厚切りトーストの秘密

朝、起きてみたらなぜか日本にいた、という場合、なにが最も食べたいかというと、自分の場合、厚切りトーストではないかとおもう。

そう。
あの、いまは絶滅しかけているらしい「喫茶店」ちゅうやつででてくる、あれです。

ゆで卵がついている。

ちいさなグラスのボールに入った千切りのキャベツがついていて、その上には殆ど常に多すぎるフレンチドレッシングがかかっている。
小さなトマトのスライスも入っていそうです。

煮染めたような色の、でも飲んでみると意外と軽い味のコーヒーがついてくる。

いちど「アメリカン」という面白い名前のコーヒーを頼んだら、お湯を別のポットにいれてもってきてくれた店があったが、あれは、ほんとうはお湯で割って薄くするのではなくて焙煎が浅い豆で淹れるのがほんとうであるらしい。

マーガリンを塗ってだす店もあるが、それは悪趣味であって、やはりバターでないと困る。
ジャムはストロベリーとほぼ決まっていて、稀にはオレンジマーマレードがついていることもある。

ある店では、俄には信じがたいことだが、ベジマイトはご入り用ですか?と聞かれたので、虚をつかれて、「お願いします」と述べたらマーマイトが出てきた。

あとにも先にもベジマイトが日本の店で、いざ供されんとしたのは、このときだけです。

ほんとうは、ちゃんと溶けて染みこんだバターに、塩をかけて食べるとイデアの厚切りトーストの味がするので、バターと塩で食べるように、あの厚切りのトーストは出来ているに違いない。

コーヒーと厚切りトーストと小皿キャベツとゆで卵で「モーニングセット」と言って、これほど日本への郷愁を誘うものはない。

実はオークランドにもなくはなくて、Momo Teaのような台湾のバブルティーのチェーンにはたいてい置いてあります。
メニューにはある。
でも、店の外側の壁に貼りだしてあるメニューでみるだけのことで、写真で見ても微妙に異なるので、試してみるところまで行きません。
あれは、どうしても日本で食べないといけないような気がする。
マレーシア生まれの世界チェーンPappaRichにもあって、モーニングセットにロティチャナイ用の、ひと皿150円のカレーを二種類くらいつけて、モニチャナイを形成して食べてみたいとおもうこともあるが、まだ、やってみたことがありません。

むかしは名古屋では、これにセブンスターの煙草喫い放題がつくのが普通だったそうだが、「むかし」がどのくらい昔なのか聞くのを忘れてしまった。
東京の大学を出て名古屋大学の先生をしているおっちゃんに用事を頼まれて会ったときに懐古談として述べていた。
当時はヘビースモーカーだった、このおっちゃんは、毎朝煙草がただになるので、文字通り一朝にして名古屋が気に入ったそうです。

最後に厚切りトーストを食べたのは、2009年か、日本とのお別れ旅行で大阪にクルマででかけたときで、天神商店街と言う名前の、長い長いながああああーい、あんたは戸越商店街(←日本一長い商店街)か、と言いたくなるほど長い商店街の二階だった。壁際に一列に並んだ、おっさんとおばちゃん=5対1くらいの客が、新聞を広げて、小津が演出をつけた俳優たちでもあるかのように、同じ角度で並んでいて面白かったので、失礼にもこっそり写真を撮ったのが、いまでもアドビのアルバムのどこかにあるはずです。

日本の軍隊は長いあいだ脚気に苦しんでいた。
神経炎や浮腫で身動きがならなくなるくらいの症状で止まるのは良い方で、海軍などは遠洋航海に出ると水兵がバタバタ倒れていった。
1884年、軍医の高木兼寛は、タンパク質が原因だという仮説をつくって、洋食と麦飯を積極的に摂らせることによって改善できることを装甲巡洋艦筑波を使った実験航海によって示します。
ところが、この高木という人は間が悪いことにイギリス医学を学んだ人だったので、当時ドイツ医学が支配的だった東京大学医学部と陸軍軍医部に激しく批判されて、治ったのはたまたまだろう、ということにされてしまう。

そうこうしているうちに日露戦争が始まると、脚気で倒れる兵士の数は陸海軍ともにたいへんな数になって、死亡者が続出することになる。

高木式の対策をただちにとった海軍では急速に収束するが、極めて政治的で権威主義的な軍医総監だった森林太郎(そう、あの文豪として有名な森鴎外とおなじ人ですね)は高木のやりかたは科学的根拠に乏しく、非科学的で許しがたいと激しく非難して、かといって官僚主義的な科学者の常として、ああでもないこうでもない、有効な具体的な方策はなにもとらずにいて、なにしろ日清戦争後に起きた台湾討伐戦などは戦死300人に対して脚気による戦病死は3000人というありさまでした。

いま振り返ってみる人は、誰でも知っているとおり、脚気の真因は矢張り日本人の鈴木梅太郎博士が発見したビタミンB1欠乏症で、高木の仮説はおおはずれだったが、あたるも脚気あたらぬも脚気、海軍では、なにしろ高木軍医の提案どおりの献立によれば脚気が出ないのが判っていたので、あんまり理由は問わずに高木メニューを遠洋航海のレシピにしていた。

こうして厚切りトーストが日本の歴史に登場します。
一枚の写真が残っていて、海軍式トレイのうえに、白米の丼一杯と分量的に負けないためのモーニングセットそっくりの厚切りトーストと、味噌汁とスプーンが載っている。

