食べ放題の思想

「結城アンナのお母さんって、むかし、六本木のスウェーデンセンターでバイキングをやっていてね」と言う。
聴いているほうは、話がのっけからのみこめないので、着物を着たアンナさんが、ヘルメットから角が生えた、例のヴァイキングの兜を被って、六本木のスウェーデンセンターの屋上で剣をかかげて空に吠えているところを映像として想像します。

あ。ガメ、そうでなくて、結城アンナというのは日本の人にとってはテレビのハウスジャワカレーのコマーシャルでおなじみの人でね。
20代の独身のときから、ずっとハウスジャワカレーで、岩城滉一と結婚してからも、まだジャワカレーなんだけどね。

その母親がスウェーデン人で、六本木でバルハラめざしてバーサークしていたりしたのか、と聴いているほうは「岩城滉一」という人も知らないので、だんだん混迷を深めてゆく。

だから、なんで、その人が六本木で海賊をやっていたんですか?
「ガメ、ヴァイキングは海賊ではないとぼくをやりこめたのはきみではないか」
だから、それはモンティパイソンのスパムなんて古臭い話題をもちだすから、いらいらしてきて、ええい、無知なおやじめと、頭にきて、いいじゃないですか、ここでは海賊で。わかるんだから

と得心がいかない会話のなかで、やがて判明したのは、言われてみればなるほど、そういう言い方があったなとおもう食べ放題の意味のバイキングで、いま見るとフランクロイドライトの代表的建築であった旧帝国ホテル本館をぶち壊していまの帝国ホテルビルヂングをおっ立てたので有名な、里見八犬士の末裔帝国ホテル社長犬丸徹三がデンマークでスモーガスボードを見ておもいついた食べ放題システムを「バイキング」と命名していまに至っているそうでした。

相変わらず、表計算の数字の羅列を見たりしながら、サブモニターで、ちらちらツイッタを眺めるくせはなおっていない。

というやりとりがあって、それでこの記事を書いているのだけれども、このマコトさんという人は、奥さんがニュージーランドの人で、ときどきオークランドのボタニーダウンズというところにある奥さんの実家で何日かを過ごしに帰ってくる。

ボタニーダウンズはオークランドの東郊外にある新興住宅地で、Botany Town Centreという、チョーでっかいショッピングセンターがあるので有名です。
ここから少し北に行くと、接して、Howick、むかしから中国系移民の人がオカネモチになったら住むのが夢のやたら部屋数が多くてでっかい大家族向けの家がたくさん並んでいる住宅地があって、少し南に行くと、インドのパンジャビからの若い中流階級の移民が多い、Flat Bushという住宅地がある。

そういう土地柄なので、オークランドのあちこちに支店があるタイピン中華スーパーマーケットのでっかい支店があり、やはり中華スーパーチェーンのDHがあり、朝の7時からやっている飲茶屋もあれば、一方ではチャイとお菓子や軽食を出すインド式のchaat屋もあります。

その名も「チャイナタウン」という、なんだか体育館がでかくなったような建物もあって、一歩足を踏み入れると上海の裏通りをそのまま再現しましたとでもいうような館内で、ヘンなショッピングセンターだが、言われてみると、たしかに「食べ放題」と日本語でいうバフェ式、あるいはビュッフェ式なのか、カタカナとして英語式かフランス語式か、どっちか知らんけれども、ともかく欲しいもんは自分で立っていって食べろや、のレストランはボタニーには多くはない。

韓国の人は、例の、サービスでドバドバと、これでもかこれでもかと出てくる、キムチや魚の揚げたのや、海藻サラダや、日本ではたしか「大学いも」なる、いよいよ訳のわからない名前がついている甘い味付けの芋やの小鉢料理の影響でしょう、意外とたくさんの「食べ放題」レストランを開いていて、いま頭のなかでザッと数えてみただけで韓国料理食べ放題レストランはオークランドにも6軒ある。

いちど、ノースショア、橋の向こうのオークランドの北新地にでかけて、入ってみたら、食べ放題の焼き肉がことのほかおいしくて、カルビを2kgくらい食べて、ビビンバと、ついでなので冷麺も食べたら、帰りに運転するのが眠くて、ままならなくて、やむをえず、途中でモニさんに交代してもらったことがあった。

インド料理屋は、ランチはバフェ式のほうが普通です。
カレーが肉入りがチキン、ラム、ときどきなぜかビーフもあって6〜8個くらいの深皿トレイに入って並んでいる。
横には、ここが興味ぶかいというかなんというか、一応、「わたしは隣の不浄なやつらとは交渉がありませんからね」と主張するものであるがごとく、40センチくらいの距離をもたせた別のテーブルに、Shahi paneer、Palak paneer、ダルやアルゴビ、いろいろ並んで、出来たてのナンやロティが絶えず厨房から運ばれてくる。

