日本史 第三回 片方しか翼をもたない天使たちについて

有栖川公園の丘の上にある図書館から、ひとりの若者が出てきたところだった。
若者、といっても、ぼくの眼にはまだ子供で、ひどく痩せていて、膝が突き出たジーンズに、ブラシもしていなさそうな長い髪がほどんど肩にまでかかっている。

おまけに本人は気が付いていないが、上下に「ひょこたん、ひょこたん」と音がしそうな歩き方で、それなのに足をひきずっているような、不思議な歩き方をする。

角の交番のところまでくると、立ち番の若い警官をちょっとにらみつけるような顔をしながら信号を待っている。
昼ご飯を食べてから午後の古典文学の授業に出ようとおもっていたが、めんどくさくなった。

なだらかな、長い坂を下りて広尾駅に出るか、産院下の交差点に出て、そこから坂をあがって都営バスで渋谷に出るか、あるいは、平坦だが距離が長い、中国大使館の前を通って材木町の交叉点に出る道を行って、六本木に出るか、
なんだか毎日おなじことで悩むので、いっそ月、水、金は広尾駅から日比谷線、というように決めてしまえばいいのではないかとおもうが、それもバカバカしいような気がする。

午後の授業に出る気がなくなった理由は、いつもの怠惰だけではなくて、昼ご飯にでかけた定食屋で見た光景のせいでもある。

学園紛争が長かったので、とっくのむかしに学生食堂が逃げ出した学校のなかには、ひどく不味いパサパサした菓子パンを売っている、近所のベーカリー「キクヤ」の出店以外はなにも食べ物を調達できる店がなかったので、もう中学生の頃から、きみは学校の外で昼ご飯を食べるのに慣れていて、いちばんおいしいのは西武グループの堤の家がある坂のうえの交叉点にある「キッチンあき」だったが、ここでは3年生たちが幅を利かせていて、カウンター席だけの店内なのにコーヒーまで注文してくつろいでいるので、
「おい。ふざけんなよ。午後の授業がはじまっちまうだろう」と後ろから立って待っている2年生が声を荒げても、
「うるせーぞ、2年坊主、おまえら、ここで食べるのは百年早いわ。
下の那須まで走っていって食ってこいよ」と集団でせせら笑う始末で、埒があかないので、倍近く払わねばならないフィッシャーマンズワーフに出かけなければいけないことも多かった。

その日も、そういう事情で、フィッシャーマンズワーフに出かけたが、店内に一歩入ると、3年生も2年生も店のコーナーにおいてあるテレビの画面を見つめている。

なんだろう?と思って見ると、雪のなかで機動隊が伏せている。
軽井沢のあさま山荘というところで、「連合赤軍」が銃をもって籠城しているのだという。

きみの高校のなかにも、赤軍派はいた。
戦記派叛旗派がいて、青年解放同盟がいて、あとはお決まりの中核派、革マルといて、革マルの幹部だった世界史の教師は横浜線で中核派の集団に襲われて頭蓋骨陥没の重傷で休講中だったりしていた。

でも「連合赤軍」という名前は初耳だった。

顔にみおぼえがある3年生の背の高い男が「殺せ!殺せ!やっちまえ!」と叫んでいる。
そのまわりで他の3年生たちが、げらげら笑い転げている。
「マルキなんて、みんなぶち殺せ」

きみも実は通りに出てヘルメットをかぶったことがある。
学校の友達の誘いはぜんぶことわって、深夜、こっそり相模原にでかけて、戦車の搬入に反対して集まっていた大学生たちに混じって、どのセクトにも属さないことを示す黒いヘルメットを手にして、デモの隊列に加わった。

結果は、ひどくがっかりさせられるもので、実際に加わってみるとまるで軍隊で、見るからに軽薄なリーダー格の演説がうまい大学生が、最前列に並べた高校生たちに逃げるな逃げるなと叫びながら、機動隊が放水車を前面に押し寄せてくると高校生たちを盾にするかっこうで、一目散に逃げていった。
逃げていく後ろでは、高校生たちが機動隊員にジュラルミンの盾で殴られ、女の高校生たちは髪をつかまれてひきずりまわされて泣き叫んでいたが、リーダーたちは振り返らなかったので気が付きもしなかっただろう。

きみの姿をみかけたらしい3年生が、次の日、「おまえ、いったいあそこで何をしていたんだ。公安の犬じゃないのか」と述べたので、きみはすっかり嫌気がさして、そのまま学生運動と名の付くものには背を向けてしまった。
その3年生が、公安が高校生たちのなかに放ったスパイだったと判ったのは、ずっとあと、大学を卒業してから、友達に初めて聞いて知った。