見つけたわしは、あら、厚切りくん、きみ、こんなところから来たのか、と、なんだか座り直す気分で写真を眺めてしまった。

日本の「洋食」が、西洋の食事とずいぶん異なるのは、海外に出かける人が増えたいまの日本では、もう常識になっている。

油断すると千円札を二枚くらいも持っていかれそうなヨーロピアンカレーは、欧州には存在しないし、いやいや実はあれはイギリス式なんです、その証拠にC&Bのカレー粉はS&Bのカレー粉とそっくりでしょう?と書いてあって、え、ええええっ?
あんなカレー、連合王国では見たことないがな、も、もしかして、わし、ニセイギリス人なんでっか?とうろたえたりしたが、というのは冗談だが、なんのこっちゃとおもって調べてみると、半分はほんとうで半分はほんとうでなくて、イギリスはイギリスでも、イギリス海軍の巡洋艦の厨房で、航海の終わりに腐った肉を海に捨てるのはもったいないので水兵たちの胃袋のなかに捨てるために編み出されたのが、肉の臭味を、あまったスパイスを手当たりしだいぶち込んでつくった廃物シチューが、あの日本の「カレーライス」の原型のようでした。

いつか、パブで、屯して奇声をあげていたニュージーランド海軍の柄のわるい水兵にーちゃんたちに聞いてみたら、いまでもニュージーランド海軍の遠洋航海の終盤では、ドクサレ肉にカレーライスが出るそうで、おお、伝統のちからはすごい、と感心してしまった。

多分、厚切りトーストもカレーライスと同じように、退役した水兵のひとびとが、故郷にレシピを持ち帰って、文明の食事として全国に伝えたのが起源なのでしょう。
なにしろ故郷では、東北などは娘を売り飛ばして糊口をしのぐのが普通なほどの貧窮で、白米そのものが滅多に食べられなかった若い兵隊たちに絶大な人気を誇ったカレーライスは、ほぼ、そのままいまに伝えられているのに較べて、厚切りトーストが喫茶店でだけ出てくることになったのは、都会的なモダンなアプライアンスとして戦後60年代を通じて急速に普及したトースターが「6枚切り」の厚さを限度としていたからだと、わしは推測しています。

シチューがなぜ日本では高級レストランで出てくるのか、厚切りトーストはどうやって誕生したのだろう?
いったいなんだって日本にはドイツ料理屋があんなに津々浦々にあるんだ、日本にいるあいだに、あちこち歩いていっては話を聞いたり、本を買って読んでみたり、
特に自分が最も日本的な食べ物だと考えた「洋食」については、たくさん調べて、カルボナーラやスパゲッティナポリタン、ハンバーグ、おもしろかったので、このブログにはさまざまな洋食の起源が書かれている。

ドイツ料理屋などは、調べていて楽しくなってくるような由来で、第1次世界大戦に、ほんの言い訳のように参加した日本は、それでも青島戦を初めとするドイツとの戦いで案外な数の捕虜をとって、日本本国に連行するが、第二次世界大戦のニンピニンを絵に描いたような捕虜虐待とはなんという違いか、ドイツ人たちは楽団をつくって演奏を楽しみ、日本人シェフがドイツ人たちの好みに耳を傾けて、ドイツ人シェフたちと肩を並べてつくった料理を堪能して、町の人達とも交歓がつづいて、すっかりパラダイス日本が気に入った兵士たちは、戦争が終わっても階級制度がきびしい本国に帰る気をなくしてしまう。

日本の女の人達と結婚して、町々で開いたのが起源のドイツ料理屋が、いまのドイツ料理の隆盛に直截つながっている。

イギリスパン
https://gamayauber1001.wordpress.com/2018/10/06/a-plain-loaf/

という記事にも書いたが、日本の伝統的な「洋食」について調べると、日本というアジアの端っこで西洋文明の一員になろうと背伸びしつづけてきた国の、初めは笑い声がでて、それからだんだんしんみりしてしまうような、日本人の必死の歴史に満ちている。

ビーフシチューが最後に若い人のあいだに大流行したのは1970年代の終わりで、その最後の大ブームには、シチューという食べ物の素性が知れてきて、しかも流石の日本人にも飽きられてきた証拠でしょう。
ポトフのような食べ物が「変わりシチュー」として流行っていったのも古い雑誌から見てとれます。

前にも書いたが、日本橋には「たいめいけん」という戦前から変わらないレシピのカレーライスを出しているレストランがあって、食べてみると、なんだかカレー粉風味とでもいうような頼りない味がする。
義理叔父に聞いてたしかめてみると、義理叔父が子供の頃食べていたグリコのカレーは、たしかにああいう味であったそうで、あれはあれで、長い歳月のあいだに現代化が進んできたもののようでした。

いまでは本来のカレーがインドのひとたちによってつくられていて、最後に日本にいた8年前でも、もうさらっとしてスパイスが強い南インド風や、インドの人達も「カレーは、そりゃ、あっちのほうがおいしいさ」というスリランカのカレー料理屋が新しく開いて、人気が出始めていた。

それが実は歴史的には、食事にもようやく訪れた戦後の終わりで、日本人が苦闘のはてについに手にいれた豊かな平和の生き証人であるのは、テーブルのうえの厚切りトースト氏が誰よりもよく知っているはずです。

食べたいなあ、厚切りトースト。
今度、食べたら、自信がないというかなんというか、余計なことを考えて、しんみりしまうかもしれないけど。

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