ってひらくまで、あなたが生業にしているマンガなのだとおもっていた。 ところが、ページを開いて、そこに現れたのは垂直に文字が積み重なった縦書きに書かれた言葉で、スピードボールを期待していてチェンジアップを投げられたベースボールの打者のように、なんだか腰砕けで、あなたの文章世界に入っていきました。 マンガ家だとおもっていたのに、文章が上手で驚いた、というのは、考えてみると、随分失礼な言い草だが、さっきそう書いたときまでは、理屈がのみこめていなくて、書いてから考えて見ると、なるほど、マンガ家は絵を描けるうえに文章家としても才能も同時にもちあわせないと、やれないのですね。 書いてから気が付いた。 なんだか、いつものことだが、ずいぶんバカなことを言ってしまいました。 現実が、少し突き放して、淡々と書いてあって、いまの日本社会を生きていく女の人達が、どんなふうに考え、どんな経験をして、どんな理不尽と付き合わなければいけないか、わかりやすい本でした。 多分、もう二、三回読むとおもうが、一回読んだ時点で、手紙を書きたくなったのは、なるほど言語を伝達に使うためには、自分がおもっている観念を書かずに、こうやって細部を伝えようとすればいいのだ、と教わったことへの感謝を伝えたかったからです。 日本の人の謙遜は、聴いても仕方がない。 聴いても、ああ、またか、と思うだけなので、あんまり期待していませんが、Q太さんは、きっと、この本を書いてしまったことを誇りに思っていると思う。 うまく自分が感じたことや考えたことが書けていて、(笑ってはダメですよ)まるで現代版の「千曲川のスケッチ」のように、いまの日本社会におかれている日本の人の、まるのままの姿が描かれている。 ポンッと放り出すように描かれている。 逆子を正常位置にもどす回転施術や、元夫の義父がいわれのない言いがかりを述べることに、くやし涙を流すことを描くことによって、安倍政権がうんちゃらかんちゃらで、トランプがどーたらこーたらで、日本会議が、うほっほでほっほな言説による百倍も、読む方は世界の現実を実感する。 おおげさな、と言われそうだが、わしはひさしぶりに「世界はどんなふうに存在しているか」ということについての、おおきな示唆を含む本を読みました。 これが奇妙な言い方に聞こえれば、世界というものを、どんな角度から見ればわかりやすいのか、ということについて教えてもらったと言ってもいい。 長いけど、とても気に入った箇所なので引用したい。 逆子になっている、と診断されてから1ッ週間後の検診。やはり位置は変わっていなかった。毎朝毎晩、お灸に体操にと頑張ったのだけど。 黙ってモニターを見つめる、T先生と私。 T先生はおもむろに切り出した。 「直したい?」はい。「陣痛起こっちゃうかもしれないけど、いい?」いいです、いいです。「そうだな、推定体重も3千超えてるしな」 そうしてT先生による外回転術がはじまった。お腹の上から、赤んぼうをひっくり返すのだ。粘土のようにこねくり回される、私のお腹。「ここが引っかかってるんだな….」 ブツブツ言いながら、こねるT先生。 「あっ浮いた」 T先生はそのまま、ゆっくり、ゆっくりと、手のひらで赤んぼうを回していく。 「直った」 痛いらしい、と聞いていたけど、全然痛くなかった。あんまりあっけなかったので、笑いそうなほどだった。T先生は机に戻って、カルテにいろいろ書き込みながら言った。 「回転代、3千5百円ね」 この「回転代、3千5百円ね」がいたく気に入って、何度も読み返してしまいました。 Q太さんとわしが住んでいるこの世界は、ちょうど人間が呼吸しているように、言語によって呼吸しているのですが、その呼吸に、この「回転代、3千5百円ね」は、ぴったりあっている。 「よく子供をつくるヒマがありましたね」と「さらり」との述べる後輩に、 「夫婦のセックスって、ひまだからするんじゃないだろう。時間をつくってするものだ。いたわり合いだもの。」 と書くQ太さんの叡知のダイレクトな発露がある文も、そこここにあって、おお、すごい、とおもうが、わしは外回転術について述べる文のほうに、おおげさにいえば、日本語の未来を感じました。 まだまだ日本語は、自分が見たことを、そのまま書ける言葉なのですよね。 自分に引き寄せれば、ほかにも驚いたことはたくさんあります。 Q太さんは、ラフカディオ・ハーンが大好きな、わしの夢のアルカディア、松江の出身なのでした。 ほかにも、Q太さんて、わしじゃん、と不遜にも考えるところがたくさんあって、本を読み終えるころには、そーか、おれも女の人に生まれれば3回結婚して子供を4人産んでいたのだな、と確信するに至っていた。 Q太さんが「いつかどこかで」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/04/28/itsuka/Continue reading