政治というものはそういうものだと、その頃にはもう判っていたので、ただ、そうだろうな、とおもっただけだった自分の気持ちを、きみは見知らぬ人の心をのぞき込むような得たいのしれない不思議なものだとおもうようになっていきます。

「時の時」という、いまではもう使われなくなった言葉がある。
きみが麻布の丘の上にある学校で中学と高校時代を過ごした数年は、日本という国にとっての「時の時」というべき時代だったのだとおもう。
誰にも言わないだけで、「世の中のために働きたい」という都会人らしくない、当時の日本人たちが聞いたらふきだしてしまうような純粋な気持ちでおもいつめて、本郷の大学を出ると、きみは大学院をあきらめて、といっても成績や家庭経済の理由ではなくて、人文系の大学院に行く級友たちに馴染めなかったからだけども、仕事につくことにする。
選択肢は朝日新聞社という新聞社と大学院と公務員で、結局きみは上級公務員試験を受けて、霞ヶ関に通う毎日を選ぶことになる。

振り返ってみると、その頃の日本は、自分達では一人前の先進国を自認していたが、ほんとうはまだ中進国くらいの社会でなかっただろうか。

後年、きみが霞ヶ関官庁のありかたにすっかり嫌気がさして、国費をつかって、でもひそかに日本には戻らないぞと決めて向かったボストン郊外のケンブリッジという町で、おなじ学校を出た、それなのにあの学校ではときどきあることで、あんまり見かけたことのない顔の日本人がいたでしょう?

いつもUnoピザで、おもしろくもなさそうな顔でピザを食べながら、ピッチャーのアイスティーを真冬でもガブ飲みしていたあの奇妙な日本人は、実は、あとになってぼくの叔母と結婚するひとで、いまでもときどきスカイプで話したりするんだけど、あのひとは朝、わざわざいちど日比谷に戻って、高校へ行くまえに、三信ビルの地下にあったアメリカ人相手のダイナーで、一杯のウイスキーとステーキサンドイッチを食べてから学校へ行くのをしばらく習慣にしていたのだけれど、ちょうど日比谷線の出口から出て坂をのぼる頃になると、長身のイギリス人の双子の姉妹が学校へ行く途中であることが多かったそうです。

「ところがね、この双子の高校生のねーちゃんたちがジャガーに乗って学校へ行くんだよ!」と、いつか、この義理の叔父が興奮気味に話してくれたことがある。
金髪で背が高くて、すんごい美人の双子の姉妹なんだけど、毎朝みるたびに、
なにがなし、日本はまだまだダメだなあ、おれたちはビンボだし、ダメだ、とほとんど意味もなく考えた。

悪い癖で、そのときは言わなかったが、実はぼくはこの「双子の姉妹」を知っていて、あのふたりは当時高校生ではなくて休暇中の大学の一年生だったはずで、クルマもジャガーではなくてMorgan Plus 8だが、着飾るのが好きで、上手なひとたちだったので、若いときも、義理叔父が感嘆して落胆したように、東京の日本人たちに自分達の富裕と美貌をみせつけては喜んでいたのは想像にかたくない、というか、想像すると、あの愉快なおばちゃんたちの若い頃らしくて、なんとなく笑ってしまう。

それはともかく、ちょうどきみがケンブリッジで毎日めちゃくちゃな量の本を読まされてペーパーチェイスとディベートの毎日を送っているあいだに、きみの故国ではおおきな変化が起きていたのだとおもいます。

それはつまりは、身も蓋もない言い方をしてしまえば、中進国が先進国になってゆく過程だった。
きみが本郷にあがったあと、用事があって出向いた駒場で「ポパイ」という雑誌をにぎりしめた田舎の進学校出の「東大生」たちが「どこにいけばお嬢様学校の女子大生とやれるか」について夢中になって話しているのを聞いて、自分の大学に嫌気がさした、と義理叔父に述べたそうだが、また聞きでその話を聞いて、ぼくがおもいうかべたのは2009年にシンガポールで会った友達が、まったくおなじ話をしていたことだった。

あさま山荘事件は1972年で、そのころのきみにとっては留学、まして「移住」などは到底現実味をもたない選択肢だった。
一週間程度の海外への観光旅行ですら、団体旅行で行くのが普通だった頃のことで、後年、きみが留学したときも省庁が直截派遣するか人事院がオカネを貸与して、日本にもどってきて働く約束で送り出してくれるか、ふたつにひとつしか選択はなかった。

1982年になると、ハーバードのいわゆるアングラ、学部にも日本人が入っていくようになります。
留学は普通のことになって、当時のことで、留学してアメリカで就職してしまえば、日本には戻ってくる方法がないのとおなじで、程度がわるい人間だけがアメリカで就職することになっていたが、それでも、海外で生活する日本人は増えていった。