と、ここまで書いて当然気が付くのは韓国レストランの「食べ放題」では、なんだか妙におおきい、胡乱な服装の、ときどき韓国語を口走ったりする白い外国人のにーちゃんが、千尋の両親のごとくガツガツガツと食べまくって、ゲエエエーップッをする下品さで、やたらと食べまくる人が散見されるのに、インド料理屋では、そういう光景を見たことがない。
いや、よく見ると、ナンを4人で10枚くらい重ねて、わいわいがやがや、そんだらこったー、なんだってわかんね、と楽しそうに述べながら、たくさん食べてはいるが、どうも詰め込むというようには見えません。
あの人らがいっぱい食べるのは、いつものことである。
でも、がっつかなくて、のんびりです。

メキシコのカンクーンに行くと、砂州のような細長い砂浜の連続に沿って、何十というホテルが並んでいる。

Hard Rock Hotel
Marriot
Grand Oasis
The Westin
Club Med

….

なんだかリゾートホテルの博覧会をやっとんのか、ここは、とおもうくらい有名ブランドリゾートホテルがずらりと並んでいます。

で、ここの名物を知ってますか?

美しい砂浜?
おお、行ったことがあるのか。
あの、どこまでも続く美々しい、防護ネットもなにもない、実は陸のすぐそばにうようよいる鮫で有名(←下町に行くと鮫の顎の骨を吊していっぱい売っている。有名な特産品のお土産なんです)な海でたくさん観光客が泳いでいる砂浜ですね。

もうひとつある。
カンクーンが一躍人気リゾートになったのは、メキシコの飲酒年齢の低さが若い衆に受けたのもあるが、オールインクルーシブディールと言って、食べ放題で飲み放題、なんでもかんでも宿泊費に初めから含まれていて、いったんホテルの敷地内に足を踏み入れると、オカネというものを考える必要がない。

自分の定宿はケチなので教えてあげないが、例えば、いま
リッツカールトン

http://www.ritzcarlton.com/en/hotels/mexico/cancun

を例にとると、

ビーチのバー、鮨屋、メイングリル、地中海料理レストラン、バーラウンジ、メキシカン・カフェ、プールサイドカフェとあって、
これが全部食べ放題飲み放題になっている。

どうなっているかというとですね。
チェックインする時にシリコンの腕輪を付けてくれる。
これがホテル側から見た符丁になっていて、来週の火曜日まで逗留する客はオレンジ、木曜日に帰る客はパープル、と色で識別しているもののよーである。

で、レストランやバーに入るときに、店の人に腕輪がちらと見えるようにいたしまする。

わし定宿には、アメリカ本土ならばコーシャホットドッグスタンドで2ドルくらいではなかろーかという、滅法うまいホットドッグを出すホットドッグ屋があって、高いほうはカンクンでも有名なファイブスター地中海料理屋がある。
こっちは、例えばロサンジェルスでおなじくらいの店に入ればひとり頭200ドルくらいは軽く取られそーな店です。

ところがところーが。

アメリカ人は、ホットドッグを食べたいときは、夜であってもホットドッグですませてしまって、朝ご飯も窮屈なのがいやだとおもえば、豪華絢爛なシャンパンブレックファストを摂ったりしないで、カフェで、テキトーな卵2個とベーコンな、例の典型朝食を食べる。

子供のときから好奇心のかたまりであったわしは、観察魔でもあって、自分で言ってしまったが、ともかく、「世界で最も下品な国民」と認識していたアメリカ人のイメージを修正することになった。
なるほど、この国は真の意味でも豊かな国なのであるな、と考えた。

メキシコにいてアメリカ人の考察してるんじゃねーよ、と言われそうだが、そこのきみ、あんた、カンクン、行ったことないでしょう。
あそこはメキシコとは名ばかりで、一乗車10ペソのバスに乗って下町に行かない限りは、あくまでアメリカの行楽地なのです。
通貨も、下町までいけばペソをもっていればペソも使えるが、支払いはアメリカドルでする。
ホテルのなかは、例えばわしの定宿ではペソは使いたくても使えません。

