アルカディアへ


ポイント・イングランドに行ったんだ。
公園の前にクルマを駐めて、坂道をあがって、ポイント・イングランドの銘板の前まで歩いていくと、夏の終わりの、爽やかな風が吹いてくる。

真夏でも、どんなに暑くなっても26度くらいで、過ごしやすいオークランドの夏も、もう終わりで、これからしばらくは、最低気温が16度で最高気温が16度だったりする、オークランドのヘンテコな秋がやってくる。

初めてオークランドに来たときのことをおぼえてるよ。
ぼくは多分5つか6つで、雲ひとつない空から空港に近付くと、馬さんたちが放牧されている牧場に囲まれた空港が見えてきて、果樹園に囲まれたクライストチャーチ空港と好一対で、欧州の淀んだ空気になれていた眼には、まるで別の惑星のようだった。

あの頃から、ニュージーランドという、このいなかっぺな国がずっと好きだったんだとおもう。

バブル経済期の西武プリンスホテルの接客マニュアルには客を来館時の車種別に分類してあって、メルセデスのSクラスから始まって、徒歩でやってくる歓迎されないマヌケな客まで、こと細かに対応の仕方の区別が書いてあったそうだが、ニュージーランドもいまは似たような時期で、以前なら考えられないような光景を観るようになった。

接客業なのに相手がアジア人だとまったく相手をしない。
客のほうが挨拶をしているのに、わざと無視する。
見かねて脇から「この人がハローと言っているじゃないか」というと、白々しく初めて気が付いたような顔で応対を始めるのはいいほうで、ひどい人になると「ああ、そうですね」と言って相変わらず素知らぬ顔を決め込んでいる。

窓に貼りだしてある売り家を見て、「おっ、これはいいな」と思って入っていくと、なにしろヒゲヒゲでぶわっと広がった長い髪(←ときどきは束ねてある)にフリップフロップ(ビーチサンダル)にショーツで、自分でプリントした赤いゴジラが正面で火を吐いていて、背中には青い文字ででっかく「大庭亀夫」と書いてあるTシャツなので、こっちをちらっと見て、「あっ、あんた、間借りの人は隣ですよ」とのたまう。

往時のプリンスホテルとおなじことでいなかっぺな社会というものは、そういうもんです。

わしが最愛の国ニュージーランドの変わり果てた姿に涙がでそうになるが、なあーに、オーストラリアのように資源豊富で中国から入ってくるUSダラーでウハウハハウハウな国と異なって、もともと資源も産業も、なあああーんにもない国なので、ちょっと躓けば、いきなり国ごと経済が破滅するに決まっているので、そうそう心配しているわけではありません。

もっかはやばいけどね。

どおりゃ、クリームドーナッツでも買ってくっか、とおもって、家の近くのヴィレッジと名前がつく、うーんとね、日本でいうと小田急線の各駅停車駅の駅前商店街くらいだろうか、のおおきさの商店街へ歩いていって、時計台がある交叉点に立って信号を待っていると、ランチャ、ベントレーコンティネンタル、ポルシェ、フェラーリ、ポルシェポルシェポルシェ、で、見ていて、なにがなしやるせない気持になってしまう。

うんざりする、と言ったほうがいいか。
なにしろ皆さん驕りたかぶった気持なので運転マナーもめちゃくちゃで、先週も、縦列からいきなり飛び出してきたアウディがいて、窓を開けて「危ないじゃないか」と言ったら、そのおばちゃん(40代・白い人・オッカネモチ風)が「あんたが止まればいいだけでしょう」と言いやがった。

言いやがった、表現として、お下品ですね。
でも「言いやがった」といいたくなります。
だって、普通の道路を普通に走ってるだけなんだよ。
そこに方向指示器もつかわないでいきなり鼻面をぶんまわすように突き出して飛び出しておいて「おまえが止まればいいだろう」って、あんたはロンドン人か。

いちどモニさんが、近所に良い家が売りに出ているから様子を観に行かないかと述べるので、おお、いいね、散歩のついでに一緒に行って訪問しよう、と述べてから、目立つといけないから、モニのBMWで行こう、と言った。

自分で言ってからBMWで行けば目立たないとおもう社会って、だいぶんビョーキかもな、とおもって苦笑する気持になった。

わしガキの頃は、ニュージーランド名物は、ドアが一枚だけ、色が違うシビックやカローラだった。

むかしはネルソンにホンダの工場があって、ここでシビックをつくっていたが、日本にはない色があって、明るい黄緑色や黄色のシビックが結構売れていた。
ところがね、ぶつけられたりすると補修のためのドアがないんですよ。