連合赤軍事件の一年前、赤軍派の重信房子が奥平姓のパスポートで出国に成功してパレスチナに脱出するのは1971年で、奥平剛士との偽装結婚によって得た姓で簡単にパスポートをつくれたのは、要するに当時の日本社会の常識では新左翼の活動家が「海外に高飛びする」こと自体が考えられないようなことだったからでした。

1972年から1982年への、日本の相貌ががらりと変わる10年間を書くために、ぼくはきみのところに戻ってこようとおもっているが、
今回はちょっと疲れたので、ひとりの女の人のことについて触れて記事を閉じたい。

キッコーマンで働きながら明治大学の夜間学部で勉強に励む苦学生だった重信房子には、同じ明治大学の夜学に通う遠山美枝子という友達がいました。

おしゃれが好きで、おいしいものが好きで、重信房子とふたりで居酒屋に行けば、ビールを飲んで、日本社会の不正について怒りあう、仲のよい友達同士だった。
通りに出てデモに加わり、投石をする勇気はなかったが隊列のなかを重信房子と肩を並べて歩いて「シュプレヒコール」をあげた。

重信房子がパスポートを取得して海外に活動の拠点をつくりに去ってしまったことを「たいせつな友達と会えなくなる」という気持で考えることが出来る感受性の持ち主だった。

重信が去ったあとのことは、言うまでもない。
日本共産党革命左派と赤軍派が合同して連合赤軍が形成されると、自動的に党員になった遠山美枝子は、外国人の眼からみれば銃砲店を襲って奪った実銃を持っているだけで、ままごと遊びにしかみえない「軍事訓練」に参加させられる。
リーダーになった永田洋子に口紅をしていたのを見咎められて、十分に革命的な自覚を持っていないと責められ、しかも他の革命的自覚が足りないとされた党員を殴ることに手加減をくわえたことを追究されて、みなが観ている前で自分で自分の顔が滅茶苦茶になるまで殴ることを強制される。
渾身のちからで自分の顔を数時間にわたって殴りつづけさせられた遠山美枝子は、真冬の戸外で柱に縛り付けられたまま寒さと自分が自分の肉体に加えたショックのせいで死ぬ。

麻布の丘の食堂で高校生たちが、「殺せ!やっちまえ!」と叫んでいたころには、もう遠山美枝子は冷たい死体になって榛名山中で置き去りにされていた。

遠くからみると、事件の全体は政治的ですらなくて、中進国社会が先進国社会に遷移する途中ではよくみられる愚かさの表現でしかない。
どこまでも愚かだった若者たちは、いまでもおぼえているリクリエーションセンターのGIたちがふきだすような「ガキのペイントボールサバイバルゲームより子供の遊びじみている」と評された「軍事訓練」で革命的自覚が足りない12人の若者を拷問を加えて殺し、最後はあさま山荘に立てこもって、ふたりの警察官とひとりの民間人を射殺して投降する。

このあさま山荘事件が、奇妙なほどの沈黙のうちに日本人が「左翼」に見切りをつけて決定的に、そこまで他国では考えられないほどの深く長い伝統をもっていた一般民衆の左翼運動に対する共感に終止符を打った出来事であることを発見したぼくは、軽井沢の押し立て山の麓にある、あさま山荘を訪ねていったことがあります。
軽井沢ニューレイクタウンという日本にはよくある書割じみた、ヨーロッパをまねた、いかにも安っぽい新開発別荘地で、人口の、池というにも小さすぎる「湖」に結婚ビジネス用のチャペルが立っていて、水の上にはお決まりのスワンをかたどった、いつ観てもマヌケな感じがする例のボートが浮いていた。

その「湖」の岸辺に立って、ぼくが考えていたのは、連合赤軍のメンバーやきみの話に出てくる「やっちまえ!ぶち殺せ!」と叫んでいた高校生たちのなかで、ただひとり自分に理解できそうな遠山美枝子という、意志の弱い、おしゃれ好きの、でもひと一倍社会の不正に敏感な勤労学生のことだった。

日本は彼女の死を分水嶺にするようにして、冷笑と都会人気取りがないまぜになった、いまの日本に直截つづく名状しがたいうすっぺらな「先進国社会」へ向かって歩き始める。
政治に殺された愚かな若者たちのことは存在もしなかったように綺麗さっぱり忘れ去ってしまう。

遠山美枝子。
1972年逝去
享年二十五歳

彼女が十分に学力はあったのに昼間の学部にすすまなかったのは早くに父親を亡くし、低賃金に喘いでいた母親を助けるためでした。

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