新年の手紙

千鳥がほんとうはフランス語で書く童話作家なのだと知って、ああ、なるほどな、と腑に落ちたのをおぼえている。
ツイッタの日本語タイムラインで出会った、日本で生まれて育った人が、フランス語の本をつくって出版することによって生計をたてているのを知って腑に落ちるのはいかにも奇妙だが、千鳥の場合は、なんだか、だいなかよしの静かで風変わりな日本人の友達の生業として、ぴったりだと考えたのをおぼえています。

初めは、どんなふうにして、お互いを認識したんだっけ?
ぼくがおぼえているのは、その頃はクロマニヨン人たちの洞窟だということになっていて、ずっとあとになって、実はクロマニヨン人だけでなくてネアンデルタール人もいたのがわかったスペインの洞窟、Cueva de El Castilloに出かけたときの記事

https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/07/21/cueva-de-el-castillo/

を書いたら、「ブログ記事を読んで行ってきました。いいところだった」という千鳥のツイートがあって、ぶったまげてしまったことがあった、あれが始まりだったのだろうか。

千鳥らしく、なんだかあっさりとなんでもないことのように言うけど、行ってみればわかる、あの洞窟は、とんでもない田舎の不便なところにあって、モニとぼくはBilbaoからクルマで行ったが、それでも遠くて、1時間半くらいだとは言っても、田舎道で、くたびれて、例のでっかい源氏パイがおいてあるロードサイドカフェで休んだりして、やっと着くような山のなかにある。

ぼくは内心で自分をヘンケン博士と呼んで、ふざけてあそぶくらいで、偏見をふんだんに持っている。
偏見って、思考を節約するためには便利で、
気取り屋?ああ、あのひとイギリス人だから。
ズケズケ言いすぎる?
だって、あのひとドイツ人だもん、で、なにも考えないで判断がくだせるので利便という点ですぐれている。
考える、という世にもめんどくさいことをする手間がはぶける。

人間の判断なんて、めったにあってることはないので、正しく観察するべく調整しても、一生懸命考えても、偏見による直観的な判断と有意な差があるとは到底おもわれないが、ともかく、ぼくには日本の人は電車とバスみたいな公共機関でしか移動しないという偏見があるので、ビルバオからまっすぐに行く電車もバスもないのに、いったいどうやっていったんだろう、と考えていたら、
「バスを乗り継いで行ったんだ」と応えて、恬淡としていた。

あの洞窟がある山はね、もっと上にのぼってみると、そこに3畳敷くらいの平らなところがあるのさ。
そこで、まわりの景色を眺めて、ぼんやりしてきたよ、と書いてあって、道がなくて、そんなところがあるなんて考えてもみなかったぼくは、軽い嫉妬を感じました。

あんたは、ほんとうにニホンジンか、と訝った。
日本人が、そんなルールから外れたことをするだろうか。
ほんとは、わし両親の密命をうけたMI5のスパイなのではないか。

千鳥には顔と顔をあわせて会ったことがないし、年齢がいくつのひとかもしらないし、既婚なのか独身なのか、もしかしたら童話がベストセラーになって積み重なった黄金の延べ棒の山の一部を処分してつくった後宮(ハーレム)に美女をはべらせて、近代では許されない、あんないけないことや、こんな新聞にでたら道を歩けなくなるようなことをしているのかもしれないが、だいいち、このあいだコンピュータ雑誌を読んでいたら、World of Warcraftの参加者の少女たちは調査してみたら八割が中年のおっちゃんだったと出ていたが、逆に、おなじWorld of Warcraftの熱狂的なファンで、中毒になって、昼夜を忘れて熱中のあまり撮影をすっぽかして罰金を取られたりしていたMila Kunisは、ずっとむきむきな中年男になりすまして、パーティのなかの暴力男として畏怖されていたそうで、千鳥だって、真実の姿は、20歳の絶世の美女かもしれないし、数えてみると足が八本あるかもしれなくて、それはそれで、オンラインでしかしらない友達を持つたのしみなのだとおもいます。

現実世界の友達のほうが真の友だというのは、友達をもたない人の幻想にしかすぎない。
世の中にはオフライン会というものがあって、普段はオンラインでしか付き合いがないひとたちが、現実に顔をあわせて、一所にビールを飲んだりして交友を深くするものであるらしいが、千鳥は知っているとおもうが、
ぼくは、友情というものに興味がないんだよ。

