日本史 第二回 滅亡の理由

今の時代は物質的の革命によりて、その精神を奪はれつゝあるなり。その革命は内部に於て相容れざる分子の撞突(たうとつ)より来りしにあらず。外部の刺激に動かされて来りしものなり。革命にあらず、移動なり。人心自(おのづか)ら持重するところある能はず、知らず識らずこの移動の激浪に投じて、自から殺ろさゞるもの稀なり。その本来の道義は薄弱にして、以て彼等を縛するに足らず、その新来の道義は根蔕(こんたい)を生ずるに至らず、以て彼等を制するに堪へず。その事業その社交、その会話その言語、悉(こと/″\)く移動の時代を証せざるものなし。斯の如くにして国民の精神は能(よ)くその発露者なる詩人を通じて、文字の上にあらはれ出でんや。
 国としての誇負(プライド)、いづくにかある。人種としての尊大、何(いづ)くにかある。民としての栄誉、何くにかある。適(たまた)ま大声疾呼して、国を誇り民を負(たの)むものあれど、彼等は耳を閉ぢて之を聞かざるなり。彼等の中に一国としての共通の感情あらず。彼等の中に一民としての共有の花園あらず。彼等の中に一人種としての共同の意志あらず。晏逸(あんいつ)は彼等の宝なり、遊惰は彼等の糧(かて)なり。思想の如き、彼等は今日に於て渇望する所にあらざるなり。
 今の時代に創造的思想の欠乏せるは、思想家の罪にあらず、時代の罪なり。物質的革命に急なるの時、曷(いづく)んぞ高尚なる思弁に耳を傾くるの暇あらんや。曷んぞ幽美なる想像に耽るの暇あらんや。彼等は哲学を以て懶眠(らんみん)の具となせり、彼等は詩歌を以て消閑の器となせり。彼等が眼は舞台の華美にあらざれば奪ふこと能はず。彼等が耳は卑猥(ひわい)なる音楽にあらざれば娯楽せしむること能はず。彼等が脳膸は奇異を旨とする探偵小説にあらざれば以て慰藉(ゐしや)を与ふることなし。然らざれば大言壮語して、以て彼等の胆を破らざる可からず。然らざれば平凡なる真理と普通なる道義を繰返して、彼等の心を飽かしめざるべからず。彼等は詩歌なきの民なり。文字を求むれども、詩歌を求めざるなり。作詩家を求むれども、詩人を求めざるなり。
 汝詩人となれるものよ、汝詩人とならんとするものよ、この国民が強(し)ひて汝を探偵の作家とせんとするを怒る勿(なか)れ、この国民が汝によりて艶語を聞き、情話を聴かんとするを怪しむ勿れ、この国民が汝を雑誌店上の雑貨となさんとするを恨む勿れ、噫(あゝ)詩人よ、詩人たらんとするものよ、汝等は不幸にして今の時代に生れたり、汝の雄大なる舌は、陋小(ろうせう)なる箱庭の中にありて鳴らさゞるべからず。汝の運命はこの箱庭の中にありて能く講じ、能く歌ひ、能く罵り、能く笑ふに過ぎざるのみ。汝は須(すべか)らく十七文字を以て甘んずべし、能く軽口を言ひ、能く頓智を出すを以て満足すべし。汝は須らく三十一文字を以て甘んずべし、雪月花をくりかへすを以て満足すべし、にえきらぬ恋歌を歌ふを以て満足すべし。汝がドラマを歌ふは贅沢なり、汝が詩論をなすは愚癡なり、汝はある記者が言へる如く偽(いつ)はりの詩人なり、怪しき詩論家なり、汝を罵るもの斯く言へり、汝も亦た自から罵りて斯く言ふべし。
 汝を囲める現実は、汝を駆りて幽遠に迷はしむ。然れども汝は幽遠の事を語るべからず、汝の幽遠を語るは、寧ろ湯屋の番頭が裸躰を論ずるに如(し)かざればなり。汝の耳には兵隊の跫音(あしおと)を以て最上の音楽として満足すべし、汝の眼には芳年流の美人絵を以て最上の美術と認むべし、汝の口にはアンコロを以て最上の珍味とすべし、吁(あゝ)、汝、詩論をなすものよ、汝、詩歌に労するものよ、帰れ、帰りて汝が店頭に出でよ。

