クリスマスの町を

モニさんがヘアドレッサーに行くというので、一緒にクルマに乗せていってもらうことにした。

クイーンストリート(←オークランドでいちばん賑やかな通り)の坂の上でおろしてもらって、海辺をめざして歩いておりていくのは、いつものコースです。

カレンダーが一枚めくられただけなのに、12月の文字に変わると、町はすっかりクリスマス気分になって、まるで違う国の町のようになる。

大学は試験が終わったばかりなので、学生たちが町に溢れている。
男も女もショーツで、足は裸足かフリップフロップで、子供のときはクリスマスが夏だなんて、なんてヘンな国だろうとおもったが、いまではすっかり慣れてしまった。

それでも頭のどこかにはホームシックに似たものが残っていて、もう9年前になるのか、冬に用事があってロンドンに戻ったら、雪で、それも歩いている人の姿も町も、通りに面した建物さえも見えなくなる大雪で、自分が属しているのはやっぱりこの町のほうなのではないかとおもって、考え込んでしまったのをおぼえている。

世界が、冬の闇の帳のなかで、最も死の世界に近付いたときをクリスマスと定めたのは、昔のひとたちの知恵である。
世界が最も希望をなくしたときにイエスは生まれてきて、キリストになろうとした。
この雄大な体格をしていたという偉丈夫の若者は、どこまでも地上の権力とは縁が遠い、この地上でただひとり原罪と無縁な存在である無力の王として君臨して、最後は人類全体のために贖罪の犠牲になろうとして、ゴルゴダの丘で磔にされるが、十字架の上での彼と神とのほかには誰にも聞こえない会話のなかで、神に人類の罪をあがなうための犠牲として死ぬことを拒否されて、無意味な犬死にを命じられる。

神はイエスを選ばなかった。
イエスは失望のなかで死にます。
一緒に十字架に架けられた盗賊にまだ生があるうちから、あっけなく息絶えてしまう。

イエスが自分自身への認識に反して神の子であることが判るのは、イエスが死んで意識を失った瞬間で、寺院の分厚いカーテンが突然裂けて、神が自分達に対していかに怒っているかを知ったローマ人たちをおののかせる。

教団はイエスが磔になっているあいだに、自分達が崇めた無力の王の、その無様さ、無力さを見せつけられて、まるで手のひらのうえに砂が風で吹き飛ばされるようにちりぢりになって、文字通り雨散霧消してしまう。
ひとびとはイエスのいかさまぶりを嘲り、信者達を冷笑して、イエスを信仰していたひとびとも口をつぐんでしまう。

どんな人間にも説明がつかないのは、そのあとに起きたことで、刑死の三日後と伝えられる日に、イエスはキリストとして復活する。
精霊としてではなく、肉体を持った人間として復活したことが聖書のさまざまな部分に書かれている。

どんなに懐疑的に見積もっても、ひとびとに衝撃を与えて、いちど打ち捨てたイエスの神への信頼と信仰を取りもどさせる、なにごとかがあったはずで、そうでなければ、いま「取りもどす」と書いたが、実は処刑される前とは比べものにならない速度で信仰が広まっていたことの説明がつかない。

通りを、のんびり歩いておりていきながら、考えていたのは、そんなことで、自分の信仰時代などは、だいたい、おおざっぱにいって12歳くらいまでで終わりで、
あとは「チャーチ・ピープル」という言葉を「心が狭い、偏見の強い偽善者」と同じ意味に使っていたくらいで、いまに至るまで、ほとんど興味がもどったことはないが、だんだんいろいろな事が理解できるようになってくると、最もannoyingだったのは、どうも自分が生まれてからこのかた考えたり自己を表現したり他人の思考を理解しようとしたりして使ってきた英語そのものが、言語の向こう側といえばいいのか、言語全体にベクトルが感じられて、そのベクトルが向いている先を見ると、言葉で説明されないことを前提にした、したがって名前さえもっていない「絶対」が立っていて、その言葉が届かない存在を仮定しないと言語として機能しないらしいことを発見したことで、それならば、自分が自分の言語で考えているかぎりは必ず神は存在することになってしまうではないか、ということだった。