おなじ年だったか、次の年だったか、同じ頃に、ガキわしは南カリフォルニアにも家族で出かけたのであって、ここでも、同様の観察をする機会があった。

多分、かーちゃんが「普通のアメリカ人の家族旅行」の雰囲気を故国では、むっちゃくちゃ甘やかされて暮らしている息子と娘に教えてやろうとしたのだとおもわれる。

アナハイムのEmbassy Suitesという、いまはヒルトン傘下になった、アメリカにはあっちにもこっちにもある、のんびりスペースが売り物のホテルに泊まった。
このホテルは、アナハイムのEmbassy Suitesのなかでもディズニーランドに近いので、日本の人にも泊まったことがある人がいるかもしれません。
わしは日本人客を見た記憶はないけれども。
そう。
TGI FRIDAYとBuca di Beppoがそばにある、そこです。

Embassy Suitesは熱帯雨林ぽくしてある中庭が売り物である場合が多かったが、そこもそのひとつで、朝食は緑がどっちゃりある中庭のあちこちに置いてあるテーブルで食べるようになっているが、これがアメリカによくあるバイキング+卵/パンケーキ料理のスタイルになっている。

大皿に食べたいものを食べたいだけ取って、今度は忙しく料理しているシェフの前に並んで、「サニサイドアップ」「サニサイドダウン」「卵みっつでポーチドエッグ」「スクランブル」「ハムとチーズのオムレツ。あ。ハラペーニョもいれてね」と好きなものを注文していくが、一週間くらいも経つとシェフのおばちゃんと顔なじみになって、軽口を利くようになるのは自然なことだが、
「でも、ほら、ここって鍵をみせてチェックするとかしないでしょう?
これで、近所の人が食べに来ちゃったりしないの?」と、せこい欧州人らしい疑問を述べたら、おばちゃんは、可笑しそうに笑って、
「もちろん、来るわよ、来るけど、そのまま朝食つくってさしあげますよ。
そのくらい、たいしたことじゃないじゃない」
という。

ガキわしは、そのときもアメリカ人へのポイントが5ポイントくらい上昇したものだった。

航空機会社のクラブも、当然、「食べ放題」です。
最近は、ヴァージン航空の成功が刺激になって、ドケッチAir New Zealandでさえ、自分達のKoru Club を改善する気になった。
むかしは半乾きのしょもないツナやチキンのサンドイッチと、チーズと林檎やブドウで誤魔化していたが、このあいだクライストチャーチにでかけたときは、むっちゃくちゃおいしいダルスープがあって、ぶっくらこいてしまった。
場所もあろうに、いまだに田舎のモテルに行けば「インド人お断り」というサインを平然と掲げている国で、あんなにおいしいインディアンスープが食べられるとは思わなかった。
コーヒーも、ちゃんとバリスタがいるコーヒーバーがあって、iPhoneのappでブブッと注文すると、数分でビビッと「出来ました」のお知らせがあって、取りにゆくと、うんまいラテが飲めるようになっている。

多分、空港のああいうラウンジや、ホテルの朝食が契機になって、ニュージーランドのようにドケッチ・ケッチンボな国でも「食べ放題」は普通になってきた。
普通になってくると、「食べ放題」は、いかにも実情にそぐわない呼び方であって、いくらでも食べていいことになっているといっても、腹八分でやめにするのは、たいていの人の習慣でしょう。

ツイッタで書いたように、いつかニュージーランドの朝の「世界の珍風景」みたいな番組で、日本のバイキングの元祖帝国ホテルの「高級バイキング」の開店風景を映していたが、フロアのリフト(エレベータ)のドアがあくなり、着飾ったおばちゃんたちが、ドバッと飛び出してきて、レストランめざして疾走して、そのうちにおばちゃんのひとりがこけると、それにけっつまづいたおばちゃんもこけて、こけつまろびつ、どうやら予約はできないらしいテーブルめざして生存を賭けたレースを展開する。

あるいは、義理叔父はひと頃、短い間、高田馬場に住んでいたが、午後4時までは飲み放題の「ダルマ」という居酒屋があって、そこのビルに用事があって4時頃にいくと、小さなエレベータのドアが開いた瞬間に、飲み放題の焼酎を詰め込みすぎたホームレスのおっちゃんたちが、おえええええー、と床に嘔吐をぶちまけていたりしたそうです。

おもうに、そういうことどもは、「食べ放題」という命名や「二時間制限」という、多分、あれは日本だけの習慣だとおもうが、時間制限を設けて、いかにも、さっさと詰め込めといわんばかりに煽るものだから、お下品なことになるのではあるまいか。

食べ放題というコンセプトの最も良い点は「なんにも考えなくてよい」点であるはずだが、そこに「二時間までですよ」と、食事のときに最も考えたくない時間に制約を被せられては、興醒めというか、なにもかも台無しだろう。
どうしてもやりたければ、「五時間まで」くらいにすればいいのではないかしら。