あなたが死んだ、ちょうど百年後に、ひとりのイギリス人の子供が、真っ青な顔をして自動車の後席に座っている。
馬入橋、という名前の橋だったとおもいます。
平塚にある、鎌倉と箱根の往還で、いつも渋滞がある橋で、その橋にさしかかる頃には、運転している叔父が心配になってバックミラーを何度も覗き込んでは、
「ガメ、だいじょうぶかい? 顔色が真っ白で紙のようだけど」と訊ねるほどになっていた。

従兄弟がいれば、笑って、こいつお腹がへっただけだよ、と自分の父親に告げただろうけど、生憎、東京から叔母と一緒に電車で箱根へ向かった従兄弟は、車内にいなかった。

奈良で倒れてしまったことがある。
「青くなったり、赤くなったりして、まるで信号機みたいだった」とあとで義理叔父が笑っていたとおり、糖分の不足で、気分が悪くなって、奈良公園を歩いて横切っているうちに、そのままどおっと倒れてしまった。

なぜガメは自分が誤解されているときになにも言わないのか、とよく怒られたが、黙っていることに理由などないのだから、答えられるわけはない。
強いていえば言い訳をするのがめんどくさい。
周りの人間がすべて敵になって襲いかかってきても、きみたちはぼくじゃなくて誰それを敵とすべきなのに間違っているんだよ、と説明するくらいなら、黙って防御して、自分に襲いかかってきた人間をすべて暴力で床に並べてしまったほうが楽だ、という程度にぼくは怠け者で、子供のときもそうだったが、実をいうと、いまもそれは変わらない。

小田原の市境を越えると、鈍感な叔父も、ようやっと、なにが起こっているのかに気がついてレストランを探し始めた。
ぼくは内心、さっきから義理叔父が盛んに訊いている、どんなレストランがいいかなんてどうでもいいから、いちばん近い食べ物がある店にクルマを駐めてくれればいいだけなのに、と、この気が利かない日本人のおっさんにうんざりした気持でいる。
料理屋である必要すらなくて、バナナ一本だけでも、この気持わるさはいっぺんに収まるのに。

結局、裏通りに入ったところで、義理叔父はファミリーレストランを見つけて、
そこに入った。
窓際の席で、たしかパンケーキとサンデーを食べて、やっと気分がよくなった。

窓の外に小さなモニュメントのようなものが見えていて、いったいこれはなんだろう?と観るともなしに観ていると、テーブルの向こうに座っている義理叔父が、
「驚いたな。ここは北村透谷が生まれた場所じゃないか」とつぶやいていたのだとおもいます。

そのころは文章を読むどころか、あなたの名前も知らないので、それはぼんやりした記憶になって、過去の色がついたガラス玉がそこここに散乱しているような場所に埋もれていって、このときの光景と、素っ気ないどころか、めんどうそうでさえあるデザインの、というよりもデザインが欠落したモニュメントを思い出して、あれがあなたの生誕の場所を記念した碑であったことに気が付いたのは、ずっとあとになって、ニュージーランドという国の、南島の、一家がもっていた牧場のライブリでのことでした。

日本の歴史を話そうとしているのに、あなたの名前を外すわけにはいかない。
いつか、そう述べたら、「それは歴史というより文学史のほうだね」と述べた日本の人がいたが、文学の歴史が社会の歴史と別に存在していると意識される社会があるとすれば、要するに魂がはがれおちてしまった社会で、いくらなんでも日本はまだそこまで落ちぶれてはいないだろう。

ずっとあとになって、一年のうち何ヶ月かを東京で過ごそうと決めたぼくは、自分の生活の利便を考えて広尾山というところにアパートを買いますが、それは失敗で、あの辺りの、麻布、霞町、広尾、一の橋という一帯は、退屈な町で、銀座にでかけていくことが多かった。