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鎌倉のおもいで

夜の中を白い道がボオッと光るように続いている。 町並が闇の中に沈んでいて、なにも見えないが、歩いていて、鎌倉の、二階堂の国大附属小学校の前の道だというのは判っている。 あのタイル張りの道ならば、「町並」というようなものはなくて、ただ学校と住宅があるだけのはずだが、夢なのか記憶のなかなのか、影の軒先は、たしかに店のものです。 そこだけ、ぽっくりと空いた空間があって、駐車場になっている。 後ろには、そんなところにあるはずがない小さな山があって、常磐の山に似ているので、これは記憶が合成されているのだろうか、と訝しい気持が起こる。 あの駐車場にはおぼえていることがある。 段葛に桜が咲いて、麻布からわざわざ見物にやってきた友達と、夜更けの桜をひととおり見終わって、瑞泉寺の近くの鮨屋に行こうということになった。 もう12時をまわっていて、夜が早い鎌倉で、そんな時間に開いているのは小町通りで人気のある店を開いていて、博奕がやめられなくて大阪に逃げてクビを括ったのだという噂があった店くらいしかないが、そのときは、瑞泉寺の店に行こうということになっていた。 帰りに、じゃあ、今度買った家に泊まっていけばいいじゃないか、ということになって、ふたりで歩いていく途中で、駐車場の前を通ると、小さな子供が走り出てきて、こちらに向かって駈けてくる。 なんだか黒い影のようにしか見えない子供だな、と不思議におもって、見つめ直していると、後ろから若い母親の声で「しょうちゃん、こんなに遅くまで遊んでいちゃダメでしょう!」と呼ぶ声がして、子供は、引き返していった。 後ろで観ていた友達が、すっかり酔いがさめた、という様子で、 「あの親子が引き返していったほうには、家はないね」と、なんだかぼんやりした声でいう。 なにかがおかしいのは、それだけではなくて、考えてみれば、もう午前3時をまわっていて、そんな時間に遊びに出るのは遅いもなにもないものだ、ということに、やっと気が付いている。 おい、ちょっと、ここやめよう、と言うなり。 友達は、急ぎ足で立ち去ろうとする。 ふと見上げると、さっきの山がなくなっていて、月が皓皓と光っている。 鎌倉は、そんな記憶ばかりがあって、混濁した記憶や、夢を見た記憶、細部を失った現実が渾然となって、振り返っても、よく見えない景色のようになっている。 たしかに自分の身の上に起きたはずのことだ、とおもって、いあわせたはずの義理叔父に確かめてみると、それは義理叔父の経験であったりしたことすらある。 鎌倉はだから、自分にとっては夢のなかにある町のようなもので、だいたいが非現実的で、たしかにあったこととして二階堂の首塚からテニスコートへ向かって曲がったら、出会い頭に今上天皇と身体がぶつかってしまったことがあったが、SPもたくさんいて、厳戒体制のはずなのに、どうしてそんなことが起きたのか。 いま考えても、なんだかヘンなことがたくさんある町だったなあ、とおもう。 広尾山の家にいて飽きると、週末を避けて、鎌倉の家にいくことが何度もあった。 住むために買ったというよりも、昭和40年だかに出来た、薄いおおきなガラスがある縁側がある、その古めかしい家が気に入って、高くもなかったので、手に入れた家だった。 ここにあまり書きたくないが、いまは自殺してしまった友達が鶴ヶ丘八幡宮の裏手に住んでいて、この小柄な日本人の年長の友達と不思議なくらい気が合ったせいもあります。 この人と、水木しげるのマンガや、西田幾多郎の哲学、夏目漱石の「心」の話をしたりするのが楽しくてたまらなかった。 