太平洋戦争へのノート 3 零戦

宮崎駿の「風立ちぬ」は、なんとも不思議な映画だった。
全篇が零戦という、戦闘機であるのに日本的なやさしみに満ちた技術へのオマージュで出来ていて、そこに零戦設計技師堀越二郎の、ヒロイン里見菜穂子への恋心が、とってつけたように描かれている。

結果は、どんな映画になったかというと、ジブリファンが多いアメリカでも、あるいは、なにしろ「風立ちぬ」は堀辰雄がポール・ヴァレリーの詩句

Le vent se lève, il faut tenter de vivre

にインスパイアされて書かれた小説であることが事前に伝えられていたので、アメリカよりも一層期待がおおきかったフランスでも、
「な、なんだ、これは?」と戸惑い失望した映画評が多かったようでした。
やはりジブリファンが多いニュージーランドでは、公開さえ沙汰止みになって、されなかった。

当たり前といえば当たり前で、零戦という戦闘機への愛情がなければ、全体が実は零戦に代表される日本的技術文化に捧げられた物語なので、チンプンでカンプンで、訳がわからん、と映画館の椅子のうえで暴れたくなるのも無理はない。

最近は、多分、日本の戦後の歴史では初めて、「零戦は、ぜんぜんダメな飛行機だった」と述べるのが流行りで、このあいだ「ゼロ戦」で検索してtwitterを読んでいたら「空飛ぶ戸板と呼ぶべき駄作戦闘機」と書いている兵器オタクの人がいて、面白いので吹き出してしまったが、日本の人の面白いところは、こういう軍事技術に類することでも「立場主義」で、見ていると、国際派志向、リベラル志向で、女の人が多くあつまる「おいらフェミニスト」みたいな人は決まって「零戦は、たいしたことない」
「零戦が名機だという外国人に会ったことがない」と述べている。

インターネット・エラは便利で、ほんとうに外国人で零戦を評価するひとがゼロなのかどうかは、そりゃ、日本語で検索してはダメだけれども、英語で検索すれば英語人の評価、フランス語で検索すればフランス人の評価が、専門家のものだけでなくて、市井の人が考えた評価も、公開フォーラムの形で、あるいはQ&Aの形で、いくらでも出てきます。

いまちょっとやってみると、例えば、太平洋戦線の戦闘機を比較した、こういうのがある。

https://ww2aircraft.net/forum/threads/best-pacific-fighter.444/

これは図を初めに掲げてあって、英語がぜんぜん判らなくても一目瞭然なので選んだが、ほかのフォーラムやサイトをみればわかる、零戦への一般の「外国人」の評価としても厳しいほうです。

最も評価が高いのがF4Uコルセアで、次がF6Fヘルキャット、次にP38ライトニングが来て、その次が零戦で11.2%の人が零戦を太平洋におけるベスト・ファイタープレーンに選んでいる。

え?
コルセアがヘルキャットより上なの?
という人がたくさんいるとおもうが、実は英語世界で一般的評価では、F4UコルセアのほうがF6Fより遙かに良い戦闘機だったことになっていて、日本と正反対の評価です。
なぜ評価がアベコベになってしまったているかというと、多分、最前線ラバウルにいた日本の戦闘機乗りたち、なかでも著書が英語世界でベストセラーになった坂井三郎がコルセアよりもF6Fのほうが怖かった、と述べているからで、あとは、なぜか戦後、大量に発刊された戦記にもF4UコルセアとP38ライトニングを「零戦の好敵手」と呼んで、F6Fは「零戦キラー」と書いてあるからでしょう。
現実とは異なる「F6Fは捕獲零戦の研究によって設計された」という説まで巷間に流布されている。

現実は戦績を観ても、アメリカ側のパイロットの回顧談を見ても、コルセアのほうが遙かに評価が高い戦闘機で、F6Fなどは問題にならない信頼を寄せている。

ただなかにはF6Fのほうがいい飛行機だった、と述べているアメリカ側パイロットも、たしかにいるにはいて、これは自分が飛行機の免許をもっていればわかりやすいというか、グラマンという会社はエンジンが止まると「石のように落ちる」といって毛嫌いする人はいるものの、練習機もずっと作っていて、会社の伝統として、ものすごく飛ばしやすい飛行機をつくる。

「飛ばしやすい」というのは、離陸や着陸時に失速しにくい、脚が丈夫で多少乱暴な着陸をしても折れない、操縦席からの見晴らしがよい、というような、そういうことです。

F4UもF6Fも本義は空母を発って空母に帰還する「艦載機」なので、特にF6Fの、こういう素直さはありがたかったらしくて、新米パイロットにとっては命懸けのF4Uの離着艦がF6Fではリラックスしておこなえて、そのせいで好感を持った操縦士はたくさんいたようではある。

心配したり卑下したりしなくても、では、ヘンな言い方になるかもしれないが、軍事史専門家でも、兵器オタクフォーラムでも、あるいは航空技術オタクでも、またあるいはふつーの人でも。どこの国の人間にあげさせても、太平洋に限らず、第二次世界大戦中のすぐれた戦闘機のベスト10を挙げさせると、零戦は必ず10機のなかに含まれている。