最後に、イリノイの小さな田舎町にあった食べ放題ステーキ屋の思い出を書いておく。
シカゴからメンフィスへ行くインターステートハイウェイの途中にある、その小さな田舎町に、どういう縁があるのか、わしは子供のときから、おおきくなったあとまで、なんどか寄ったことがある。
ただ立ち寄って知り合いとコーヒーを飲んだり、あるいは泊まってもひと晩泊まりだけです。

いまはもうなくなってしまったそうだが、あの町には食べ放題のステーキ屋があって、壁の一方を埋めつくしたおおきなガラス張りの冷蔵庫から、自分の好きな部位の牛肉を、好きなだけ切り分けてもらって、店のまんなかにあるグリルで、知らない人たちとわいわい言いながら自分でステーキを焼く。

何度も切り分けてもらうのは面倒なので、たいていの人は、みんな肉の塊がおおきすぎて残してしまう。

それを見ていて、ビールを飲み過ぎたのでしょう、カウボーイハットとカウボーイブーツのおっちゃんが、
「人間はバカで貪欲だなあ。どいつもこいつも、みんな食べきれないくらい肉を抱えて困ってるじゃないか」と大きな声でいう。

一秒の半分くらい緊張した沈黙があったが、「おまえだって、半分しか食べてなくてビールばかり飲んでるじゃないか」と遠くのテーブルから述べた人がいて、店内のみんなで、大笑いになって終わってしまった。

なにによらず、おなじことだが、制限をなくすと、人間は一気に節制や品位の保持という自分で自分を制御する機能の発揮を強いられて、おもいがけないめんどくささをおしつけられるもののようです。
人間が最も苦手な自律性を求められる点において「食べ放題」は、実は、人間性の試験というか、たいてに人間にとっては、ほんとうは嫌がらせに近い制度なのかもしれません。

藤沢の千円食べ放題焼き肉、おいしかったけどね。

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8 Responses to 食べ放題の思想

  1. tamarind2015 says:

    ガメさん、こっちからこんにちわ。
    こないだ中国へ行ってきたけど、「食べ放題」という訳じゃないですが、食事のポーションはおっきくて、食べきれないときはお店の人に断りなくビニール袋に入れて持ち帰りOKでしたよ。日本は貧乏くさい時代が長すぎだったのではないかしら。
    ところでこの写真はどこでしょうか。ベトナムでもおなじようなで電飾見かけました。

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  2. yuqui says:

    ガメさん、はじめまして。yuquiといいます。あなたが美しい日本語で書かれる素晴らしい記事を読めることを、幸運に思います。この記事が私に思い出させたことを書かせてください。

    日本に住む両親とひさしぶりに会った時、彼らは食べ放題のお店に私を誘いました。そのお店で、彼らができるだけ多くを注文しようとし、もう満腹だといいつつも食べ続け、最後にはお腹が痛いと笑いながらデザートを選ぶ姿を見て、私は涙が出そうになりました。食事中の会話のほとんどが、どのコースを選ぶとメニューのどの範囲からどんなオプションを選べるか、といった話題に占められていたのも、つらいことでした。彼らは、私が浮かない顔をしていることを少し不思議がっていました。

    あの場で感じた心の痛みは、私が期待した大人らしい振る舞いを彼らがしなかったことへの失望や羞恥だとこれまで思っていましたが、あなたの記事を読んで、あの気持ちは、私たち家族が何か大きなものをを深刻に欠いていることに対する悲哀だったのかもしれないと考えました。私は彼らほどの情熱をもって食べ放題を楽しんだわけではないにもかかわらず、彼らを見ながら、まるで鏡を見ているように感じていました。私たち家族の生まれ持った貧しさを、あの時私は味わったのでしょう。

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  3. キラキラ大島 says:

    先日家族とホテルバイキングに行くことになり、予約をしなければと調べてたら、どこも2部制とやらで。ランチタイムに2回転させたいとかなのでしょう、11時から90分と、13時から90分のどちらかを選ぶというシステムで、その時点で興ざめです。だってそうでしょう、時間制限は何分間食べて良い、だけじゃなくて、何時から食べ始めて良い、まで決められているのですから。

    経営効率というのでしょうか(よく知らんけど)、店の側も生き残るために必死で、それはバイキングに行かずとも、チェーン系のカフェに行けばよくわかります。日本のチェーン系カフェはどこも席と席の間隔が狭い。独立したテーブルとは形ばかりのもので、相席ですかこれ?と言いたくなるような状況で非常に居心地が悪い。しかしそれは回転率とかを考えたり教えたりする経営コンサルの教えを忠実に守った結果なのであって、そんなの知らんわという個人経営のカフェは、経営が行き詰まるのか、東京にはもうほとんど残っていません。