ニュージーランド人は、ぶつけられたり修理の必要があっても新品なんて滅多に使いません。
中古の部品をストックしてあるカーヤードに行く。

つい最近まで、例えばクライストチャーチのレースコースの近くにはミニの中古部品屋があって、あのミニちゅうクルマは年柄年中ドアの窓を開閉するクランクのハンドルが折れるんだけど、折れると、中古屋に行って、クランクハンドルのぼた山から自分の好きなのを採集してくる。
一個1ドル。

ドアぼた山もあって、安いので、色違いのドアをつけたシビックが通りを徘徊することになります。

それがいまはシビックやモリスマイナーがBMWになって、キドニーグリルがついたクルマならば、どこへ行っても匿名仮面なクルマとして通用する。
めだちたくないときは紺色のBMWがいちばんいい。
モニさんのBMW5はグリーンだけど。

簡単に言うといまの英語圏は中国が世界中から吸い上げたオカネが英語都市に還流することによって空前の大繁栄を遂げている。
もちろんグーグルもあればアップルもあるし、エアバスだってあるんだけど、その上に余剰な資金として中国由来のグリーンバックがすさまじい勢いで流入するので、中国の人が好みそうな英語の町は軒並み不動産バブルを引き起こしている。
伝統的に中国移民が多くて、巨大で完結された中国コミュニティを持ったシアトルやサンフランシスコは目もあてられないほど不動産価格も物価も上昇して、日本語でも年収1400万円では貧困層に分類されるとニュースでやっていたのが話題になった。

シンガポールの指導層のおっちゃんたちとペニンシャラホテルで会食したときも、「中国人問題は深刻だ」と、名前も、ダメなわし目には、どっからどう見ても中国の人たちがまじめに眉根にしわを寄せて述べていた。

もっともシアトルでロサンゼルスでメルボルンでオークランドで、「中国人の買い占めのせいで不動産の値段が暴騰して問題だ」というのは、いつもの例でいくと眉唾でなくもなくて、わしが子供のときにいま外務大臣のウインストン・ピータースが「このままではニュージーランドは日本人の洪水にのみ込まれてしまう」という大演説をぶっこいて、支持率1%に満たない泡沫党が30%を越える人気政党になって、ぶっとんだことがあったが、このときもたまたまニュージーランドにいた義理叔父が、日本領事館まで出向いて日本人移民の数を調べたらニュージーランド全土で500人しかいなかった。

いまインターネットで数字をみると500人ではなくて数千人だったはずで、義理叔父がいくらいいかげんだといっても、桁くらいちゃんと見てこいよ、とおもうが、もしかすると南島だけに限った数字か、あるいはパニクっていた日本領事館がそういう数字を義理叔父に伝えたのかもしれません。

だから中国効果は誇張されている可能性はなくはないが、それにしても、不動産価格も物価も(と、ちょっとここまで書いて心配になったので付け加えておくと不動産価格と物価は統計上も経済の性質上も別のものですね)なんだかすさまじい上がりかたで、このあいだ不動産屋が家に来て「11億円くらいで売ってくれないか」と述べて呆れてしまったが、オークランドでもかつては30万ドル(当時の円貨で1500万円、いまだと2200万円くらい)も出せば小さくても一軒家が買えて、ニュージーランドでは大学で知り合ったカップルが卒業して結婚して、まっさきにやることは10年ローンを組んで「初めの家」を買うことだったが、いまは治安があまりよくない地域でも4000万円はするので、家を手にするにも、よく考えたフィナンシャルプランが必要で、オカネのことがよく判らない若いカップルが気楽にテキトーな気持で家を買うというわけにはいかなくなってしまった。

イギリスという国は、そういう国で、若い人でもなんでも、例えば階級が高い家の人間は無茶なオカネの使い方をする国です。
妹は、渋々認めるとまともなほうの人間で散財も嫌うほうの人間に属するが、それでも大学のときに乗っていたくるまは黒のベントレーのコンチネンタルGTというクルマで、わしも嫌いでないスポーツカーだが、日本円で3000万円くらいするクルマだった。
ちょうど流行りだったからで妹の高校の時の同級生の女の友達は猫も杓子も成金もコンチネンタルGTに乗っていた。

一事が万事で、再び述べると、それがイギリスという国で家の経済とは別に、
「自分にちょうどいい生活」という概念があって、自分の地位や環境に相応しいかどうかで生活スタイルが決まる。

しかしオーストラリアやニュージーンラドは、もともとは若いビンボ国で、そういう国ではないので、いわゆる「成金」が充満して、おもいあがりもはなはだしいというか、驕りたかぶった気持が国中に充満していて、いろいろと鬱陶しいことが起きている。

ニュージーランドはもともと日本とおなじでビンボが似合う国です。
ビンボだからといって、引け目を感じたり、卑下しなくてもいい国というか。
国民性などは正反対に近いが、ビンボになると人間が活き活きしてくる点では、とてもよく似ている。