最も誰もが納得しやすいベスト10を挙げると

1_Focke-Wulf Fw-190

2_P-51 Mustang

3_Spitfire

3_Bf 109

5_P-47 Thunderbolt

6_Me 262

7_A6M Zero

8_F4U Corsair

9_F6F Hellcat
 
10_Yakovlev Yak-3

というところに落ち着くのではないだろうか。

悪い癖をだして、余計なことをいくつか述べると、名戦闘機というのは性能がよければいいというものではなくて、あくまで性能と戦績の綜合です。
上のベスト10戦闘機でも、当たり前で、性能だけならMe 262が、文字通り桁違いで、残りの9戦闘機は足下にも及びません。

あるいは、これは要するに自分が溺愛する戦闘機だから挙げているだけですが、
Dornier Do 335

https://en.wikipedia.org/wiki/Dornier_Do_335

などは、実際の性能からいっても、劃期的な技術思想からいっても、
ほんとうはベスト戦闘機に挙げたい。

スペックが高い戦闘機が名戦闘機になれない場合の理由は、たいてい、

1 戦争に投入される時期が遅すぎて、時機を失していた

2 スペックにあらわれない飛行特性や品質が悪かった

のどちらかで、ジェット戦闘機のMe 262を例にあげれば、本来は1943年という、びっくりするような早い時期に投入されえたのに、戦闘機というものを全く理解できなかったヒットラーの「爆撃機に改造しろ」というド素人命令によって、まるまる一年、マスプロダクションに入るのが遅れてしまう。

それでも必ずベスト10入りするのは、その時期を失して、連合軍の爆撃によって生産工場が破壊された結果の少数機であってさえ、ヴァルター・ノボトニーが率いた有名なコマンド・ノヴォトニーをはじめ、連合空軍を恐慌に陥れるような活躍をするからですが、Me 262には、うるさいことをいうと

2、の飛行特性の問題もあって、当時のジェットエンジンの特性から急加速がまったく出来なかった。
ゆっくり最高時速の900キロ/時に到達することは出来ても、瞬時に加速することが出来なくて、そのせいで航続距離が長いP-51に基地まで尾行されて着陸態勢に入ったところを狙われて撃墜されることが多かった。

あるいは運用された戦場にもよる。
欧州人には零戦を頭からバカにする人が多いが、その理由は主翼内に巨大な燃料タンクを持っていたのに、このふたつのタンクが防弾されていなかったからで、
「あれでは戦闘機とはいえない」という極端な人も、案外、たくさんいる。

なぜ、そうまで零戦に対して厳しい意見を持つかというと、欧州での戦争は地理的に比較的近距離の、しかも、広大な海面から敵空母の所在を索敵によって探し出すパシフィックシアターとは異なって、所在が初めから判っている基地の叩き合いで、当然、離着陸を襲われることが多いからです。

いま頭のなかで情景を描けばすぐわかるが、敵の侵入が前線の見張所やレーダーサイトから発令されて、パイロット達が全速で駈けて、スクランブルする。
しかし、例えば南イングランドの基地ならば、そのときにはもう敵戦闘機部隊が基地の上空に達しているわけで、滑走地を横隊で離陸するスピットファイアを銃撃してゆく。

防弾装備がないタンクでは、このとき、たった一発の弾丸が流れ弾のようにして当たるだけで戦闘機ごと火達磨になってしまうので、零戦のような防弾ゼロの戦闘機では、欧州では基本的に駄作機にしかなりえなかった。

逆に、おおきな声でいうのは恥ずかしいが、むかしから大好きなスピットファイアは、広大な太平洋の戦線では航続距離が短すぎて、落ち着いて空中戦もやれない。
Bf 109もおなじことでしょう。

またあるいは、国民性もある。

アメリカで最も有名な撃墜王といえば、日本で名前が知られているリチャード・ボングやトーマス・マクガイアよりも、撃墜数が劣ると言っても、なんといってもフランシス・スタンリー・“ガビー”・ガブレスキー

https://en.wikipedia.org/wiki/Gabby_Gabreski

でしょう。

この人は、たいへん面白い人で、なにしろ飛行機を飛ばす才能がなくて、
自分の両親の故国ポーランドのための復讐心に燃えて、戦闘機パイロットに志願したのはいいものの、教官に「きみは、まったく才能がないから、飛行機操縦士だけはやめなさい」と言われてしまう。
必死に頼み込んで、やっと「お情け」でパイロットになる。

イギリスに航空隊の運用を学びに行くという口実で、ナチのルフトバッフェと交戦するために渡洋したものの、実戦には参加させてもらえず、最新型のスピットファイアを駆りながら、戦闘に参加せずに悶悶としていたある日ドイツ空軍機に遭遇しますが、このときの空中戦は語り草になるほど、ひどい空中機動で、このあとも、20回も空中戦に参加して、しかも常に最新型のスピットファイアを与えられていたにも関わらず、一機も撃墜できずに終わってしまう。

