Daily Archives: February 21, 2019

十七歳

1 どう言い逃れをしても、だれかが20歳まで、この腐った世界を生き延びるということは、その人間が、なれきって、欺瞞に対して不感症になってしまっていることの証拠でしかない。 少なくともおれは20歳になってしまう人間を信用しない。 きみが地下鉄の駅の構内で、やにさがった、目つきが気に入らないおやじをぶん殴ると、おまわりがやってくる。 おやじが威丈高なことをいって、おまわりさん、こういうカスがいまの日本を悪くしているんだ、おもいきり厳罰に処してやってください、とかなんとか言っている。 めんどくさいから、このおやじがおれの尻に触ったんですよ、と告げてやると、おまわりは突然ひるんだ顔になって、「まあ、とにかくあなたたちでよく話しあって」という。 「よく話しあって」。 なにを? 見ず知らずのクソおやじとおれがなんの話をすればいいというのだろう。 おれがあくまで、おやじにおれの尻にさわりやがって、訴えてやる、おまえの家庭をめちゃくちゃにしてやるからそう思え、というと、おやじは50代の汚い中年男の顔をくしゃくしゃにして泣きだしやがった。 きみは、わたしがそんなことをしなかったのを知っているじゃないか。 どうして、きみはわたしをそんなにいじめたいんだい? いじめる? おれが、おまえみたいな薄汚いおやじを「いじめる」のか? カンにさわるので、おまえの頭がどうかしちまっただけで、てめえはたしかにおれのケツにさわったじゃねえか、この変態野郎、という。 まったく不愉快なやつ。 朝から、ろくなことがない。 2 人間には人間同士で通じる言葉などありはしない。 疑うのなら、家に帰って、自分の親が自分をどのていど理解しているかやってみるがいい。 あいつらが知っているのは、きみではない。 ドラマでみたり、結婚してから話しあった子供のことはよく知っているが、それはきみ自身じゃないんだよ。 それは自分の所有ラベルがべったり背中に貼り付けてあるかわいい息子や愛らしい娘で、きみとはなんの関係もない親の願望にしかすぎない。 世界と意志を疎通するのに言葉に頼るのはばかげているだろう。 第一、 おれには世界とコミュニケーションをもつことの意味がわからない。 無意味だろう、そんなこと。 世界がきみを理解して、きみが世界を正しく解釈してやって、それでどうなるというのだろう。 和解するのか? 一日の終わりに、世界ときみはお互いの関係が壊れずに無事だったことを祝うのか? どうしても世界と意志を通じたければ、ナイフを持って町にでかけるというのはどうか。 誰でもいいから、刺してみればいい。 世界は突然よそよそしい顔を捨てて、きみとのあいだで感情の血液を循環させはじめる。 言葉はお互いをわかりあうためにあるわけじゃない。 言葉はお互いを疎外するためにある。 おれはきみになんか興味がないことを伝えるために言葉を使う。 なぜかって? きみが生きているからだよ。 おれは生きている人間には興味はない。 もっともらしいことをしゃべって、下卑た眼で、なあ、そうだろう? … Continue reading

Posted in Uncategorized | 2 Comments