あなたが歩いた、数寄屋橋から木挽町にかけて、尾張町や新橋まで、ぼくもよく歩いて、そういうときにはいつも、

革命にあらず、移動なり。

という、あなたの雷鳴のような声を聴いていた。

あなたが死んだあと、日本は、あなたが危惧したとおり、

汝の耳には兵隊の跫音(あしおと)を以て最上の音楽として満足すべし、

「物質的の繁栄」のためには当時はまだ世界最大の富裕を誇っていた富める隣国である中国を侵略して掠奪するのが最もてっとり早いことに気が付いて、清との戦争を始めます。

計画上は、うまくいくはずの近代軍の運営を、まるで乗馬をおぼえたての成り上がりの若者のようにして、おっかなびっくり、海戦でいえば、後年、史上初めて統制された艦隊行動によって敵を組織的に撃砕する、世界の海戦の範をつくる「ツシマ海戦」を戦って海上部隊戦闘の理想を示したのとおなじ国の艦隊とはおもえぬほど、ぶざまな叩き合いを繰り返して、それでもなんとか勝って、勝利のトロフィーとして、台湾を領土化し、朝鮮半島を植民地化する。

あなたが一生を通じて恐れたことは、日本人が西洋の倫理を希求し、善を信じ、美に憧れる面に興味をもたずに、てっとり早く幾許かのオカネを手にするための道具としての西洋の、特に軍事につながる技術の習得に夢中になることでした。

あなたは、西洋人にとっても西洋人が最大の敵であったことを、よく知っているただひとりの日本人だった。
あなたが生きていた時代に、文字通り血みどろの闘争を繰り広げて、物質の価値に眼がくらんだ、ゆるんだ口元に欲望の唾をためて、眼を血走らせて冨の蓄積に狂奔する「悪しき同胞」と戦っていたのは西洋人たちでしたが、もちろん、その戦いの敵もまたおなじ西洋の人間でした。

天上の価値と地上の利便が正面から戦えば、どんな時代でも地上の利便が勝つに決まっている。

あなたは恋愛こそが人間を解き放つのだと述べて、それこそが人間の魂を地上の桎梏から天上へと解放する鍵なのだと言ったが、一方で、おなじ日本人の同胞たちが、物質的の、「悪しき西洋」に向かって走りだすのではないかと常に恐れていた。

結果は、残念なことに、あなたが恐れていたとおりになりました。
もうすぐ、あなたの危惧をうけつぐことになる人に、夏目漱石という人がいます。
この背丈が低い、小さな小さな男の人は、不幸なことにロンドンに住んで、
イギリス人という生き物の尊大さ、粗暴さ、自分達と異なる種類の人間達への容赦のない軽蔑を目撃して、一生ぬぐいさることができない傷を心に負ってしまう。

この人が、どんなことに心を悩ませて、息をするのにも努力がいるような気持でロンドンの毎日を暮らしていたかは、日記のなかで、ある日、向こうから、ついぞ見かけないほど目立って背が低い男がこちらに向かって歩いてくるのを認めて、わざとすぐ近くをすれちがってみて、自分がその滑稽なほど背が低い男よりも、さらに背が低いことを発見して、どうしようもなく落胆する記述にうまく書かれている。

漱石という人は、同時代の森鴎外のような、自分の観念をとおして着飾った自分を欧州の町に置いてみるのではなしに、ただぽんと地上に投げ出された現実として自分を見て、人種差別を見つめることが出来る人でした。

実際、人種差別というものの本質を夏目漱石という人ほどよく知っていた人は、日本では、いまに至るまで、いないでしょう。

故郷の田舎町で見知った見苦しい風体の西洋人たちと異なって、気圧されるほど美しい西洋人のカップルに列車で出会って茫然としている青年三四郎に、向かいの席の中年の紳士が
「お互いは哀れだなあ」と言い出す。

反発を感じた三四郎が「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と述べると、この紳士は
平静な顔で、にべもなく、「滅びるね」という。