古代的で静的な幾何学においては、なんの意味もない補助線を仮定しないと確かに真実であるらしい定理を証明できないことがよくある。
日本の学校で、どんな数学の教え方をしているのかが、いまひとつよく判らないので、学校で教師が言及する機会があるかどうか判らないが、「清宮の定理」のようなものまであるくらいだから、メネラウスの定理くらいは、せめて余興でやってみせたりするのではないかしらとおもうが、おもいついたときは面白くても、数学頭が自分のなかに育ってくると、あの補助線というものの思いつきかたが、というよりもその理不尽さが、なんとなく嫌になってくる。
いちいちそんなものを仮定しなくてはならないのが、どうにもうんざりであると考えるようになる。

神の存在はそれと似ている、というのは判りにくいだろうか。

数学という言語が、実験や観測の結果を踏まえて、どんなに宇宙を巧みに説明できたとしても、自然言語のまんなかに「神」なんかが立っていたのでは、すべては台無しであるというほかはない。
判らなくて、正体もみきわめられなくて、名指すことすら出来ないものが絶対として体系全体の向こうに君臨しているのでは、知性の敗北でしかない。

だから神の存在/非在の判断を保留している、いまの自分の知性は仮の存在にしかすぎないが、クリスマスは復活祭と並んで、まるで引き出しに入っている借用証のように、自分の知的なストレスを刺激する。

今日は、むかしはウィットコルという大きな書店で、いまはデパートになっている建物の前に、顔なじみのホームレスのおっちゃんが、ギターを弾いていて、少し立ち話をする。

「なあ、ガメ。ガメは神のことばかり考えているんじゃないかい?」と言われて、ほんとうは跳び上がるほど驚いたが、平静を装って、「21世紀になって、神のことなんて考えている人間がいるとはおもえないね」と述べると、この人のくせで、音もしないような、ふふふ、と笑う唇の形になって、透明なブルースギターの音がするギターで、「ルイジアナからアラバマまで、おれはギャンブルをして歩くのさ」という歌詞の、大好きな「ギャンブリンマン」を歌ってくれる。

たまたま財布にはいっていたので50ドル札を二枚渡すと、「多すぎるよ、ひとが見てるじゃないか」と奇妙なことをいって、一枚返そうとする。

また、あおうね。
もうCBDには来ないから、来年になるね。

ああ、また会おう。
あの美しい奥さんに、よろしく。

というのはモニさんも、この人のファンで、この人がここにいるときには、いつも一緒に二、三曲は聴いていくからです。

それから、ぼくは花屋に行って、いろいろな花をみつくろってつくってもらった花束を持って、バルカンレーンに行った。

去年のクリスマスまでは、ここに陣取っていたホームレスの友達が、今年の春に、刺し殺されたからでした。

花束を置きながら、「悲惨に対して不感症になっているぼくは、悲しくはない」
と呟いていた。
「ほんとうのことをいって、怒りも感じていない。でも、ここを通るたびに、きみのことを思い出してさびしい」と心のなかで述べてみると、なんだか、どこかで、友達が返事をしてくれたような気がします。

ベトナム人夫婦がやっている、すごくおいしいラテを出す珈琲屋によって、モニさんの電話を待っている。
若い奥さんは、まるで少女のようなひとで、ほっそりしていて、黒目がとてもおおきい目をいっぱいに見開いて、なんの話をしても、一生懸命に聞いてくれる。

どんな聴き取りにくい声でも、と考えて、どうしようもないというかなんというか、心のどこかで嗚咽がもれたような気になってしまう。

この夫婦も、ホームレスのブルースギタリストも、殺された若い友達も、みな、神にとっては「聴き取りにくい声」で、神に向かって懸命に語りかけているうちに、みんな死んでしまう。