また、このひとは、とても鎌倉に詳しい人で、例えば漱石の心の話をしていると、散歩に行きませんか?と述べて、材木座海岸につれていってくれて、ほらここが、と立って微笑んでみせる。 「先生」と主人公が初めて会ったのは、どうしても、ここなんです、という。 由比ヶ浜ではないんですか?と聞くと、文章の様子からして違うとおもう、と述べる。 すぐ後ろを走っている国道の向こうを指さして、あの頃は、ここの一帯がおおきな別荘が並んでいたところでね、つい最近までは、美智子妃殿下の実家の別荘もありました。 いまは12軒の家が建ってしまったけどね。 といって、この人の笑いかたの特徴で、ふらっと笑う。 そのとき、もしかしたら、この人は自殺してしまうのではないだろうか、とふと考えたのをおぼえている。 或いは鎌倉山から林間病院のほうへ行って、岐れ道を右へ曲がって、七里ヶ浜の富士見坂におりてゆく道もよく歩いた。 鎌倉山に行ったのだから、これも友達の家に行ったはずだが、記憶のなかではひとりで、ちょうど鎌倉山の頂上にあたる、西側に林が広がる道を歩くと、満月のときは、遠くの、小さな小さな富士山が、人造物のようにくっきりと照らし出されて見えたのをおぼえている。 20代前半で、ひとりのときでも、ときどき、めんどくさくなると家のすぐそばのホテルであっても泊まってしまう癖はおなじだったから、もしかしたら七里ヶ浜のプリンスホテルに泊まった夜なのかもしれません。 あのホテルは、いまはどうだかわからないが、きちんとしていて、鎌倉では最も不便と形容したくなるところにあって、しかも部屋の造作は案外なビジネスホテル風で索漠としていたけれども、静かで、眺めがよくて、最後の頃は目の前の松林が松食い虫にやられてなくなって禿げ山ホテルなんて失礼な名前をつけて喜んでいたが、割と好きなホテルで、用事もないのに何日か逗留して、あの辺りから腰越は、犯人が潜伏していた黒澤明の「天国と地獄」の舞台なので、鎌倉学園前駅から腰越駅までうろうろして、犯人の隠れ家の住所の目星をつけたりして遊んでいた。 いわしをだす店があったり、珊瑚礁という、あんまりおいしくないのに長い行列がある店があったり、よく考えてみると、そこだけ切り話されたキャンプ場のような住宅地の七里ヶ浜で、ぼんやりして、海に面した駐車場でウイスキーを飲んだりしていた。 家を買ってもっていたといっても、住んでいたわけでもないのに、鎌倉は日本を思い出すと、いつも自動的に思い出される町で、いまでもなつかしい気がする。 仲のよい年長の友人がおおく住んでいて、そのひとたちは面白い、気持のいい人が多くて、元新聞記者だったひとなどは、腹切り櫓に念願の「縁側のある家」を建てて、どりゃ、これから記念すべき縁側ビール第一回といくとするか、とおもって、奥さんに盆にビールと枝豆をもってこさせて、腰をおろして、内心「やったやった」という気持で、それでも容儀だけは「鎌倉人らしく」静かに、グラスを傾けていたら、目の前の庭を塀からでてきた鎧武者が、すうううっっと歩いて、というよりも滑って、また反対側の塀へ、すううううっと消えていったのだという。 「それでさ、ガメちゃん、縁がわ使えなくなっちゃってさ。夕方になると雨戸しめきりなんだよ。興醒めだよ」と笑っていた。 この人も死んでしまった。 … Continue reading

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孤立する日本語 その1

前にTeju ColeとMin Jin Leeを読んでいて、やがて英語文学を代表する作家になるに違いないこのふたりの作家が、ふたりとも、英語で書いているが母語は英語でないことに気が付いて、文学にも新しい時代が到来していることを思った。 小説という文学上の形式がそれぞれの国の国語の勃興期に発展を遂げて、なんだか夢中になって「自分達の言語」で、カンナをかけ、トンカチをふるって、建築ブームのようにして広まったことはよく知られている。 フランス語でもドイツ語でも、小説が発達したのは国権主義国家や国民意識、「われわれドイツ人」タイプの意識の昂揚が小説という文学形式を聳え立たせたのだということができそうです。 