この「三四郎」という小説が書かれたのは、あなたが自殺した年から数えて十五年後、「滅びるね」という紳士の予言どおり日本が滅亡する直截の原因になった日露戦争が日本の勝利で終わった1905年から3年が経った1908年のことでした。

1945年、つまり近代知性の希望を担った三四郎が上京する列車のなかで出会った紳士が、この国は傲慢によって滅びるだろうと観察を述べた40年後に、日本はこの紳士の予言のとおりに、世界の歴史にも稀な国家まるごとの滅亡を経験する。

その破滅と破壊のすさまじさは、あなたの時代の人間の想像力の限界を遙かに越えていて、あなたが滅びてしまえばいいとまでおもいつめた、西洋の悪しき意匠の書割そのままの町並は、文字通り見渡す限りの瓦礫になって、核爆弾によって破壊された広島の町には、町の中心地の至るところに、核爆発のエネルギーによって、ただの影となった人間が壁に焼き付けられた姿を残すことになる。

日本人は、しかし、その徹底的な破滅をさえ生き延びて、今度こそは魂の高みの力によって生きようとする。
昨日までインドネシアを取ればいくら儲かると計算を口にしていたひとびとが、眼を輝かせて自由の価値について熱っぽく語るひとびとの口まねをするようになります。

精神的価値を価値と認めた、日本の歴史には稀有の、というよりも後年に日本人が捏造した歴史とはやや事情が異なってゆいいつの時期が、こうして始まります。

当然のこと、ひとびとは真実の言葉を求め、古代にまで遡って自分達の魂を発掘して、ほぼ10年ほども精神的価値にすがって生きようとする。

でも直ぐに成果がでないことを自分達で考えるのは苦手なんですよね。
アメリカ人たちが、共産中国の攻勢に慌てふためいて、日本全体を反共基地化することに決めて、誰がどんなふうに計算しても過剰な投資をして、貧弱な市場に洪水のように資金を投入したことで、日本人の魂はふっとんでしまいます。

途中ではおもしろいことがあって、もともと喉から手がでるほど欲しかった元手になる冨を、あろうことかかつての敵アメリカが供給してくれたのを幸い、自分達がかつて満州で視た国家社会主義経済の夢を本土で実現するべく、かつてのファシズム経済のチャンピオン岸信介たちの手で、国民個々の生活の質などまるで考慮する必要がなかった全体主義経済は予想通りうまくいって、1980年代にはアメリカをおびやかすほどになって日本の鷹揚な主人のつもりでいたアメリカ人たちを恐慌に陥れる。

でもその日本の台頭がもたらしたアメリカ人たちと自由社会にとっての深刻な危機は、冷戦構造が終わることによって日本の地政学的優位が失われることによって、あっさり終焉を迎えます。

あなたの生誕を記念した碑を、意味もわからずにぼんやりと眺めていた子供は、やがて、あなたの国の言葉に興味を持って、なんという偶然か、あなたが書いた文章にめぐりあうのですよ。

それは「哀詞序」という、近代日本語のごく初期にかかれたのに、多分近代日本語の頂点をなす凄艶な美しさをたたえた文章で、女学雑誌の編集部から原稿料を値下げしたいという死活に関わる要望を伝えられたうえに、結婚を取り巻く倫理を捨てて激しい恋に落ちた相手の若い女のひとが亡くなった、個人的な絶望のなかで書かれた文章でした。

我はあからさまに我が心を曰ふ、物に感ずること深くして、悲に沈むこと常ならざるを。我は明然(あきらか)に我が情を曰ふ、美しきものに意を傾くること人に過ぎて多きを。然はあれども、わが美くしと思ふは人の美くしと思ふものにあらず、わが物に感ずるは世間の衆生が感ずる如きにあらず。物を通じて心に徹せざれば、自ら休むことを知らず。形を鑿(うが)ちて精に入らざれば、自ら甘んずること難し。人われを呼びて万有的趣味の賊となせど、われは既に万有造化の美に感ずるの時を失へり。