その同じ人が、P-47サンダーボルトというエンジンパワーのオバケのような戦闘機に乗り換えた途端に、バリバリ撃墜数を重ねるようになって、ドイツ空軍パイロットに「気が狂っているのではないか」と言われるほど猪突して、猛進して、すさまじい速度で衝突寸前まで接近して敵戦闘機を叩き落とすやりかたで、結局、欧州戦線では比較的短い期間に28機を撃墜してしまう。

なにが言いたいのかというと、戦闘機は、その国の文化・文明のありかたや、国民性と密接な関わりを持っているということです。
世紀の駄作機と言われているP-39エアコブラがロシア戦線で、そのエアコブラに輪をかけてひどい「空飛ぶビヤ樽」F2Aブリュースター・バッファローがフィンランドで、それぞれ名機として活躍したのは、かなりの程度、そういう事情によっている。

千馬力級の軽戦闘機で、曲芸師のような、右ひねり、左ひねり、急旋回を得意として、250mph(時速400km/h)以下のドッグファイトでは、零戦による飛行時間800時間以上の熟練パイロットが揃っていたパイロットたちの技量の高さと相俟って、無敵といってよかった「零戦伝説」は、そうやって出来上がっていきます。
なによりも、防弾なし、パラシュートすら携行することを拒否する傾向があった日本人パイロットの気性に零戦は、ぴったりあっていて、前に記事にしたことがあるF4Fなどとは正反対の技術思想で出来ていた。

https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/08/31/f4f/

この零戦が当時の日本人の運命にとって、おもいのほか重要なのは、零戦がなければ日本はアメリカとの戦争に突入しなかった、という厳正な事実によっている。

日本の兵器オタクや航空ファンの自分達が産みだした輝かしい技術の結晶である零戦への愛情があるせいでしょう、なあんとなく曖昧にごまかされているが、1941年の時点では、大和があっても武蔵があっても、零戦と6隻の正規空母がなければ、そうでなくても戦勝がおぼつかないアメリカ相手に、せめて形をなした戦争がやれると考える軍人は誰もいませんでした。

ちょうど、いまでいえば北朝鮮の核ミサイルと似た心理効果を、零戦はもっていた。

初めは、なにしろF4FならF4Fの慣熟飛行時間が30時間にも満たないパイロットが多かったアメリカ空軍や海兵航空隊を相手に、零戦は当の日本人の予想をうわまわる活躍を見せますが、最も直截には、ミッドウェイ海戦やソロモン航空消耗戦よりも、まるで飛行士の育成を吝しむかのような、理解できないほど酷かった航空操縦士育成システムの欠陥によって、零戦は日本の惨めな戦いの象徴にかわってゆく。

1944年のマリアナ航空戦のころには「七面鳥撃ち」と嘲笑われるほど、ひどく質が悪い航空戦力にまでおちぶれてゆく。

宮崎駿が「零戦は好きだが、零戦をほめる人間は嫌いだ」と述べるのは、零戦が日本を破滅に導いた事情を知悉しているからでしょう。

バトル・オブ・ブリテンと呼ぶ、英本土防空戦でポーランドにつぐ100人を越える若いパイロット(これは当時の一線パイロットのほぼ全員です)を送り込んで、当時の故国である連合王国を守り抜いたニュージーランド人は、スピットファイアをたいへん誇りに思っていて、いまもクライスチャーチ空港には、スタンドに載った飛行姿勢のスピットファイアの実機が飾ってあります。
ちょうど、ロシアのあちこちに救国の英雄としてT-34が飾ってあるのと似ている。

日本では、帝政ロシアから日本を守り抜いた戦艦三笠が横須賀港に飾ってあるでしょう?

あれは、いちどは艦橋から砲塔から、日本人たちが寄ってたかって屑鉄にして売り飛ばしてしまって、艦内の造作すらも売り飛ばしてキャバレーになっていたのを、アメリカ軍が惜しんで、自分の社会を守ってくれた恩人である戦艦を粗末に扱うものではないと嘆いて、将校クラブで寄付をつのって、アメリカ海軍の手で復元したのだと横須賀在のアメリカ海軍将校たちが述べていた。

零戦は、世界中で、日本人の無反省、好戦性の象徴として何度も取り上げられる靖国神社の遊就館で、自殺兵器「回天」と共に、まるで悪んで居直ったように、こちらに背を向けて置かれている。

あげくのはてには、零戦を過去の日本帝国の栄光の象徴として守護神であるかのように言い募る「ネトウヨ」たちに反発した、平和主義、反戦を述べる人たちに、悪し様に言われるようになってしまっている。

戦前の日本のありかたを否定するために、日本の伝統技術を一緒くたに否定せざるをえなくなるのは、つまりは戦前と戦後の日本の同一性にこだわる、ナチを全否定することで戦後をスタートしたドイツ人たちとは正反対の、現代日本の性質によっているが、自分で自分の「悪い両足」を撃ち抜くような、いまの考えで、どこまで歩いていけるのだろう?
と他人事ながら心配になります。

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