日本もことに自然主義文学においておなじことが言えそうな気がする。 ネット上で、日本語をやりとりしていると、 「わたしは日本人だが、あなたが日本人の通弊として指摘する思考癖をもっていない。ひとくくりにしないでくれ」 という人が、よく現れる。 日本語人の一般性を抽出して民族的な傾向について考えようとすることを「自分がひとくくりにされた」と感じるのは単なる幼児性にしか過ぎないが、それはここでは、めんどくさいので言わないでおく。 日本語人は、以前に述べたtu quoqueが大好きであるというような論理の癖とは別に、異なる側面から眺めると、そう言っている本人が気が付いていないだけで、日本語では、「われわれ日本人」意識が、どんどん薄くなっているのかもしれない。 薄くなっている、というよりも、未だに戦前の日本帝国からアイデンティティを引き継ごうとする無意味で、いかにも「反省なんてしねーよ」な強引な試みに激しく反発する世界の実相を見て、日本人であることに誇りがもてなくなっているようにみえる。 「日本が国際社会で疎外されるのは、なぜだろう?」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2018/06/23/japan2050/ 戦前の大日本帝国が犯した戦争犯罪について、他人事のように気楽に批判してみせるいっぽうで、国のアイデンティティは戦前の日本を引き継いでいるのでは、理屈があわないが、気分を想像すると、 銀行強盗に入って一網打尽につかまった強盗団のなかで、「おれは銀行に強盗に行ったわけじゃない。ただ頼まれて通りの反対側のクルマのなかに座って見張りをやっていただけだ」と嘯く人のようなものだなのだろう。 棒杭に縛り付けられた中国人を銃剣で突き刺して殺害するのは、日本陸軍の歩兵のあいだでは、各部隊で年柄年中おこなわれる「訓練」にしかすぎなかった。 ごく稀に、生きた中国人を刺突して殺害することがどうしても出来なくて、「自分には出来ません!」と述べる兵士は半殺しにされるまで殴られ蹴られたが、そういう兵士の証言をみると、逆に、中国戦線に参加した兵士はほとんどが、この訓練に参加していたことが判ります。 戦後、お互いをかばうために口を拭って「あれは戦争という狂気が生んだ一場の悪夢だった」と忘れてしまえたのは、一にも二にも、「命令だったから仕方がなかった」 「皆が、やったんだよ。良いや悪いじゃなかった」 という強い気持ちがあったからで、そういう元兵士の機微は、例えば原一男監督が撮った極めて攻撃的な糾弾病者奥崎謙三が、いまは平和に生活している元兵士たちを苛烈に追究することによって、上官による兵士の部下殺害命令や友軍兵や敵兵を問わず人肉食が蔓延していた事実をあかるみにさらしていくドキュメンタリ、「ゆきゆきて、神軍」にうまく描かれている。 しかし、その前提にはもともと日本語は個人の倫理を前提としない言語である、ということが当然、存在する。 ウォール街の結局は富者の都合によって罰せられなかった金融犯罪のドキュメンタリはたくさんあるが、そのうちのひとつに、下っ端の行員として高給を稼いでいた韓国系人が、自らガイドとなって観光客に、ウォール街の犯罪について解説するツアーを企画して生業にしている様子をドキュメンタリに仕立てたものがある。 ウォール街が、いかに一丸となって、一個の低所得層からカネを巻きあげる巨大な機械となって、アメリカ社会を疲弊させて、健全な社会を破壊に導いたかよく判るように描かれていたが、その最後に、ドキュメンタリ制作者が、その韓国系人に 「では、あなた自身は、自分の責任についてどう考えているのか?」と質問するところがある。 その直後に起きたことは、なんでもかんでも韓国と日本をいっしょくたにして「兄弟国」と考える乱暴な考えを習慣にしていた人間(←わしのことね)にとっては、おおげさにいえば、衝撃的で、この韓国系人は、それまでの利発で快活な様子と打って変わって、うなだれて、黙りこくって、その沈黙のあと、大粒の涙が頬を伝う。 なんと言ったか精確に憶えていないが、「もちろん、わたしにも人間としての責任がある」という意味のことを述べる。 