むかしから友達はたくさんいるし、親友というべきひともいるけれども、それはやむをえない事情によって友達になってしまったのであって、できれば友達でないほうがよかった。

友達というものは厄介で、何年もあっていなくても、それどころか言葉を交わしていなくても、考えていることが手にとるように判ってしまう。
不幸も幸福も伝染する。
苦しみが通電されたように伝わってきて、自分のものでもない困難のせいで息が苦しくなる。
オンラインでもおなじことがあるようなんだけど、こっちは社会通念がネット友達という、つながりが軽い響きの言葉の影響を受けているので、いきなりブロックして、しらばっくれてしまえば、向こうは、なんだこいつ、と考えて嫌いになって忘れてくれます。
だから、楽であるとおもう。

むかしは、さんざん駆け出しのワカゾーのくせに偉そうだと言われて、最近は、あれはああいう人だということになって、うまいことにそれでいいことになってしまったが、仕事でも仕事以外でも、他人がぼくに会うことは至難だということになっている。
謎の首領ナゾーで、ビデオ会議でまで声だけだったりして、自分でもいったいおれはなにを考えているんだろうと呆れる。

心のどこかにあるのは、どうやら家系であるらしい厭人癖で、ぼくを育てるのに母親を手伝ってくれた、というよりも、はっきり言ってしまえば母親の代わりに世話をしてくれたひとが、あなたは子供のときから顔をみただけで相手がどんな人間かわかってしまうから、とよく述べていたが、仕事上たいへん助けになっているその能力は、友達ともなれば、自分にとっても相手にとってもたいへんな負担で、やめればいいのに、むかしは酔ってしまうと、相手が考えていることをその場で述べてしまったりしたので、恐ろしがられることまであった。

友達など、持たないにこしたことはない。

ところが日本語という外国語が媒介すると別で、考えてみればあたりまえだが、日本語で考えて行動するぼくは、たしかにぼく自身なのだけど、ぼくではない。
なんだか異なる人格で、しかも自分の場合は、多分、日本語がオンライン以外ではまったく使わない言語であるせいで、いよいよ現実世界にいる英語人格とは乖離してきていて、ぼくは、ほんとうは、….千鳥が気が付いているとおり…よく、日本語で冗談で述べる成熟したおとなそのままで、少し冷淡なところがあって退屈な人格だが、日本語では、日本語を使って書き始めたころのデタラメで無鉄砲な青年がまだ生きている。

で、ほら、論理的にならべてくると一目瞭然だが、日本語で思考している「ぼく」という存在は、実は千鳥たち、オンラインの友人に完全に依存している。
友達たちがいなくなれば、ぼくという人格自体が消滅するだろう。
かけがえのない友情というが、ぼくの場合は、友情の存在自体が、ぼくの存在でもあるのです。

ずいぶん長い年賀状になってしまった。
今年は、ずいぶん嫌な騒擾の年になりそうだけど、千鳥のことだから、淡々と、自分の魂のてっぺんにある3畳敷に腰掛けて、世の中を眺めて過ごせてしまうのではないかとおもっています。

いつも、なんだかぼんやりスクリーンの向こう側にいてくれて、ありがとう。
今年も、また、よろしく。

では

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ver.6 https://leftlane.xyz もあるよ
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3 Responses to 新年の手紙

  1. niitarsan says:

    いつまでも「日本語を使って書き始めたころのデタラメで無鉄砲な青年」がなくならないように、今年もいっぱい日本語で書いてください。今年もよろしくお願いします。

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  2. takejiro says:

    30年ぶりに英語の勉強を始めました。
    受験のせいで勉強そのものが大嫌いになっていたけれど、もともと英語が好きだったことを今さらながら思い出して楽しく勉強してます。
    英語世界では自分自身でさえも神が見ている世界の中で役割を割り当てられ演じている、というガメさん指摘を体感できるようになるのが目標です。
    とはいいつつも自分の頭の中の中心にある「自分」から離れることができず、いったいどうしたらそうなれるのかと途方に暮れる毎日です。
    これからも日本人の思考パターンと英語人の思考パターンの違いを分かりやすく教えていただけたら嬉しいなーと思います。
    今年もよろしくお願いします。