    だからカフェというのはそういうものなのだと信じて疑わなかったのですけど、京都に越してきたら、個人経営のカフェの多いこと。そこの席の間隔の広いこと。これは京都人の心意気なのかと感心してみたものの、それはそんなやり方で生き残っていけるからです。

    かつて東京で無謀にもカフェを営んだことがあって、その時に思い知ったのは、日々の売上のほとんどを家賃に持っていかれるということ。あれではゆったりとした空間なんて提供できません。京都は都会で人も多いのに、テナントの賃料は安い。四条通など一部を除けば東京の半分程度。その浮いた半分のテナント料が、ちょっとだけ人間性を取り戻せる余裕を生むのではないでしょうか。

    東京に住んでたらその間隔の狭さを当たり前と思っていたし、だからあの街に暮らす人の多くは、自分たちこそ豊かな暮らしだと思いこんで、胃袋以上に食べ物を詰め込む状態に追い込まれていくのでしょう。実際は自分たちこそ狭い空間に詰め込まれているというのに。

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  4. 日本で飲食店経営の古い雑誌をパラパラとめくっていると、コーヒーチェーン店「ルノアール」の社長のインタビューが出ていて、「一見すると、ゆったり座れるように見えて、実際に腰掛けると30分以上座るのには苦痛な椅子をデザインするのに、すごく苦労した」なんて書いてあるのですよね。

    日本にいたときのことをおもいだすと、「とにかく、お客さんに喜んでもらって、その上で利益をだす方法を考えていこう」という飲食店と、大島さんが、うんざりしながら述べている「経営効率」をめざす空間としての飲食店とはっきり分かれていたように思います。

    リース料の圧力で、だいたいにおいて「経営効率」派が勝利しつつあるのは、日本に限ったことではなく、また、都会に限ったことでもないかもしれません。

    その快適さと効率の腕相撲のなかで、なんとか快適を勝たしめるのは、社会そのもの文化性ですが、なにしろこれがいちばん怪しくなっているので、ご覧のとおりというか、ロンドンやマンハッタンなどは最悪で、「目もあてられない」という評言がぴったりするようなていたらく。

    効率を求めて居心地がわるくなっているのは、しかも、店だけではなくて社会や国もそうなのですよね。
    杉田水脈とか金脈とかなんとかいう人の放言があったので、効率を「生産性」といいかえると判りやすいかもしれません。

    京都は、町として長く生きてきたので、生き延びる方法を熟知している印象があります。
    あれで生臭坊主を全部追い出して、オカネの臭いがしない町になれば、逆に、世界じゅうの人が感涙にむせびながらオカネを落としまくっていくのではないかしら。

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  5. DoorsSaidHello says:

    私と母が初めて「食べ放題の意味のバイキング」に招待された日のことを覚えている。昭和の高度成長期の終わり頃だった。

    私の家族は田舎から田舎へ転勤する生活だったので、東京に出ることは珍しかった。しかも庶民的な食堂ではない、真っ白なクロスのかかったテーブルの並ぶレストランで、数々の料理がどっさり並ぶのを見ながら好きなだけ食べていいだなんて、目も眩むような光景のように感じられた。元が取れるとかたくさん食べられるとかいう以前に、食べきれないくらいの食べ物が目の前に積まれている事自体がめくるめく娯楽であり、ショックを感じるほどの豪奢であるように感じられた。「いくらでも食べていいんだよ」と招待してくれた人は言い、皿の上に山のように料理を盛り上げた。

    母はあまり食べなかった。ただただ、目の前の食べ物に目を瞠ってばかりいた。私は子どもだったのでグラスのソーダ水の泡ばかり見ていた。バイキングはたくさん食べるためというよりも、積み上がった料理を眺めて楽しむ場所のようだった。それはもう餓えなくてよいのだという強力なメッセージになって、来る客に強烈な幸福感を与えていたように思う。童話の中のお菓子の家の前に立った子どものように、私たちはうっとりと食べ物を眺めていた。

    バイキングが登場するそのちょっと前まで、日本は貧乏で、食べ物が乏しかった。餓えの苦しい記憶が亡霊のように毎日の食卓を脅かしていた。戦争が終わって三十年かそこらが経っていたけれど、そのくらいの時間では餓えの記憶はなくならないのだ。…と思うのだけれど、空腹な子ども時代を送ったはずの父は「どれも見た目だけで美味くない」と小さな声でぼそっと述べた。

    日本の「食べ放題の思想」とは「もう戦後ではない」という言葉のレストラン版だったのだと思う。

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