このドキュメンタリを観たのは、ウォール街で働いて、うまく立ち回って稼いだとかで、わし友メグどんの表現によれば「日本の不動産バブルのときに、もうかった自慢話を嬉々として話していた不動産業者とおなじ」だと述べていたが、日本語ツイッタの世界ではたいへん人気がある日本人の女の人に自慢の仕方がいかにも道徳ゼロでみっともないのでツイッタで「犯罪のお先棒を担いで儲かったことを自慢するのは見苦しいからやめたらどうか」と述べたら、ほんとうのことを言われてびっくりしたのでしょう、えらい悪態のつかれようで、あとは日本人の十八番「おまえはニセガイジンだろう」から始まる定番セットをずらずらと並べられて、このひとは4万人だかなんだかのフォロワーがいる人で、他の人たちも加わって、おーすごい、な、トゥルーカラーまるだしの下品攻撃で、 眺めていて、外国に何十年住んでも日本語で思考して暮らしている限り、日本式思考からは逃れられないのだなあ、と再認させられた直ぐ後のことだったので、 韓国人の強烈な倫理意識を観て、びっくりしてしまった。 うーむ、と考えて、そのあと立て続けに韓国のテレビドラマや映画を大量に観たが、光州事件を題材にしたA Taxi Driverや韓国大統領のノ・ムヒョンの弁護士時代を描いたThe Attorneyを初めとして、最近のテレビドラマシリーズ「ストレンジャー」に至るまで、これでもかこれでもかというくらい社会倫理と個人の葛藤やintegrityを保とうと苦闘する人間たちの物語で、韓国語がよく分からないので英語字幕をずっと見つめて観なければならず、クビが痛くなってたいへんで、もっか韓国語理解能力を改善すべくベンキョーちゅうだが、その過程でも、どうやら韓国人と日本人のあいだにはおおきな乗り越えられないほどの分断の壁があって、その壁は「倫理の有無」で出来ているらしいと判ってきた。 日本語人が功利でおきかえている場所に韓国語人は倫理をおいているらしい。 余計なことをいうと、もうちょっとベンキョーしないと判らないが、それは実はわしにとっては困ったことなので、韓国語と日本語のような兄弟言語で片方は倫理バカみたいなところがあって、片方は倫理ゼロの国民性では、言語と思考の深いつながりを述べてきた自分にとってはなはだしく都合が悪い。 倫理と言語機能の密接な相関関係をおもえば、もしかすると、「都合が悪い」どころの話ではないのかもしれない。 ここで、倫理とは異なる側面から言語の選択が社会に与える影響の話を慌ててしておくことにする。 … Continue reading

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食べ放題の思想

「結城アンナのお母さんって、むかし、六本木のスウェーデンセンターでバイキングをやっていてね」と言う。 聴いているほうは、話がのっけからのみこめないので、着物を着たアンナさんが、ヘルメットから角が生えた、例のヴァイキングの兜を被って、六本木のスウェーデンセンターの屋上で剣をかかげて空に吠えているところを映像として想像します。 あ。ガメ、そうでなくて、結城アンナというのは日本の人にとってはテレビのハウスジャワカレーのコマーシャルでおなじみの人でね。 20代の独身のときから、ずっとハウスジャワカレーで、岩城滉一と結婚してからも、まだジャワカレーなんだけどね。 その母親がスウェーデン人で、六本木でバルハラめざしてバーサークしていたりしたのか、と聴いているほうは「岩城滉一」という人も知らないので、だんだん混迷を深めてゆく。 だから、なんで、その人が六本木で海賊をやっていたんですか? 「ガメ、ヴァイキングは海賊ではないとぼくをやりこめたのはきみではないか」 だから、それはモンティパイソンのスパムなんて古臭い話題をもちだすから、いらいらしてきて、ええい、無知なおやじめと、頭にきて、いいじゃないですか、ここでは海賊で。わかるんだから と得心がいかない会話のなかで、やがて判明したのは、言われてみればなるほど、そういう言い方があったなとおもう食べ放題の意味のバイキングで、いま見るとフランクロイドライトの代表的建築であった旧帝国ホテル本館をぶち壊していまの帝国ホテルビルヂングをおっ立てたので有名な、里見八犬士の末裔帝国ホテル社長犬丸徹三がデンマークでスモーガスボードを見ておもいついた食べ放題システムを「バイキング」と命名していまに至っているそうでした。 