まだおぼえていますか?
これは、あなたが死ぬ前年にあなたが書いた文章で、ぼくにとっては最も初期に暗誦できるようになった日本語の文章でした。

ぼくは、あなたの文章が開いてくれたドアから日本の文明の歴史に分け入っていくことになる。

いつか、ほら、ぼくが酔っ払って泊まったホテルで、あなたがぼくの夢を訪問したことがあったでしょう?
夢のなかで、あなたの二の腕に後ろから触れた瞬間、あなたの自分の国へのすさまじい怒りを指先に感じて、驚いて、ひどく魘されて、モニに起こされた。

あのあと、モニは、どんなことがあってもあのホテルに宿泊することを拒むようになった。

いまでは、もう、あのホテルがあなたが自殺した地面のうえに立っていることも知っています。

死ぬ前、あなたは疲れ果てて、自分はもう老いて、生きていく力が残されていない。
自分のまえには、すでにどんな希望もない、とつぶやいていた。

北村透谷。
1894年逝去。
享年二十五歳

例え悪夢のなかでもいい、もういちど、あなたに会える日がくるだろうか?

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1 Response to 日本史 第二回 滅亡の理由

  1. mura says:

    ガメさんはじめまして。
    さっきまでコメント書いていたのが、力作なのに消えてしまって呆然とこれを書いています。
    ガメさん、このエントリは私にとって神様からの文章でした。啓示みたい。
    透谷の妻ミナの生家すぐ近くに育ち、透谷とミナの出会いの碑を興味なく見過ごし、民権運動記念館も通りはしたけどろくにも見ず、母が透谷の碑を見ながら「お母さん透谷好きなのよ。あんたも詩が読めるようになったら読むといい」といったのを聞き流し、少し成長して漱石が好きになっていろいろ読んで、そのあとは今生きてる作家の本が読めなくて困ってしまい、仕事を始めて忙しくて子育てで忙しくて未来にも疲れた時にあなたの文章に出会いました。
    ああ、この文だ、と思いました。
    読みたかったのはこれなんだよ、と。
    このエントリは、私がなんでガメさんの文章が好きなのか明確にしてくれました。
    ガメさんは「漱石という人は、同時代の森鴎外のような、自分の観念をとおして着飾った自分を欧州の町に置いてみるのではなしに、ただぽんと地上に投げ出された現実として自分を見て、人種差別を見つめることが出来る人でした。」と書いていますが、本当にそうなのです。私はそこに、漱石の人間愛みたいなものを感じていました。
    ガメさんは違うというかもしれませんが、ガメさんの文は漱石に通じるものがあります。
    でも、もっと歌うようで、音符が躍っているように文章が奏でられています。

    そして透谷。このエントリの冒頭、私ははじめ漱石かと思ったのです。でも文が違うな、漱石のほかにこんなこと言った人いたのかと思いました。
    透谷だったなんて!
    七国山の上のほうにある実家から、頂上のほうに進んでそれからあっち側に少し降りたところにぼたん園があります。そこに、透谷とミナさんの碑があります。旧鎌倉街道なもんだから途中に鎌倉井戸があって、いざ鎌倉の時に誰それの馬がここで水を飲んだらしいとか、鎌倉時代好きな私と母は話しながら散歩しました。良い天気で木漏れ日のこぼれる気持ちのいい道、見晴らしの良い場所、途中でアイスを買って食べたりして、ぼたん園に行ったり行かなかったりの散歩。そしてなぜか強烈に覚えている「お母さん透谷好きなのよ」という言葉とその横顔。
    ずっと詩が苦手で読んでいませんでした。和歌を好きになり、年も取ってきてそろそろ詩もいいかもしれない、それなら透谷からだと思っていました。
    そこにこのエントリです。もう、度肝を抜かれました。
    ガメさん、ありがとうございます。
    私はきっと透谷に呼ばれてるんですね。読まなくちゃ。
    経験から、こういう出会いはいい出会いになりそうです。
    特別なものが増えるというのは素敵なことです。ありがとう。

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