クリスマスの祝祭も、むろん復活の祝祭もなく、ただ生まれて、忘れられたように死んでいくだけのことで、きみもぼくも、死ぬことの本質的な違いはなくて、せいぜい葬式に参列する人の数が異なるくらいのものだろう。

いつか、ぼくに「きみみたいな人間はいいよな。死ねば死亡記事が出るからな。
おれみたいな人間は、犬や猫が死ぬように、黙って死んで、見つけてくれる人があればいいほうで、ときどき、自分が友達にやさしいのは、自分の葬式に来てくれる人間を確保したいんじゃないかと自分で疑うことがある」と述べた友達がいたが、
ごくあたりまえのことをいうと、死亡記事が出たからといって、死に意義が生じるわけもない。

なにを書いているのかって?

今年も、クリスマスは、いろいろな人の笑顔に囲まれながら、生や死や、人間として何十年かを過ごすことの意味を考えさせられる、鬱陶しい時期だなあ、というだけのことです。

ほんとうに、それだけ。

神様はあきれてるだろうけど。

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1 Response to クリスマスの町を

  1. Nobuo Kihara says:

    > 神に人類の罪をあがなうための犠牲として死ぬことを拒否されて、無意味な犬死にを命じられる

    十字架上でのイエスの叫び「我が神、我が神、何ぞ我を見捨てたまひし」をこのように聞いたという文章は初めて読みました。これは僕の読書量の問題かも知れなくて、同じように解釈した人もいたのかも知れない。けれども、僕に限って言えば、イエスが贖罪の意味すら剥奪された絶望の死を与えられたという話を聞いたことはなかった。

    そして「なにごとかがあったはず」というイエスの復活。何かとんでもないことが起ったと仮定しなければイエスの死後にキリスト教が爆発的に広まったことを説明できないという、そのことはすでに多くの人たちが指摘していることであり、目新しい見方ではない。しかし、そういう他人事のような言い方をやめて、では君はイエスが復活したと思うのか思わないのかと問われてみると、自分がのっぴきならない告白を迫られていることに気付くことになる。しかも復活の前提として十字架の死が必要らしいということも何となく理解できるので尚更だ。

    その復活という不思議にガメさんは言及してしまったのである。これ、ひょっとして公には初めてのことなんじゃないのか。知らんけど。

    その先はうまく言葉が続かない。僕にとっては勿論のことだが、「ニセ外人」の尊称を持つガメさんが達意の日本語をもってしても難しいだろう。あ、母語の英語だと、ひょっとして、もっと難しくなるのかな?

    僕はと言うと、ヨハネ伝が好きで、それも、「はじめに言葉があった。言葉は神とともにあり、言葉は神であった」というような詩よりも、「ナタナエルが『ナザレ? そんな田舎から大した預言者が出るわけないやろ』と言ったので、ピリポは『まあ、ええから、いっぺん来て、自分の目で見たらええねん』と言った」というような、情景が目に浮かぶ写実的な描写をしている箇所が好きです。そして、死と復活ということになると、イエスが個人的に親しくしていたラザロ・マルタ・マリアの兄弟姉妹を思い出します。そう、ラザロの死と蘇生。マルタが「もう臭くなってますよ、死んで四日も経ってますから」と言うのに、イエスは「ちっ、おまえなあ、信じる者には神の栄光が示されるて、わし、前から言うとるやろが」と怒り、「こら、ラザロ、ぼーっと死んでんじゃねえよ、墓から出てこんかい」と叫んで彼を蘇生させてしまう。もう、むちゃくちゃ。イエスって、あんまり性格円満とは言えないよね。けれども、そういう驚くべき神の恩寵を一身に受けたラザロは、その後どうなったのか。数年後か、何十年後かは分らないけれど、もう一度、今度は本当に、二度と蘇生することなく、死んだに違いないということを僕は考えてしまう。

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