相変わらず、表計算の数字の羅列を見たりしながら、サブモニターで、ちらちらツイッタを眺めるくせはなおっていない。 というやりとりがあって、それでこの記事を書いているのだけれども、このマコトさんという人は、奥さんがニュージーランドの人で、ときどきオークランドのボタニーダウンズというところにある奥さんの実家で何日かを過ごしに帰ってくる。 ボタニーダウンズはオークランドの東郊外にある新興住宅地で、Botany Town Centreという、チョーでっかいショッピングセンターがあるので有名です。 ここから少し北に行くと、接して、Howick、むかしから中国系移民の人がオカネモチになったら住むのが夢のやたら部屋数が多くてでっかい大家族向けの家がたくさん並んでいる住宅地があって、少し南に行くと、インドのパンジャビからの若い中流階級の移民が多い、Flat Bushという住宅地がある。 そういう土地柄なので、オークランドのあちこちに支店があるタイピン中華スーパーマーケットのでっかい支店があり、やはり中華スーパーチェーンのDHがあり、朝の7時からやっている飲茶屋もあれば、一方ではチャイとお菓子や軽食を出すインド式のchaat屋もあります。 その名も「チャイナタウン」という、なんだか体育館がでかくなったような建物もあって、一歩足を踏み入れると上海の裏通りをそのまま再現しましたとでもいうような館内で、ヘンなショッピングセンターだが、言われてみると、たしかに「食べ放題」と日本語でいうバフェ式、あるいはビュッフェ式なのか、カタカナとして英語式かフランス語式か、どっちか知らんけれども、ともかく欲しいもんは自分で立っていって食べろや、のレストランはボタニーには多くはない。 韓国の人は、例の、サービスでドバドバと、これでもかこれでもかと出てくる、キムチや魚の揚げたのや、海藻サラダや、日本ではたしか「大学いも」なる、いよいよ訳のわからない名前がついている甘い味付けの芋やの小鉢料理の影響でしょう、意外とたくさんの「食べ放題」レストランを開いていて、いま頭のなかでザッと数えてみただけで韓国料理食べ放題レストランはオークランドにも6軒ある。 いちど、ノースショア、橋の向こうのオークランドの北新地にでかけて、入ってみたら、食べ放題の焼き肉がことのほかおいしくて、カルビを2kgくらい食べて、ビビンバと、ついでなので冷麺も食べたら、帰りに運転するのが眠くて、ままならなくて、やむをえず、途中でモニさんに交代してもらったことがあった。 インド料理屋は、ランチはバフェ式のほうが普通です。 カレーが肉入りがチキン、ラム、ときどきなぜかビーフもあって6〜8個くらいの深皿トレイに入って並んでいる。 横には、ここが興味ぶかいというかなんというか、一応、「わたしは隣の不浄なやつらとは交渉がありませんからね」と主張するものであるがごとく、40センチくらいの距離をもたせた別のテーブルに、Shahi paneer、Palak paneer、ダルやアルゴビ、いろいろ並んで、出来たてのナンやロティが絶えず厨房から運ばれてくる。 と、ここまで書いて当然気が付くのは韓国レストランの「食べ放題」では、なんだか妙におおきい、胡乱な服装の、ときどき韓国語を口走ったりする白い外国人のにーちゃんが、千尋の両親のごとくガツガツガツと食べまくって、ゲエエエーップッをする下品さで、やたらと食べまくる人が散見されるのに、インド料理屋では、そういう光景を見たことがない。 いや、よく見ると、ナンを4人で10枚くらい重ねて、わいわいがやがや、そんだらこったー、なんだってわかんね、と楽しそうに述べながら、たくさん食べてはいるが、どうも詰め込むというようには見えません。 あの人らがいっぱい食べるのは、いつものことである。 でも、がっつかなくて、のんびりです。 メキシコのカンクーンに行くと、砂州のような細長い砂浜の連続に沿って、何十というホテルが並んでいる。 Hard Rock Hotel Marriot Grand Oasis The Westin Club Med … Continue reading

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