技術のありかたひとつみても、日本は零戦に象徴されるように竹ひご文化といえばいいか、新型の高速艦上戦闘機をつくるのに、千馬力に満たないエンジンで、骨格に手作業で穴を開けて重量を軽くして、人馬一体、ちょうど後年のMX5(ユーノスロードスター)のような、やさしい線で出来たいわばたおやかな技術を結晶させるのは、ビンボで文化のポテンシャルが全開になる社会だからでしょう。

一生懸命やっているのに気の毒な感じもするが、いまの安倍政権が世界のあちこちでバカっぽさをヒソヒソされるのも、多分、政権の中心を担う麻生太郎と安倍晋三というふたりの政治家が、若い時からの名うての遊び人で、努力ということにはまったく縁がない、いわば「反日本文化」的な半生を送ってきたふたりの老人だからではないかとおもうことがある。

世相の、韓国の人を、なんだか必死になって見下そうとしてみたり、ツイッタを開けても名誉白人と呼びたくなるような、「見て!見て!わたくし、白人たちに伍して、大活躍して成功してコガネをためたのよ!!」と窓を開けて叫んでいるような傷ましいと形容したくなる日本人の数の多さも、つまりは本来はビンボになじむ文化スタイルが富裕を前提に出来ている文化に適応しようとして、機能不全を起こしているのだと見える。

なあんにもない小さな部屋で、小さな机に向かって、一杯の極上品の紅茶に、王室御用達のビスケットを並べて、「この机は王侯の匂いがする」とつぶやく幸福には、そこはかとなく日本のビンボの良い匂いがする。

「馥郁たる貧困」などはフランス語ならば言語の矛盾だが、日本語だと案外表現として成り立ちそうです。

わしはいつも日本の人は、経済の崩壊も、貧乏も恐れる必要はないのではないかとおもっている。
イギリス人の文化では貧困はもちこたえることができなくて、かつて惨めさに耐えかねた労働階級のマジメ人たちは、小さな船にほとんど着の身着のままの姿で乗り込んで、地球を半周した二万キロの向こうの小島に未来を託すことにした。
誰かが「そこでは一生懸命に働けば小さくても自分の家が持てて、子供を学校に行かせることができる。なにより、出身が低いからといって誰にもバカにされることがない」と言ったからでした。

わしはクライストチャーチの家にガレージを新築しに来てくれた人が、午後のお茶を出しにいったら、イギリスからやってきたばかりの移民の人だったが、「この国ではマネージャーにミスターをつけないで呼んでいいので驚いた」と述べていた。
ファーストネームでいいんだよ、と述べてから、ジョン、ジョン、となんだか舌で大事なものの名前をいつくしむように転がしてでもいるかのような発音で述べていたのをおぼえている。

そのとき、自分の祖国の階級社会というものが、いかに残酷で罪深いものか学習したのでした。

ビンボでも、皆がちからをあわせて助けあって、どうにかこうにか生きのびる社会へニュージーランドはまた戻ってゆくに違いない。

そうして、なんにも根拠はないのだけど、日本もまた経済の崩壊が誰の目にもあきらかになったとき、いまのインチキな響きのそれではない本来の「美しい国」の相貌を取り戻すのではないかとおもうのです。

そのときは、一緒にビンボしようね。
楽しいとおもうぞ。

About gamayauber1001

ver.6 https://leftlane.xyz もあるよ
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2 Responses to アルカディアへ

  1. meiyou says:

    わたしは友情というものをまだ信じることができません。
    どうしてもわかり合いたいという愚かさに対峙することができない。
    一度であってしまうと、なんだか気恥ずかしくて距離のとりかたがわからなくなってしまう。

    ”ほとんど友情のようなもの”という言葉が忘れられなかったのです。

    そこで、往路のひとことをのこしたくなりました。
    所以こんな不真面目なこころみをしようとしているのだと思います。

    思い上がったことに対する冷笑は、ここにはないからです。

    情けないことに、信じられらくなったはずの言葉でしかここで衝動は発露できませんでした。
    またどこかであえたらうれしいです。

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  2. kaz184 says:

    オカネでなんでも解決してると,
    オカネでできることしか思い浮かばなくなるんだろうね.

    価値が定められたものしか見えなくなったら,
    現実なんて不安でしょうがないだろうな.

    なにかを持てばそれを失う不安もオマケでついてくるし.

    そういや両親も, 使える金が限定されればされるほど, 話しやすくなっていったっけ.

    怖いのはよくわからないことだからで, とにかく必要なものだけ手に入れば安心できるんだよね.
    それ以上のオカネはわかるはずもない遠い先のことを想像させるから, 不安になる.

    そういや, 「オカネは少なくとも, 惨めさをマシにしてくれる」って言葉があった気がするけど,
    この言葉はすごく惨めな感じがするけどなんでだろう.

    あぁ. 日本語だからだね.

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