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  3. もともとお正月気分もないような土地で、ある朝起きてみると、自分宛の、生涯を通じて受け取ったことのない長い年賀状が、しかもへんてこなところで公開されていて、人をびっくりさせることがたのしみであるらしい当人はきっと、目論見が成功して良い気分だろうけど、受け取った方は、なんか返事しないわけにはいかないので、迷惑なことである。

    人前で褒められたら、神妙な顔をして耐えるのが、褒めてくれた人への礼儀というものだろうけど、
    あんまり黙ったままでいるのも不誠実なので、事実と異なるところは、しかるべく述べておくと、
    まず私は素寒貧であります。
    あとねー、童話っていっても、いまのところ出したのは、3さいから、とか、4さいから、とか、5さいから、とかだし。
    5歳向けだからといって、それがちゃちいという考えをわたしは少しも持たないが、多くの人が「作家」とかいう言葉から想像してしまうだろうものとは、わたしのありようはずいぶん異なると思うので、ひとこと書いておきます。
    しかし、ガメどんには予言を当てる、へんな癖があるようなので、黄金の延べ棒に関するあたりについては、これも他の予言の列に付け加わえてもらって、ついでに当たってくれたりすることが、あったりもすればいいかもね、と思います。

    今、もういちど読み返したら、とくに褒められている、というわけではないようでした。

    なんども、なんども、忘れてしまうことだけど、大庭亀夫、とかいって、いかにもわっはっはな雰囲気の言葉を、ぱちぱちキーで打っている、指から、腕から、そのさきの方につながっている、ずいぶん縦に長いのであるらしい躰の持ち主である三十すぎくらいの青年の方は、当然ながら、そういう人ではないのはあきらかなことで、いろんな境遇、条件があんまりにも隔絶していてふつうなら会うはずのない人間どうしが、こうして、まあ一方が持つ異様に高い言語能力に完全に依存しているわけだけど、こうして、なんだかなかよくいられるのは面白いことだと思う。

    声をかけてみようと思ったのは、福島の原発事故よか後です。
    へんなことを言うけれども、その頃の自分は、近い将来かならず自分は破滅するものとだけ偏執的に思っていて、今は破滅に関しては「だけ」だけではなくなりはしたもの、ともかく、当時、大庭亀夫という人を見ていて、あーこのひとは、友達になっても、たとえばこのさき、自分が溺れて、水面から首だけ出しているようなときがきても、静かな心で見ていることができる人だな、と信じることができて、それで声をかける決心がついたのであります。

    あとは当時、私が君のブログのどれかの記事のリンクを送って読ませたKが、記事を読んでなにを思ったか、私に、この人と友達になったらいいんじゃないか、と提案してくれたのも、知らん人に声をかけるという、当時の自分ならふつうしないはずのことを自分にさせた、後押しだったのでした。でかしたK。Kはいつもえらい人です。

    その年から、たいへん怠けたような言い様になるけど、いつのまやら、もう8年も経っていて、自分にしてみれば付き合いの長さの順でいえば先頭から数えた方がはやくなってしまったのでもある、まちがいなく友達と思える存在が、しかし地球のどこかでぱちぱちキーを打っている指の向こうの先につながってる、ある青年が日本語を書くのをやめてしまえば消えてしまう存在であるというのは、ときたま間欠的に繰り返される話題である、幽霊に、よく似ている。
    しかし、まあ、もう一歩考えを進めてみれば、ふつうの意味でなんとなく人間と言っている存在もたいしてそれと違わないのかもしれないけれども。

    記事を最後まで読み直したら、やっぱり褒められているようでした。
    褒められるのは、いいことのようです。

    自分の魂のてっぺんにある3畳敷に腰掛けて世の中を眺める、というアイデアはとても良いようです。

    かつての氷河に面して、岬のように突き出た位置にある Cueva de El Castillo のあるあの山は、たいしたサイズもない、簡単にのぼれてしまうジャングルジムみたいな山だけれども、のぼってまわりをぐるりと眺めると、たしか洞窟の説明のパネルにもあった通り、クロマニヨン人のひととかネアンデルタール人のひととかの、とてもよい見晴台だったことが直感される場所でした。

    ありがとうさん
    今年も、また、よろしく

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